War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その57

 
第7章までで第1部:帝国創成編(Imperiogenesis)が終わり,ここから第2部:帝国病編(Imperiopathosis)になる
 

第2部 帝国病:帝国の崩壊

 
第2部では繁栄を極めた帝国や強国がどのように崩壊に向かうのかが詳しく説かれる.第1部ではアサビーヤのブラックホールのような団結心の崩壊だけが描かれたが,第2部では,経済的要因,デモグラフィック要因,社会階層要因なども考察されていく.
最初の第8章で取り上げられるのは14世紀のフランスだ.
 

第8章 運命の車輪の逆側:栄光の13世紀から絶望の14世紀へ その1

 
第8章の冒頭は13世紀初頭にパリを訪れた年代記編者バゾーシュの引用から始まっている:「私はパリにいる.そこは王都であり,自然の豊潤さにあふれ,その地に住むものだけでなく,遠くに住む人々をも魅了している.月が星々よりもはるかに明るく輝くように,この都もいちだんと明るく光り輝いている.王座を抱き,一段高く輝いているのだ」
この黄金の13世紀からのフランス王国の衰亡が最初のテーマになる.
 

  • 13世紀は中世フランスの黄金時代だった.フランス王の領土は1200年から1300年の百年間で3倍に増えた.それはフィリップ2世の統治下に始まった.彼はアキテーヌ以外のプランタジネット家のフランス領土を奪い取った.その後継であるルイ9世はアルビジョワ十字軍の結果,南フランスを手にした.1300年までにフランスは西ヨーロッパで軍事的,政治的,文化的に優越していた.
  • 東を見るとかつて強大だったドイツ帝国は衰退しており,数多くの都市と小領主の集合体になっていた.南側ではカスティリアが興隆してきていたがなおムーア人相手のレコンキスタに手いっぱいだった.カスティリアが真の強国として現れるのは200年も先のことだ.フランスのライバルとなりうるのは英国だけだった.しかし英国の人口はフランスの1/4に過ぎなかったし,プランタジネット家の収入はカペー家の収入に大きく劣っていた.フランスの人口は20百万人以上であり,西ヨーロッパ人口の1/3がフランス王に忠誠を誓っていた.

 
前章で見たパリ伯からのフランス王朝はカペー朝と呼ばれる.フランスでは一時プランタジネット朝のアンジュー帝国が大きな勢力を持ったが,第7代のフィリップ2世尊厳王の時代からカペー朝の優越時代に入る.これは「カペー朝の奇跡」とも呼ばれる程見事な王権強化時代だった.
  

  • パリは人口23万を擁し,ラテンキリスト教圏において最大かつ最も華麗な都市だった.中世盛期のフランスの文化的優越を強調しすぎることはできない.(フランス様式とも呼ばれた)ゴシック様式の建築物は,イルドフランス地方で発展し,英国,ドイツ,スペイン,北イタリアに広がった.13世紀のパリ大学はヨーロッパの哲学の中心であり,ヨーロッパ中の知識人を惹きつけた.その中にはアルベルトゥス・マグヌス,トマス・アキナス,ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスが含まれる.

 
ゴシック様式はフランスで発展した美術建築様式だ.有名な建築物としてはパリのノートルダム寺院,ケルンの大聖堂などがある.中世以降のローマの流れを汲む西洋の建築様式はロマネスク,ビザンチン,ルネサンス,バロック,新古典と続く.これらはみな古代ギリシア・ローマからの様式を基礎としてもつもの(例えば柱の様式はドーリア式,イオニア式,コリント式を用いるなど)だが,ゴシックだけは突然アルプスの北側で大発展を遂げた独自の様式だ.ゴシックというのは「ゴート風」という意味で(だからフランクの流れを汲むフランスで発展した様式をこう呼ぶのは本来おかしいことになる),これはイタリアから見て(古代からの様式を無視した)「野蛮な」様式という意味も込められている.
実際には天を衝くような尖塔を持つ上に伸び上がるデザインの建物にステンドグラスを多用する流麗な様式で,これを生み出した中世フランスの繁栄をよく示しているといえる

 

  • 学問や外交においてはなおラテン語が優越していたが,フランス語がヨーロッパで最も重要な日常言語だった.それは英国,フランダース,ナポリ王国,シシリア王国,ハンガリーの貴族層が用いた.
  • 歴史家のバーバラ・タックマンは「遠い鏡―災厄の14世紀ヨーロッパ」においてこう書いている:「14世紀が始まった頃,騎士道,学問,キリスト教への献身においてフランスの優越は当然のことだとされていた」.(当時の黄金時代を示す歴史資料がいくつか引用されている)

 
そしてここから繁栄からの崩壊が描かれることになる.
 

 
このタックマンは著名な歴史家かつ作家で,「八月の砲声」と「失敗したアメリカの中国政策」でピューリッツァー賞を二度もとっている.この「遠い鏡」もなかなか面白そうだ.なお邦訳書は1000ページを超え価格もかなり高めの設定になっている.
 

書評 「技術革新と不平等の1000年史」

 
本書はダロン・アセモグルとサイモン・ジョンソンという2人の経済学者による「技術革新がどのような社会的経済的影響を与えるか」を語る一般向けの本になる.議論の焦点はまさに今大きな展開をみせているAI技術が私たちの社会や経済にどのように影響するのか(テックジャイアントが言うような楽観的な予測を信じていよいのか)というところにある.
アセモグルはこれまでジェイムズ・ロビンソンと組んで,歴史的な自然実験という視点から国家や社会がどのような道をたどるか(どのような制度のもとで持続的経済成長が可能になるのか)を語る「国家はなぜ衰退するのか」「自由の命運」を書いてきた.本書のテーマはこれらの著作より狭い特定の経済現象を扱うものだ.
本書でもこの「歴史的な自然実験」という視座をとって過去の技術革新がどうであったかを振り返りながら議論を進めている.経済学的な議論は「文献の解説と出展」という注釈的なセクションに下げられ,物語が前面に押し出されており,一般の読者が読みやすい作りになっている.原題は「Power and Progress: Our Thousand-Year Struggle Over Technology and Prosperity」.
 

プロローグ 進歩とは何か

 
プロローグでは本書のテーマが簡単に解説されている. 

  • 現代のテクノロジーの進歩はすさまじい.これに対して「技術革新は自動的により良い世界(繁栄の共有)を生み出すのだ」というテクノロジー楽観主義がしばしば主張される.
  • しかし歴史には,そうでなかった技術革新の例が数多く見つかる.(いくつもの例が挙げられている)
  • 私たちは「繁栄の共有がもたらされるのは,テクノロジーの発達の方向性と社会による利益分配の方法が一部のエリートに有利な仕組みから脱した場合に限られる」と主張する.進歩は自動的ではなく選択の結果なのだ.

 

第1章 テクノロジーを支配する

 
第1章では,まず「科学技術の勝利」的な楽観主義とそれに対するケインズやリカードの懸念,それらは忘れ去られていったが現在新しいテクノロジーが大きな格差を生んでいる状況になっていることを振り返り,繁栄の共有が生じるかどうかは選択によることを再確認する.そしていくつかの本書全体につながるロジックが解説される.

  • 楽観主義の根底には「生産性バンドワゴン」という考え方がある.新しい技術は賃金も上昇させるという主張だ.しかし様々な労働への需要は同じペースで増えることが保証されないので,不平等が拡大する可能性がある.バンドワゴンが生じるには生産性向上により企業が生産量を増やしたいと考えなければならない.そういうことが起こることもあるが,そうでないこともある.これはテクノロジーがどう変化したのか,経営者が労働者を扱う法律などのルール,規範,予想に左右される.
  • 企業にとって重要なのは(平均生産性ではなく)限界生産性だ,どんなに1人当たりの生産性が高くなっても,さらに労働者を追加で雇っても生産量が増えないのであれば限界生産性は0になる(例えば高度なオートメーションはこのような状況を生み出しうる).だから生産性向上は労働需要の増加を保証しない.グローバリゼーションやオフショアリングも同じような効果がある.
  • 繁栄の共有が生じるためには,つまり限界生産性を高めるには新たな仕事が生み出されることが必要だ.20世紀における自動車産業の自動化技術は,極めて大きな生産性向上効果を生み,石油,タイヤなどの関連産業,小売り,娯楽,サービス業に渡る新しい仕事を膨大に生み出した.だからケインズの懸念は実現しなかったのだ.
  • しかし生産性向上が小さいと新たな雇用はほとんど生まれない(本書では「そこそこのオートメーション」と呼ぶ).技術が労働者への監視に使われる場合も同じだ.

 

  • (1)だからまずテクノロジーをどう用いるか(限界生産性向上を目指すのか)の方向性の選択が「繁栄の共有」をもたらすかどうかに大きくかかわってくる.
  • (2)次に問題になるのが企業と労働者の関係だ.規制も規範もなければ企業側の力が大きく,生産性向上の利益は企業がみな吸い上げてしまうからだ.

 

  • テクノロジーの方向性を決めるのはビジョンだ.どのビジョンが使われるかは説得力に依存する.そしてしばしば権力者のビジョンの影響力が大きく,それは権力者に都合の良いものになりがちだ.これは汎用テクノロジーについては重大な問題になる.そしてこれはAI技術をどう押し進めるかに大きくかかわる.
  • よいニュースはビジョンは変更可能であり,包摂的なビジョンも可能だということだ.

 

第2章 運河のビジョン

 
第2章はビジョンの影響力がテーマ.ここは物語仕立てになっていて,レセップスによるスエズ運河の成功とパナマ運河の失敗が対比される.著者によるとレセップスのビジョンはテクノ楽観主義と市場への信頼とヨーロッパ優先主義にあったという整理になっている.テクノ楽観主義は閘門式運河を嫌い海面式運河を求め,これがスエズの成功とパナマの失敗の大きな要因となる.市場への信頼はスエズの資金調達を可能にし,パナマについても多くの資金を集めることに成功する(最終的には投資家に大損をかけ,最後の資金調達には失敗する).そしてヨーロッパ優先主義はどちらの運河の労働者にも過酷な労働を強いることになった.
著者はレセップスのビジョンは,それがなければ不可能だったスエズ運河を可能にしたが,パナマの現実認識を阻害したのだとまとめ,パナマの失敗の教訓はテクノ楽観主義の陥穽を示していると指摘している.
 
この印象的な物語で,レセップスのビジョンの力が事業の成功と失敗に大きな影響力を持ったことはよくわかる.しかしこの例は本書のテーマからやや離れていてやや微妙な印象だ.巨大運河という技術はどういう(著者たちの言う)方向性を持つものだったのか(それは大量の新しい仕事を作り出したのではないか)ということが語られていないのが残念という印象だ.
 

第3章 説得する力

 
第3章ではある特定のビジョンが支配的になるのはなぜか,そして世界はいかにしてビジョンの罠に陥るのかを扱う.著者たちによればあるビジョンが支配的になるのは説得力で決まることになる.そしてレセップスの投資家に対する説得力,ナポレオンの兵士に対する説得力,ウォール街の銀行家たちの政府高官やジャーナリストに対する説得力がまず例としてあげられ,説得力の要素としてアイデアの力とアジェンダ設定(どのアイデアを選択するのかの枠組み)が指摘される.

  • アイデアが受け入れられるためには多くの要因がある.社会情勢,情報ネットワーク,個人のカリスマ性,そして素晴らしい物語に裏打ちされているかなどだ.アイデアが選ばれる過程はしばしば市場のアナロジーで説明されるが,必ずしも優れたアイデアが選ばれるわけではない.(単にキャッチーなものが選ばれたり,権力に左右されたりすることが指摘されている)
  • 私たちはアイデアを選択する時にしばしばヒューリステイックスに従う.これは人々を操作しようとする者にアジェンダ設定で悪用される.そしてアジェンダ設定はしばしば社会的地位の高い者に握られている(リーマンショックの時の大銀行家たちについて「大きすぎて潰せない」というカードを持ち出して選択の枠組みから現実的な選択肢を排除した例,南北戦争後の南部で支配的白人指導者たちが黒人の隔離政策の妥当性をうまく売り込んだ例が挙げられている).そしてこの問題の根源には制度がある.制度は誰が説得力を持つのかを決め,アイデアと共進化するのだ.
  • そして制度的に説得力を持った権力者たちは,自分のアイデアや自分の利益を正当化する方法を見つけ,堕落していく.
  • これから逃れるには,対抗勢力を作り出すことが必要だ.支配的なビジョンを相殺するものとして多様性を生み出して未来を再構築しなければならない.そのためには民主的な政治制度が極めて重要だ.それは包摂的ビジョンの制度的基盤となる.

 
著者たちによると,ビジョンこそが技術の方向性を決める重要な要因ということになる.しかし(少なくとも自由主義の市場経済体制における民間利用については)最終的にはそれは技術を最も効率的に利用した際の収益性(資本効率)で決まるのではないか(よい利用モデルをいかに発見するかにビジョンがかかわるかもしれないが)というのが当然の疑問として浮上するのではないだろうか.著者たちの限界生産性と「そこそこのオートメーション」の議論はそれに対応するものだろう.だが技術の方向性に関する(技術の本質的な)収益性とビジョンの重要性との関連の議論は行われない.ここもやや残念な印象だ.全体的に著者たちの「ビジョン」の議論はわかりにくいと思う.
 
ここまでが理論編で,ここから歴史的なケーススタディが始まる.第4章で農業における技術革新,第5〜7章で18世紀から20世紀にかけての産業革命以降の技術革新の歴史が解説される.
 

第4章 不幸の種を育てる

 
第4章は中世ヨーロッパの農業技術革新のケーススタディ.
中世ヨーロッパでは輪作,水車,肥料.耕作工具などの技術革新があった.1000〜1300年にかけてイングランドでは水車や風車の利用により単位面積当たりの収穫量は倍増した.しかし農民や労働者にバンドワゴン効果は生じなかった.著者たちは余剰は人口の5%のエリート層,特に教会に吸い込まれたのだと説明している.
そしてこれはテクノロジーをどう使うかが権力者によって決められたためだと主張する.中世の制度では農民や労働者の移動の権利はなく,支配者層は報酬を増やさずに労働強化を強制することができたのだ.また支配者層(特に教会)は新技術の利用方法が自らに不利益をもたらすと知ればそれを禁止することができた.
著者たちは,このような権力者の強制力の歴史的変動や地域的な差異と農民の生活の質に相関がみられること,この現象が生産性の上昇に人口増がすぐに追いついたというマルサス的な現象ではないこと,古代ギリシアや古代ローマでも同様な現象が生じたこと,そもそもの農業の開始,エジプトのピラミッド建設,英国の囲い込み運動,アメリカ南部の綿繰り機の影響,ソ連の計画経済においても同様であったことを解説し,またこれが単純な強制だけでなく,権力者の威光による説得の要素もあったと主張し,こうまとめている.

  • 農業における技術革新の余剰が支配層にのみ吸い取られたのも,不平等と階層制の拡大も必然であったわけではない.これらはその時点の制度のもとでの選択の結果,つまり支配層がそれが公共の利益になると主張し,それが(権力や宗教的威信により)説得力を持った結果なのだ.

 
中世における農業技術の革新が繁栄の共有を生まずに格差の拡大につながり,それは権力者にとって有利な制度があったためだという物語には説得力がある.しかし著者たちの仮想敵であるテクノロジー楽観主義者は「これは制度問題だ(自由主義市場経済であれば繁栄の共有が生じた)」と主張するだろう.だから本書のテーマの基礎付け物語としては弱いのではないかという印象だ.
 

第5章 中流層の革命

 
第5〜7章では産業革命時〜20世紀までの状況が吟味される.技術革新の方向性と制度の状況は19世紀の半ばごろに大きく変化する.第5章では産業革命勃興の状況がまず整理される.
冒頭ではスティーブンソンが蒸気機関と鉄道の統合システムを実現させ,技術的な問題を解決し,さらに新しい輸送網,そして大量の新しい仕事を作ったことが語られる.しかしそれは必然ではなかったというのが著者たちの説明になる.物語は産業革命勃興時に遡る.

  • 英国では産業革命勃興当時,(それ以前の科学革命の結果)テクノロジーに興味を持ち,立身出世を目指す中流層が出現しており,この「成り上がり者」こそが19世紀イギリスの発展の決定的要因だった(これまでの様々な要因説*1が比較検討されている).
  • この中流層はどのように出現したのか.それは英国の封建社会が(その他の国よりも早く)緩やかに衰退していき(マグナカルタ,イングランド内戦,名誉革命に至る流れが描かれている),金持ちになれば尊重してもらえる社会になっていったからだ.野心を持つ者は既存の体制の枠内での上昇を切望した.
  • この新たな上昇志向階級は,当然ながら自らの富の蓄積を求め,共同体全般の生活水準については無関心だった.

 

第6章 進歩の犠牲者

 
第6章では産業革命が社会の中の格差にどう影響を与えていったのか,それがどう変化したかが描かれる.
冒頭では子供の雇用についての1842年の英国の調査委員会の報告が描写される.19世紀の英国では貧しい階級の子供は容赦なく搾取されていた.

  • 産業革命初期,大多数の人々の実質賃金は上がらなかった.(1600~1850年ごろの経済状況,生産性と賃金の推移が解説されている)産業革命の結果,それまで職人技を必要とされていた労働者は工場での単純作業をするだけになり,雇用者と労働者の力関係は前者有利になった.この結果生産性上昇の果実は起業家が丸取りし,労働者に共有されなかったのだ.(具体例として繊維業界のオートメーションが取り上げられている)
  • 産業革命は石炭の利用を増やし,その結果公害が生じ,都市衛生環境の悪化による感染症とともに貧困層にとって特に負担となった.

 
つまり著者たちによると「成り上がり者」たちのビジョンと,成功した起業家に有利な制度が技術革新が格差の拡大につながった要因ということになる.ここから転換が語られる.
 

  • しかし19世紀後半になり,事態は大きく転換した.労働者の賃金は生産性上昇とともに増え,食事と生活環境が大きく改善した.
  • このような生産性バンドワゴンが生じるには,労働者の限界生産性が向上し,かつ労働者側に十分な交渉力がなければならない.
  • まずテクノロジーの方向性が(労働者の限界生産性を高めるような方向に)転換した.鉄道は(単なる自動化の道具ではなく)輸送システムを根本的に変え,(建設,保守,エンジニアリング,マーケティングなどの)専門技術を必要とする多くの仕事を作り出した.そして輸送コストの低減は他産業を大いに成長させた.生産性の上昇が新たな仕事を作り出すという結果に結びついたのだ.さらにアメリカではオートメーションだけでなく,熟練度の低い労働者の生産性を上げるような(生産のシステム化などの)発明が優先された.
  • そしてこの頃労働者の交渉力を上げるようなビジョンが形成され,それが包摂的な制度として実現した.(チャーチズム,労働組合の合法化,民主化の動き,公衆衛生の重要性の認識などの流れが解説されている.またここではこのようなビジョンが育たなかったインドの鉄道が国内産業の空洞化の引き金となった成り行きが対比されている)
  • つまりテクロノジーの性質変化と労働者の力を強化する制度変更が鍵となったのだ.

 

第7章 争い多き道

 
第7章では19世紀末〜20世紀の生産性と繁栄の共有の歴史が描かれる.

  • 1870年代にアメリカは世界一の経済大国になった.労働者の過半は農業に従事していたが,農業機械の技術革新は必要な農業労働者の数を大きく減らした.しかしアメリカの産業界が急速に変革され,全体の労働需要は大きく増加した.
  • これにはアメリカのテクノロジーの方向性が大量生産とシステムズ・アプローチに向かっていたこと,特に新しい電気の利用にかかる技術が汎用テクノロジーであり,通信の革命を生み,工場運営効率*2が大幅に上昇したことが大きい.それは労働者の限界生産性を上げ,新しい産業,新しい職種(エンジニア,ホワイトカラー)を生んで新しい仕事を大量に作ったのだ.(自動車産業の例が詳しく解説されている)

 

  • やがて世界は大恐慌の時代になる.経済は大きく混乱した.(ここで大恐慌に対するスウェーデンSAPの社会民主主義的な政策が包摂的な制度を作ったものとして好意的に紹介されている)
  • ルーズベルト大統領は最低賃金制を導入し,政府規制と労働運動の強化により企業への対抗勢力を培おうとした.このニューディール派の願望は(南部民主党の強硬な反対で)完全に実現することはなかったが.マクロ経済と労働運動を後押しした.
  • 1940年代からの数十年は経済が大きく成長し,繁栄の共有も生じた.これが可能だったのはテクノロジーの方向性と制度的枠組みがともに望ましいものであったからだが,それは必然ではなかった.
  • 1950〜60年代に数値制御機械やその他のオートメーション技術が工場に導入されるようになり,急速な自動化の中で雇用が創出できるのかが問題になった.しかし実際には雇用は一貫して増加した.製造業には様々な専門職,エンジニア,事務員の雇用が創出され,小売りなどの産業が発達し,カスタマーサービス,マーケティングなどの雇用が創出された.
  • しかし技術がこのような方向に向かったのは必然ではない.そこには制度的な要因があった.労働組合はオートメーションを認める条件として,トレーニングつきでの新しい仕事と生産性上昇の利益の一部の還元を要求した(コンテナ船の技術革新と港湾労働者たちの交渉の例が挙げられている).ドイツや英国のようなヨーロッパ諸国でも同様だった.
  • ただし1960年代までは,女性,マイノリティ(特にアメリカの黒人),移民は政治的影響力,経済的恩恵から排除されていた.それも1960年代から変わり始めた*3

 
著者たちの18〜20世紀の技術革新の帰結の説明は以下のようにまとめられるだろう.

  • まず産業革命が英国で進行したのは,立身出世を目指す中流の起業家たちの影響が大きい.そしてその結果生じた生産性向上分の利益は起業家たちが丸取りし,格差が広がった.
  • 19世紀の後半に転換が生じた.それはテクノロジーの方向性が変わり大量の新しい仕事を生み出したことと労働者の交渉力を上げるビジョンが包摂的な制度につながったことによる.

この著者たちの説明の制度変更と労働分配率の向上の部分はよくわかる.しかし技術の方向性の議論はよくわからないところがある.蒸気機関が工場に導入されるのと,機関車として利用されるのの違いがどこから生まれるのか(そこにビジョンがかかわってくるのか,それともどちらも資本効率最大化を目指したが,たまたま効果に差があっただけなのではないのか*4)がきちんと説明されている様には感じられない.
 

第8章 デジタル・ダメージ

 
第8章からは現在のIT技術革新がテーマになる.まずはコンピュータ革命時のハッカーの楽天主義から描写される.

  • 1960〜70年代にハッカーたちはIBMを軽蔑し,分散化と自由を求め,「情報は自由であるべきだ」と訴えた.そしてコンピュータが発達すれば,一般市民のための新しい生産的なツールになり強固な繁栄の共有が実現されると考えた.
  • しかし実際には1980年代以降賃金格差は拡大の一途をたどった.その背景にあったのは利益と株主価値の最大化が公益につながるというビジョンだった.テクノロジーの方向性が50〜60年代と異なるものになり,労働運動が下火になったことが要因だ.経営者はオートメーションを最優先にして新しい仕事の創出することをないがしろにしたのだ.(80年代以降,自動車産業の状況がどう変わったかが解説されている)
  • この格差拡大についてのよくある議論は,テクノロジーとグローバリゼーションを対比し,前者が格差をもたらすのは避けがたいが,後者を許容するかどうかは選択の問題だとするものだ.しかしこれは誤っている.テクノロジーに必然的な方向はない.

ここでアメリカの政治状況が,60年代のリベラル的なもの(公民権運動,平等雇用機会均等法など)から,80年代の自由市場主義的なもの(規制緩和,富裕層と企業への減税,フリードマン・ドクトリンなど)に移り変わってきた歴史が描かれている.実業界のロビイング,経済学の流れの変化,労働運動の挫折などが詳しく解説されている.

  • そしてアメリカ企業は「リエンジニアリング革命」を遂行し,そのためにIT技術を利用した.その1つの例がOA(Office Automation)だ.その結果それまで比較的高賃金だった職業(スキルが低いか中程度のオフィスワーカーなど)の雇用数や賃金が減り始めた.
  • これは必然ではなく新しいデジタルビジョンにより選択されたものだ(ドイツなどではある程度別の成り行きであったことに言及されている).そのビジョンはエリート主義的で,一部の優秀な人々がシステムを設計し,高給を取ることが正当化された.それは生産性バンドワゴンが生じることを基礎としていたが,それには前提条件(労働者側にも交渉力があること,生産性の伸びが継続的に大きいこと)があることは見過ごされていた.労働運動は低調で,IT技術による生産性の伸びは喧伝されたほど大きくなかったのだ.

 
80年代から90年代にかけてのIT技術の進展がどれだけ生産性を上げたのか,それが人々にどういう影響を与えたのかはなかなか難しい問題だ.片方で賃金格差は増大した.しかしそれによる消費財の効用増大は多くの人々にとって福音だっただろう.だからここで問題にされるべきなのは低賃金層の実質的な購買力がどうなったかではないのだろうか.単に賃金格差だけを問題にするのはあまり説得力のある議論には思えない.また前3章と同じくビジョンが技術の方向性にどう影響を与えたかについてもあまり説得力がある議論がされているようには思えない.
 

第9章 人工闘争

 
80年代以降のIT技術革新は繁栄の共有をもたらさなかった.では今まさに革新のまっただ中のAI技術がどうなのかが第9章以降のテーマになる.

  • 2020年代,AI技術について,エコノミスト誌やマッキンゼーレポートは明らかに生産性バンドワゴンを前提とした楽観論「AIは,雇用縮小や労働上の不平等をもたらさず、広範囲な経済的社会的な利益をもたらす」に立っている.私たちはそれは幻想だと主張したい.
  • AIテクノロジーの最近の進歩は驚異的で,非ルーチン業務への自動化も視野に入ってきている.これまでのところ,AI投資に熱心な企業では(専門家の採用は増えているが)全体の採用数を大幅に減らしている.全産業での大量失業は生じていないが,今後多くの人の賃金が下がることが予想される.
  • (ここでこれまでのAIの流行の波が解説されている)今回のAIヘの熱狂は深層学習によるブレークスルーがきっかけになっている.このテクノロジーは大量のデータ使用,拡張性と転移性の向上,そしてオートメーションの拡大の方向をむいている.そして実際には「そこそこのオートメーション」効果しか生んでいない.
  • なぜ「そこそこのオートメーション」しか達成できていないのか.それは現在のAIでできることに限りがあるからだ(暗黙知,社会的スキルの問題が指摘されている).また汎用AIの目標は「過学習」の問題を過小評価している.このため現行AIで可能なのは大量テータと機械学習で利用可能な限定的なタスクの自動化に止まっているのだ.
  • もう1つの問題は現在のITテクノロジーが労働者の監視の機能を向上させていることだ.これは雇用者を一方的に有利にするものだ.
  • しかしそうではない道もあったはずだ.テクノロジーの方向性が「機械有用性:それが人間の目的にとってどれだけ役に立つか」を高める方向であったならば状況は異なっていただろう.人間にとって使いやすく技能を伸ばしてくれる技術*5,拡張現実のような新しい仕事を作る技術,情報の正確なフィルタリングなどの意思決定に役立つ技術,新しいプラットフォームや市場を作り出す技術にイノベーションが向かっていれば状況は異なっていただろう.
  • そういう方向に自然に向かうのは難しい.経費削減に取り組んでいる企業には魅力的ではないし,新しい技術はしばしば想定外に搾取的に用いられてしまいがちだからだ.これは貧困国に技術導入してもなかなかうまくいかない理由でもある.

 
前段では現在のAI技術がおそらく「そこそこのオートメーション」しか生まないであろうことが説明されている.過学習の問題が現在の巨大規模の深層学習によって克服されているのではないのかという問題がスルーされている部分を除くと説得的だ.これは今の技術は資本効率最大化を目指そうとすると「そこそこのオートメーション」と監視に向かいがちという意味になる*6
そして著者はそうでない道筋があったと主張する.しかし著者があげるような様々な技術革新が試みられていないわけではないだろう.それは様々な複雑な事情により結局採算ベースに乗らなかったということではないのだろうか.
 

第10章 民主主義の崩壊

 
第10章では現在のIT技術,AI技術が民主主義にとっての脅威になっているという主張がなされる.

  • 中国政府はIT技術を国民の監視のために徹底的に利用している(中国によるIT技術を駆使した抑圧の様子が語られている).そのような監視はイランやロシアなどの独裁政権でも行われ,民主主義により選ばれた多くの政府もペガサスのような監視ソフトウェアを利用している.テクノロジーは監視のような抑圧的な方向に進めば進むほど,独裁政権(あるいは独裁を目指す政権)にとってますます魅力的になる.これが監視テクノロジーの罠だ.
  • またSNSは(当初は民主化を進めるものと期待されたにもかかわらず)いまや誤情報の温床になり,極左極右の過激派による操作を受けている.これはフェイスブックのようなSNSのアルゴリズムが(広告収益を最大化するために)信頼性よりも共有されやすいかどうかを優先するように組まれているために生じている.(Facebook,YouTube,Twitterの具体例が挙げられている)
  • SNSが作り出した政治的混乱を理解するには,プラットフォーム企業の利潤動機だけでなく,彼らの創業理念にある「AI幻想」を認識することが重要だ.創業者や幹部たちは,自らを「中道左派,民主主義支持者」と規定しながらも,世間にあるAIヘの恐れは大げさでAIをもっと行き渡らせれば懸念は解消すると考えているのだ.
  • これらは不可避な現象ではなく,イノベーションの方向性により生じた現象だ.これは改善可能(ラジオが登場した当時のプロバガンダ的利用とその後の政府規制,プラットフォーム企業の自主規制による一定の効果が解説される)だが,政府の監視へのこだわりとテクノロジー企業の現行ビジネスモデルが続く限り状況はあまり変わらないだろう.

 
独裁政権は抑圧のために技術を使うだろう.そして中国はIT技術を高度に用いている.さらに著者たちはSNSプラットフォーム企業の創業理念であるAI幻想が利潤のためなら何をやっても問題ないという認識とともにエコーチェンバーと分断を生むのだと糾弾している.著者たちはAI幻想のビジョンこそが重要だとするが,結局は利潤の問題ではないのだろうかという気もするところだ.
 

第11章 テクノロジーの方向転換

 
最終第11章では,民主主義,包摂的制度を守るためには,どのようにすればよいのかが語られる.

  • 19世紀後半のアメリカの「金ぴか時代」の格差拡大から20世紀の繁栄の共有への変化は,広範な進歩主義運動により支えられた(詳しい説明がある).ここから導かれる教訓は.現在の苦境を改善するには「ナラティブと規範の変更」「対抗勢力の養成」「政策(政治的解決)」の3本の柱が必要だということだ.(ここで現在の気候変動問題への取り組みの変化にこの3本柱が有効であったことが解説される)
  • ナラティブと規範の変更:新しいテクノロジーの議論には(株主利益だけでなく)「それが人々に益をもたらすのか害をもたらすのか」も取り上げるべきだ.特にオートメーションと監視を過度に優先する技術は新しい仕事や機会を生まないことを考慮すべきだ*7
  • 対抗勢力の養成:労働組合は工業化時代以降対抗勢力の柱だった.今日それは下火になっているが,新たな手法の可能性*8もある.また新しいよりよいオンラインコミュニティを育む民主的制度が望まれる*9
  • 政策:監視ではない技術,労働分配率を増やす技術,人間補完的な技術を進める方向への助成金や税制,大手テクノロジー企業の解体,新しい仕事への訓練助成金,データ管理への(プライバシー保護などの)規制,ご情報を推奨したプラットフォームの責任を定める,デジタル広告税(ビジネスモデルの転換を促す)などが実施されるべきだ.また富裕税,セーフティネットの強化も検討されることが望ましい.

 
最終章の著者たちの主張は「IT技術の方向性を変えるために物語を変え,対抗勢力を作り,制度の見直しや規制・助成金などの介入政策で方向を変えるべきだ」ということになる.そしてやはりビジョン,物語のところはよくわからない.企業が利潤のために公益を害しているというならそれに対しては政策や制度(そして労働組合のあり方)を変えるべきだというのはよくわかるが,物語や新しいコミュニティというのはふわふわしていてよくわからない印象だ.また制度や政策を語るには国際競争力に与える影響という視点も重要だと思うが,それについてはきちんと解説されておらず*10,少し残念だ.
 
本書全体で言うと,著者たちの主張のうち,技術革新が繁栄の共有を必ず生むわけではなく,制度が重要だというのは歴史的にもきちんと示せており,明快だが,方向性の重要性の部分はややわかりにくいところが多い.おそらくテックジャイアントの起業家たちが振りまく幻想を問題にするために「ビジョン」を持ち出しているのだろうが,ビジョンが技術の方向性をどう決めるのか(利潤最大化動機に反するような方向に向かえるのか)が曖昧だと思う.
結局,自由主義市場経済の中での技術革新の帰結の問題は,その技術がどのように利用・推進されるのか(どのように使用すれば,あるいはどのような方向で開発すれば資本効率が最も良くなるのか)が本質的に重要で,新しい雇用を生むかどうかはその技術が限界労働生産性をどう変えるかで決まる(そしておそらく事前にある技術がどういう帰結を生むのかの予想は難しい).また超過利潤の分配は(交渉力をふくめた)制度で決まる.そしてそれらの帰結が公益にそぐわないなら,制度改革や規制・助成金などの政策で対応すべきであり,それは政治の問題となるということなのではないかと感じられる.
とはいえ本書で描かれる農業技術の事例,産業革命勃興時からの様々な経緯の物語は大変興味深く,テクノロジーが社会に与える影響は様々な条件に依存する複雑なものであることがよくわかる.技術革新が与える影響の考察において経済的な要因だけでなく,社会的,制度的な要因まで広げたところが本書の魅力ということになるだろう.AI技術が現在の仕事をどのように変えていくのかを考える上でいろいろと示唆を与えてくれる一冊だと思う.


関連書籍
 
原書

 
アセモグルとロビンソンによる国家や社会のたどる道についての本
 
「国家はなぜ衰退するのか」 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130713/1373673131


同原書

 

「自由の命運」 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/03/22/105924

 
同原書 
 

*1:地理的条件,文化,天然資源,少数の有能な起業家の出現,賃金などの経済条件,職人の技能,農業の生産性,人口と衣食需要,金融イノベーション,法的環境,政府の政策などが挙げられ,それらでは説明できないとされている

*2:照明の改善と駆動力を個別のモーターで賄うことにより工場ラインのデザインの自由度が大きく上がったことが大きい

*3:女性については20世紀初めの婦人参政権が認められた辺りからの長めの歴史があることにも触れられている

*4:インドの鉄道がインド国内産業の空洞化を招いたのは,それが植民地支配の道具として建設されたからなのか,たまたまそのような産業構造と比較優位の状況があったからなのかも吟味されているわけではない

*5:例としてゼロックス研究所のマウス,グラフィカルUI,ハイパーテキストなどの方向性が挙げられている

*6:またここで思いもしなかったような形で新しい産業が生まれる可能性がどれだけあるのか(あるいは結局未来は予測できないかもしれない)ということも重要に思えるが,その部分の議論はない

*7:この問題の核心は中国が監視とオートメーションに注力し続けた場合に,西側の方向転換の取り組みが有効かという点だと指摘され,その答えはおそらくイエスだとコメントされている

*8:アマゾンやスターバックスの組合結成の例(イデオロギー色を薄くし,従業員共通の具体的目標に的を絞る戦略をとる)が引かれている

*9:エコーチェンバーを避け,親民主的で透明なツールを作るためにデジタル技術を使う方向に希望を託している

*10:監視技術を規制しても中国に劣後しないかという問題だけが扱われ,あまり根拠なく大丈夫だとされている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その56

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その17

 
ターチンはなぜ中国では統一状態が継続したのに,ヨーロッパは再統一されなかったのかを議論する.そしてまずダイアモンドによる地理的説明を否定し,メタエスニック辺境が(気候地理的な理由で)動かなかった中国が例外なのだとする.「帝国の成立後,領域拡大とともに辺境は遠方に追いやられ,コア部分はアサビーヤのブラックホールとなり崩壊する.そして周りの辺境で強国が生じる」古都の邦画歴史の原則であり,ヨーロッパは正しくその道をたどったのだと言うのがターチンの説明になる.
そして最後にカロリング朝フランク帝国の現代にまで残る影響を語る.
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その3

 

  • カロリング朝フランク帝国は今日われわれが西洋文明と呼ぶものの胚のようなものだ.中世ヨーロッパのラテンキリスト教世界の中心部分はギリシア正教でも異教でもなくカトリックであり,フランスやドイツのようなカロリング朝の後継国家から構成されていた.このコアにスペインやプロイセンのような征服された地方やデンマークやポーランドのような改宗した地方が加わった.
  • 政治的に統一されたことはなかったが,ラテンキリスト教世界の人々はある超国家的なセンスにおいて同じものに属していることを知っていた.彼らは同じ信仰を持ち,ローマ教皇を戴き,ラテンという同じ文化,同じ文字,同じ礼拝,同じ外交プロトコルを用いた.
  • 歴史家ロバート・バートレットが「ヨーロッパの形成」で議論したように,ラテンキリスト教世界の外側の人々もこのメタエスニックアイデンティティに気付いており,それに属する人々を「フランク人(アラビア語でFaranga,ギリシア語でFraggoi)」と呼んだ.

 

 
ターチンはここで,外側の人々がラテンキリスト教世界の人々を「フランク」と読んだ実例として十字軍時代のイスラム側からの呼称の例を挙げている.十字軍はノルマン,フランス,イギリス,ドイツなどの様々な軍隊からなっていたが,イスラム側は彼らを単に「フランク」と呼んでいるのだ.
 

  • ラテンキリスト教世界は西洋文明の直接の祖先だ.そしてその後の宗教改革をめぐる争いでさえも(多くの血が流されたとはいえ)いわば家族の中の口論に過ぎない.それはカロリング朝フランク帝国から由来するメタエスニックアイデンティティを破壊したりしていないのだ.
  • 今日においてもこのアイデンティティの跡をみることはたやすい.EUの最初のメンバー,最も熱心なEU推進者はフランス,ドイツ,ベネルクス3国,イタリアだ.これはカロリング帝国の版図とほぼ同じだ.中世にローマカトリックだったところは今日カトリックかプロテスタントであり,EUに喜んで迎えられる.ポーランド,クロアチア,チェコはソ連の影響下から脱するとすぐにEUに参加するように熱心に誘われた.これに対してイスラム教のトルコは半世紀以上もNATOのメンバーであるにもかかわらずメンバーとして認められていない.ギリシア正教の影響下にあったウクライナやベラルーシも全く歓迎されず,加盟を認められていない.ギリシアですら,アメリカの強力な後押しでようやく認められたに過ぎないのだ.

 
本書の出版は2007年だが,これはその後のブレクジットや,ウクライナのEU加盟問題を考えるとなかなか味わい深い記述だ.とはいえ現在EU加盟国にはギリシア以外にもブルガリアやキプロスなどのギリシア正教が主流の国があるので,この断定的な書き振りはやや微妙ではある.
 

  • ラテンキリスト教世界,そしてその後継である西洋文明は普遍的な帝国を興すことはなかった.それはヨーロッパの海岸線が入り組んでいるためではない.それはカロリング帝国辺境で生まれた遠心力によるものだ.統一できなかったのはヨーロッパが特殊だからではない.似たような面積の他の地域も歴史の極く一時期しか帝国を経験していない.その唯一の例外が中国だ.中国では帝国が連続的に次々と興っている.そしてその理由は中国が遊牧民との間に永続的に続くメタエスニック断層に面しているからなのだ.
  • 中国の永続的なステップ辺境は例外的だ.しかし(その部分を除く)中国の事例は「帝国はメタエスニック辺境に興る」というマクロ歴史的な規則性を裏付けるものになっている.それは帝国興隆の本質的な歴史なのだ.

 
ということで第7章は終了だ.ここまでで第1部の「帝国興隆編」も完結になり,ここから第2部の「帝国没落編」が始まることとなる.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その55

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その16

 
ターチンは本章でここまでフランク帝国のカロリング朝時代の4つの辺境に後のヨーロッパ列強につながる強国興ってきたことを説明してきた.最後に冒頭の疑問に戻り,なぜ中国では統一状態が継続したのに,ヨーロッパは再統一されなかったのかを議論する.そしてまずダイアモンドによる地理的説明を否定した.
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その2

 

  • 実際にはヨーロッパが例外なのではない.中国こそが例外事例なのだ.世界のどこにもこれほど長く帝国が継続した場所はない.逆説的に聞こえるかもしれないが,その究極の理由は地形,より正確には環境にある.東アジアの気候分布には乾燥したステップ地帯と降雨量の多い農耕可能地帯の間にはっきりとした境界がある.人類が遊牧を覚えて以降この環境境界は遊牧民と定着農耕民のメタエスニック辺境と重なり続けた.
  • ステップ地帯からの圧力の元で中国の農耕民は次々に帝国を打ち立て,遊牧民は大統一部族連合を次々に形成したのだ.中国は時に遊牧民の土地に遠征したが,そこで作物を作ることができないため永続的に占領することはできなかった.遊牧民も何度も中国んに征服王朝を打ち立てたが,しかしそうなるとすぐに中国に同化してしまった.この中国文明と遊牧文明の断層線は東アジアの地理に基礎があったのだ.だから中国には普遍的な帝国が次々に興った.普遍的な帝国とはある文明の内側すべてを統一したものだ.
  • ユーラシアの西側部分にも2つの普遍的な帝国があった.ローマ帝国とカロリング朝フランク帝国だ.どちらの帝国もメタエスニック辺境に興った.そういう意味では中国の帝国に似ている.しかしローマとカロリングは辺境をコアから遠くに押しやった.そして何百年も辺境を離れたために両帝国のコアはアサビーヤのブラックホールとなり,人々は機能的な国家を組織できるようなスケールでの協力ができなくなったのだ.

 
ターチンの説明は歴史法則「メタエスニック断層の近くではアサビーヤが上がることにより強国が生じ,それが帝国の元となる」は中国にもヨーロッパにも当てはまるが,ヨーロッパではメタエスニック断層の位置が動きアサビーヤのブラックホールが生じたが,中国では(気候帯の配置から)動かなかったためにブラックホールができず高いアサビーヤを持つ強国が興り続けたというものになる
 

  • カロリング朝フランク帝国の衰退の後,そのコアは(ザクセン朝とザーリアー朝の皇帝の元で)また別の内心化と遠心化のサイクルに入り,そして分解し,それ以降統一されていない.この崩壊したコアの外側に辺境に接した新しい力の中心がいくつか生まれた.この興隆する強国はかつてのコアをめぐった争いあった(ローマ帝国が崩壊した後,地中海世界が二度と統一されなかったのも同じだ).そしてコアと反対側への拡張の方が容易だった.何世紀か経ち,強国たちは最終的にコア地域を分割して分かち合った.フランスはロレーヌとアルザスを,ハプスブルグはオランダを,プロイセンは(ルクセンブルグなどのわずかな断片を除く)その残りをとった.

 
コアがブラックホールに飲まれてつぶれ,周辺の強国が分けあったという説明は鮮やかで分かりやすいイメージを提示している.そしてここでターチンは地中海沿岸が二度と統一されなかったのも同じだと書いているが,ここはかなり微妙だ.もし同じようなことが生じたのなら,(ターチンが南イタリアについて議論したように)ブラックホール跡地はその後もアサビーヤのない地域に成り果てることになるが,西ドイツ地域はそうなってはいない.南イタリアもイスラムとの断層に面していたことも合わせ,やや都合の良いチェリーピックのような説明になっているように思う.せめてなぜこのような違いになったのかは説明があるべきだろう.
 

書評 「心理学を遊撃する」

 
本書は認知心理学者山田佑樹による,「心理学の再現性問題」についてそれをリサーチ対象として捉えて突っ込んでいった結果を報告してくれる書物である.
「心理学の再現性問題」は,心理学者にとって自分のリサーチの基礎ががらがらと崩れていくかもしれないような重苦しいテーマであるに違いない.しかし著者はそれを軽やかに取り上げ,様々な角度からつつき,本質を見極めようとする.物語としてはその突貫振りが楽しいし,再現性問題が非常に複雑な側面を持ち,かつとても興味深い現象であり,到達点がなお見えない奥深いものであることを教えてくれる.それはまさに最前線からの「遊撃」レポートであり,迫力満点の一冊だ.
 

第1章 心理学の楽屋話をしよう

 
第1章では心理学の「楽屋話」が書かれている.まず著者の駆け出しのころの研究(ランダムネスの知覚),面白い効果を実験で示せたと思った時に別の研究グループが似たような研究の論文を出した時の狼狽*1を語り,研究者は普段研究の中身だけでなく,このような研究の楽屋事情や方法論をよく話しあっており,「再現性問題」はまさにこのような心理学の「バックヤード」にある問題なのだとコメントしている.本書は心理学の「バックヤードツアー」を語る「心理本」なのだ.
 

第2章 再現性問題を攻略する

 
第2章の冒頭では本書が扱う「再現性問題」とは何か,その取り扱いの難しさが書かれている.

  • 再現性には方法,結果,推論それぞれの側面がある.本書ではその中で結果再現性をめぐる問題を取り上げる.
  • この問題は取り扱いが難しい.まず否定的な話にならざるを得ず,相手に反感をもたれかねない.そして分野やトピックごと,個人ごとにこの問題への取り組み方が全く違う.その結果多くの場面でタブー的な取り扱いになりがちだ.
  • そういう意味でこの問題をフランクに話しあう場としてAmy Orbenの提唱したRepruducibiliTea(お茶でお飲みながら再現性問題を気軽に話し合う場)のアイデアは素晴らしい.日本でもRepruducibiliTea Tokyoが平石,池田により設立されており,素晴らしい.

 
次に「再現性問題」とそれを取り巻く流れ,著者がかかわるに至った経緯が説明されている.

  • 2015年8月にサイエンス誌にいわゆるOSC論文が掲載されたとの報が届く.そこでは心理学のトップジャーナルに掲載された論文100本を追試した結果,再現率は4割に満たなかったとされていた.(この論文の内容について詳しい説明がある)これにより「心理学の再現性問題」が世界に知れ渡ることになった.
  • この問題に対して日本の社会心理学者たちは非常に早期から明確な危機意識を持っていた.私は当初受け身でしかなかったが,「心理学評論」の「再現性特集号」への寄稿の話をもらい,問題への対処において研究者自身の認知メカニズムの検討の重要性を指摘する投稿を行った.

 
そして再現性問題がなぜ厄介な問題なのかが簡単に説明されている.著者による「遊撃」の背景ということになる.

  • 再現性問題の本質は,再現性が低いこと自体ではない.再現性が低いなら,その背後の因果モデルと最適な介入法さえわかればいいからだ.しかしこれが一筋縄では行かない.
  • 再現性の低さのポピュラーな説明は,ヒトの行動は社会的文化的文脈によりいくらでも変わるのであり(未観測未認識の撹乱要因や隠れパラメータの排除が難しく)「心理学とはそういうものだ」というものだ.この考え方には魅力的な部分もあるが,しかし現在の科学において再現性は重要な要素であり,あきらめずに文脈要因を探っていくべきだと考えたい.さらにこの見解を突き詰めると研究知見は,実験が行われた文脈でのみ成りたつものということになり,一般化できなくなる.
  • 別の要因は測定と統計にある.測定には誤差があり,社会科学には相関係数に影響してくる説明不能の謎の測定効果(カス因子)がよく現れる.この問題についても様々な議論や提案があるが本書では扱わない.
  • では他に何があるのか.現時点でこれこそがそうだと断定はできないが,関連しているいくつかの側面がある.それを調べるということはある意味研究者の人生そのものを総点検することでもある.

本書はこの最後の研究者人生の総点検を「遊撃」してきた著者の報告ということになる.
 

第3章 研究者のチートとパッチ:QRPsと事前登録

 
第3章は再現性問題が現れた当初に最も話題になった研究実践におけるチート,QRPsが扱われる.冒頭はゲームにおける「やり込み」の話題から始まっていて面白い.

  • QRPs(Questionable Research Practices)と呼ばれる「疑わしい研究実践」(データ捏造,改竄,盗用という研究不正とまではいえないようなグレーな手法)には様々な手練手管がある.
  • 代表的なものがp値ハッキング(p-hackingh)と呼ばれるものだ.この中にも,選択的報告(チェリーピッキング),逐次検定,外れ値の活用など様々な手管がある.(逐次検定と外れ値活用を組み合わせるといかに強力かが具体例として挙げられていて迫力がある)
  • もう1つの代表的な手法がハーキング(HARKing:Hypothesizing After the Results are Known)だ.これは有意なデータを知った後で仮説を作る作業のことだ.Texas sharpshooter fallacyとして知られるが,中国では「事後諸葛亮」と呼ぶらしい.これにもいくつかのバリエーションがある.p値ハッキングとハーキングを組み合わせると効果は絶大なものになる.
  • そして論文の書き方の教科書的な書物ではしばしばハーキング的な手法が推奨されていたりする(これは2022年現在でもそのような教育的な論文が出版されているそうだ).再現性問題について考える際には心理学教育や研究者教育を抜きにすることはできないだろう.

 

  • これらを防ぐために考案されたのがプレレジ(pre-registration:事前登録)だ.これはデータを集める前に変更不可の研究計画を登録して研究者自由度をゼロにするものだ.事前に分析方法が決められているのでp値ハッキングはできないし,事前に仮説が決められているのでハーキングもできない(いくつかのプレレジの登録方法が解説されている)
  • プレレジにもいくつかの問題点が指摘されている.まず仮説が理論から適切に導出されうる場合や方法やデータがオープンにされている場合(つまりp値ハッキングやハーキングがあまり問題にならない場合)には,研究の探索性やセレンディピティを阻害するという指摘がある.そして何よりプレレジもハック可能だ.プレレジは登録後の自由度を制限するが,登録前の自由度は制限できない.プレレジ前にQRPsを行い,美しい結果を確定させてから登録し,あたかもその後にデータをとったかのように見せかければいいのだ(パーキング;PARKingと名付けた).
  • 私は再現性問題に対して日本からも何か発信したいという思いもあり,プレレジもハック可能であることを示した論文を発表した.(論文受理までの経緯,プレレジハックが可能であることを示す実験を「実演用の嘘プレレジをする」研究としてプレレジしたなどの逸話があり楽しい).
  • プレレジもハックされることが認識されて,次に考案されたのがレジレポ(Registered Reports:事前査読付き登録報告)だ.レジレポは序論と方法のセクションだけまず査読を行い,結果と考察のセクションが加筆された段階でもう一度査読するものだ.最初の査読で方法セクションにかなりの修正が入るので,パーキングが使えない.
  • なおQPRsの1つである実験リセマラ(いい感じの結果が出るまで実験を何度でも繰り返す手法*2)を商業的に行う業者が存在することが2023年にSNS上で話題になった.その業者は臨床試験の代行を有料で請け負い,「業界初!有意差,完全保証!」と喧伝していた.突撃したネットニュース社によるインタビューをみる限り,彼らは悪びれずに実験リセマラ的な手法に言及していた.製薬の分野には不案内だが,どういう業界なのかについては興味が尽きない.
  • 私自身はプレレジを多用している.プレレジが探索性やセレンディピティを制限するとは思っていないこともあるが,備忘録としての役割があり,そして制限プレイとしてのやり込み要素に惹かれているからだ.

 

第4章 研究リアルシャドー:追試研究

 
第4章のテーマは追試.再現性問題とは,まさに追試で原論文の結果を再現できないという問題だから,これも重要なテーマになる.素人考えだと,じゃあどんどん追試すればいいだろうと思うわけだが,しかしこれがまた一筋縄ではいかないことが描かれる.

  • 追試には直接的追試と概念的追試がある.前者は先行研究の方法をテストするもので,後者は理論をテストするものということになる.再現性問題の「再現」とは直接的追試が問題になっている.しかし完全な直接的追試は不可能なわけで何を追試と呼ぶべきかにも議論がある.私は追試はある意味三角測量の役割を果たすものだと考えており,適切に実施され,方法とデータがオープンにされるならどのような追試も奨励したい.
  • 誰が追試を行うかという問題も重要だ.しばしば追試は「骨折り損」と形容される.先行研究者にとっても追試が有益(追試で確認してもらわなければ知見を検証済みといえない)でなければ,分業が成り立たない.利益相反の問題もあるので,同じラボで行うのは望ましくない.利益相反状況をオープンにした上でのラボ間の相互追試,大学の授業での実施,追試専門の機関や企業の利用などが考えられるが,最も望ましいのは追試専門の研究者が学術界で尊敬される立場として確立されることだろう.

ここから著者自身が行った追試についての様々な経験が語られる.全然再現できない落胆(あんなにロバストだと書いてあるのに!),追試失敗を論文にして受理してもらうことの困難さ,プレレジ追試*3でうまく再現できた話,プレレジ査読者が実験条件にこだわったので,話がどんどん大きくなって国際共同研究に発展した話,(再現性問題の発端の1つである)Bemの超能力論文の厳密な追試の話*4などいろいろ楽しい.最後に著者の所感と追試をめぐる現在の状況が語られている.

  • 10年前なら追試は自分の研究に入る準備の1つでしかなく,追試結果を論文にするなんて考えもしなかった.自分の価値観が大きく変わったことを実感する.今では追試は攻略要素が多くやり込み甲斐があり,追試プレイヤーがかっこいいと思うようになった.
  • 追試は一般社会からだんだん注目を集めるようになり,学術界の強い関心も集め始めている.その最も顕著な取り組みがOSFのMany Labsプロジェクトだ(詳しい説明がある).研究者の間では「特定の○○効果が再現できるか」から「いかに見事な追試を行うか」という方法論の発展に関心が移りつつあるようだ.

 

第5章 多人数で研究対象を制圧する:マルチラボ研究

 
再現性問題は,より一般的な文脈を目指す研究方向を作り出し,それはマルチラボ研究ヘの流れとなる.第5章ではそのようなマルチラボ研究動向,そして論文のオーサーシップの問題が扱われる.

  • 認知心理学の論文の著者数はここ40年で明らかに増加している.特に2000年代以降は顕著だ.これには再現性問題や一般化可能性問題への突破口として生じたマルチラボ研究のトレンドが関与している.

ここから著者自身のマルチラボ研究の歴史が語られる.最初はお誘いに受け身で参加していたが,どんどん積極的にかかわるようになった様子が描かれている.そしてマルチラボ研究についてどう考えるかが語られる.

  • ビッグチームの利点は(破壊的・革新的になりにくいが)ホットなトピックに対して高スループットの結果を素早く得やすいことだ.これは既存研究の発展,学際化,そして追試において威力を発揮しやすい.また個別研究では出現しにくい結果を得ることができる.広いサンプルも得やすい.これはWEIRD問題を考える際に重要だ.
  • ビッグチームの研究の進め方にもノウハウがある(それについての論文などが紹介され,ツールやファンディングなどいくつかのトピックについての解説もある).
  • ビッグチーム研究の最大の問題はオーサーシップだ*5.著者数が多くなると大して貢献していないフリーライダー的な著者を増加させる.多人数の研究者全員の貢献度や働きぶりをチェックすることは事実上不可能で,フリーライダーを完全に排除することは難しい.また逆に多人数著者論文の著者に加わっていることをどう評価すべきだという問題も生じる.理想的には最適化された量的評価が望ましいが,難しいだろう(このほか著者順の決め方,コンソーシアム・オーサーシップなどの話題も取り上げられている).

 

第6章 論文をアップデートせよ

 
第6章のテーマは論文だ..

  • 再現性の話をする上で論文の話題は避けて通れない.論文がないと追試もできないし,研究者がQRPsを行っているかどうかもわからない*6
  • 研究者にとって論文は昇進や研究費に換算できる学術通貨でもある.しばしば「Publish or Perish」ということがいわれ,論文がなければ学術界を去らねばならないという強いプレッシャーがあるとされる.このような脅威に駆動されて研究を行う実体があるなら,それは非常によくないと考えられる.何より楽しくないし,研究不正やQRPsとも関連する.
  • そしてどの分野にも「とにかく論文を出しまくる人」が存在する.このような「論文マニア」の存在には,一体どのようにして実現しているのか,ギフト・オーサーシップ(研究に関与していないのに著者として名を連ねること)を利用しているのではないのか,このような人をどう評価すればいいのかということが注目される問題として浮上する.

 
ここから論文とはどのようにして書かれるのかが解説され,著者が感じている様々な問題が取り上げられている.
<論文の書き方>

  • 現在原著論文*7は序論,方法,結果,考察と並べるIMRAD方式で書かれることが多い.
  • このIMRAD方式論文をどう書くかという実践的な問題は一昔前までは千尋の谷のライオン的教育*8しかなかった.これは一部の研究者の実力を大きく伸ばすが,落ちこぼれも多く生んでしまう.最近は論文の書き方本が出版され,大学でもアカデミック・ライティングの授業もあり,システマティック・トレーニングも可能になっている.後者を推し進めた方がいいだろう.
  • 意外と重要なのが,図表のクオリティ,カバーレターだ.これらについてもシステマティック・トレーニングの機会が望まれる.

 
<査読>

  • 業績として評価されるのは「査読つき論文」だ.しかし実際に行われた査読がどのようなものだったかが問われることはほとんどない.私はこれを「査読神授」と呼んでいる.
  • かつては私も査読を論破合戦のように捉えていたが,経験を積み少しづつイメージが変わってきた.1つには教育的な意義のある査読もあるということがある(経験談が語られている).そして査読の大部分は説得作業のように感じるようになった.うまくリプライして査読者の心情を巻き込んでいく方が有益だ.(ここでおかしな編集行為;QEPsの問題にも触れている)

 
<査読システムの問題点:再現性問題とのかかわり>

  • 査読を受けるのは煩わしいが,それがないと学術通貨とならない.だから査読もハックされる.
  • まず査読偽装がある.自分の査読を自分に回す(エディターに示唆する査読者のメールアカウントを自分の別アカウントにしておく),劇場型査読偽装(自分のグループにいる研究者をその利益相反を知られないようにエディターに示唆する)などの手口がある.これらはエディターが査読者を探すの苦労しているという背景から可能になっている.
  • 次にまともな査読を行わないような捕食学術誌の利用がある.捕食学術誌の定義や判定には曖昧で難しい問題があるが*9,ブラックリストや判定サイトがあり,真のヤバい捕食誌たちはばれ始めている.
  • これに対して捕食誌側には現存する学術誌へのなりすまし戦略をとるものもある.雑誌名やウェブサイトの見た目をコピーし,SEO対策まで行い,間違って投稿された論文を査読スキップして掲載し,掲載料を取る.まさに学術出版のフィッシング詐欺だ.

 
<ギフト・オーサーシップ>

  • 特に貢献していなくとも著者として連名してもらうという方法もある.これは特殊なハイクラスの人々限定の技になる.この場合当該論文に捏造やら改竄などの不正があれば巻き添えを食らうこともある(毒杯と呼ばれる).
  • 誰にでもできる技としてオーサーシップ売買がある*10

 
<出版の未来>

  • このように原稿の論文システムにはいろいろな課題がある.これに対していくつもの取り組みがある.私は次の3つに注目している.
  • 1つ目は「F1000Research」誌の「オープン査読」への取り組みだ.そこでは「著者と査読者の身元公開」「著者と査読者の自由な会話」「査読前原稿の公開」「最終原稿への自由なコメント」「査読とプラットフォームの分離」が実現されている*11
  • 2つ目は「eLife」誌の「リジェクトしません」宣言だ.まず査読に回すかどうかの判断をし,一旦査読に回した論文はリジェクトせず「査読済みプレプリント」として公開される(査読処理には費用を請求される).このプレプリントが論文として業績カウントされるのかは不明だし,そもそもブランドが弱体化するのではという懸念やエディターの権限が強くなりすぎるのではという懸念も表明され,まだ揉めているようだ.
  • 3つ目は「Peer Community in Registered Reports(PCI RR)」の「プレプリントに査読を行うコミュニティ」という取り組みだ.これはプレプリントサーバーにあげられた原稿を(レジレポの枠組みを用いて)このコミュニティに査読依頼し,アクセプトの判定が出れば,そこと連携した雑誌に推薦してもらえる(雑誌側の査読なしで掲載される)という仕組みだ.

 

  • さらに私たちは「三位一体査読」を考えた.それはレジレポの第一査読の際に倫理審査と研究費審査もやってしまおうというものだ.(この3つのために現状いかに研究者が重複した内容の事務作業を強いられているかが強調されている)
  • 別のアイデアとしては「マイクロパブリッシング」がある.これは序論,方法,結果,考察のうち,方法と結果だけ報告とか,それぞれ別の著者で書くとかの部分的出版のことだ.
  • 今後は論文執筆へのAIの関与という問題もある.すでにDeepLなどのツールは英文校正において有用だ.ChatGPTのようなAIには将来的に様々な利用可能性があるだろう*12

 

第7章 評価というなの病魔

 
そして第7章では研究者の「評価」の問題が取り上げられる.組織内での人事評価はどのような仕組みでも必ずハックされる.それはハックする動機が非常に強い(成功した時の報酬が非常に大きい)からだ.そしてこれはもちろん研究者評価にも当てはまり,そもそもの再現性問題の根幹にある要因になる.

  • これまで議論してきた,各種チート,プレレジへのためらい,追試が評価されないこと,新しい出版システムに消極的なこと,再現性の問題を気にしない態度などは,すべて既存のインセンティブ構造(有力雑誌への査読つき論文の数が高く評価される)に最適化しようとしたゆえの反応だ.
  • 論文の数にこだわる行動を改めさせるために,「スローサイエンス」の勧めや年間発表できる論文数の制限の提案などもあるが,根幹にある評価システムを変えない限り,実現性は乏しいだろう.
  • 別の評価項目に学会等からの受賞歴もある.これには多重授賞,捕食的授賞(金を払えば賞がとれる)の問題がある.学術コミュニティは「賞とは何か」について改めて議論すべきだろう.
  • 日本の研究者の採用においてはオールラウンダーが高く評価される傾向がある.これはとがった人が職を得られないことにつながっており,全体として大きな損失になっているのではないか.分業が科学的生産力に及ぼす影響を検討すべきだろう.
  • また日本社会での研究者に対する一般的評価はかなり歪んでいる*13.そこにも目を向ける必要があるだろう.
  • アンケートによると一般人が心理学に求めているのは「対人場面での対応」「他者の気持ちを見破る」「心理操作」のような事柄であり,心理学はこれらをほとんど研究していない.これは(1)この需要の多い方を研究しなくていいのか(2)「心理学」は一般からはかなり誤解されている*14という問題があることを示している.心理学的には誤情報の影響はデバンキング(訂正)やプレバンキング(事前に正しい情報を与える)で減少することがわかっている.プレバンキングとしては高校等の部活に「心理学部」を設置することが有効ではないか.私は現在高校への出前授業に力を入れている.

 

第8章 心理学の再建可能性

 
最後に心理学の将来が語られる.

  • 再現性問題もいずれ徐々に人々の記憶から消えていくだろう.そのパターンは(1)問題解決(2)解決を断念(3)心理学が今と別のものになる,のどれかだ.
  • (1)が望ましいが,これには懐疑論もある.研究者の自由度,あるいは仕様空間は極めて大きい.その仕様空間の極く一部でいくら実験し追試しても理論評価への影響は限定的であり,再現できない理由も判明しない.
  • これに対して「メタスタディ」(マイクロ実験を多数行いメタアナリシスを行う),さらにそれに理論の比較も付け加えた「統合的デザイン」が提案されているが,限界がある.
  • このため(2)のような諦めの空気も出ている.当初は現状を打開しようと努力してきたが,燃え尽きてacadexitする人が続出している.その背景には心理学には再現性問題ではなく*15,一般可能性の危機,測定の危機,検証の危機,推論の危機,規範性の危機などの問題が揃っているということがある.しかし私は遊撃して各個撃破していく道をとりたい.様々な課題は乗り越えるために存在していて,その先にパワーアップしたハイパー心理学が待っていると思っている.

 
以上が本書の内容になる.心理学者にとってはまことに深刻な再現性問題について軽やかに切り込んでいく著者の知的格闘がまず楽しいし,この問題がまさに「悪魔は細部に宿る」厄介なものであることをよく伝えていると思う.本書では問題を「心理学の再現性問題」としているが,この問題は社会科学や生態学などのやや限られたデータセットで仮説検証型の実験を行う分野で多かれ少なかれ共通していると思われ,広い分野の研究者にとって他人事ではないだろう.多くの人にとって参考になる内容が含まれていると思う.
著者も本書で認めている通り,状況はどんどん動いており,本書の内容はあくまで再現性問題についての2023年時点でのスナップショットということになるが,そう割り切った覚悟が本書の記述の活きのよさにつながっているのだろう.というわけで本書については,興味深い知的刺激本であるとともに,一部賞味期限の短い内容も含まれている本として,まず手に取り,できるだけ早く読むことをお勧めしておきたい.
 
 
心理学の再現性問題については当ブログでも何回か取り扱っている.
 
shorebird.hatenablog.com
 
shorebird.hatenablog.com
 
平石界による2022時点での詳細な報告
researchmap.jp
 

*1:これは研究における新奇性の極端な追求や,勝者総取りの「論文かけっこ競争」への疑問を感じ始めたきっかけとなったそうだ

*2:スマホゲームでアプリのインストール,アンインストールを繰り返して当たりがでるまでガチャを回す手法がリセットマラソンと呼ばれており,そこからの命名だそうだ.古くから問題視されているQRPであり,いまのところ防止不能な強力なチェリーピッキングになる

*3:追試には先行研究を否定してインパクトを高めたいという動機がある場合があり,その場合には逆方向のQRPsの可能性があるので,追試の場合にもプレレジは望ましいと解説されている

*4:もちろん超能力は再現できなかった

*5:その他の問題としてプロジェクトをリードする研究者に過剰な負担が発生しがち,長期間になりがち,悪意ある参加者に荒らされるリスクなどの問題が指摘されている

*6:データ捏造しても論文にしていなければセーフなのかという問題にも触れている

*7:論文のタイプとして原著,短報,総説,展望,意見,資料,コメンタリなどがあるとされることが説明されている.原著論文とは何かという定義も実は分野により微妙に違っていて奥深いそうだ

*8:「とにかくたくさん論文を読んでスキルを盗め,書いたら持ってこい」と指示し,いざ原稿が来ると「意味不明,やり直し」とだけ書いて突き返すことを繰り返す方式

*9:捕食学術誌の研究として,実際に捕食学術誌とされる雑誌に「捕食学術誌に掲載されてしまった論文を守る方法」という論文を投稿した経緯が語られている.その学術誌では普通の査読が行われたそうだ.

*10:そのためのサイトがあり,執筆時点で心理学論文の筆頭著者枠は900〜1650ドルで販売されているそうだ

*11:オープン査読にはさらに「査読への自由な参加」という要素もあるとされる

*12:Science誌が2023年1月にAI生成テキストや画像の使用を一律に「剽窃」として禁止するポリシーを発表し,それでは英文校正にも使えなくなるという問題を指摘され(著者もそのような意見論文を書いたそうだ),3月にトーンダウンした経緯も説明されている

*13:個人崇拝的になりがち,特にノーベル賞が過剰に評価される,一旦有名になった研究者に対しては専門外の意見もありがたがるなどが指摘されている

*14:これに大きく貢献しているのは大量に存在するポップ・サイコロジー系の書籍やサイトだろうと指摘されている

*15:再現性問題は実は「四天王の中で最弱」だったと表現されている