岩波「科学」特集:なぜ社会行動は進化したのか? 2025年5月号

 
岩波の「科学」はかつて質の高い科学雑誌として認められていたが,少し以前からイデオロギー的で怪しい主張を繰り広げるようになってその評判は地に落ちていた.しかし編集体制が刷新されて最近まともに戻ったという噂を聞くようになった.
そして本年5月号で生物の社会行動についての特集が組まれているという話を聞いたので,取り寄せてみたものだ.はたして執筆陣もしっかりしており,怪しい政治色もなく,ほっと胸をなで下ろした.
 
ということで特集についてレビューしておこう.
 

特集 なぜ社会行動は進化したのか?

 

霊長類の社会と血縁構造:ヒト社会の起源を探る 井上英治

 
冒頭で動物が群れをつくるメリット(捕食回避,食物獲得効率向上)とデメリット(1ヶ所での採食量の上限,感染リスクの増大)が整理され,霊長類の場合には比較的長期にわたり固定化されたメンバーを持つ群れを形成する種が多いと指摘される.
続いて分散様式の性差が取り上げられ,コラムで概説されるとともに,父系社会と母系社会の社会的なダイナミクスの差が解説される.ここから個別トピックがいくつか取り上げられている.
 

  • 毛づくろいなどの親和的交渉は母系の血縁者間でよく見られる.父系の血縁者間の交渉は(観察だけで父子関係がわからないため)これまであまり研究されてこなかったが,DNA解析により父子関係がわかるようになり,研究が進みつつある.
  • ニホンザルにおいては,優位なオスの方が子供を多く残すと考えられてきたが,実はそうではなく,子供を多く残すのは群れにいる年数の短いオスだった.なぜそうなるかについてはメスの選択によるものと考えられる.観察によると受胎可能性が低い時期には優位のオスと多く交尾していたが,高い時期には群れにいる年数の少ないオスと多く交尾していた.
  • チンパンジーにおいては.優位なオス,特に最上位のオスの子供の数が多いことがわかった.
  • なぜこうなるのかについては,同時に発情しているメスの数の違いによるものと考えられる.ニホンザルでは同時に発情するメスが多く,優位オスがすべて防衛できないのだろう.

 

  • 優位オスが残す子が多く,優位オスが入れ替わってくなら,群れの同じ世代の子供は(父系の影響により)違う世代の子供たちより相互に血縁度の期待値が高くなる.
  • 複数の霊長類で血縁のない個体より同じ母から生まれたきょうだいや父を同じくするきょうだいとより社会交渉を行うことが報告されている.父と同じくするきょうだいを識別するキーとして年齢の近い個体という認識が使われているのだろう(顔などの表現型が効いているという報告もある).

 

  • チンパンジーは父系社会であり,ヒト社会も多くは父系であることからヒトとチンパンジーの共通祖先は父系だと考えられてきた.しかし狩猟採集民が必ずしも父系とは限らないことがわかってきて,この点は再検討が必要な状況だ.
  • ゴリラ属ではマウンテンゴリラは(オスが群れに残り複数の成熟オスが群れにいる場合もあるが)通常オスメスとも分散し,父系でも母系でもない社会といえる.
  • これに対してニシゴリラを対象とする研究で血縁のあるオス同士が近くにいることが報告され,群れを超えた父系ネットワークがある可能性が示唆された.我々の研究グループがニシゴリラのDNAを解析したところ,近隣にいるオス間の血縁度は低く,オスは遠方に分散していることがわかった.
  • オランウータン属は単独性だが,近年の遺伝解析ではオスの方がメスよりも遠方に分散する傾向があることが報告されている.
  • これらのことからは,多くのオスが群れに残るというのはチンパンジー属に特有の派生的な特徴である可能性が示唆される.ヒト社会の祖型は必ずしも父系とは限らないだろう.

 
最新の研究動向が紹介されていて興味深い.ニホンザルのメスはなぜ群れにいる年数の短い(これは放浪オスということだろうか)をより好むのだろう.近交弱勢を避けるためだろうか,興味がもたれるところだ.
 

鳥類の協同繁殖が変動環境に偏るのはなぜか 野間野史明

 
鳥類によく見られる繁殖時のヘルパーに関する寄稿.環境との相関が議論されている.
冒頭で鳥類のヘルパーがどのようなものかが概説され,そこから進化史の解明というテーマに移る.

  • 系統樹上で協同繁殖の進化史を調べると,ヘルピングを示さない(移動分散遅延による)家族群がまず進化し,そこから協同繁殖が進化したケースが多いことがわかる.(ここからは血縁者によるヘルパーの進化を議論し,非血縁者間のヘルパーを議論の対象としないこととする)
  • するとまずなぜ移動分散遅延が生じるかが問題になる.
  • 協同繁殖する鳥類の割合が多い地域はアフリカ南部,オーストラリア周辺域で,年間雨量の変動による餌資源のばらつきが大きい地域の割合が高い.これを受けて筆者のグループは,このような地域でどのように協同繁殖が有利になるのかをクリボウシオーストラリアマルハシ(以下クリボウシと略す)を対象にリサーチした.
  • クリボウシは繁殖群れサイズが平均6個体,繁殖群は繁殖つがいと血縁個体,少数の移入非血縁個体からなる.ヘルピングを担うのは前年以前に生まれた血縁個体で,オスメスともにヘルピングをする.給餌におけるヘルパーへの依存度は高い(つがいだけで巣立ちに成功した例は知られていない).
  • 繁殖群による明確な採餌ナワバリは観察されず,豊富な餌資源ナワバリに留まる利益仮説は成りたたない.筆者は血縁びいき的な相互作用(餌供与,対捕食者防衛など)が血縁個体が出生群れに留まる利益だと考える.クリボウシは塒巣を作り,塒の就寝位置はつがいや血縁個体が保温が効く奥,移入個体が保温の悪い入り口付近であり,出生群れに留まった方が厳しい環境下で夜間エネルギー消費的に有利だと考えられる.(厳しい環境下での血縁びいき的相互作用と移動分散遅延)
  • 協同繁殖が繁殖成功において厳しい環境変動を緩衝する機能があるか(環境緩衝仮説が成りたつか)調べたところ,クリボウシではそれは観測できなかった(大きな群れの方が厳しい高温時の給餌量が減った).アフリカのツキノワテリムクでは観測でき,同じ環境変動でも雨期と乾期がはっきりしないオーストラリアとはっきりしているアフリカでは影響が異なるようだ.
  • 飛翔能力のある鳥類が生まれた群れに留まることには相応の理由があるはずであり,(協同繁殖の進化を考察するには)なぜ継続的に家族群を維持する行動が進化したかという問いが,本質的であるように思える.なお環境要因やその作用機序には探求の余地がおおく残されている.

 

イルカの社会性:接触・同調のコミュニケーション 酒井麻衣

 
御蔵島でのミナミハンドウイルカの観察から得られた知見を紹介する寄稿.冒頭でイルカ類について簡単に概説がありそこから様々なことが紹介されている.

  • ハンドウイルカ属では同種でも異なる社会構造(オス同士の数年にわたる同盟,二次同盟など)を持つことが知られる.
  • 個体間コミュニケーションでは個体ごとに異なる抑揚パターンを持つ鳴音を発する(signature whistle).群れの仲間に自分の存在を知らせたり別個体の鳴音を真似たりして名前のように使う.相手が誰かという情報のイルカにとっての重要性が示唆されている.
  • 近距離では音声以外に触覚や視覚を用いたコミュニケーションも行う.
  • 胸びれで相手をこするラビング行動は,受け手がこすり手に近づくことが多く,役割交代が頻繁に見られる.利益を交互に受ける社会的親和行動であることを示唆している.闘争後にラビングがあると次の闘争までの期間が延びるので関係修復機能があることがわかっている.古い皮膚が落ち,母が子をよりこすることから,衛生的機能があることも示唆されている.
  • オスが普段スリットに収納されているペニスを出して別のオス個体のスリットに挿入しようとする行為も観察されている.受け身役1頭に対して挿入役2頭以上というパターンがほとんどで,興奮状態でも何らかのルールに従っている.受け身役は逃げないため敵対的行動ではなく,交尾や絆形成の練習の可能性がある.
  • 横に並んで泳ぎ,同時に呼吸する行為は,同性同年齢個体,母子ペアに多い.同調の精度は母子>メスペア>オスペア,異性ペアであり,組み合わせによりパーソナルスペースが異なることが示唆されている.
  • 御蔵島では野生個体群で(母親死亡により残された新生児に対して)それまで子育て経験がなく,新生児と血縁もないワカメス里親による直接的な世話(授乳)が観察された.これは他の哺乳類では観察されていない興味深いパターンだ.

 

魚類から再考する社会的「行動」と「行為」:ヒト中心主義からの脱却 十川俊平

 
ホンソメワケベラの鏡像自己認識などインパクトある研究を産出している大阪公立大学の幸田チームの一員である十川からの寄稿.冒頭でウィルソンの社会生物学提唱,ヒトを他の動物と不連続に考える人間中心主義(その象徴としてヒトを頂点に置くヘッケルの系統樹と脳についてのマクローリン仮説)などに触れ,そこから魚類の社会行動や認知についての最近の知見が解説されている.

  • 協同繁殖魚類Neolamprologus savoryiで,ナワバリ防衛しない血縁ヘルパーに対して繁殖個体が罰を与えることが報告された.
  • 同じく協同繁殖魚類Julidochromis transcriptusは共同的一妻多夫制で,メスがオスの父性認識を操作していることが報告された*1.この他にも意図的騙し,共同ハンティング,紳士協定,しっぺ返し戦略,向社会行動が魚類において報告されている.
  • やはり共同繁殖性魚類Neolamprologus pulcherは隣り合ったナワバリの個体に互いに寛容になる紳士協定で知られる.この際の個体認識は顔にある茶色と黄色と青の模様で行っていることが報告されている.
  • ホンソメワケベラに鏡像事故認知能力があることが報告されている.

 

アリはなぜ1匹で生きられないのか 古藤日子

 
社会性昆虫であるアリの社会的孤立についての報告

  • 社会性のアリ,ハチ,シロアリのワーカーにおいては,社会的孤立環境で寿命が短縮することが古くから報告されている.
  • 20日間孤立環境にいるとアリワーカーの体表炭化水素の組成は(互いの体表炭化水素交換から外れるために)コロニー仲間の組成と異なってしまうことが報告されている. 
  • ただ孤立環境で寿命が短縮するメカニズムは不明だった.筆者たちは中東やアフリカに生息するオオアリCamponotus fellahで室内実験を行った.まず様々な条件下のワーカーの生存率が50%となる期間を計測した.(孤立していない)グループワーカー67日に対して孤立ワーカーは7日だった.
  • 行動的には孤立ワーカーは巣に入る時間が顕著に短くなり,巣外で長い時間を過ごし,長い距離を歩いた.これによりエネルギー消費が亢進したと思われる.孤立ワーカーも餌の摂取量は変わらなかったが,戻ってきたワーカーとの栄養交換がなかったために消化量は低下した.これらによりエネルギー支出バランスが崩れることが寿命短縮の要因の1つであることが示唆された.
  • 孤立することで発現量が変化する遺伝子を探索したところ,高くなる遺伝子407,低くなる遺伝子487が同定された.孤立ワーカーでは酸素還元酵素活性を持ち酸化ストレス応答にかかわる遺伝子が最も有意に変化していた.発現量が特に大きく変化する場所は腹部にある脂肪(脂肪の貯蔵や栄養代謝にかかわる)とエノサイト細胞(体表炭化水素の合成にかかわる)だった.また孤立アリに抗酸化剤を処方すると寿命短縮が緩和された.これらのことから孤立ワーカーの寿命短縮や行動変化を引き起こす要因の1つとして脂肪体やエノサイト細胞における酸化ストレス応答の関与が示唆された.

 

昆虫の多様な仔育て 藤岡春菜

 
昆虫における子育ての多様さを紹介する寄稿

  • 昆虫類において産卵後に子育てする種は少数派で,属の5%で子育てするものが確認されているにすぎない(トビムシ,ゴキブリ,シロアリ,甲虫,ハサミムシ,ハエ,ハチ,カメムシ,ネジレバエなどが含まれる).子育ての形態は非常に多様だ.大きく分けると子の保護と給餌になる.

 

  • 最も基本的な子育ては産卵後の監視になる.監視期間は様々だが,ヨーロッパヤマトタマムシでは幼虫が採餌するようになった後も数週間見守り続ける.これらの監視は捕食者や病原菌から子を守る適応と考えられる.
  • 巣を作って子を保護する種もいる.巣の形状や材質は様々だ.さらに一部の種では積極的に卵の世話をする(コオイムシなど).ハチオトシブトクマバチでは病原微生物から子を守るために抗病原性を持つストレプトマイセス菌を含む巣を作る.

 

  • 子への給餌方法も多様だ.直接的な餌の提供(この場合も継続的に提供する場合,加工して提供する場合など多様な方法がある)に加え,栄養卵,(ミルクのような)分泌物の提供,食物の吐き戻しなどの方法が知られている.
  • ツェツェバエやハジラミは胎生で母体の中で卵が孵化しある程度成長してから幼虫が生まれるが,この間母バエは「乳腺」に相当する器官から栄養豊富な分泌物を分泌し,幼虫はこれを飲んで成長する.
  • 親の体そのものを提供する場合もある.フクロヤリガタムシでは孵化後の世話の終わりに子が母親を完全に食べ尽くす.

 

  • 膜翅目社会性昆虫では姉妹であるワーカーが子の世話を行い,幼虫は完全にワーカーからの世話に依存して成長する.幼虫もコロニーの生存に重要な役割を果たす場合がある(洪水時のいかだの浮力になる,巣の建設材料の糸を吐く,餌の消化や貯蔵の役割を果たすなど).一部のアリではワーカーや女王が幼虫の外皮に穴をあけて体液をを吸う(つまり幼虫が給餌する)ことが知られている.さらに一部のアリでは資源不足時に成虫が幼虫を食ったり,幼虫にタマゴや蛹を与えることがある.

 

人間より誠実なゴキブリ?:クチキゴキブリの奇妙な配偶行動とペアボンド 大崎遥花

 
クチキゴキブリの翅の食い合いの研究者である大崎による寄稿.「ゴキブリ・マイウェイ」の内容が簡潔にまとめられ,さらに先に進み,「ゴキブリ・マイウェイ」ではまだ未解決であった翅の食い合いの適応的意義の解明が語られている.

  • クチキゴキブリは一夫一妻制で子育ても行う.このうちタイワンクチキゴキブリ*2は配偶ペアが翅の食い合いを行う.この食い合いは,性的共食いでも婚姻贈呈にも当てはまらない行動パターンだ(詳しい説明がある).
  • 翅の食い合いは多くの場合オスがメスに触角で触れながら近づき,グルーミングするところから始まる.この後の行動にはばらつきがある(オスが先にメスの翅をすべて食べてしまうケース,少し食べては交代を繰り返すケースがある)が,最終的に互いの翅が完全になくなるまで食べ尽くす.
  • 生態的な意義を探るべく,翅の食い合いが出来ないようにしたペアを実験的に作って調べたが,子の数や子が成虫になるまでにかかる期間などに差が認められなかった.
  • 翅を食い合うことによりペアボンドが成立するのではないかと考えて,食いあったペアと実験的に食い合いできないようにしたペアを用いて実験を行うと,食い合いを行ったペアだけが侵入個体に攻撃を仕掛けた(また食い合い前のペアも侵入個体には無関心).攻撃行動は侵入個体が同性でも異性でも生じた(浮気の機会があってもそれを利用しようとせずに攻撃する).この結果から翅の食い合いはペアボンド形成に不可欠な儀式である可能性が高いと考えられる.また配偶相手とそうでない個体を見分ける識別能力があることも示している.
  • これは無脊椎動物で初めて見つかったペアボンドだ.

 

利他性が支えるヒト社会 小田亮

 
ヒトの利他性についての寄稿.ヒトの持つ社会性の中で,特徴的なのがその利他性であること,自然淘汰で(個体の)利他性が進化するためのポイントは「正の同類性」であること(包括適応度理論や血縁淘汰の説明を飛ばしてプライス方程式から直接説明する形をとっている),このプライス方程式から導き出されたモデルは淘汰のレベルとして(集団がグループに分かれている場合)グループを想定した時にも適用でき,その場合利他性が似通った人たち同士でグループを作ることが出来れば利他行動が進化することが導けることがまず指摘され,そこから心の適応の話になる.

  • 正の同類性を満たす条件の1つが血縁になる.血縁でなくとも利他行動に関連した遺伝子群を持つ個体同士がグループを作ってもこの条件を満たすことが出来る.
  • トリヴァースは互恵的協力の理論を提唱した.この場合はただ乗り個体の排除が問題になり,何らかの条件の元でちゃんとお返しする個体同士がランダム以上にかかわることが重要になる.つまりここでも正の同類性がかかわる.
  • ここからヒトには利他性の低い相手を検知して交換関係から排除するための認知的適応があると予想できる.その1つが裏切り者検知メカニズムだ.コスミデスとトゥービイはこのメカニズムの存在を「ヒトはある種の純粋の論理的な問題を解くのが苦手だが,これを裏切り者検知のフレームに落とすと正答率が高まる」ことで示した.筆者たちは,ヒトは表情や身振りから他者の利他性をある程度判断できることを示した.
  • 感情もまた正の同類性を維持するために進化したと考えられる.たとえば同情は確実にお返しをしてくれそうなヒトにより強く感じると予想できる.災害などで困窮したヒトと自分のせいで困窮したヒトでは前者により同情を感じるだろう.また向社会性,誠実性を持つ人により同情するだろう.場面想定法で困窮の原因と相手の性格が同情と援助の意思にどう影響するかを調べると,予想通りの傾向が検出された.またこの両要因は独立に同情に影響していた.
  • ヒトのもう一つの特徴として高度な文化を持つことがある.ヒトは他者の行動を過剰に模倣する強力な社会的学習バイアスがあり,これは社会規範についても当てはまる.これによりグループ内の行動の画一化が進み,グループ内のばらつきは少なくなるだろう.
  • この社会的学習バイアスは儀式についても当てはまる.儀式は正の同類性強化に役立つのかもしれない.
  • さらにヒトは学校制度に見られるように組織的大規模に教育を行っている.積極的教示は一種の利他行動であり,教育の進化は利他行動の進化として考察すべきものになる.
  • 互恵的利他は文化的に互恵的な社会関係を作ることが出来れば,遺伝的な正の同類性がなくとも保たれる.互恵主義の至近要因の1つは規範であり,互恵的規範は文化的伝達で維持可能だ.これには教育による規範の効率的流布が役立ったのかもしれない.

 

自己家畜化:相互依存としての社会性の進化 外谷弦太

 
ヒトの社会性進化で最近よく登場する自己家畜化仮説についての寄稿.
ヒトの利他性についての血縁淘汰と互恵性を簡単に説明した後,トマセロの相互依存仮説が説明され,その後自己家畜化が解説されている.

  • トマセロはヒトの特徴として他者と意図や目的を共有できる共有志向性を強調した.そしてこの共有志向性は協力的な他者と選択的な互恵関係を築く子との重要性から進化したと説明した.この前提には他者と協力することに強い有利性があるという状況がある.
  • ここで,利益提供者(利他者A)と利益享受者(利己者B)がいるとする.相互作用が繰り返され,Aが利益提供に最適化するように変容すれば,BがAからの利益提供に依存するようになり,Bが継続的に利益を得るためにはAに選ばれる必要が生じるという双方の変容過程が進化的に生じることがありうる.(ここではヘーゲルの疎外状況からの説明になっていて*3,細胞内共生が引き合いに出されている)
  • 人類の自己家畜化仮説では,上記状況に似た「従える側と従う側の関係成立を契機として変容していく働き」が想定されている.人類が自然環境を変容させると,その結果かつて重要だった反応的攻撃性や警戒心が重要でなくなり,その認知資源を他者との関係構築に回すことが出来るようになる.他者のとの関係構築にとっては同類性選好が有利に働き,似た者同士が集まってより物理環境,社会環境を変容させていく.これが想定されている自己家畜化メカニズムになる.
  • ただし現在「自己家畜化」という用語は多義的になっている.具体的には(1)人類が自ら生み出した社会文化環境が人類自身の性質に変化を与えること(2)協力的な暴力や性交拒否を通じてオスの攻撃性が淘汰される変化(3)ヒト以外の動物がヒトの環境に入り込んで家畜化されるに至ったこと,などの意味がある.(上記説明は(1)に沿ったものになる.ランガムは(2)の主張を行っている)
  • 片方でこの3つの意味には共通点もある.採餌コストや捕食リスクの減少が,警戒心や反応的攻撃性を低下させるという点だ.そして自己家畜化を受けた脊椎動物には頭蓋の球状化,幼体のような行動,オス的身体形質の縮退,頻繁な発情周期などが共通して見られる.そしてこれらについては神経堤細胞の機能変化からのメカニズム的な説明がなされている.
  • なぜヒトでのみこのような循環的な進化が起きたのか.それは環境を変容させる力の大きさであり,再帰的な組み合わせを持つ技術を可能にしたからかもしれない.

 
以上が特集「なぜ社会行動は進化したのか」の概要になる.記事の内容は様々で,総説があったり,独自リサーチの新奇知見の紹介があったりして楽しい.
雑誌本文の大体2/3が特集で占められているが.本号ではこの他,「野球の認知脳科学」の連載初回(投球がこういう初速と回転を持っている場合にどういう軌跡を描くか(どう変化するか)は物理的に記述できるが,ある軌跡のボールがなぜ打者から見て打ちにくいのかの説明には認知科学の領域知識が必要になるという趣旨),2024年のカメムシ大発生の要因考察,ヘビ検出の脳内メカニズムなどの面白い記事が並んでいる.
私はこの雑誌を久しぶりに読んで大変楽しかった.
 

*1:巣が楔形になっていて,身体の小さいβオスはαオスが入って来られない巣の奥にいて,メスはαオスβオスともに精子をかけられる場所に産卵する.

*2:著書ではリュウキュウクチキゴキブリと表記されていた.リュウキュウクチキゴキブリはタイワンクチキゴキブリの亜種という位置づけのようだ

*3:なぜAが利益提供に最適化するのか,Aが相手を選択できるという状況はどの段階から想定されているのかあたりが説明されてなく,やや意味不明に感じられる.またここでヘーゲルを持ち出すことの意味もよくわからない