書評 「戦争と交渉の経済学」

 
本書は経済学者かつ政治学者であるクリストファー・ブラットマンによるなぜ戦争が生じるのか,どうすれば防げるのかを扱った一冊.基本的に,「戦争は双方ともにコストが大きいので,交渉で戦わないことに双方合意する余地がある場合がほとんどであり,戦争に至るのは例外になる」というゲーム理論的理解を踏まえ,「どのような条件があると戦争になりやすいのか,戦争になりにくくするにはどうすればいいのか」を議論するものになる.原題は「Why We Fight: The Roots of War and the Paths to Peace」.
 

序章

 
本書はシカゴの下町の若いギャングのナワバリ争いと北部ウガンダの内戦の逸話から始まる.双方とも当事者たちが争いから逃れられず延々と続く悲惨な状況にある.著者は武力紛争ほど社会の発展を損なうものはないと強調し,繁栄と平等と正義を希求するなら戦争について考えるべきだと説く.ここでは「戦争」は長期間続く集団間の暴力的な争いと定義される.
そしてここで戦争が例外的であること(ほとんどの敵対集団は戦争をせずに共存している)を強調し,そして戦争が例外的である理由と,例外的に戦争になる(ゲーム理論的な)本質的な5つの理由,そして戦争を減らすための方策を説明が本書の目的であるとする.
 

第1部 戦争を引き起こすもの

 

第1章 人々はなぜ戦いを避けるのか

 
第1章では,コロンビアの麻薬ギャングの逸話を紹介しながら,通常の場合戦争が避けられることが多いことをゲーム理論的に解説する.2集団が対立している場合,とりあう資源(ナワバリからから上がる収益など)がゼロサムであっても,武力抗争にはコストが発生するので,多くの場合双方ともに抗争するよりしない方が期待値が大きくなる交渉領域が存在することになる.これはパイの大きさに依存せず成り立ち,コストが大きいほど交渉領域は広くなる.これは経済学におけるゲーム理論から得られた洞察であり,シェリングは国際関係にも応用し,リアリズム的なアプローチに似た洞察を与える.ブラットマンはここから交渉領域を消滅させる5つの要因(抑制されていない利益,無形のインセンティブ,不確実性,コミットメント問題,誤認識)を挙げ,それが第2章以降のテーマとなる.
 

第2章 抑制されていない利益

 
第2章で扱われる要因は,「戦争意思決定者の利益と集団全体の利益がズレており,集団にとっての交渉領域を無視して意思決定がなされる」場合だ.これは通常エージェンシー問題と呼ばれるものの1種になるが,ここでは意思決定者が戦争のコストを無視あるいは軽視してしまう側面を強調して「抑制されていない利益」と名付けられている.
ここではリベリア内戦,中世から近代にかけてのヨーロッパ君主国,アメリカ独立戦争におけるジョージ・ワシントンを始めとする建国の父祖たちの個人的なリスクリターン*1の例が解説され,アイゼンハワーの産軍複合体の警告,代理戦争などにも言及されている.
そして現代の民主主義国家でこの問題を考える際には政治家のインセンティブ構造の設計が重要であることが指摘されている.
 

第3章 無形のインセンティブ

 
第3章で扱われる要因は,集団が追求している価値が,経済的なものではなく,崇高な理念,正義,聖なるものなどであり,その価値がコストを圧倒的に上回ると認識される場合に交渉領域がなくなってしまうというものだ.
ここでは,まず「不公正への憤り」が取り上げられ(紛争の例として中米エルサルバドルの極左ゲリラ,アラブの春とシリア内戦の状況が紹介されている),ヒトの本性としての不正糾弾や不正者への懲罰から得られる感情的報酬が説明される.引き続いて「名誉と威信」(紛争の例は16世紀の英仏の争い),「イデオロギー」(例としてヒトラーのドイツ民族賛美イデオロギーがあげられている*2),「領土の不可分性」(例としてエルサレムの不可分性がイスラエルとパレスティナの和平交渉の難しさをもたらしていることが揚げられている)も取り上げられている.
 
ここでヒトの本性と戦争の関連が扱われている*3.まずフーリガンに見られるような「ただただ暴れ回りたい衝動」が取り上げられている.これはこのような傾向がヒトにあることが戦争の要因だという主張が一部にあることが背景にある.ブラットマンはヒトは全体として驚くほど協調的であり,制御できない暴力的衝動を持っている科学的根拠はないことを指摘し,確かにある種の状況があると暴力に快感を覚えるようなこともあるが,それは現代の戦争にはあまり関連しないだろうとコメントしている.
続いて内集団ひいき傾向と偏狭な利他性の議論が紹介される.ブラットマンは,まず本書はヒトが自集団利益と対立集団の利益を区別すること(つまり内集団ひいき)を前提としていること,しかし外集団への敵意が普遍的である証拠はないこと,ただし一旦対立的になれば敵意は現れやすいということはあり,それを利用して集団を操作しようとする指導者は重大な問題であることを指摘している.
 

第4章 不確実性

 
第4章で扱われる要因は戦争した場合の勝利確率の見積もりが双方で異なる場合に交渉領域がなくなってしまうというものだ.冒頭ではシカゴのギャングたちの抗争の例が引かれている.
この場合実際の抗争で互いの力が分かり,期待確率が双方で収斂すると交渉領域が生まれてくるが,それには何年もかかることがあると指摘されている.またここでは互いの力を知るための小競り合い,評判の重要性と自分たちの力を誇示するためのシグナルについてのハンディキャップ原理,私的情報やブラフにより交渉領域が狭まる可能性,3つ以上のプレーヤーがいる場合の複雑性が解説されている.またケーススタディとしてサダム・フセインが大量破壊兵器をもっている可能性を示唆するブラフを使ったことが取り上げられている*4
 

第5章 コミットメント問題

 
第5章で扱われる要因はコミットメント問題.コミットメント問題とは約束をどう信じてもらうかという問題だ.ここでは古典的な例として,現在の両当事者の力関係が将来変わっていくことが予想される場合に,将来不利になる側からするとより強くなっていく相手の交渉上の約束が信じられない(ここで約束をしておいて,強くなったらそれを反故にして攻めてくるかもしれない),だから「今のうちに先制攻撃しておこう」と考えてしまうという問題(予防戦争)が詳しく扱われている.
そして具体例として,第一次世界大戦(ロシアの台頭を恐れたドイツとオーストリアによる予防戦争としての側面),ペロポネソス戦争(アテナイの興隆を恐れたスパルタによる予防戦争の側面),ルワンダの虐殺(フツ族過激派による形勢逆転の試み),イラク戦争(アメリカ側から見たサダム・フセインが核を持つかもしれないこと(仮に核兵器開発断念を表明しても信じられない)に対しての予防戦争の側面)がケーススタディされている.
 

第6章 誤認識

 
第6章で取り上げられるのは誤認識.これは勝利確率の見込みを狂わせるもので第4章の不確実性と同じ効果を持つが,ブラットマンは要因としては分けている.そして様々なヒトの認知バイアスが取り上げられ,そのなかで自信過剰バイアスが詳しく解説されている.
またケーススタディとして北アイルランド紛争(その中で英国政府による弾圧の成功可能性,憎悪による復習の連鎖が生じる可能性の見積もり違い)が取り上げられている.
また誤投影(ヒトが相手の事情を推定することが苦手であること*5),官僚組織の集団浅慮も誤認識に繋がりやすいこと,誤認識と怒りや報復心などの激情の相互作用が特に危険であること,それが極端になると相手を非人間化してしまうことも指摘されている.
 
またこの章の最後で,この5要因は排他的ではないこと,またこの5要因があれば必ず戦争になるわけではなく,戦争の確率を高めるものであること,偶然の出来事の重要性に気を取られすぎるべきではないこと(基礎に5要因があり,危うい状況になった際の最後のきっかけと考えるべきこと)が注意喚起されている.
 

第2部 平和をもたらす術

 
第1部で戦争確率を高める5要因を整理したブラットマンは,第2部でどうすれば戦争確率を下げられるかについて議論する.取り上げられている要因は4つで,相互依存,抑制と均衡,規則の制定と執行,介入になる.
 

第7章 相互依存

 
第7章のテーマは相互依存.両当事者に経済的な相互依存があれば(戦争のコストが大きくなるので)交渉領域が広がる.ここではインドの中でも港湾都市ではイスラム教徒とヒンズー教徒の抗争的暴動が起きにくいこと,逆に石油のような(ただ吹き出してくるような)資源が相互依存の対極にあってそのような資源国が権威主義に傾きやすいことが例にとられている.
また経済的な相互依存だけでなく社会的な交流も(気にかける人々の範囲を広げ,相手の損害が自分たちにとってもマイナスになりうるので)交渉領域を広げる効果があることもここで取り上げられている.社会的交流を促すには複数のアイデンティティ構造があることが有効であること*6,社会的アイデンティティ構造を変えることは可能であること*7が解説されている.
 

第8章 抑制と均衡

 
第8章のテーマは均衡と抑制.これは戦争要因の「抑制されていない利益」を抑えるものだ.つまり独裁などの権威主義的政権は意思決定に当たって民衆の被るコストをカウントしないために戦争開始に判断が傾きやすい.だから政治システムをより権力分散的にして意思決定者に説明責任を課することによりそれが抑えられるということになる.
さらにブラットマンはよりオープンな政治システムは「無形のインセンティブ」(指導者の個人的栄誉などに影響されにくくなる)「誤認識」(指導者の誤りがほかの政治的アクターにより修正されやすい)「不確実性」(意思決定へのチェック体制が可能,情報がよりオープンに利用でき,意思決定がオープンになることでブラフの可能性が減る)「コミットメント問題」(オープンな政府の約束はより信頼されやすい)も抑えると指摘する.
ここでブラットマンは重要なのは民主的であることではなく(選挙で独裁的なトップが選ばれるならこれらは解決できない),権力の分散だと強調している.また歴史上このような抑制が効いた体制は闘争を通じて徐々に達成されたことも指摘している.
 

第9章 規則の制定と執行

 
第9章では規則の制定とその執行が扱われる.これはコミットメント問題の解決に有効となる.冒頭ではコロンビアのギャング抗争において(同じ刑務所に収監されていた)組織のリーダーたちが話しあってルールを決め,問題解決のための委員会を設置し,それがある程度機能した逸話を紹介している.そして規則の制定とその執行は社会の核心的機能であり,近代的国家が国内の平和を維持している方法(法律と警察司法)でもある.
ブラットマンはこのような機能がない無政府状態の社会の場合に名誉の文化が生じやすいこと,現在の国際社会は200の国家がある無政府状態ではなく,最も強い国々に率いられた一握りの国家連合で構成されていて,この構成は同盟内では比較的平和が保たれ,交渉するグループの数を減らすという意味で平和に貢献していることを指摘し,最後に国際機関の有効性を議論する.
リアリズムの国際政治学者であるミアシャイマーは国際機関の有効性に懐疑的で,第二次世界大戦後の平和は国際連合の成果というよりも複数の国家が共同で実力を行使したからではないかと主張した.ブラットマンは1990年以降のデータを見ると,国際機関は加盟国とは無関係に重要であり,少なくともわずかな(場合によっては大きな)影響力があると指摘する.そしてそれは1つには人権についての規範が受け入れられるのに寄与し,もう1つには国際連盟や国際連合は,対立国家が直接会って情報を公関したり交渉したりする場を作り,調整の仕組みを用意することによって第1部で議論した5つの戦争促進要因を緩和できるからだとコメントしている.
 

第10章 介入

 
第10章で扱われるのは,第三者(国際機関,人権擁護運動団体など)による介入だ.ブラットマンは介入について,懲罰(経済的制裁),執行(合意を守らせる平和維持部隊など),調整(交渉プロセスを円滑にする),社会化(硬直化した枠組みを和らげ,誤認識や暴力的反応の少ない社会の構築を図る),インセンティブ(交渉のテーブルにつくようなインセンティブを用意する)という5つの手段を挙げている.そしてこれらで戦争を防ぐのは難しく,目を見張るような成功例はめったにないが,それでも奨励されるべきだとする.上手く予測可能で効果的な介入システムを作ることが出来れば非常に多くの暴力を防止できると考えられるからだ.ここから各論が展開される.
 
<懲罰>
まず,ダルフールににおいて,人権擁護運動の効果は低かったが,権力者の海外資産を取り扱う欧米の金融機関を狙い撃ちにする戦略は機能して腐敗した軍事指導者への資金の流れを止めた例が紹介されている.
そして経済制裁について,これまでの包括的な制裁はあまり効果を上げてこなかったこと,最近では指導者周辺に特化したターゲット制裁が模索されていること,その際にはレッドラインを定めてそこを越えたら制裁するという警告を行う条件付き抑圧が有望であることが解説されている.
 
<執行>
一旦内戦が収まったあと,その合意の実行についてはコミットメント問題が生じる.平和維持活動には様々な問題(富裕国の偽善的態度,多くの資金が着服されていることなど)があるが,この点(内戦の沈静化)について一定の役割を果たしうること,この活動を人道的軍事介入と区別すべきことが解説されている.
 
<調整>
敵対していた当事者同士の交渉は(様々な前提,歴史的経緯などについての認識の齟齬などから)難しいことが多い.ここを解きほぐす調停者の役割は重要になることがある.ここでは小さなことを積み重ねていくこと,プロセスの重要性などが解説されている.
 
<社会化>
ノルベルト・エリアスの文明化の議論を紹介したあと,この過程は社会工学で設計や改良が可能であること,認知行動療法との類似性が解説され,いくつかの成功事例が紹介されている.
 
<インセンティブ>
武力抗争指導者に平和へのインセンティブを提示することは可能だが,いくつか問題があることが解説されている.それは指導者にとって短期的には権力構造や不平等の温存がインセンティブになることだ.それはそもそも不平等と腐敗の容認になるし,長期的に成功する社会の条件に反してしまう.
ブラットマンはこれはレアルポリティークと理想主義の間の難しいトレードオフだとし,簡単な解決はないが,バランスをとりながら良い方向を目指す長期戦になるのだとコメントしている.
 

第11章 戦争についてのよくある議論の真偽

 
第11章では戦争についてのよくある議論について本書のゲーム理論的な立場から考察がなされる.
 
<女性がリーダーになれば戦争が減るという議論>
女性は個人として男性よりいくぶん平和を好む.では政治の要職に女性を増やせば世界はより平和になるだろうか.ブラットマンは女性をより要職に加えることによる意思決定が多様化され,エージェンシー問題が緩和され,抑制が効くようになる効果は認めるが,よくある議論「女性は平和的なので男性の過剰な暴力性を緩和するだろう」については否定的だ.まずここで言う男性の暴力性は短絡的な衝動であり,政治の場面では意思決定に強く結びついていないだろうし,選挙に立候補して当選する女性政治家はしばしば男性と同じぐらいマッチョであることを指摘する.そして14世紀から20世紀のヨーロッパのデータを提示し,女王が男王より戦争に巻き込まれやすかったこと*8を示している.
 
<貧困をなくせば平和になるという議論>
貧困が戦争の原因になるのか.しかしゲーム理論的にはパイが縮小すれば戦争コストが相対的に大きくなり,衝突の可能性は減るだろう.ただしすでに戦争がある場合には飢えて絶望的になった人々はより犯罪組織や軍隊に勧誘されやすくなる.だから貧困は戦争を長引かせたり激化させたりするが,それによって戦争が勃発するわけではないとブラットマンと主張している.
 
ブラットマンはこのあと「若者の人口爆発」「強固な民族意識」「気候変動」なども議論し,これらがすでに議論した5つの原因によって戦争確率が上がった場合の最後のきっかけにはなりえても根本原因にはならないという主張を行っている.また「戦争は,紛争解決,社会の再活性化などを通じて長期的に社会の利益になる」という議論に対しての反論も行っている.
 

結論 漸進的平和工学者

 
ブラットマンはここまでの議論を踏まえて最後に「では政策実行者として具体的にどうすればいいのか」を語る.ブラットマンの立場は,戦争をなくすことは一挙に解決できる問題ではなく,少しづつ社会を変えることを試みるべきだというものだ.そしてこれについての十戒を挙げている.

  1. 容易な問題と厄介な問題を見分けよ:複雑な要因がからみあう「厄介な問題」には事例ごとに個別の解決策を考える必要がある,
  2. 壮大な構想やベストプラクティスを崇拝しない:壮大な構想はしばしば世界を単純化した前提に基づくユートピア構想だ.またほかでうまくいった方策を状況の違いを無視して実行してもうまくいかないことが多い.
  3. すべての政策決定は政治的だ:現場の政治を無視してはうまくいかない.
  4. 「限界(効用)」を重視せよ:政策が効果を上げているか,どのぐらいのコストがかかったかを常に確認しながら少しづつ進めていかないとうまくいかない.
  5. 多くの道を探索せよ:探索し,実験し,正しい政策を見つけることが重要だ.
  6. 失敗を喜んで受け入れよ:卓越したアイデアは数えきれないほどの試みの失敗からしか出てこない.
  7. 忍耐強くあれ:非現実的な時間軸で考えてもうまくいかない.
  8. 合理的な目標を立てよ:壮大で野心的な目標を立てると,すべての実行が失敗とされるし,何も優先できない.トレードオフの理解は重要だ.
  9. 説明責任を負え:説明責任がないと,壮大なユートピア計画が立案され失敗するループを止められない.平和構築者や慈善活動家は権力の分散を嫌いがちだが,厄介な問題には権力の分散と抑制が重要だ.
  10. 「限界」を見つけよう:ニヒリズムやユートピアに染まらずに,自分が影響を与えられる領域を見つけ,少しずつ世界に働き掛けるようにしよう.

 
以上が本書の内容になる.本書の基盤になっているのは,「集団間暴力は何らかのリソースや価値の取り合いで,紛争に大きなコストがかかるためにノンゼロサムゲームになり,交渉により紛争回避可能な領域が存在する.そして双方が合理的で,誤認識がなく,合意約束の履行に信頼があれば問題解決が可能だ」という認識だ.そしてこれが当てはまらないのは,指導者の私的利益と集団利益が食い違う場合(エージェンシー問題),どのようなコストを払ってでも手に入れるべき価値(正義,報復,聖なるものなど)が問題になる場合,約束が信頼できない場合(コミットメント問題),誤認識や不確実性のために双方の勝利確率やコストの見通しが食い違う場合ということになる.この戦争要因を説明する第1部はゲーム理論を踏まえて交渉領域を図示して解説があり,説得力が高いと感じられる.
そしてブラットマンはこれらの例外の場合を戦争確率を上げる基本的な要因とし,それを踏まえて様々な解決方策を提示する.そこには相互依存(交渉領域の拡大),権力の抑制(エージェンシー問題,コミットメント問題,誤認識の抑制),国際機関,経済制裁や平和維持などの介入が挙げられている.これらの方策がどのように働くかはやや複雑だが,それぞれの解説には豊富な実例がケーススタディとして挙げられており,地域紛争解決の実務にあたってきた著者ならではのリアルな説明が添えられていて迫力がある.
本書に不満があるとすれば,それは抑止の問題が取り上げられていないことだ.抑止は,本書のスタンスからいっても,戦争のコストを増大させて交渉領域を広げる試みと位置づけることが出来るはずであり,国際政治のリアリズムの立場からは無視できないテーマだろう.本書の原書出版は2022年だが,ブラットマンがウクライナ戦争をどう把握しているのかにも興味がもたれるところだ.
 
原書
 

*1:ワシントンのヴァージニアにおける土地利権が英国に対する戦争のコスト計算を大きく歪ませた可能性が指摘されている

*2:またここではアメリカ独立戦争においてアメリカ側指導者に「(抑圧されてきた植民地側として)かたくなに妥協を拒む」思想があったことにも触れている

*3:本来これはヒトは合理的か,なぜゲーム理論が当てはまるかに関する議論だが,ここでは非合理性を一種の無形のインセンティブとして取り扱っているということになるだろう

*4:大量破壊兵器のブラフは最終的にサダムの破滅要因となったが,サダムはアメリカが空爆はしても地上軍が進軍してくることはないだろうと予測し,国内反対派,イラン,イスラエルに対しては自分の評判を守るためにブラフが有効だと判断した.ここではこのほかにアメリカ側の事情も合わせて詳しく解説されている

*5:その1つとして歴史的注意持続時間欠陥障害(相手がいかに過去の経緯を引きずっているかに思いが及ばないこと)が実例とともに挙げられていて面白い

*6:例として13世紀のマリ帝国支配者のケイタが従来の氏族関係に加えて「姓」を使った社会的アイデンティティを新たに作ったケースが紹介されている

*7:啓蒙主義による人間の平等性の主張,共感の輪の拡大などが解説されている

*8:相手国が女王を弱いとみくびったことなどに原因があるとしている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その98

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国3つのセキュラーサイクルを語り,268年にローマ帝国は消滅し,イリュリアに興ったビザンチン帝国に変質したという立場を語る.ここから帝国消滅後にイタリアで何が起こったかが語られる.
  

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その9

 

  • 市民軍からなる団結した国家は消滅した.ローマ帝国のコア領域には不平等で団結力のない社会が残った.これは数世紀に及ぶマタイ効果の累積によるものだ.大規模奴隷農場はBC2世紀からイタリアで盛んになり,BC1世紀には自由市民の農場を駆逐していった.元首政の元で農場で働く奴隷の数は減少し,コロヌスに置き換わった.奴隷はいなくなったが農民と貴族のギャップは拡大し続けた.奴隷解放後の南部の大土地所有者と同じく,ローマ貴族たちも農民たちの横の連帯を制限し他.さらに彼らは農民たちを土地に縛りつけようとした.400年ごろには農民は農奴として扱われるようになった.

 

  • ローマ帝国の富の不平等は4世紀にそのピークを迎えた.しかしその過程は非線形だ.不平等の最初の拡大は共和制の解体フェーズ(BC2~1世紀)で,元老院議員クラスの資産が10~20百万セステルティウスとなった.元首政の統合フェーズでは元老院議員クラスの資産はたいして増加しなかった.しかし元首政の分解過程においては貧富の差は大きく拡大した.4世紀後半の西帝国の貴族層の資産は(共和政期の貨幣価値に換算すると)100~150百万セステルティウスとなっている.つまり帝国自体が縮小過程に入っており富の総額も減少している中で,富裕層の資産は10倍になっているということだ.このエリート層の富の蓄積は平民層の犠牲の上に行われたのだ.後期帝国の様々な歴史的事実がこれを裏付けている.

 
ここがターチンのローマ帝国衰亡論の1つのポイントだ.ターチンはメタエスニックフロンティアの消滅だけでなく,そこで生じた富の不平等がアサビーヤを侵食したと説明していることになる.

ターチンはローマ帝国については以下の参考書籍を挙げている.(改訂があるものは最新版)

 

  • 5世紀までに,イタリア社会(それが社会と呼べるかどうかはさておき)にはどのような団結的な行動を起こす能力も残っていなかった.イタリア人は軍人や官僚として奉仕しなくなった.中央は税の徴収能力を失った.有力者たちは帝国政府の命令を無視してそれぞれの私設軍隊を創設した.これらの軍隊は5世紀に帝国になだれ込んだ蛮族に対しては全く無力だった.
  • イタリア半島の何百万もの人々は蛮族より圧倒的に多かった(ほとんどの侵入蛮族は多くても数万人程度で,最大でも10万人を超えることはなかった).しかし蛮族は自由にイタリアを蹂躙し,好きなまま略奪した.それでもイタリアに連携して蛮族に対抗しようとする動きは起きなかった.

 
そしてアサビーヤの消滅が蛮族の侵入を跳ね返せなかった主因であるとしている.確かに5世紀にイタリア半島は組織的な防衛能力を失っていた.とはいえ,やはり気になるのはターチンのいうアサビーヤの消滅時期と3世紀の危機までの200年のタイムラグだろう.元首政時代にローマ帝国は(アサビーヤが失われつつも)よく機能する軍団を整備し,ラインとドナウ国境に防衛線を構築できた.なぜそれが3世紀に急速に失われたかについては別の要因を探したくなる.
ここからターチンは北イタリアと南イタリアのその後の経緯の差について解説することになる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その97

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まる第2セキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説する.ローマはBC1世紀の内戦がアウグストゥスの勝利で終わったあと,貴族層人口の過剰の解消により一旦平和がもたらされ,そこから第3のセキュラーサイクルに入る.この統合フェーズの頂点は五賢帝時代でローマの国力はピークをつけるが,2世紀後半からの疫病をきっかけに蛮族が侵入し,帝国財政は破綻した.
 

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その8

  

  • 「最後の賢帝」マルクス・アウレリウスは何とかローマの支配階級をまとめられたが,次のコモンドゥス帝はそうではなかった.周辺の元老院議員たちからの暗殺の陰謀の試みと粛清が繰り返され,最後には暗殺された.そして内戦の時代になった.
  • この最初の内戦の勝利者はドナウ軍団の将軍セプティミウス・セヴェルスだった.その後しばらく(彼とその子のカラカラ帝の時代)は平和だったが,217年にカラカラが暗殺され,皇帝暗殺がローマの宿痾のようになった.そして235年までに4人の皇帝が次々に暗殺され,50年にも及ぶ内戦の時代になった.ローマ帝国の衰退はその最終段階に入った.

 
これがいわゆる3世紀の危機と軍人皇帝時代ということになる.暗殺された4人の皇帝とは,カラカラの暗殺にかかわったとされる近衛隊長官だったマクリヌス帝,共同皇帝だったその子のディアドゥメニアス帝,この両帝を暗殺してセヴェルス朝を復活させようとする試みに担ぎ出されたヘリオガバルス帝,(血筋に疑惑がささやかれ奇行が多かった)ヘリオガバルスが近衛兵に暗殺された後に即位したアレクサンデル帝になる.アレクサンデルの暗殺によりセヴェルス朝は断絶し,アレクサンデルを暗殺したトラキアの蛮族出身の軍人であるマクシミヌス・トラクスが即位し,そこからローマは次々と短命な軍人出身皇帝が入れ替わる時代(軍人皇帝時代)を迎えることになる.
 

  • 連続的な過程を区切るにはどこかに恣意が入る.しかしローマ帝国の最後をいつにするかを決めなければならないとするなら,私は268年を選ぶ.この年からドナウ辺境の司令官たちがガリエヌス帝を暗殺して,自分たちで帝国を動かそうとし始めたのだ.そしてそこから非情かつ有能なイリュリア軍人皇帝と呼ばれる皇帝たちが生まれた.その1人であるディオクレティアヌス帝は285年に帝国を再統一した.別の1人であるコンスタンティヌス帝は330年に首都をコンスタンチノープルに移した.
  • 彼らは自分自身をローマ人と呼んだが,しかし彼ら自身,そしてその軍隊は全く新しい帝国のものであり,1000年前にティベル川のほとりで生まれた国家のものではない.この帝国はその後ビザンチン帝国と呼ばれるようになる.これらのイリュリア人たちはイタリア人を信頼しなかった.そしてそれはある意味合理的だった.イタリアにはもはやアサビーヤが残っていなかったからだ.

  
268年を選ぶというターチンの見解は面白い.普通なら軍人皇帝時代となる235年を選びそうなものだが,初期の軍人皇帝たちは(最初のマクシミヌス・トラクスはドナウ方面軍出身だが)アフリカ出身(ゴルディアヌス,アエミリウス)だったり,シリア出身(フィリップ・アラブス)だったり,伝統的ローマ元老院階層出身(ガルス,ヴァレリアヌス,ガエリヌス)だったりする(そして268年のゴティクス帝以降ドナウ方面軍出身皇帝が連続する)ので,「イタリア半島で生まれたローマ帝国は3世紀になくなり,新しくバルカン半島起源の辺境国家が興隆した」という主張をとるターチンとしてはそれらを含みたくないということだろう.
 

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その96

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まる第2セキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説する.ローマはBC1世紀の内戦がアウグストゥスの勝利で終わったあと,貴族層人口の過剰の解消により一旦平和がもたらされ,そこから第3のセキュラーサイクルに入る.しかし平和は人口増をもたらし,その後もサイクルは回り続ける.
 

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その7

  

  • 農業社会の平和と安定は,しかしながら問題の芽を内包している.幸運の車輪は回り続けるのだ.そして元首政期以降のすべてのサイクルの詳細を紹介するのは重畳的で退屈になる.ここでは元首政期(BC27~AD284)についてはハイライトだけを紹介しよう.

 

  • BC27以降の内的な平和と経済繁栄は人口増加を生んだ.イタリアはまたも人口過剰問題を抱え込んだのだ.AD100年ごろには無産市民の人口が目に見えて増加してきた.トラヤヌス帝(治世AD98~117)は自由民の子供への公的扶助プログラムを創設した.これは軍隊に入るべき人員を確保するためだったろう.軍隊のイタリア出身者の割合1/4程度で共和政期(2/3)に比べて大きく減っていた.この比率は3世紀には3/100まで下がる.

 
ここでターチンは軍隊のイタリア出身者の割合を重視しているが,やや微妙だ.ローマ帝国はガリア,イベリア,アフリカ,バルカン,中東と拡大しているのであり,軍隊のイタリア出身者の比率が下がるのは当然だ.ローマはギリシアのポリスと異なり,征服地の人々をどんどんローマ市民として取り込んだ(支配層については元老院議員の資格も与えている)し,退役後のローマ市民権を約束することで,忠誠心のある軍隊を編制した.これらを考慮した上で,軍隊のローマへの忠誠心,あるいはアサビーヤが全体として下がったというなら,より深い説明が必要だろう.
 

  • そして小規模土地所有者が減少する中,イタリアとシシリアの中核地帯はラフティンディウムと富裕層のヴィラで占められるようになった.外部征服の終わりとともに奴隷の流入が減少し,土地はコロヌス(移転の自由のない小作人)により耕されるようになった.

 

  • 五賢帝時代は内的平和と経済繁栄の時期であり,ローマ帝国は最大版図を持つ.そしてそれは貴族の黄金時代だった.エリートは経済的に繁栄し,人口を増やした.すべての貴族の繁栄の指標は2世紀にピークをつけている.

 
通常はこの五賢帝時代がローマ帝国国力のピークとされる.ターチンによれば,これは第3セキュラーサイクルの統合フェーズで説明されることになる.アサビーヤの侵食はすでに前回のセキュラーサイクルで始まっているが,それがブレーキとして聞き始めるまで300年かかったのだという説明がなされている.私的にはこれはやや苦しい説明だと思う.
 

  • AD150までに社会は危険なほどトップヘビーになった.しかしなお内的安定を保っていた.この均衡は165年の疫病(アントニヌスの疫病)の到来で破れる.これはおそらく天然痘(あるいははしかも加わっていたかもしれない)で,そのインパクトは中世の黒死病に匹敵するものだった.この疫病は波のように何度も到来し(最初の大波が170〜180年代,次の大波が250〜260年代だった),大きな被害を生じさせた.
  • 疫病流行後の物事の進展は速かった.(ローマの)弱さを感じたゲルマンとサルマタイの部族はラインとドナウの辺境を圧迫し始めた.167年以降帝国は繰り返し彼らの侵入を受けることになる.帝国財政は破綻した.マルクス・アウレリウス帝は戦費を賄うために国家の宝物を売りに出した最初の皇帝になった.デナリウス通貨は改鋳を繰り返し,最終的に銀の包含量は2.5%になった.それすらも供給不足になり,帝国は軍隊をコントロールできなくなっていった.エジプトで反乱が生じ,ローマでも市民が食料暴動を起こした.

 
ターチンはこの時期の疫病について国力低下と蛮族に弱みを示したマイナス要因として強調している.しかしここまでには人口減少をサイクル上昇要因と扱うこともあったので,そのあたりの説明もほしいところだ.
ともあれここからローマの第3セキュラーサイクルの分解フェーズ入りということになる.

NIBB動物行動学研究会 講演会 基調講演


 
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動物行動学研究会の講演会で長谷川眞理子さんが基調講演されるというので聴講してきた.
 

人間行動生態学へ 長谷川眞理子

 

  • 今日は昔話もふくめて,人間についてどう考えるかについて話したい.
  • 動物の行動の研究は1930年代以降にエソロジー(動物行動学)として始まった.ローレンツ,ティコバーゲン,フリッシュが1973年にノーベル賞をとったことで有名だ.
  • この受賞は私が大学3年の時だ.今中身をみると「種の保存」のような現代では否定されている間違った考え方も含まれていた.有名なドーキンスの「利己的な遺伝子」はこれをふくめたグループ淘汰の誤りを明確に指摘した本になる.余談だが,この「種の保存」の誤解は本当にしぶとくて不思議だ.先月スポーツ科学関連の講演会に呼ばれたが,その後の雑談で,ある参加者が「『利己的な遺伝子』は本当にいい本ですね.生物が種の保存のために進化することがよくわかりました」と話していて,心底がっかりした.
  • 受賞者の1人であるティンバーゲンは生物学には4つのなぜがあると説いた.それは至近因,究極因,発達因,系統進化因になる.
  • (動物行動学を越える新しい学問である)行動生態学は生物の行動についてこの究極因を考察するものになる.生物の行動は(学習やエピジェネティックスを含む)情報処理,意思決定アルゴリズムが,環境と遺伝変異の中で自然淘汰を経て進化すると捉えることが出来る.ここで重要なことは遺伝子が直接行動を支配するわけではないということだ.
  • この行動生態学は1960〜70年代に姿を現した.適応的アプローチ,究極因の研究,どのような条件でどのような行動が進化するのか,行動の適応度の測定,進化速度の測定などの研究がなされた.
  • 私は1973年に東大で進振りの時期を迎えていた.このような行動生態的な研究が面白いと思ったが,どこに進めばそういう研究が出来るのかがわからなかった.動物学教室ではミクロしかやらないといわれ,いろいろ探して,人類学教室では人類だけでなく霊長類も範囲内だということでそこに進んだ.そして霊長類を研究することになった.人類(の行動研究)は難しいと思った.人間とは何かというのは難しい.私は45歳ぐらいになってようやくある程度いえるようになった.

 

  • 1975年に欧米で社会生物学論争が巻き起こった.EOウィルソンが「社会生物学」という大著を出した.その最終章で,「いずれ人文学も社会学も生物学の一部門になるだろう」と書いて,大論争になった.
  • まず大反対が巻き起こった.いわく,生物学帝国主義だ.遺伝決定論だ,人文学社会学は独立した存在だ.ヒトと動物は根本的に違う,などなど.(いろいろ紆余曲折の末)生物学サイドは,ともかくヒトを対象に行動生態学を当てはめてみようという動きになった.私は80年代にティム・クラットンブロックの元でポスドクをやることになったが,ヒトに直接当たるのは無謀だということで,ほかの動物をやっていた.
  • 社会生物学論争に戻ると,批判者の中心はルウォンティン,グールド,サーリンズといった面々だった.サーリンズは文化人類学者として,文化の独自性を強く主張し,文化は文化でしか説明できないと論陣を張った.これは(何のエビデンスもなく)イデオロギーだった.社会生物学論争についてはセーゲルストラーレの「社会生物学論争」がよく書けている.私はオルコックの「社会生物学の勝利」を訳した.
  • 80歳を越えた某文化人類学者と意見を交わしたことがあるが,「人種なるものは存在せず,すべては文化的な区分けだ」「進化は嫌いだ」「進化論は遺伝的な差を認める差別主義だ」というばかりで全く聞く耳を持たない.科学であるなら,「何が示されたら意見を変えるのか」ということがあるはずだが,イデオロギーになってしまっている人にはそれがない.多くの社会学者や人文学者は何があっても意見を変えず,意見を変えたやつは変節だと罵る.これでは科学ではない.なお先日HBESJで60代の文化人類学者のイヌイットの話を聞いたが,彼はきちんとヒトの生物学的な基盤を認めその上に文化があるのだといっていた.文化人類学も変わってきているのかもしれない,
  • ヒトを対象に行動生態学を当てはめようという動きは1970年代に人間行動生態学が興り,1985年ごろから進化心理学が立ち上がった.国際学会であるHBESは1988年創設.初代会長はハミルトンだった.私は,閉鎖的で日本独自にこだわる日本の霊長類学会をやめてそちらに進んだ.1996年に日本で研究会を立ち上げて,その後HBESJという学会に改組している.
  • 進化心理学ではまず人間本性の研究,つまり文化を越えたヒューマンユニバーサルの探求が盛んになされた.そして領域固有な脳の働き,モジュール性,領域特殊性が強調された.1998年のHBESのポスターはそれ一色だった記憶がある.
  • 最近ではやっぱり文化も大事であると認識されるようになっている.文化の意味,文化環境の大切さが意識されるようになり,文化進化,遺伝子と文化の共進化,ニッチ構築などが数理モデルもふくめて研究されている.私もヒトにとって文化環境は非常に重要だと考えている.動物は自然環境の中で,それに対処するための身体を遺伝的に進化させる.ヒトは自然環境とともに文化環境を持ち,その中でうまくいくように遺伝子に淘汰がかかる.獲物を捕るために動物は爪や牙を進化させるが,ヒトは狩りの方法,道具,捕った獲物の分配をふくめた文化で対処する.ヒトは生まれ育った文化に従って行動し,それに対して遺伝子に淘汰がかかる.だからヒトとは何かを考えるのなら文化も考えなければならない.

 

  • このあたりで私自身のヒトについての研究についても触れておこう.
  • まずヒトの殺人についてのリサーチがある.マーチン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは殺人を調べ,(殺人率の性差や年齢曲線について)ユニバーサルパターンを見つけ,性淘汰で説明した.私はこれを日本のデータでやってみた.そこには日本特有のパターンもみつかり,それを文化的に説明しようとした.
  • 続いて児童虐待のリサーチがある.子殺しがなぜ起こるのかを進化的に考察してヒトに応用するリサーチがあり,これを東京都の研究員として都のデータを用いて児童政策のために行った.
  • 思春期のリサーチもある.これは多くの子供の10歳から20歳までを追跡する大規模コホート研究で,チームで行った.多くの論文に結実している.

 

  • 今日は特に日本の女子死亡率の推移についてのリサーチを紹介しておきたい.これはデータをとっていろいろ進めたがなかなか論文にならなかったものだ.
  • 配偶競争はオスの方が激しい場合が多い.そのような場合に性淘汰が働くとオスはよりリスクをとる戦略をとり,死亡率(特に外部要因による死亡率)も高くなる.これは基本的にはヒトにも当てはまり,多くに国の様々な時代のデータでそうなっている.
  • しかし社会の状況によっては女性の方が死亡率が高くなることもある.インド,パキスタン,バングラデシュ,モロッコなどで女性差別が激しい場合にそういう状況が観察される.ベネズエラのアチェ族でも粗放農耕社会でそういうデータがある.
  • 日本ではどうか.戦後の日本は,男性の方が死亡率が高いというよく見られるパターンになる.特に高度成長期以降は完全にそうなっている.しかし戦前にはそうではなかった.年齢40歳ぐらいまで女性の方の死亡率の方がかなり高かったのだ.その一部はお産の影響だが,幼児や10代(特に差が大きい)の死亡率の高さはそれでは説明できない.
  • 一体何が起こっていたのかをいろいろ調べた.この傾向は1884年の統計開始時から戦前を通じて見られる.死因を調べると外部要因(事故)による死亡率は男性の方が高いが,肺炎,結核などの病気による死亡率は女性の方が非常に高い.これは女工哀史のような過酷な労働,および病気になってもなかなか医者に診てもらえないという女性差別の影響だろうと思われる.
  • いろいろ調べるとその時代の女性差別の様々な状況が浮かび上がってきた.
  • ではなぜその時期に強い女性差別があったのか.これが難しい.明治以降日本の社会規範は大きく変わり,四民平等,その中での立身出世主義,そして男性嫡子相続制となった.これらの影響が考えられるが,決め手には欠ける.
  • そして進化的に考えるならどっちの方が(男子をより残すのとそうでないのと)適応度が高かったのかが気になるが,そのデータが取れない.
  • というわけで論文とはならなかったのだが,いろいろ示唆に富む部分もあるので今日お話しした.

 
 
以上が基調講演の内容になる.戦前の女子死亡率の状況はなかなかすさまじい.
 
なおこの講演会はこの後幸田正典による魚類の鏡像認知,依田憲によるバイオロギング,木下充代に夜アゲハチョウの浩司氏革新系,土畑重人による社会性の講演もあり,なかなか充実していた.