From Darwin to Derrida その120

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その14

 
ヘイグによる目的論の擁護.再帰的な因果を持つ自然淘汰プロセスは,因果の逆転なしに目的が手段の原因になりうる.そしてヘイグは因果には無数の要素が絡み,統計的に捉えるべきものだと指摘した.それを自然淘汰に沿って詳しく展開する.
 

目的因と機能 その4

  

  • 適応を考察するには,アレルの置換(ポジティブ淘汰)だけでなくアレルの非置換(ネガティブ淘汰)を考えなければならない.すべての適応は,その機能を阻害するような突然変異を篩い落とさなければ崩壊していく.1つ1つの突然変異は,(それに対して自然淘汰がかかる)適応度に与える平均的効果をもたらすアレル間の違いを作る.もしある突然変異が自然の選択(a choice of nature)により排除されるなら,選ばれたアレルのための表現型効果の違いが存在するということになる.多くの表現型的には共通で遺伝的には異なる機能喪失突然変異は,1つのアレル差異としてまとめられる.このようにして,(コード配列の複数の場所の相互作用で決まる)遺伝的機能は進化的遺伝子のためにある(for the good of the evolutionary gene)と考えることができる.

 
難解だ.なぜここでa selection of natureではなくa choice of natureをつかうのだろうか.ともあれネガティブ淘汰を考えると機能を壊すような様々なアレル(機能喪失突然変異)が有り,表現型は共通している.この表現型の違いは機能ということになり,それにより現在のアレルが選ばれるわけだから,それはそのためにある(for the good of )という意味だろうか.ここから具体例にはいる.
 

  • ヒトのβグロブリン遺伝子の6つ目のコドンの真ん中の塩基におけるチミンからアデニンへの置換を考えよう.この違いは6つ目のアミノ酸をグルタミン酸からヴァリンに置換する.この結果生まれるヘモグロビンSは鎌型赤血球を作り,ヘテロの個体にマラリア耐性をもたらす.置換されない場合にはヘモグロビンAとなる.このアレル差異により,Sの機能は,Aアレルも存在するゲノム環境においてマラリアの感染を抑えるというものになる.もう片方もSアレルであるゲノム環境においては,Sは致死性の貧血という有害の副作用をもたらす.
  • この段落は遺伝子とタンパク質について意図的に曖昧に記述している.タンパク質と遺伝子はしばしば同じ名前を持つ(相互換喩).時に遺伝子はそのタンパク質に基づいて名付けられる.そして会話においては1つの遺伝子の名前は,しばしば(再帰的なアヴァター形態として)遺伝子,mRNA,タンパク質を意味するものとして集合的に使われる.

 
まず有名な鎌型赤血球症の遺伝的詳細が説明される.そしてこのタンパク質を作る遺伝子の名前がβグロブリン遺伝子と名付けられていることに注意を向けるように読者に促している.ここまでを読んでもいったいヘイグが何を説明しようとしているのか理解に苦しむが,実はこれは「進化的遺伝子」概念(さらに淘汰の単位)に対する論争に絡むものであることが明かされる.
  

  • 鎌型赤血球症をもたらす突然変異は「利己的なヌクレオチド」の例として扱われ,「進化的遺伝子」の概念を反駁するものとして使われた(グリフィスとニューマンへルド 1999).
  • この帰謬法は失敗している.というのは,進化的遺伝子は「めったに組み換えられないDNA配列」(ドーキンス 1976,ウィリアムズ 1966)あるいは,「連鎖平衡を保つに十分なほど短い配列」(ヘイグ 2012)として定義されているからだ.
  • その一部が機能を持つ可変のヌクレオチドの非ランダムな配列は,この「利己的なチミン」の両側に数百キロベースに渡って広がっている.組み替えが少なくエピスタティックな淘汰が強くなるにつれ,そのサイトは異なる進化的遺伝子に含まれるとは考えられなくなっていく.サイト間が十分に近い場合には,表現的に非相加的な相互作用が伝達において相加的になっていく.

 
ここは集団遺伝学的な進化の理解に深くかかわるところになる.「遺伝子」はそうであるかそうでないかの境界が明確な概念ではないが,それでもある単位として数理的に相加的影響を扱えれば十分だというわけなのだ.
 

  • 複雑な適応は複数の遺伝子座にかかる多くのアレル置換を含むだろう.古い適応においてはほとんどの置換は,生物体も環境も現在と大きく異なるような深い過去に生じただろう.その過程の中で一部の遺伝子はほとんど認識できないほど変わっただろう.1つ1つの置換はその時の遺伝子のために生じたが,その結果の適応は今日の至近的な目的のために役立っている.この目的は誰のためか.標準的な答えは「その生命個体のため」というものだ.これに対して遺伝子淘汰主義者は,「複雑な適応はそれぞれのそしてすべての遺伝子のために生じたのであり,突然変異によるこれらの遺伝子の機能の喪失は適応の喪失をもたらす」と答えるだろう.

 
淘汰過程を考えると,過去に生じた自然淘汰(によるあるアレルの選択)は統計的に現在の何かの役に立っている.その何かは標準的にはそのアレルを持つ生物個体と答えるわけだが,厳密に考えるとそれはその遺伝子の(頻度上昇の)役に立っているということになる.これが(ここではそれほど深く論じられてはいないが)1964年のハミルトンの深い洞察であり,ドーキンスの利己的な遺伝子におけるメッセージになる.