書評 「武器を持たないチョウの戦い方」

 
本書は京都大学学術出版会の「新・動物記」シリーズの一冊.著者によるチョウの行動の研究物語だが,その中心になるのはこれまでナワバリをめぐるチョウのオスオス闘争だと考えられていた卍巴飛翔(あるいは直線的な追跡を相互に行う飛翔)についての斬新な仮説の提唱とその検証だ.この一連の研究は日本動物行動学会賞を受賞したもので,この界隈では話題の書ということになる.
 

第1章 ギフチョウはなぜ山頂に集まるのか

 
第1章は著者が蝶に魅せられたきっかけになったギフチョウの物語.ギフチョウは,アゲハチョウのなかまで黄色と黒の縦のだんだら模様に後翅の赤紋と青紋がひときわ映える美しいチョウであり,春の一時期だけ山に現れる(春の女神と呼ばれることもある).
著者は中学生のころに蝶に夢中になり,やがてギフチョウを求めて春先に地元の大阪北部や北陸の山をさまようようになる.そしてギフチョウには山頂や尾根に集まる性質があることを知る.
時は流れて著者は大学生になり,知り合いのギフチョウの個体識別法による行動研究(詳細が楽しい)を手伝うことになる.その結果ギフチョウは春に産卵し,5~6月にふもとのカンアオイを食べて成長して蛹になり,蛹のまま冬を越し,成虫になると交尾のために山頂に集まるということがわかってきた.
第1章ではさらに各地のギフチョウの生態,現在の絶滅危機(最近急増しているシカによるカンアオイの食害が原因,さらにシカの食害がない一部の山にはチョウ愛好家が集中して捕りすぎるという問題も生じてしまう)についても触れられている.
 

第2章 相手を攻撃しない闘争で優位になるには

 
第2章ではゼフィルスと呼ばれるミドリシジミ類が主役になる.ミドリシジミ類はシジミチョウのなかの一部のチョウたちで,一般的にナラやカシ類を食樹とし,樹上性の習性を持つ.生活史としては春に孵化し,梅雨頃から夏に成虫となって交尾産卵を行い,卵のまま冬を越す.成虫は10~20メートルぐらいある樹木の梢にいるので採集は難しい.著者は中学生のころ「森の蝶・ゼフィルス」という本によってミドリシジミに魅せられる.そして様々なミドリシジミを求めていろいろな産地をめぐり,竹を何段も継いで伸ばした8メートルの捕虫網を振り回して採集に励む*1.このドキドキする採集体験が臨場感豊かに綴られているところは読んでいて楽しい.そしてこのミドリシジミ類もオスはナワバリを持ち,ナワバリをめぐってオス同士が争い卍巴飛翔することが「森の蝶・ゼフィルス」にも記されており,中学生だった著者もそれをしばしば観察する.
第1章に引き続き時が流れて大学院生になった著者はこのミドリシジミを研究することになる.ミドリシジミには明確な性的二型があるものが多く,オスがナワバリを持つ.当時は行動生態学において進化ゲーム理論による解析が脚光を浴びていた時期であり,そしてチョウの卍巴飛翔はニック・デイビスによりタカハトゲームのブルジョワ戦略の例だと主張され,批判者と論争になっていた.著者はこのナワバリ行動に焦点を当て,対象種と調査地を吟味したのちメスアカミドリシジミを調べることにする.個体識別法を工夫し,どの個体がいつどこでナワバリを占有していて,いつどのぐらい時間卍巴飛翔を行い,どちらがナワバリに戻ってくるかなどを記録していく.この結果特定のオス(αオス)が連日ナワバリを占有していることがわかってきた.
ここで著者は卍巴飛翔はただ飛んでいるだけで相手を攻撃するわけでもないのに,なぜαオスがいつも勝ち連日占有し続けられるのかに疑問を持つ.メスアカミドリシジミのナワバリは夕方になるといったん解消するのでブルジョワ戦略では説明が難しい.最初は身体能力が優れているのではないかという仮説を立て,様々な苦労を重ねて体重,飛翔筋や脂肪の量などを調べる.結果はαオスとそうでないオスに有意な差はなかった.ここで著者に「実は卍巴飛翔はオスをメスと間違えて追いかけているだけではないか」というアイデアが浮かんだが,明確な性的二型があること.卍巴飛翔の後片方のオスが飛び去ることから無理筋っぽいと考え,検証方法も思いつかなかったのでいったんお蔵入りとなる.
続いて著者は,αオスが1時間ほど木陰で休んでいるときに別のオス(βオス)がナワバリ占有したときに卍巴飛翔が長く続いたことを観察し,なぜ通常の場合卍巴飛翔の後αオスが戻ってくるのかを考え始める.そしてこれはナワバリ占有時間が闘争の動機付けに相関するからではないかと考え,これもまた様々な苦労の末にαオス除去実験を行い,ナワバリ占有時間が卍巴飛翔の時間と相関することを確かめることができた.さらに出現の早いオスがナワバリ占有オスになりやすいことも確かめた.ここまでの結果を著者はメスアカミドリシジミのオスのナワバリは配偶ナワバリであり,占有時間が占有動機を強めるために特定オスが占有し続けることができるとまとめている.また章末ではチョウの性比の問題,ナワバリ行動を実験室で再現することが難しいことなどにも触れている.
 
第2章の研究物語も臨場感あふれていて大変面白いのだが,議論の進め方には少し疑問もある.著者はブルジョワ戦略説を夕方にはナワバリがいったん解消されるという理由で否定しているが,ナワバリ占有時間が占有動機と相関しており,占有時間の長いものが勝つというならそれは(累積占有時間の多寡を非対称条件とした)ブルジョワ戦略と解釈する余地があるだろう.「これはブルジョワ戦略のようにも見えるが,チョウの場合は直接攻撃が生じないので(双方攻撃の場合に発生する大きなコストがなく)タカハトゲームになっていないはずだ」という論理の組み立ての方がよかったのではないだろうか.
 

第3章 二つの配偶戦略を使い分ける?

 
2007年に広島に移った著者は次の研究対象をジャノメチョウの仲間であるクロヒカゲに定める.クロヒカゲは年3回(5月7月9月)羽化する.オスの配偶行動について,先行研究では第一世代は羽化したばかりのメスを探す探雌飛翔が主(補助的にナワバリを持つ)で,第二世代はナワバリのみで探雌飛翔はしないとされていた.(ここでナワバリと探雌飛翔という2つの戦略について解説がある)実はナワバリでは卍巴飛翔のようなオスオス闘争があるが,探雌飛翔ではそのようなオスオス闘争は見られない(オスがメスの周りに複数集まってくることもあるが闘争にはならない).著者はこれはなぜか疑問を持つが,「そういう根本的な問題はわからないので理由はともかく」そうなっているということで,世代によりこの2戦略を使い分けるというクロヒカゲの習性に興味を持って調べることになる.
調べてみる*2と先行研究とは異なり,クロヒカゲはどちらの世代もナワバリ型の行動をとっていた.そしてオス同士は(卍巴飛翔ではなく)直線的追跡を行うことがわかった.また勝者は飛翔筋が大きいことも発見できた.しかし結局直接攻撃がないのになぜ飛翔能力が高いと勝つのかについてのわだかまりがのこることになる.
 

第4章 チョウの縄張り争いは求愛行動?

 
第4章からは著者によるチョウのオスの縄張り行動とこれまでオスオス闘争と解釈されてきた卍巴飛翔や追跡飛翔の解釈がテーマになる.冒頭では動物の行動の進化と進化ゲーム理論による解析が概説される.オスオス闘争はタカハトゲームあるいは持久戦ゲームとして解釈されることが多く,チョウの場合は直接攻撃がないので持久戦モデルが当てはまると考えるのが主流の捉え方になる.これによると卍巴飛翔や直線追跡を闘争ディスプレイとして解釈することになる.
しかし持久戦モデルが当てはまるなら,勝敗は持久戦を行っている間に被る累積コストが先に閾値を超えた方が撤退することにより勝敗が決まることになる.であればオスは持久戦の間できるだけ時間当たりのコストを下げようとすることになるはずだ.著者はではなぜチョウは卍巴飛翔や直線追跡で大きなコストをかけているのかを疑問に思う.チョウにはトンボの大顎のような武器がないので相手を直接攻撃できない*3.だからまじめに飛ばずにさぼって時間が経つのを待つ方が得になるはず*4というわけだ.
ちょうどその頃著者がゼミでこの話をしたら,一人の大学院生が「チョウのナワバリ争いはホントは間違って求愛しているだけだったりして」といいだした.著者はその時は「それだと片方のオスが飛び去るのを説明できない」と答えたが,このアイデアは頭の片隅に残ることになる.
その後で著者は動物行動の解釈について「オッカムのかみそり」を適用すべきだと主張する論文を読み,チョウが何を認識しているのかについて考え直す.チョウが相手をオスだと認識できないとしたら,そして飛んでいるものは(適応度的に重要な順に)まずメスではないか,次に捕食者ではないかと認識するなら,チョウのオスの行動をすべてうまく説明できることに気づく.αオスはβオスがナワバリ内に飛んできたときにメスだと認識してまず追いかけようとし,そして相手も同じようにαオスをメスだと認識して追跡しようとすると追跡しあう形になって卍巴飛翔になり,(場所になれていない,飛翔能力が低いなどにより)より捕食リスクが高いβオスの方が先に相手はメスではなく捕食者かもしれないと認識して逃げていくのだ(その他観測された様々な行動についての解釈も説明されている).著者はこれを汎求愛説と名付けて発表する.
著者はここで研究者コミュニティの保守性の壁にぶち当たる.汎求愛説はこれまでの主流の考え方の前提を突き崩す斬新な説だ.最初に話を聞いた研究者はまずこれを「怪説」だと受け取り,あら探しモードに入ることになるのだ.
 
著者によるこのぶち当たり体験(あるいは多くの研究者の批判的反応)の詳細はなかなか臨場感があって面白い.動物界はオスオス闘争にあふれていて,チョウの卍巴飛翔はいかにもどちらのオスが優秀かを示すことができるハンディキャップシグナルのように見える.またチョウの多くは明確な性的な二型があり,そのような種の場合オスがオスとメスを区別できないとはにわかには信じがたい.私が予備知識なしに学会で発表を聞いたとしても最初は「そんな馬鹿な」とまず疑うだろう.これを受け入れるにはかなりよく考える必要があるだろう.汎求愛説のポイントはチョウはオスに攻撃能力がない特別な動物だということだ.そういう動物のオスにとってはオスオス闘争において闘争能力をディスプレイすることは無意味になるはず*5で,持久戦ならコストをかけないはずなのだ.そして最後に残る疑問は,あんなにはっきりとした性的二型があっても認識できないなんてことがあるのか(認識できた方が飛翔コストを節約でき捕食リスクを下げられるので有利だと思われるし,様々な花や蜜標を認識できるのだからメスとオスを認識する能力を進化させるのがそれほど難しいとは思えない*6)という点になる.
 

第5章 チョウにとって同性とは何か

 
苦労の末に汎求愛説論文は採択されることになる.ちょうどこの頃国際学会で汎求愛説を発表したところ,著者は,北米に分布するキアゲハの近縁種であるPapilio zelicaonにおいては,ナワバリにオスが飛来するとオス同士が空中で脚をつかみあうナワバリ争いを行うが,メスが飛来するとオスの時とは異なる縦回転飛翔が見られると報告されているが,これは性識別をしていると考えないと説明できないのではないかとの疑問をぶつけられる.
著者は日本のキアゲハにおいても同じような観察報告があることを思い出して,これを調べることにする.著者はチョウの羽ばたき装置(標本を羽ばたいているように見せる装置)を用いてキアゲハの見張りオス(汎求愛説の立場に立つとオスは単にメスを見張っているだけでナワバリではないことになるのでこう呼ぶことになる)にオスとメスの標本(殺処分直後の標本とクロロホルムで化学物質を抜いた標本)を提示する.その結果見張りオスはまず標本の足に触れ,その後殺処分直後のメス標本なら縦回転飛翔に入り,オス標本だと回転飛翔には入らずに足を触れたり離れたりを繰り返し.クロロホルム処理標本の場合にはすぐに飛び去ることがわかった.これは視覚情報では性別が識別できないために脚に触れて化学物質で相手を確かめていると解釈することができ,汎求愛説によっても上手く説明できることがわかった*7
著者はここからチョウの環世界の話になり,チョウのオスは「飛んでいるものは様々な程度で配偶相手に似た何か」という環世界に棲んでいるのであり,性的二型があるからすぐわかるはずだというのはヒトの感覚に過ぎないのだと主張する.そして最後に学説の現状がかかれている.著者のこの汎求愛説は少しずつ賛同者が増えており,2020年に発行されたチョウの専門書では「チョウのナワバリ争いと考えられてきた行動については,持久戦か誤認識かについて専門家の立場が一致していない」という扱いにまで達しているそうだ.
 
個人的には私は80%ぐらい説得された.なお「なぜ(それほど困難な制約がありそうでもないのに)どのチョウにも性識別能力が進化しなかったのか」については,環世界で最節約的だというだけでは完全には納得しがたい気分も残るが,積み重ねられた証拠から見ておそらく正しいのだろう.
 
本書はいかにもオスの優秀性についてのハンディキャップシグナルのディスプレイに見えるチョウの卍巴飛翔が,実はメスと間違えて追いかけあっていると解釈できる(そしてその方が動物行動の説明として節約的だ)という斬新な考えがどのように生まれて検証されたかという研究物語であり,それにチョウを追いかけてきた著者の人生が重ねられていて,楽しく読める本に仕上がっている.行動生態学に興味のある人にはとりわけ興味深い一冊だろう.

*1:チョウ好きの友人に聞いてみたが,ミドリシジミは本当に高いところにいるので普通の小中学生にはとてもとても手が出せる相手ではないそうだ

*2:ここでも調査の苦労話がたっぷり語られていて楽しい.フィールドでの野犬との対決話は傑作だ

*3:そのことを示す興味深い観察例も紹介されている

*4:そして実際に探雌飛翔戦略の場合は見つけたメスの周りにオスが集まるだけという形になる

*5:これがメスの選り好み型の配偶競争であれば話は別になるだろう.その場合には卍巴飛翔でより優れたオスかどうかをディスプレイすることには意味がある.しかしチョウの場合はメスがこの飛翔を見て選り好んでいる様子はないので当てはまらないということになるだろう

*6:著者はこの点について適応度的に有利であったとしても必ずしもそう進化するとは限らないと答えている

*7:なおこの結果を論文で発表する際にもいろいろな苦労があったことが触れられている.結局この結果を論文にするために,まずキアゲハの行動記載の論文を出すことが必要になったそうだ