Enlightenment Now その74

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その4

 
ピンカーによるヒューマニズムの擁護.まず価値の議論をエントロピーと進化の視点を用いて行い,次にその功利主義的側面についての道徳哲学者からの批判に反論した.ここからヒューマニズムに真っ向から立ち向かう2つの信念価値体系(有神論的道徳とロマンチックヒロイズムイデオロギー)からの批判に反論していく.
  

  • ヒューマニズムは人々が理性的なときに収斂する道徳コードではあるが,薄っぺらいただの共通基準といううわけではない.それは非常に魅惑的な2つの道徳基準と真っ向から衝突する.それは「道徳は神の命令に従うことだ」という有神論的道徳と,「道徳は個人や国家の純粋さ,権威,偉大さで構成される」というロマンティックヒロイズムだ.後者は元々19世紀の思想だが,昨今の権威主義的ポピュリズム,ネオファシズム,オルタナ右翼にも見られる.
  • さらに多くのインテリは自分ではそれに賛同しないにもかかわらず,ロマンティックヒロイズムにはヒトの心理の真実の一片を捉えており,大衆には神の権威やスピリチュアルな英雄が必要なのだとする.彼等はヒューマニズムは間違っていないかもしれないが,ヒトの本性には反していると言う.そして心理学的コメントから歴史的コメントに進むのは簡単だ.彼等はヒトの本性に反したヒューマニズム(そしてリベラル的コスモポリタン的啓蒙運動的世界観)は不可避の崩壊に直面していると言うのだ.(具体例としてボストングローブの編集者の記事が紹介されている)

 

  • だとすると私は本書の書名を「啓蒙運動,とりあえず続いているうちは」にすべきなのだろうか.馬鹿な! 第2部で私は進歩の実態を描いた.第3部ではここまでそれを進めてきたアイデアとそれがなぜ今後も続いていくと考えるのかを論じてきた.ここからはヒューマニズムへの批判に反論していこう.批判者がどう間違っているかを示すだけでなく,ヒューマニズムの代案とされているものを徹底的に分析し,啓蒙運動の理想を捨てることがどんな結果につながるかを見ていこう.まず宗教的批判を分析し,それからロマンティックヒロイズムを分析する.

 
粗悪な進化心理学的議論を用いるイデオロギーに対するピンカーの怒りが透けて見える.このロマンティックヒロイズムがヒューマニズムへの最大の敵になるが,まず有神論的道徳からの批判への反論から始まる.この部分はピンカーの新無神論への傾きが見えるところでいろいろと興味深い.ピンカーの議論を詳しく紹介しよう. 
まず宗教家や宗教擁護者から浴びせかけられる言い方(後者のは最新のもののようで面白い)を紹介している.このあたりは一神教が優越する社会ならではということなのだろう.
 

  • 我々は神なしで善をなし得るのか? ヒューマニズムを信奉する科学者が押し進めた「神のいない宇宙」は科学の知見によって否定されたのではないのか? つまりDNAにあるという「ゴッド遺伝子」,あるいは脳の「ゴッドモジュール」は世俗的ヒューマニズムに対する有神論的宗教の優越を示唆しているのではないのか?

 
ここからがピンカーによる議論になる.

  • まず有神論的道徳を吟味しよう.確かに多くの宗教的道徳コードは殺人や暴行傷害や盗みや裏切りを禁じている.しかしもちろん世俗的道徳コードも同じものを禁じている.そこには明白な理由がある.理性的な人なら皆合意したいルールというのはあるのだ.そして当然ながら,これらは全ての国で法律にもなっている.
  • では人々がうまくやっていくために有神論的道徳が世俗的道徳に付け加えるものは何だろうか.最も明白なアドオンは超自然的な罰の遂行への信念だ.世俗的道徳遂行者はすべての罪を見つけて罰することはできないのでこれは魅惑的になりうる.

 

  • しかし有神論的道徳には致命的な欠点が2つある.
  • 第1に神が存在することを信じるべきよい理由がないことだ.よく持ち出される信仰,啓示,聖書,権威,伝統,主観的体験はそもそも議論にならない.むしろ信用できないことを示唆しているようなものだ.そして単に信じる理由がないだけではない,異なる宗教が神の数や神の要求などについて互いに相容れない信念を持っていることも大問題だ.
  • 神の存在についての神学者や哲学者の議論も皆健全ではない(数々の例が説明されている)一部の論客はそもそも科学はこのような宗教の議論を評価することはできないと言い張るが,科学は恣意的なルールで行うゲームではなく宇宙を説明するための理性の利用法であり,聖書に書かれている神の存在,非物質的不滅の魂の存在などは検証可能な仮説になる.もちろん一部の宗教擁護哲学者のように「時空と物理法則の創造のみ行ってあとは見守るだけの神」という議論は可能だが,そうなるともはや道徳には関連性がなくなるだろう.
  • かつて宗教は天災などの自然現象を説明してきた.科学の進歩と共に宗教の説明スコープは縮まり続けているが,科学が解明できていないことを説明する「ギャップの神」は(事実の説明としての)宗教擁護論のラストリゾートになっている.最近よく主張されるギャップは「物理の基礎定数のファインチューニング」と「意識のハードプロブレム」だ.しかし結局宗教のギャップの説明は「雷雨はゼウスがいかずちを投げているから生じる」というたぐいの説明でしかない.(物理定数の問題についてのマルチバース仮説を含めた詳しい説明,さらに意識の問題についてハードさはそもそもの概念のところにあること,どちらにしてもそれは不滅の非物質的魂には結びつかないことの詳しい説明がなされている)

 

  • もう1つの有神論的道徳の欠点は,仮に神が実在したとしても神の命令は我々の道徳の基礎にはなり得ないことだ.プラトンは「もし神の命令に従うことによい理由があるなら,そもそも神に命じてもらう必要はないし,よい理由がないなら従うべきではない」と言っている.要するに思慮深い人は永遠の罰で脅されなくとも殺人やレイプをしないし,逆に神に命じられても殺人やレイプをしないのだ.
  • 有神論的道徳主義者は,一神教の神は(ギリシャ神話の神々と違って)非道徳的な命令をしないと主張するが,聖書を読んだことがあればこれは嘘だとわかる,聖書の神は何百万人も無実の人々を殺し,イスラエル人にジェノサイドを命じている.今日の宗教家は旧約聖書の記述をチェリーピックしているが,それこそがポイントだ.彼等は聖書を啓蒙運動ヒューマニズムのレンズを通して読んでいるのだ.
  • よくある「無神論は我々を道徳相対主義に導き,そこでは誰もが好き勝手できるようになる」という議論はエウテュプロン*1的議論で反論できる.ヒューマニズム道徳は理性と人々の利益というユニバーサルな基盤の上にある.これに対して宗教的道徳こそが相対的だ.何のエビデンスもなく「神が言った」と言えばどんな内容でも道徳になってしまうし,それぞれの部族の宗教によって道徳は異なることになるのだから.
  • そして有神論的道徳は単に相対的であるだけではない.それは非道徳になり得るのだ.神は異端を殺せと命令することができる.不滅の魂という概念は現生のインセンティブを無効化できる.「神聖な」価値のために戦う者は妥協できなくなる.
  • 実際に多くの歴史家が宗教戦争は長く残虐になりやすいと指摘している.(一神教同士の宗教戦争,一神教の中の宗派対立による宗教戦争合わせて30の戦争で55百万人の死者が出ているというリサーチが引かれている)
  • では「2つの世界大戦は宗教的道徳が弱体化したために生じた」という主張はどうか.スティーブ・バノンによる「第二次世界大戦はキリスト教的西洋と無神論者の戦いだった」という主張は全くの「お馬鹿帽子の歴史(dunce-cap history)」だ.第一次世界大戦の主要対戦国はトルコを除いてキリスト教国だった.第二次世界大戦の主要対戦国で無神論の国はソ連だけだ.宗教擁護派は共産主義イデオロギーによる悲惨な戦争禍を持ち出してみたりするが,議論になっていない.もし宗教が道徳の根源なら,宗教戦争はゼロのはずだ.そしてそもそも無神論自体は道徳システムではない.有神論的道徳の代替選択肢はヒューマニズムなのだ.

 
有神論的道徳の欠点についての議論の骨子はまさにドーキンスやデネットの主張する新無神論の議論そのままだ.最後のバノンへの批判は最近の事柄で,この似非インテリのでたらめ振りへのピンカーの怒りがわかる.

*1:エウテュプロンはプラトンの初期対話篇の1つ.ここでは相手の理屈をそのまま使って反論する議論のことを指しているようだ

書評 「Upheaval」

Upheaval: How Nations Cope with Crisis and Change (English Edition)

Upheaval: How Nations Cope with Crisis and Change (English Edition)


本書はジャレド・ダイアモンドによる一般向けの啓蒙書.ジャレド・ダイアモンドは元々熱帯の鳥類が専門の進化生物学者だが,ヒトを進化生物学的に解説するとどうなるかについての啓蒙書「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか(文庫化前の邦題:セックスはなぜ楽しいか)」「人間はどこまでチンパンジーか?」を手がけるようになり,さらに人類の歴史をテーマにした著作「銃・病原菌・鉄」「文明崩壊」「昨日までの世界」を書き,その際の分析法として歴史の自然実験による比較法をテーマにしたアンソロジー「歴史は実験できるのか」にも編者として関わるようになる.
 
本書は,この人類の歴史を比較分析するという試みの中でテーマを「国難をいかに乗り切ったか」に置き,6つのケーススタディを取り上げ,そこで得られる知見を整理し,さらに日本,アメリカ,世界が現在直面している危機にどう対処すべきかまで踏み込むという構成になっている.6つのケーススタディはいずれも迫力のあるもので,歴史読み物としても大変面白い.取り上げられているのは以下の6つになる.

  • 第二次世界大戦および戦後においてソ連の侵略そして共産化の脅威に直面したフィンランド
  • 日本の鎖国を破る黒船襲来(本書の表紙には黒船に向かう吉田松陰の図が使われている)
  • チリの軍事クーデター
  • インドネシアの独立後の混乱
  • 2度の大戦に敗北したドイツ
  • 英国から徐々に見放されたオーストラリア

 
そして国難を乗り切るには,何が必要かを考察していく.またここで得られた洞察を元に,現在進行中の日本,アメリカ,そして地球の危機にも考察を進めているのだ.

プロローグ

 
プロローグに置かれた総論においては国難克服を考える際に個人的な危機を乗り越える場合との比較をすることが有用であること,そしてうまく対処するには選択的な変化を起こすことが鍵になることが語られている.また6つのケーススタディはある意味比較法を意識していることをあかし,しかし定量的な分析には踏み込めずにナラティブな探索に止まっていることを認めている.
 

第1部 個人

 

第1章 個人的危機

 
第1章はこれから国レベルの危機対処を見る前に,比較対象としてダイアモンド自身の個人的危機対処の具体例が示される.ダイアモンドは生理学者を目指し,ハーバード卒業のあとケンブリッジの博士過程に進む.しかしそこでイオンの計測などの実験の手腕がなく,不可解な計測データしか得られず,研究室では単なる役立たずになってしまう.学者になるのをあきらめて通訳になろうかと思い詰めたときに,父親から,通訳になるのはいつでもできるのだからもう1年じっくりやってみればと示唆される.そして不可解なデータを見つめ直し,新しい発見に結びつけることができ,無事に博士号を取得してアメリカに戻ることができたそうだ.(このほか離婚などの危機についても触れられている) ダイアモンドは個人的危機についてこうコメントしている.

  • 個人的危機への助言や相談の効果は様々だ.一番うまくいくのは,助言をきっかけに問題を認識し,新しい取り組み方を発見できたときだ.
  • リンデマンが体系化した個人向けの危機セラピーがある.まずセラピストは患者の麻痺を「フェンスを作る」ことにより取り去る.問題を囲い込み,その外側にあるものは問題ないとする.次に問題対処の別のやり方を示唆する.特に選択的な変化が重要だ.そしてなぜ「今すぐ」取り組むべきなのかを納得させる.
  • セラピストたちは個人的な危機対処の巧拙を左右する12の要因を見いだしている.危機認識,対処責任の受容,問題の囲い込み,他者からの援助,対処モデルの存在,自我の強さ,正直な自己認識,対処の経験,忍耐,柔軟なパーソナリティ,コアヴァリュー,制約からの自由だ.
  • 国難への対処についてもこの12の要因はほぼパラレルに扱うことができる.(自我,柔軟性,コアヴァリューについてはメタファー的であるとも認めている)さらにいくつか追加要因があるだろう.政治的経済的組織の役割,リーダーの役割,グループ意思決定,解決が平和的か暴力的かなどだ.

 

第2部 国家

 

第2章 フィンランドの対ソ戦

 
最初のケーススタディはフィンランドだ.第二次世界大戦時のフィンランドの地政学的な位置(ソ連と直に国境を接しており,ソ連第二の都市レニングラード(現サンクトペテルブルグ)を容易に押さえられる位置にある)を考えるとなぜバルト3国のようにソ連共産圏の衛星国家にされてしまわなかったのかというのはなかなか不思議だ.日本ではあまり解説されることはないが,そこには劇的な物語がある.少し詳しく紹介しよう.ダイアモンドは次のように描写している.

  • フィンランドは12世紀頃から歴史に現れるが,常にロシアとスウェーデンの間で領有が争われていた.1809年からは一定の自治権を持つロシアの一部であった.人口もわずかでヨーロッパからもほとんど注目されていない地域だった.
  • 言語はインドヨーロッパ語族に属しないフィンランド語*1で,フィンランド人は(シベリウスや北欧デザインの洗練さと並んで)それを誇りにしている.(遺伝的には75%スカンジナビアンで25%が東方起源となっている)
  • ロシア革命の生じた1917年に独立を宣言するが,リベラル民主主義資本主義親ドイツグループと共産主義親ソ連グループの間で凄惨な内戦となる.内戦はリベラルグループの勝利となるが,ソ連の恐ろしさはフィンランド人の心理に埋め込まれた.ドイツでナチが権力を握るとフィンランドは中立主義をとり,軍備を増強した.
  • 1939年ナチドイツと不可侵条約を結んだソ連はフィンランドとバルト3国に領土割譲を要求した.フィンランドだけがそれを拒絶し,ソ連はフィンランド領に攻め込む.フィンランド軍は応戦し,ウィンターウォーが始まる.
  • 戦力差は圧倒的だったが,地の利を活かしフィンランド軍は善戦した*2
  • 外部からの支援はごく少数のスウェーデンの義勇兵だけだった.ドイツは不可侵条約を破るのに消極的だったし,アメリカは孤立主義から脱却できていなかった.そして英仏は既に対独戦に突入しておりそれどころではなかったのだ.
  • 1940年1月,ソ連軍は物量作戦に出て,ついに2月にフィンランド軍の防衛線を突破した.フィンランドは和平交渉を行い,カレリア州の割譲を条件に停戦した*3.スターリンはこれまで見せたフィンランド軍による頑強な抵抗による損耗が今後想定される対独戦に与える影響を考えて全土征服を思いとどまったのだろうと思われる.
  • 1941年ヒトラーはソ連に攻め込む.フィンランドは一旦中立を宣言したが,結局ソ連から都市爆撃を受けるにいたり,やむなくソ連に宣戦布告する(これは継続戦争と呼ばれる).ドイツ軍の攻勢の間にカレリア州を奪い返すが,そこを越えての進軍は(ドイツからレニングラード攻撃の催促を受けても)拒否した(フィンランドは枢軸に加わったわけではなく,たまたま敵がドイツと同じだけだったという立場を貫いた)
  • 1944年,独ソ戦がソ連の攻勢に変わり,ソ連軍はカレリア州に迫ったが,フィンランド軍は防衛線を死守した.スターリンはベルリン到達を第一目標にしてフィンランド戦線では無理をしなかった.7月フィンランドはソ連と和平交渉を始め,賠償金,ソ連との貿易協定(一部製品の輸入義務を含む),カレリア州の再割譲とフィンランド内にソ連軍港を1カ所設置することを条件に停戦した.
  • 第二次世界大戦終了後,フィンランドは共産化のリスクに直面する.ソ連はバルト3国だけでなく東ドイツを含む東欧全域の共産化を進めていた.
  • フィンランドはこの危機に対して新しい外交政策を採る必要があった.ソ連と緊密に接触し,スターリンの関心がイデオロギーではなく地政学的なものであることを理解し.まず信頼を得ることとした.停戦条約および引き続いて結ばれた平和条約(フィンランドの戦争犯罪人の処分が含まれた)を遵守し,アメリカのマーシャルプランも謝絶した.EEC, EFTAだけでなく東欧諸国とも条約を締結した.そして貿易を通じてソ連への西側技術の提供源となることにより,共産化への誘因を減少させた.民主主義の理念を曲げて,ソ連批判を自己検閲し,ソ連の求めに応じて大統領選挙日程も調整した.
  • このようなソ連宥和政策はほかの西側諸国から「フィンランド化」として侮蔑の対象になったが,結果的には共産化を避けてソ連の衛星国にならずに西側にとどまり経済繁栄を享受することにつながった.

 
ここからダイアモンドは先ほど挙げた要因がフィンランドの場合にどう効いているかを個別に分析している.そして特に重要だったのは「独立」というコアヴァリュー,国内でのコンセンサスの醸成だったとし,さらにリーダーシップの役割,内戦時のコンフリクトの解消について考察している.
 

第3章 現代日本の起源

 
ダイアモンドの第2のケーススタディは明治維新になる.明治維新は近現代で最も成功した選択的変化による国難克服の実例だとし,ペリー来航から明治維新,そして第二次大戦突入までの推移を語っている.明治維新のテーマは孤立を守りたいという望みとそれは現実的に不可能であることの認識,そして時間を稼ぐための妥協だったというのがダイアモンドの見たてになる.ダイアモンドのコメントをいくつか紹介しよう.

  • 明治維新のリーダーたちの決断は3つの原則にまとめられる.(1)日本は西洋のやり方を取り入れて強国にならねばならない(2)不平等条約の撤廃のために西洋スタイルの国家に見えるようにならねばならない(3)取り入れるモデルは分野ごとに最も日本にふさわしいものを選べば良い.
  • 選択的変化は日本人の生活に大きな影響を与えた.明治のリーダーたちは自ら海外を視察し改革を進めた.わずか数年で封建制度を廃止し,教育制度と税制を改革した.教育制度は人材の育成を可能にし,のちに先進国で最も平等な社会を作るのに役立った.次に西洋式の法制度を整備し,憲法を制定した.強国化は西洋の武器を買うことから始め,軍の制度を整備した.海軍は英国に陸軍はドイツに範を求めた.その他西洋式の郵便,鉄道,電信,銀行システムを導入した.服装や髪型も急速に西洋化した.これらの変化の特徴は,変化の順序そして日本に最も合うモデルはどこかを慎重に考えて,様々な国の制度を段階的にそしてモザイク的に取り入れているところだ.そして片方で,儒教的モラル,天皇への崇拝,民族的一体感,神道,文字文化は変化させなかった.
  • 強国化に邁進した日本は海外への拡張を始める.日露戦争に至る成功は,正確で現実的で慎重な現実認識の上になされたものだ.しかしリーダーが世代交代するにつれて認識は現実的なものから乖離し,ついにほとんど世界中を相手にする戦争に突入して敗北するに至る.

 
ここからダイアモンドは明治維新の成功について先ほどの要因別に分析を行い,ほとんどすべての要因がポジティブに効いており,そして特に対処モデルの存在,現実的現状認識について優れていたと評価している.また改革の様式は平和的と暴力的の中間程度であったこと,(西南戦争などの)内乱後の和解がきっちりなされていることなどについてもコメントしている.
 

第4章 すべてのチリ人のための1つのチリ

 
次のケーススタディはチリだ.チリはピノチェトの軍事独裁までは南米一の民主主義国として知られていた.それがなぜあのような虐殺と拷問で名高い独裁に落ちたのか,そしてそこからどのようにして民主主義に復帰したのかが描かれる.これは民主主義が自動的に永続するわけではないことを示しており,ワイマールドイツと並んでよく吟味すべき歴史の教訓になるのだ.

  • チリは南北に細長いが,人口のほとんどは温暖で肥沃な中央の平野に集中しており,前面の太平洋,背後のアンデス山脈,北の砂漠に囲まれた地政学的に非常に恵まれた国だ.また国民はほとんどスペイン系とメスチゾのみで構成されており,ほぼすべてがスペイン語を母語とするカトリック教徒であり,国民の一体感は強い.ただしスペインの植民地時代に形成された大土地所有制はその面でネガティブな要素になる.
  • 民主主義は根付いていたが,1925年の憲法が大統領,上院,下院の権力の分立を図った結果,左派,中道は,右派がいずれもにらみ合う構図になり,政治的に袋小路に入ることが多くなった.第二次大戦後,大土地所有への反発,女性参政権の成立によって左翼への投票が増えるようになる.1964年に中道派のフレイが大統領に当選し,翌年彼の党派が下院も制する.しかし左派も右派も反発して政治的には行き詰まり,チリ経済はインフレとストライキに苦しむ.
  • 1970年に左派のアレンデが36%の得票率ながら大統領に当選する.アレンデはチリへのマルクス主義政府の導入を目指し,アメリカ資本だった銅鉱山会社を国有化しようとする.しかし当時は冷戦下でキューバの共産化の直後だったこともありこの政策パッケージをアメリカが容認するはずもなかった.これは結局政治的大混乱とハイパーインフレーションを招く.基盤だった労働者もストライキを頻発し,カトリック教会もアレンデに反対する.(ここでダイアモンドはなぜ手練れの政治家だったアレンデが実現不可能な政策に突き進んだのかを考察している)
  • そして1973年にそれまで政治から一歩引いていた軍部が動き出し,クーデターが起こる.当初チリ人たちは混乱が収まり,選挙を管理したあと軍部は背後に下がるだろうと楽観していたが,結局軍事独裁は17年間続くことになる.
  • 権力を握ったピノチェト将軍はチリ左派の文字通りの皆殺しを図る.最初の10日間だけで数千人の左派が残虐な拷問の末に殺された.皆殺しプログラムは外国に逃れた活動家の暗殺にまで及んだ.軍事政権はすべての政治活動を非合法化し,議会を閉鎖し,大学を乗っ取った.なぜ成熟した民主主義国家がここまで簡単に堕落したのか,1つは国民の中の分断が深刻だったことだが,もう1つはピノチェトの個人的性格ということもあるだろう.
  • ピノチェトのもう1つの政策目標はかなり極端な自由市場主義の導入だった.彼はシカゴ大学の(ミルトン・フリードマンの流れをくむ)自由市場主義者たちをアドバイザーとして雇い入れて自由にやらせた.これは成功した.ハイパーインフレは収まり,海外からの投資を呼び込み,年率10%を越える経済成長を達成した.国民間の経済格差は拡大したが,多くのミドルクラス以上のチリ人はピノチェト政権を支持した.
  • アメリカも当初はピノチェトを支持した.しかし1980年代以降,人権侵害の証拠が積み重なったこと,1982年以降ドルベッグ制で経済が低迷したことをうけたチリ内での支持率低下によりアメリカにとっても重荷になったことからアメリカはピノチェトを支持しなくなる.
  • ピノチェトは政権にとどまり続けるために,(大統領任期に関する)憲法改正を提案する.1981年から1989年への延長は認められたが,1989年から1997年への延長の改正案は「すべてのチリ人のための1つのチリ」運動により1988年に否決される.この背景には西欧や東欧に逃れた反対派が,共産主義の暗黒面(ソ連崩壊前夜にあたる)と民主主義の寛容さが生みだす繁栄を理解したことにより統一運動を行えるようになったことだろう.
  • ピノチェト後の政権が成功するためにチリ人たちは選択的な変化を受け入れた.ピノチェト後の初の大統領エイルウィンは慎重に行動し,妥協を厭わず,ピノチェト政権の成功部分である自由市場主義を継続した(ピノチェトは大統領は退いたが,軍部のトップとしてはとどまり続けた).今日のチリはなお経済的不平等は大きいが,寛容な社会で経済的繁栄を続けている.

ダイアモンドは要因別の分析を行い.ここでも選択的変化があること,柔軟性が大きかったとコメントしている.またここではピノチェトの個人的要因が大きかったと評価している.
 

第5章 インドネシア,新しい国の興隆

次のケーススタディはインドネシア,これもスハルトの軍事独裁が描かれる.インドネシアの公式の説明では1965年に共産主義者による(失敗に終わる)反乱で軍部の将軍たちが暗殺されたが,その混乱をスハルトが収めたということになっている.ダイアモンドは少し別の角度から描いている.

  • インドネシアは第二次世界大戦までのオランダの東南アジア植民地が独立して建国された.しかしそれまではスマトラ,ジャワおよびそれ以東の列島,ボルネオ,スラウェシ,モルッカ諸島,ニューギニアは民族的にも言語的に多様であり,別の地域として認識されていた.のちにインドネシアの統一感を生みだした1つの要因は(ジャワ語を用いることなく)マレー語を派生させたバサラ-インドネシア語の成立になる.
  • 第二次世界大戦で日本軍がオランダ植民地を征服した.日本の敗北の二日後にインドネシア独立派グループは独立を宣言した.オランダが権益を保持しようと介入し,インドネシア連邦のアイデアを売り込んだ.しかし独立派は統一インドネシアにこだわり,オランダとやりとりを繰り返す.1949年アメリカと国連の後押しもありオランダは引き下がった.
  • 新しい独立インドネシアは,開発途上の経済,ナショナルアイデンティティの欠如という問題を抱えていた.ここに登場したのが初代大統領のスカルノだ.スカルノはオランダの資産を接収して国有化し,軍に引き渡した.外資は引き上げ,通貨下落とインフレが生じた.1955年の総選挙ではどの党派もマジョリティを得られずに政治過程は袋小路に陥った.スカルノは戦時法を成立させて,民主制を「ガイドされた民主制(国会議員の半数を大統領の指名制にするもの)」に置きかえた.1963年に彼は終身大統領になることを宣言した.また彼は第三世界の反植民地主義リーダーになることを意図し,さらにマレーシア領ボルネオ(サバサラワク)を接収しようと軍隊を送った.その時点でインドネシアの政治勢力は親スカルノ派,軍部,共産主義者で3分され,政治的混迷は深まるばかりだった.スカルノは政治基盤を固めるために共産主義者と同盟を組んだ.
  • ここで1965年の共産主義者のクーデター未遂事件が起こる.3人の将軍が殺害されてのち,軍部はまるで予期していたかのように素速く反撃し,次席だったスハルトが全権を掌握するに至った.スハルトはまず「事件の主犯」である共産主義者を弾圧した.正確な数字についてはいまも争いがあるが百万人単位の大虐殺が遂行されたようだ.その後1966年にスハルトはスカルノに圧力をかけて大統領代行になり,1968年からは正式の大統領となった.
  • スハルトはスカルノのイデオロジカルな政策,領土拡張政策を全面的に破棄し,経済政策については自由市場主義を導入した.インフレは収まり,外資の投資も復活した.片方で極端な軍部優遇政策も実施し,露骨な身内への利益誘導を放置した.これによりインドネシアは世界で最も腐敗した政府と呼ばれるようになった.
  • スハルトの独裁は33年間続いたが,1998年に急速に瓦解した.スハルト自身77歳になり政治判断に衰えがあるなか,政府の腐敗に対する民衆の怒りが沸騰し,軍部はスハルトを見限り,主権を国民に返すことにした.1999年には40年ぶりに自由な選挙が実施されるようになる.

 
ここからダイアモンドは要因別の分析を行っている.選択的な変化は確かにあった.スハルトは現実的な認識を行い(それが怪しかった)スカルノの政治プログラムを破棄して自由市場経済を導入したが,統一インドネシアの一体化,宗教的寛容は維持したのだ.しかしナショナルアイデンティティは弱く,独立直後の開発途上国として行動の自由は少なかったということになる.ダイアモンドは民主化されたあとのインドネシアにも触れ,なお腐敗が残っているとは言え,腐敗の問題は急速に改善しつつあること,バサラ-インドネシア語の普及によりナショナルアイデンティティも形成されつつあることを指摘している,
 

第6章 ドイツの再建

 
次は第二次世界大戦の敗北のあとのドイツの再建がテーマになっている.

  • 敗戦後ほとんどの主要都市は爆撃により廃墟になっていた.国土の1/4はソ連とポーランドへ割譲され,残った3/4の領土も東と西に二分された.経済は崩壊しており,元々権威主義的土壌に加えて12年間のナチ支配の影響が色濃く残っていた.ここから今日のリベラル民主主義ドイツへの変化(経済復興,ナチの遺産の直視,社会の変革,統一への準備)がテーマになる
  • 大戦終了後,連合国にはドイツを二度と強国にさせまいという動きもあったが,冷戦が始まり共産化の防波堤として西ドイツに強くなってもらった方がいいという方向に切り替わった.アメリカは1948年からマーシャルプランの対象に西ドイツを含めることとし,再軍備も促した.自由主義経済とマーシャルプランにより西ドイツの経済復興が可能になった.
  • ニュルンベルグ裁判でナチの戦犯たちが裁かれ,ドイツは脱ナチズムを進める.しかしそれだけではナチの遺産問題は解決しなかった.経済復興のためにはナチ時代の実務者の力が必要だったこともあり,当初西ドイツは自身による徹底的なナチの犯罪追求について及び腰だった.しかし1968年に始まるバウアーによるナチの下級幹部や協力者への追求努力がドイツ大衆にも浸透し,西ドイツは過去により真摯に向き合い始める.
  • 1960年代後半にはまた戦後生まれのドイツ人若者による抗議運動にも火がついた(1960年代後半はアメリカでも日本でもイタリアでも若者のベトナム戦争や資本主義に対する抗議運動があったが,西ドイツのそれは最も激しかった).これはそれまで権威主義的だったドイツ社会をよりリベラルなものに変革するきっかけになった.
  • ブラント政権は社会変革政策を進め,片方でナチの犯罪について正面から向き合った.割譲された東プロイセンなどの領土を正式に放棄し,ワルシャワのゲットーを訪問し,そこでひざまずいて謝罪を表明したのだ.これは周辺諸国が西ドイツを信用し始めるきっかけになった.この姿勢はのちのシュミット政権,コール政権にも引き継がれた.この信用の土台があったからこそ,冷戦状況の変化に対応して統一ドイツが可能になったと考えることができる.

 
ダイアモンドはこのドイツの危機対処について,単一ではなく長い期間をかけたいくつかの試みが継続したものだと捉えている.そしてそもそもドイツの地政学的な制限は非常に強かったことから要因分析を始めている.ドイツは西では英仏,東ではロシアと対面し,常に二正面作戦を強いられていたし,東方面はどこまでも続く平野で障壁がない.ビスマルクはうまく対処したが,ヴィルヘルム2世もヒトラーもこの罠にはまった.西ドイツの各政権は諸国の信用を得るという方法でこれにうまく対処して統一を成し遂げたと評価できる.もう1つダイアモンドが挙げるドイツの危機対処の特徴は自己憐憫と犠牲者意識(対処責任の自覚)の問題だ.第一次世界大戦の結果についてヒトラーはドイツは軍事的に負けていないが,政治家たちに背後から刺された被害者だという言い方をして問題に向き合おうとしなかった.これに対して第二次世界大戦後は自らの責任に真摯に向き合うようになったのだ.選択的変化については権威主義社会からの変革を行ったが,政府による芸術振興,手厚い医療年金制度,コミュニティ価値は保ったとしている.
 

第7章 オーストラリア:我々は何者なのか?

 
ここにオーストラリアが来るのも少し意表を突かれる,かの国にそんな危機があったのだろうかと思うからだ.しかしダイアモンドによれば,オーストラリアは,大英帝国の一部であり第2の英国だと自分たちのことを考えていたのだが,英国から見捨てられるという危機に直面したのだという.

  • 1960年代のオーストラリアは圧倒的に英国系白人の国だった.現在は欧州系に様々なアジア系の民族が加わった多様性のある国になっている.何があったのだろうか.
  • オーストラリアに最初のヨーロッパからの移民が入ったのは1788年だ.初期の移民は英国からの犯罪人と自由移民で構成された.彼等は大変な苦労ののちに羊毛,金,肉とバターを英国に輸出することによって経済を立ち上げた.アボリジニたちは定住していなかったので土地所有していないと(英国法で)見做され,また一段と劣後する民族だと蔑まれ,様々な迫害を受けた.(アボリジニたちへの謝罪の動きは1990年代になってから生じるが,今日でも謝罪への強い反対はなくなっていないそうだ)
  • 第二次世界大戦まで,一部の欧州系移民,中国,インドからの人々が流入したが,ごく少数にとどまり,圧倒的に英国系白人の国だった.
  • 英国からの独立は,アメリカと異なり,段階的でスムーズだった.アメリカで教訓を学び,またあまりにも離れていたので維持コストが大きく,常駐軍隊もなく,経済的重要性も小さかったことから,英国政府はオーストラリア各州の自治権拡大の動きに一切異議を唱えなかったし,オーストラリア側も英国王への忠誠,英国法制に入ることを含む大英帝国の一部であり続けることを望んだ.英国は宗主国として防衛を含む様々なサービスを提供した.
  • オーストラリアの憲法制定の動きは19世紀後半から活発になるが,非白人の排除(白豪主義)は当初から共有されていた.この背景にはもちろん人種差別的意識があるが,既存の英国系労働者の賃金水準の維持という側面もあった.
  • 当時のオーストラリアは大英帝国の一部であるという意識が強く,英領スーダンの反乱鎮圧,南アのボーア戦争,第一次世界大戦に,英国側に立って志願兵からなる部隊を派遣した.第一次大戦でのガリポリでの犠牲多き奮戦があった日はオーストラリアの祝日になっている.
  • 第二次世界大戦はオーストラリアにとっても衝撃だった.オーストラリアは英国側に立って対独戦に参加すべく部隊を欧州に送ったが,それまでオーストラリア防衛の責を負っていた地域の英国軍はシンガポール海軍基地を日本軍に落とされて無力化し,日本軍によるダーウィン空襲を許したのだ.その後の防衛はアメリカ軍に頼らざるを得なかった.
  • 戦後英国との絆は緩み続ける.それは白豪主義の意味を,そして自分たちは一体何者であるかという問いをオーストラリア国民に突きつけた.(特に共産勢力からの)防衛はアメリカを主力とするANZUSに参加するほかない.近隣のアジア諸国は次々に独立し,経済的に重要になり始めた.英国との貿易の重要性は減少し,日本が最大の貿易相手になった.そして最強の帝国から転落した英国もコモンウェルスよりEECを重視するようになり,オーストラリアから手を引き始めた.
  • 1972年に成立した労働党政権はオーストラリアに強烈な選択的変化を引き起こす.徴兵制を廃止しベトナムから兵を引き,(英国と異なる外交方針を採り)中国とパプアニューギニアを承認した.英国法制から独立し,そして公式に白豪主義を破棄したのだ.

 
ダイアモンドはここで重要だったのはナショナルアイデンティティとコアヴァリューの要因だとする.「大英帝国の一部」から「アジアを隣人とする環太平洋の国」への転換はなお継続中だ.そして「英国はいまやマイナーな貿易相手に過ぎず,向こうもそれほど関心を持ってくれない」という痛みを伴う現実的な状況認識も必要だった.これはアメリカとアジアを重視した独自の外交政策樹立への鍵になった.選択的な変化という意味では,英語を使い国旗にユニオンジャックをあしらい英国王を元首とすること,議会民主制,個人主義的社会などはそのまま保っていると指摘している.そして最後に十数年後には総人口の15%,大学生の50%がアジア系になりオーストラリアの変化は続いていくことになるだろうとコメントしている.
 

第3部 国家と世界:現在進行中の危機

 

第8章 日本の将来にあるものは何か

 
ここでダイアモンドは日本の現在の問題を分析してくれている.日本人読者として謙虚に受け止めたい部分だ.

  • 日本には強みがいくつもある.世界第3位の経済規模をもち,信用供与額も研究開発投資額も大きく,インフラも整備され,教育程度の高い労働層を抱えている.国民の健康程度は高く,長寿で,先進国の中では非常に格差が小さい.気候は温暖で環境は清潔,治安状態もよい.

 

  • 同時に日本は問題も抱えている.よく指摘されるのは政府債務の大きさだ.ただこの債務はほとんどが日本国内でまかなわれており国全体では純債権者となっていること,金利が非常に低いこと,政府の支払い能力に疑問を持たれていないことから問題は顕在化していない.しかしこの政府債務の大きさは,教育やインフラへの政府支出を抑制させる効果を持つだろう.また所得の世代間不平等の問題も生じさせている.

 

  • 女性差別の残存という問題もある.実際に日本の女性は家事育児の負担を始め様々な困難に直面している.
  • 少子化も大きな問題だ.日本政府はこの問題を認識しているが,どうすればよいかわからないようだ.(ここでは少子高齢化の原因もいろいろ考察されていて面白い) 
  • 少子化は人口減少と高齢化を引き起こす.人口減少はどこまで問題なのか.あるいは日本はいまより少ない人口の方が必要リソースも減りうまくやれるかもしれない.しかし高齢化は健康保険制度に重荷を負わせるだろう.ただし程度の差はあれ,これらは先進国共通の問題でもある.多くの先進国は移民の受け入れでこの問題を緩和している.そう考えると日本の最大の問題は移民の欠如ではないだろうか
  • 日本は世界でもまれに見る均一な国民で構成された国であり,世論も移民の大規模な受け入れに消極的だ.移民の増加は社会的問題を引き起こす側面もあり,移民受け入れへの消極性自体が「悪」であるわけではないが,移民受け入れに消極的な中で少子高齢化に対処しなければならないのは日本のジレンマだ.カナダのように能力適性について条件を付けた上で移民の窓口を緩めるというのはよい解決モデルのように思える.

 

  • もう1つの日本の問題は,第二次世界大戦時に中国と韓国の人々に対してとった行動について,両国が受け入れられるような謝罪を行っていないことだ.隣国との緊張した関係は日本にとって制限要因であり大きなリスクだ.
  • シンガポールの指導者だったリー・クアンユーも「ドイツ人と違って日本人はカタルシスを経ておらず,自分たちのシステムから毒を取り除こうとしていない」と指摘している.日本は何度か「痛切な反省」などを表明しているが,両国が求めている謝罪を行っていない.多くの日本人はすでに何度も十分謝罪しているではないかと考えているようだが,そうではない.日本のこれまでの謝罪声明は,何か不自然に作り込まれたもので日本の責任を最小化しようという声明と混合されているからだ.これはドイツの真摯な謝罪が周辺国に受け入れられているのと対照的だ.
  • また(ドイツと異なり)日本は歴史の授業で子どもたちに過去の日本の行動についての教育を十分に行っていない*4

 

  • 別の日本の弱みは自然資源を輸入に頼っていることだ.にもかかわらず日本政府は持続可能なリソース利用促進の国際的取り組みに対して熱心ではない.マグロの漁獲制限に反対し,頑なに捕鯨をやめようとしない.日本人は自国の緑の保全には熱心だが,他国の森林や水産資源の保護には冷淡であり,さらに国際的な圧力に負けたような印象を持つ外交の取り決めを嫌がる.これまでの資源政策が「無制限の海外資源の取り込み」にあったこともこの態度につながっているのだろう.

 
ダイアモンドの少子高齢化と移民の問題分析は大変興味深い.また水産資源や捕鯨への日本の現状の方針は業界の近視眼的な利益しか考慮していない愚かしいものだという印象を私も持っている*5
ただ政府債務の問題については円建てで国内でまかなわれているうちは基本的には問題ではないと考えるべきだろう.この点に関して真の問題はバブル崩壊以降20年以上経済成長が,世界平均,先進国平均を下回り続けているというところ(そしておそらく財務省を中心にするマクロ経済を無視した財政均衡緊縮主義が政治的に優位にある状況)にあるとすべきだろう.
中国,韓国への謝罪の問題は日本に好意的な第三者の目からもこう見えているということで襟を正して読むべき部分だろう.これまでの数々の「痛切な反省と心からのお詫び」表明が作り込まれた不自然な文章で謝罪になっていないとされるのには(そしてナチの悪行と日本軍の悪行が同一レベルのものであるかのように扱われているのにも)納得感のない部分もあるが,ドイツと比べるとこう見えるということなのだろう.また確かに日本の教育や報道では「中国に侵略し世界中と戦争になって敗北し,国民は大変な被害を負った」というニュアンスでなされることが多く,隣国の人々に何をしたのかはほとんど扱わない.政治的に剣呑なテーマだということもあるだろうが,ここはよく考えた方がいいのだろう.
 
ここからダイアモンドは日本のこれからの対処を考察する.強みとしては過去の経験,団結力,規律,教育程度,勤勉さ,行動の自由,強いナショナルアイデンティティ,凝集性,経済力などをあげ,片方で伝統的コアヴァリューがいまや問題解決の障害になっていること,第二次世界大戦のナラティブが自らの犠牲に焦点を当てたものになっていること,移民受け入れの重要性の認識ができていないことが弱みであるとしている.
 

第9章 アメリカの将来にあるものは何か:その強みと最大の問題

 
ダイアモンドは次に自国であるアメリカの問題を取り上げる.アメリカの問題は2章に渡って展開されている.第9章で二極化,第10章で投票操作可能な制度,格差の拡大と社会的流動性の減少,公共投資の減少が扱われる.(また人種差別と女性差別については改善傾向であるのでここでは扱わないと断りがある)

  • アメリカ人は,アメリカにとって現在の最大の長期的な脅威は何かと問われると,中国の興隆だと答えるだろう.しかしアメリカは過去にもドイツと日本という枢軸同盟,ソ連という強敵に対処してきた.ここでも現在の強みと弱みを整理することから始めよう.
  • アメリカの強みはその圧倒的な経済力,資源の豊かさ,最強の軍隊にある.それを可能にした要因としては,北米の肥沃*6で広大な土地を版図とし,両岸を大洋に接し内陸には大河が流れるという物流上の利点を持つこと,政治的にはバランスの取れた民主制をとっており,多様なアイデアを利用でき内乱リスクを抑えていること.連邦制をとっていて,50州で政策実験を行ってうまくいったものを全土に採用できるというシステムになっていることがあげられる.また軍へのシビリアンコントロールが効いており,腐敗も少ないこと,さらに社会経済的な流動性が大きいこと,移民の受け入れに積極的だったことも要因だ.
  • しかしこれらの強みが失われるかもしれないことを示す警告サインが認められる.その最大のものは,政治的な二極化が極端化し,党派間の妥協が難しくなっていることだ.(それを示す様々な現象が説明されている)これは民主制のメリットを大きく減少させる.
  • なぜそうなったのか,よくなされる説明は選挙コストが上昇し,資金提供者の影響力が高まったこと,また航空システムが発展し,議員がワシントンに張り付かずに終末を地元で過ごすために党派を超えた非公式の接触が減少したこと,ゲリマンダリングにより選挙区で何が受けるかの予測が容易になったことなどだ.しかしそれだけではこの二極化の進展は説明できない.
  • 真の問題はアメリカ人自身が二極化し,他党派の意見に対して不寛容になっているというところにある.なぜアメリカ人は自分と異なる政治的意見に対してかつてより不寛容になっているのだろうか.よくなされる説明は,かつてはナショナルメディアしかなく両派の意見を見聞きするしかなかったが,現在ではメディアが細分化され,自分と同じ党派的意見だけ目にすることが可能になったというものだ.
  • しかしそれだけでは説明できそうもない.この現象は政治面だけでなくもっと広いからだ.アメリカ人はエレベーターやハイキングコースで見知らぬ人に挨拶しなくなった.そして(ネット空間を含む)様々なところで罵倒的な言説が目につくようになった.アカデミックな議論ですら以前よりはるかに敵意に満ちたものになっているのだ.これらはいわゆる「社会関係資本」が減少していることを示している.
  • 原因についての1つの説明はフェイストゥフェイスではないコミュニケーションが増えたからだというものだ.これにはイタリア人も日本人も同じように携帯を使っているのにアメリカのようにはなっていないという反論もある.私はアメリカはトレンドの先頭に立っていること,国土が広大で人口密度が低いことからある程度説明可能ではないかと思っている.
  • いずれにせよアメリカの政治的リーダーと投票権者はこの袋小路から抜け出すためにより意識的な努力を行うべきだろう.

 
では将来の見通しはどうか.ダイアモンドは,チリやインドネシアに比べてアメリカはより強い民主制の伝統,機会平等の理想,大土地所有階層の不在,軍による政治的動きがないことが有利に働くだろうとしている.しかし銃保有の自由に見られるような暴力容認傾向,過去の人種差別の存在などは不安要因でもあるとする.そしてアメリカにおいてはチリのように軍のクーデターは考えにくいが,投票を操作し,自党派的な考えの判事を任命して司法を味方に付け,法を改正して独裁に持ち込むことは不可能ではなく,だからこそ二極化と政治的不寛容は重大な問題だとコメントしている..
 

第10章 アメリカの将来にあるものは何か:その他の3つの問題

 

  • アメリカの投票制度には問題がある.投票率は高くない(大統領選挙でも50%前後,ロサンジェルス市長選は20%だった).もちろん政治不信,無関心などの要因はあるが,別の大きな問題がある.それは投票するには事前に登録が必要だというシステムになっていることだ.これは投票操作を可能にすることにつながる.そして実際にこれまで特定エスニックグループや他党派支持層の登録を妨害するための様々な方策が考案され,実行されてきた.かつてアフリカ系排斥のためになされたのは高額の登録料,識字能力テスト,祖父に投票権があったことを要求する規定などだ.今日でも写真付き身分証明書を要求する(アフリカ系や貧困層は運転免許を持っていない比率が高い),登録に非常に時間がかかるようにする(貧困層は仕事を休めない)などが実行されている.
  • もう1つの問題は選挙に金がかかりすぎるようになり,資金提供者の意向がより重要視されるようになっていることだ.

 

  • 別の問題は「経済的格差の拡大」だ.アメリカ人は尋ねられると「平等はアメリカのコアヴァリューだ」と答えるが,アメリカの経済的格差は民主主義国の中では突出しており,さらに拡大し続けている.これは所得再配分が他国より低いためで,それには貧困になったのは自己責任だと考える傾向と投票操作可能な制度という要因があるだろう.
  • そしてこれは「社会的流動性の減少」に関係する.アメリカ人は自分たちの社会を「能力主義」だと考えているが,実際の社会的流動性は低い.富裕層の子はより良い教育を受けやすく,仕事へのコネもあるのだ.これらは暴動のリスクを上げ,個人的不安感も上昇させる.

 

  • 私が憂えているのはアメリカの投資の不足だ.これには異論がある人は多いだろう.何しろアメリカの民間投資は非常に活発で多くのスタートアップを成功させ,超巨大企業を次々と生みだしており,アメリカは世界の科学と技術の分野において圧倒的に優位であるのだから.
  • しかしアメリカ政府の投資は減少傾向にある.特に教育への投資減少が問題だ.これはアメリカの競争的優位を蝕みつつある.

 
ダイアモンドをここで将来を展望し,要因別の分析に入る.人口,地政学,軍事力,民主制,ナショナルアイデンティティ,柔軟性は評価できるが,危機の認識,対処責任に問題があるとまとめている.またアメリカの他国に範を求めようとしない傾向についてもコメントしていて面白い.そしてうまく対処できるかはこの弱みを認識し,問題を囲い込んで対処する必要があるとまとめている.
 

第11章 世界の将来にあるものは何か

 
ダイアモンドは世界が抱える現在の問題を,核兵器,温暖化,資源の枯渇,国家間の生活水準の格差としている.

  • 冷戦は終了したが,なお核の冬が生じるような核使用がなされるリスクがないとは言えない.(ウィリアム・ペリーの「My Journey at the Nuclear Brink」を参考に4つのシナリオが分析されている)

 

  • 地球温暖化は非常に複雑な現象(地球温暖化というより地球気候変動と表現すべきだともある)だが,この脅威はリアルであり,状況は(政治的な混乱も含め)悪化している.(温暖化の因果連鎖が詳しく解説され,おそれるべき結果としての,干魃,食糧生産へのインパクト,熱帯性感染症の蔓延,海面水準の上昇についても説明がある)ジオエンジニアリング的な解決策が提案されているが,テストされたものはなく,予期せざる副作用が生じる可能性が高いだろう.
  • 資源枯渇リスクもなお重大な脅威であり続けている.エネルギーは大きな問題だ.(化石燃料の(外部コストを含めた)コストの上昇,代替エネルギー候補,原子力の様々な問題が解説されている)また再生不可能な資源のうち,酸素と鉄とアルミニウム以外はすべて枯渇リスクがある.再生可能資源も共有地の悲劇を避ける方策がなければ再生できない.
  • そしてエネルギー消費の問題は,世界の中の国家間の格差の問題(南北問題)につながる.問題はグローバル化によって顕在化している.そして世界全体がいまの先進国の生活水準を享受する(エネルギー消費を行うようになる)のは事実上不可能だ.

 
ここからダイアモンドは要因別の分析を試みる.世界全体の問題であるために他者の援助は期待できないし,対処モデルも過去の経験も存在しない.世界全体のコアヴァリューと呼べるものはないし,問題認識も対処責任も浸透しているとは言い難い.しかしダイアモンドは望みがないわけではないとコメントしている.困難ではあるが,主要国家間の合意は不可能ではない.地域連合を広げていくルートもあるだろうし,国際機関がイニシアチブをとるルートもあるだろうとする.ただ(特に温暖化については)あと数十年の猶予しかないことに注意を促している.
 

エピローグ

 
ダイアモンドはエピローグで,これまでの議論を12の要因別にサマライズし,最後に2つの問題を提起し,それに答えている.

  • 国家は行動を起こすためには危機を必要とするのだろうか:これまで見てきたケースには両方のタイプがあることが示されている.明治日本と第二次世界大戦時のフィンランドは危機を必要としたし,第二次世界大戦後のドイツは予測に基づいて行動できた.そして現在の日本とアメリカは前者のように見える.
  • リーダーは違いを創り出すか:これは歴史が必然なのかという有名な論争に関連する.これを決めるのは自然実験しかない.最近「リーダーが突然死んだときに経済成長率が変化するか」「リーダーの暗殺が試みられたときに,成功と失敗で政治的に何か異なることが生じるか」という2つのリサーチ結果が公表された.結果は独裁政であるほど,権力に制限がないほど,違いは明確だということだった.そして私の7つのケースもリーダーの役割が大きいものが多いことを示している.そしてこれを吟味する限り,リーダーの創り出す違いは,戦争時,強い政治的反対があるときに大きくなりそうだという予測を導く,これは今後リサーチが望まれる.

そして最後にダイアモンドは本書のリサーチは7つのデータセットで分析はナラティブ主体であることの限界にもう一度触れ,今後定量的なリサーチがなされることを望み,歴史を学ぶ価値があることを強く訴えて本書を終えている.
 
 
本書は最近比較歴史分析に深入りしているダイアモンドによる,国難対処についての一般向けの啓蒙書ということになる.まず過去の歴史から7つのケースを取り上げ,対処がうまくいくかどうかについて個人向け危機対処セラピー体系にヒントを得た12の要因を提示し,要因ごとに分析を試みている.その後,それを現在進行中のいくつかの問題について当てはめて分析するという構成になっている.
要因ごとの分析は,やや平板で,結局それぞれのケースで様々だということしか明確な結論はなく,それほど興味深い内容には昇華できていないという印象だ.しかし本書が圧倒的に面白いのは各ケースの詳細だ.それぞれのケースはドラマティックで迫力十分に記述されている.そして読者なりにいろいろと比較して考察できるようになっていて,そこも楽しいところだ.日本人読者にとっては日本のケースが明治維新と現在の問題のところで取り上げられていて大変興味深いし,あまり日本では知られていないケースもあって楽しい.ダイアモンドファンには嬉しい一冊ということになると思う.

 
関連書籍

ダイアモンドの一般向け啓蒙書

まずヒトの行動を進化生物学的に考えるとどうなるかという本.「なぜセックスは楽しいか」という当初の邦訳書名から改題されている.この方がいろいろ誤解がなくていいのだろう.

人間の性はなぜ奇妙に進化したのか

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農業革命以前のヒトの世界を描いた「昨日までの世界」.私の原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130512/1368355423
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歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史

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核の冬についての参考図書

My Journey at the Nuclear Brink (English Edition)

My Journey at the Nuclear Brink (English Edition)

核戦争の瀬戸際で

核戦争の瀬戸際で

*1:二重子音,長短母音の区別,15種類の格(特に分格の存在)などの特徴が解説されている

*2:厳冬のフィンランドで立ち往生したソ連戦車隊に対してスキー部隊が急襲する活躍を見せたりしているそうだ

*3:カレリア州には総人口の10%が居住していたが,領土をソ連に引き渡して残るフィンランド領に移住した

*4:ダイアモンド自身,ロサンゼルスで日本の学生が中国や韓国の学生から日本軍の戦争時の行いを説明されてショックを受ける様子をしばしば目撃しているそうだ.

*5:ダイアモンドが捕鯨について資源問題の中に位置づけているのは(IWCの捕鯨禁止の理屈の背景には価値観の押しつけ的な側面が感じられ)説得力がそれほどないように思うが,片方で日本政府の行ってきた調査捕鯨という名目にも説得力はないだろう.法的な議論をおいておいて功利的に考えると,頑なに捕鯨にこだわるのが『評判』まで考えたときに得策とはとても思えない.なぜ政府の政策には批判的なマスメディアもこの問題に関しては捕鯨賛成の論を張るのかは全く謎だ.わずかばかりの鯨肉とごく小さな業界関係者のためにどれだけ日本の国際的印象を毀損しているか考えたことがないのだろうか

*6:なぜ肥沃なのかも解説されている.逆三角形の大陸の形と氷河の前進後退が肥沃な土地をもたらしたという説明がなされている

Enlightenment Now その73

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その3

 
ピンカーはヒューマニズムをエントロピーと進化を用いた議論によって擁護した.これは価値の議論であって科学の議論とは異なるものだ.ピンカーとしては力が入っているように感じられる.ここからピンカーはヒューマニズムに対する批判に反論していくことになる.最初は道徳哲学者によるヒューマニズムの功利主義的側面への攻撃がテーマになる.
 

  • ヒューマニズムへの哲学的批判には「それは単なる功利主義だ」というものがある.道徳哲学の講義のイントロダクションを聴いたことがあれば功利主義の問題とされる議論にもおなじみだろう.(他人の痛みを喜びとするような)「功利性の怪物」をどこまで考慮する必要があるのか? 5人の命を救うために1人殺して臓器移植するのは許されるのか? 暴動による大虐殺を防ぐためには無実の罪人を絞首刑にしてもいいのか? 永遠の恍惚を得られる薬があれば飲むべきか? 安価に十億匹の幸せなウサギを飼えるなら,飼育施設をどんどん作るべきか? 
  • これらの議論は権利.義務.原則に沿って何が許されて何が許されないかを定めようとする義務論的道徳(その一部は原則が神由来だとする)を擁護しようとする試みだ.

 

  • 確かにヒューマニズムには功利主義的,あるいはすくなくとも帰結主義的(行為や政策の是非は結果によって決められるとする立場)な香りがある.帰結主義の結果は単に笑顔になる幸せのような狭いものではなく,子育て,自己表現,教育,豊かな経験,価値あるものの想像などを含む広いものだ.帰結主義の香りは実のところヒューマニズム擁護の核心でもある.その理由はいくつかある.

 

  • 第1に道徳哲学講義の2コマ目に出席したものならわかるように,義務論的道徳も問題含みだ.嘘が本質的に悪なら,ゲシュタポにアンネ・フランクがどこにいるかを尋ねられても嘘をついてはいけないのか? (カントがそう論じたように)マスターベーションは自分自身を道具として動物的衝動を満たそうとするから悪なのか? テロリストが百万人を殺す時限核爆弾を既にセットしているときにそのありかを吐かすために拷問してはいけないのか? 天からの声がない中で,誰がどの行為(特にその行為が誰も傷つけないときに)が本質的に非道徳なのかを決めるのか? これまでも義務論的道徳主張者はワクチン接種,安楽死,輸血,生命保険,人種間結婚,同性愛を本質的悪だとしばしば主張してきたのだ.
  • 多くの道徳哲学者たちは入門コースの二分法は極端すぎると考えている.義務論的原則は多くの場合最大多数の最大幸福に結びつくだろう.誰も自分の行為の結果をすべて計算することはできないし,自分の行為が他人のためだと理屈づけることは容易だ.だから幸福を最大化するいい方法は誰も異論を唱えないような明確なラインを設定することだ.
  • 例えば,政府には市民を騙したり殺したりする権利を与えるべきではない.なぜなら権力者は恣意的になり得るからだ.これは死刑や(刑罰としての)去勢に反対するいい理由になる.公平の原則を考えれば,女性差別や人種差別に功利的な理由付けは不要と考えるべきだ.逆に重大な結果をもたらすような(例えば輸血の禁止のような)原則は破棄されるべきだ,

 

  • 第2に,これまで功利主義的なアプローチは人々の幸福を増加させてきたトラックレコードを持っている.古典的功利主義者(ベッカリーア.ベンサム,ミル)は奴隷制,残虐な刑罰,動物虐待,同性愛の犯罪化,女性の抑圧に反対した.抽象的な表現の自由や信仰の自由も功利主義的に擁護されてきた.義務教育,労働者の権利,環境保護も功利主義的に推進されてきたのだ.そして今のところ「功利性の怪物」も巨大ウサギ小屋問題も実際上は問題になっていない.
  • 功利主義がうまくいくのには理由がある.誰でもそれを容易に評価できる.「害のないところに悪はない」などの原則は深遠ではないし,例外もあるだろうが,わかりやすく,反論するのは難しい.しかしそれは功利主義がヒトの直感に沿っているからではない.古典的リベラリズムは人類の歴史の中では非常に新しいし,伝統的文化は大人のプライベートな行為を重大な関心事だと扱ってきたのだ.ジョシュア・グリーンは多くの義務論的信念は部族主義,清浄さ,嫌悪,社会規範などの原始的直感にルートを持つと指摘している.功利主義的結論は(ヒトの本性や直感からではなく)理性的熟考から生まれるのだ.
  • グリーンはまた,異なるモラルコードを持つ人々が道徳的合意を迫られるとそれはしばしば功利主義的な議論になると指摘している.これは女性解放やゲイマリッジ合法化の動きが非常に素速く展開したことを説明する.「現状維持」はそれを支持する理由が慣例しかない場合に功利主義の前に簡単に瓦解する.
  • ヒューマニズムを義務や権利の理屈,抽象的議論,宗教的信念で構築しようとしても,そのようなシステムは薄弱なものにしかならないだろう.皆が理解して賛成できるようなものは簡潔で透明性のある原則で表現されなければならない.「人類の繁栄」はまさにそういう原則なのだ.
  • そして歴史は多様な文化が共通の道徳的基礎を築くときにはヒューマニズムに収斂することを示している.アメリカ憲法が政教分離原則を採っているのは啓蒙運動の哲学由来だというだけではなく,実践的な必要性があったからだ.最初の13州のうち8州には既に公的教会が存在し,様々な権力を行使していた.統合するには政府と教会を分離して信教の自由を認めるほかなかったのだ.百数十年後に世界が協力するための原則を作ろうとした時,それは「キリストを救世主として受け入れる」「アメリカこそが丘の上の輝ける都市だ*1」ということでは各国が同意できるはずもなかった.だから世界人権宣言はあのようなヒューマニズムを体現するマニフェストとして起草されたのだ.

 
ここまでがピンカーによる(ヒューマニズムの一側面としての)功利主義の擁護になる.確かグリーンが強力に議論しているようにヒトの本性や直感に沿った道徳は部族主義的になりやすいし,多くのパタメータがあるので集団ごとに異なる内容を持つ.そして部族間,民族間,国家間の道徳の衝突に対しては功利主義を用いて議論するのがおそらく唯一の合理的な解決法なのだ.
 
関連書籍

グリーンによる道徳哲学の解説本.非常に深い.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20151005/1443998491

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)

 
同原書

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)

*1:アメリカ大統領選のキャンペーンでよく使われる言い方らしい.レーガンが言ったと引用されることが多いようだ.

Enlightenment Now その72

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その2

 
エントロピーと進化を用いてヒューマニズムを世俗的価値の源泉(道徳律)として擁護するピンカーの試みはこういうものだ.
 

  • この命を持つ考察者は,自然淘汰の産物として,そうでなければ極めて小さな確率でしか生じない物質の組合せになっているはずだ.そしてエントロピーの増加傾向に抗して,(少なくとも)議論できるだけの期間の存続を可能にしている.それは外側からエネルギーを取り込み,狭い条件の中に踏みとどまっていることによって可能になる.淘汰産物であるから,彼等はレプリケーターの深い系統樹の枝先であるはずだ.思考は単なるアルゴリズムではなく知識を必要とするから,彼等は世界の情報を取り込み,そのノンランダムなパターンに注意を払うはずだ.(議論のために)アイデアを交換するなら,彼等は社会的生物で,相互作用するためにコストとリスクを取っているだろう.
  • 物質世界で自然淘汰をくぐり抜けて存在可能であるために生物に要求される物理的性質には,欲望,ニーズ,感情,痛み,喜びを感じる脳を持つということがある.つまり食欲,好奇心,美しさ,愛,セックスなどは生存や繁殖と結びついており,単なる浅薄な耽溺ではないということだ.そして自然淘汰はそれらがクロスパーパスで働くように仕向ける.我々が「智恵」と呼ぶものは個人の中のコンフリクトに関連し,「モラル」「政治」と呼ぶものは個人間のコンフリクトに関連している.
  • そして我々はエントロピーのある世界に生きている.ある個人の攻撃は別の個人を滅失させうるのだ.そして相互に暴力をふるわないと合意できれば互いに巨大なメリットがある.どのように社会的エージェントがチートする誘惑に打ち勝って合意を保てるのかという「平和主義者のジレンマ」は,ダモクレスの剣のように人類に常に突きつけられている.しかし歴史的暴力減少傾向はこれが解決可能な問題であることを示唆している.
  • 暴力に対して我々の身体が脆弱であるからこそ,ソシオパスは道徳に向き合わざるを得なくなる.ソシオパスが道徳に従うことを拒否するなら,我々は彼を意思を持たない脅威であり問答無用で討伐されるべきものと認識するほかない.永遠に周りを押さえつけることが不可能であれば,彼も道徳の議論に向き合うほかないのだ.

 

  • 進化は道徳の別の基礎である「共感の能力(啓蒙運動の思想家たちはこれを,博愛心,憐れみ,想像力と表現している)」を説明できる.進化心理学は我々を社会的動物とさせている感情からどうやって共感が生まれるのかを説明する.血縁者への同情は遺伝子のオーバーラップから生まれる.周りの人々への同情は互いに助け合う方が有利になることから生まれる.進化はモラル的心情つまり同情,信頼,感謝,罪,恥,許し,憤りを生むのだ.一旦同情が心に埋め込まれるとそれは理性と経験によって拡張することができるようになる. 

 
エントロピー増大傾向に打ち勝つ知的生物は貴重なものであり守るべき価値がある,そして(社会的生物として存在しているなかで)我々は互いの暴力に弱いから互いに傷つけないという合意が合理的目標として設定できるだろう,そして進化は共感能力を説明できるというのがピンカーの説明の骨子になる.もちろん厳密な意味では価値の源泉とはならない議論だろうが,多くの人にとってはかなり説得的な議論になっているのではないだろうか
 .
ここからピンカーはヒューマニズムに対する批判に対して反論していくことになる.最初は道徳哲学からの批判が取り上げられる.

Enlightenment Now その71

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その1

 
ピンカーの啓蒙運動への擁護の最後のピースはヒューマニズムの擁護だ.これは価値の議論になる.自然主義的誤謬に陥らずにどう説明するかがピンカーの腕の見せ所ということになるだろう.

  • 科学だけでは進歩は生じない.科学は自然法則に禁じられていないことであらばそれを実現できるようにすることができる.生物学はワクチンも生物兵器も創り出すことができるのだ.そしてワクチンの開発を進め生物兵器を禁止するようにするには別の何かが必要だ.
  • 人類の繁栄(寿命,健康,幸福,自由,知識,愛,豊かさ)を最大化するという目的はヒューマニズム(humanism)と呼ばれてよい.これは価値命題「べし」を生みだす.
  • そして大文字のヒューマニズム(Humanism)で呼ばれ,意味や倫理から超自然や神を排除したものを推進する動きが勢力を増しつつある.その考え方は2003年の「Humanist Manifest III」にまとめられている.
  1. 世界の知識は観察,実験,合理的分析によって得られる.
  2. 人類は,(誰かに導かれたわけではない)進化によって生まれた自然の不可欠の一部である
  3. 倫理的価値は人類のニーズとインタレストからもたらされる
  4. 人生の充実は人道的理想への個人的参加から得られる
  5. ヒトは社会的な性質を持ち,関係性に意味を見いだす
  6. 社会のために働くことは個人の幸福を最大化する

 

  • この提唱者グループは「ヒューマニズムの理想はどの党派(sect)にも属していない」ことを強く主張している.ヒューマニズムには超自然や神を思い起こさせるものはないが,しかし宗教と相容れないわけではない.例えば東洋の儒教や仏教の多くの宗派は倫理の基礎に(神の指令ではなく)人々の幸福をおいている.ユダヤ教やキリスト教の多くの宗派はヒューマニズム的になり,超自然や教会の権威の主張をソフトにし,理性や人類の繁栄をうたうようになっている.
  • 人類の繁栄というヒューマニズムの理想は平板で当たり前のことのようにも思われるかもしれない.しかしそれは強いモラル的なコミットメントであり,ヒトの心に自然に生じるものではない.実際にこれから見るように,ヒューマニズムは宗教家や政治家だけでなく,芸術家やアカデミア,インテリからも激しく攻撃されてきたのだ.

 
まずここで擁護するヒューマニズムについては2003年の「Humanist Manifest III」の内容がよいまとめになっているとしてそれを紹介している.そしてそれが党派的主張でないことをまず強調する.それは(ほとんどの)宗教とも共存できるものであり,しかしそこには強いモラル的コミットメントがあるとする.そしてここから価値の議論になる.
 

  • スピノザの格言は道徳の基礎原則の1つである公平の原則となるものだ.それは「代名詞の『私』は自分の利益が他人のそれより優越する特権を持つことを正当化しない」つまり,私が私であるからといって特別なことはないということを意味する.公平は倫理を確立しようとする多くの議論の基礎になっている.スピノザの永遠の視点,ホッブスの社会契約,カントの定言命法,ロールズの無知のベール,そしてもちろん黄金原則(さらにその派生原則*1)がそれにあたる.
  • ただし,公平の原則だけでは完全ではない.自分自身のみが問題だと考えるソシオパスに対してこの原則だけでは説得できないだろう.そして公平の原則には中身がない.その原則は皆が欲するもの,そしてそれが人類の繁栄と言えるものが何かを語っていないのだ.
  • 長寿,健康などのリストを書く試みはあった.しかしその正当化はできるのだろうか.つまりヒューマニズムにモラルにより深い基礎を与えることができるだろうか.私はできると思う.

  

  • 人権宣言などでは生命,自由,幸福追求の価値は「自明」だとされている.このやり方にも問題がある.何が自明かは自明ではない.しかしこれは鍵になる直感を示している.モラルの基礎に命を持ってくることには何かしら説得力があるのだ.ネーゲルの「理性の正当性を考察すること自体が理性の存在を前提にしている」という超越的な議論に倣えば,それは確かに理性的考察者の生命を前提にしているだろう.
  • この考察はさらに科学,そのエントロピー,進化という2つのアイデアと共にヒューマニズムの正当化の扉を開く.伝統的な社会契約の分析は実態のない魂というべき考察者たちの会話に基づいている.この考察者たちを実際の物理的世界に生きているものとして議論を深めてみよう.

  
まず黄金原則を取り上げる.これは強力な原則だが,しかし価値の中身には触れていない.そしてそれを正当化をする試みをエントロピーと進化のアイデアから行うという.なかなかスリリングだ.

*1:シルバー原則は「自分にされることを欲しないことを他人にするな」,プラチナ原則は「他人からして欲しいことを他人にしろ」だそうだ