書評 「進化政治学と戦争」

 
本書は社会科学と自然科学のコンシリエンスを追求する進化政治学者伊藤隆太の2冊目の著書になり,進化政治学とはどのような営みなのか,そしてそれは戦争についてどう説明するかを扱っている.基本的に政治学の中の古典的リアリズムの立場を進化生物学,進化心理学で基礎づけるという試みで,具体的テーマとしては戦争原因が取り上げられ,ヒトの進化適応から説明する仮説を提示するものになる.
 

序章 進化政治学と社会科学の科学的発展

序章では進化政治学とは何かが解説される.進化政治学は(それまでの社会科学の暗黙的前提であった)心身二元論,高貴な野蛮人,ブランクスレートによらず,進化生物学*1,進化心理学とのコンシリエンスを目指す政治学ということになる.そして先駆者たち(マクデーモット,ジョンソン,セイヤーなど)の業績*2が簡単に解説される.この部分はこれまでどのような議論がなされてきたのかが俯瞰されていて参考になる.
最後に本書の目的が進化政治学に基づいて国際政治理論を構築し,実在論の立場からリサーチプログラムを方法論的に強化することであることが宣言されている.
 

第1章 進化政治学を再考する

第1章は前著のおさらい的な章になっており,進化政治学について簡単にまとめられている.
まず,進化政治学は進化学的発想を政治学に応用する試みであり,特に進化心理学が大きな理論的基盤になることがあらためて繰り返され,そこから進化理論,淘汰レベル,方法論としての仮説と検証,進化心理学的な心理メカニズムの概念,適応環境(EEA)などが解説されている.
この部分ではところどころの具体例(プーチンの自己顕示的行動,現代のキャンセルカルチャーなど)が政治学的で面白い.
 

第2章 進化行動モデル

第2章では進化政治学で使う(進化心理学の応用としての)ヒトの行動モデルを提示する.
まず前提として適応課題の考察,実際の行動が条件依存的に定まること,進化環境と現代環境のミスマッチが簡単に解説される,ここから適応主義,心理メカニズムのユニバーサルと状況依存的多様性や個人の遺伝的多様性が両立することが強調される.ここでもいくつかのトピック(宗教と戦争の関係(部族主義,神聖価値と道徳),敵対する可能性がある相手の脅威の検知など)が政治学的な具体例とともに取り上げられている.
 
次に行動モデル(進化行動モデルと名付けられている)が提示される.モデルはユニバーサルな適応としての人間本性,個人間の遺伝的差異,環境要因(制度,教育など),直近の文脈の4段構成となっている.そして(しばしば批判として持ち出される)すべての行動が遺伝的に決定されているわけでも,適応度至上主義的に行動が拘束されているわけではないことに注意喚起を行い,決定論的批判に対して丁寧に反論している*3.このあたりはいろいろ遺伝決定論的誤謬に基づく批判を受けている背景が窺える.
なおこの部分でもいくつか具体例が引かれて議論されている.そこではなぜピンカーの言うように(進化が生じるには短すぎる期間で)国際政治が暴力的なものから平和的なものに変化しうるのかモデルの3段目の環境要因による部分で説明できるとしている.前著ではパズルとして扱っていたところで,著者の理解が深まっているところだろう.
 

第3章 進化的リアリズム

第3章からが本書の中心となる戦争を扱う各論になる.
まず取り上げられるのが戦争原因論となる.これまでの政治学による戦争原因理論には合理的アプローチ(戦争は引きあうから遂行される*4と説明する),社会構成主義的アプローチ(国家のアイデンティティから説明する),政治心理学的アプローチ(ヒトの認知能力の限界から説明する)ものがあり,分析レベルとしては個人,国内政治,国際システム(多極,三極,二極,単極)があるとし,個別に簡単に解説されている.
そこから進化政治学がもたらすパラダイムシフトが説かれる.まず先駆者であるセイヤーは(戦争を国際システムから説明するネオリアリズムに対して)古典的リアリズムに人間本性を取り入れ,自助と相対的パワー極大化の攻撃リアリズムを個人レベル要因(外集団恐怖)から説明できるようにし,その基盤を強化した.しかし著者によると,セイヤーは人間本性を0か1で捉えすぎ,その行動の条件依存性を見逃しているし,哲学的立場や理論の体系が不明確であるということになる.
そしてここから著者の主張になり,以下が主張される.

  • 進化政治学は直接観察できない要因も含め真理を目指すべきであり,科学的実在論の立場に立つべきだ.反実在論からのよくある批判は(理論が一意に決まらないではないかという)決定不全性だが,それは観点主義(多角的的視点を採ることにより世界と一定程度類似するモデルを獲得できる)で対処可能だ.また理論は実践的目的に規定され,シニカルなポストモダニズムに与することはない.
  • 人間の行動については前章の進化行動モデルを採る.
  • リサーチプログラムとしてはリアリズムの立場に立つ.リアリズムは,「アナーキーのもと個人は集団に帰属し,権力をめぐる集団間闘争が国際政治の本質であり,和戦をめぐる権謀術策に長けた指導者の操作するナショナリズムが戦争の重大な原因」と考える.
  • そのもとで個別の具体的モデルを構築する.(前著で取り上げたナショナリスト神話モデル,楽観バイアスモデル,怒りの報復モデルが簡単に解説されている)
  • さらに進化政治学は具体的な国際政治学上の分析概念を科学的に理論化する.(アナーキー(ホッブスの考えは集団内協調と集団間競争を指向する心の仕組みから説明される),誤認識,安全保障のジレンマ(裏切り者検知),過信,損失回避,感情などの進化心理学的な視点からの解説がなされている)

 
前著に引き続き科学的実在論に強くコミットする姿勢が貫かれている(これについては最後に触れることにしよう).
分析概念の進化政治学的説明はなかなか面白い(たとえば戦争のルビコン理論*5,リスク均衡理論*6,政治的正当性のプロスペクトモデル*7,政策決定者の行動シグナルとしての感情の役割など).ただし究極因を解明する意義について著者のこの第3章での説明には賛成できない.この点については第4章でも議論されているのでそこでまとめて扱うこととしたい.
 

第4章 戦争の原因とその進化:戦争適応仮説

第4章は本書の中心となる戦争適応仮説がテーマになる.本書の中心部分なのでやや詳しく紹介しよう.
ここで説明される戦争適応仮説は「ヒトには戦争をする本性が適応として備わっている」というもので,究極因についての仮説ということになる.冒頭になぜそれを探求するかが述べられているが,第3章の記述とあわせ問題含みの言い回しになっている

  • 著者は第3章においてリアリズムを科学的に根拠づけるために究極因が説明される〝必要がある〟(アナーキーを進化環境における集団内協調と集団間競争を指向することの有利性から説明,誤認識を進化環境における楽観性バイアスの有利性から説明など)と主張し,第4章においては科学的実在論にかかる因果性の深さ,理論の統合力という理論評価基準とも絡め,戦争原因を論じるときに至近因だけでは不十分だと主張している.
  • しかしアナーキーや過信を根拠づけるだけなら,それはヒトに実際に集団間競争を指向する心や楽観バイアスが存在することが示されれば十分で,究極因まで示さなければならないということにはならないと思われる.ティンバーゲンを引いて「なぜ当該事象が起こるかに答える必要がある」と主張しているが,ティンバーゲンは至近因と究極因はそれぞれ別に追求する価値のある異なる問題だと指摘しているだけで,物事の根拠付けに究極因の解明が「必要だ」と主張しているわけではない.
  • ここでは,説明には究極因がある方がより説得力があること,究極因から説明できる行動傾向はヒトの本性と関連している可能性が高いと推測できること(本性と関連する行動傾向は是正が難しい場合が多く,問題解決を図る際には学習による行動傾向との見極めが重要であること*8)から,究極因は明らかになる方が望ましいぐらいの主張にとどめるべきではなかったか.

あるいは第4章は究極因の追求も重要だと主張しているだけで,第3章はやや筆が滑ったということかもしれないが,そうであっても誤解されやすい言い回しだという印象だ.
 
ともあれ,ここから仮説の中身が解説される.説明は以下のような記述になっている.

  • 戦争を国際システムから説明するネオリアリズムが国際政治学者に普及し,古典的リアリズムはその思想性(人間本性が邪悪だから戦争が起きる)が非科学的と批判された.しかしネオリアリズムは環境条件からのみ戦争を考察しており,マルキシズムと同じくSSSM的であり,受け入れられない.
  • セイヤーの進化的リアリズムはここを克服しようとしたが,「なぜヒトに戦争する本性が備わっているか」という部分が欠けている.
  • 戦争原因を究極因から分析するには淘汰圧と課題の分析が必要だ.それには個人レベルの攻撃と集団間闘争を分けて分析することが必要になる.

<個人レベルの攻撃>

  • 進化環境におけるヒトの男性の女性をめぐる競争では場合により暴力や攻撃が有利に働いただろう.実際に男性には暴力行使の成功可能性の過大評価,魅力的な女性の顔写真を見せると戦争をより支持する*9,暴力的状況に遭遇しやすい,外集団嫌悪が強い,自己顕示的などのユニバーサルがある.
  • そして有利に暴力を行使するためには相手の力の評価が重要になる.そして敵の脅威や強さと相関する手がかり(表情や声)を検知,自分の強さに応じて暴力を有効な戦術と考える傾向(強い人間ほど暴力や戦争を選好する)が観察される.(怒りの修正理論)
  • これらは人間本性が邪悪で,無条件に戦争を好むことを示しているのではない.割に合うならという条件付き戦略と考えるべきだ.

<集団間闘争>

  • ヒトの集団間闘争には奇襲と会戦という2つのタイプがある.奇襲はステルス,急襲,迅速な撤退が特徴で,夜襲が多い.会戦は2つの集団が消耗戦のような熾烈な戦闘を行うもので頻度は低い.奇襲は他の動物にもみられるが,会戦はヒト独特のものだ.(4個体以上の集団攻撃はヒト以外にはチンパンジー,ボノボ,イルカぐらいしか知られていない).だからなぜヒトのみが会戦を行うのかを考察する必要がある.
  • 1つのポイントは「繁殖上の利益」だ.
  • 奇襲の利益は割とよく理解されている.チンパンジーは3倍の人数がいれば攻撃し,繁殖上の利益を得る.そしてヒトの奇襲もほぼ同様だ.これはランチェスターの法則(武器の性能が同じならば数の多い方が勝つ)に近似している.これをもとにリチャードソンは数学的モデルを微分方程式を用いて構築した.これによると成功的な非対称攻撃の利益は実質的に有意かつ重大ということになる
  • これに対して会戦では勝利は獲得したリソース量よりも生き残った兵士数に敏感な関数になる.これから生じる謎は,なぜ自らが死ぬ可能性が高い戦争に従事するのかということだ.これは生き残れば膨大な利益が手にでき,平均的に得ならば説明できる*10これによる戦争参加が適応となるためには誰が戦死するのかが誰にもわからないことが条件になる.リスクの公平さが重要になり,フリーライダーの検知と処罰がないと進化できない.
  • トゥービィとコスミデスは「The Evolution of War and Its Cognitive Foundations」においてこの会戦参加が適応的になりうる条件を整理している.
  1. 当該連合が平均して勝利的
  2. 繁殖の機会が生き残ったものの間で再配分される
  3. 個人的リスクがランダムと認識される
  • 以上の奇襲,会戦の進化条件が狩猟採集時代には満たされていたことは研究により明らかにされており,「ヒトには戦争をする本性が適応として備わっている」という戦争適応仮説が成立可能になる.それによりブラフの機能を果たす自己欺瞞,リスク追求傾向,瀬戸際外交,会戦がヒトの戦争の不可欠要素であったことなどが説明される.
  • もう1つのポイントが「n人協調」だ.
  • 多人数の協調には洗練された認知メカニズム(他者の参加,リスクの分布,敵の強さ,成功の可能性の評価)が必要になる.
  • まず部族内外の政治ダイナミクスを管理交渉するような心理メカニズム(連合心理学*11)が小規模集団間の闘争環境に対する適応として生じたという視点から現代の戦争も理解可能になる.
  • 特にn人協調を可能にするメカニズムとして「意図の共有」が重要だと考えられる.トマセロは,意図の共有能力→その範囲を拡大して集団間競争に打ち勝つようなグループを形成(3人→300人,3000人)→集団的志向性の獲得,さらに規範学習,規範遵守能力,情動シェア,社会制度の構築と遵守能力の獲得→罰による結束の高い集団による道徳的な共同体の構築→それを死守するために集団間で殺し合うようになったと議論し,これが戦争の起源であるとしている.

 
まとめると著者はトゥービィとコスミデスの戦争にかかる認知基盤の議論とトマセロの意図の共有と戦争の起源の議論を基盤にして,ヒトには戦争(特に会戦)を有利に遂行することを可能にする心理メカニズムが適応として備わっており,その中身としては有利な条件では暴力に訴える傾向,相手の力を検知する心理メカニズム,ブラフの機能を果たす自己欺瞞,過信,リスク追求傾向,n人協調を可能にする集団志向性,部族主義的心性,規範学習,規範遵守能力.道徳的共同体の構築傾向などがあるということになる.これらについての条件依存的な傾向は確かにヒトの本性としてあるだろう.もっともこれをもたらした淘汰圧の中で戦争が占める比重がどのぐらいであるかについてはあまり議論されておらず,それ以外の説明も可能なものも多い印象だ.それぞれ戦争が主たる淘汰圧かどうかはまだ仮説の段階ということだと思う.
  
ここから突然著者はマルチレベル淘汰論を語り出す.マルチレベル淘汰論の考え方と血縁淘汰との数理的等価性,さらに文化的グループ淘汰論の議論を延々と解説し,最後に歴史学や政治学が明らかにしてきたこととして,為政者がナショナリズムやエスノセントリズムを煽り.正統性や支持を得ようとしてきたこと.(リアリストのいうナショナリスト的神話作り)自己賛美,自己欺瞞,他者中傷からなる排外主義的レトリックがあることを指摘して本章を終えている.
 
このマルチレベル淘汰論への入れ込みはわかりにくい.マルチレベル淘汰とか文化進化が戦争と絡めて大論争になっているのは,そもそも(個体淘汰的に見れば謎となる)「見知らぬ他人に対しての利他行為」の進化という文脈におけるものだ.これは通常のマルチレベル淘汰(および数理的に等価な血縁淘汰)では説明が難しく,ボウルズとギンタスは戦争という特殊な淘汰圧を持ち出してなんとかしようとしているわけだ.
著者がここで強調する戦争適応形質は部族主義,過信,自己欺瞞などで,「見知らぬ他人に対する利他性」がポイントになっているわけではないから,ボウルズやギンタスの議論を持ち出す必要はそもそもないように思われる*12*13.結局ここで依拠しているコスミデスやトマセロの議論は結局他部族に対して攻撃的になることは個人的な利益がある,あるいは集団にも個人的にも利益があるという相利的な状況だということで,議論としてはそれで十分ではないか.著者が「見知らぬ他者への利他性」が戦争が頻発する環境でマルチレベル淘汰で進化した性質であり,それが進化政治学的分析において重要だと主張するのではない限りこの部分は不要だと思う(控えめにいっても整理不足の感は否めない)*14

なお著者が最後に触れる「現代の独裁者が正統性や支持を得ようとして様々な神話作り,自己賛美,自己欺瞞を行う」という問題はきわめて興味深く,重要だと思われるが,これはヒトの本性からだけではなく為政者と国民のエージェンシー問題としてゲーム理論的に分析することも必要なのではないだろうか.
 

第5章 戦争適応仮説に想定される批判

第5章は第4章で提示された戦争適応仮説への(想定される)批判とそれに対する反論がまとめられている.著者がどのような反論を予想しているかという部分は,政治学において進化生物学的視点を取り入れた研究者がどのような批判を受けそうなのかを示しているようで興味深い.おおむね次のような批判と反論がまとめられている.

  • ヒトに戦争の本性があれば戦争不可避だがそうなっていないという批判(および実際に平和的社会が存在するから戦争は普遍的でなく,それはヒトの戦争適応を否定しているという批判):反応は環境要因やその場の文脈に依存すること,協調への適応もあること,失敗からの学習もあることから本性があれば戦争不可避と考えるのは誤りと反論
  • 戦争は淘汰圧として重要ではなかったのではないかという批判:考古学的証拠には様々なものがあるが,(大規模衝突ではない部族間闘争も含まれると戦争と定義し)それらを平均的に扱えば狩猟採集時代の戦争の頻度が多かったことを示していること,チンパンジーにある集団間攻撃適応からの示唆から反論
  • 進化環境の適応は現代では意味ないのではないかという批判:全ての適応がミスマッチを起こすわけではないし,ミスマッチがあるならそれも政治学的には重要(民主主義や法の支配は新奇環境であり,強い男性による強力なリーダーシップを望むことはミスマッチとなるが,政治学的には重要)だと反論

 

終章 人間本性を踏まえた平和と繁栄にむけて

最後に著者は本書の内容を簡単にまとめ,本書の内容のインプリケーションとしてコンシリエンスの進展,合理的過程のパラダイムシフト,認知バイアスの陥穽,古典的リアリズムを人間本性から基礎づけ,実在論の意義を挙げている.そして進化政治学的フレームワーク全体に対する想定される批判に対して実在論の立場から逐一反論している.科学的実在論は著者が深くコミットしている部分でもあり,以下のような内容になっている.

  1. 仮説には新奇性がないのではないかという批判:実在論に立てばそうではない.理論をより深く基礎づけ,統一的に説明できる.(またメタ理論評価基準の使用新奇性の議論からは「理論は構築時点での既知の現象を予言・説明することによっても確証を得られる(例:ブラウン運動の説明,水星の近日点移動の説明など)」ことになる)
  2. 理論の目的からの批判(実在論論争):理論が説明のための単なる道具ならフィクションであることが有用性と引き換えに許されることになるという反実在論的主張は道具主義と呼ばれ,広く自覚的,非自覚的に支持されている.これは学者の研究への基本的な態度を規定する根源的な問題.
  3. 観察可能性がない要素があるという批判:進化や脳内バイアスなどは観察できないという批判に対しては,検出できればよいという考え方,最善の説明への推論という考え方で反論可能.これらは医療現場で実際に暗黙裏に用いられている.このような批判は相対主義に陥り現実世界を効果的に分析できないことにつながる.

 
この部分は著者による実在論をとるべき理由の整理ということになる.国際システムから全てを理解しようとする(学界主流の)ネオリアリズムよりも古典的リアリズムの方が現実に即した良い理論*15であり,論争には実在論が役立つということだろう.私は前著の書評で述べたように,道具主義的にも進化政治学を擁護することは可能だと考えているが,この部分を読むと著者の思いも少しわかる.政治学界の中でいかにも哲学的な「仮説の新奇性からの批判」や「観察可能性からの批判」がリアルにあるのだとすれば,これに反論するには実在論が有効だとするのはある意味自然な成り行きなのかもしれないと感じさせるところだ*16
 
そして最後に結語がおかれている.なぜこれまで戦争が人間本性に由来することが社会科学でタブーになっていたのかについて進化学や脳科学が進展するまで人間本性からの分析は困難だったこと,道徳主義的誤謬が蔓延していたことがあると説明し,しかし今やその否定論の誤りが明らかになり,是正が可能になったこと,平和を望むなら戦争の真の原因から目をそらすべきではないことを挙げ,進化政治学こそその是正を目指すものだと締めくくっている.
 
 
本書は著者による進化政治学の2冊目の本であり,戦争適応仮説を中心に論じたものだ.進化心理学的解説についてはまだところどころ危なっかしい部分もあるが,著者の理解が現在進行中で深まっているのもわかる.進化生物学サイドの読者としてはところどころに挟まれた政治学や国際関係の具体的な話題が興味深い.さらに理解を深めてもらいながら,政治学のコンシリエンスを推し進めていってもらいたいと思う.
 


関連書籍

前著.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/20/113326

 
見知らぬ他人への利他性をマルチレベル淘汰理論と戦争のもたらす淘汰圧から説明しようとするボウルズとギンタスの本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936
 

*1:著者は進化ゲーム理論を進化生物学と併置する扱いをしているが,基本的には進化生物学の1理論と扱うべきだろう

*2:感情(怒り),過信や自己欺瞞,その他のバイアスなどのヒトの非合理性要素の考慮,外交政策支持の性差,独裁者の特性の考察などが簡単に解説されている

*3:自然主義的誤謬,道徳主義的誤謬,心の二重過程理論,生まれと育ち論争,還元主義非難の不当性などを取り上げながら反論がなされている

*4:ここではそろばんの弾き方にバリエーションがあると解説されている.攻撃的リアリズムはアナーキーを強調し戦争はしばしば引きあうと主張し,防御的リアリズムはめったに引きあわないと主張するということのようだ

*5:第一次世界大戦勃発時の研究から過信が戦争を起こす状況を理論化したもの

*6:なぜ大国がしばしば周辺地域に非合理的に介入するのか(太平洋戦争時の日本,モロッコ危機におけるドイツの介入,朝鮮戦争などの事例)についてプロスペクト理論に基づき説明するもの

*7:冷戦初期のアメリカの対ソ政策や北朝鮮の核政策を説明する

*8:ただし行動傾向が是正しやすいかどうかについては究極因が明らかになっていなくとも実証的に確かめることは可能だから必須とは言えないだろう

*9:チャンたちの2011年の論文が引かれているが,昨今の再現性危機の問題を乗り越えられる知見なのかちょっと気になるところだ

*10:ここで血縁淘汰をアナロジーとして用いて説明しているが,この部分の説明は完全に個体淘汰的であり,かえって誤解を招きかねず疑問だ

*11:と訳されているが,「coalitional psycology」の訳語であれば「同盟の心理」の方がわかりやすかったのではないか

*12:著者はボウルズとギンタスの議論を過信,ヒロイズム,リスクテイキングを戦争を前提にしたマルチレベル淘汰的に説明するものと誤解しているように思われる.確かにボウルズとギンタスは偏狭な利他主義(部族主義的自己犠牲)を凝った文化グループ淘汰的モデルで説明しているが,あくまで理論的可能性を示しているだけで,前提条件の吟味はなされていないし,かなり怪しい議論に思われる

*13:またここでは文化的グループ淘汰として向社会的社会規範を説明する議論も取り上げているが,これは戦争を持ち出さなければ説明できないわけでもない部分だと思う

*14:もし著者が「見知らぬ他者への利他性」が戦争が頻発する環境でマルチレベル淘汰で進化したとしか説明できない性質であり,それが進化政治学的分析において重要だと主張するなら,この部分の著述は意味を持つことになる.しかしもしそうであったとすれば,私としては,ボウルズとギンタスの議論は戦争に勝利するために本当に重要な性質は何か(それは見知らぬ他人への利他性なのか)の吟味がなく(おそらく軍事技術,軍事的戦略,強いリーダーシップ,残虐な規律のある軍隊の存在などの方がはるかに重要だろう),さらにそのような適応であればどのような利他性になるか(きわめて特殊な条件付きの利他性で,大きな性差があるはずだ)の吟味もなく,それにそもそも十分可能性のある間接互恵性などの代替理論に注意を払っておらず受け入れがたいと評価せざるを得ないということになる.

*15:そしてここで言及するのは不謹慎かもしれないが,現在のロシアのウクライナへの全面的な侵攻(そして大半の政治学者を含むアナリストたちがこれを事前に読めていなかったこと)を目の前にすると,事態の説明にはプーチン個人の大ロシア的観念主義と個人的な政治的効用からの動機が重要でありそうなこと(そして本書の記述に従うなら現在の学界の主流であるネオリアリズムは全てを国際システムから説明しようとするが,それでは説明できそうもないこと)が強く示唆されているわけで,古典的リアリズムをブラッシュアップした進化リアリズムに立つ本書の価値が(つまりコンシリエンスの価値が)ずっしり感じられる.

*16:とはいえ,道具主義に立っても前者について究極因がわかることによるメリットの主張は可能だろうし,後者についても検証可能な形で取り扱えれば十分に道具として有用だと主張できるような気もする