From Darwin to Derrida その132

 

幕間 その3

ヘイグはポジティブ淘汰とネガティブ淘汰の概念を提示し,グールドの外適応を含む用語提案を批判した.さらにこの「オリジナルな機能のみを機能と認める」という態度を吟味していく.
  

  • 保存された特徴の「オリジナルな」機能の探索という試みは,数多く語られ,話者や聴衆によって様々な意味を持つような民話の「オリジナルな」意味の探索という試みに似たところがある.確かにそれ以前には語られたことがないという意味で「オリジナル」な語りは存在するだろうし,その探索は好古趣味にはかなうだろう.しかしオリジナルな意味があるという事実が,それに続く語りやその解釈の意味を無価値にするわけではない.

 
ことさらにオリジナルをもとめるのは好古趣味としてはありうる態度だが,現在の物事を説明するには適切ではないところがあるという指摘になる.そしてオリジナルにこだわる態度がよく見られる「単語の起源」の話が取り上げられる.
 

  • 別の例を挙げよう.英単語は,辞書に「死語」として記載されるような現在使われていない起源的意味とそこから派生した現在使われている意味を持つことがある.衒学者は起源的意味のみが真の意味であり,後の全ての意味は外適応だというかもしれない.しかしその単語がなぜ今使われているのかの理由は,現在の意味が果たす話者同士の理解のための役割にある.意味は共時的な使用の上にあるのだ.

 

  • 「dower」の現在の意味は「夫の遺産の中で,未亡人がその生活のために使うことを許されているもの(寡婦産)」であり,これは「dowry」の起源的意味だ.この2つの語は古いフランス語の「douaire」から派生した同じ語のマイナーな変異だった.しかし現在では「dowry」は「持参金」という意味で使われ,この2つの語は異なる語だと認識されている.どのようにして「夫の妻に対する義務」が「妻が持ち込んだ財産」に意味を変えたのだろうか.私はよく知らないが,歴史的に検証可能な仮説を立てることはできる.かつて「dower」は夫が自分が死んだときに財産の一部を妻に与えるという約束だった.そして結婚を非常に望まれた男は,妻の実家に「dower」にすべき財産を持参させるように要求することができた.このようにして寡婦への約束が持参金という意味に変わったのかもしれない.

 
なかなか楽しい蘊蓄だ.寡婦産も持参金も日本の(慣習法を含む)法にはないのでわかりにくい(寡婦産は機能的には相続法の配偶者遺留分がもっとも近いかもしれない).
ちょっと調べてみるとフランス語の「douaire」は古代ローマ法ではなくゲルマン慣習法(財産は家に所属し,家長はその管理処分権を持つ.そしてその家長の処分権限を慣習的に制限したもの)に由来するもののようだ.(古代ローマ法では相続人から奪うことのできない債権的権利としての遺留分が認められていた)
これに対して英国では相続のコモンローでは長子相続が基本で,かつ(持参金として持ち込んだものを含む)妻の自由保有財産は(夫の所有にはならないが)夫の管理下に置かれ収益は夫に帰属した(curtesy).これに対してエクイティはこの原則を修正し,妻は生前行為や遺言によりcurtesyを否定して処分可能になり,さらに(教会の入り口で花婿が花嫁に与えた任意的贈与を起源とする慣習法から)dowerが与えられ,夫の遺産の土地の1/3の生涯用益権(寡婦の死後は相続人に返されるので遺留分とは異なる)を持つようになったということのようだ.
婚資か持参金かというのは文化人類学的にはいろいろ知見と議論のあるところで,あわせていろいろ興味深い,