The Gene’s-Eye View of Evolution その45

 
 

第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その19

  
概念整理を行う第2章.ここまで「遺伝子」「レプリケータとヴィークル」「ミーム」を整理してきた.第2章最後のテーマは「自然淘汰の定式化」だ.
  

2-5 自然淘汰による進化の一般的な定式化 その1

 
オーグレンはドーキンスのエッセイの引用から始める.
 

  • 2015年のエッセイでドーキンスはこう主張した.
  • ・・・もし宇宙のどこかに生命が存在するとするなら,それはダーウィン的生命だろう.・・・
  • それは40億年前にレプリケートするエンティティが生まれたことにより始まった.それは今ある遺伝子とは異なっていたが,しかし機能的には遺伝子と同等だった.それは複製することができ,自分の複製確率に影響を与えることができ,時に複製エラーを起こすものであり,すべての生命のもとになった.・・・
  • だから,私にとって,ダーウィン的な自然淘汰プロセスの絶対的なキーは,レプリケータ,遺伝子,DNAなのだ.あなたが「グループ淘汰はどうなんだ」「高次レベルの淘汰はどうなんだ」「異なる淘汰レベルはどうなんだ」と問うとしても,そのすべては遺伝子淘汰に帰すことができる.遺伝子淘汰こそが,実際に生じていることの本質なのだ.

 
この引用元はオンラインサロン Edge.org の主催者であるジョン・ブロックマン編集による書籍「Life」に寄稿されたドーキンスのエッセイ「Evolvability」の冒頭の第2段落の抜粋になる.2番目の文の冒頭の「それ」とは地球生命が走ったり飛んだりするマシン(生物)を作り上げ,さらにはヒトのテクノロジーや芸術や音楽まで生み出したことを指している.
この「Life」には寄稿者にはドーキンスの他,デイヴィッド・ヘイグ,ロバート・トリバース,エルンスト・マイア,EOウィルソン,フリーマン・ダイソン,ダニエル・リーバーマン,ロバート・サポルスキー,スチュアート・カウフマンらが並んでいる.同じシリーズには「Mind」「Culture」「Thinking」「Universe」がある.

 

  • こういいながら,彼は遺伝子視点を巡る意見の不一致に関連する2つの問題に触れている.
  • 第1の問題は,「進化にはレプリケータの役割を果たすものが必要だ」という主張だ.
  • ドーキンスは繰り返し,レプリケータこそが生命の特徴であり,宇宙にほかの生命があるならばそこにはレプリケータが存在するだろうと主張している.
  • ドーキンス=ハル流のレプリケータとヴィークルの定式化は,抽象的に自然淘汰による進化原則を記述するというより一般的でより大きな議論によくフィットする.
  • ドーキンスやハルに対して,多くの論客はレプリケータの役割を限定的なものとし,より広い原則を記述しようと試みた.

 

  • 第2の問題は「遺伝子淘汰はプロセスなのか,ものの見方なのか」という問題だ.
  • ドーキンスは,上述部分で,個体やグループレベルでの淘汰ではなく,遺伝子レベルでの淘汰こそが,進化を記述する上でより事実に即した真の方法だという印象を与えようとしている.この言い方はドーキンスのごく初期の記述から見られるものだ.しかし彼は同時に折りに触れて「遺伝子視点は進化の事実を見る1つの見方であり,個体中心視点とくらべてより正しいと言うものではない」とも書いている.
  • 私はここから自然淘汰による進化の抽象的な定式化の問題を扱う.そしてプロセスか,見方かという問題には第3章で取り組むこととする.

 
というわけでオーグレンは,ここから自然淘汰についての「レプリケータヴィーグル定式化」と「レプリケータの役割を限定した定式化」(これをオーグレンは「古典的アプローチ」,あるいは「レシピアプローチ」と呼んでいる)の問題を扱うことになる.またメイナード=スミスたちによる進化の「主要な移行」と淘汰のレベル論争の関係も扱うことになる.