War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その2

 
序章の後は第1部の「帝国の興隆」になる.原題は「Imperiogenesis」だから帝国創世記というほどの意味だろう.
 

第1部 帝国の興隆(Imperiogenesis)

 

第1章 冒険者の仲間が王国を打倒する:イェルマクの征服コサック

 
帝国の興隆と来ればまずローマからと思いきや,本書ではロシア帝国から始めている.おそらくロシアのケースはターチンの理論から見て最も説明が単純で容易だということなのだろう.それまでモンゴルに征服されていたヨーロッパの北東の辺境国家ロシアがなぜクリミア半島からアラスカまでの大帝国を打ち立てられたのかがテーマとなる.
 

  • ロシアの東への膨張は16世紀末,イェルマク(Ermak Timofeev)率いるコサック数百騎のシベリア侵入(1581)が契機になっている.コサックはロシアとカザン,クリミア,アストラカンのタタール(トルコ・モンゴル遊牧民のロシア側のよび方)との国境に沿った辺境地域の戦士たちであり,ある意味無法者の集まりだった.
  • イワン雷帝からウラル西側の広大な領土を与えられていたストロガノフ家は辺境地帯に開拓民を送り,産業振興を試みた,そしてシベリアからの侵略に対して守備隊をおいた.しかしタタールの略奪はすさまじく,ストロガノフ家はこれに対して攻勢防御を考え,イェルマクたちコサックを侵攻部隊としてスカウトしたのだ
  • イェルマクたちはウラル山脈を越えてシベリアに侵攻した.彼等は圧倒的に少数だった(数的には1:20~1:30といわれている)が,激烈ないくつかの戦いに勝ち,シビル・ハン国を屈服させ,シベリアの一部を占領し経営した.こののちイェルマク自身はタタールの夜討ちを受けて死亡し,コサック軍は撤退する.しかしイェルマクの成果を受け,2年後ロシアはシベリアに再侵入し,これ以降システマチックに東方への侵攻を続けることになる.

 
このあたりのイェルマクの激烈な戦闘振りついては詳しく書かれていて大変面白い.
 

  • なぜ少数のコサックが国家に勝利できたのか.スペイン人の新大陸征服と違ってこれを銃.病原菌,鉄で説明することはできない.確かにシビル・ハン国は銃を効果的に用いなかったが,このときの戦いにおける銃の役割はたいしたものではなかったし,当時のクリミア・ハン国やイスラム圏に銃がなかったわけでもない.しかも300年前にはロシアはモンゴルに軍事的に全く対抗できずに征服されていた.このときと何が違うのか.
  • 状況の違いは団結できたかどうかにある.13世紀ロシアは10以上の地域領に分かれており,それを素晴らしいチームワークを持つモンゴル軍*1に個別撃破された.逆に16世紀においては,タタール国家間にいがみ合いがありロシアに対して統一して行動できなかったのに対してロシア側は統一国家となっていたのだ.

 
というわけでターチンは団結の重要性を示すためにこのコサックのシベリア侵入の成功譚を冒頭に持ってきたということになる.
ターチンはこのイェルマクのシベリア侵入こそがロシアの東方膨張の転機になったかのように記述している.私はロシア史に詳しいわけではないが,一般的にはタタールのくびきからの解放は,まずイヴァン3世によるロシア国内統一(ノヴゴロドの併合:1478),キプチャク・ハン国のモスクワ侵攻の失敗(1480)があり,そしてイヴァン4世(雷帝)によるカザン・ハン国の征服(1552),そして最後にシベリア進出と説明されることが多いのではないかと思う.結局国内統一と経済的な発展が鍵になって東方膨張が可能になっているので,ターチンの最後の説明と整合的だが,イェルマクを劇的に取り上げすぎの感は否めない.
 
参照書籍
 

 

*1:ここで専制国家でも団結力のある軍隊をもつことが可能であることについての解説がある