書評 「Flights of Fancy」

 
本書はリチャード・ドーキンスによる飛翔についての本.進化適応としての飛翔,ヒトのデザインによる飛翔をともに扱っている.ここしばらくのドーキンスの本は自伝,エッセイ集,そして新無神論絡みの本が多かったが,かなり久しぶりに進化がテーマの本ということになる.題名は「魅惑の飛翔:デザインと進化による重力への挑戦」ぐらいの意味になろうか.
 

第1章 飛翔の夢

 
扉絵にはペガサスが描かれている.ドーキンスは「本書のテーマは飛翔とそのためのすべての方法論だが,飛翔について考えることから生まれる彷徨える思考やアイデアも含まれるのだ」として,天使,魔法のじゅうたん,ペガサス,ブラーク(ムハンマドをメッカからエルサレムまで運んだとされる天馬),イカルス,箒に乗った魔女,ハリー・ポッター,サンタクロースなどを例にあげている.
ここではコナン・ドイルが(現代から見ると稚拙な)妖精のフェイク写真に騙された経緯にも触れていて楽しい.ドーキンスは,「(ドイルの創作した人物である)チャレンジャー教授なら『いったいどんな祖先から妖精が進化したというのか?人類祖先とは別の類人猿からか?翼の起源はいったい何か?』と吠えたてるだろう,ドイルは解剖学を修めた医者だったのだから妖精の翼がいったい何から進化したのかいぶかるべきだったのだ」と楽しそうに書いている.
 

第2章 飛翔にはどんないいことがあるのか

 
扉絵はキョクアジサシ.ここでは飛翔能力が動物にとってどんな利点をもたらすのかが扱われる.ドーキンスはまずここで利己的な遺伝子の概念を簡単に説明し,翼を作り飛翔を可能にすることで生存繁殖に有利をもたらす遺伝子が自然淘汰を受けることを解説する.
そこから個別の利点,つまり飛翔の適応性が次々に紹介される.飛翔は捕食されることを避けるにも餌動物を捕食するにも役立つ.だから餌となる鳥と猛禽の間に,ガとコウモリの間に飛翔能力のアームレースが生じる.カツオドリは上空から魚を見つけダイブして捕らえる.ハヤブサは時速200マイル*1の急降下を見せる.飛べる鳥は捕食が寄りつけないような崖や樹上に巣を作れる.ハチドリは花蜜を得るためにホバリングする.そして多くの鳥は季節に合わせて最適な場所に移動するための渡りを行う.
ドーキンスは特に鳥の渡りについては詳しく扱っている.その長距離性,地磁気感知,体内時計と太陽の位置を利用するもの(航海における六分儀とクロノメーターに当たる),星空で定点*2を学習すること,地形などのランドマーク記憶などのナビゲートシステム,そしてそれをリサーチするための方法論(エムレンファンネル装置など)を楽しそうに解説している.
 

第3章 もし飛翔がそんなにいいものなら,なぜ翼を失う動物がいるのか

 
扉絵はカピバラを襲う巨大な恐鳥.ドーキンスはまず動物が生存繁殖上のメリットがなくなれば飛翔能力を簡単に失うことを,ハチから進化したアリ,そして女王アリがいったん婚姻飛行を終えると翅を捨て去ることに触れながら指摘する.そして飛べない鳥に話題を移し,ダチョウ,レア,エミュー,キーウィという現生の走鳥類に触れ,そこから絶滅した恐鳥類*3,モア,ゲニオルニス,エレファントバード*4を紹介する.
ここから飛翔のためのトレードオフの話になる.飛翔のためには軽量である方向に強い淘汰圧がかかり,飛翔する鳥には骨が中空になり(その分弱くなる)卵の大きさや数に制限がかかってくること*5,それはヒトのデザインする飛行機械についても同じことであることが語られている.
 

第4章 あなたが小さいなら飛ぶのは簡単だ

 
扉絵は針の穴をくぐる世界最小の飛翔昆虫 Tinkerbella nana*6.冒頭でドーキンスは妖精が実在しないのは残念なことだ,なぜならブラークやペガサスと違って小さな妖精は飛翔するには正しいサイズだからだと始めている.ここから表面積,重さがそれぞれ長さの2乗,3乗に比例し,飛ぶための力は(翼の)表面積*7から生まれるが,負荷は体重にかかること,だから小さいことは飛ぶために非常に有利であることが解説される*8
ここから絶滅した巨大な飛翔動物が紹介される.海鳥類であるペラゴルニスは翼幅6メートル,コンドル類のアルゲンタヴィスは翼面積8平方メートル,そして過去最大の飛翔動物は翼竜のケツァルコアトルスになる.ケツァルコアトルスは翼幅10~11メートルであり,身長はキリン並*9だが体重はその1/4しかない.それでも離陸は困難を極めたはずであり,おそらく飛翔用に発達している前肢の筋肉を利用したのだろうとコメントされている.
逆に小さければ飛翔が容易になる.ここでドーキンスはサイズを小さくする進化は容易に生じることを島嶼矮小化を例にとり説明し,世界最小の飛翔昆虫 Tinkerbella nanaを紹介し,彼等は翅を翼としてではなくオールのように使っているのだろうとコメントしている.
 

第5章 もし大きいままで飛びたいなら表面積を増やそう

 
扉絵は夕空を飛ぶ複葉機.飛翔のためには空気を捉える必要があり翼面積が重要になる.ここから飛翔動物がどのように翼面積を稼いでいるのかが解説される*10.ここで鳥の羽毛からなる翼,コウモリや翼竜の飛膜からなる翼がどのような構造になっているかが詳しく解説される.鳥は羽毛を持つことにより翼と後肢の運動を独立させることができており,これが様々なアドバンテージを生んでいることが指摘されている.また全く別の構造である昆虫の翅についても解説がある.
 

第6章 非動力飛行:パラシュート降下と滑空

 
扉絵はパラグライダー.ある程度重い動物でも十分な表面積があれば空中をゆっくり降下できる.ドーキンスはそのような飛膜を進化させた動物としてムササビ,ヒヨケザル,フクロモモンガを挙げ,森林での滑空の有利性や飛膜の詳細*11を説明し,収斂進化の例だとする*12
またアマツバメやコンドルや多くの海鳥類は空中のほとんどの時間を滑空して過ごしている.彼等は高度を稼ぐためにサーマルと呼ばれる熱上昇気流を巧みに利用する.さらに本章ではトビウオやトビイカの滑空も解説されている.
 

第7章 動力飛行,それはいかにして可能になるのか

 
扉絵は失速寸前で風切り羽根を大きく広げ翼の上面の羽毛が逆立っているように見えるサギの着陸.
ドーキンスはまず動力飛行の物理学を語る.身体を空中に浮かせるには2つの方法がある.直接上に引っぱり上げる方法(ニュートン的方法)と高速で前進し翼に発生する揚力により浮く方法(ベルヌーイ的方法)だ.ドーキンスはこのベルヌーイ的方法を詳しく解説する.揚力は翼のよりカーブした上面と下面の空気の流速の差から生じる圧力差で生じるが,なぜ翼の上面と下面で流速が異なるかの説明は難しく,通俗的な説明(別れた空気が翼後端で出あうこと*13を前提にする説明)は間違っていること,揚力だけでなく翼の抑角より発生する上向きの応力(ニュートン的力)も重要であることを指摘し,さらにピッチ,ロール,ヨーと呼ばれる回転とその制御のためのエルロン,失速とその制御のためのスロット(そして鳥が風切り羽根の列の間の隙間をスロットとして機能させていること)などを詳しく説明している.
最後に本章では人力飛行機(そしてその代表としてのゴッサマー・アルバトロス),太陽光エネルギーによるソーラーチャレンジャーのことなどにも触れている.
 

第8章 動物における動力飛行

 
扉絵はV字飛行するツルの群れ.まず動物の飛翔の理解は飛行機のそれより難しいと断りが入る.これは羽ばたきが浮力と前進力をともに生み,翼の3次元形態が刻々と変化するからだ.ここでドーキンスは前進力のみを生んでいるモデルとしてペンギンの遊泳を取り上げ,ツノメドリやウミガラスのような空中飛翔と水中遊泳の両方をこなす翼がトレードオフの中で妥協していることを説明する.
ここから動物の様々な飛翔が紹介される.まず鳥類が主に取り上げられ,ハチドリやスズメガの空中で停止するホバリング,風の中で反対方向に風速と同じ速度で飛ぶことにより地面に対して空中停止するチョウゲンボウ,アホウドリのダイナミックソアリング,アホウドリやハクチョウの水面で助走をつけた離陸,そして同じように水上を走るクビナガカイツブリの水上求愛ダンスが解説される.
次に昆虫*14.小さな飛翔昆虫は高い羽ばたき周波数を持つ.これを可能にしているのは振動筋肉であり,神経系は打ち上げ,打ち下げの信号を筋肉に送る代わりに,振動ONと振動OFFの信号を送るようになっている*15.より大きなバッタやトンボはこれと異なり上げ下げの信号を用いている.
コウモリの飛翔モードは鳥に似ているが,鳥のように羽毛によって翼にカーブを作ることができない.彼等は飛膜の中にあるplagiopatagialesと呼ばれる小さな筋肉でそれを可能にしている.
 
ここからドーキンスは飛行力学に戻る.飛行機は安定性と操作性のトレードオフを持つ.戦闘機のような高い操作性を持つ飛行機は旅客機のような安定性を持たない.そして飛翔動物はこのトレードオフに対して様々に対応している.カやハエにおける平均棍は操作性を高める.翼竜の中で長い尾を持つランフォリンクス類は安定性重視.持たないプテロダクタイル類は操作性重視ということになる,これは始祖鳥と現代の鳥類の対比でも同じだ.ドーキンスは操作性の利点として群れで飛ぶことが容易になることを挙げ,murmurationと呼ばれるムクドリ類のアクロバティックな群れ飛行,大型の渡り鳥に見られるV字型飛行を紹介している.
 

第9章 空気より軽く

扉絵には熱気球を軽くするために積み荷を投げ捨てる状況が描かれている.風船や飛行船は空気より軽いことにより空中に浮いている.ドーキンスはこれはヒトの発明であり,このような仕組みで浮上する動物は知られていないとしている.そして気球の歴史(モンゴルフィエ兄弟,シャルル教授)に触れ,熱気球の仕組み,水素ガスを充満した飛行船ヒンデンブルグ号の悲劇,ヘリウムガスの利用などを取り上げる.
現在では気球は熱気球であることが多い.(安全性のメリットに対し)そのデメリットは,操縦性が低いこと,搭載重量に敏感すぎることになる.ドーキンスは楽しそうにアリスター・ハーディがロンドンからオクスフォードまで熱気球に乗った時に詠んだ詩を紹介し,自分がオクスフォード近郊で熱気球に乗ったときの傑作な経験を語っている.
ここでドーキンスはなぜ動物はこの飛翔モードを利用しなかったのかという問題に戻る.そして真の「空気より軽い飛翔動物」はいないが,これに近いものとして糸を凧として利用する小さなクモ(一部のクモは離陸に際して静電気も利用するそうだ),風船に近い構造物としてトビケラの幼虫の作るシルクトラップ,空気より軽いガスの生産としてバクテリアの作るメタン,熱生産としてニホンミツバチの蜂球の例を挙げ,(操縦性,風船構造の脆弱さなどの問題はあるが)この進化が全く不可能だとは言えないだろうとコメントしている.
 

第10章 無重力

 
扉絵は宇宙飛行士の宇宙遊泳.ドーキンスは重力への反抗の最後の手段として「無重力」を挙げている.飛翔というにはやや無理筋だが,ぜひ蘊蓄を語っておきたいというところだろう.
まず宇宙飛行士が無重力を経験するのは地球から遠いからではなく,自由落下しているからだという点を強調する.そしてそれは塔の上からの落下と基本的に同じことであり,ジャンプしているノミも同じ状態だということになるとコメントしている.
 

第11章 空中プランクトン

 
扉絵は様々な空中浮遊するプランクトン.上空はるか高い大気の中には気生プランクトン(aeroplankton)と呼ばれる様々な極小生物が浮遊している.これらには花粉,胞子,種子,極小昆虫などが含まれる.ドーキンスはハーディがはじめて気生プランクトンに注目したことを指摘し,そしてそれを集めるために作った傑作な仕組み*16を楽しそうに紹介している.
ここで生物が子孫を広く分散させることの進化的メリットの話になり,ドーキンスは,自分の友人でもあり,20世紀後半における最も偉大なダーウィニアンだと紹介してビル・ハミルトンを取り上げる.まずハミルトンとメイの論文を分散の(直感的には理解しにくい)大きな進化的メリットをエレガントに数理的に説明したものだとして簡単に解説し,さらにハミルトンの「海の微生物が分散のために雲を作る」という仮説を紹介し,これは「延長された表現型」の雄大な例だとうれしそうに語る.そしてハミルトンの寄稿した「私の埋葬への希望とその理由」という記事*17を取り上げ,そこには自分の遺体をブラジルの森に埋めてもらえれば,自分の身体はダイコクコガネに食われて,彼等の子孫の輝く身体になり,私の愛するブラジルの森を飛び回れると書かれていることに触れる.しかし実際にはハミルトンは英国で埋葬された.ドーキンスは彼のパートナーだったルイーザ・ボッジが彼の墓に呼びかけた言葉(それは現在彼の墓の側にあるベンチに刻まれているそうだ)を紹介する.

ビル,今あなたの身体はワイタムの森にある.しかしここからでもあなたはいつかあなたの愛した森にたどり着けるだろう.
あなたはコガネムシの身体になるだけではなく,何十億もの菌類や藻類の胞子となり,風に乗って対流圏のなかを舞い上がり,雲になり,大洋を越えてさまようだろう.そして時に地面に降下し,また舞い上がり,いつの日か雨の1粒になりアマゾンの森を流れる水の一部になるだろう.

そして最後にこう結んでいる.「彼は間違いなく愛した人からのこの美しい別れの言葉をうれしく思っただろう.そしてそれが気生ブランクトンによって作られたかどうかは別にして,その雲の縁は銀色に輝き,きっと彼の希望をかなえてくれただろう*18
 

第12章 植物の「翼」

 
扉絵は風に吹き飛ばされるタンポポの種子.前章で説明した通り植物は種子を分散させるように進化する.その一つの方法が風に乗ることだ.ドーキンスは,種子の重さは発芽以降の栄養分と分散のしやすさのトレードオフで決まるものだと前置きし,タンポポやアザミの種子の綿毛,カエデやアルソトミラの種子にあるゆっくり舞い落ちるための「翼」,テンジクアオイのバネのようにはじける仕組み,鳥の翼を借りるための果実を紹介する.
次に近親交配を避けるための花粉の分散を取り上げ,まず風媒,そして動物に送粉してもらう昆虫媒,鳥媒とそのための花の適応が解説される.ここでは南米のコウモリ媒の花の反射鏡のような花,ハナバチ媒花の一部が静電気を利用していること,紫外線領域まで利用した蜜標,特定の送粉者のみを誘引する共生系,騙し送粉(ハンマーオーキッドについて詳しく解説がある)などが取り上げられている.
 

第13章 進化した飛翔動物とデザインされた飛行機械の違い

 
扉絵は青写真として描かれた鳥と飛行機.ここでドーキンスは進化産物と人によるデザインの違いを扱う.進化をデザインのように考えること(目的論的理解)はヒトにとってわかりやすいが,大きな違いは進化はデザインのように一から全く新しい仕組みを導入できないことだとする.
ドーキンスはここでマット・リドレーのイノベーションの議論を紹介する.それは実はヒトのデザインの革新もただ一人の天才が思いつくというより.多くのエンジニアや設計家のアイデアが変異と淘汰を受けていく「進化」プロセスに乗っているという主張だ.そして飛行機の歴史を見るとそれはグライダーの長い歴史の上にあり,ライト兄弟が一からデザインしたというよりリドレーの主張に近いものだと語っている.
 

第14章 半分だけできた翼にどんなメリットがあるのか

 
扉絵は滑空するトビヘビ.第14章ではよくある創造論者による進化論批判「動物が翼のないものから翼のあるものに進化したというなら,その中間にいたはずの半分だけある翼の動物には,どんなメリットがあったというのか,あったはずはない,進化論は誤りだ」を題材に翼の進化を取り上げる.
ドーキンスはまず第6章で取り上げたムササビの被膜を取り上げ,続いてトビトカゲ,トビヘビ,トビガエルのそれぞれ異なった滑空用の「翼」,さらにリスによる樹間ジャンプ時の尾の利用を示す.そして指の間に膜を発達させることが容易であることからコウモリのような翼の漸進的な進化を簡単に説明できるとする.
ここから脊椎動物の飛翔(つまり鳥とコウモリと翼竜の飛翔)がどのように始まったのかについての樹上からの滑空説と地上走行説を取り上げ,それぞれの主張を解説している.ここでは鳥の地上走行説のバラエティ(天敵から逃れる高速走行恐竜のジャンプを容易にした説,同じく天敵から逃れるためにより急坂を登れるようにした説,肉食恐竜の待ち伏せからの急襲を容易にした説,昆虫を採るためのジャンプを高くした説,昆虫捕獲用のネットとして翼が進化しのちに地上からのジャンプに使った説)が楽しそうに語られている.
最後に昆虫の翅の進化が扱われている.昆虫の翅は胸部外骨格が伸展したものだ.この起源についても,水中幼虫の鰓から起源した説,同じく水中幼虫が水面を走るための帆から起源した説,身体を暖めるためのソーラーパネルから起源した説などをやはり楽しそうに紹介している.
 

第15章 外へ向かう衝動:飛翔を越えて

 
扉絵は宇宙を航行するバイキング船.本章の章題はジョン・ウィンダムのSF小説「The Outward Urge*19」からとられている.ドーキンスは飛翔を越えて地球からの脱出の夢を語る.第11章の分散の議論をよく考えるなら,どんなに小さな可能性でも(小惑星の落下,気候変動,世界戦争,パンデミックなどで)地球生物圏壊滅の可能性があるなら,人類が地球を越えてコロニーを建設することには意味があるのだ.
そしてコロンブス,マゼラン,エリクソン(グリーンランドへ到達したバイキングのリーダー),アジアからアメリカに到達した先史時代人,大洋を渡ったポリネシア人,人類の出アフリカ,そして最初に陸上進出した魚類を語る.
ドーキンスは重力からの解放は昆虫,鳥,コウモリ,翼竜に始まり,人類の気球飛行,グライダー滑空,飛行機,そして宇宙ロケットに受け継がれ,科学者の創造する魅惑の飛翔につながっていると語り,ワーズワースの詩を引用する.ワーズワースがうたうニュートンから,現代のホーキングの精神に触れ,最後にこう本書を結んでいる.

  • 私は科学それ自体が未知の世界への英雄的な飛翔だと思う.その飛翔が新しい世界への文字通りの移動であろうと,精神の飛翔であろうと,科学は奇妙な数学的空間のなかの抽象的な滑空なのだ.それははるか遠く遠ざかりつつある銀河への望遠鏡を通した跳躍であり,生物の細胞のエンジンルームへの顕微鏡を通した潜入であり,巨大なハドロンコライダーを回る素粒子の追跡だ.あるいはそれは前方の荘重な膨張する宇宙への,後方の太陽系誕生以前の岩石,さらに時間の起源そのものまでへの時を超える飛行なのだ.
  • 飛翔が重力から3次元空間への脱出であるように,科学は毎日の決まり切った事柄から想像の隔絶した高みへの上昇なのだ.
  • さあ,翼を広げ,それがどこまで私たちを連れていってくれるのか見てみようではないか.

 
ドーキンスもすでに80歳.本書は(進化についてすでに興味を持っている)一般読者を相手に自分が本当に面白いと思うことを中心に書き上げた優しい本に仕上がっている.所々蘊蓄をもうちょっと語りたいというところでは「By the way」と始まるコラムを置き,いやいやこれも語っておきたいとばかりに蘊蓄を語っているのもまことに楽しい.ドーキンスファンにはとてもうれしい一冊だ.
  
 
関連書籍
 
ハミルトンの自撰論文集.ハミルトンとメイの分散の論文はここで読める.パッチ上に分布する生物においては分散した場合の生存確率が極く僅かであっても繁殖リソースの1/2を分散に回す性質が進化することを論証している.その意外な結論と数理的なエレガントさから本当に印象に残る論文だ.

 
アマゾンにうめられてダイコクコガネとなって森を飛び回りたいというエッセイ「My inteded burial and why」はここに収録されている. 

上記エッセイは日本語でここに収録されている

  
これらのハミルトンの自撰論文集の私の書評は
shorebird.hatenablog.com


 

*1:時速320キロほどになる.英国人のドーキンスがなぜここでメートル法を用いていないのか(ほかのところではメートル法を使っている)は不思議だ.

*2:現在の北半球では北極星を見定めることになるが,鳥は南半球でも星空の定点を把握できる.これはそこに星がなくとも天空の回転運動の中心点を見つけることができることを示している

*3:ここでは恐鳥類がハシビロコウのように獲物を丸のみにしたのかが考察されている

*4:もちろんドーキンスはここで楽しそうにアラビアンナイトのロック鳥の話を書いている

*5:ここでコウモリが通常一腹一子であることも同じであること,ライオンが飛べないのは重すぎるからで,ネズミが飛べるように進化しなかったのはすでにコウモリがニッチを埋めていたからだろうなどの解説がある.

*6:コバチの一種.この属名はもちろんピーターパンに出てくる妖精ティンカーベルにちなんでいる.そして種小名は同じくピーターパンに登場するダーリング家の執事犬ナナからとられたものだそうだ

*7:もちろん必要な筋肉量やそれが骨に付着する表面積も重要になる

*8:ここではレオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知の絵の天使の翼のサイズを(もし本当にこれで飛んだのなら必要である)適正サイズに書き直した図が添えられ,人体の解剖学を熟知し,飛翔のための力学を考察していたはずのダ・ヴィンチにしては.翼が背中にどうついているかが曖昧で小さすぎると皮肉っている

*9:それを示すイラストが添えられている

*10:生物にとって表面積が重要になるものは多い.ドーキンスは呼吸器官,毛細血管,消化器官,腎臓などの例を挙げている.

*11:ヒヨケザルの飛膜のみ尾まで広がっている

*12:さらに齧歯類のなかだけでも飛膜は独立に2回進化しているそうだ.1つはアジアやアメリカのムササビ類(正確にはリス亜科の中のPteromyini族で,これにムササビ(Pteromyina 亜族)とモモンガ(Glaucomyina 亜族)が含まれる),もう1つはアフリカのウロコオリス類になる.

*13:もちろん物理法則は翼前端でいったん別れた空気が翼後端でまた出あうことを強制したりしない

*14:ここでドーキンスは昆虫は脊椎動物より2億年も早く飛行能力を獲得しており,なぜ脊椎動物が陸上進出の後(いかにも有用なニッチがありそうなのに)飛行能力を獲得するのそれほど時間がかかったのかを訝っている

*15:だから振動数は常に一定だ,蚊の羽音が上下するように聞こえるのは飛行方向が変化しているからだ

*16:凧を高く揚げてそこにネットを装置する.ウインチの巻き上げにはジャックアップした1920年代物のブルノーズ・モリスの後輪を使ったそうだ

*17:これは日本の昆虫雑誌インセクタリウムに最初に掲載されたものだ.当初は訳された日本語でしか発表されていなかったが,のちにもともとの英語バージョンも英国で刊行された

*18:So perhaps the clouds had a silver lining:「a silver lining」というのは雲の外側の縁が(雲の向こう側からの)太陽光を受けて輝いている様子を表していて,それが転じて「希望の兆し」という意味にもなっている.ここでは,ハミルトンは雲になり,そしてその希望はきっとかなえられただろうというニュアンスを表に出して訳してみた.

*19:7世代かけて宇宙移民を行う家族の物語らしい.調べてみた限りでは邦訳はないようだ.