本書はアートを進化的に考察した本になる*1.著者のアンジャン・チャタジーは神経科学者で,神経美学(neuroaethetics)の研究者でもある.私はあまりよく知らなかったが,神経美学とは認知神経科学の一分野で,脳の働きと美学的経験の関係(美しいものを見た時に脳のどの領域が活性化するか,どのような神経伝達物質が介在するかなど)を研究するものらしい.本書ではこの至近因的な神経科学の内容だけでなく,究極因的な(進化心理学的な)内容を扱い,対象も美しいものだけでなくコンテンポラリーアート,コンセプチュアルアートなども含むアートと広げている.原題は「The Aethetic Brain: How We Evolved to Desire Beauty and Enjoy Art」.
冒頭のはしがきで,自然科学(ここでは神経科学と進化心理学)が美学について語ることの意味,神経美学がまだ揺籃期であり,楽観も悲観も時期尚早であること,その中で本書で語りたいことが簡単に提示されている.
序章
美しいものに魅了される理由について進化心理学がある程度の方向性を与えてくれること,その際に感じる快感と審美的経験の関係を解きほぐすには神経科学が有用であること,本書ではコンテンポラリーアートを含むアートを扱うこと,そして感覚,感情,意味の要素を見ていくことが語られる.
本書はここから3部構成をとり,美,快感,アートを神経美学,進化心理学の視点から語っていくことになる.
第1部 美
第1部では「美」が扱われる.
まず私たちが何かを美しいと感じるのかが解説される.
最初に「顔」の美しさを考える.ヒトは顔に惹きつけられる.そしてそれは文脈依存的な要素を持つ.またどのような要素が魅力的かを調べると,平均性*2,対称性,性的二型(男性は女性らしい顔を,女性は男性らしい顔を好む*3)の3要素がある.
次は「身体」.ここでも対称性と性的二型性が魅力の要素となる(平均性が魅力の要素になるのかどうかはわかっていない*4).また男性がどのぐらい痩せている女性を魅力的と感じるかは文化的影響,文脈的影響*5が大きいが,砂時計型が好まれるというのは普遍的になる.また動作が身体的魅力に与える影響も大きい.
次に美しさを感じた際の脳の働きが解説される.まず神経科学の基礎(脳のモジュール的構成,平行分散処理など),そして美しいものを感じた時の脳の反応(視覚野,報酬回路などがどう反応するか)が説明される.
ここから進化的な考察になる.自然淘汰と性淘汰の簡単な解説の後,美しさについてのミラーの性淘汰説(基本的には健康で繁殖力があることのシグナル),性淘汰説から身体的魅力の平均性,対称性,性的二型性がどう説明されるかが解説される.
- 平均性が健康を示しているのかどうかはわかっていない,むしろプロトタイプとして情報処理しやすいことが好まれているのかもしれない.
- 対称性は発達異常や感染履歴と関連し,健康を示すと考えられる.また対象な身体はより運動性能上有利であるとも考えられる.
- 性的二型のうち男性性はテストステロンの影響が高く,ハンディキャップシグナルとして健康や繁殖力を示しているという仮説が有力だ.ただし極端な男性顔は子育てに非協力的である可能性も示すために,女性はいくぶん女性らしい男性的な顔立ちを好む.
- 以上のことからヒトは特定の特徴を美しいと感じるように進化したといえるだろう.
- これらの普遍的な好みに対して文化的影響が加わる.多くの文化では超刺激的なピークシフト反応が見られる.
続いて,ヒトはサバンナ的な風景を好むが,それは進化的に環境内に安全と栄養源があることを示す複数の特徴を合わせ持つ風景を好むようになったと説明できることが解説される.
次は数学が持つ美について考察される.ここは独特で面白い.黄金比,対数らせん,オイラーの等式などの例が取り上げられ,それらの美しさが,自然界の持つ性質,何らかの最小問題の解,簡明な新たな洞察,データ圧縮などにつながっていることを見る.そしてこれが適応的かどうかについては,著者はこのような数学的な美への好みは進化環境で定量化,数量,確率,相関の理解を通じて生存に有利だったのではないかと推測している.
著者はしかしこの進化的説明ではすべてを解決できないと議論を進める.役に立つものが必ずしも美しいとは感じられないし,美しいと感じるものに合理的な部分がないことも説明できないとする.そして議論は第2部に移る.
第2部 快感
冒頭に快感の概説がある.快感は行動の反覆を促す報酬であり,学習と結びつく.そして感覚に埋め込まれており,認知によって修飾されることがある.ここから様々な快感の各論になり,食べ物(味覚と臭覚,文脈(満腹かなど)による変化,超刺激による渇望*6),セックス(認知や感情との関連,神経科学的知見,ニュートラルな対象との連関学習が生じうること*7),お金(お金の神経経済学(報酬系の活発化など),不合理な行動と行動経済学*8)にかかる快感が解説されている.
ここから快感と欲望の関係が考察される.神経科学的に見た両者の違い,快感は報酬として行動変容や学習を促すこと*9,報酬系は嗜好と欲求と学習を結びつけ,認知系と快感系が相互作用できる柔軟性を備えていることが解説され,そのロジックについて以下のようにまとめられている.
- 報酬系には様々な要素がある.報酬系は快感を期待したり,経験した快感を評価したり,欲求の対象を得るための行動計画を可能にする.
- 最も基本的なレベルの快感は食べ物やセックスへの欲求,恒常性維持機能から生じる.
- 快感には柔軟性があり,ほぼいかなる対象や状況とも結びつくことが出来る.
最後に美しいものを感じた時の快感が考察される.
- 審美的な快感は(食べ物やセックスのような)基本的な欲求に結びついた快感といくつかの点で違いがある.
- 審美的快感は,欲求を伴わない嗜好にかかる神経系を利用して欲求より大きな広がりを持つ
- 審美的快感には微妙なニュアンスがあり,単純な好みより複雑だ.
- 審美的快感は認知系に強く影響される.
第3部 アート
冒頭でアートの定義の学説史とその難しさが議論される.
- アートと美は同じではない.審美的遭遇は美に限らず,統一,バランス,静謐,悲劇性,繊細,鮮明,躍動性などが対象になり*10,さらにアーティストの意図,作品の歴史上の位置づけ,政治的社会的次元などがアートにおいて重要になりうる.
- 古代ギリシアから20世紀にかけて「アートとは模倣である」という考えがあったが,写真の発明・普及ののち,外界を模倣するために絵を描くという目標は重要性を失った.
- 「アートは共通の価値観を強化することによりコミュニティの結束させる儀式的行動だ」という考え方もある.しかしこれはコンテンポラリーアートには当てはまらない.
- ロマン主義者は感情の表現を重視し,ヒュームはtaste(趣味)を重視し,カントは美を生得的な概念とした上で,美の判断を理性の働きだとした.バローはアートの対象に対して心理的距離を置くことを重視し,ベルは「意味のあるフォーム」という概念を導入した.
- 20世紀になり美や快感から切り放されたアートもあることが認められるようになった.そして「アートは定義できない」という反本質主義的考え方が支持されるようになった*11.定義できなくても理解できる,見ればわかるという主張もあるが,一部のコンテンポラリーアートではそれも怪しい.
- この反本質主義的見方に対しては,役割や文化的位置づけを通じて機能主義的に理解できるという主張がある.美学の研究者,特に進化心理学的アプローチを行うものはこれを支持する.
- これとは別にアートを文化歴史との関係において理解しようとするものもいる.
著者はこれは「群盲象をなでる」状況に似ているとし,ここから独自の探求の道が語られる.
著者はまずアートが至る所にあり,歴史を通じてあり続けてきたことを指摘する.そしてアートは本能のみで決まるものだとか,18世紀欧州の文化産物だとかする排他的な見解は意味がないとする.著者はアートを生物学と文化の両方の観点から理解するアプローチを取ると宣言する.
最初は神経美学的なアプローチ.まず記述神経美学の視覚アートについての知見(脳が視覚的特性をどのように捉えるのか)が解説され,感情表現についての表現主義の考え方も取り入れていくべきことが指摘される.
続いて視覚イメージに脳がどのように反応するかを調べる初期の経験美学の試みと,それが現代の画像統計処理で復活していること*12,さらに現代の実験神経美学の知見*13が解説され,脳にはアートに特化したモジュールはなく,アートを処理する時には日常的な対象の知覚にかかわるパーツが組み合わされて使われているとまとめられている.
ここからいくつかの各論がおかれている.
まずコンセプチュアルアートが考察される.著者はまず現代の極端なコンセプチュアルアートの例を挙げ,これが印象派やキュビズムのように最初は拒否されるが,後に受け入れられるようなものにはならないだろうという見解を紹介する.これらは美しさから生じておらず,意味やアイデアが重要視され,文脈情報が前提になっているからだ.そして(意味が与える影響は調べられるにしても)神経美学で探求するのは難しいだろうとコメントしている.
続いてアートの起源.定義の難しさにちょっと触れたあとラスコー洞窟壁画を始めとするいくつかのサピエンスの先史時代のアートが紹介される.さらにネアンデルタールやハイデルベルゲンシス,さらにエレクトスやにも萌芽的なものがあっただろうとする*14.そしてこれらのアート全体を説明する説明はないこと,多用で様々な局所的条件から生まれたと捉える方が適切だろうとしている*15.
最後は進化心理学的アプローチを含めた著者の考察.進化心理学の考え方,リバースエンジニアリング,適応と副産物,外適応,遺伝と環境の相互作用などの概説の後,著者がアートを進化的に見てどう考えるかが語られる.
- アートが適応だと考える立場と,副産物だと考える立場があるが,アートがこれだけ普遍的であることから,単なる副産物とは考えにくい.
- 適応説にはいくつかの考え方がある.
- ディサナヤケは文化比較的な視点からアプローチした.そしてアートは儀式に埋め込まれていて,共同体,および母子の絆における協力促進機能があるとする.
- ジェフリー・ミラーはアートは配偶者選択におけるコストリーシグナルだと主張した.
- 哲学者のデニス・ダットンは生存上の有利説とミラー説の折衷説を唱えた.まずヒトは美を感じる本能をもっているとし,アートの生活上での重要性から副産物説を否定した.そして更新世の環境条件を生き延びるために想像上のシナリオの中でうまく行動するために物語についての想像力が進化し,それが物語以外に広がった,さらに想像力はコストリーシグナルとして求愛に有利になったと考えた.
- これらの説には,(1)アートは美に対する本能の発現である,(2)アートはコストリーシグナルである,(3)アートは実用的である,(4)アートは社会の結束に役立つという4つの考え方が含まれている.しかしこれらのどれもアートであることの必要十分条件にはなっていない.
- コストリーシグナルとしての適応形質の良い例はクジャクの尾だ.しかしよりアートに近いのはジュウシマツの歌(生存への自然淘汰圧が家畜化により弱まり,柔軟で即興的で多彩な歌を歌うようになった)だろう.アートは美や社会的結束にかかる複数の適応の発現としてはじまったが,今日ではそれにかかる淘汰圧が緩み,時代や場所や文化や個人から生まれた偶然の混合物として多様性を持つようになったのだろう.コンテンポラリーアートは現代の局所環境ニッチで形作られるのだ.
著者の議論は,アートには複数の適応的生得的な側面と文化進化的な側面があり,コンテンポラリーアートはそれらの淘汰圧的制約が緩んだことによる局所性,偶然性,多様性で説明できるとするものだ.とはいえ,なぜどのようにして社会的結束や配偶者選好の淘汰圧が緩んだのかについてはあまり説得的には説明されていない.私としてはミラー説を取り,アートの基本は配偶者選好にかかるコストリーシグナルだ(そして一般に人気のある音楽やファッションにおいてはその本質はあまり変わっていない)が,一部のコンテンポラリーアートにおいては文化的な洗練性や文脈的な知識というコストリーシグナルを使った(一部の人々の)社会的地位の顕示競争に変質したのではないか(だから前衛的なコンセプチュアルアートは一般の人々にあまり受けない)と考える方がしっくり来るようにおもう.
本書全体の議論は,美と快感についての究極因,適応的な説明と神経科学の知見による至近因,メカニズム的説明がまずなされ,それを踏まえてアートを議論する構成となっている.そして著者は(現代のコンセプチュアルアートまで含めて議論するために)美とアートは同じではないとして考察を進め,アートは究極因的にいくつかの本能と文化進化の合わさったキメラであり,現代においては淘汰圧の緩みから多様化している主張していることになる.
この最後の主張については私的にはやや納得していない部分もあるが,とはいえ,神経美学的な部分も含めて様々なトピックを取り入れて,美とアートを考察しており,いろいろと勉強になった.進化的な視点でアートを考察してみたい人にとってはなかなか面白い一冊だと思う.
原書
*1:本書のカバーは代々木公園のワクチン接種センターの写真の上に巨大な人の頭部の彫像がコラージュされているもので,何だかよくわからない不思議なものだ.コンセプチュアルアートをイメージしているのかもしれないが,内容的にも販促的にもあまりよいデザインとは思えない.
*2:ただし最も魅力的なのは完全な平均顔ではなく,魅力的な人々の平均顔になる
*3:男性の場合と女性の場合に様々な微妙な違いがあることが詳しく解説されている.女性の場合は極端な男性顔よりもやや優しい顔つきを好むことが多く,その程度は月経周期により変化する
*4:多くの文化では多数の裸体を見る機会はないため,典型的な平均的身体がどのようなものかを認識しにくいだろうということが示唆されている
*5:米国における経済状況とプレイメイトや女優の身体的特徴の関係を扱ったリサーチが紹介されている
*6:ジャンクフードと肥満の問題が解説されている
*7:フェティシズムとの関連,同性愛の「治療」に用いられて様々な悲劇を生んだことが解説されている
*8:カジノが行動経済学的にいかに上手く設計されているかが詳しく解説されている
*9:一部のコンセプチュアルアートが快感をもたらすのは,学習促進を促す報酬かもしれないと推測されている
*10:これらの一部は日本語の語感では「美」に含まれるように感じるが,英語の「beauty」には含まれないということなのだろう
*11:アートの革命性,定義についての家族的類似性(必要十分条件で定義できない)が根拠になっている
*12:視覚アートと自然の美しい光景の共通点,フラクタル次元,フーリエスペクトル特性などが解説されている
*13:視覚的刺激が脳の視覚野や報酬回路の動きに与える影響,意味や知識がどう影響するかなどが解説されている
*14:アウストラロピテクスにもその可能性があるとしているが,特に根拠はなさそうで,(アートの定義にもかかわるが)やや疑問だ
*15:例えばラスコーを始めとするフランス南西部とスペインの洞窟壁画は当時の動物相や人口増加の環境によるもので,氷河期の終わりに気温が急上昇して資源が減少すると消滅したと説明されている