訳書情報 「都市で進化する生物たち」

 
以前私が書評したオランダの進化生物学者メノ・スヒルトハウゼンによる「Darwin Comes to Town」が「都市で進化する生物たち:“ダーウィン”が街にやってくる」という邦題で邦訳出版された.本書は生物の都市環境への進化をテーマに扱った一冊になる.まずアリが作り上げたコロニーが好蟻性昆虫たちのニッチになっているように,ヒトが作った都市環境もまた多くの生物にとって近郊とは異なる新しいニッチ環境なのだという視点を提示し,そこからそこでどのような生物がどのように適応していったのかを様々な例を用いて詳しく解説してくれる.
都市環境は様々に近郊と異なっている.捕食者が入り込めない場合もあるし,イエネコなどの別の捕食者がいる場合もある.生息域が小さく分断されることもあるし,化学物質(毒物)や照明や騒音に関する環境要因も異なる.外来種も多い.そしてそこで強い淘汰圧がかかり,様々な適応が生じるのだ.
スヒルトハウゼンは様々な魅力的な事例を本書全体に散りばめるように取り上げてくれていて大変楽しい.このほかグローバル化の進展によるさらなる加速や都市計画のデザインに都市環境への進化を考慮すべきだなどの話題も取り上げられている.私的にはオオシモフリエダシャクの工業暗化の最近のツイスト,大胆さと知性の有利さ,都市環境に適応した生物同士の相互作用の影響あたりの話が大変興味深かった.前著と同じく大変魅力的な一冊だと思う.

原書に対する私の書評
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20180509/1525863616


関連書籍

原書

Darwin Comes to Town (English Edition)

Darwin Comes to Town (English Edition)

 
スヒルトハウゼンによる前著 
同邦訳 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160315/1457995356
 

From Darwin to Derrida その6

 
生物の多様性を神の創造なしで唯物的に説明したダーウィン学説についてハクスレーはアリストテレス以来の目的論を排除したものだと評した.しかしダーウィン自身は自然淘汰を形態と目的を合わせて説明するものだと考えていたようだ.ここから,ではダーウィン以降はどうなったのかが扱われる.
まず発生学の伝統を受けたドイツ観念論的な議論が登場する.

 

未完の連合?

 

  • ダーウィンは「種の起源」で比較発生学は共通の祖先による類似性と,多様な適応による相違を明らかにしたと論じた.原型の統一と生存条件の相克を調和させたのだ.しかしダーウィンによるこの形態と機能の説明は,ゴールに向けた過程を探求する発生学と事前に定められたゴールを持たない自然淘汰の研究の間に不和を生みだしてしまった.
  • アリストテレスのtelos(目的)は「動きの最終目標」と「功利的目的」の両方を意味しており,それ以来この2つの意味はもつれ合って扱われてきた.19世紀の前半まで「evolution」は一般的には卵や胎児から成体に至る「発生過程」を表す言葉だった.この文脈ではtelosは成体の形態の獲得を意味する.その後現在の「evolution」の意味つまり世代を重ねた変化(進化)にも用いられるようになった.そこにはこの2つの変化プロセスの間にアナロジーが成立するという含意があった.あるいは19世紀のドイツの形態学者はゴールに向かう発生過程に注目し,英国のナチュラリストは功利的な機能に注目していたと言ってもいい.
  • 19世紀末の科学史家ピーター・ボウラーは「『種の起源』は生物学者の間に進化的変化の存在を広く受容させたが,自然淘汰のメカニズムはほとんど無視された」とまとめている.進化的変化の理論はゴールに向かう発生過程としてモデル化されるようになった.その1つの例がドイツの博物学者テオドール・アイマーによる定向進化理論だ.

On Orthogenesis: And the Impotence of Natural Selection in Species Formation

On Orthogenesis: And the Impotence of Natural Selection in Species Formation

  • 作者:Eimer, Theodor
  • 発売日: 2012/08/31
  • メディア: ペーパーバック

  • このような理論は(ダーウィンが否定した)「そこへ向かうゴール」としての目的因を受け入れ,(ダーウィンが受け入れた)「功利的な目的」としての目的因を拒否した.
  • 進化の現代的総合は自然淘汰による進化とメンデル遺伝学を統合した.これについて良く言われるのはこの総合に発生学が排除されたというものだが,もう1つの見方はほとんどの当時の一流の発生学者は不参加を選択したというものだ.彼等は発生を理解するのに自然淘汰やメンデル遺伝学を取り入れる意義を見いだせなかったのだろう.

 
ドイツ観念論は生物の発生にゴールをみて,進化も同じようにとらえた.観念論的なドイツの発生学者が現代的総合に背を向けたというヘイグの解釈はいかにも英米の経験主義派らしく面白い.
 

メカニズムへの縮退

 

  • ダーウィンが目的論を取り入れようとしたにもかかわらず,進化的目的論の魅力はほとんどの実験生物学者から拒絶された.そして彼等は生物についての説明を物理学と化学で行おうとした.この動きはまず生理学に生じ,そして生化学,細胞生物学,実験発生学に広がっていった.生物界も非生物界も同じ法則に従うと考えられた.そして目的因は物理学者も科学者もはるか昔に捨て去っていたので,彼等もそれを拒否することになった.この機械論的生物学は19世紀に興隆し,20世紀生物学の主流になった.ヘルムホルツは1961年にこう書いている.「生物体の中では非生物にあるエージェント以外のエージェントが働いているかもしれない.しかしそれらであってもそれが物理化学的力を与える限り,非生物のものと基本的に同じはずだ.・・・」
  • ほとんどの機械論者にとって,(力の保存の法則から)先立つ物理的な原因なしに,生物が不動の動者になったり,自由選択を行ったする可能性はなかった.
  • そしてほとんどの現代生物学者にとって実験実務や科学哲学を形作るうえで「機械論革命」は「ダーウィニアン革命」よりはるかに重要だったのだ.彼等にとってダーウィニズムは中心ではなかった.一部の学者は進化仮説によって多様な生物の内部作用における基本的な類似性を説明できることを歓迎した.それはイースト菌での研究を医療応用することを正当化したからだ.また別の学者はダーウィニズムを物質主義の擁護と目的因の排除の正当化だと受け取った.多くの学者は自然淘汰のメタファーは,特にそれが意図的な含意が感じられるときには,科学的には疑わしいと感じていた.
  • 20世紀の半ばまでには機械論は生物学の城壁を乗り越え,その領域を質料因と作用因で覆い尽くした.非物理的要因を考えようとする学者はいたが,自分たちは正統派機械論に対する異端的な立場だと自認するものばかりだった.
  • 私が教育を受けたときには繰り返し目的論的な思考とその近い親戚である擬人主義(心臓は血液循環のためのポンプである,RNAはタンパク質転写のためのメッセンジャーである)を注意された.17世紀の科学的探求における目的因の排除はなお大きな影響を与えていた.
  • 目的や機能という概念は生物学の実践を形作ってきた.生き物のことを考える場合それはごく自然なやり方だ.しかしあからさまな目的論的な用語は検閲された.目的因は不妊の処女として避けられた.それはハードサイエンスの活力あふれたウルカヌス神に対して甚だしく嫌悪される対象なのだ.

 
そしてダーウィンの目的の説明への肯定的態度もドイツ観念論的な目的論も,20世紀に入ると生物学の主流からは排除されてしまった.この状況説明が本書第1章ということになる.しかしメタファーとしての目的は実は単純に排除させていいものではないはずだというのがヘイグの主張であり,ここからじっくり語られていくことになる.

From Darwin to Derrida その5

 
17世紀に始まった物理化学からの目的因の排除はしかし19世紀の生物学には及んでいなかった.ここでダーウィンが登場する.ダーウィンは多様な生物の存在が自然淘汰による進化で説明できることを示し,神の創造という説明を不要とした.これは目的因の探求とその排除とどう関わったのだろうかというのがヘイグの視点になる.ここも種の起源ほかのいろいろな引用にあふれている.
  

ダーウィニアン結婚式

 

  • 19世紀の半ばまでにメカニカル哲学は物理学を確保した.しかし生物学の絡み合った土手はなおせめぎ合いの場所であった.ダーウィンは1838年のノートにこう記している.
  • 卵が数え切れないほど多く産み付けられることの目的因はマルサスによって説明されている.(私が目的因について語るのは例外的だ:そのことをよく考えよう) この不妊の処女達のことをよく考えよう.

 

  • このわかりにくい言葉は幾通りにも解釈されてきた.私が魅力的だと思う解釈は「不妊の処女達」を「数え切れないほど多くの卵」だ(ほとんどが孵ることなく死んでしまう)と解釈するものだ.するとマルサスはなぜそんなにも多くの卵が作られるのかを説明したことになる.そしてカッコのなかの言葉は「自然淘汰が目的因を生物世界から排除したかどうかをよく考えよう」という意味と解釈する.

 

  • 「種の起源」(1859)においてダーウィンはこう書いている.
  • 生命体が2つの法則すなわち「原型の一致」と「生存条件」によって形作られるということは広く認められている.原型の一致というのは構造の基本的な一致であり,同じグループの生物に生活条件の違いにかかわらず認められるものだ.
  • 私の理論によると原型の一致は祖先の共有によって説明される.キュビエによってしばしば強調された生存条件の表現は自然淘汰によって完璧に説明できる.・・・
  • 生存条件の法則はより高位の法則である.それは生存条件の法則が,獲得された適応が遺伝によって伝えられていることによって原型の一致が生じるということを説明しているからだ.

種の起源(上) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(上) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

種の起源(下) (光文社古典新訳文庫)

 

  • このようにダーウィンは原型の一致を,抽象的な空間の中ではなく,実際の進化時間の中の変形として説明した.そして構造の類似性を機能の多様化と調和させた.
  • ハクスレーは「種の起源」の書評の中で「ダーウィンは目的因の誘惑から離れた航路をとった」と示唆した:「・・・ダーウィンは魅惑的だが不妊の処女,つまり目的因から自由な地を我々を指し示してくれた.」
  • しかしハクスレーは釘の頭(問題の核心)を見逃している.ダーウィンは「ランが昆虫により受粉される様々な仕掛けについて」(1862)において過去と現在の効用の関係についてこう語っている.
  • 生命体はそもそもなんらかの特別な目的によって形作られたわけではないかもしれないが,もし現在ある目的に役立っているなら,我々は「それはそのために特別に工夫されている」と言ってもいいだろう.
  • それは誰かが全く新しい機械をある目的のために作ったときに,(別の区的のために作られた)古い車輪やばねや滑車を用いていたとしても,「その機械はその目的のために特別に工夫したものだ」と言っていいのと同じだ.
  • だから自然界を通してすべての生命体のすべての部分は,おそらくわずかに変更された条件の中での様々な目的のために,古くて特異的な形態を組み合わせた生命を持つ機械として機能しているだろう.

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2003/07/01
  • メディア: ペーパーバック
 

  • ダーウィンは,自然淘汰を信じるものにとっては(生命体の)役立っていないように見える構造の細かな詳細の探求は「不妊の処女」どころではなく非常に有用だと考えていた.ただし彼はこのあとこう警告している
  • 私はここで,5放射状に配置された15の基本器官の痕跡のような植物の基本構造を述べるつもりはない.というのは生物の転生(modification)を信じるものならばそのような構造が祖先からの遺伝によるものだということを皆認めるだろうからである.
  • ハクスレーは自然淘汰と目的因の関係にこだわり続けている.1869年のヘッケル本の書評においてはダーウィンが生物学の哲学について目的論と形態論を調和させたとコメントしている.しかしこの調和は熱狂を伴わないものだ.ハクスレーは今や2種類の目的論を認識している.
  • その1つは「眼はその生物が外界を見ることを可能にするために精密な構造を持つ」というような目的論だ.この種の目的論はダーウィンの議論によって葬り去られた.このような目的(purpose)は目的因(final cause)によらずメカニカルな過程だけで説明できる.もう1つは「より広い目的論」だ.それは「世界は未知の目的と膨大なメカニズム」によりなるという世界観になる.この広い目的論は進化理論と直接関係しないが,科学的探求は不可知論にとどまるべきかという問題とは関連する.
  • ハクスレーは引き続き目的因が不妊の処女であり,実践的な探求には役に立たないという立場を継続している.

 

  • エイサ・グレイは1874年に「ダーウィンは目的論と形態学を調和させただけでなく,それらを実りある結婚に導いた」と宣言している.
  • ダーウィンは形態学と目的論を対立させるのではなく結婚させた.多くの人にとって進化目的論は疑問だらけのものかもしれない.しかし時が経てば彼等も考えを改めるだろう.ダーウィンの考えが単なる推測で一過性のものだと考えるのは間違っている.それは非常に実践的に実り豊かなものであることがわかるだろう.
  • これに対してダーウィンは「あなたが目的論について語ったことに私は特に嬉しく感じました.それはこれまで誰も気づいていなかったポイントです.あなたこそ問題の核心を突く男だと私は常々感じていました」と返信している.
  • ダーウィンが嬉しく感じた「ポイント」とは何だろうか.最も多い解釈は「形態学と目的論の結婚」だが.だとすると既にハクスレーが「ダーウィンが生物学の哲学について目的論と形態論を調和させた」と指摘していることと整合性がない.おそらくこの「ポイント」は,生物学の「実践的な価値」ではないだろうか.目的因は不妊の処女などではない,それは実践的で実り豊かなのだということだろう.

 
生物の多様性を唯物論的に説明できるのがダーウィンの学説だから,それは目的因を排除するのだというのが当初のハクスレーの解釈になる.しかし目的因は神意との関連だけに限られるわけではない.後にハクスレーはより広い目的論を認めたが,それについての不可知論的な立場だったようだ.進化と目的因にかかるダーウィンの思考はいかにもダーウィンらしく単純な一本道ではない.しかし自然淘汰は形態と目的を合わせて説明するものだと考えていたようだというのがヘイグの読解になる.

From Darwin to Derrida その4

 
第1章はいきなりエリザベス1世とジェイムズ王,そしてフランシス・ベーコンから始まり,ベーコンの著作「学問の進歩」(1605年)からの引用が延々と行われ,引き続いてデカルトからの引用が並ぶ.なかなかハードなスタートだ.最初のテーマは科学にとってのアリストテレスの目的因の探求の意義ということになる.
 

第1章 不妊の処女

 

  • エリザベス女王から不遇の扱いを受けた後にジェイムズ王に取り立てられたフランシス・ベーコンは王に著作「学問の進歩」を捧げた.そこでは高等教育において古典中心に本を読むことより実践的な技術や実験科学を重視すべきことが説かれている.
  • そして本の中では,結婚せずに世継ぎを残さなかったエリザベスに対して,多くの王位継承者を残したジェイムズ王を(偉業を後の世に受け継がせようとするものだと)褒め称えている.
  • さらにこの「科学の進歩」では,物理学は(アリストテレスの)質料因と作用因を扱い,形而上学は形相因と目的因を扱うとして区別し,物理学における目的因を断固として拒否した.そしてこの目的因を不妊の女性にたとえている.
  • デカルトも「省察」「哲学原理」において物理学における目的因を否定し,それは神の心は探知不可能だから,神の真意を自分たちと同じようなものとして推定すべきではないからと説明した.
  • ベーコンもデカルトも(物理的探求における)目的因を否定した,それは別のところでなされるべきだと考えたのだ.この形相因と目的因を探求領域から排除しようとする姿勢は今日まで続く問題状況となっている.だからウィリアム・ヒューエルもこう言っている.
  • 目的因は物理的探求から除外されるべきである.我々は創造主の目的を知っていると仮定すべきではない.・・・ベーコンが目的因を不妊の処女にたとえたのはその力強い表明といえる.・・・

 

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)

学問の進歩 (岩波文庫 青 617-1)

  • 作者:ベーコン
  • 発売日: 1974/01/16
  • メディア: 文庫
省察 (ちくま学芸文庫)

省察 (ちくま学芸文庫)

哲学原理 (ちくま学芸文庫)

哲学原理 (ちくま学芸文庫)

 
17世紀に(アリストテレスから脱して)科学における目的因排除が始まったというのがこの導入部分で述べられていることになる.科学において神意を推察すべきでないからという理由付けが面白い.
 

形と機能
  • この17世紀の科学的探求からの形相因と目的因の排除は非生物対象の学問に大きな成果をもたらした.しかし生物の探求においては非物理的原因は使われ続けた.生理学や医学においては目的論的概念は中心的なものであり,博物学者は精密な適応に神の存在を見いだし,発生学者は発生を最終形態への過程だとみた.有神論者にとっては,科学と目的論の領域における異なる説明原理の並立は,身体は物理的メカニズムだが,その機能と形態は神意を表していると見ることができたのだ.

 

  • 生物の構造は機能へ向かう明確な証拠に見える.しかし異なる生物では同じ機能に異なる構造を持っていて,これを共通目的からは説明できない.マッコウクジラは他の哺乳類と同じように骨盤を持つが,後脚は持たない.ダチョウは他の鳥と同じように翼を持つが飛ばない.つまり目的因とは独立して神秘的な形態の法則があるように見える.
  • 生物は形態によって階層的に分類される.同じ種の2個体は全く同じ形態ではないが,同種とされ,その違いは理想的形態からの乖離と理解される.別種の生物の「同じ」ジェネリックなパートも認識可能だ.分類学者は「自然な」分類システムを求め,生物の形態の多様性の中に秩序をもたらそうとした.
  • 形態学はゲーテにより名づけられ,19世紀に形態を扱う科学として発展した.比較解剖学は表面の違いの中に類似構造を見つけ,説明する原則を探した.キュビエは「目的因」と呼ばれる存在条件が動物の形態を決めるのだとした.これに対して.サンティレールは形態や機能の違いの背後に(目的因とは異なる)有機体構成の統一性があると考えた.フレンチアカデミーでの論争は長く続いたが,一般的にはキュビエの勝ちだったと認識されている.
  • 創造主についてほのめかしながらヒューウェルは目的因教義についての自信を示した.「物理学についての目的因はベーコンによって排除されたかもしれない.しかし生理学において未知の目的因があるという仮定は科学に興隆をもたらした.どちらの科学も「なぜ」を問う.それは物理学においては「どの原因によって」を意味し,生理学においては「どのような目的に」を意味するのだ.・・・・」 そしてヒューウェルはカント的な用語を用いて,目的因について,それは有機体についても非有機体についても構成的であるが,有機体についてのみ統制的であるとした.
  • リチャード・オーウェンは最初目的因についてキュビエの側に立ったが,研究を進めるにつれて考え直すようになった.すべての形態が単一のプランによるものとまでは考えなかったが,モグラとウマとコウモリとクジラの前肢に統一のタイプを見いだしたのだ.形態的な一致は使用や形態の詳細とは独立な「イデア」を表現していると考えた.そして脊椎動物の原型は本質的だと主張し,多くの分類学者による目的因への不満を「不妊の処女」のメタファーを用いて表現している.

Indications of the Creator

Indications of the Creator


 
要するに17世紀の目的因排除は19世紀の生物学には及んでいなかった.さらにダーウィン以前には,もともとある機能についての適応構造が使われなくなったり別の用途に転用されていることがあること,機能は異なるのに類似する相同形質があることなどから目的因的な思考だけでなく,なんらかの形態法則(原型など)を認める考え方が生物学では主流だったということになる.続いて満を持してダーウィンが登場する.

書評 「新種の発見」

 
本書はクモヒトデ類を専門とする分類学者岡西政典による動物分類学についての新書になる.いわば動物分類学への招待という趣の一冊だ.
 
冒頭は著者自身が最初に標本に出合ってから,2年かけてそれを新種として記載論文を書き,受理されるまでを描いている.そして第1章で分類学の根幹は何かを語る.それはまず生物を認識し,階層的なカテゴリーに整理することであるが,それとともに名前を基礎づけるという部分が大きいのだ.著者は具体的な命名などに触れながらそこを説明する.そしてリンネの体系の重要な点は二名法だけでなく名前を定義ではなく記号と扱うことにしたところだと指摘している.
 
第2章では動物分類学の楽しみ「フィールドでの採集」が語られる.冒頭で海と陸にどちらが動物種が多いのかという話題が取り上げられ,「門」に関する様々な蘊蓄がある.左右対称か非対称か,前口動物と後口動物,脊椎動物は門とすべきか(最近脊椎動物門とすべきだという論文が出され,著者はこれにしたがっている)などが語られている*1
そこからは様々なフィールドの様々な採集法がいろいろ語られている.ここは詳細がいろいろと楽しい*2
 
第3章は新種の発見.冒頭では著者自身のテヅルモヅルの新種記載に9年かかった事例が紹介されている.そこから話は一気に沖縄の海底洞窟に飛び,著者の採集経験談がある.そして新種は身近にもいるのだと砂浜にいるクマムシやキョクヒチュウの新種の話になる.ここで「種」とは何かという話が取り上げられる.著者はいろいろそれで取り扱えない例外はあるにしてもマイアの生物学的種概念が基本になるという立場であることを説明した上で,遺伝子と生物集団が異なる分岐パターンを示している事例やDNA解析が重要な手がかりになる例などを取り上げている.本章は最後に東京大学岬臨海実験所の歴史とそこで見つかった新種の話がある.サナダユムシやオトヒメノハナガサの話は楽しい.
 
第4章は命名.ここからは「どのように名前を基礎づけるか」の話になる.まず命名の前に古今東西の文献・標本調査と情報整理(特に異名リストをきちんと作ること)が必要であることが説明される.この大変な作業がどのようなものであるかが著者の経験と共に詳しく説明されている.次に国際動物命名規約の概要がかなり詳しく解説され,異名や同名の処理が極めて重要であることが強調されている.ここからそこから派生する問題の具体例としてモデル生物であるキイロショウジョウバエの属名変更問題*3,日本のサザエの学名問題*4などが語られている.
 
最終第5章は分類学の将来.日本の分類学の将来については,これまで分類対象生物の絶滅よりも分類学者の絶滅の方が先ではないかなどの悲観的な話をよく耳にしたのだが,ここで著者は明るい未来への希望を語っている.特に文献・標本調査と情報整理についてはIT技術の発達により世界中で優れた整理情報を共有できるようになりつつあり,また標本の形態のデジタルデータが容易にアクセスできるようになりつつある.これにより分類学者は未記載種の記載や名前の安定のための採集や標本観察に従来より多くの時間を当てられるようになる.そしてモデル生物生物学,形態学や形態を重視する古生物学,分子生物学ゲノム科学などとのコラボレーションの機会が増えていくという見通しが語られている.またSNS等による一般市民からの情報収集協力も増えていくことが期待できることも指摘されている.是非そうなってほしいと思いながら読める部分だ.
 
全体として本書は一般向けの分類学の紹介書としてとても読みやすくて楽しい本に仕上がっている.名前の基礎作りの重要性とそのための調査の膨大さ,フィールドの楽しさ,将来の明るい展望あたりが読みどころかと思う.
 
関連書籍
 
岡西による自伝的研究物語.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160624/1466773291

*1:なお海と陸でどちらが多いかに関しては現状の記載では昆虫の存在により圧倒的に陸だが,線虫の研究と分類が進めば逆転の可能性があるということらしい.

*2:なお潮間帯と水深50メートルの間はこれまであまり採集されてなかったが,スキューバの普及により近時有望な採集エリアになりつつあるのだそうだ

*3:最近キイロショウジョウバエは従来のDrosophilia属ではなく,Sophophora属にすべきだという論文が出た.これを受け入れると莫大な数のD. melanogasterという学名を使った論文があるために混乱が生じるのではないかと懸念されているという問題.キイロショウジョウバエをDrosophilia属のタイプ種に変更してはどうかという提案があったが審議の結果例外扱いはしないと決まったそうだ

*4:命名規則を厳密に適応すると(これまで使われてきた学名が無効であり)実は学名がなかったというので最近になって記載論文が出された