From Darwin to Derrida その111

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その5

 
ヘイグはレトロエレメントの代表例としてレトロトランスポゾンを取り上げ,利己的要素としてのレトロトランスポゾンとそれを抑制する(その他の)ゲノム要素との果てしない争いを紹介する.
 

逆再帰(Retrorecursion) その2

 

  • レトロトランスポゾンの起源は細胞性生物の起源より昔にさかのぼる.しかし活性のあるレトロトランスポゾンはゲノムのどこであっても長くとどまることはできない.それぞれの場所でそのDNAは挿入されるが,自然淘汰はそれを不活性化し,レトロエレメントとしての機能を低下させる.なぜならレトロ転移はその生命体の適応度にマイナスに働くからだ.それにもかかわらずレトロ転移はなくならない.なぜなら新しい部位への逆転写DNAの挿入の方が,淘汰による不活性化より速いからだ.転移を引き起こす変異は新しい部位に広がり,転移を抑制する変異は古い部位に蓄積する.活性のあるエレメントは不活性化変異の一歩先を行かねばならない.これは休みのない彷徨であり,その度にゲノムに足跡を刻んでいくのだ.

 
真核生物の核ゲノムに大量のジャンク配列があり,その多くがレトロトランスポゾンと呼ばれるゲノム内にコピーを残しながら跳躍する利己的遺伝要素の仕業であることがわかってきたのは割と最近のことだ.これはまさにパラサイト的な「利己的な遺伝子」であり,ホストの生存繁殖を脅かすためにゲノムのその他の要素による抑制が自然淘汰により生じることになる.そしてゲノム配列の多くの部分はそのような(現在の生命体にとっては意味のない)過去の争いの痕跡とみることもできるわけだ.ヘイグはこのレトロトランスポゾンに含まれる配列の転写や翻訳の詳細を見ながら絡み合う因果の世界を進む.ただしその前にややテクニカルな用語の解説がある.
 

  • レトロ転移には基質や物質の形の変化が含まれる.Gagの7塩基セグメントを考えてみよう.アンチセンスDNAの<5’-CGCACCCAT-3’>はRNAの<5’-AUGGGUGCG-3’>に転写される.これはメチオニン-グリシン-アラニンへと翻訳されることもあるし,アンチセンスDNAの<5’-CGCACCCAT-3’>に逆転写されることもある.後者の場合には相補DNA鎖(センス鎖)は<5’-ATGGGTGCG-3’>になる.
  • センス鎖とアンチセンス鎖は,相補的な塩基の違いだけでなく,糖リン酸主鎖に対して逆順になるという違いがある.センスDNAとRNAは,RNAではチミン(T)がウラシル(U)になり,さらに主鎖がデオキシボリボースかリボースかという違いがある.RNAとペプチドは化学的に全く異なる物質だ.

 

  • この記述はワトソンクリック式のベースペア表記に慣れた読者をまごつかせたかもしれない.というのはすべてのワトソンクリック式ではすべてのヌクレオチド配列を5’から3’の方向(個々の相補鎖の合成方向)で書くからだ.しかしセンス配列とアンチセンス配列はそれぞれ5’から3’の方向に合成されるから.配列的には逆方向に合成されるのだ.このために相補的な配列であることをわかりやすく示す(相補塩基が相対的に同じ位置に来るようにする)場合には片方は3’から5’の方向で書かれることになる.私がこの慣習に沿わなかったのはセンス鎖とアンチセンスの化学的な違いを強調するためだ.

 
私のようにあまりDNA配列の詳細についての知識がないものにとってはやや難解だが,要するに配列はコピーのたびに相補的に変わり,コピーされる配列には方向があり,DNAとRNAでは塩基に違いがあるというということを述べているようだ.いずれにせよこのあたりの詳細は大きな議論にとってはあまり重要ではないように思われる.
 

  • 細胞の中の多くの物質はDNA,RNA,そしてタンパク質からできている.多くのRNAは転写により,そしてタンパク質は翻訳により生まれる.この中でレトロトランスポゾンを独自のものとして名前を付ける根拠はどこにあるだろうか.
  • それはその独自の進化的な成功に求められるだろう.センスDNA,アンチセンスDNA,センスRNA,そしてペプチドは複雑な因果で絡み合っているが,構造的には異なる.それぞれは絡み合った対応物の物質的なアバター,あるいは不滅の遺伝子と見做すことができる.レトロトランスポゾンが基質や位置を変化させながら,再帰的な表出として滅することなく続いていくのは,その「情報」なのだ.表出は異なる形態で現れるが,再帰すれば元の形態で再び現れる.そこにはまさに作用因と質料因と考えられる完璧な因果があり,そして物質的な連続性なしの繰り返しがある.しかしレトロトランスポゾンを説明するには目的(telos)と形態(eidos)が必要になるのだ.形態は影の影なのだ(これはプラトンの洞窟の比喩から来た言葉だと脚註にある)

 
ここがまさにヘイグの議論の焦点だ.ずーっと並んでいるDNAの塩基配列の中から,どのようにレトロトランスポゾンとそうでないものを区別できるのか.それは構造や物理的配列のみから区別できない.レトロトランスポゾンはDNAにもRNAにも現れる.区別するには情報としての配列の持つ意味を考えるしかない.そして結局そこにはどのように進化的に成功してきたのかという基準しかなく,成功は表現型と遺伝型の無限の因果の連鎖の中で生じる.レトロトランスポゾンを説明するには目的因と形相因が必要になるのだ.