From Darwin to Derrida その95

 

第10章 同じと違い その4

 
相同についてのヘイグの考察.ダーウィンの登場とそれに対するオーウェンの反発まで見てきた.ここから進化を踏まえた相同の議論になる.
 

相同の遺伝的な概念に向けて その1

 

  • 発生と系統の問題は多くの生物学者の心の中で絡みあっていた.19世紀においては「evolution」はある世代内の発達的変化と,多くの世代に渡る形態変化の両方の意味を持っていた.

 
英単語の「evolve」はもともと「(巻き物などを)展開する」という意味であり,たとえば天文学の恒星の「進化」においては同じ星の時間的変化という意味で今日でも使われる.19世紀の生物学で「世代内の発達的変化」の意味もあったというのは知らなかったが,それはある意味納得できる.現代の「スポーツ選手の『進化』」という用法にも通じるところがある様にも感じられて面白い.
ここkらランカスターの議論が吟味される.
 

  • 「変化を伴う由来」が構造的な類似を説明できるという理解が一般的になったあと,ランカスターは1870年に相同(homology)概念を捨てて,homogenyとhomoplasyを使うことを提唱した.homogenyは共通祖先に由来する遺伝的な関連のある類似構造を指し,homoplasyは類似した力や環境による類似構造を指し,homogenyでない類似構造をすべて含む.

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00222937008696201www.tandfonline.com

 

  • 連続相同に関してのダーウィンとランカスターの説明の違いは興味深い.ダーウィンにとって連続相同はある個体の身体の異なる部分が「連結して変化する」ものとして説明される.
  • ランカスターにとって連続相同はhomoplasyだった.(ランカスターの考えでは)前肢と後肢は同じ部分から由来することはできない,だからこの調和的な進化は,類似した力が,類似しているが独立に変容しやすい部分にかかった結果なのだ.この時点でランカスターは(記憶のようなものの遺伝を含む)形態の直接的な遺伝を信じていた.祖先における前肢の変化は,子孫の前肢の変化に対応するものとして「記憶」される.しかしそれは後肢の変化として「記憶」されるはずがない.そこではダーウィンの「内部的成長の相関」の概念は忘れ去られていた.

 

  • ヴァイスマン(1890)は,その当時の「獲得形質の遺伝」への熱狂が,親のある身体的部分が直接子孫の対応する部分とコミュニケートできるというモデルに基づいていることに気づいていた.彼は代替モデルを提唱した.それは決定因子は核のクロマチン経由で遺伝するが,発達中に細胞質で発現するというモデルだった.ランカスターはすぐに熱狂的に飛びついた.

www.nature.com

  • 今や連続相同と「成長の相関」は同じ決定因子が単一の身体の異なる場所で発現するものとして説明可能になったのだ.これらの決定因子はメンデルの法則の再発見の後「遺伝子」として概念化された.

 
前肢と後肢の形態の類似は進化の概念が受け入れられた直後の当時としてはかなり神秘的な現象だったのだろう.そしてこれは何らかの(遺伝しうる)発達指令があって,それが前肢と後肢においてともに発動していると考えれば理解可能になるのだ.ここから「遺伝的相同」という概念が精緻化されていくことになる.