Virtue Signaling その4


amzn.to

第3エッセイ なぜわざわざしゃべるのか

 
次のミラーのエッセイは言語について
 

  • 1990年代,私はポピュラーサイエンスの雑誌である「New Scientist」誌の大ファンだった.私の最初の本「The Mating Mind」に対しては好意的な書評を掲載してくれたし,執筆者や編集者に知り合いもできた.2002年に彼等は「科学におけるビッグクエッション」という特集を組むことにし,私に寄稿するようにいってきた.
  • 当時何がビッグクエッションなのかはよくわからなかったが,言語と信号理論についてはしばらく考えていた.「The Mating Mind」においても言語について1章をさいたし,1994年に出たピンカーの「The Language Instinct」,1996年のダンバーの「Grooming, Gossip, and the Evolution of Language」,1997年のディーコンの「The Symbolic Species」に魅せられていた.それまで100年間も評判が悪く単に思弁的であるに過ぎないと思われていた「言語の進化」への興味についてのルネサンスが1990年代に始まりかけていたのだ.
  • しかしこれらの言語進化理論はキーイッシューを見逃していると思った.これこそビッグクエッションだ.これらの理論はみな人々がなぜ情報を持っている他人の話を聞くのかを説明していた.しかしこれらはそもそもなぜヒトは内容のあるコンテンツを話すのかについて説明していなかった.それがこのエッセイの焦点だ.

 
確かにこれらの本はみな90年代に出版され,非常に刺激的だった.ピンカーとダンバーについては出版直後に入手して読んだことを思い出す.
 

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.) (English Edition)

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.) (English Edition)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

  • 作者: スティーブンピンカー,Steven Pinker,椋田直子
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1995/06/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 17人 クリック: 151回
  • この商品を含むブログ (68件) を見る
Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

The Symbolic Species: The Co-evolution of Language and the Brain (English Edition)

The Symbolic Species: The Co-evolution of Language and the Brain (English Edition)

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

 

How did language evolve?   In H. Swain(Ed.) Big Questions in Science, pp. 79-90 (2002)

 

  • 私たちはしゃべる.チンパンジーはしゃべらない.なぜだろうか.言語を説明することはヒトの進化におけるビッグクエッションであり,進化心理学にとってもキーになるチャレンジだ.しかし動物のコミュニケーションを調べれば調べるほどヒトの言語は謎めいて見えるようになる.
  • 25年前には言語を説明するのは容易だと思われていた.ジョン・ファイファーは1960年代の後半に「言語は後期旧石器時代革命と同時に進化したに違いない」と論じた.ヨーロッパで4万年前に生じた突然の洞窟絵画や彫刻や埋葬儀式や複雑な道具の出現と同時に言語も現れたと説明したのだ.フィリップ・リーバーマンは1970年代の初めに喉の化石の構造から見てネアンデルタール人は言葉をしゃべらなかったと主張した.そしてコンラード・ローレンツのような動物行動学者は「動物は世界についての有用な情報を共有する」というさらにナイーブな見解を持っていた.
  • これらの主張を合わせるとこぎれいな物語になる.「言語はヒト以外のどの種にも現れなかった.それはヒトにおいてのみ4万年前にグループ内で情報を共有するために進化した.一旦言語が進化すると私たちはすぐに文化,文明,そして引用カウントを発明した」

 

  • 問題は新しく得られた証拠に照らし合わせるとこれらの主張はなり立たないということだ.
  • 言語が4万年前に進化したのなら,サブサハラアフリカの人々やオーストラリアアボリジニが言語を持っているのをどう説明するのだろうか.言語がヒトのユニバーサルで,サピエンスが少なくとも10万年前にアフリカに出現したのであれば,その時点で言語はあったはずなのだ.古生物学者はネアンデルタール人についてのリーバーマンの主張も覆した.確かに彼等はサピエンスの言語の母音のいくつかを発音しにくかったかもしれないが,その喉の構造は全くしゃべれないというものではなかったのだ.
  • 最も重要なのは1978年にドーキンスとクレブスが動物コミュニケーションについての考え方を革新してしまったことだ.彼等は動物たちが有用な情報をライバルである同種個体に広く共有しようとするはずがないと指摘した.そのような共有は利他的であって進化するのは難しいのだ.
  • このドーキンス/クレブス革命以降,生物学者は動物たちが送っている信号のほとんどは世界についての情報などではないことを見いだしてきた.それは送信者の情報だったのだ.
  • 多くの動物信号は送信者の種,性別,年齢,場所を示す.それ以外では送信者のニーズというものもある(鳥のヒナが餌をねだる場合はそうだ).そして最もありふれているのは送信者の質を示すものだ.その健康,エネルギーレベル,頭の良さ,優れた遺伝子を示して,捕食者をあきらめさせ,性的ライバルを撤退させ,求愛するのだ.それは例えば「僕は健康なオスだよ,交尾しよう」といっているのだ.シグナル自体は込み入っているいることもあるが,そのメッセージは驚くほどシンプルなのだ.
  • 動物は滅多に世界のありようについての情報の交換をしない.確かに働き蜂は餌のありかをダンスで示すし,警戒コールを行う動物もいる.これらの信号であっても,それはシンプルで定型的だ.そしてそれ以外の場合動物たちは世界の情報に対しては非常に寡黙なのだ.
  • これらを考えると,ヒトの言語は進化的視点から見て謎に満ちている.なぜ私たちは真実でもなく,誰かに関わり合いがあるわけでもないことをわざわざしゃべるのだろう.ここで進化的に見ると,誰かのためやグループのためにしゃべるというのは説明にならないこと,言語が何らかの突然変異で一気に現れたりしないことを理解しておくのは重要だ.
  • 心理学,言語学,遺伝学の証拠からみてヒトの言語は複雑な適応産物だ.それは漸進的に進化したはずであり,発言者のメリットがコストを(平均して)上回り続けたことを意味する.コストとは有用な情報をライバルに与えてしまうことだ.では発言者のメリットは何だろう.多くの議論は発言者のメリットを考察していない.これはピンカーやビッカートンやディーコンの議論の弱点だ.そしてこれは(言語の理解のみを調べる)類人猿言語リサーチプロジェクトの弱点でもある.
  • ロビン・ダンバーの議論はこのメリットを考慮している.彼は言語は類人猿の毛繕いの延長だと主張した.グループ内での社会関係を築くことができるのは発言者のメリットでありうる.
  • ダンバー説の問題は,なぜおしゃべりにコンテンツがあるのかを説明できないことだ.毛繕いの延長なら単に意味のない声を出して歌っていても十分なはずだ.ダンバーは毛繕いの延長だからこそ私たちの会話のほとんどは無意味なのだと冗談めかして語っているが,しかしその内容が無意味だとしても,そもそも天気やカリフォルニアの電力事情について話すのはなぜなのだろうか.

 

  • この問題を解決するには1986年に人類学者のロビンズ・バーリングが提唱した理論をアプデートする必要があると考える.バーリングはすべての社会で男たちはその発話能力で社会的地位を得るのであり,その社会的地位は魅力的な女性たちとの繁殖機会で報われるのだと主張した.つまり言語は鳥のさえずりを同じく性淘汰産物だということだ.
  • 問題はバーリング説はなぜ女性もしゃべるのかを説明していないことだ.多くの性淘汰装飾はオスのみに発現する.多くの動物ではオスが求愛アピールを行い,メスが選ぶからだ.鳥のメスはさえずらない.ではなぜヒトの女性はしゃべるのか.
  • 「The Mating Mind」において私はなぜ男性も女性も面白いことを言おうとするのかを理解しようと試みた.多くのほかの霊長類と異なり,ヒトは長期的性的関係を形成し,その中で子どもを作り育てる.ヒトの男性はどの霊長類のオスよりも子育てに投資するので,長期的相手を選ぶときにより選り好もうとするのだ.祖先の男性が女性の相手をしゃべる能力に基づいて選り好んだら,女性もしゃべるように進化するだろう.つまり双方向配偶者選択が言語能力が両性に見られることを説明する鍵になる.
  • バーリング説はダンバー説と同じく,コンテンツの問題を解決できていない.私は脳の大きな動物は求愛時に何を見せびらかすようになりやすいのかを考えるといいと思う.知性が生存と社会生活にとって重要ならそれを求愛相手に広告するのは良い考えだ.そして言語は豊富なコンテンツを扱えるのでそのインディケーターとして特別に優れている.私たちは思考やフィーリングを言葉に込める.だから求愛相手はその思考やフィーリングに触れることができるのだ.私たちは言語を通じて相手の心を読むことができる.だから(単に身体や装飾ではなく)その心によって相手を選り好むことができる.ほかのどんな動物にもこんな事はできない.
  • 言語は,私たちの祖先が配偶相手を相手が考えていること,覚えていること,想像できることを元に選んだからこそ進化したのだ.先史時代のシラノやシェラザードは(口べたな)ホーマー・シンプソンよりうまくやれただろう.彼等はいつも真実をしゃべっていたわけではない.しかし彼等の言語能力は彼等自身について,その質の高さやパーソナリティについては真実を語っていたのだ.そしてそれこそ配偶相手を選ぶ上では重要なのだ.
  • 現在言語は単に求愛に使われているだけではない.しかしその起源は,その他の動物の複雑なシグナルと同じく.祖先たちが恋に落ちたやり方にあるのだと考えている.

 
改めて読んでみて,この言語起源性淘汰産物説は説得的だと思う.言語はしゃべっている内容の真実性を担保するようにはデザインされていない.しかし発言者の質については確かに真実を語っているのだ.今日この説明は言語進化周りであまり聞くことはないが,再考に値するものだろう.おそらくミラーもそう考えてここに収めたのだと思う.

Virtue Signaling その3


amzn.to

第2エッセイ ハンディキャップ原理

 
第2エッセイはザハヴィが提唱し,グラフェンが数理モデル化して世に受け入れられたハンディキャップ原理が採り上げられている.オリジナルはザハヴィの本への書評文であり,この書評についての解説はこうなされている.

  • スタンフォードの院にいたとき(1987~1992),私は配偶者選択型の性淘汰の理論とリサーチに取り憑かれていた.それはとても魅力的で力強く刺激的な進化プロセスに思えた.私はピーター・トッドと性淘汰のコンピュータシミュレーションアルゴリズムを開発し,共著で論文を書き,学生に性淘汰を教え,1993年にヒトの脳の増大を性淘汰で説明する論文を書いた.この論文はその後「The Mating Mind」につながった.
  • 性淘汰の様々な理論を吟味しているときにアモツ・ザハヴィのハンディキャップ原理の論文(1975)に出合った.それは非常に反直感的な議論でその真偽は当時進化生物学の大きな論争になっていた.しかしそれは私に突き刺さった.一旦ザハヴィのアイデアになじむとその適用範囲はあらゆる場所に広がることが実感できる.1990年代の中頃にはザハヴィのアイデアは最も深い進化理論の1つだと考えるようになっていた.それは進化心理学だけでなくゲーム理論,信号理論,消費理論,政治にも適用可能だ.そしてそれはヒトの「Virtue Signaling」のコアにあるのだ.
  • だから私はザハヴィ夫妻が1997年にハンディキャップ原理を解説する本「The handicap principle」を出版したときには大変嬉しかった.そしてEvolution and Human Behavior誌にこの書評を書いた.
  • 1年後この原理に関するカンファレンスをロンドンで開いた.そしてザハヴィその人を講演者の1人として招くことができた.ザハヴィは「ハンディキャップ原理が,単に性淘汰装飾だけでなく,私たちの行動についての理解を深めるかについての素晴らしく刺激的で野心的な講演をしてくれた.そしてそのヒトの行動には「Virtue Signaling」も含まれるのだ.

  

The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle (English Edition)

The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle (English Edition)

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

  • 作者: アモツザハヴィ,アヴィシャグザハヴィ,長谷川眞理子,Amotz Zahavi,Avishag Zahavi,大貫昌子
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 2001/06/10
  • メディア: 単行本
  • 購入: 2人 クリック: 17回
  • この商品を含むブログ (8件) を見る
 
 

Book review of ‘The handicap principle’ by Amotz & Avishag Zahavi Evolution and Human Behavior, 19(5), 343-347 (1998)

 

  • 進化は効率性を最大化する.でしょ? 自然淘汰は適応度を最大化し,コストを最小化するように働くはずだ.このダーウィニアン効率性原理は明白で普遍的に思われる.
  • しかしこの重要で魅惑的で突飛な本はこの効率性原理が成り立たない状況を指し示す.それはとても特異的で限定的状況のように思われるかもしれないが実際には非常に広い.ハンディキャップ原理は,ある生物個体が別の生物個体に自分の「質の高さ」を示そうとするときに,唯一の可能な方法はそれを大きな適応度コストとして示すことだと主張するものだ.つまり「効率的な」シグナルでは質の高さを伝えられないのだ.馬鹿げた無駄遣いでしかそれを示すことはできない.(クジャクの羽の例をあげて具体的な説明がある)
  • この考えは奇妙で反直感的に思えるが,しかし私は正しいと思う.そしてこれは進化心理学とヒトの行動について非常に広いインプリケーションを持つ.
  • この原理はダーウィンの性淘汰理論,ハミルトンの血縁淘汰理論,トリヴァースの互恵性理論に比肩できるほど重要だ.そしてそれは配偶者選択リサーチの基礎となり,利他行動について血縁淘汰に対するラディカルな代替理論を提供する.本書には推測も多く含まれ詳細には誤りも含まれるだろう.しかし本書は進化生物学者と心理学者にとっては必読書だ.

 

本書について

 

  • 本書はザハヴィ夫妻によって書かれ,その娘夫妻によってヘブライ語から英語に翻訳されている.美しいクジャクの羽の絵がデザインされたカバーが掛かり,素晴らしいイラストにあふれている.
  • 4ページのイントロダクションで彼等の議論が簡潔に要約されており,例としてはガゼルのストッティングが使われている.この例は生物学的なゲームで真にゼロサムであるものは非常に少ないことをよく示していると思う.捕食者と餌動物でさえ時に共通の利益を持ち,それがコミュニケーションの基礎となるのだ.
  • 本書ではハンディキャップ原理を用いた信号の例が広く何百も紹介されている.その中には警告色,オス間の儀式的闘争,配偶者選択,親子コンフリクト,社会性昆虫のフェロモンシステム,鳥の共同ねぐら,そして粘菌の細胞間のシグナルが含まれる.
  • いくつかの章の議論は非常に説得的で,いくつかの章のそれはやや怪しげだ.しかし通説に挑戦する著者の気概は新鮮だ.読んでいくとなお多くの動物行動がまだグループ淘汰的なフレームで理解されていることに気づかされる.ザハヴィはそのような(いかがわしい)議論を強い怒りと皮肉を込めてたたきつぶしている.本書の理論的明晰性と革命的オーラは大学のセミナーでのケーススタディにもってこいだろう.

 

ハンディキャップ理論の苦難

 

  • ハンディキャップ原理は最初1975年に(つまり20年以上前に)アモツ・ザハヴィによって提唱された.それは性淘汰を巡る理論生物学に論争を巻き起こした.そしてごく最近1990年代になってから受け入れられ始めた.それでもまだ多くの生物学者にとってこの原理は,ネッカーキューブのように,あるときに自明に思え,そしてあるときには数理生物学の深い謎あるいは矛盾に思えるようだ.
  • 自明というのは校庭で子どもが何かを主張するにはとんでもないことをやらかすのが一番であるのは明らかだし,ウェブレンの顕示的消費の議論にも似ているところがあるからだ.
  • 片方で矛盾というのはこういうことだ.ハンディキャップ原理は信号が効率的な信号であるためには非効率的な無駄を要求されることを意味する.しかしこれは適応の基本的基準である効率性,安定性,種内普遍性,複雑性と相容れないように思われるのだ.ハンディキャップシグナルは非効率的で,安定性がなく(個体が少しでも弱ると信号は瓦解する),種内で異なるのだ.そして複雑である必要はない,単にコスト高であればいいのだ.
  • いずれにせよハンディキャップ原理の存在により適応の同定については新しい基準が必要になった.進化心理学のヒトの行動の適応を同定する基準にも改定が必要だ.
  • 1つの例は音楽だ.これまで多くの論者が音楽についてその才能に個人差が大きく,コスト高で機能がなさそうであるので適応ではないと見做してきた(ピンカーのチーズケーキ説はその1つだ).しかしハンディキャップ原理によるとこれはまさに質のシグナルとして期待される特徴になる.
  • 実際に本書は方法論的な悪夢であり,多くの論者にとって受け入れがたいかもしれない.ザハヴィは本書において様々な戦略の共進化を提示しているが,正式なゲーム理論モデルとそのナッシュ均衡の形を用いているわけではなく,示している均衡がただ1つであることも示していない.多くは反直感的な機能的仮説の形で示され,実験的証拠や信号の変異が機能にどう影響を与えるかの議論を提示していない.フィールドの観察とその機能についての推測が述べられているだけだ.
  • 著者については読むものの視点によって(1)ドーキンスを超えるハイパー適応主義者(2)フロイトのような興味深いエセ科学者(3)ヴィクトリア朝博物学者(4)動物の信号理論,性淘汰理論,血縁淘汰理論,利他行動理論に新しい活力を吹き込む情熱的で創造的な生物学者など異なって見えるだろう.私はこの最後の視点をとる.

 

  • しかしながらヒトの行動に適応主義を適用することに懐疑的な生物学者は次のようなことを指摘するだろう.「それはいかにもパングロス的だ.もしヒトの心の特徴が効率的で安定性がありユニバーサルであればそれをダーウィニアン適応と呼び,しかしそれが非効率的ですぐに瓦解し個体差が大きいのならそれはザハヴィアンハンディキャップと呼ぶというのだから.適応とハンディキャップの基準が完全な相補性を持つ以上,それは何も説明できていないだろう」
  • この非難を避けるために進化心理学者は適応を認識するための方法論的基準を持たねばならない.
  • ハンディキャップ原理は,個人差は大きく,遺伝性が高く,多くのヒトの社会的経済的文化的求愛的行動は互いに自分の質の高さを広告しているものだということを示唆している.これはコスミデスたちのヒトの心のユニバーサルな特徴についての標準的な見方と異なるものになる.ハンディキャップ原理は個人差について進化心理学に再考を促しているのだ.おそらくハンディキャップ原理は進化心理学と行動遺伝学の奇妙な愛と憎しみの関係の橋渡しをすることができるだろう.

 

利他性

 

  • 本書の目玉は第12章におけるアラビアチメドリの観察を元にしたザハヴィの互恵性利他仮説への力強い批判だろう.ザハヴィはこの群集性の鳥を30年にわたって観察し,多くの利他行動を見つけた.彼等は捕食者に対する見張り役(歩哨)として行動し,非血縁個体と餌を分け合い,共同営巣し,捕食者にモビングする.
  • 互恵性利他仮説は彼等が(他個体に利他行動を押しつけようと)騙し合おうとすることを予測する.しかしチメドリたちは逆に利他行動を行うことを競い合うのだ.優位個体は積極的に歩哨役を務め,それを代わって行おうとする劣位個体を攻撃する.ザハヴィは優位個体は利他行動をハンディキャップシグナルとして自分の質を広告しているのだと主張している.
  • 特に興味深いのはザハヴィがハンディキャップ原理を利他行動についての(ゲーム理論的な精査にも耐えうる)グループ淘汰的議論に用いていることだ.
  • ザハヴィは2つの鳥のグループを想定し,質の広告のハンディキャップシグナルとして片方のグループは浪費的な餌の散財を,片方のグループはコストの高い利他行動を用いた場合を議論している.どちらのシグナルもゲーム理論的にはパレート最適な均衡になっていて,グループはそこから動けない.しかしグループ間では利他行動をシグナルとするグループの方が有利になる.
  • これはよくある伝統的なグループ淘汰とは異なり,(利他的行動シグナルは結局その個体の利益につながっているから)グループ内での個体利益とグループ利益のコンフリクトは存在しない.しかしながらそれは(ヒトに見られるような)純粋の利他行動への橋渡しをすることができるかもしれない.それは性淘汰を受けたハンディキャップ型利他主義ということになる.

 
 
私がハンディキャップ理論を最初に知ったのはドーキンスの「The selfish gene」の邦訳初版(当時の邦題は「生物=生存機械論」というひどいものだった.1980年)で,こんなとてつもない議論があるのだと(やや懐疑的に)紹介しているのを1986年頃読んだときだ.そしてその後「利己的な遺伝子」に改題された第二版(1991年)で,それはおそらく正しいのだとグラフェンの数理モデルの要旨と共に註において解説されていた.そしてそのグラフェンの数理モデルが論文として出版されると共に行動生態学で受け入れられていく.このグラフェンの数理モデルは大変重要な仕事だと思うが,日本語で数理的な詳細が解説されているものは私が知る限りない.大変残念なことだ.
 

利己的な遺伝子 (科学選書)

利己的な遺伝子 (科学選書)

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1991/02/28
  • メディア: 単行本
  • 購入: 8人 クリック: 102回
  • この商品を含むブログ (113件) を見る

提唱者ザハヴィ自身による「The handicap principle」は出版直後にニューヨークの書店で発見してそのまま読み始めた記憶がある.様々なイラストと共に説得的な議論が展開され非常に面白かったのを良く覚えている.私が手にしたハードカバーも表紙カバーはクジャクだった.ミラーが「Virtue Signaling」の表紙にやはりクジャクの羽を使っているのは,このザハヴィ本へのオマージュでもあるのだろう.
 
アラビアチメドリの見張り役に関するザハヴィの議論も印象的でよく覚えている.現在ではハンディキャップ原理による利他性の説明は,血縁淘汰や直接互恵性,間接互恵性を補足するものとして捉えられていることが多いと思う.グループ間で異なるシグナルが用いられたときの利他行動がシグナルになったグループの有利性の議論がこの本にあったことは忘れていた.この議論はまさに「協力的な種」でボウルズとギンタスが得意そうに「弱いグループ淘汰」として定式化していた議論そのもので,彼等があそこにザハヴィを引用していないのはまたも醜悪な取り扱いだといわざるを得ないだろう.

 
いろいろ問題含みのボウルズとギンタスの「協力する種」.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

  • 作者: サミュエル・ボウルズ,ハーバート・ギンタス,竹澤正哲,高橋伸幸,大槻久,稲葉美里,波多野礼佳
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2017/01/31
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (47件) を見る

書評 「思考と意味の取り扱いガイド」

思考と意味の取扱いガイド

思考と意味の取扱いガイド

  • 作者: レイ・ジャッケンドフ,大堀壽夫,貝森有祐,山泉実
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る


本書はレイ・ジャッケンドフによるこれまでに形作ってきた思考や意味についての考え方をまとめた本になる.ジャッケンドフはもともとチョムスキーのもとで生成文法を学び,その後認知的視点から言語,思考,意味について考察を深めてきた.その考察は膨大なものになるが,本書ではエビデンスの詳細には踏み込まずに,ジャッケンドフのアイデアの筋道を語る形になっている,
 

第1部 言語,言葉,意味

 
冒頭で「言語と思考の関係はどうなっているのか」という問題が提起される.そしてジャッケンドフはこの問題を取り扱うにあたって「日常的視点」と「認知的視点」を峻別し,本書はどこまでも認知的視点から問題を考察していくという方針を示す.そして過去多くの認知科学からの言語への取り組みは「文法」を考えるものだったが,本書は「意味」を考えるのだとする.そして本書は「思考と意味はほぼ完全に無意識的である」ことを読者に納得させるために書かれたと宣言する.なかなかスリリングな始め方だ.
 
ジャッケンドフは最初に「言語とは何か」を扱う.まず(チョムスキー直伝の)心的文法を解説し,具体的な場面ではまず伝えたい思考が先にあり相手も同じ心的文法を持つことを前提に心的文法を用いて発話するのだとする.

  • 個別の言語とは各人の頭にある心的文法を便宜上同じものと見做して理想化したものであり,だから言語は話者の頭の中にある.
  • これは認知的視点からの見方であり,多くの哲学者は日常的視点から考え言語を話者から独立した抽象的な存在物として扱っているので話が噛み合わないのだ.(またこの2つの視点の違いは脳神経学的視点に「還元」しても解決しないともコメントしている)

 
ジャッケンドフは「意味」に話を進める.

  • 語の意味も視点により変わってくる.語によっては単一の視点からしか意味を持たないものもある(「洗濯物」「がらくた」には日常的な意味しかないが,「微分可能」「c制御」には専門的な意味しかない).意味は視点に部分的に依存している.
  • 「語」は,物理的視点から見ると音響特性があるだけだが,認知的視点から見ると人々の頭の中にある体系の一部であり,それぞれ個人的な心的辞書に格納されていることになる.そしてこの視点から見ると「語の理解」とは,部分的にはその音と既に知っている音の最も良い合致を見つけることであり,部分的には話者が何について話しているのかを推測することだ.これらは無意識的に行われる.そしてどこまでが同じ語でどこからが同音異義語であるかも視点に依存する.
  • さらに「mean: 意味する」という語を分析すると極めて複雑な状況が現れる.これはまず客観的用法として翻訳,定義,実演,説明を表し,さらに連関を表すこともあり,その場合には因果,意図が表現される.文法フレームによっては影響を表すことができる.また登場人物の主観的なとらえ方,連関という用法もある.この上に「mean」には「意地悪な」「平均値」という意味もある.(ジャッケンドフはこの極めてゴテゴテした状況はごく普通なのだと強調している)

 
ここまでもかなりややこしいが,実は意味について考察するための準備段階だった.ジャッケンドフは「意味とは何か,どこにあるのか」に話を進める.代名詞「これ」や「文」の有意味性は何と関係しているのか.プラトンは語の意味についてイデアを持ち出した.一部の言語学はこれまで語や文の意味を抽象的な「深層構造」や「論理形式」から考察してきた.これらのアプローチの結論は「我々は意味を直接認識できない」ということだとジャッケンドフは言う.意味は(意識から)隠れているのだ.そして意味の性質を整理する.

  1. 意味は発音と結びついている(ソシュールの恣意性)
  2. 文の意味はその部分の意味から組み立てられている(フレーゲ流の構成性)
  3. 翻訳は意味を保持しなければならない
  4. 意味は言語と世界を結びつけなければならない(指示機能)
  5. 意味は相互につながっていなければならない(推論機能)
  6. 意味は隠れたものである

音と意味のペアの意味サイドは「それと結びついた音声が有意味であるという感覚」を生みだすことを除けば無意識のものだというのがジャッケンドフの主張になる.さらに意味が視覚イメージではあり得ないこと,語の意味は(認知的視点では)連続的であり離散的ではないこと(ウィトゲンシュタインの家族的類似性*1)を説明し,さらにフレーゲ流の構成性を語用論を用いて拡張する(推意と談話の接続,省略.指示転移.アスペクト共生が解説されている).
 
そしてジャッケンドフは言語と思考の関係に進む.

  • 語の意味が概念だとすると,文の意味はそれが表現する思考になる.しかしすべての概念や思考が語や文の意味だとは限らない.多くの概念や思考は言語でうまく表すことができないのだ(例として明暗パターンの詳細,楽器の音色などが挙げられている) 
  • 哲学者は「命題」について議論するが,それは話し手から独立して真か偽を決められるものであり,思考そのものではない.
  • 概念や思考は言語のようなものだとする議論もあるが,概念や思考自体は発音を持たず,発音と結びついているだけだ.このような議論は発音は単なる音に過ぎず非本質的だと考えているのだろうが,認知的視点に立って言語がどのように話者に機能するかを考えれば発音は極めて重要だ.

そしてジャッケンドフは最後にサピア-ウォーフ仮説にもコメントする.仮説支持者は様々な例(位置関係を山の斜面の上下で表すツェルタル語,ジェンダーを持つ言語の話者と持たない言語の話者に表れる連想の差など)を引き,それらは確かに違いを示しているが「大勢に影響はない」とする.そして人々の考え方の違いには,言語よりも文化や政治的立場の方があるかに大きな影響があると指摘する.思考の根本的な違いを生みだすのに言語の違いは必須ではないということだろう.
 

第2部 意識と知覚

 
ジェッケンドフは第1部で提示した「意味は隠れている」ということを深く掘り下げる.

  • プラトンのイデアは言語を外在的なものと捉える視点によるもので,人々が言語をどのように使うかを説明するには役に立たない.ある意味,プラトンは「意味は我々からあまりに隔たったものだ」と考えているといってもよい.
  • 認知的視点に立つなら意味は我々に近しいものであり,心のなかのアクセスできない部分(つまり無意識)にあるのだ.我々は発音のまとまりが有意味であるときも,その意味を直接知覚できない.我々が意味の存在を意識するのは発音が意味と結びついて知覚可能な「取っ手」として働くからだ.(これをジャッケンドフは意味の無意識仮説と呼んでいる)

 
ではこの仮説はどう検証されるのか.ジャッケンドフは仮説が支持できることを示すいくつかの現象をあげている.

  • 同じ意味を表す2つの文を前にその共通の意味は何なのかを述べるのは難しく,言い換えを繰り返すしかない.
  • アスペクト強制がどんな意味を付加しているかを説明するのも実は難しい.
  • 「考えが閃いたが,どう表せばいいかわからない」という状況は,意味が無意識にあるのだが発音の取っ手が提示されないために表に出てこられないという状況だと解釈できる.我々が思考の内容を意識できるのは発音と結びついているときだけなのだ.

 
ここからジャッケンドフは「意識とは何か」という問題に進む.意味の時と同じように「consciousness: 意識」「conscious: 意識している」という語の分析を行ったあと,哲学史的に解説を行う(デカルト,フロイト,行動主義,認知革命,ハードプロブレムまで扱われている).

  • 「意識とは何か」に答える良い方法は脳の視点,認知的視点(コンピュータ的視点)に立つことであり,そうすれば「ニューロン発火と情報処理のいかなるパターンが経験のいかなる側面と相関するのか」を問うことができる.
  • なぜそれが経験を成立させるのかを知るにはハードプロブレムが立ちふさがるが,それに答える前にも多くの進歩を期待できる.

 
ジャッケンドフはもう一度意味の無意識仮説に戻り,さらに掘り下げる.

  • 認知的視点からは言語表現は音韻論(発音),統語論(文法),意味論という3つのデータ構造からなっている.意味論は思考に関わるデータ構造ということになる.意味の無意識仮説からするとこの3つのデータ構造で思考の経験と最も近似するのは音韻論になる.
  • つまり発音が意識的思考の主要な認知相関物になる.この結びつきが発音の有意味性の感覚を生む.心/脳は音韻,文法,意味の構造を結びつけなければならず,結果的に音と意味が一体になる.
  • 外部からの音はまず無意識の聴覚入力で処理される.そして意識的な心のなかで既存の発音と結びつきがあるか調べられ(イメージモニター)イメージの存在感覚(特性タグ)を意識の認知的相関物として生む.さらに発音と思考の間に結びつきがあるかどうかが調べられ(有意味性モニター),「取っ手」のあるものは有意味性の感覚(特性タグ)を意識の認知的相関物として生む.それは無意識の思考につながる.この中間部分が意識的思考になる.

 
ここでジャッケンドフは意味の無意識仮説と対立する考え方を扱う.知性(思考)と意識を同一視する考え方,「意識はニューロンの一般的特性だ」という考え,「意識は1種の執行部だ」という考え,「意識はメタ認知だ」という考え,「意識は広域作業空間だ」という考えに,これらは人が頭の中で言語として「思考を聞く」という経験に注意を向けず,意味と発音にかかる2つの異なるデータ構造を分けて考えていないのだと批判している.
 
ここからジャッケンドフは言語の認知処理と視覚イメージの認知的処理の類似性を提示する.

  • この2つの認知処理には多くの平行現象が見られる.視覚認知処理で「発音」にあたるのは視覚表層になる.視覚認知において,多義的図形の認知,イメージの補完,矛盾した内容の表現が観察できる.視覚イメージが成立するには膨大な量の(無意識的)心的計算が関わっている.
  • それは言語の認知処理でも同じで,膨大な無意識の過程がある.
  • ではこの2つの認知処理は思考とどう関わるのか.「空間構造」にはより視覚的処理が相関し,「概念構造」にはより言語的処理が相関するだろう.そして空間構造と概念構造は無意識の中で結びついて思考を形成する.

ジャッケンドフはこの2つの認知処理と2つの構造がどう結びつくかを,さらにタイプ/トークンの概念構造の差をどう処理するのかという例を用いて詳細に論じている.また似たようなことはほかの感覚の認知処理でも生じていることにも触れている.
 
ジャッケンドフは「特性タグ」についても掘り下げる.

  • 特性タグは経験の全体的な性格を特徴付ける.
  • 視覚的認知の場合,外部世界の何かを見たとき,光が目に入り,脳は視覚表層を作る.これは視覚的意識の認知的相関物だ.
  • この時これは頭の中ではなく外部世界の現実だと認識する.(視覚的経験を鮮明にイメージしただけの時と比べてみて)それは視覚表層と目からの入力の間に結びつき(現実性の特性タグ)があるから現実と認識できると考えるべきだということになる.
  • 有意味性や現実性以外の特性タグとしては,親近性と新奇性,肯定性と否定性,聖なるもの,自己制御性と非自己制御性(自由意思と深く関わる)がある.(それぞれ詳細に議論されていて面白い)

 

第3部 指示と真理

 
第3部では意味のいくつかの特徴が掘り下げられていく.まず最初に「意味の指示機能:意味(の少なくともその一部)は世界と結びつくことができる」を取り上げる.ここは難解だ.

  • いかにして言語で表現されたものが外部世界と結びつくのか.言語使用者は知っている個物に対しそのトークン特徴を付与した概念構造をコード化する.それはすべての内容特徴と特性タグの両方が組み合わされており「指示参照ファイル」と呼ぶべきものになる.言語表現はこの支持参照ファイルに結びついていれば外部世界の何かを指示することになる.言語についてはただこれだけだが,認知的視点に立つと,問題は人が指示を行うために言語表現をどう使うかということになる.
  • 言語哲学はしばしば日常的視点に立っているために,人によって指示参照ファイルが異なる場合「『あのマティーニを飲んでいる男』が本当は水を飲んでいればどうなるのか」などの問題で身動きが取れなくなる.しかし認知的視点に立てば,話者と受け手が互いに理解するに至ったかどうかだけを考えればよいことになる.
  • メタ形而上学は,実在論「あるものは実在するのか」とデフレーション論「我々は実在をどう語るのか」の問題を分けるように発展してきているが,第3の視点認知的立場をまだ発見していない.この立場に立つと形而上学的な問いは「人の心はどのような種類の存在物を世界に登場させているか」になる.話し手は聞き手に対して代名詞を使って同じ視覚表層からあらゆる種類の解釈を引き出すことができる.これらは空間構造や概念構造にコード化され,指示参照ファイルを獲得する.(種類として物体,物体のタイプ,音,場所,動作,長さなどの例が解説される)これらは対象の存在ではなく,我々の理解に関わるものだ.

さらにジャッケンドフは,これらが対象そのものではなく対象についての絵画,お話し,話者の想像(思考)となったときの状況を解説し,画像について考えたり話したりするのと,思考について考えたり話したりするのはほぼ同じ方法によっていることを示し,思考についても指示参照ファイルがあるとする.また,我々は無生物,生物,人を異なる存在として理解し,「人には身体と魂があり(異なる存在として別々の特性タグがつきうる),社会関係,社会的役割,権利,義務,道徳的責任を持つ」と理解していることを認知的視点から見た言語の用法から解説している.さらに我々は「私という存在の重要性」「神聖という感覚」を持ち,それが日常的視点を形成し,大衆の科学への反発の底にあるのだろうとコメントしている.
 
ジャッケンドフは次に「真理」を扱う.ヒトの心は「真理には根底に何か純粋な本質がある」と考える誘惑に弱いがそれに負けるわけにはいかないのだとコメントされている.そして最初は「true(truth)」についての言語学的な分析だ.

  • 哲学者は平叙文について「true: 真」だとする用法を用いる(反対語は「false: 偽」になる).これは文が世界のあり方に対応していれば「真」だということになる.疑問文,命令文,提案,遂行文についてはこの用法で真であることはできない.平叙文であっても冗談であれば真であるという特徴付けをされない.
  • もう1つの用法は「Xについての真実」「Xについての真の原因」のような用法で,「false」が反対語にならず,隠れた意味論的要素を持ち,genuine, realで言い換え可能だ.この用法は緩やかに拡張可能で,家族的類似性を示す.
  • 第1の用法において,ある文が真かどうかはどう判定できるのか.哲学者はしばしば日常的視点に立ち「『XがYである』という文が真であるのは.XがYである場合,そしてその場合に限り真である」などという.しかしこのような理論は「現在のフランス王はハゲである」「ボストンからニューヨークまでの距離は200マイルだ」「シャーロック・ホームズは英国人だ」のような文の真偽判定には無力だ.つまり文の真偽判定には,それがどのような世界についてのことかという判断が必要なのだ.
  • 認知的視点に立つと,問題は「我々はある言明をどうやって真であると把握するようになるのか,そしてどうしてそれは不変であると感じられるようになるのか」となる.
  • 文を真あるいは偽と判断すると,文と連合している感覚(特性タグ)によって経験の中に刻印される.(ある絵についての言明がどう判断されるのかについて知覚経験,空間構造,概念構造を用いた認知メカニズムの詳しい説明がある)
  • 「真だ」「偽だ」とは異なる特性タグもある.例えば「何かおかしい」という特性タグは2つの情報源が矛盾しているときに生じる.「なじみ」「新奇」「実在」「イメージ」などもそうだ.

 

第4部 理性と直感

 
第4部では合理的思考と直感が取り扱われる.まずルイス・キャロルが「亀がアキレスに言ったこと」で提示した問題を扱う.

  • 我々はなぜ古典的三段論法を使うことができるのか.三段論法を使うためには,三段論法の論理の骨格と具体的な命題を対応させなければならない.これを知るには対応のルールが必要になる.そしてその対応のルールに従っているかどうかもそれを決めるルールが必要になる.こうして議論は無限後退する.これがキャロルの指摘した問題だ.
  • また三段論法をきちんと使うには,具体的命題が単に文の文法形式だけ三段論法に対応していてもダメで,特定の論理形式にしたがっている必要がある.これは問題が表面的な文法だけでは解決せずに,文の意味が問題になることを意味する.しかし意味は(意識から)隠れている.だからこれについて明示的な対応ルールを作るのは不可能なのだ.
  • そして我々が具体的命題が三段論法の論理形式に沿っていると判断するのは,結局「ああ,そうか」という直観的判断によって支えられている.
  • 結局いわゆる「合理的判断」という理想を実現するのは不可能だ.合理的思考として経験するものは究極的には自分の直感を基礎にするほかないからだ.合理的経験の認知的相関物は,前提と結論の発音,それらが有意味であるという感覚,結論が有効だという感覚だ.
  • 一般に合理的思考と呼ばれるものは直感的思考からなる膨大で複雑は背景なしでは生じ得ない.つまりいわゆるシステム2はシステム1と不可分なのだ.システム2とはおそらくシステム1プラス言語(といくつかの取っ手と結びついたその他の思考形式)だ.

 

  • そして我々の日常的判断のほとんどは直感的に行われている.直感的推論は(それがどのように動作しているか認識できないというだけで)決してでたらめではない.重要なことは,直観的判断力は進化の産物であり,多くの直感的方略は多くの場合かなりうまくいくということだ.
  • では合理的判断はどのように役に立つのだろうか.ポイントは発音という取っ手によって思考のそれ自体の指示参照ファイルを与えることができるというところだ.これにより,発音し終わったあとでも文は手の届くところに存在できる.それを別の形で感じたり思い出すことが可能になる.そしてそれを操作し,矛盾を感じたり,思考の背後にある理由や原因の探求を始めることができる.また文と文の関係を直観的に判断するという推論が可能になる.
  • こうした言語による操作は我々の思考にとって極めて重要だ.それは仮想世界を可能にし,さらに思考と思考の関係を考察することを可能にする.

 

  • しかし合理的判断には落とし穴もある.まず取っ手はあるかないかの離散的なものとして認知されやすいが,現実の世界は多くの場合連続的だということがある.またそれを表す語がないとその概念が認識されない可能性がある.無意味な文を作ることも可能だし,それに有意味性の「オーラ」を与えて相手を操作することも可能になる.さらに話し手は自己欺瞞的にこの操作に気づかないこともある.

 
ここでジャッケンドフはこれらのことを説明するのに室内管弦楽のメタファーを提示する.ブラームスの管弦楽の解釈を巡って楽団メンバー間で議論が行われるのだが,合理的思考の基礎に直感があること,特に共通の目的を追求するときには合理的思考が重要であること,相手への感受性,何かがおかしいという感覚の重要性が示されている.ジャッケンドフはこれらの合理的思考あるいは「クリティカルシンキング」は,言語化により取っ手を付けて記憶して操作できる能力を通じてのみ可能であり,科学もまたそうなのだと強調している.ここで芸術系の人文学の意義(それは論理的真を求めるのではなく,表層が持つ特性を楽しむところにある)にも踏み込んでいるのは面白い.そして最後に理性は言語化された直感だともう一度強調し,視点を俯瞰する視点(特定の視点に縛られないこと)の重要性を指摘して本書を終えている.
 
以上が本書のあらましになる.言語と思考について認知科学的に考え抜いてきたジャッケンドフの現在の到達点が示されているということになるのだろう.言語処理において膨大な無意識的過程があるというのは理解していたつもりだったが,意味についても無意識下に隠れていて,意識は発音と結びついた「有意味性」という取っ手しか持たないというのは衝撃的な議論だ.ジャッケンドフは言語分析,認知的な視点からの分析を駆使して,これを説得的に提示している.そしてこの「意味」は語の意味にとどまらず,文の意味(つまり思考)にも当てはまる.無意識下にある思考は様々な特性タグを通じてのみ意識されるということになる.この展開も衝撃的だ.そして最後に,しかし言語により取っ手を与えられ,文の意味を意識下で操作できることによりヒトの知性の地平線は大きく広がったのだと力強く主張されている.これは進化心理学的な「意識の報道官仮説」に対するジャッケンドフの意識の進化仮説ということなのかもしれない.認知,言語,意識,二重過程論に興味のある人には大変面白い本だと思う.


関連書籍


原書

A User's Guide to Thought and Meaning (English Edition)

A User's Guide to Thought and Meaning (English Edition)


ジャッケンドフの本(邦訳のあるもの)

言語の基盤―脳・意味・文法・進化

言語の基盤―脳・意味・文法・進化

 
同原書
Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution

Foundations of Language: Brain, Meaning, Grammar, Evolution

 
心のパターン―言語の認知科学入門

心のパターン―言語の認知科学入門

 
同原書
Patterns In The Mind: Language And Human Nature

Patterns In The Mind: Language And Human Nature

*1:どこまで薄くなったら「ハゲ」と言えるのかという例を用いている

Virtue Signaling その2


amzn.to

第1エッセイ 政治的クジャク

 
本書では各エッセイの前にミラーの解説がある.最初のエッセイについてはこういう説明になっている.

  • 「Virtue Signaling」という言葉はどこから来たのだろうか.英国のジャーナリストのバーソロミューが2015年に使ったのがきっかけだという人もいれば,ある合理主義者のブログが2013年に使ったのがきっかけだという人もいる.
  • それ以前から「合理主義と効果的利他主義」サブカルチャーの中では信号理論が多くのイデオロジカルな行動を説明できること,そしてシグナリングが政治的議論の合理性を失わせていることが広く知られていた.
  • 私もこの言葉を使い出したのは数年前からだが,政治的な「Virtue Signaling」については1990年代の中頃から考えていた.私は1992年からロンドンにいて,ヘレナ・クローニンが主催するLSEのダーウィンセミナーに出席していた.そこに毎週通ううちに政治シンクタンクのDemosの人々と知り合った.本エッセイは彼等のDemos Quarterly Journalに進化心理学の視点からということで1996年に寄稿したものだ.この寄稿では(当時研究していた)性淘汰を広く扱うことはせずに政治的な事柄に焦点を絞った.
  • 私は自分の政治的態度を見せびらかしたりしない中道派の両親に育てられたが,コロンビア大学に進んで,多くの真逆な態度を目にすることになった.学生たちは寮の壁にポスターを貼り,バックパックにステッカーをつけ,セミナーの議論で自分の政治的態度を誇示した.しかしその政治的立場から見て実効性のある行動をとることには無関心なようだった.
  • 1985年にコロンビア大学で燃え上がったアパルトヘイト抗議行動は特に印象的だった.彼等は建物の多くの部屋を占領し,夜通しネルソン・マンデラ解放の歌を歌い続けた.
  • 10年後ロンドンで初めてこれを理解する道具を手に入れた.学生たちはオスのクジャクだったのだ.彼等は自分たちの性格的個性と道徳的な徳を見せびらかしていたのだ.

 
ここからがエッセイになる.
 

Political Peacocks. Demos Quarterly , 10 (special issue on evolutionary psychology), pp. 9-11 ( 1996)

  • 1985年にコロンビア大学で突然アパルトヘイトへの抗議行動が燃え上がった.彼等はキャンパスの多くの建物を占拠し,大学側に運用ファンドから南アフリカで経済活動を行っている企業の株式を売り払うように要求した.私はその突然性,熱意,学生間の意見の一致を不思議に思った.なぜ多くのミドルクラスの北米の白人学生が投獄されるリスクをものともせずに地球の裏側の貧しい黒人のために立ち上がったのだろう.
  • 保守派の学生新聞はこの出来事を年一の春の求愛儀式だと皮肉った.私は当時これをひどい記事だと思ったが,今では真実が含まれているのかもしれないと思うようになった.
  • 彼等の政治的な要求は通らなかった.しかし抗議行動は若い男女が仲良くなることについては非常に効果的だった.多くの場合イデオロジカルなコミットメントは薄っぺらいものだったし,抗議行動はちょうど半期の試験前には収まってしまったが,そのときに作られた男女の関係は時に何年も続いたのだ.
  • 仮説はこうだ:政治的イデオロギーの誇示行動は,クジャクの羽やナイチンゲールのさえずりのようにある種の求愛ディスプレーとして機能している.この仮説が正しいなら政治的主張は単に求愛のためだということになり,すべての政治的議論が矮小化されるリスクがあることになる.
  • これを避けるベストな方法は,政治的議論の性的な含意を無視することではなく,これを最も強力な理論つまりダーウィンの性淘汰理論で分析することだ.

 

歴史

 
ここでミラーは政治科学ジャーナルの読者向けに性淘汰理論の学説史とメスの選り好み型性淘汰の概要を説明している.このタイプの性淘汰のポイントについてミラーはこう説明している.「配偶者選択は感覚器と脳しか持たないメスの動物が自然の条件下で実行可能な最高の優生学的遺伝子スクリーニング手法なのだ」と.
またここではヒトの配偶者選択が双方向であること,女性は化粧や美しい服装でディスプレイする傾向があり,男性は本や音楽などの創作物,所有不動産などを用いる傾向があることも説明している.このあたりは初歩の進化心理学の解説にもなっている.
 

アイデア

 
ここでミラーはヒトの様々な文化的産物が,進化と切り離されて議論される傾向があることを見る.ドーキンスやデネットもヒトの進化ではなくミームの進化として文化を見ている.ミラーに言わせると,これはヒトの文化があまりにコスト高でしばしばイデオロギー執着的であるから自然淘汰産物には思われないからだろうということになる.しかし性淘汰を考慮すると風景は変わってくる.ミラーはこう自分の仮説を提示している.

  • 私の仮説はイデオロジカルな行動のペイオフの大部分は繁殖にあるというものだ.言語,文化,音楽,芸術,神話を可能にするヒトの能力は男女双方向の配偶者選択型性淘汰により作られた.これら求愛儀式のための能力による技術的な成果は予期されない副産物なのだ.
  • 言語こそイデオロジカルなディスプレイの鍵だ.言語は自然界におけるテレパシーのような奇跡だ.統語論と意味論というトリックにより複雑なアイデアを別個体の脳に伝えることができる.これにより求愛儀式のアリーナは物理的なものから概念的なものに拡大された.
  • 一旦この型の性淘汰過程が始まると,それは強い淘汰圧となり,ランナウェイする.
  • この過程の素晴らしい効果は大きな脳だ.そして問題含みな効果がイデオロジカルな能力への効果,つまりこのイデオロジカル能力が,世界を正確に捉えるよりも,より新奇で興味深く遊興的的内容へと向かう淘汰圧を受けることだ.この効果は多くのトピックに関連するが,ここでは政治的なものに焦点を絞ることにする.

 

インプリケーション

 

  • 多くの人はほとんど政治的権力を持たない.しかし強い政治的な信念を持ち,それを(正しい社会的文脈の中で)強く頻繁に大声で表現する.
  • この行動は経済学的には理解できない.私の指摘は,このような政治的イデオロジカルな主張が生みだす個人的な利益は,政治的なものではなく社会的,性的なものだということだ.
  • このアイデアは多くの謎を解決する.なぜ男性の方がより保守的で権威主義的で右派的で非共感主導的なのか.なぜ人々は中年になるとより保守的になるのか.なぜ男性の方がより政治家になるのか.なぜほとんどのイデオロジカルな革命は男性革命家に主導されたのか.
  • これらの謎は,政治的イデオロギーが政治的利益の合理的な反映だと考えると解決できない.政治経済的な観点から見ると政治的な利益はすべての人に偏りなくあるはずだ.しかし性淘汰的に考えると,特定のグループより繁殖に関心があることが理解できる.
  • 性淘汰理論からは,若い男性が繁殖行動でより積極的でリスクテイキング的であることを容易に理解できる.
  • 少し難解なのは,政治的イデオロギーのどの側面をより若い男性がディスプレイしがちであるかという問題だ.私たちの学生を用いた調査によると,彼等は互いにその政治的イデオロギーをパーソナリティのプロキシーとして利用している.保守派は野心を持ち利己的で配偶相手を保護してリソースを供給することに優れると受け取られ,リベラルはやさしく共感的で子育てや関係維持に優れると受け取られる.
  • 配偶選択における性差を考えると,男性が保守派を,女性がリベラルをよりディスプレイしがちであることは驚くべきことではなくなる.男性は(無意識に)社会的経済的優位性をアピールし,女性は(やはり無意識に)子育て能力をアピールしているのだ.中年になってより保守派になるのは増加した社会的な優位性が反映するためだ.
  • より微妙なのは,配偶選択が社会的なゲームであるために,政治的イデオロギーも何らかの最適値に向かうのではなく,ゲーム理論の不安定な均衡ダイナミクスの中で進化することだ.
  • これがある大学の学生の大半があるとき突然イデオロジカルになることを説明する.求愛アリーナは気まぐれにある政治イッシューから別の政治イッシューに移り変わる.しかし一定数以上の学生がアパルトヘイトに反対するかどうかがその心が適正かどうかのリトマス試験紙になると考えるようになると,誰もがアパルトヘイトに反対するしかなくなるのだ.これは生物学的には頻度依存型淘汰と呼ばれる.
  • 多くの人が政治的意見を世界をよくする合理的な方法提示ではなくパーソナリティを誇示する求愛ディスプレイと受け取るのであれば,政治アナリストはどうすればいいのだろう,
  • 実践的な解決はヒトの心の進化の説明を受け入れた上で分析することだろう.ヒトは政治的意見について,まず強大な脳を持ちアイデアに取り憑かれたハイパー霊長類として反応する.そしてそれから二次的に現代社会の市民として反応するのだ.
  • この見方は世論調査員や扇動政治家やスピーチライターを驚かすことはないだろう.彼等は人々のイデオロギーへの渇望を飯の種にしているのだから.しかし社会科学者は(もっと合理主義的に考えていただろうから)驚くだろう.
  • 幸運なことに性淘汰は我々の心を形作る唯一の力ではない.血縁淘汰や互恵利他主義などは政治的合理性への本能に効いているだろう.性淘汰なしに私たちはこのようなカラフルなイデオロジカルな動物にはならなかっただろう.しかしその他の社会淘汰の力なしにはこの性的に変幻自在なイデオロギーを現実とすり合わせることもできないのだ.

 
ちょうど「The Mating Mind」を書いている頃に書かれた論文で,ヒトの特徴の多くを性淘汰から説明しようとするミラーの姿勢が良く出ている.ヒトの性淘汰がパーソナリティディスプレイに向かうだろうという議論もこの頃から考えていたこともわかる.そして性淘汰産物であることの検証のキーは性差にあるが,ここで双方向淘汰による微妙な問題が生じることが理解を難しくしていることも論じられている.
 
ここで問題になっているのは80年代のアメリカ東海岸のキャンパスの状況だが,日本とは随分状況が異なっている.70年代の全共闘世代の学生運動が男女のあいだをとりもったのかどうか私にはよくわからないが,80年代以降は政治活動に熱心なことがキャンパスで広く求愛ディスプレイとして機能していたようには思えない.(むしろそういう男性は普通の女子学生から引かれる方が多いのではないだろうか)これも移り気な性淘汰装飾の特徴をよく示しているということかもしれない.
 
このミラーの広範囲なヒトの特徴を性淘汰から説明しようとする議論はいかにも大風呂敷的だが,しかしじっくり考えるとその説得力の高さに唖然とせざるを得ないところがある.それは最初に「The Mating Mind」を読んだときに強く感じたことだが,今このエッセイを読んでみて改めてそう感じてしまう.
言語は嘘を簡単につけるまさにチープトークの道具だが,評価軸を内容の正確性から,内容の新奇性,途方もなさ,想像力に移すと,その持ち主の脳の能力についての正直な信号となるのかもしれない.なかなかスリリングだ.
 

Virtue Signaling その1


amzn.to

 

本書は「The Mating Mind(邦訳:恋人選びの心)」「Spent(邦訳:消費資本主義!)」「Mate」などで有名な進化心理学者ジョフリー・ミラーによるエッセイ集.Virtue Signalingに関する様々な自身のコラムや論文が年代別にまとめられているものだ.
「Virtue Signalling」というのは割と最近アメリカのSNSや政治周りで使われるようになった用語で,「自分がいかに道徳的に優れているかの(時に空虚あるいは偽善的な)ディスプレイ」を指す.フェイスブックにいかに自分が環境に気をつけているか書き込むことや,アイスバケツチャレンジのようなものが典型的だが,政治的には2016年の大統領選で,互いの非難キャンペーンに用いられてからかなり使われるようになった言葉なのだそうだ.

ジョフリー・ミラーは(そういう用語こそ使っていなかったが)このような現象について,道徳の性淘汰の枠組みで遙か以前からいろいろ考察していて,それを今回一冊の本にしてまとめたということになる.

Preface 序言

序言はこう始まっている.

  • 私たちはみな「Virtue Signaling(道徳的徳についてのシグナル)」をする.私もするし,あなたもするのだ.そして特にあいつら,つまり自分が気に入らない政治的部族は「Virtue Signaling」をする(もちろん相手も同じように思っている)
  • そうじゃない振りをするのはやめよう.私たちはみなヒトであり,ヒトは自分のモラル的徳.倫理原則,宗教的信念,政治態度,ライフスタイルの趣味の良さを他人に見せびらかすのが大好きなのだ.

 
そして「Virtue Signaling」に関する自分の人生を振り返っている.ここはミラーの自伝的なコメントとしても興味深い.

  • 「Virtue Signaling」という言葉は2016年の大統領選挙以降広く用いられるようになった.しかし「Virtue Signaling」はヒトの道徳の起源,つまり何百万年前からあるものだ.そして私は高校生の頃から「Virtue Signaling」に愛と憎しみを抱いてきた.
  • 私は政治的に早熟だった.両親は食卓でよく政治の話をした.父はコロンビア大学で西洋文明の古典を学んでおり,軍事史と資本主義と共産主義のコンフリクトに強い興味を持っていた.母は地元の女性投票リーグを運営し,政治ディベートを主催し,投票登録推進運動を進めるような人だった.両親ともプラグマティックで中道派だった.そしてすべてのアメリカ人には情報に基づいた合理的な投票の義務があると信じていた.彼等にとって政治的な問題は(シグナリングするのではなく)リサーチして議論するものだった.
  • 両親は車に政治的なバンパーステッカーを貼ったりしなかった.サンクスギビングのテーブルで大勢のいとこたちがいるようなところで政治の話はしなかった.ソーシャルメディアはなかった.しかし静かにゾーニング規制の改善やランドマークの保存に取り組んだ.彼等の意見は時に食い違ったが,共通の価値観にしたがって協力した.多くの点で彼等は「Virtue Signaling」なしの効果的で規律を持つ市民のロールモデルだったのだ.
  • このような背景で育った私は80年代の後半に高校に進学し,そこで「Virtue Signaling」を目撃してショックを受けた.
  • 私は5年生までに多くのSFを読み,あり得べき将来を夢見た.そして高校に入るまでに「自由は良いことだ」「核戦争を防ぐのは重要だ」という2つの政治的信念を持つようになった.
  • 自由に関する信念から私は「自由のための若いアメリカ人」という組織に加入し,学校新聞に自由に関する記事を寄稿するようになった.私は内向的なオタクだったが,この活動は快かった.
  • 核戦争に関する信念を持った私はそのころの大人たちに絶望した.彼等は目の前の脅威から目をそらし,流行の政治テーマを追いかけていた.高校2年になる頃にはこの国は何もわかっていない大人たちに牛耳られていると考えるようになった.当時まだ「Virtue Signaling」という言葉はなかったが,あったら使いまくっていただろう.
  • コロンビア大学に進むと,周りの「Virtue Signaling」はさらに強度を増した.
  • 時はレーガンが再選された頃だ.私はレーガンが核戦争の引き金を決して引かないということについて信用していなかった.彼の地滑り的な勝利はアメリカはこれから性差別的父権的ファシズム的国家になりソ連と戦争する道を歩むように感じられた(これはちょうど今のトランプ政権についての感覚に似ている)学生寮は中絶の権利,ゲイの権利,グリーンピース,チェ・ゲバラ礼賛のポスターにあふれていた.当時の学生寮にも保守派的信念を持つ学生は多くいたはずだが保守派のディスプレーはどこにもなかった.私はフリースピーチとフリーマーケットを礼賛するリバタリアン的な意見を吐く唯一の学生だった.
  • コロンビアのコアカリキュラムには西洋文明の基礎についての素晴らしいコースがあった.心理学を専攻してからは政治的行動の認知的社会的基礎も学んだ.
  • スタンフォードの院に進み,デートした女性たちから「Virtue Signaling」の心理を深く教わることになった.そして「恥知らずのダーウィニアン」であることは社会的,性的なハンディキャップであることを知った.いくら女性の権利を擁護しようともダーウィニアンであることの前には何に効果もなかった.リバタリアン的な意見は反動的保守の意見だとされた.彼女たちは進化的な理由付けに生理的な嫌悪感をあらわにし,進化心理学は道徳的にナチの優生学と同じだと決めつけた.ブランクスレートドグマを否定すれば私の政治的意見は無視された.同じ政治的部族に属しているという「Virtue Signaling」に失敗すれば,間違った部族にいると見做されるのだ.
  • それ以降私は「Virtue Signaling」の刻印ともいえる道徳的偽善に魅せられるようになった.人々は情熱的にある意見を表明するが,現実に特に気にせずにそれに反する行動をとる.
  • 偽善は悪いことだから偽善シグナルはまずいはずだ.しかし本当にそうなのか.私の理解は信号理論を知ることによって複雑になった.院では性淘汰と性シグナルを学んだ.動物行動においては適応度シグナルは重要だ.そしてシグナルは性淘汰装飾だけではない.
  • 1996年,私は当時の進化ゲーム理論の中心地の1つであるロンドンのUCLでリサーチを始めた.そこでウェブレンの顕示的消費,マイケル・スペンスの知性シグナルとしての学歴の議論,そしてザハヴィのハンディキャップ理論を知る.「Virtue Signaling」を理解するための知的ツールがそろい始めたのだ.
  • シグナルにはいわゆる「チープトーク」とコストのかかる正直な信号がある.SNSでチープトークに信頼性を与えるように働く主な圧力は非難と村八分への恐れだ.「Make America Great Again」と書いた帽子をかぶるのに大したコストは不要だが,それは友情を失わせるかもしれないのだ.コストのかかるシグナルには何ヶ月もボランティアを続ける,莫大な寄付をするなどがある.
  • 「 The Mating Mind」を書きながら,チープトークとコストのある信号の違いについてよく考えた.子育てや家事への努力自体長期パートナーに対する正直なシグナルになる.学会の事務局で皆と協力して熱心で丁寧な仕事をするのも,社会性や開放性のシグナルになる.
  • さらに「効果的利他主義運動」に参加して,信頼できる「Virtue Signaling」の利益を知ることになる.私は信頼できる「Virtue Signaling」を行う効果的利他主義者と恋に落ちた.

 
そして本書への導入としてこうコメントがある.

  • 「Virtue Signaling」はヒトの本能の最良の部分と最悪の部分を併せ持つものだ.
  • 最良というのは,「Virtue Signaling」はヒトの道徳の最良の基礎になるからだ.それなしでは利他主義の進化は非常に困難だが,その困難を飛び越えるように働くのだ.
  • 最悪というのは,それは政治的分断を悪化させるからだ.それは人々を検閲,魔女狩り,村八分に駆り立てる.
  • 「Virtue Signaling」が科学への好奇心,価値と視点についてのオープンな心,優先順位についての合理性,手段と目的についての戦略的な手腕と組み合わされれば素晴らしいことが起こる.しかしそうでなければロベスピエール的恐怖政治につながりかねないのだ.

そして本書の構成について説明がある.本書は7つのエッセイからなっていて,それぞれ1996年から2018年にかけて様々な場所で発表されたものになる.長さもまちまちだが,すべて「Virtue Signaling」がテーマになっているものだ.ミラーは最後にこうコメントしている.
 

  • 私たちの子孫が火星に,そして星々に広がったとき,どうか彼等が長寿を楽しみ,繁栄しますように.そして私たちがここまでやってきたやりかたより,より自覚的に,より合理的に,より相互理解の元に「Virtue Signaling」をしますように.

 
 
ミラーの本


ヒトの様々な特徴が性淘汰産物として理解できることを説得的に論じた本.私が初めて読んだのは2001年頃だが,まさに目からウロコだった.

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature (English Edition)

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature (English Edition)


同邦訳

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)


進化心理学的視点から見たマーケティングについて,そしてそれが個人差のディスプレイであると考えるとうまく理解できることについての本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20101009/1286588967

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior (English Edition)


同邦訳.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171226/1514240384

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学

消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学



男性オタクのためのもてるためのハウツーが詰まった実践的進化心理学応用本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180101/1514810891

Mate: Become the Man Women Want (English Edition)

Mate: Become the Man Women Want (English Edition)