Enlightenment Now その47

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第18章 幸福 その1

 
ピンカーが取り上げる進歩の次の項目は「幸福」だ.
 

  • では,我々はより幸福なのだろうか? そうであるべきだろう.2015年のアメリカ人は半世紀前より9年も長く生き,3年長く教育を受け,一人あたり33000ドル多く得て,週8時間長く様々なものにアクセスできる環境下で余暇を楽しんでいるのだから.
  • しかしよくある印象論に従えば,アメリカ人はその数字が示すように幸福になっているようではない.人々はかつてないほど不平不満を述べ,幸福だとアンケートに回答する比率は何十年も変わっていない.ポピュラーカルチャーは「すべて驚異的だが,誰も幸せではない」というミームにあふれている.(ここでいくつもの懐疑論者のコメントが紹介されている)
  • 経済学者リチャード・イースタリンはイースタリンパラドクスと呼ばれるパラドクスを提示した.「一国内では裕福な人はより幸せだが,国際比較では一人あたり所得の高い国の国民がより幸せであるわけではない」

 

  • これは2つの心理学的な理論から説明できる.1つは「快楽のトレッドミル」だ.この理論は瞳孔が明るさ反応してその大きさを調節するように幸せの感受性は現在状況に応じて調整されると考える.もう1つは「社会比較」だ.これは人々の幸福は周りに比べてどうかという相対比較で決まるとする.だからある国が全体として裕福になっても1人1人の幸福度は変わらないというわけだ.
  • だとすれば,経済成長や健康や技術の進展に,つまり進歩に意味があるのかと考える人もいるだろう.実際に多くの論者は意味などないと主張する.彼等は「我々は精神的に貧しくなったのだ」と主張する.「個人主義,物質主義,消費主義,退廃的富,伝統的コミュニティの喪失により社会的な絆や人生の目的が失われたのだ」と.(いくつものそういう言説が紹介されている)
  • もし本当に寿命や健康や知識やレジャーやその他の面での進歩が孤独と自殺しか生まないのならこれは歴史の最大の皮肉になるだろう.しかしツボをがらがら鳴らしながらロバと一緒に歩く*1前にもう少し幸福についてよく考えてみよう.

 
主観的な幸福は,進化的に考えるとそういう状態を動機づけるために感じるわけだから,長続きさせるよりも,ある程度の期間で消失させて次の目標に向かわせるようにデザインされているはずだ,これが「快楽のトレッドミル」説で,ピンカーは「How the Mind Works:(邦題:心の仕組み)」で説得的に論じている.また自然淘汰も性淘汰も基本的には同種個体との競争に勝つ方向に効くから,目標設定は同種個体と比べてどうかという基準に依存するだろう.だから周りの人達を比べてどうかが幸福度には効いてくる.合わせると,単純に富や時間の絶対水準で幸福が決まらないというのは人生の本質になる.しかしそうだからといって進歩に意味がないということにはならないはずだ.ピンカーはここをどう説明していくのだろうか,興味深い論点だ.
 

  • 少なくとも枢軸時代(Axial Age:ギリシア哲学や諸子百家が栄えた紀元前8世紀~紀元前2世紀をこう呼ぶそうだ)から思想家たちは何が良き人生をもたらすのかを考察してきた.そして今日「幸福」は社会科学での重要論点になっている.社会科学者たちはまず芸術家や哲学者に耳を傾け,単に自省のみに陥らずに,歴史的全地球的なパターンを探し求めた.
  • まずポイントになるのは幸福が測定できるかという論点だ.芸術家も哲学者も社会科学者もウェルビーイングが多元的だということは認める.どのような軸があるのかをまず考えよう.
  • 最初に来るのは客観的に測定可能なウェルビーイングの様相だ.本人がどう感じていようともそれが良いことだとみなが同意できる恵みというものがある,寿命,健康,教育,自由,自由に使える時間などだ.基礎的な人の可能性を増やすものといってもよい.このあからさまなパタナリズムの正当化根拠の1つは寿命や健康や自由はほかのすべての前提条件になるということだ.そしてもう1つは「それが重要じゃない」などと(贅沢にも)主張できるものは(それをもっていたという)幸運な生存者バイアスの中にあるということだ.
  • 特に重要なのは自由(選択の自由)と自律性(強制されることからの解放)だ.これがそもそも良き人生とは何かを評価する前提になる.理論的には自由と幸福は別のものだ.人は害のある魅惑に屈することがあるし,選択を後悔することもある.しかし実際には自由は人生の良きことと共にある.国別に見たときに幸福度と自由のレベルは相関する.また人々は自由を意味のある人生の要素だと答える.

 

  • では幸福それ自体はどうなのか.どうやれば測定できるのだろうか.幸福は主観的体験なのだから一番いい方法は本人たちに直接尋ねることだ*2.しかし実際には尋ねるまでもないのかもしれない.ウェルビーイングについてのセルフレポートは幸福を示すと思われる数多くの指標(微笑み,快活な振る舞い,赤ちゃんを見たときの脳の活性,他者による見た目の判定)と相関している.

 
ここからピンカーは幸福について分析的に考察する.

  • 幸福には主観的感情的な側面と評価的認知的な側面がある.
  • 主観的な幸福は喜びと心配のような正負の感情のバランスの上にある.これはランダムにビープするポケベルを被験者に持たせて,そのたびに評点を報告してもらうことで測定可能だ.実際にはコストもかかるし大規模なデータセットは存在しない.理論的にはその時々の感情バランス評点推移関数の積分が幸福の測定値になるはずだ.
  • そして被験者に思い返してもらって(積分してもらって)対象期間の幸福の程度を判断してもらうのが認知的幸福になる.これは実際には難しい作業で,評点はそのときの天候やムードや直前の質問に左右される.社会科学者は,被験者は幸福と満足と想像できる最高と最低の人生を切り分けられないことを見つけている.
  • 感情と評価は関連するが,不完全だ.楽しいことがあふれるのはいい人生と言えるが,心配がないだけではそうとは言えない.ここに人生の評価基準としての「意味と目的」が関係する.

 

  • 幸福は人生のすべてではない.我々は短期的にはつらいがその後満たされるような人生航路を選択することができる.子育て,本を書くこと,崇高な目的を追求することなどだ.
  • 心理学者ロイ・バウマイスターは人が何を意味のある人生と感じるかを調べた.それによると幸福と意味ある人生の各要素は一部が共通するが,一部は食い違っている.健康で裕福で時間があれば幸福だが,それだけでは意味のある人生にはならない.幸福は現在の状況に関わり,意味のある人生は過去から未来にかけての物語が関係する.幸福だが意味のない人生は受益者のそれで,不幸だが意味のある人生は与える側のものなのだ.
  • 幸福は古い生物学的なフィードバックシステムの産物だと考えることができる.幸福の機能は我々を適応への鍵に向かわせることだ.これに対して意味は新しい拡張的なゴールの登録だ.これはヒト独特の認知的ニッチに関連する.目的は過去に根ざし,将来に向けて広がる.

 
なかなか哲学的でピンカーの文章にしては論旨がわかりにくい.しかし結論はこういうことのようだ.

  • ヒトの心理学における幸福の役割が我々に与えるインプリケーションは,「進歩の目的は幸福を無限に増大させるというものではない.しかし目の前には減らすことのできる不幸が大量にある.そして人生の意味は無限に増大させることができる」ということだ.

*1:先に引用されたコメディアンのLouis C. Kによる進歩懐疑主義的なコメントにある表現

*2:ここでサタデイナイトライブのコメディにおけるオーガズムがないことを悩む登場人物の「本当は感じているんだけどそれを知らないだけのかも」という台詞が引き合いに出されている.これがおかしいのは主観的体験についての究極の判定は経験者の感覚しかないということが明らかだからということになる

書評 「島の鳥類学」

島の鳥類学―南西諸島の鳥をめぐる自然史―

島の鳥類学―南西諸島の鳥をめぐる自然史―

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本書は奄美および琉球諸島(南西諸島)の鳥類に関する28人の鳥類学者によるアンソロジーである.扱う地域は限定的だが,日本の鳥類学の現在を示す野心作として構想されている.4部構成になっていて,南西諸島の鳥類相,分布と生態,特定鳥類の生態,保全にかかる基礎研究が扱われている.それぞれの執筆者が現在の研究の成果を紹介しており,厚みのある内容になっている.
 

第1部 現在と過去の南西諸島の鳥類相

 
冒頭に南西諸島の鳥類層の総説がおかれ,そこから幻の鳥ミヤコショウビン,リュウキュウコノハズク,アカヒゲ,アホウドリの解説が並んでいる.
冒頭の総説は力作で,まず南西諸島の地史(そしてその論争)解説されている.まず争いのない部分としては南西諸島は鮮新世(1500万年前)には大陸の辺縁であったこと,その後北琉球,中琉球,南琉球(渡瀬線と蜂須賀線で区切られる)が分離し始めたが,更新世(260万年~1万年前)に何回か中琉球と南琉球はつながっていたことが認められている.(この陸橋によって鳥類以外の生物では渡瀬線が重要だが,短いトカラ海裂間を飛翔できる鳥類では蜂須賀線の方が目立つということになっているようだ)しかしこの陸橋がいつ頃形成されたかについては意見の一致を見ていないということのようだ.ここから現在の代表的な鳥類の分布,渡瀬線や蜂須賀線の有効性(本書では旧北区と東洋区の境界は与那国と台湾の間だとすべきだという立場に立っている),分子系統地理と分類などが解説されている.
続く各鳥類の解説は楽しい.特に幻のミヤコショウビン(現在山階研究所に保管されている明治期に採集されたたった1体の標本によって種として記載されているもの)についての標本の収集経緯までさかのぼった考察は面白い.どうやらグアム島のアカハラショウビンの標本が誤って宮古島採集とされたという疑いが払拭できないようだ.この解決は残された標本のDNA鑑定によって可能だが,一度失敗したことから技術の進展を待っている段階だそうだ.
リュウキュウコノハズクの広告音の分析から分断の歴史に迫る考察,アホウドリの系統地理はそれぞれ力作だ.そしてアカヒゲの解説が楽しい.アカヒゲはコマドリの近縁種で*1,コマドリ同様に美しい声でさえずるが,コマドリのように深い森の木陰に隠れているわけではなく,生息密度が高く人家の周りでも営巣するのだそうだ(これはバードウォッチャー的には大変興味深い).ここではこのアカヒゲの形態や生活史が分布する島々で異なっていることについて遺伝子,形態,行動習性から多面的に解析し,その進化史を考察している.コマドリと分岐したのは100万年ほど前で琉球列島で冷涼な針葉樹林が消失したので照葉樹林で営巣し,留鳥になったらしいこと,その後数十万年前に沖縄の亜種(ホントウアカヒゲ)と奄美・トカラの北部亜種(アカヒゲ)に分岐,そして1万年ほど前に北部亜種の中でトカラと奄美・徳之島の集団が分岐し,さらに最近に奄美集団と徳之島集団に分岐したこと,この分岐には渡りの習性が関わっている(奄美・トカラ集団では一旦渡りが復活して亜種として分岐,トカラ集団は渡り習性を保ったが,奄美・徳之島集団では2度目の留鳥化が生じた)と考えると翼の形態を含めうまく説明できるのではないかということが論じられている.謎の探求物語としても大変面白い.
 

第2部 分布と生態の関係を読み解く

 
第2部では個別の鳥類の分布と生態のリサーチが並ぶ.最初はオオコノハズクとリュウキュウコノハズクという近縁種が同じ森林に分布している問題への考察.最近繁殖干渉について読んだばかりなので興味深いトピックだ.ここでは繁殖期,餌資源,捕食リスクがそれぞれ異なっていることを調査し,いろいろ考察がなされている.次はヤマガラとシジュウカラが共存している島とシジュウカラのみの島でシジュウカラのさえずりパターンが異なっている(しかし共存島とヤマガラのみの島でのヤマガラのさえずりには変化がない)ことについての考察.いずれも種間競争が非対称なことによる問題でなかなか実際のデータは興味深い.
続いて大東島に分散してきたことによるモズの生態の変化,シロハラクイナの生態の実態についての解説が並んでいる.
 

第3部 島に特徴的な生態と行動

 
冒頭はダイトウメジロの生態リサーチ.オスの子育てが経験と共にどのように改善していくのかを特に捕食リスクの低減の面から実際のデータで示したもので,迫力がある.
続いてリュウキュウアカショウビンのタカサゴシロアリの巣を利用した独特の営巣方法のリサーチ,バイオロギングを用いたカツオドリの行動パターンのリサーチ,鳥の巣の生態系(共生昆虫類)の調査リサーチ,西表島のメジロを中心とする混群の実態についてのリサーチが並ぶ,ここも実際のデータが興味深い.
 

第4部 島嶼性鳥類の保全の科学的アプローチ

 
第4部では保全のための基礎リサーチの内容が紹介されている.対象はノグチゲラ,沖ノ神島の営巣海鳥類,オオトラツグミ,ルリカケス,アマミヤマシギ,ヤンバルクイナとなっている.ヤンバルクイナについては2章設けられて生態リサーチと飼育下繁殖リサーチが取り上げられている.いずれも真摯な内容だ.
 
 
全体として多くの研究者の努力がつぎ込まれた,貴重な知見が詰まった書物になっている.リュウキュウコノハズクやアカヒゲの章は謎解き物語としても秀逸だし,それぞれの生態リサーチも力作揃い.保全に絡む調査の実態にも詳しい.構想通り日本の鳥類学の現状をよく示す一冊だと評価したい.


関連書籍

オオトラツグミについてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170409/1491692066

「幻の鳥」オオトラツグミはキョローンと鳴く (フィールドの生物学)

「幻の鳥」オオトラツグミはキョローンと鳴く (フィールドの生物学)

*1:学名がシーボルトの誤りによって入れ替わっているのは有名だが,ここでは触れられていない

Enlightenment Now その46

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第17章 QOL その3

 
ここまでピンカーは,20世紀以降生活のため以外に使える人々の時間と収入が増加傾向にあり,それを実際にレジャーや子どもと過ごすために使っていることを見てきた.ここからは懐疑論者のよくいう議論「最近の技術が人間らしさを奪っているのではないか」を扱っていく.
 

  • 電子メディアは人々の関係を破壊するものとよく糾弾される.確かにフェイスブックでのふれあいは実際のふれあいには及ばないだろう.
  • しかし全体としてみれば電子テクノロジーは人々の対人関係の親密性にとって計り知れないほどのメリットを与えている.百年前だと,家族の一員が別の都市に引っ越せば,二度と会ったり声を聞いたりできないかもしれなかった.何らかの事情で遠く離れて住むことになったカップルは相手から手紙を何度も読み返し,その返事が遅れるたびに,それが郵便の問題なのか,相手に何かあったのかも知ることができず,絶望的にやきもきするしかなかった.長距離電話が可能になった後も当初そのコストはバカ高かった.そして今日電子テクノロジーはかつてないほどつながることを容易にしたのだ,現在人口の半分はインターネットに接続し,3/4は携帯電話を持っている.
  • もうひとつの恵みは写真コストの低下だ.かつて多くの人は相手のイメージを心に持つしかなかった.今日のテクノロジーとその低コストは家族の写真をいつでも見られることを可能にし,さらに多くの人生の喜びを与えてくれる.
  • そして,移動コストの低減はまた別の恵みだ.鉄道や自動車は遠く離れた人と会うことを容易にし,航空機は距離のバリアを劇的に下げた.航空機燃料の高騰にもかかわらず,航空運賃は1970年代に比べて半分以下に下がっている.ニューヨーク→ロス便の運賃は(インフレ調整後で)1974年には1442ドルだったが現在は300ドル以下になっているのだ.そして運賃低下により多くの人が航空機を利用するようになっている.

 
ここで1979年から2015年の航空機運賃(アメリカ国内のラウンドトリップ運賃)の低下グラフが示されている.ソースはAirlines for America 1990年以降のグラフはここで見られる.
airlines.org

 

  • 移動コストの低下は人々を再会させるだけではない.それは人々に地球の有様をより実感させる.「旅行」と呼ばれる余暇の過ごし方は人生の喜びの1つだ.旅行は素晴らしい景色を楽しめるだけでなく我々が意識するスペースを広げてくれる.所得増加と移動コストの低減によりより多くの人が旅行を楽しむようになっている.
  • そして旅行者は美術館に列をなしたりディニーワールドのアトラクションに参加するだけではない.それは自然保護地域の増加に結びついているのだ,

 
ここで1995年から2015年の世界全体の旅行者の増加推移を示すグラフがある.1995年の7億人から2015年には12億人に増えている.ソースはYearbook of Tourism Statistics
 

  • さらに別の我々の感覚的な喜びの増加は食事にある.19世紀後半のアメリカの食事はほとんどブタと澱粉だけだった.冷蔵技術と輸送技術なくては野菜も果物も遠くに運べなかった.農家が作る野菜は(常温輸送可能な)蕪と豆とジャガイモで,(唯一作られていた果物の)リンゴはほとんどサイダーに加工されていた,アメリカの食事が「白パンと肉とジャガイモ」と呼ばれていたのには理由があるのだ.野心的な料理人はスパムフリッターとアップルパイとリッツクラッカーとコールスローに挑戦するのが関の山だった.しかし今日どんな田舎のフードコートもコスモポリタンなメニューにあふれている.

 

  • さらに精密に作られた様々な娯楽用の商品による喜びがある.今日19世紀の田舎がいかに退屈だったかを思い浮かべるのは困難だ.インターネットはもちろんテレビもラジオもない.映画も音楽レコードもなく,せいぜい本と新聞があるだけだ.男どもの娯楽は酒場で飲むことだけだった.今日ではどんな田舎の住民でも100以上のテレビチャンネルを選ぶことができ,何億ものインターネットページにアクセスできる.百科事典的知識も高等教育プログラムも容易に手に入る.
  • 裕福な西洋諸国の都市住民にとって美術や文学へのアクセスは大幅に容易になっている.私が学生だったときにはどんなに有名な作品であっても映画を見るにはそれが近くのどこかの映画館で上映されるのを待つか,テレビの深夜放映を見逃さずに見るしかなかった.今日映画も音楽もオンデマンドでストリーミングされ,スマホとヘッドホンでどこでもいつでも楽しめる.そしてそれはインターネットに接続できれば誰にでも開かれているのだ.
  • 文化にとっていつが黄金時代かは議論の余地もないだろう.それは今なのだ.

 
このピンカーの最後の論点は全くその通りというしかない.私が物心ついたときには既にテレビがあったが,白黒で,チャンネル数は4つだけ(日本の地方によってはNHK2,民放1の3チャンネルだけのところも結構あった)だった.映画は年に1,2回連れて行ってもらえる特別な娯楽だった.UHFでチャンネル数が2つ増えたときには非常に嬉しかった.1970年代には音楽は真剣に聴くもので,FMをエアチェックし,乏しい小遣いをやり繰りして年に何枚かのLPを買うのが楽しみだった.それがどうだろう.今や画面はHDから4Kになり,ストリーミングでほとんどどんなものでもアクセスできる.まさに現在こそ黄金時代なのだ.

Enlightenment Now その45

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第17章 QOL その2

QOLの上昇,雇用労働時間の面での進歩をまず見た.さらにピンカーは家事労働時間の減少も取り上げている.

  • 第9章では冷蔵庫や掃除機や電子レンジの普及を見た.さらに電力,水道が整備され,家事労働時間も大きく減少している.アメリカの家事労働は1900年代には週58時間だったのが,2011年には15.5時間になっている,洗濯だけ見ても1920年の11.5時間が2014年には1.5時間に減っている.

 
ここでアメリカの1900年から2015年までの様々な家電の普及率と家事時間の推移グラフが掲載されている.ソースはOur World in Data
 
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  • 家事時間の減少は,(歴史的な現実から見ると)女性の解放の実現の1つだ.家事を女性に押しつけることの問題は18世紀から議論されていたが,それが実現するには技術の進展が必要だったのだ.(トーマス・エジソンのコメントが紹介されている)


ピンカーは余暇時間の増加の次に照明を取り上げる.
 

  • 技術の向上による生活の質の向上は家事時間の減少のみではない.灯りもそうだ.
  • 光は人々に力を与える.だからそれは優れた知性と精神への選択についてのメタファー(つまり「Enlightenment」)として使われている.元々ヒトの生活の半分は闇の中だった.人工的な灯りが生まれて初めて夜に本を読んだり外出できるようになった.ノードハウスは照明の単価の下落「進歩」の指標として使っている.インフレ調整後で比較すると中世から現代まで照明単価は1/12000まで低下している.

そのグラフが掲載されている.イングランドにおける百万ルーメン時間(80ワット電球で833時間)のコストは1300年頃には35000ポンドだったのが.現在では3ポンド程度になっている.ソースはOur World in Data
 
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Our World in Dataには照明消費の推移もある.

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  • 照明の単価の貨幣価値の低下は進歩を過小評価しているだろう.なぜなら本当のコストはその金額を得るための苦労やリスクだと考えるべきだからだ.ノードハウスは1時間読書するための照明エネルギーを得るために何時間働かなくてはならないかを試算している.BC1750年頃のバビロニアではオイルランプの油を得るために50時間,1800年頃の英国ではその分のロウソクを得るために6時間,1880年には灯油ランプの灯油のために15分,1950年には電球の電力を得るために8秒,1994年には蛍光灯用の電力を得るために0.5秒働くことになる.これは1/43000の改善だ,そしてその後LEDによりさらに改善しているはずだ.*1
  • 電力や食糧を得るための必要時間の減少は一般原則に従っている.テクノロジーの専門家ケビン・ケリーはこういっている.「テクノロジーの進展が続くなら,時間と共にそれらのコストはゼロに近づく.」 生活必需品が安くなり,それらをまかなうための必要労働時間が減り,それ以外に使える時間と金が増えていく.


1929年から2016年までのアメリカの消費に占める生活必需品の割合推移グラフが示されている.60%程度から35%程度に下がっている.ソースはHuman Progress(https://www.humanprogress.org/
これはエンゲル係数とよく似た話だが,食糧だけでなくより広く生活必需品としているので「進歩」が見えやすいという趣旨なのだろう.日本のエンゲル係数は戦後すぐの時期の65~60%程度から着実に下がり続け,2000年頃23%まで低下し,その後横這となっている.リーマンショック以降25%に小幅上昇したのが話題になったのも記憶に新しいところだ.


ここまで余暇と生活必需品以外に回せる収入が増えてきたことを見てきた.ではそれは本当にQOLの上昇につながっているのだろうか.進歩懐疑主義者の主張はここに集中する.

  • では人々は自由になった時間と金を何に使っているのだろうか.生活を本当に豊かにしているのだろうか,それともゴルフクラブやブランドハンドバッグをたくさん買っているだけなのか.
  • 何が高い質の生活かを(他人が)決めるのは図々しい限りだが,多くが賛成できることもある.それは愛する人や友達とつながること,自然の豊かさや文化的な豊穣さを経験すること,知的芸術的な成果物にアクセスすることが豊かな生活につながるということだ.
  • メディアがしばしば取り上げ多くの人が信じているのは「現代人は時間に追われて家族団らんの夕食を楽しめなくなっている」という話だ.しかしこの話は,現代化が人々に与えた毎週24時間の余剰時間を考慮に入れて考察すべきことだ.
  • 人々は自分たちがいかに忙しいかについて不満を言いつのるが,時間に注目して調べると別の姿が浮かび上がる.2015年,アメリカの男性の平均レジャー時間は週42時間で50年前に比べて10時間増えているのだ.女性のそれは36時間でこれも6時間増えている.西欧でも同じ傾向だ.

(その推移グラフが示されている.ソースはアギアーとハースト2007)
 

  • そしてアメリカ人はよりせかされているわけではないことも示すことができる.社会学者ジョン・ロビンソンは「いつもせかされているように感じる」と答える人の比率の1965年から2010年までの時間的推移を推計した.最低は1976年の18%,最高は1998年の35%だが,時系列としての継続的なトレンドは見いだせない.そして家族のそろう夕食の比率も1960年と2014年ではほとんど違いはない.
  • それどころか20世紀を通じて親は子どもとより時間を過ごすようになっている.1924年,1日2時間以上子どもを過ごす母親は45%,1時間以上子どもと過ごす父親は60%だった.1999年にこの比率はそれぞれ71%,83%になっている.今日のシングルマザーは1965年の専業主婦の母親より子どもと接しているのだ.おそらく人々は60年代の黄金時代の家族団らんの実情について思い違いをしているのだろう.

日本での余暇時間はどうなっているだろうか.総務省の社会生活基本調査にその数字があるが,残念ながら1976年以降のデータしかないようだ.それを見ると1976年から2016年にかけて余暇時間はほぼ横這い(男性が週112時間から107時間に減少,女性が105時間から106時間に増加)となっている.週休2日制が大きく進展したのは1990年代だからこの数字は意外だ.この面では日本のここ40年間はあまり進歩がないのかもしれない.現在の働き方改革政策の実効性が期待されるところだ.

*1:本当は電灯や蛍光灯やLED機器の耐久時間に見合った償却費も加味すべきだろう.そうしても照明単価の驚異的な低下自体は動かない

Enlightenment Now その44

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第17章 QOL その1

 
第17章ではピンカーはQuality of Life(生活の質)を取り上げる.なぜこれを取り上げるのか.ピンカーはこう始めている.
 

  • 感染症や飢餓や文盲の問題を解決したことを示しても「経済学者が示すようなもので人の幸福が測れるのか」という懐疑を持つ人がいるかもしれない.「基礎的な需要が満たされた後はそれ以上の富は浅薄な消費につぎ込まれているだけではないのか? かつてソ連や中国やキューバで健康増進や識字率の向上が大々的に宣伝されたが,そこでは人々はあまり幸福ではなかったのではないか? 人は健康で文字が読めても意義ある人生を歩めるとは限らないのでは?」
  • この手の疑問の一部には既に答えている.全体主義は退潮傾向だ.女性や子供やマイノリティの権利保全は着実に向上している.ここではより広い文化悲観主義(物質的な富は浅薄な消費とくだらない享楽に役立っているだけではないのか)に答えていこう.

 
具体的な数字の提示や議論に入る前にピンカーはこの手の懐疑主義者に一発入れている.

  • ここではっきりさせておこう.この手の批判は文化的宗教的エリートの人間嫌いという長い伝統の上にある.20世紀初めの英国のエリートは一般庶民への軽蔑を隠さなかった.そのような文脈では「消費主義」という言葉はしばしば「私じゃない人間による消費」という意味で使われる.そしてそのようなエリート自身,ハードカバーの本,うまい食事とワイン,芸術,海外旅行,子どもを有名大学で学ばせることを鼻にかけているにもかかわらずだ.

ピンカーはここで古いジョークを1つ紹介している.

共産主義者が革命を煽る「労働者よ,革命に参加せよ,革命が成就すればみながアイスクリームといちごを食べられるようになる」.群集の先頭の男がつぶやく「でもアイスもいちごもあまり好きじゃないんだが」.アジテーターはこう叫ぶ「革命に参加せよ,そうすればアイスもいちごも好きになる」

 

  • アマルティア・センはこの罠を「究極のゴールは選択が可能になることだ」と定義して避けた.マーサ・ヌスバウムは一歩進めて「すべての人が実現の機会を与えられるべき基本的な可能性のセット」とした.彼女のリストには,長寿,健康,安全,識字能力,知識,表現の自由,政治参加の自由が並び,さらに美的経験,リクリエーション,遊び,自然を楽しむこと,感情的絆,社会的帰属,その人自身の定義による良い生活を送ることまで含まれている.
  • ここでは現代がこれらの可能性をどう広げてきたのかを見ていく.そしてこれらの可能性領域の拡大こそ進歩と考えられるものだ.

 

ピンカーはここから具体的なテーマを扱い始める.最初は自由になる時間だ.

  • 生存のために必要な時間の減少は進歩の1つの指標になるだろう.初期農業は日の出から日の入りまでの労働が必要だった.狩猟採集民は確かに狩猟と採集自体には1日数時間しか使わないが,取ってきた食物のプロセシングに多大な時間を使っている.
  • 西欧では1870年の平均労働時間は66時間,アメリカでは62時間だったが,現在はそれぞれ28時間,22時間減少している.1950年代に私の祖父はモントリオールの市場のチーズカウンターで働いていたが,昼夜週7日年365日こなし,解雇を恐れて労働時間の短縮を言い出せなかった.労働法が強制適用になるまで,毎週1日の休みはなかった.
  • 今日多くの人々は休日に本を読んだりオシャレして出かけたり国立公園を訪れたりできる.これはまさに現代化の恩恵だ.
  • われわれはしばしば引退後の財政問題を悩むが,そもそも「引退」のコンセプトはここ50年ほどで現れたものだ.少し前まで平均的なアメリカ人は働いた後は死ぬだけだった.現在の平均引退年齢は62歳だが,100年前のアメリカ人の平均寿命は51歳に過ぎなかったのだ.

西欧とアメリカの1870年から2000年の労働時間の推移,アメリカ人の65歳以上で働き続ける人の比率の1880年から2010年までの推移グラフが載せられている.労働時間は60時間台から下がって現在40時間ほどになっている.アメリカ人の高齢者の労働割合は70%台後半から下がり,現在は20%台になっている(なお2000年代以降は少し上昇している).ソースはローザー2016およびハウゼル2013

なおOur World in Dataにも労働時間のグラフがある.

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  • かつてアメリカでは労働者は高齢で働けなくなった後は経済的な困難に直面する可能性があった.しかし今日様々なセイフティネットの整備に伴い高齢者は若者よりリッチになっている.労働運動や法制化はかつての夢物語である「有給休暇」を実現させた.
  • 労働時間の減少,早期退職,休暇制度の充実により,平均的なアメリカ人の総労働時間は1960年頃の3/4になった,そしてこれは全世界的な傾向だ.

 
ピンカーは扱っていないが,Our World in Dataには国別の一人あたりGDPと労働時間の散布図も掲載されている.この図は2014年のものだが,サイト(https://ourworldindata.org/working-hours)においては下側にバーがあってこれを動かして1990年から2014年まで連続的に見られるようになっている.基本的に豊かになると労働時間が減るのだが,シンガポールと香港が外れ値になっているのが興味深い.

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日本でも労働時間は着実に減少している.厚労省のサイトで見てみると年間総労働時間は1960年頃は2400時間を超えているが,2016年で1724時間となっている*1.(なおこれはパートタイムを含んでいるのでその比率の影響も受けていると思われる.一般労働者の総労働時間は2000年以降は2000時間強で横這いになっている.)昭和の高度成長時代には365日休みなしの農村から都会に出て工場などで働くと日曜日が休みになるという魅力があるのだといういわれ方がされていたものだ.
日本の退職年齢や退職者の比率の長期間のデータは見つけられなかった.最近では退職年齢引き上げが基本的な傾向(日本だけでなくドイツ,フランスなども引き上げ傾向)なのでこれはピンカーの議論とはうまく整合しないのかもしれない.日本では大企業等では一律定年制が基本であるのに対し,アメリカでは,基本的に雇用者側の解雇自由とセットで定年制度がない(一律定年制は基本的に年齢に基づく差別ということになる)ので,少し事情は異なってくるだろう.

*1:なおこれは最近何かと騒がれている毎月勤労統計の数字になる