From Darwin to Derrida その147

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その12

 
ヘイグは送信者と受信者,意味と解釈について遺伝子とそれを読むポリメラーゼを例にとって解説した.ここから話は一転して暗号電信の話になる.
 

意図を電信する その1

 

  • コミュニケーション理論工学とは,あなたの電信文を受け付ける電信オフィスのきちんとした受け付け嬢のようなものだ.彼女はその意味について,それが悲しいか,楽しいか,不快かなどに,一切注目を払わない.しかし彼女は受け付けた電信の情報を適切に扱えるようになっていなければならないのだ.

ウォーレン・ウィーバー

 
冒頭の引用はウォーレン・ウィーバーが1949年にサイエンティフィックアメリカンに寄稿した「コミュニケーションの数学」というエッセイから.ウィーバーはアメリカの数学者で,シャノンの情報理論の解説を書いたり,機械翻訳の先駆者として著名なのだそうだ.彼はシャノンと共著で「コミュニケーションの数学的理論」という本も出していて,邦訳もあるようだ.

 
ここから話は暗号電文になる.これは第一次世界大戦中の1917年初頭の出来事になる.ドイツは開戦当初シュリーフェンプランに従ってフランスに侵攻し,短期の決着を目指したが,英仏連合軍はマルヌ会戦で持ちこたえ,凄惨な塹壕戦に突入していた.英仏はアメリカの参戦を願っていたが,アメリカ国内では孤立主義の世論が強く,ウィルソン大統領は参戦に前向きだったが国内政治的に難しかったという背景の中の話になる.
  

  • 1917年のツィンメルマン電報は,アメリカが世界大戦に参戦した場合にそなえたドイツからメキシコへの軍事同盟の申込文だった.同盟が成立し,アメリカが参戦した場合にはドイツはメキシコがテキサスとニューメキシコとアリゾナを再獲得するための財政的支援を約束するとしていた.
  • 英国はドイツから新大陸向けの全ての電信用ケーブルを切断していた.このためドイツの新大陸向けの電信は(アメリカの外交電信を利用する)間接ルートをとった.ベルリンで外務大臣の名(アルトゥール・ツィンメルマン)のもとにドイツ語の平文が書かれ,コード7500を用いて暗号化された.暗号化されたメッセージはベルリンのアメリカ大使館に送られ,そこからアメリカの外交電信ルートでワシントンのドイツ大使館に送られた.この電信はベルリン→コペンハーゲン→ロンドン→ワシントンという経路をとった.ワシントンのドイツ大使館でコード7500の暗号は復号され,コード13040で再暗号化された.これはメキシコのドイツ大使館がコード7500のコードブックを持っていなかったためだ.この13040暗号文はワシントンのウエスタンユニオン電信局からメキシコシティのウエスタンユニオン電信局に発信され,そこで紙に印刷されて1917年の1月1日にドイツ大使館に届けられた.大使館で暗号が復号され,メキシコ大統領へはスペイン語で内容が伝えられた.
  • アメリカもドイツも知らなかったが,(アメリカの外交電信ルート上の)7500の暗号文はロンドンの英国情報部が傍受しており,そこで部分的に解読された(英国はこの時点で電文の大意をほぼ把握した).英国はメキシコにいるエージェントにさらに13040電文のコピーを入手するように指令を出した.これは英国情報部がアメリカの外交電信を傍受していることをアメリカに知られたくなかったからだ.英国情報部は13040電文を入手,解読し,英国政府は暗号文,さらにドイツ語に解読したもの,それを英語に翻訳したものをアメリカ政府に提示した.
  • メッセージはアメリカ政府の参戦派によってプレスに公表された.大衆は激高し,英国側にたって参戦するように要求した.英国政府は電文をアメリカに提示することは,英国情報部がコード13040を解読できることをドイツに知られるより重要だと判断したのだ.

 
実際にアメリカ側の世論が参戦に大きく傾いたきっかけはドイツのUボートによる無差別攻撃でアメリカの商船が犠牲になったことだとされていることが多い.しかしこのツインメルマン電報の影響も世論の変化には影響したということだろう.(実際のアメリカの参戦は1917年の4月になる)
いずれにせよ(英国情報部はアメリカの外交電信を傍受しているが,それを何としてもアメリカに知られたくないとか,英国情報部エージェントがアメリカの民間電信局の電文コピーを入手を指示されてそれを達成するとかなどのスパイ物語も含め)なかなか興味深い歴史的逸話だ.ヘイグがこの逸話をここで持ち出したのは,電信文がドイツ語の平文から次々に形を変えて送受信が繰り返されているからだろう.ここからヘイグによる意味と解釈の話になる.