From Darwin to Derrida その193

 
このヘイグの難解な本もいよいよ最終章に来た.表題は「Darwinian Hermeneutic」とあり,またまた難解そうだ.
 

第15章 ダーウィニアン解釈学 その1

 
冒頭の引用はオーストリアの生理学者エルンスト・テオドール・ブリュッケのものだ.ブリュッケは1880生まれで1941が没年なので,「生物学者」をheで受けていたりする.これはウォルター・キャノンの「The Way of an Investigator」(1945)でなされた引用の孫引きということになる.ここでは当然この本の最終章らしく「目的論:Teleology」がテーマとなるらしい.
 

  • 目的論はそれなしにはどの生物学者もやっていけないような婦人だ.しかし彼は公衆に彼女と一緒いることを見られるのを恥じるのだ.

Ernst Theodor von Brücke

 
そしてやはり最終章にふさわしく冒頭は蘊蓄話から始まっている.ここでは自然科学と社会人文科学の成り立ちが扱われている.
 

  • フランシス・ベーコンはミネルバとミューズの女神たちを不毛の処女とおとしめ,アートを物理的探究のカテゴリーから外した.ルネ・デカルトは思考する心を物理的身体メカニズムと分離させたが,これには似たような含意がある.創造性はゴーストにあり,機械にはないという意味だ.そして科学革命の開始時には,すでに人文科学と自然科学の知識へのアプローチに疎隔の兆しが見える.

 
ここで出てくるベーコンの著書は「The Advancement of Learning 」,デカルトの著書は「Meditations and Other Metaphysical Writings」になる.デカルトの心身二元論に芸術と科学の区別の含意があるとは知らなかった.
 

  

  • 中世の大学のリベラルアート(ars liberalis)は文法,修辞,論理の三学科(trivium)と算数,幾何,天文,音楽の四学科(quadrivium)の組み合わせだった.
  • 15世紀から16世紀にかけて三学科は現在の人文科学につながる人文諸学(studia humanitatis)に改組された.このカリキュラムの改組は論理学的議論(dialectic)から古典の読解と解釈に重点を移すことが含まれている.詩,歴史,道徳哲学が自由人となるための教育に付け加えられた.
  • 17世紀には現在の自然科学につながる自然哲学が大きく発展した.社会科学がアカデミアに加えられるのは19世紀になる.これらの学問の分割は現在のアカデミアの教職員の地位やカリキュラムのカバレッジの争いにつながっている.

 
ヘイグの蘊蓄が続くが,19世紀ドイツの話あたりからが本題のようだ.
 

  • 19世紀のドイツの大学は自然科学(Naturwissenschaften)と社会人文科学(Geisteswissenschaften)と間の論争の場となった.論争はドイツ語でなされており,私にはこれらの論争の全てを理解し解説することができない.長いドイツ語の文を翻訳しようとしても,理解可能な一部の文節の意味をほぐし出すことはできるかもしれないが,意図された意味を特定することはできないのだ.なぜならそれぞれの部分の意味は文全体と関連しており,同時に文の意味は,今読んでいる文より長く複雑な多くの文よりなる広い議論,その主張全体の一部として理解される必要があるからだ.英語への翻訳がある場合も,長いドイツ語文を分析可能な部分に分けて訳出しており,それによる解釈は解釈の別のレイヤーを失うというコストを避けられない.

 
ここはヘイグの学術的なドイツ語の用法についての愚痴話のようで楽しい.しかしここには愚痴話だけではなく,本書の議論につながる部分がある.それは全体を理解するには部分を理解する必要があり,部分を理解するには全体を理解する必要があるという再帰的な構造についてだ.