本書は長谷川眞理子によるエッセイ集.雑誌「財界」2018年9月以降に連載されているコラムの100回分を再構成の上一冊にまとめたものだ.内容的にはヒトとはどういう生物なのか,その進化環境はどのようなものだったのか,そのように進化適応したヒトという視点から(進化環境とは異なる)現代環境を考えてみようというものになっている.
少し前に出された「進化的人間考」も雑誌連載をまとめたものだが,本書のもとになっているのはサラリーマン向け雑誌の連載ということもあって,一般の人にもわかりやすいように工夫された文章になっている(「進化的人間考」は東京大学出版会の雑誌連載だったので,ややアカデミアよりの記述スタイルになっている)し,短いコラムが並べられている構成なのでとても読みやすい.内容的にもヒトとはどんな生物か,その進化環境はどんなものだったかのところは共通しているが,「進化的人間考」では学問についてかなり詳しく書かれているのに対し,本書では現代環境をどう見るか(ある意味社会論,文明論的な内容)の所に力点がある.
第1部〜第3部 ヒトの進化とは,ヒトの特徴,ヒトとヒト以外の動物たち
最初の部分はヒトとはどのようなものかにかかるコラムが集められている.雑食性,高度な道具使用,競争と協力のある複雑な社会,共同繁殖,視覚に頼る世界把握,他者の心の把握,入れ子構造の理解などが語られている.ここでは他者と思いを共通したいという欲求が,大規模な社会,蓄積性の文化に大きく貢献しただろうことが強調されている.また(著者が飼育経験のある)イヌとネコについていろいろ語られていて楽しい.
後半でアートと音楽についても語られている.アート,そしてその表現したい欲求については(本書では詳しく述べられていないが)配偶相手に印象づける性淘汰シグナルだとか,評判を高める社会淘汰シグナルだとかという説があるが,ここではもっと根源的な他者と思いを共有したい欲求と関連しているのではないかとコメントされている.音楽については言語との関連についての最新の知見が紹介されている.
第4部〜第7部 ヒトと食,考えるヒト,共感と文化,集団の圧力やひずみ
続いてヒトの特徴についてのいくつかの個別トピックがある.著者が重要だと考えているところは何度もコラムに登場したということだろう.個別の話題は以下の通りだ.様々な話題が取り上げられていて読んでいて楽しい.
- 第4部:火を使った調理と脳の大きさの関係,いろいろ大変でも炉を維持してきたのは一緒に食事したいという強い嗜好があるからだろう,酵母の自然史*1.
- 第5部:理解することと納得することの違い*2(そしてその相違の個人差),相関と因果を混同するバイアス,確率を扱うのが苦手というバイアス,スマホ検索は個人の知力を落とすのではないか,学者とはどんな人たちか(懐疑主義と批判精神が楽しいと感じる人たち*3),知識と情報の違い(知識には構造がある),視点転換の難しさ,他者にものを教えたいという根源的欲求はあるか*4,社会現象を理解する上でのゲーム理論の重要さ
- 第6部:社会運営の方法に関して蓄積的改善はあるのか*5,蓄積的文化と心の共有,文化とは何か,地球生態圏の二重構造(自然生態系と人間生態系),行動傾向の文化差についての山岸説(どう振る舞うかのデフォルトに違いがある場合が多い),マスク着用の文化差,世代間ギャップと世界観構築の臨界期
- 第7部:内集団びいきという現象とその境界線の柔軟さ,民意の分断とSNSそして分断を捉えきれないマスメディア*6,日本文化の同調圧力と保育士の数,熱狂の問題点(しばしば賛同の強要になる),社会変化の速度(日本は遅いのではないかとコメントされている),同性愛と人権,男性脳と女性脳(ある程度の傾向はあっても男性脳,女性脳というほどの明らかな違いはない),日本社会の合議主義(民主主義にするには『みんな』という境界線の了解を打ち壊さなければならない),ダワーの『戦争の文化』について.
第8部〜第9部 地球環境問題,進化環境と現代社会のズレ
このあたりから社会論,文明論の色の濃いコラムが中心になる.個別の話題は以下の通り.
- 第8部:都会の暮らしと田舎の暮らしにはそれぞれいいところと悪い所がある,蓄財の要求は(狩猟採集時代には意味なかったはずなのでヒトの本性ということではなく)文化に誘発されたものに違いない,ヒトは文化蓄積の結果,雑食性動物の本来の生息密度を大きく超えている,地球環境問題の取り組みが難しいのはこのような問題に対して認知的な歯止めがないからだ,環境配慮型企業への投資の流れとその限界,環境経済学への失望*7,ヒトが引き起こしつつある第6の大絶滅,雑草むしりについて(雑草に勝てるはずはないが,季節を感じながら草むしりするのは楽しい),人新世について.
- 第9部:進化環境である狩猟採集社会での生活と現代の生活が大きく異なっていること,社会関係が非常に複雑になっていること,自分が食べているものについて知識や興味がなくなっていること,デジタル時計のような単位で行動すること,テキストメッセージのコミュニケーション,糖分と脂肪を美味しいと感じる理由,子供が大声で泣く理由(狩猟採集社会では共同繁殖だった),IT機器による監視,都市型文明の持続可能性のなさ,貨幣(それに対するヒトの脳の反応),「Society 5.0」のうさんくささ*8.
第10部 ウィズ・コロナの世界で
第10部では連載中に生じた新型コロナの感染拡大に際して感じたことを扱ったコラムが集められている.
4枚カード問題を感染症に当てはめると,ともかくすべてめくってみようという態度が表れ,それは感染の恐れに対して非論理性が増すことを示唆している.しかし感染を避けるためにできるだけいろいろなことを試みるのはある意味適応的なのだろうとコメントされている.
そこからコロナ禍は文明のあり方を考え直す良い機会かもしれないという趣旨のコラム,自粛に見られる文化差(日本の他人と合わせようとする態度(同調文化),リスク回避に過度に傾きやすい傾向などが取り上げられている),ウェブ会議でできることとできないことなどを取り上げたコラムが収録されている.
第11部 遠くに行きたい
ここではこれまでのカテゴリーには収まらないエッセイ風のコラムが集められている.
とにかく遠くに行きたいという気持ちが強かった(アフリカにチンパンジー研究に行ったのも,最大の動機は人類学ではなく,前人未踏の地に近いところに行きたかったということだそうだ)こと,アフリカでの生活の思い出,ダーウィンと同時代の女性の博物学者,女性の探検家たち,沖縄の自然と自然史博物館設立運動の意義が取り上げられている.
第12部 これからの日本社会に必要なこと
最後にまた社会論,文明論に戻っている.
リスクに対する感受性を磨こう,コロナ禍の騒ぎでわかったことは日本は政府も国民も科学に基づいて意思決定をしようとする態度に乏しいということだが,これは改めるべきだ,日本政府はもっと統計リテラシーをつけるべきだ,ビッグデータ時代といわれるがデータは量だけでなく質についての感度が重要だ,組織リーダーの素質のうち「ヴィジョンを持つこと」はおそらく進化的に得られたものではないだろう,明治時代の数千人規模で御雇外国人を受け入れるという決定は後の科学分野の発展に大きく貢献したが,今や日本に学術の意義や価値に関しての国民的了解がなさそうだ,社会の活動も生物学的に俯瞰して理解できるかもしれない,技術によってかつて考えられないようなことも実現するようになった現在では,人間が幸せに暮らすこととはどういうことかについてより深く考える必要があるだろう*9,などの主張が収められている.
以上が本書の内容だ.肩の凝らないコラムが100個並び,そこには進化的な視点からヒトを眺めたら,現代社会についてどのような感想を抱くのかが語られている.口当たりはいいが,実は深い,そして楽しいエッセイ集という趣だ.
関連書籍
こちらは2010〜2012年に東京大学出版会の雑誌「UP」に連載されたものをまとめたもの.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/05/16/105225
*1:すべての醸造酵母の共通祖先は30万年前に中国で野生型から分岐した.世界各地に持ち出されたのは15,000年前,ワインの酵母の固定化は1,500年前,日本酒の酵母の固定化は4,000年前だそうだ
*2:納得するというのは理解できた事柄が自分の人生の中である種の意味を感じるということではないかと推測されている
*3:懐疑と批判の面倒くささに耐えるには知的強靭さが必要だと主張されている
*4:近時の「教育は知識獲得の『道具』として(人類が文化的進化を積み重ねたあとになって発明されたものではなく)ヒトの認知と行動それ自体に埋め込まれた生得的な能力だ」とする議論に懐疑的な立場がとられている.
*5:前進はみられるが,そもそもすべての人にとっての最適解がないので状況依存的にならざるを得ないし認知のバイアスから逃れるのも難しいのかもしれないとコメントされている
*6:2016年の大統領選でトランプを泡沫候補と扱ったマスメディアの能力に対する懸念が表明されている.
*7:環境破壊を抑えながらどのように経済を回すのかに問題意識があり,環境経済学者と対談したが,彼等が支払い意思額(環境を守るためにいくら支払うつもりがあるか)を持ち出した時,ああこれでは議論にならないと思ったと書かれている.しかし経済学者からすれば,その支払い意思額を消費者に賦課し,それをバジェットにして環境破壊を抑える方策(炭素税など)を考えるのは当然で,生態学者は広く世間にこの問題を啓蒙して支払い意思額を増やすように努めればいいと考えれば十分議論になるのではないだろうか.
*8:そのような進歩史観は受け入れがたいとコメントされている
*9:そうでなければ,例えば単に報酬回路を刺激する機器(それを使うとヒトは幸福感に包まれて何もせずに時間を潰すことになる)を否定できなくなる(スマホはそれに近いのかもしれない)とコメントされている