日本進化学会2007参加日誌 第一日

今年の大会は京都だ.金曜日から日曜日までの3日間だが,初日のスタートが朝の9時半というのがなかなかシビアだ.しかも新横浜発6:18ののぞみで間に合ってしまうということで朝早起きして京都入りしたのだが,京都はなんと土砂降り.ものすごい雨で烏丸今出川の駅から一歩も出られず.結局ちょっと雨脚が弱まったところでタクシーを拾ったが半分ずぶ濡れでの会場入りと相成った.
なお本日誌においては発表者の先生方の敬称は略させていただくことにした.また発表者のみお名前を上げて共同研究者の名前も省かせていただいた.


大会第一日(8月31日)


第1コマ目は恒例の夏の学校(エボデボ編)や「眼の起源と進化」も興味深かったが,去年に引き続き「哲学は何故進化学の問題になるのかパート2」に参加した.


最初に三中信宏の簡単なイントロダクション
簡単に歴史的記述科学についての概説.タッカーの面白そうな本の紹介のあと,歴史記述科学は,同じような現象の共通の要因を探る試みと途中の過程を再構成する試みだと説明した.


次は松本俊吉による「遺伝子選択主義を巡る論争を評価する」
ウィリアムズ,ドーキンスの遺伝子選択主義の主張に対して(ハミルトンが言及されないのは残念)ソーバーが行った批判,さらにそれに対してステレルニーとキッチャーの反論を取り上げていた.ソーバーはヘテロ優越や頻度依存的淘汰を取り上げて反論しているが,ステレルニーたちは文脈依存性があってはならないという基準自体が無効だと反論したという内容だった.ある遺伝子の適応度が異なる環境に対してそれぞれ異なることが何故遺伝子選択主義の反論になりうるのか少なくとも私にはさっぱり理解できない.やはり哲学は深淵だ.


次は田中泉吏による「『選択』のレベルをどう捉えるか」
D. S. ウィルソンの主張とステレルニー,キッチャーの主張が紹介される.群淘汰の雄ウィルソンは「複数レベル選択説」種,集団,個体,遺伝子それぞれに独自の選択プロセスが実在し,統合して進化が生じるという主張だ.これに対してステレルニー,キッチャーは「モデル多元論」を唱え,同じことを粒子のレベルでも集合のレベルでも記述でき,両者は同義であり,単なるものの見方にすぎないと論じた.さらに本発表では2002年にカーたちがとなえた「ゲシュタルトスイッチモデル多元論」が紹介され,両者は同義だが,両方を見ることにより,理解が深まるという「有用性」があるとする.
私の感想では集団選択,個体選択,遺伝子選択についてはステルレニーたちのいうとおりで見方の問題,「種」選択として大絶滅時のようなときに残りやすいか,より子孫種を生み出しやすいかなどの問題はもしかしたら別のプロセスとしてみた方がよいのかもしれない.「有用」かどうかは人間の認知の問題のような気がする.それよりも発表後の討論で,キッチャーは「実在」論が嫌いなのでこういうものにはとにかく「実在しない」方に乗るのだとか,とりあえずこう主張した方がインパクトがあるのだとかという話が面白かった.科学哲学者が科学者を観察対象にしているのに対し,科学哲学者自体を観察対象にすると面白いかもしれない.


次は森元良太による「遺伝子浮動はフィクションか」
まずフィッシャーとライトによる,実際上浮動は重要かどうかという議論があったことを前振りとして取り上げてから,本題はローゼンバーグの厳密に対象を知り得ない以上,生物学理論は実在せず,単に有用なフィクションにすぎないという主張.森元はこれに反論する.袋の中から玉を取り出す確率過程はヒトの恣意が介在するが,遺伝においては生物学的な理由で次世代にDNAを伝える確率過程であり,だから「実在」するのだという主張のようだった.私にとっては結局何が「実在」の条件か,そもそも「実在」するかどうかで何が異なってくるのか(何のために議論しているのか)がよくわからなかったので,この発表はよく理解できなかった.やはり哲学は深淵だ.
また最後の総合討論ではそもそも哲学サイドには「確率・統計的言明」をどう考えるかでまだ相当混乱があるようだということも窺えた.


最後に中尾央による「人間行動の進化」
進化心理学(EP)と人間行動生態学(HBE)の論争とその評価についての発表だった.この論争については余りよく知らなかったので参考になった.要するに人間行動生態学は単に動物行動生態学の手法をヒトに応用しようとしたのだが,心理が行動に与える影響を考えないリサーチプログラムだったためにキッチャーに厳しく批判され,それに反論できなかった.これが進化心理学の勃興のきっかけになった.そして両者の間の論争は進化心理学の完勝と評価できるという内容だった.
人間行動生態学はヒトの行動自体が可塑性を持つ適応性質と考え,チベットの一妻多夫制や伝統社会の婚姻システムをリサーチしてきたが,現在のリサーチの主流は狩猟採集社会の構造や,ヒトの生活史戦略に移っている.これに対して進化心理学は行動のもとになる心理が適応形質だと考える研究プログラムだということになる.
人間行動生態学の存在意義としては事実としての新しい知見の紹介(子供の採餌最適化行動など)や行動の際の環境要因の発見,さらに他種との比較を通じての人間進化の要因制約の発見あたりにあるのだろうということだった.



午後の口頭発表はまずC会場に

最初の発表は秦中啓一の「性比1/2または偏った性比の進化」
フィッシャーやハミルトンの性比理論の発展版を期待したのだが,実は格子状に生物が並んで近隣個体としか交尾しないとすると性比は1/2に近づくという内容.ある意味当たり前だし,実際の生物はそういう風には交尾しないのではないかと思う.


次は佐々木顕の「インフルエンザの抗原エピトープ連続進化モデル」
さすがに流れるような流麗なプレゼンが見事だった.内容はまずトリパノソーマのような病原体でのあるホスト個体内での進化モデル.これはホストの抗体反応に対して抗原が進化していくモデルだが,免疫の交叉反応をモデルに入れ込むと,抗原体が時にバーストしながら進化していく様子が描ける.これに対してインフルエンザの様なホスト間で感染が頻繁に生じる病原体をモデル化しようとするとホストの個体ではなくホストの集団に対してモデル化する必要が生じるため,ホストの免疫状態がホスト個体数に対して二重指数的に増加することになり,とてもモデル化しきれないという問題が生じる.ここで交叉免疫は過去感染したもののうち最も近い抗原に対して効く,免疫は感受性に対してではなく感染力に対して効くという仮定を入れてやるとうまく扱えるというもの.


3番目は大森亮介の「インフルエンザウィルスの2系統の共存条件」
インフルエンザウィルスが一度に2系統共存する条件について交叉免疫をモデルに取り入れて分析したもの.2系統のウィルスに対して未感染,感染,回復という状態を9つ定義し,ある状態から別の状態に移る推移モデルを微分方程式系にして解析した結果がグラフ化して示されていた.


ここでB会場に移動


吉田勝彦の「島の生態系は生物の侵入に弱い構造を持つか」
一般によく島の生態系は移入種の侵入に対して弱いということがいわれるが,それはどの程度正しいのかをモデル化して調べたもの.一定条件をモデル化すると島の生態系は植物の侵入に対して脆いという結果が得られた.これはモデルによると島の生態系では少数少量の植物が多くの動物を支えている構造になっているために,エサ植物の絶滅に対して多くの動物が絶滅することによると説明されていた.実際の野外データも示されていたが,まだ記載が進んでいないので予備的な結果にすぎないと注釈付であったがある程度フィットしており,小笠原のデータは特にモデルに近いものであった.生態系の表現にしてはモデルが簡単すぎるような気もするが結果は面白いと思う.


1つ飛んで
畑啓生の「農業する魚」
NHKの「ダーウィンが来た」で紹介されたというクロソラスズメダイが縄張り内に特定の海藻を飼育し,除藻まで行って農業しているという報告.この番組は見逃しているが,発見者の興奮が伝わってくる面白いプレゼンだった.縄張りは血縁個体ではなく受け継がれるそうだ.また新規縄張りにこの特殊な海藻がどのように伝わるのかについて質問があったが,胞子が定着するのを調べて選ぶのだろうということだった.


高見泰興の「性淘汰による交尾器形態の多様化は種分化を促進する」
なかなか面白い取り組みで,オサムシ類の交尾器の形態差が種分岐に効いているかどうかを系統図の枝長と分岐の大きさで数量的に処理して調べたもの.質問で,そもそも昆虫の分類自体が交尾器形質によっていることについて問われていた.この部分を定量化できれば面白いがという感想.


田中浩美の「アユの行動最適性から見た縄張りの形勢と崩壊」
アユが縄張り形成するときに数が増えてくると一部のあぶれオスが出始め最終的に群れオスになるが,数が増えていくときには群れオスの状態が長く,一気に縄張り形成になるためあぶれオスが出ないことを説明しようとするもの.それぞれの状態の適応度をモデル化して説明していたが,微分系による動態分析になっていないために肝心のダイナミックスの説明になっていないのではないかと思われる.質問への回答で増えていくときには最初に縄張りを持とうとしても群れオスが多くて防衛できないことが理解の鍵であることは示されたが,結局どういう閾値で縄張り形成に動くのかについては説明できていなかった.


佐藤正純の「量的性質を決める遺伝子の環境変化の下における個別の挙動」
多くの量的遺伝子がある場合に環境変化がゆっくりだと,まず小さな環境変化に対して小さな効果を持つ遺伝子座が淘汰を受け,環境変化の累計幅が大きくなるにつれて順次大きな効果を持つ遺伝子座にうつってきれいな形になるが,大きな環境変化のもとではそこが乱れるという内容だった.


いくつか飛んで
永居寿子の「九州大学伊都キャンパスに生育する先駆樹種カラスザンショウ集団のマイクロサテライトマーカー解析」
親樹が数本しかないカラスザンショウがギャップに生えてくるのだが,その遺伝子流動を調べたもの.図示に工夫があり,わかりやすい発表だった.


ここからは系統樹関連の発表が続いた.


渡邊日出海の「地理的隔離による種分化に着目した基準分岐年代の取得」
大陸分断,特にアフリカと南アメリカの分断データを使って系統樹分岐の基準点を得ようというもの.質問で,大陸分断は分岐の上限を示しているだけでそれより古い可能性がある生物種は含めるべきではないのではという趣旨のものがあった.このあたりの可能性をどう考えるか,特に定量化できるかが難しいのではという感想.


石渡啓介の「複数の核遺伝子による完全変態類昆虫の系統解析」
これまで論争のあった完全変態昆虫の系統樹,特にネジレバネ類についての発表.これによるとこのグループの中ではまずハチが分かれ,そのあと((コウチュウ・ネジレバネ)・カゲロウ)のグループと((ハエ・(ノミ・シリアゲムシ))・(トビケラ・チョウ))のグループに分かれるそうだ.


岡島泰久の「ミトコンドリアゲノムを用いたイグアナ下目の分子系統分析」
これまでまったく知らなかったが,イグアナ下目にはイグアナとカメレオンがいて,基本的に新大陸にイグアナ,旧大陸にカメレオンなのだが,何故かフィジーマダガスカルにもイグアナがいるそうだ.ということで分子系統分析をかけてみるとこれまでアガマとカメレオンに対して側系統だと思われていたイグアナが単系統であるという結果が得られた.さらに意欲的に地理的な分布について大陸分断と絡めた仮説提示を行ったのだが,これがプレゼンが稚拙で何を主張してるのかよくわからず質問でつっこまれていた.本発表に限らず地理的分布の仮説提示はよほど丁寧にすべての系統群について細かく時間的に区切って示さないとわかりにくい.また本発表を聞く限りではイグアナの分布についての仮説もあまり説得力はないように感じられた.


北添康弘の「有胎盤類の起源について」
系統樹トポロジーを得ようとする場合と分岐年代を推定しようとするときには異なる手法を使うべきだという発表.年代を得る場合には算術平均ではなく調和平均を使うべきだという主張は速度が問題になっている以上もっともだと感じられる.これまでそこが問題にならなかったとすればそれは不思議だ.これによると有胎盤類の起源は80-90百万年前になるそうだ.


沓掛磨也子の「社会性アブラムシのゴール修復行動の分子基盤及びその進化」
モンゼンイスアブラムシでは兵隊アブラムシによる自己犠牲的なゴール修復行動がみられるそうだ.その動画の紹介ななかなか魅力的だった.発表自体はもともと体表の修復機構であった機能がゴール修復に転用されているのではないかというもの.


一部省略だが,9時半から一気に18時半まで,聞く方も結構ハードな日程だった.帰りは農学部前から西向きで203系統のバスに乗ったのだが今出川通りを直進せずに何故か京阪三条に連れて行かれた.京都のバスは難しい.もっとも夕食をとるにはむしろ好都合.おいしい京野菜パスタにありつけた.(この項続く)