第1章 歴史的起源 その5
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その基礎の1つ適応主義の説明.ペイリーの自然神学が英国の生物学者に与えた影響が議論される.
1.2 適応主義と自然神学の遺産 その3
1-2-2 英国におけるネオペイリアン生物学 その2
- ペイリーの議論はダーウィンの議論の組み立てかたにも影響を与えた.ペイリーもダーウィンもヒトが作りしものから議論を始めている.ペイリーは時計や望遠鏡を持ち出し,ダーウィンは家畜の品種を持ち出している.そして自分が提案するメカニズムとの類似を指摘するのだ.また二人ともヒトの眼を詳しく取り上げている.
- エルンスト・マイアは「ダーウィンと同時代のほとんどの生物学者が自然神学に親しんでいたことは,全く新しい進化生物学という分野へのスムーズな移行に役立っただろう」とコメントしている.
時計と望遠鏡のような明らかにデザイナーが存在する機械仕掛けと,家畜の育種の際の人為淘汰はかなり様相が異なる印象もある.ヒトによるデザイン→神によるデザインとヒトによる淘汰→自然淘汰という議論の運びがアナロジーとしては似ているという趣旨なのだろうが,やや苦しい気もする.
- もう1つダーウィンにおけるペイリーの影響の例を挙げるなら,それはランと送粉者の共進化についての本「On the Various Contrivances by which British and Foreign Orchids are Fertilised by Insects」になる.この時代には計略的仕掛け(Contrivances)という用語は強く自然神学とペイリーに結びついていた.ダーウィンにとって自然淘汰はペイリーの提示したデザインの問題についての明確な答えだった.
このダーウィンのランの本の書名がペイリーの自然神学の議論を強く意識したものだというのは気付かなかった.なるほどというところだ.
- 自然神学が後にドーキンスから「(解答は間違っていたとはいえ)複雑な適応を数多く記録した」と讃えられたのと同じように,ダーウィンの本は教養ある教会人たちから「(解答は間違っているとはいえ)自然神学に資するものだ」と讃えられた.エイサ・グレイは「もしランの本が種の起源より前に出版されていたら,自然神学者たちから聖典として認められるように賛美されただろう」とコメントしている.
- ダーウィンのペイリーに対する態度は,ダーウィンの忠実な支持者トマス・ハクスリーのそれと対照的だ.ダーウィンは上流階級の出身で英国国教会の自然神学に若い頃から親しんでいたが,ハクスリーは,世代も育ちも異なり,そのようなトレーニングを受けていない.マイケル・ルースはこれがハクスリーが適応の議論にあまり熱心でなかった理由だろうと推測している.
ハクスリーはウィルバーフォース司教との論争や進化否定論者の大立て者オーウェンとの論争で有名だが,今日その著書や論文や書簡が読まれることはあまりない(私も直接読んだことはない).確かにハクスリーはダーウィンを熱烈に擁護する中で,自然淘汰や適応についてそれほど熱心ではなかったことが知られるが,そこにも自然神学にいかに親しんでいたかの影響が見えるという指摘は面白い.
- ロナルド・フィッシャーも適応に深い印象を与えられた.フィッシャーは統計学者で集団遺伝学者だっただけではなく敬虔な英国国教会信徒だった.ダーウィンの孫娘ノラ・バーローに当てた手紙で,フィッシャーは,自分が自然神学を突き詰めなかったことに罪悪感を抱いていると書いている.いずれにせよフィッシャーは適応こそが自然界の決定的な特徴で,神による継続的な介入の証拠だと考えていた.
伝統的な宗教観を持つ人にとって,進化論がもたらした本質的な新しさとは,創造が遥か昔になされてすべて完了したものではなく,今なおその驚くべき長大な時間の中で進行中であるという点だ.創世記の言葉を借りれば,私たちは今「第6の日」それもおそらく早朝の時間帯に生きており,神はまだこの作品から一歩引いて,それを「良し」と宣言してはいないのだ.(フィッシャー,ダーウィニズムのルネサンス,1947)
このフィッシャーの態度は,私にとってはちょっとした驚きだ.フィッシャーの創設した集団遺伝学のダイナミクスにはどこにも神の介入は必要ではなく,創造ははるか昔に(たとえばビッグバンのような形で)生じ,それ以降には神の介入はないと考えそうなものだ.
少し詳しく調べてみると,この「神の介入」は自然淘汰が直接神の介入を受け続けているという意味ではなく,(自然淘汰の材料である)突然変異の出現が神の介入によって影響を受ける可能性もあることを示唆する内容で,積極的に神の介入を主張しているものではないようだ.
- ペイリーは次の世代の英国の進化生物学者たちにも影響を与えている.彼らはペイリーを実際に直接読んだことはないかもしれないが,ペイリーの名前をレトリックに用いている.実際にペイリーを読んでいた1人に(誤ったグループ淘汰の主張で有名な)ウィン=エドワーズがいる.ペイリーの議論は彼の「自然のバランス」概念に影響を与えている.
ここでナイーブグループ淘汰の有名人,ウィン=エドワーズが登場だ.彼の議論は,動物の個体群は,種全体の存続にとって有益となるように繁殖や行動を自己抑制的に調整するというもので,「グループ単位の淘汰により自然がバランスをとる」と主張していることになる.これは神の創造と介入により自然がバランスをとっているとする自然神学と発想が似ているという趣旨ということだろうか.

