書評 「Speech!」

 
本書は通訳兼翻訳家(何カ国語も扱うが特に日本語通訳としてのキャリアが長い)であるサイモン・プレンティスによる言語が使えることによりヒトは何を成し遂げてきたのかを論じる本になる.プレンティスは言語学や進化生物学の専門家というわけではないが,ドーキンスやピンカーが推薦文を寄せているというので読んでみたものだ.副題は「How Language Made Us Human」
 
冒頭には「ウクライナのための序文」がおかれている.これは本書脱稿後にロシアのウクライナ侵攻が生じたことを受けているもので,(実は本書ではその最終章で,言語により世界が平和に向かってきたが,それはなお未完であり,国連の改革が必要であることを論じている)どうしても書いておきたかったということなのだろう.そこではNATOを構成する西欧諸国は(核戦争を恐れて)軍事介入に消極的であるが,本来は議論を尽くして(拒否権について改革した上で)国連として干渉することが望ましいこと,歴史的に見て武力による恐怖統治の道から離脱する唯一の方法は(言語を用いた)対話によるアイデアの交換から始まるのであり,それに向かって努力し続けるべきであることが説かれている.
 

PRELUDE:問い

 
前口上(prelude)と名付けられた序章では本書を書くに至った経緯が書かれている.
著者は若き日に英国から日本に移り住んだころのことを回想している.日英のビジネスパートナー間の通訳として働き始めたとき著者は両者の間に相互不信があることに戸惑う.そしてそれは自文化のみに閉じこもり,相手の文化へ無知無関心であることに起因していることに気づく.彼等は時に自言語の特定の表現が相手の言語には訳せないだろうと考えるが,それは大いなる誤解で(単語が一対一対応していないとしても)表現自体は可能なのだ.ヒトはどこでも同じことを異なったやり方で行っているだけであり,文化は歴史の偶然によるものだ.だから異文化間でも異言語間でも対話は可能なのだ.そして著者は言葉というものについて改めて深く考え,さらになぜヒトだけが言語を使うのかを考え始める.そして著者は言語進化を考察する上で重要なのは「文法の登場」ではなく「言語が使い手に与えた影響」「我々は言語をどう使っているか」ではないかと考えるようになる.そして本書では「会話の起源」と「言語により何が可能になったのか」が語られることになる.
 

WHAT:会話のトリック

 
冒頭で著者は言語がヒトに与えたマジックについて語る.それは意思疎通を可能にすることにより他の動物と全く異なる意識的経験を可能にし,その上に文化や技術や文明が築かれた「キラーアプリケーション」なのだ.そして言語がどのようにもたらされたかについて考察する.

  • 言語の起源の(西洋世界における)伝統的説明は「神から与えられた贈り物」(god-given gift)というものだった.これは現代から見ると馬鹿げた考えのように見えるが,1960年代のチョムスキーの説明「何らかの未知の突然変異によって得られた言語獲得デバイス」は(そのプロセスを全く説明していないという意味で)これに近いともいえる.
  • 言語は極めて複雑な構造を持ち,その獲得過程は進化的に説明されるべきだ.これを考えるには言語の構造をまず捉える必要がある.
  • 会話のコアには音声化がある.そして最も簡単なレベルでは何らかの音声と意味の結びつきがある.動物でもこのレベルの言語を持つものは存在する.ヒト言語と動物言語を分ける決定的な違いは音声を(デジタル的な)要素に分けてそれを組み合わせて単語を作るかどうかというところにある.この要素は音素と呼ばれ,その恣意的な組み合わせの利用可能性は膨大な語彙を可能にした.なお音素のデジタルな切り分け方は言語によって異なっている(詳しい説明がある).
  • 次のステップは文法だ.それはアイデアの関係を示すために情報を順序づけることだ.それはより大きなアイデアになり,さらにそのようなアイデア間の関係を示すために単語をどう組み合わせるべきかが探られていくことになる.この組み合わせ方も言語により異なっている.
  • 文法の発達(文法化)はゆっくりしたプロセスだっただろうが,自然に発達してきたものだと考えられる.(文法化(機能語の成立)の例として,英語の「going to」が意思を表すようになった例,日本語の「みる」が試みることを表すようになった例などが示されている)
  • 次の大きなステップは文字の発明だ.文字はアナログ的な絵から始まりデジタルなシステムになった(エジプト,メソポタミア,中国,メソアメリカの例が紹介されている).そして表意文字から表音文字へ,表音文字も音節単位から音素単位に変わっていった*1.全ての書き言葉が完璧に効率的になっているわけではないが*2,重要なことは少数の文字の組み合わせにより言語を一貫したやり方で書き表せるようになったことだ.
  • 言語が自然に発達可能ならなぜほかの動物にはないのか.それはかなり難しいことであり,進化史の上でヒトが最初に獲得したのだということなのだろう.特にデジタルシステム化のところにジャンプが必要なのだろう.

 
ここから著者は一旦言語が進化したあとの変化を語っている.考古学的な知見,言語史的な知見(音素の脱落傾向など),言語の分岐と方言化,言語(あるいは文化)の違いが与える表現内容の制限はあるか(基本的にはないが,だじゃれジョークは翻訳不可能で,詩には特有の問題がある)などが論じられている.
 
言語の進化についての著者の見解は,普遍文法に懐疑的で,それぞれ平行進化した可能性を示唆し,音声言語と文字言語を明確に区別しないもので,やや雑であまり説得力のあるものではないように感じられる.言語進化研究の専門家ではないので,このあたりは割り切って読むべきところかもしれない.
 

HOW:文化の罠


この第2章から言語により何が可能になったのかが語られていくことになる.最初に扱われるのは「文化」だ.

  • 言語は社会文化を促進する.言語は周りの人と意思疎通を可能にし,議論が泥沼化しないための共通の約束事,つまり文化が形成されていくのだ.動物にも文化はあるが言語がなければその発展には制限がかかる.複雑な文化には言語が不可欠なのだ.
  • (認知能力が同程度とされる)チンパンジーとヒトの子どもの差は行動に現れる.ヒトの子どもは行動の理由(社会の約束事)を考えるようになり,単なる欲求だけで行動しないことができるようになる.それは年長者や社会への従順さをうむ.
  • 文化はその時々の人々の選択や偶然の影響を大きく受ける(文化の違いは言語の違いと必然的に結びついているわけではない).しかし自文化しか頭にないとそれに気づけない.自文化のやり方が正常で他文化のやり方が異常だと考えるのは「文化の罠」だ.

 
ここからは言語によって可能になった文化,そして文化間の違いと文化の罠についての楽しい蘊蓄話が続く.採り上げられているのは,時(季節,月,日,時刻など)の概念についての約束事*3,特定の場所についての約束事*4,神話*5などの物語,何を食べるかについての習慣*6,頭髪やヒゲのどこを残してどこを剃るかという習慣*7,慣用句やスラングや言い回し*8,手振り身振り,ライフスタイル*9になる.
 

WHY:信仰の罠

 
第3章では言語が可能にした「宗教」について語られる.

  • 宗教的信念がいかに馬鹿げたものであるかを指摘するのは容易だが,しかしそれは今もなお世界中で信仰されている.
  • そして宗教も言語により可能になったものだ.文化が共通理解の上にあるクラブであるなら,宗教はそれヘの参加を何らかの神秘を用いて強制するものだといえるだろう.
  • 言語と宗教はどのような関係にあるのか.1つには言語は述部に対して動作主があることを前提にしており,これは自然現象を司る存在を示唆すると考えることができる.さらに大きいのはヒトは言語を持つことにより人生の意味や目的を求めるようになったということだろう.宗教はわかりやすいお話の形でその答えを与えたのだ.そして人々はそれが真実だと信じることになる.
  • しかしここに宗教の罠がある.一旦何かを信じ,伝統が形成されたら,それを破ることは難しくなる.キリスト教は罪の概念にとらわれ,様々な虚構を作り出した*10.それはまさに裸の王様の衣装のようなものだ.そして宗派が分かれ,果てしのない神学論争が生じた*11.信仰の正邪を決定する客観的な基準はなく,どんな信仰も新しい分派により脅威にさらされる.(ここではキリスト教だけでなくイスラム教についても解説されている*12
  • おそらく宗教は多くの神や精霊を認めるものから始まり,宗教の歴史は神の数の減少(アニミズム→多神教→一神教(→無神論))として捉えられるだろう.これは思想の発生学の様にも解釈できる.様々な自然現象にそれぞれ神秘を認めることから始まり,農業の開始とともによりシステマチックなアプローチがとられるようになったのだろう.社会が階層的になるにつれ,宗教教義もより論理的に整理されただろう.多神教の神々にはランクがつけられるようになり,階層化されるとともに至高神が現れ,それは一神教につながっていく.分派との論争を経て教義は精密化される.様々な異なる宗教で似たようなテーマの神学論争が現れるのは印象的だ.そして議論には無神論が加わる.これらの議論の全ては言語により可能になっている.
  • 様々な迷信は私たちに脅威をもたらす現象についてエージェントを探し,警戒する傾向があることから説明できる.そして言語はそれをもっともらしいお話に仕立てることができる*13
  • 宗教はしばしば戦争の名分ととして使われる.教義的論争の決着は(勝敗の客観的基準がない以上),力によって勝ち取るか,一方的にあきらめるかしかない.何らかの教義的理論を持つなら,それは潜在的に暴力的紛争の種になるのだ.これは宗教だけでなくマルキシズムのようなイデオロギーでも同様だ.また暴力的紛争は,リソースが誰のものか,それは公平な扱いかということをめぐっても生じるが,宗教は容易にそれに入り込む.*14
  • 論理的には,あまねく宗教のうちただ1つの宗教が正しい(その他全ては誤り)ということよりも,全ての宗教が(その主張の少なくとも一部が)誤りということの方がよほどありそうだということになる.しかし片方で,彼等の主張には何らかの真実のかけらが含まれているということもありうる.宗教には何らかのよい成分があるのだろうか.私はプラセボ効果に似た「祈りの効果」を指摘したい.人々は悲観的な状況にある時に救いを求めて祈るだろう.(その時点で最悪だったなら)状況はしばしば好転するだろう.好転しなくとも説明はどのようにでもできる(神には別のプランがあるのだ).そして好転を求めて祈るとき,そのポジティブな意図はしばしば実際に状況を好転させるのに役に立つだろう.宗教的習慣は,ことのつまり安心させるためにある.そしてそれは言語が可能にしたものなのだ.

 
宗教の起源と迷信の起源を別に論じているのにはやや疑問もあるし,宗教の是非を論じずに「多分誤りだが『祈りのプラセボ効果』もある」というのは本章を宗教批判だけの章にしたくないというリベラル的心情がかいま見えてちょっと気になるところだ.本来は迷信と宗教の関係や宗教の与えるメリットデメリットをきちんと論じた方が迫力が増しただろう.とはいえ確かに単純な迷信以上の信念体系を持つ宗教は言語なしには存在できなかったという著者の主張には頷けるところがある.
  

WHO:アイデンティティの罠

 
第4章ではアイデンティティが採り上げられる.

  • 言語により「私は誰?」と問いかけることができるようになってはじめて,ヒトはアイデンティティを意識する.そしてそれは何らかのグループに属するというグループアイデンティティにつながる.グループに属することには利益が多いが,その規則に従わねばならないというコストも生じる.
  • 同じく言語は「私は何?」という問いかけも可能にする.これは意識とは何かという疑問につながる.(ここで著者はデカルトの思索,意識はヒトのみにあるのかという問題,ダーウィンによる「ヒヒに復讐心がある」という観察からの推論にふれ,動物にも認知的意識(awareness)はあるかもしれないが,(言語がない以上)自覚的意識(consciousness)はないだろうとコメントしている)
  • また言語は私たちが感じることに疑問を呈したり比較することができ,他の人々の経験から学ぶことを可能にし.想像の世界をつくり出すことができる.それは私たちが感じているものを意識し,世界に対する関係性を変えることができるのだ.
  • それは「魂」という概念につながる.(ここで著者は古代エジプトからの魂概念の歴史を語っている)
  • アイデンティティのコアになる部分に「名前」がある.それはタグに過ぎないが私たちはそれが自分の最も本質的な部分だと感じる.
  • 言語的習慣*15や方言はグループアイデンティティに大きく関わる.Foreign Accent Syndrome(後天的に母語のプロソディを使えなくなる障害)なると自国の人々から外人扱いされてしまう.
  • グループアイデンティティは差別の問題も引き起こす(LGBTの問題について詳しく語られている).またある文化圏の人々は自分たちが「特別だ」と思い込みやすくなる*16.それは宗教的迫害やナショナリズム*17の暴走にもつながる.

 
言語がなくともセルフアイデンティティやグループアイデンティティは成立しうるのではないかという気もするが,言語がこれらを明確にするのは間違いないだろう.そしてそれにも自文化中心主義や差別などの暗黒面があるということになる.本章においては在日英国人という著者の感じるアイデンティティの詳細の記述が面白い.
 

ESCAPE:セックス,ドラッグ,そして音楽

 
第5章は第4章で示されたグループアイデンティティとその暗黒面である束縛,分断への圧力から逃れる方法が語られる.

  • 言語は私たちを現実から抽象的世界に誘い込む.そして言葉を越えた喜びや満足はそこから逃れる方法となる.それはかつて(ポリコレセンシティブでない時代に)「ワイン,女,歌」とよばれ,「セックスとドラッグとロックンロール」とも呼ばれるものだ.これはいつの時代も眉をひそめられ,社会的な規制を受けてきたが,それが与える喜びと言語が不要なことで,伝統への反抗の大きな力になってきた.
  • セックスは適切な状況で適切な相手と行う場合至高の喜びを与えてくれる.脳の報酬系が強く活性化し,自己の境界が溶解していく*18.私たちはこれを言葉で表すことが苦手だ.これは美味しい食事の場合と比べてみればわかる.(ここでは有性生殖の意味や,融合に関して人種や文化の純粋性へのこだわり現象なども論じられている)
  • 向精神薬剤の使用の歴史は古い(ネアンデルタール人がアヘンを含む薬剤を用いていた可能性が示唆されているそうだ).気分が良くなる植物の摂取は狩猟採集時代から行われている.私たちは確かに時に「現実から逃れたい:”get out of it”」と感じる.これは言語により自分が何者で何をするべきかを教示され続け,そこから逃れたくなるからだ.そしてアルコールなどの薬物は解放感を与え,それは創造性につながることもある.(ここでは禁酒法などの薬物禁止の歴史が語られている)
  • 音楽も私たちに言葉を超えた経験を与えてくれる.チンパンジーなど他の動物は音楽を楽しんでいるようには見えない.音楽から言語が派生したという説もあるが,違いは大きい*19.片方で周波数パターン(特に整数比を持つ周波数)に敏感だという共通点(和声や旋律とプロソディ)もある.歌は両者が合わさったものだ.しかし重要な音楽の性質はそれが言語によらないユニバーサルだということだ.

 
グループからの束縛から(一時的にでも)逃れるために,言語不要なセックス,ドラッグ,音楽が利用可能という著者の指摘はなかなか興味深い.
 

INFORMATION:科学の応用

 
第6章は言語が可能にした人類にとっての福音「科学」が扱われる.

  • 言語の大きな恩恵は,議論し,(意見を)比較し,考察することを可能にすることだ.そしてそれは科学を可能にする.しかしそれは簡単ではなかった.人類が真に有用な科学を手にしたのは歴史的には新しい出来事なのだ.
  • 科学的に得られたアイデアは宗教のそれと異なって,テストにより立証することが(そして反証することが)できる.(ここから著者は地動説に至る天文学の発展の歴史,アトムのアイデアから量子論に至る物理学の歴史を語り,このような知見を無視することの愚かしさを気候変動との関連で説いている.)
  • 言語は様々な出来事の可能性を合理的に考察することを可能にする.そして予測は重要なアイデアの価値のテストとなる.(日蝕の予測,量子力学の予測とハロゲンコライダー,ティクターリク化石発見が地質学に基づいた予測から得られたことが語られている)
  • 科学的アイデアは収斂することもある.(周期表をめぐる多くの学者の研究,西欧と中国における音楽理論の発展と平均律の発見,ダーウィンとウォレスの自然淘汰理論への到達,ニュートンとライプニッツによる微積分の発見,電話の発明などが語られている)
  • 人類は科学的発見を巡って協力することもできる(金星の太陽面通過観測をめぐる国際協力事例,国際電報連盟,インターナショナル宇宙ステーションの事例が語られている)

 
科学も言語があってはじめて可能になるものであるのは間違いないだろう.科学好きには読むのに心地よい章になっている.
 

KNOWLEDGE:ミームは遺伝子を越えて

 
第7章ではミームが取り扱われる.

  • 生命の歴史において言語の出現は多細胞生物の登場と並ぶような大きなシフトだ.それは(多細胞生物となって細胞間の相互作用が緊密になったのと同じく)他者との大規模な相互作用を可能にした.
  • 人類における脳の増大は社会化や道具製作で説明されてきた.しかし言語の出現こそが大きな要素かもしれない.脳のエネルギー要求というコストは言語が可能にした大きなメリット(特に知識の共通化と知識の累積)ではじめて説明されるかもしれないのだ.
  • 文字の発明はさらに知識の累積を大きく進め,印刷はそれに拍車をかけた.印刷は科学革命のドライブともなっただろう.現代ではIT技術と電子化がさらにその傾向を推し進めている.
  • このような共通知識は言語により人々の間に広まるミームの集合体と見ることができる.そしてミームは遺伝子より素早く進化する.言語は私たちを遺伝子の檻から解放したのだ.そのような世界では教育と学習が非常に重要になる.
  • 教育もかつては宗教に牛耳られていたが,文字と印刷と啓蒙主義により科学的,世俗的,合理的なものに解放されてきた.(大プリニウスの博物誌,明朝の永楽大全,ルネサンス,フランスの百科全書派などの啓蒙主義の歴史が語られている)
  • 歴史は,私たちが知っていること,どのようなして知るに至ったのかについての生きた記録ともいえる.そしてその集合体はミモム(memome:遺伝子geneに対するゲノムgenomeと並行したミームmemeに対するミモムmemomeという概念)として理解できる.
  • ミモムには膨大な情報があり,個人でそれを概観することはもはや不可能だ.しかしAIなら可能なのかもしれない.(コンピュータとAIの歴史,HGウェルズによる「世界の頭脳」構想,アレキサンドリア大図書館などの話が語られている)

 
ここは啓発的な議論が楽しい章だ.言語の出現はメイナードスミスとサトマーリが「主要な移行」の最後に採り上げているものだが,著者のコメントはそれについての解説とも言えるだろう.またミモムの概念とそれを求める人類の格闘の話も興味深いところだ
 

WISDOM:ゲームのレベルをあげる

 
最終章では将来,あるいは言語が果たすべき世界の平和の実現が語られる.ここは著者の未来への希望を語ったものだろう.

  • 言語の重要な機能に平和への道を探るというものがある.言語は他人の立場を理解した上での交渉を可能にする.そして言語は「私たち」のサークルを広げ,民主主義を広げ,奴隷制度を廃止し,女性の地位の上昇を進めてきた.
  • キング牧師の演説は有名だが,あの時の彼の実践的な目標は「to cash a cheque:小切手を換金する(合衆国憲法に書かれていることを実現させる)こと」だった.言語はまず理想を掲げることを可能にする.そして私たちはそれを指針に社会を変えてゆくことができるのだ.
  • そして現在の世界の平和にとってその理想は国連憲章に明示されている.第二次世界大戦のあと戦争は減少している*20が,なお現実は理想通りにはなっていない.しかし私たちはそれに向かって進むべきだ.
  • 実務的に見てその努力への最大の障壁は安保常任理事国に認められている拒否権だ*21.これは改革されなければならない.
  • 言語は論理を可能にし,アイデアの表現と伝達を可能にした.ヒトの社会にコンフリクトは不可避だが,言語はその解決を可能にする.世界平和は今こそ追求されるべき目標なのだ.

 
 
本書は言語の起源とそれを獲得した人類が成し遂げてきたことについて自由に論じた本で,特に学術的に詰められているわけではないが,所々にある啓発的な議論を楽しむことができる.大筋で致命的な欠陥のある議論はないし,独自の切り口で論じていて新鮮な部分も多い.ピンカーやドーキンスが推薦しているのもわかるところがある.日本語通訳としてキャリアをスタートさせた英国人が書いた本ということで日本語話者には別の魅力もある.私的には楽しい夏休みの読書となった一冊だ.
 
 

*1:著者は漢字にも偏と旁の組み合わせによる表音的な要素があるのだと説明している

*2:ここで著者は日本語が2種類の表音節文字体系(ひらがなとカタカナ)を持っていることを,英語にだって大文字と小文字があり,その一部は全く形が異なっているじゃないかと擁護している

*3:シュメール暦からグレゴリオ暦までの暦の歴史,西暦と日本の年号の違いなどが解説されている

*4:様々な地図の約束事が解説されている

*5:月についての様々な神話伝承が解説されている.日本のウサギの餅つきの伝承も紹介されている

*6:英国人である著者は日本に来たばかりのころ,美味しそうなパンだと思って買ったパンがあんパンであったのに仰天した思い出を書いている.英国人にとってはパンのなかに甘いものを入れることも豆を甘くして食べることも考えられないことなのだそうだ(とはいえのちに大好きになったと書かれている)

*7:ここはかなり詳しく様々な習慣の違いやその背景が書かれていて読んでいて面白い

*8:ここも詳しくて面白い.日本語の「ブリキ」の語源はレンガ(brick)であり,それはブリキの小屋に保管されていたレンガについて「あれは何」と聞かれて答えを誤解したことからきている(ただしオランダ語の薄い鉄板(blik)からきているという説もある)と紹介されている.またここでは通訳者の実感としておよそ翻訳できない概念はないことも強調されている.著者に言わせると単語の意味する範囲は異なるが,その文脈での意味に当たる他言語表現は常に可能であり,例えばしばしばその言語特有の概念とされる日本語の「木漏れ日」もドイツ語の「Schadenfreude」も何語か費やせば英訳できるし,日本語の「気」も動詞を使うことにより英訳できるということになる

*9:入浴頻度やパーソナルスペースの広さの文化差などが採り上げられている

*10:ワインとパンの寓意など様々な具体的な例が挙げられている.

*11:カトリックとギリシア正教の違いの説明が面白い.最も重要な違いの1つは聖餐で用いられるパンが発酵パン(正教)か無発酵パン(カトリック)かという違いだそうだ

*12:モルモン教の教義は「ジョセフ・スミスはムハンマドの次に現れた真の預言者」ということになり,イスラム教にとっては重大な脅威になりうるのだそうだ.

*13:ここでは様々な迷信についてもいろいろな逸話が語られている

*14:ここでは原理主義的イスラム教が他の世界と相いれないものかということも議論されている.著者はそれは原理主義的宗教に共通のもので,特にイスラムにある問題ではないという立場から様々に論じている

*15:例えば言葉に詰まったり探したりする間に日本語話者は「えーと(air-torと聞こえるらしい)」というが,英語話者は「um」とか「er」とかいう.著者によると,これだけで感じられる流暢さが大きく異なるのだそうだ

*16:日本人はこの傾向が強いそうだ.著者の様々な経験や演歌歌手Jeroの逸話が紹介されている

*17:様々なナショナリズムの発揚例が語られていて面白い.英国人にとっては,大英帝国の栄光,聖ジョージ,民主主義・法の支配の起源地,産業革命の発祥,ヒトラーに対する勝利あたりが重要なモチーフということだそうだ

*18:ここでは女性の感じるエクスタシーの方が大きいことに触れ,ヴィクトリア朝の医者が女性の”hysteria”に対して”pelvic massage”療法を行ったことが解説されている

*19:音楽の方が装飾的だとか,音の重なりの有無などが論じられている

*20:これについてはかなり詳しく議論されている

*21:ここも歴史的経緯を含めてかなり詳しく論じられている