War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その11

 
イブン・ハルドゥーンの考察をまとめたあと,ターチンはムハンマド登場直前までのアラブの状況を整理した.ここでムハンマドが登場する.  
  

第4章 砂漠のアサビーヤ:イブン・ハルドゥーンによる歴史の鍵の発見 その4

 

  • 3方を強国に囲まれ,ビザンチンやペルシアの影響で小規模の部族連合が生じるなど,アラブはゆっくりと進化的な変化を起こしつつあった.そして600年ごろその後のイスラム興隆へのトリガーとなる事象が生じた.
  • それはビザンチンとペルシアがともに1世紀サイクルの解体フェーズにはいったことだ.両国とも内部派閥同士の内乱状況に陥り,さらに互いの内乱に干渉することで地域全体が混乱した.コンスタンチノープル,アレキサンドリア,クテシフォンを含む一帯は戦乱状況になり,多くの都市が略奪され,ガッサーン朝やラフム朝のような小国は消え去った.同時期には都市部で疫病による飢饉もあり状況を悪化させた.

 

  • この混乱状況がイスラムの興隆の2つの要因を作った.
  • まず中東に軍事力の空白が生じたことだ.1世紀前ならビザンチンはガッサーン朝を使ってムハンマドのイスラムという危険なカルト集団を容易に早期鎮圧できただろう.
  • 2つ目の要因は民衆が安定を渇望したことだ.ムハンマドはここに希望を与えた.人々はそれが来世のことであっても希望のメッセージに飛びついただろう,ムハンマドはさらに現生においても救いを説いたのだ(当時ムハンマド以外にも数人の一神教的預言者がアラビアに現れている.これは民衆がそのような存在を望むような社会政治的状況だったことを示唆している).
  • ムハンマド自身はクライシュ族の出身だ.クライシュ族はメッカの多神教神殿を信仰していた.6世紀を通じてメッカは徐々に西アラビアの宗教政治同盟の中心になっていった.アラブの部族は休戦期にメッカの神殿に参拝し,そこで互いに会って通商から復讐の請け負いまでのさまざまなビジネスを行った.メッカは中立地帯を提供し,重要な通商拠点となり,クライシュ族は大きな利益を得た.

 

  • 我々はムハンマドの生涯イベント(天啓610,メディナへの移住622,メッカ征服630,アラブの統一632)についてはよく知っている.しかし彼はどのようにしてアラブの統一を,部族単位に分かれていたアラブをイスラム的メタ部族に改変するということ成し遂げたのだろう.
  • 答えはムハンマドの宗教的メッセージの性質にある.アラブの古い多神教信仰は部族レベルでの統一力として働いたが全ての部族の統一の障害だった.ある部族の宗教を受け入れるということは,他の全ての部族にとってはその特定部族の貴族階級に服従することを意味することになる.それは自由な遊牧民がもっとも嫌がることだ.そしてこれらの部族民は自分たちの宗教を広めようとも思っていなかった.その信仰の重要な機能は「我々」と「あいつら」を区別することにあったからだ.
  • イスラムは全く新しい一神教・改宗主義的宗教だった.イスラムに改宗することは神に服従することを意味するのであり,どこか特定部族の貴族に服従することを意味するわけではない.実際にイスラムは今日においても「王」の拒否という要素を色濃く持っている.
  • そしてイスラムは一神教であり,全てのイスラム教徒は神の下で平等だった.そして改宗主義は全ての部族の受け入れを可能にした.そしていったん改宗してしまえばかつてどの部族に属していたか,どんな階級に属していたかは問題にならなくなる.それは全員が皆兄弟というメタ部族的共同体「ウンマ」を顕現させたのだ.この普遍性はかつての多神教カルトの世界とは全く異なった世界であり,イスラムの成功の鍵になった.
  • 「ウンマ」は(部族連合を抜けることに比べて)はるかに信者個人個人にとって重要なものになった.それは共同体からの追放であり,死罪のリスクのみならず,魂が永遠に地獄に彷徨うことを意味したからだ.
  • これがムハンマドが統一アラブを作れた理由だ.そしてかつての部族民はムスリムとなりそのアイデンティティは新しいメタ部族共同体に基づくものになった.そしてそれによる団結力がイスラムに軍事的強さを与えた.
  • 622年から630年までムハンマドは小さなオアシス共同体のメディナの支配者に過ぎず,その軍隊はメッカのそれに比べて小さかった.例えばトレンチの戦いではメディナ軍は3000,メッカ軍は10000だったし,装備も劣っていた.しかし結局メディナ軍は緩い部族連合に過ぎなかったメッカを圧倒した.この「ウンマ」の団結心の強さはメッカ攻略の後の略奪を許さなかった軍紀の厳しさに見ることができる.

 
ここも歴史記述は楽しい.
ただ対メッカとの戦争では,ムハンマドはウフドの戦いでもう少しで自身が戦死するほどの敗北を喫しており,これほど単純な話ではなかっただろうという気もするところだ(とはいえ結局数的不利をひっくり返して勝利したのだから大筋ではこういうことなのだろう).
 
イスラムの興隆については多くの本がある.私も何冊か読んでいるが,最近のはあまり読めていない.読んだ中ではこれが詳しい.