War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その8

 
第4章は同じくローマ帝国辺境地帯に興ったイスラムがテーマ.ここでちょうど収まりが良いということでイブン・ハルドゥーンによる「アサビーヤ」の議論が登場する.  
  

第4章 砂漠のアサビーヤ:イブン・ハルドゥーンによる歴史の鍵の発見 その1

 

  • イブン・ハルドゥーンは14世紀の政治家であり学者だ.彼は政治家や学者を輩出したイスラムの貴族家系の出だ.ハルドゥーン家はセヴィリアの支配貴族の1つとして代を重ねたが,レコンキスタによるセヴィリアの崩壊が目前に迫り北アフリカのマグリブ(現代のモロッコ,アルジェリア,チェニジア)に亡命した.イブン・ハルドゥーンはこのあと1332年にチェニスで生まれ,17歳の時にペストで両親を亡くすことになる.14世紀後半のマグリブ地方はマリーン朝とハフス朝の間のいつ果てるともしれない抗争下にあった.
  • 彼は最初(チェニスのハフス朝ではなく)モロッコのマリーン朝に仕えることで政治家としてキャリアを始めた.しばらくしてハルドゥーンの忠誠を疑った王により投獄された.王の死後釈放され,アンダルシアに移り,グラナダのイスラム王朝国家(ナスル朝)に仕えた.その後マグリブに戻り今度はハフス朝に宰相として仕えた.ハフス朝が打ち倒されるとトレムセンのスルタン(ザイヤーン朝下のスルタン)に仕え,トレムセンがマリーン朝に倒されると捕らえられ投獄された.釈放されたあとも紆余曲折があったが,最終的にメッカに巡礼しようとしたときに途中のカイロでエジプトの支配者から司法長官の職を打診されそれを受けることになる.その後はカイロに落ち着いたが,時にダマスカスやティムール帝国にまで足を延ばした.

 
ハルドゥーンの人生はなかなか波乱に富んでいる.仕官先を移る時には,スルタンの突然の死による状況変化,さまざまな内部抗争の余波を受ける,同僚の嫉妬を買って忠誠を疑われるなどいろいろなことがあったようだ.1834年にはチェニスからカイロに妻子を呼び寄せようとして船が難破して妻と5人の子を失うというようなこともあったようだ.
 

  • ローマ帝国の南の辺境は西のモーリタニアから東のパレスチナまで広がっていた.国境は農業可能地域となる年間降水量250ミリのラインとほぼ重なっている.この唯一の例外はナイル川の潅漑が利用できたエジプトだった.辺境の南側には北アフリカのベルベル(バーバリアンと同じくわけのわからない言葉をしゃべる野蛮人という意味から来ている),中東のアラブが住んでいた.ローマ帝国崩壊後ここにはいくつかの帝国が興ったが,もっとも壮大なのは疑いなくアラブによるイスラム帝国だ.ベルベルはイスラム帝国のスペイン征服にマンパワーを提供し,ファーティマ朝,ムラービト朝,ムワッヒド朝を創設した.
  • 第3章で見た強国は皆農業を基盤としていた,これがラクダ隊商による商業であればどうなるだろう.これを論じるのにハルドゥーンほどの適任者はいないだろう.

というわけで第4章では砂漠の民アラブがいかにイスラム大帝国を打ち立てたのかがテーマということになる.
 
ハルドゥーンをテーマにした手頃な本としてはこういうのがあるようだ.

 
代表的著作にも邦訳があるようだ. 
アラブによるイスラム帝国成立についてはこの本が面白かった.