書評 「不平等の進化的起源」

 
本書は,科学哲学者でありかつ進化ゲーム理論家であるケイリン・オコナーによる進化ゲームの均衡解として(差別的偏見がなかったとしても)社会的カテゴリー間の不平等をもたらす慣習や規範が創発しうることを丁寧に論じた本である.社会的カテゴリーとしては特にジェンダーが大きく取り上げられているが,人種や宗教などにも当てはまる議論になっている.原題は「The Origins of Unfairness: Social Categories and Cultural Evolution」.
 
序章で各章の概略と文化進化の簡単な解説(文化進化の存在は本書において進化ゲームを用いる基礎的な前提になる)をおいた後に本論に入る.
 

第1部 社会的強調による不平等の進化

 

第1章 ジェンダー,協調問題,協調ゲーム

 
最初のジェンダーとは何かを論じている.主流の社会学はそれを社会構築物として理解することになるが,本書では,人々は生物学的性差に基づいて人の集団を2タイプに分けるカテゴリーとして認識し,このカテゴリーに基づいて社会的に構築された行動パターンを形成すると捉えることになる.
そこから性別役割分業を取り上げる.本書ではこれを生物学的性差からではなく協調ゲームの進化ゲーム均衡から理解しようとする.そして協調問題には相関的協調問題(双方が同じ行動をすることが均衡解になる,道路の左側通行など)と補完的協調問題(双方が別の行動をすることが均衡解になる.タンゴにおいて最初の一歩を前に出すか後ろに出すかなど)があり,分業はこの後者の協調問題にかかるものになる.
そして繰り返しのある協調問題は一般的には慣習によって解決されることが多い.そしてどのような慣習が内生的に発生するかを進化ゲームを用いて考えていくことになる.
簡単に相関的協調ゲームを解説したあとで,(男女の分業が該当する)補完的協調ゲームを考察する.この種のゲームにはナッシュ均衡が2つあり,参加者の利得ペイオフにより,片方の均衡が双方にとって望ましいゲームや,どちらの均衡になるかで双方の利害が相反するゲームがある.男女の分業は後者のタイプであり,どちらの均衡に決まるかが問題になる.
 

第2章 社会的カテゴリー,協調,不公平

 
ここから利害の相反がある繰り返し補完的協調ゲームを考察していくことになる.そして集団メンバーに社会的カテゴリー(最初に社会的カテゴリーについての細かな説明がある)があることがどのような影響を与えるかがポイントになる.
本書では非常に細かく解説されているが,簡単にいうとカテゴリーがない(あるいはカテゴリーを行動戦略のキーに使わない)場合に比べると自分と相手のカテゴリーをキーにした条件付き戦略をとれる場合の方が集団全体が個々のゲームでより均衡解が多くなる状況に到達可能になるということになる(その場合集団全体の利得も高くなる).これはたとえば2×2のゲームにおいて,カテゴリーがない場合にはどのような戦略でも個々のゲームでどちらかの均衡になる確率が1/2にしかならないのに対し,カテゴリーがあれば,ある戦略がよりドミナントになるにつれて自分と相手のカテゴリーが異なる場合には均衡になる確率が1に近づくためだ.そしてその場合にはどちらかの均衡解のみが達成され,不平等な結果(多くの場合不公平)がビルトインされることになる.
 

第3章 文化進化と社会的カテゴリー

 
第3章からは第2章の考察を踏まえ,「なぜ男女の性的役割分業が通文化的に見られるのか」という問題を考察する.経済学の主流は合理的選択モデル(相手によい印象を与えるなどの要因を考慮し,どのような仕事をするかを自分で決定する)になる.ここでは行動戦略が社会的学習や個人的学習により進化するというモデルで考察される.
冒頭では進化ゲーム,レプリケータ・ダイナミクス,文化進化モデルの簡単な解説がある.本書の分析では標準的モデルに「模倣において自分と同じカテゴリーのメンバーは模倣するが,他のカテゴリーのメンバーは模倣しない」という前提が加わることになる.ここで補完的協調ゲームの進化的動態を分析すると,どちらの均衡解に落ち着くかは初期条件による決まることが相図とそこで示される吸引域により説明されている.
またここでちょっと面白いのは,本書ではこのようなモデルの説明力を頑健性テストを用いて検証しようとしているところだ.具体的にはちょっとずつ前提の異なるいくつかのモデル*1で同じ結論になるのかどうかを調べることになる.
 
ここからメンバーに2つのタイプが混ざった(自分と相手のカテゴリーをキーとした条件付き行動戦略をとれる)個体群による進化ゲームの解析が解説される.
本章では2つの均衡解が非対称な相関的協調ゲーム(男女の争いゲーム,本書ではバッハ-ストラヴィンスキーゲームと呼ばれる)が分析される.この場合皆が同じ慣習に従うのではなく,それぞれの同じタイプ同士,異なるタイプがペアになったときの3つの異なる慣習が生まれる.この場合,片方のタイプの平均利得が高くなることが生じる.(またスタグハントゲームでも同じような3つの慣習が生じ,不平等が生じうることが解説されている)
 

第4章 ジェンダーの進化

 
冒頭で進化モデルにおける特定均衡の吸引域について説明がある.ここではこの吸引域の大きさを慣習性の指標として使うことになる.そして均衡ゲームにおいてペイオフの変更がどのように吸引域に影響を与えるか(基本的に双方にとり好ましい結果になる解の吸引域が大きくなる)が丁寧に解説されている.
すると男女で機能差があれば,それに応じた分業解の吸引域が大きくなる.これがよく見られる生物学的性差(選好の性差も含む)に基づく役割分業の説明になる.しかし偶然によりそうでない解に落ち着くこともあるし,実際に役割分業には文化差がある.つまりここで著者は身体的性差や進化心理学的な選好の性差だけではジェンダーの役割分業を完全に説明できず*2,より深い理解のために進化ゲーム的な分析が必要だと主張していることになる.
 
ここから著者はなぜ通文化的にジェンダーによる区別が創発したのかを考察する.そして集団メンバーをほぼ1:1に区分するジェンダーという区分が補完的協調ゲームを解決するために非常に有用であることに注意を促す.そういう状況で,何が自分に有利なのかを学習する個人が存在すると(つまり文化進化が起こるとすると),生物学的性,性自認,性的指向性がセットとなった社会的カテゴリー(ジェンダー)が創発し,性役割分業が慣習として成立する.そして性役割の細かな内容は文化ごとに異なりうるし,不平等も生まれうるのだと説明されている.
 
ジェンダーが「必ずしも一緒にする必要のない要素のセット」であることにかなりこだわった説明だが,(社会構築論に対抗するためか)やや理屈っぽくてわかりにくい.どちらかといえば,生物学的性,性自認,性的指向性は多くの場合一致しているので認知的にセットになりやすかったという要因の方が大きいのではないかと思われる.
 

第2部 資源分配を通した不平等の起源

 
第1部では性的役割分業に焦点が当てられていたが,第2部では不平等にフォーカスされる.
 

第5章 権力,そして不公平の進化

 
ヒト社会の格差や不平等については,しばしば内集団選好や偏見バイアスなどの内的心理から説明される.本書では仮にそういうものがなくとも不平等が生じうることを論じていくことになる.
著者はある資源をメンバー間でどう分配するかという問題を取り上げ,ナッシュ要求ゲームの形で考察する.(ナッシュ要求ゲームでは各対戦者が分配要求をし,それぞれの要求量を得るが,要求合計が資源量を上回るとどちらも何も得られないという形をとる.それぞれ50%要求するという解は相関的協調ゲームの要素を持ち,片方が少なく片方が多く要求する解は補完的協調ゲームの要素を持つことになる)
実際に被験者を使って実験すると,対戦者は多くの場合半々の分割に至るが,時に不平等な結果に陥ることもある.哲学者たちは繰り返し相互作用や交渉があれば公平分割に達しやすいだろうと議論した(詳細は興味深い).著者はここで交渉を行い学習するメンバーによる進化ゲーム分析を行い,集団内にタイプが存在すればより差別的な帰結に至りやすいことを進化ゲーム分析(吸引域の大きさ)を用いて示す.
 
次に著者は交渉が決裂した場合に相手を脅せる機会を持つゲームを提示する.ゲームは(当然ながら)より高い脅し能力を持つ対戦者に有利な結果に至りやすくなる.これが「権力」をゲーム理論的に考える出発点になる.このような権力の存在がゲームに与える影響は,ナッシュ要求ゲームで要求合計が資源量を越えたときの利得を双方ゼロではなく非対称な値にすることによって分析できる.そしてゲームは決裂点でより高利得を得る対戦者に有利に決まりやすくなる.*3
これは交渉決裂時により良い代替選択肢を持つ場合に広く見られる.たとえば家庭が崩壊したときにより貧困に至りやすい女性と経済的リスクを持たない男性に当てはまる.そしてタイプ間に見られる初期の差異が大きな差異に発展する可能性を説明している.
 

第6章 「文化的な赤の女王」と「文化的な赤の王」

 
ここで著者はタイプごとに進化速度が異なるとどうなるかを考察する.ここでは進化速度が速い方が有利になる現象を「赤の女王効果」と呼び,遅くなる方が有利になる現象を「赤の王効果」と呼んでいる.
ここで補完的協調ゲームにおいて自分と異なるタイプとの対戦結果の学習が重要だということがポイントになる.つまり少数派の方がより学習が進み文化進化速度が速くなるのだ.(この他の要因としてはタイプごとの組織記憶量の差,背景利得の差などが挙げられている)
そして著者はナッシュ要求ゲームにおいてタイプごとに単純に進化速度が異なる場合の分析結果を紹介する.吸引域が曲がりくねる様子は面白い.そして不平等要求のペイオフの値により赤の王効果や赤の女王効果が発現する.
ではタイプごとに頻度が異なり,そのために学習の進度に差ができるモデルを分析するとどうなるか.結果はかなり複雑だが(詳細は面白い),基本的には赤の王効果の方が大きく,少数タイプは少数であるために進化速度が速くなり,不利な均衡に陥りやすくなることが示されている.
またここでは実際の社会的場面(職場など)では少数派は不利な状況を初期位置にされており,これは赤の王効果を大きくさせること,内集団選好が少しでもあると赤の王効果を大きくさせること,多数派の方が組織蓄積記憶が多いことが多く,それも赤の王効果を強めること,各個人が2種類のアイデンティティ(ジェンダーと人種など)を持ち,社会的場面が2種類(職場と家庭など)あると,交差性により2重の少数派に特別な不利益が発生しうることなどについても詳しく議論されている.本章は進化ゲームの動態が詳しく解析されていて読みどころとなっている.
 

第7章 差別と同類選好

 
第7章では差別的な慣習が相互作用にどう影響を与えるかが議論される.差別的慣習の例として学界における女性差別が挙げられており,最後のところではそのような状況が学問の生産性にどう影響しうるのかについてもコメントされている.自身女性研究者である著者の思いがこもっているように思われる.
最初は差別的慣習(男性と女性が共同研究を行うと第一著者になりにくく,評価されにくい)がある状況を外部オプション(単独で研究する)つきナッシュ要求ゲームとして取り扱う(集団内には2タイプのメンバーが存在する).この進化動態を分析すると少数派の女性研究者は男性と共同研究(交渉を必要とする共同作業)する場合の方が利得が高い状況でも単独研究(外部オプションの選択)を学習することが生じ,より少数であるほどそう学習しやすいことがわかる.
次にネットワーク上でナッシュ要求ゲームを行う場合を解析する.ネットワークを可変にしたり,相手を選択できるようにすると同類選好が進化しうることが解説されている.また生産性にタイプの組み合わせによって非線形な効果がある場合も分析されている.(ここも詳細は複雑で面白い).
 

第8章 家庭内交渉の進化

 
第8章では家庭内において女性が家事を男性が外部労働を行うようになるのはなぜかが取り扱われる.社会学ではジェンダー規範で説明するが,その規範がどこから生まれたかについては説明しない.経済学はそれぞれの当事者の合理的選択だけでは説明しようとするが,それでは説明しきれず,文化進化的な慣習の創発を考察する方が有用だということが主張される.
ここから対戦者が高・中・低の要求を選択できる補完的協調ゲームの枠組みで分析がなされる.高と低の組み合わせでどのようなペイオフになるか(片方がより稼げるか,得られた資源をどちらがより支配できるかをパラメータとする)により吸引域が様々に変化する.これは社会的要因(社会的ネットワークの援助,法体系,共同財へのアクセス,社会規範,教育,職業経験,資産所有権,結婚市場の構造など)が家庭内分業にどう影響を与えるかを示していると解釈できる.またこの種のゲームではいったんある慣習が成立するとパラメータが少し変化してもそこからシフトすることは難しい.
また社会的要因は(離婚した場合にどの程度不利を受けるかにより)決裂点にも影響を与える.つまりより高水準の外部オプションを持つタイプが有利な規範が生まれやすくなる.
これらはポスト工業化社会においてはいずれも男性に有利に働き,男性有利な社会的慣習が成立する.そのような社会的慣習がある中で個々の家庭において合理的選択がなされ,家庭ごとの多様性が生まれるということになる.
 

第9章 進化と変革

 
最後に著者はこのような不公平な慣習に対して我々ができることは何かを論じる.
まず慣習成立の前提条件を変えることはできるだろうか.タイプ分け,社会的学習,タイプ条件付け戦略の採用を変えられるだろうか.著者はタイプ分け,社会的学習(という認知プロセス)を変えることは難しいだろうとする.ただタイプ条件付けについては,それをやめるような誘引の提示,説得,禁止する規則や法律による介入は可能だ.しかし不公平な慣習は常に文化進化するのでそのような介入は一時的な修正にとどまるだろうとコメントしている.
次に慣習自体をより公平なものに変えられるだろうか.集団をある均衡の吸引域から別の均衡の吸引域に移すための社会運動というのはありうる.まず倫理的信念に訴えて人々の選好を変更させる(その結果ゲームの利得表が変更される)ことは可能だと思われる.また社会運動として社会的抗議などの行動レベルの変化を起こして異なる吸引域への移行を図る,あるいは具体的な行動によりあるタイプの利得を直接変化させることも可能だろうとしている.
 

第10章 結論

 
第10章では本書の結論を「比較的わずかな条件の元で不平等な慣習は進化しうる.より公平な慣習への介入は可能だが,文化進化は常に働くので不断の介入が重要だ」と簡単にまとめている.
 
 
本書は差別意識や偏見がなくとも不平等な慣習が創発しうることを文化進化が生じうる状況での進化ゲームの分析としてかなり丁寧に解説したものだ.社会科学では差別意識や偏見がとくに注目されやすいが,それだけでは状況は説明できないし,社会を変えていくためには物事の仕組みをよく理解すべきだという思いがこもっている.自身女性である著者が,女性にとって不公正な慣習が社会にビルトインされている仕組みを非常に抑制的に淡々と叙述しているのが,逆に迫力を感じさせる.
ゲーム理論的に特にポイントになるのは,(分業の役割分担に当てはまる)補完的協調ゲームにおいては社会カテゴリーをシグナルとして利用した均衡解にたどり着きやすくなり,それはカテゴリー間で不平等な慣習になる可能性があること,またマイノリティは自分と異なるタイプとの対戦が多いために(学習が進むことにより)より進化速度が速くなり,不利な均衡に陥りやすいこと,ゲームの動態は(外部オプションや決裂点に影響を与える)外部社会環境や初期条件に敏感で,いったん発生した不平等が固定化し拡大しやすいことになる.様々な条件のとその影響をかなり詳しく解説している部分もあり,この手の解説が好きな読者にはとても魅力的な本になっていると思う.

 
関連書籍
 
原書


 

*1:ここでは限定合理性を組み込んだモデル,エージェントベーストモデルなどが取り入れられている

*2:なお,この前段ではよく見られる社会構築理論では進化心理学的な選好の性差からの説明の代替案にはなりえないということも議論されている

*3:著者はここで対戦者がゲームを離脱できるオプション(外部オプション)を持つ場合も(特に外部オプション行使の方が低要求より利得が高いなら)吸引域に大きな影響を与えることも示している.