From Darwin to Derrida その213

 
ヘイグによる「ダーウィンからデリダまで」.本文が終わり,付録があり,付録の補足があり,付録の補足の補足があった.そして驚くべきことにさらに付録の補足の補足の補足が収録されている.これは新用語を提案したヘイグの失敗談ということになる.
 

補足の補足の補足

 

  • この補足の連続の向こうに必然性が宣言される:それは無限の連鎖の必然性であり,補足の仲介の不可避的な増殖である.そしてそれは繰り延べようとするまさにその感覚を作り出す.

引用は繰り延べられた(citation deferred)

 
この冒頭の引用は引用元が示されていない.このいかにも意味深な内容といい,deferredされていることといい,引用元はデリダではないかと思う.本書の題が「ダーウィンからデリダまで」という割りにはデリダの登場が少なかったのもその可能性をにおわせる.
さて最後はヘイグらしくゲノミックインプリンティング関連の話になる.
 

  • 新造語の失敗の例は,私の「madumnal」だ.私はゲノミックインプリンティング分野の研究者たちを「maternal」アレル(母にあるアレル)と「madumnal」アレル(母経由で子孫にあるアレル)の違いを区別するように(そして並行的に「paternal」アレルと「padumnal」アレルを区別するように)説得しようとした.
  • 母はそれぞれの遺伝子座に2つずつアレルを持つ.そのうち1つは卵経由で子に伝わる.「maternal」という形容詞は母の2つのアレルと子に伝わった1つのアレルの両方を指すものとして広く使われている.しかしこの2つの用法は淘汰的に異なる状況を記述している.
  • この用法を混同することによる混乱の例をあげてみよう.母から娘に渡されたときのみに発現し,娘の孫に対する子育て行動に関連するアレルを考えてみよう.「maternal gene」とはどちらの遺伝子を指すのだろうか.母経由で娘にある遺伝子と母にある遺伝子を区別することができれば,記述ははるかに明晰になる.私はこの意味論的区別を記述する言語的な差異を必要としたのだ.

 

  • 私の最初の解決は「maternal」を「母にある」として使い,「maternal derived」を「母由来の」として使うというものだった(1989).しかし科学論文では「maternal」が両方の意味で使われ続けた.読者は「maternal derived」の最後の3音節(de-ri-ved)を余分なものだと考えたのだ.
  • 次に私は「maternal」(母にある)と「madernal」(母由来の)を提案した(1992).これにはミニマリズム的な洗練さがあったが,誰もこの区別を使わず,さらにこの区別は英語の発音として紛らわしかった(語中のtとdの発音には聞き分けられるほどの違いがないことが多い).
  • その次に私は「maternal」(母にある)と「madumnal」(母由来の)を提案した(1996).この後者は「autumnal(秋の)」を元にして作った語だ.この造語の提案には読者も聞き手もこの2つの語の違いに注目せざるを得ないという利点があったが,「madumnal」は全くもって不人気だったという欠点があった.
  • 不人気の理由は「madumnal」が耳障りの悪い語だったからなのか,それとも聞きなれないこと自体が嫌われ,なじみのある語に魅かれたからなのか? もし私の醜いアヒルの子が美しい白鳥に変身したなら.あなたは世界を私と同じように見るのだろうか? 
  • 私の用語法の革新が失敗した重要な理由は,この区別の必要性があまり理解されなかったことなのだろう.私はこの区別は重要だと今も頑強に考えている.しかし本書においては世間一般の「maternal」と「paternal」の用法にしたがった.なぜなら全てを考慮するなら,精密性がいくぶん失われるとしても.見慣れない用語に読者が注意をそらされることを防ぐ方がいいと考えたからだ.

 
この最後の推測はあたっているだろう.真剣に理論を構築し,それを正確に記述しようとしている著者にとっては重要な区別であっても,取り合えずおおまかに理解しようとしている読者にとってはあまり違いに意義を見いだせないということだろう.それにほとんどの場合は文脈でどちらかわかるし,どうしても必要なときに限って注意書きすればよいと感じるだろう.
 

  • 全ての意味はメタファーだ.あるものが別のものに入れ替わる.話し言葉は書き言葉に書き起こされ,それは別の言語の書き言葉に翻訳される.シフィニアン(signifier: 指示するもの)はシフィニエ(signified: 指示されるもの)のメタファーであり,シフィニエはシフィニアンのメタファーだ.そしてテキストの重要性(significance)は,テキストが将来の選択のガイドとして過去の選択を永続させることにある.解釈の解釈には限りがない.だれも結論を出せないのだ(No one has the final word).

 
そして本書最後のヘイグの文章もなかなか含蓄がある.本書はかなりじっくり読むことができ,そして本当に楽しかった.終わってしまうのはとても寂しい気分だ.
 

<完>