From Darwin to Derrida その201

 
最終章「ダーウィニアン解釈学」.ヘイグは文理の学問の違いを議論し,人文学には直感的経験的把握という要素があることを指摘し,「意識」の問題,「自由意思」,「客観的事実」についての哲学的な問題を扱い,生物学には全体と部分の解釈学サークルが存在し,生物個体の主観性が重要になることから人文学の手法に目を向ける価値があることを説く.次にヘイグが取り扱うのは物語だ.
   

第15章 ダーウィニアン解釈学 その9

  

物語を語る その1

 

  • 全てを思い出すことができないなら,全てを語ることもできない.完全なナラティブというアイデアは実践不可能なアイデアだ.ナラティブには選択的な次元が必然的に含まれる.

ポール・リクール

 
ポール・リクールはフランスの哲学者.この引用は彼の「La mémoire, l'histoire, l'oubli」の英訳本「Memory, History, Forgetting」からのものになる.

 

  • 歴史的ナラティブは発見されるというより創造されるものだ.それはミネルバとミューズの果実であり,ダイダロスとウルカヌスのそれではない.それは過去の解釈であり,現在の問題に応用するには更なる解釈が必要になる.有用な歴史は生じたこと全ての詳細なカタログではなく,重要な事件とパターンを抽出しようとする試みだ.それは判断と選別を必要とする「そうなった原因は何か」の探索だ.ディルタイの100年後,エルンスト・マイアは彼が100歳の時に書いた最後の著作でこう述べている.

 

  • 歴史科学のリサーチにおいては,実験が不可能なことから,注目すべき新しいヒューリスティックな手法が導入された.歴史的ナラティブという手法だ.科学的な理論構築とにおいては科学者はまず推測し,その妥当性をテストする.ちょうど同じように進化生物学においては進化生物学者は歴史的ナラティブを構築し,その説明価値をテストする.・・・1つの科学分野としての進化生物学は厳密な科学(the exact science)よりも精神科学(the Geisteswissenschaften)に近い.厳密な科学と精神科学の境界を引くなら,それは生物学の真ん中を通るだろう.そして機能生物学は厳密な科学に,進化生物学は精神科学の領域に含まれることになるだろう.

エルンスト・マイア


ミネルバとミューズはそれぞれ知恵と美の神で,ダイダロスはクレタの迷宮を造り人力飛行可能な翼を作って幽閉された塔から脱出したとされる名工(そしてその翼で同時に脱出し太陽の近くを飛びすぎて墜落したイカロスの父でもある),ウルカヌスは鍛冶の神になる.ここで説かれているのは歴史的ナラティブは工学的な構築物,つまりアルゴリズム的に理詰めで構築可能なものではなく,知恵と芸術により作られるもの,つまり判断と解釈による創造物だという意味になる.
またここで引用されているマイアの本は「What Makes Biology Unique?」になる.残念ながら邦訳はないようだ.