「進化心理学を学びたいあなたへ」 その13

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ


4.7 ビジネスとマネジメントに進化心理学を導入する ナイジェル・ニコルソン

ナイジェル・ニコルソンは,ウェールズで心理学を学び,シェフィールド大で社会応用心理学を教えたあと,ロンドン・ビジネススクールに移り組織行動学の教授となっている.ビジネスにおける協力,リーダーシップ,組織変革,リスクマネジメントなどがリサーチエリアで,そこに進化的な視点を取り入れているということになる.

  • 1995年以降,進化心理学のアイデアをビジネスの世界に紹介することが私の使命になっている.
  • この試みは賛否両論の反応を巻き起こした.組織行動学と産業・組織心理学の大部分にはSSSMが依然として君臨し続けていたのだ.特に社会構成主義学派は進化的な見方を素朴な生物学的決定論として誤解して激しく抵抗してきた,しかしこの15年で進化的視点も大分受け入れられるようになり,新たな学問的統合が起こりつつある.
  • 1998年にビジネス誌(Harvard Bisuness Review)向けの記事を出すと,一部の実業家から強い反発を受けた.彼等は自分たちは事業遂行についての無限の自由と裁量を持っていると感じており,ヒトの本性や生得的バイアスなどの不都合な真実に邪魔されたくなかったのだ.しかし同時に多くのポジティブな影響も与えられた.あるコンサルタント会社はこれを飯の種にして繁盛したし,ある会社(Australian Flight Centre)は進化心理学の知見にあわせて組織を再編成*1した.
  • これにより私の仕事はよく知られるようになり,学会で進化心理をテーマにしたシンポジウムも開かれるようになったが,なお組織行動学の主流にはなれず,少数派に止まっている.


<家族企業>

  • 2000年頃,血縁関係を基盤にする家族的経営には多種多様な葛藤や問題が生じるが,同時に強みもあるはずだと考え,文化や気風,リーダーシップ,企業内対立についてリサーチを始めた.そして以下のことがわかった.
  • 家族企業は世界のあらゆるところで存続している.これは血縁関係と企業が自然で相性のよい組合せだからだ.家族はその献身と活力を中心に柔軟で実利的な会社を作ることができる.
  • 家族企業は強力な企業内文化を創ることにより,しばしばそうでない会社をしのぐ業績を上げる.これによる強みは家族性が企業内に浸透することにより,家族の一員だという感覚が家族以外の社員にも共有されることによって作られる.
  • そのような家族意識を浸透させる際にはリーダーが重要な役割を果たす.特に重要なのは家族とそれ以外のメンバーを差別し身内びいきに陥るリスクを回避することだ.
  • 血縁関連の対立は家族企業特有の問題であり,予測し,抑制する必要がある.家族は外部からの役員と対立しがちだ.父と息子の対立,兄弟間の対立はしばしば生じる.姻戚間の対立も無視できない.


<進化心理学をビジネスリーダーたちに紹介する>

  • ビジネス界に進化心理学を紹介すると,年齢の上下や役職の高低によって異なる反応が見られた.若い人や役職の低い人は,自分は何でもできると信じたがり,反発しがちだ.年を重ねた上級職の人は状況の制約,ヒトの本性,自分自身のバイアスにより自覚的だ.
  • 近年の不況(リーマンショック後の不況を指すと思われる)は進化心理学の浸透を後押しした.ヒトの本性(特にアニマルスピリット)が市場や経済を動かし,従来の理論では予測も制御も困難だという認識が広がったためだ.
  • 企業幹部と一緒に行う研究では次の3つのテーマを扱ってきた.
    • リーダーシップの共進化:共通目的のためにグループの行動を指揮・調整する権利を1人(または少数)の主体に付与するというのは,ヒトが特に好む方法だ.その基礎は順位制にある.多種多様なリーダーシップのあり方は二重継承理論に基づく文化進化の枠組みで理解できる.(狩猟採集時代以来のリーダーシップの歴史,リーダーに女性が少ないことの理由*2が概説されている)
    • 個人差,自己制御と適応:これまでのリーダーシップの研究は個人差研究に終始してきたが結論は出ていない.それは(文化との共進化産物であるため)オールラウンドなリーダーなど存在しないからだ.リーダーの失敗は主に(1)柔軟性の失敗(自己制御の失敗,自己欺瞞に起因する文脈への適応の失敗)(2)十分なインパクトを生み出せないことにある.自己制御理論はこのような過程の分析をするための枠組みを提供してくれる.
    • ヒトの本性とグローバルな課題:現在世界は気候変動,エネルギーをはじめとするリソース枯渇問題,戦争やテロという問題を抱えている.進化的分析からは多くの社会病理や脅威は「世界的な共有地の悲劇」問題に起因するものであると考えられる.歴史はヒトの創意工夫がほとんど無限であることを示している.マット・リドレーは「繁栄」の中でこれに基づく楽観論を唱えている.この見方には説得力があるが,進化心理的に考えるとヒトの自己制御に関する最も危険な特徴は「自己欺瞞」の能力であり,これの克服こそが我々の最大の課題なのだ.


ビジネス世界では最近行動経済学の人気が高く(ビジネス書もたくさん出ている),進化心理学はなおマイナーな認知に止まっているだろう.しかしビジネスもヒトが行う試みであり,当然進化心理的な知見が有用な状況があるだろう.家族企業についてはまさにそういう場面なのだろう(もっとも個別の知見は長年の経験的な智恵として知られていたものが大半なのだろうが).そしてビジネスはやってきたことの是非が利益や財務諸表を通じてすぐにフィードバックされる世界(そしてイデオロギーや権威が役に立たない世界)であり,一旦有用性が周知されると一気に浸透する可能性を秘めている.今後面白いエリアだと思う.


ニコルソンの本


Harvard Bisuness Reviewへの寄稿が元になった一般向けの本

Executive Instinct: Managing the Human Animal in the Information Age

Executive Instinct: Managing the Human Animal in the Information Age


家族企業を扱ったもの

Family Wars: Stories and Insights from Famous Family Business Feuds

Family Wars: Stories and Insights from Famous Family Business Feuds


最新刊.リーダーシップを扱っている.

The

The "I" of Leadership: Strategies for Seeing, Being and Doing

 
 

コラム4 なぜヒトのシグナルを研究しているか 大坪庸介

日本人研究者のコラム第4弾は大坪によるもの.北大の社会心理出身で,学部時代にロバート・フランクの「Passion within Reasons」を読んで惹かれたが当時はどう自分の研究に活かせばいいかわからなかったこと,博士号をとった2000年頃から進化的視点を取り入れたいと考え心の理論や意図性推論の研究に着手したこと,しかしなぜ心の理論が進化したかの説明に納得がいかなかったこと*3,そこでザハヴィのハンディキャップ理論に触れてヒトのシグナルの研究に進んだこと,そこで謝罪するヒトが伝える誠意こそ心の理論を使って推論する対象ではないかと気づいたことなどの自分の研究歴が語られている.また今後は神経学的基盤などの至近メカニズムもあわせて研究したいという抱負も語られている.


大坪の本


社会心理学を見開き左ページに英語,右ページに日本語で解説するという異色の本.世界を目指す研究者を養成するなら,教育は英語で行うべきだという信念から生まれた本だ.

英語で学ぶ社会心理学 有斐閣ブックス

英語で学ぶ社会心理学 有斐閣ブックス


進化的視点を取り入れた社会心理学の教科書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130503

進化と感情から解き明かす 社会心理学 (有斐閣アルマ)

進化と感情から解き明かす 社会心理学 (有斐閣アルマ)

  • 作者: 北村英哉,大坪庸介
  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2012/04/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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最初に触れられているフランクの本の邦訳.共訳者として参加している.

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

*1:会社を,家族,村,部族として再編成し,部族の人数はダンバー数以内に抑えたそうだ.

*2:男性優位の順位制に基づいた組織デザインによりトーナメント方式の出世競争がビルトインされており,それが女性にとって魅力のないものになっているという説明になっている.なお現在のビジネス界のトレンドはよりフラットな組織であり,これは女性にとってより好ましい方向だとコメントされている

*3:相手を出し抜くために推論レベルを上げるというのが当時の説明だが,ゲーム理論的には一段下げてもいいはずで,納得できなかったそうだ

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その12

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

 
 

4.5 医者の不養生:産業組織心理学者がルールを守らないわけ スティーヴン・コラレッリ

コラレッリは最も早く進化的視点を産業組織心理学に応用しようとした研究者の1人で,研究テーマは,現代的な人材管理技術への進化心理学の応用,組織変革における進化的ダイナミズムの理解などになる.ここでは産業組織心理学者の視点から進化心理学への旅を語っている.

  • 1980年代私はコンサルタントとして働いていた.その時代ほとんどの組織は私が大学院で学んでいた最先端の人材管理手法を利用していなかった.伝統的な採用面接,推薦状,ニーズ分析なしの研修という手法が好まれていた.数年後大学の教職についてみると,産業組織心理学の同僚自身も,新しい教職員を雇うときに同じく伝統的な手法を好んでいることを発見した.講義では面接は構造化すべきで,推薦状は当てにならないと教えていたが,大学自身は推薦状を要求し,面接は構造化されていなかった.認知能力テストが能力の予測因子としてベストであり,他の予測因子と統合して単一の予測指標を作るべきだと教えてきたが,大学自身は判定にあたって場当たり的に対応していた.
  • 私はここに根本的な何かがあるはずだという問題意識を持った.この問題に対するスタンダードな説明は経営者の教育が足りないというものだったが,それがもう何十年も続いているのだ.経営者たちはほとんどの領域で新しい革新的な手法を取り入れるのに躊躇していない.私は,伝統的手法に私たちが気づいていない利点があるのだろうか,あるいは提唱している洗練されている手法に私たちの気づいていない非実用性があるのだろうか,と考えるようになった.
  • こうした考えをまとめるきっかけになったのはドナルド・キャンベルの伝統的な社会的慣行の機能知と有効性についての論文だった.人材資源の管理方法も,効果のないものが淘汰されてきた文化進化の産物であるという視点で考え始めた.
  • 組織におけるトレーニング量は,実用性と離職率のトレードオフで決まっていくだろう.(採用人数が少なくその後顔をつきあわせて働く)上級職の雇用には面接が,選考の効率が重要になると標準的な試験が使われるようだ.つまり人事慣行もその組織にとっての効用とヒトの心理メカニズムとの適合性について歴史の審判をくぐり抜けてきた文化進化産物なのだ.
  • 進化心理学をより深く学ぶにつれて,私の興味は進化産物である心理メカニズムが組織内での行動に及ぼす影響についての研究にシフトした.
  • 具体的にはセクシャルハラスメント,アファーマティブアクション,組織における集団行動の性差,移民の企業家精神,組織の人事選好における標準テストの採用/不採用について進化心理学的研究を行ってきた.現在は現代的環境とのミスマッチが組織デザインに与える含意について研究している.
  • 現在進化心理学的な視点を持つ組織心理学者や経営学者は依然として少数派ながら増えてきている.志を共有する研究者たちは国境を越えた緩やかなネットワークを作って共同研究を実施している.
  • しかしここまでの道は逆境の中の悪戦苦闘だった.未だに産業組織心理学や経営学と進化心理学の融合の歩みは遅い.その要因は,これらの分野の研究者には進化のバックグラウンドが薄いこと,そして応用実践を重んじる傾向があることだ.彼等はもっと学際的な視点に柔軟になり,クルト・レヴィンの「優れた理論ほど実践的なものはない」という言葉を思い出すべきだ.
  • このような状況の中,私のような教員は大学院生の指導に当たってある種の道徳的ジレンマに直面する.院生には進化的なアプローチを用いた研究をして欲しいが,そうすると就職に苦労するのではないかと心配なのだ.だから2方面戦略をとっている.まず産業組織心理学を専攻する院生には進化的視点を紹介するにとどめ,後は様子を見る.興味がある院生にはこの視点の受容が進んでいない現実も正直に話す.そしてもう片方で同じ大学の実験心理学研究室と交流を持ち進化心理学を学んでいる院生と共同研究ができる環境を作ることだ.
  • 私は今世紀のうちに進化心理学的視点が組織心理学や経営学の理論的基盤になると信じている.転機は年配の研究者が若い研究者と入れ替わるときだろう.


21世紀の日本でもほとんどの組織は人材管理にあたって面接中心の採用,ニーズ分析なしの研修といった伝統的手法を好んでいるようだ.本当にそれが文化進化の産物なのか,そして効果的な手法なのか(ほかの方法と比較した効果測定ができているのか)については疑問なしとしないが,人材管理担当者の心理メカニズムとはいかにも関連がありそうで,進化心理学的には面白い現象であることは間違いないだろう.


コラレッリの本

これは2003年の著作.ハードカバーしかないが,面白そうなのでamazon.comの船便で注文した記憶がある.
採用面接や推薦状については組織における個人の利益や複雑性から利点もあると説明している.
実務的な部分では,採用については少人数の採用であれば面接と紹介状による伝統的方法,中規模の採用(企業の一部門など,これからともに働く人が直接採用を担当する場合)なら伝統的な方法に進化的な新奇環境の観点からの修正(インタビューと採用決定者を分ける,紹介者にもフィーを払うなど)を加える方法,大人数の採用(大学入試や大企業の一括採用)については一定条件まで機械的方法で選んだのちくじ引きが良いのではとしている.訓練,研修については内容と文脈の重視(会話やゲームの存在)単一能力をあまり重視しないこと,進化的に新奇な技術についてはドリルの重要性などを説いている.あまり類書のない貴重な本だと思う.

No Best Way: An Evolutionary Perspective on Human Resource Management

No Best Way: An Evolutionary Perspective on Human Resource Management

 
 

4.6 仕事と性差 キングスレー・ブラウン

キングスレー・ブラウンは人類学を学んだあと法学に進み法学博士号をとり,裁判所や法律事務所で労働法専門の法曹として働いた後に大学の法学教授となった.最も早くから進化心理学の視点から性差の問題に取り組み,この問題を労働法に関する理論研究に応用した1人である.

  • 法科大学院時代,そして弁護士時代に非常に驚いたことがあった.それは訴訟でも社会風潮でも「男女は根本的に同じであり,行動に見られる性差は性差別的な社会化や差別そのものに起因する」という思い込みが広がっていたことだ.これは個人的な観察事実とは食い違っており,こじつけに思えた.そして性差と法をテーマにして研究を進め,進化心理学の理論を取り入れて論文を公刊してきた.
  • SSSMの支持者はヒトの本性を否定し,生得的な性差についてはさらに強硬に否定し,観察される性差は性差別的な社会化によって生じると主張する.一方現代の心理学は性差の包括的な記述を行っており,進化心理学はそれに理論的な説明を与えている.(簡単に概説がある)
  • SSSMの観点は,社会科学だけでなく公共政策の分野でも長らく支配的だった.企業幹部の男女比率や給与の性差はすべて差別によるものだと考えるのだ.進化心理学的な立場からは,差別に起因するものがあることを否定はしないが,生得的な性差が職業選択や昇進機会に対して男女で異なる選択をするように動機づけられていることにも注目する.つまり性差別を完全になくしてもなお幹部数や給与の男女差が残るだろうと予測する.


<ガラスの天井>

  • 企業幹部に占める女性の割合が低いことについて,しばしばそれは性差別に起因するとされるが,実際にはかなりの部分は性差によって説明できる.企業幹部になるには競争的で,野心(権力)のために仕事に身を捧げ,リスクをとることが有利になる.女性にとって最高権力者になることはそれほど魅力的ではなく,(転勤や仕事への献身により)家族や社会的つながりが断たれることを好まない.子どもへの投資についても男性は収入を上げることで貢献しようとするが,女性はより直接的な世話を選好するのだ.


<報酬におけるジェンダーギャップ>

  • アメリカにおける男性に対する女性の年収比率は0.78だ.これも性差別に起因すると説明される.しかしここにも上記心理的性差が大きく反映している.アメリカの賃金格差の大部分は婚姻関係や家族の状態とかかわっている.独身女性は独身男性とほぼ同じ年収を得ているが,結婚すると男性の60%となる.報酬に影響する妥当な影響*1を統制すると男女の賃金格差の大部分は消失する.


<職業分離>

  • アメリカでは性差別を禁じる法制度が半世紀以上施行されているが,なお男女は異なる仕事に従事し続けている.細かく見ると,かつて大半が男性であった仕事について女性が大きく進出している仕事(医師,弁護士など)とそうでない仕事(電気技師など)がある.これはSSSMでは説明できない.これは職業選好の性差から容易に理解することができる.(人への興味とモノへの興味,数学などの推論,空間把握,リスク選好の性差と職業選好の関係が説明されている)


<戦闘での女性>

  • いかなる時代においても戦争における戦闘要員となるのは男性の責任だと通文化的に見做されてきた.それは単に責任であるだけでなく,男らしさの象徴であったり,戦闘に参加して初めて一人前だと認められるということが様々な文化で見られた.しかしこうした歴史にもかかわらず,多くの現代国家では男性と戦争の関連を断ち切ろうという政策に舵を切っている.
  • カナダやノルウェーでは女性の戦闘参加の制限がすべて撤廃されたが,女性の地上部隊志願者はごくわずかにとまっている.アメリカやイギリスでも多くの戦闘関連職務を女性に開放しているが,攻撃的な地上戦への参加は禁止し続けている.
  • 地上戦部隊に女性を採用する政策は事実に反する仮定に基づいている.それは「過去女性が戦闘から排除されてきた理由は身体能力の問題だけであり,現代戦では知力だけが問題になるから女性排除の理由はなくなった」というものだ.
  • しかし身体的能力以外は男女は同じだという前提は誤っている.また現代戦では身体能力は問題にならないというのも間違いだ.
  • 戦闘任務では民間の職場以上に男女の心理的性差の影響が大きく出る.相手を殺す意思を含む攻撃性,進んでリスクをとる傾向,恐怖耐性は当然影響するし,女性により見られる思いやりや共感も戦闘意思(相手を殺すこと)への抑制要因になる.
  • さらにこれらの個人的な問題を克服した有能な女性兵士がいたとしても,彼女が部隊に属すること自体が問題を引き起こしうる.それはチーム内に性的な競争や嫉妬を生みチームの凝集性を阻害しかねないし,女性を守ろうとする男性隊員の心理が戦闘任務の障害になり得るのだ.(チームの凝集性の心理的なメカニズムについて詳しく解説されている)

 
 

  • 進化心理学は公共政策にかかわる多くの問題の分析する上で重要な道具になる.またある種の公共政策の成功の見込みに関しても洞察を与える.ヒトの本性は政策立案者にとって根本的に重要であり,それを無視することは大きな危険をもたらしうるのだ.


ブラウンは法学者なので,ここではかなり微妙な「政治的正しさ」問題についても大胆に踏み込んでいて,気迫を感じさせる.なお日本だと,(先日東京医科大入試問題が発覚したように)そもそもの剥き出しの性差別がまだ残存しており,なお「統制すると格差の大部分が消失する」ような状況には達していないのかもしれない.
 
 
ブラウンの本


ガラスの天井,および報酬格差についての本.

Divided Labours: An Evolutionary View of Women at Work (Darwinism Today series)

Divided Labours: An Evolutionary View of Women at Work (Darwinism Today series)

邦訳

女より男の給料が高いわけ 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

女より男の給料が高いわけ 進化論の現在 (シリーズ「進化論の現在」)

  • 作者: キングズレー・ブラウン,竹内久美子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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同じ題材をより深く論じた本のようだ.

Biology at Work: Rethinking Sexual Equality (The Rutgers Series in Human Evolution)

Biology at Work: Rethinking Sexual Equality (The Rutgers Series in Human Evolution)


軍における女性地上戦闘員を認める政策がいかに軍を弱くするものであるかを切々と訴える本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20091116/1258322102

Co-ed Combat: The New Evidence That Women Shouldn't Fight the Nation's Wars

Co-ed Combat: The New Evidence That Women Shouldn't Fight the Nation's Wars


ガラスの天井や報酬格差に関する議論については以下の本も参考になる.


ハーバード総長ローレンス・サマーズの発言に端を発した.科学技術分野における女性進出についてエビデンスベースでの双方の議論を収録した本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140313/1394710018

なぜ理系に進む女性は少ないのか?: トップ研究者による15の論争

なぜ理系に進む女性は少ないのか?: トップ研究者による15の論争

  • 作者: スティーブン・J.セシ,ウェンディ・M.ウィリアムス,Stephen J. Ceci,Wendy M. Williams,大隅典子
  • 出版社/メーカー: 西村書店
  • 発売日: 2013/06/08
  • メディア: 単行本
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原書

Why Aren't More Women in Science?: Top Researchers Debate the Evidence

Why Aren't More Women in Science?: Top Researchers Debate the Evidence


女性側のライフスタイル選好,プライオリティの面から議論している本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090713/1247493384

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス

 

*1:何が妥当な影響とされるものかについてここには記載がない.このため結婚したらなぜ60%になるのかについて,妥当な(心理的)要因と妥当でない(差別的な)要因を分けて統制しているのかどうか明らかではないが,おそらく最も重要な論点だろう

書評 「遺伝子」

遺伝子―親密なる人類史(上) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(上) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(下) (早川書房)

遺伝子―親密なる人類史(下) (早川書房)



本書は前作の「病の皇帝『がん』に挑む:人類4000年の苦闘」(文庫化されて「がん:4000年の歴史」に改題されたようだ.なお原題は「The Emperor of All Maladies: A Biography of Cancer」)でピューリツァー賞を受賞したインド系アメリカ人医師で研究者のシッダールタ・ムカジーによる遺伝学説と倫理問題を扱った大著だ.カール・ジンマーの遺伝にかかる啓蒙書を読んだところなので,話題になっているこちらも読んでみることにしたものだ.原題は「The Gene: An Intimate History」.(なおこの副題について邦書では「親密なる人類史」とされているが,本書内で1つのテーマになっているムカジー自身の家系の遺伝のことも含めた副題だと思われる.うまく訳すのは難しいが,「遺伝子:ある親しき歴史」ぐらいの方がよかったのではないだろうか)


プロローグはムカジー自身の家系に現れる精神疾患の話から始まる.ムカジーの父方の叔父2人といとこの1人は統合失調症や双極性障害を煩っていたのだ.ムカジーの父母は叔父たちの問題はインドとパキスタンの分離という大変動がもたらしたものだと考えていたが,それを知らないはずのいとこにも発症するに及んで,それは遺伝性の問題である可能性が一家の中にのしかかる.ムカジー自身は医師であり,がんの研究者だが,がんもまた遺伝と深く関係がある.そして本書が書かれることになったのだ.

第1部 遺伝という未だ存在しない科学:遺伝子の発見と再発見(1865~1935)

 

メンデルの法則*1

本書は基本的に遺伝学説史が大きな縦軸になって進む構成を取っている.話は当然ながらメンデルから始まる.メンデルはブルーノ大学で神学,歴史,自然科学の講義を受け,ブルーノの主任司祭として赴任するが,司祭の仕事は向いてなく,高校教師になるためにウィーン大学に入り直す.


ここでムカジーは古代ギリシアの遺伝の考え方を紹介している.ピタゴラスは遺伝情報は男性の精子のみにより伝えられると唱えた.アリストテレスはもしそうなら女性がなぜ生まれるのか説明できないはずだと考え,胎児は男性と女性が提供する物質相互の貢献により形作られると唱えた.これらの考えはいろいろ間違ってはいるが,遺伝が情報の伝達であるという本質を見抜いていたとも言える.中世にはこの情報はホムンクルスにより伝えられるという考え方(前成説)が主流になった.
ここでムカジーはダーウィンに話題を移す.若いときからの略歴,ビーグル号航海記,自然淘汰説へ至る道,ウォレスの書簡とリンネ学会での発表と「種の起源」の執筆と有名な話が続く.そしてムカジーはダーウィンが提唱した遺伝理論「パンジェネシス説」をここで紹介しようとしている.しかしムカジーはダーウィンの遺伝についての考えを融合遺伝説と誤解していて,ここの解説はよろしくない.ダーウィンのパンジェネシス説の最大のポイントは遺伝が離散的なものであることと,まれに獲得形質が遺伝することがあること(いくつかの事実をダーウィンが誤って解釈したもの)を同時に説明しようとしたものであり,ダーウィンは融合遺伝を否定していたのだ.この部分は本書で唯一残念な記述だ.


ここから話はメンデルに戻る.ウィーン大学で学んだがやはり教員試験に落ちてしまったメンデルは1853年にブルーノに戻り修道院でエンドウマメの交配実験を始める.実験は8年間におよび,遺伝が対になる離散的な要素で決まることを解明したメンデルは1865年に論文を発表する.しかしこの論文は当時の学界から完全に無視された.メンデルは有名な植物学者であったネーゲリに助言を求める.ネーゲリからヤナギタンポポで追試をするように言われ,追試を試みるが(あとからわかったことだがこの植物は無性生殖種であったため)失敗し,1873年に研究から手を引く.*2


続いてはメンデルの法則再発見の経緯になる.1880年以降ヴァイスマンは獲得形質の遺伝が生じないことを実証し,ド・フリースは遺伝形質の離散性に気づく.そして1900年にド・フリースは1900年にメンデルの古い論文に出合う.同じ年にコレンスとチェルマク=ザイゼネックもメンデルの論文を再発見し,メンデルの仕事は世に出ることになった.ベイトソンは離散的遺伝と変異体の研究について遺伝学(Genetics)という用語を創設する.

優生学

ここからムカジーは優生学の歴史を語り出す.優生学(eugenetics)という言葉を作ったのはフランシス・ゴールトンになる.ゴールトンはダーウィンの進化学説に感銘を受け,遺伝の謎を探求したいと考える.そして今でいう量的遺伝の問題を扱った法則を提示し,遺伝単位が離散的であるとするベイトソンと論争になる.ゴールトンは理論よりも応用に興味を持ち,遺伝の法則を人類の改良に役立てないかと考える.彼の主張は当時「人種の退化」をひどく恐れていた英国のエリートの琴線にふれた.ゴールトンの死後1912年に開かれた第1回国際優生学会議では,英国だけではなくドイツやアメリカの参加者も国家的優生学プロジェクトに向けて積極的だった.
ここで1920年代のアメリカの優生学プロジェクトの実態についてムカジーはキャリー・バックという少女を襲った運命とともに詳しく解説している.

第2部 部分の総和の中には部分しかない:遺伝のメカニズムを解説する(1930~1970)

 

染色体

冒頭で自分の家系に流れる遺伝の影についての逸話を置き,そこから遺伝の離散的な性質についての探求学説史が語られる.トマス・ハント・モーガンは遺伝の性質よりも,それを伝える物質そのものを知りたいと考え,ショウジョウバエの研究を始め,数十種類の突然変異体を見つける.そしてメンデルが見つけていなかった連鎖の振る舞いが明らかになり,遺伝子は染色体に乗っていることが強く示唆された.モーガンの弟子であるスターバントは連鎖を利用して染色体地図を作成する.(ここでムカジーは遺伝子が染色体の上に乗っていることがよくわかる例として,性染色体の上にある血友病遺伝子とロマノフ王朝の話をおいている)

遺伝と進化

遺伝学は少しずつ成長し,進化との関連が解明されていく.まずロナルド・フィッシャーは数学的な取り扱いを駆使して,離散的な遺伝子により連続した表現型が生じることを説明した*3.そしてドブジャンスキーは野生集団に自然淘汰のもとになる遺伝的な多様性が豊富に見られることを見いだし,遺伝型と環境と偶然の相互作用により表現型が定まることを示し,交雑を不可能にする何らかの要因が生じると種の分岐が生じうると指摘した.
ドブジャンスキーはこのような遺伝と進化の関係の理解から初期の優生学への粘り強い批判者となった.彼の主張は「遺伝的多様性は普通に見られ,それは当該生物種にとって通常利益をもたらすこと」「突然変異も多様性の1つに過ぎないこと」「個体の身体や精神の特徴と遺伝との関係は予想以上に複雑であること」に基づいていた.

遺伝子の実体

遺伝子の化学的実体は何か.この謎の解明への最初の糸口は1920年代のグリフィスによる細菌における「形質転換」(水平方向の遺伝子の移動により形質が移転すること)の発見になる.これにより遺伝子の実体は何らかの物質であることが明らかになった.ハーマン・マラーはショウジョウバエを放射線に晒すことによって突然変異を誘発できることを見つけた.遺伝子は外からの操作によって変化しうる物質なのだ.
ここでムカジーはマラーの優生学との関わり(初期には好意を持っていたが,アメリカの優生学の実情を知り,批判的になる),私生活の破綻や政治傾向に話題を移す.マラーは1930年代にアメリカに嫌気を指してドイツに渡り,ナチスの台頭を目撃することになり,ソ連に渡る.ムカジーはナチスの優生学がどんどん先鋭的にそして大規模になっていく様子,そしてルイセンコが政治的権力を手にして学問をイデオロギーによって破壊していく様子を詳しく迫力を持って描写している.
ムカジーはナチスが生みだした大量のがらくたの中に2つの遺伝学への貢献があったと指摘している.1つは現在の行動遺伝学に続く双生児研究の理論,もう1つは多くの優秀なドイツ人研究者をアメリカに集め,遺伝学への興味をもたせたことだ*4


1940年代には,遺伝物質の候補は核内のクロマチンにあるタンパク質と核酸に絞られていた.当初核酸は単純な構成要素が延々と結合されている退屈で野暮ったい物質だと考えられており,タンパク質の方が有望だと考えられていた.しかし1944年,エイブリーがタンパク質を除いても形質転換が生じることを見いだし,本命は核酸だということが明らかになった.
ここからムカジーはワトソンとクリックによるDNAの二重らせんの発見の物語を詳しく語っている.ウィルキンズによる結晶学とX線解析による構造への探求,ロザリンド・フランクリンとウィルキンズの反目,才気あふれるワトソンとクリックの出合い,フランクリンの質のいい写真とワトソンとクリックによる模型作りの橋渡し(それはフランクリンに無断でウィルキンズが2人に写真を見せたことによる),二重らせんへの啓示,1953年の論文発表と物語は続く.大変有名な逸話だが,その化学的な意味をきちんと解説しながらコンパクトにまとまっている.明らかになったのは遺伝の本質はDNAの二重らせんに組み込まれた情報だということだった.それは1種のコード(暗号)なのだ.


ではコードはどのように形質に影響を与えるのか.1930年代から40年代にかけてビードルとテータムはアカパンカビを用いて体内での代謝機能の鍵がタンパク質である酵素にあることを見つけた.そしてそれは1つの遺伝単位が1つのタンパク質を作るための暗号をになっているのではないかという推測に結びつく.ではそれはどのようにコードされているのか.二重らせんの発見後の解明物語にはワトソン,クリック,ライナス・ポーリング,ジョージ・ガモフ,ジャック・モノー,フランソワ・ジャコブ,シドニー・ブレナーたちが登場し,3つ組みの塩基配列が暗号であり,それが転写され,タンパク質に翻訳されるという解答(後にそれはセントラルドグマと呼ばれるようになる)に向かって迫っていく様子が詳しく語られている.次はその調節の謎だ.これはジャコブとモノーのラクトース・オペロンによる調整スイッチの解明物語として語られる.さらに二重らせんの複製自体もタンパク質のスイッチにより調整されていることが明らかになる.これらはおおむね1950年代になされた仕事になる.

発生

次の問題は遺伝子はどうやって生物の体を作るのかになる.胚が発生するには,マスタースイッチの遺伝子が特定の場所で作動し始める必要がある.様々な取り組みの末にそれは胚にある化学的な濃度勾配が鍵になっていることがわかる.ムカジーはここで線虫C. elegansを用いた細胞地図のリサーチを紹介している.それにより遺伝子は細胞死もプログラムしていることがわかり,さらに近くの細胞間での相互作用によっても発生が影響を受けることがわかった.このような発生は非常に複雑な過程により進むという理解は大体1970年代までに得られることになる.


ムカジーはこの第2部の最後で,これらの知見を私たちはどう使おうとするのかと問いかけ,また叔父の狂気の逸話を1つ挟み込んでいる.

第3部 遺伝学者の夢:遺伝子の解読とクローニング(1970~2001)

第3部は人類による遺伝への介入がテーマになる.まずその技術の解明史が語られる.

遺伝子編集

ウィルスによる宿主細胞への遺伝子の挿入現象,ゲノムの切り貼りを行う酵素の発見,組換えDNA実験の成功,大腸菌プラスミドへの挿入,抗生物質耐性をマークにした遺伝子組換え株の選別増殖法が最初の流れ(1968~1973)になる.
片方で塩基配列の読み出し技術が進む.1971年にサンガーはDNAポリメラーゼ複製反応を利用した解読法の開発に乗り出す.これを用いた最初のウィルスの全塩基配列の決定がなされたのは1977年になる.ここから解読が次々に進み,動物の遺伝子はエクソンとイントロンに分かれた複雑な構造であることがわかる.続いて逆転写酵素の発見,これを利用した発現遺伝子カタログの作成とクローニング技術が開発される(1970~1984).ワトソンは遺伝子操作の夢を見始め,多くの遺伝子ハンターが遺伝子の解読作業に没頭するようになる.

バイオハザードリスク

ここからムカジーはこのような遺伝子編集技術の持つ問題を語り出す.当初の遺伝子技術への不安はバイオハザードへの懸念が主なものだった.
まず1973年のスタンフォードで開かれた会議(アロシマI)では,バイオハザードの危険性の指摘がなされ,勧告こそ出なかったもののその流れは「否定」だった.さらに同年開かれたマサチューセッツの会合でいくつかの「危険な」DNA組換え実験についてモラトリアムが提唱された.さらに1975年にアロシマIIが開かれ,これには研究者だけでなく弁護士や記者や作家も招待された.当初モラトリアムについての意見は分かれたが,弁護士たちがぞっとするような法的リスクの話をするに及んで雰囲気は一変し,バイオハザードリスクをランク付けしてそれぞれの封じ込め対策を推奨する提案が採択された.ムカジーはこの採択の様々な側面について,当時の参加者へのインタビューも交えていろいろ語り,しかしこの採択にはまだクローニングの倫理面の問題は提起されていないことに注意を促している.

バイオテック

1974年,コーエンとボイヤーはカエルの遺伝子を大腸菌に組み込む技術(これにより安価にインシュリンを作ることが可能になるので経済的なインパクトが大きいものになる)を確立し,特許を出願する.科学者たちは激怒するが,これは投資家の興味を惹き,遺伝子組換えはバイオベンチャービジネスの世界に組み込まれるようになる.ムカジーはここでこの技術を用いたインシュリン製造ビジネスの成り行きを詳しく語っている.紆余曲折の末,コーエンとボイヤーも関わったジェネンティック社は1978年にインシュリンの製造方法特許を獲得する.また当時ちょうど勃発したエイズにより,血友病患者にとって天然の凝固因子より遺伝子技術を使った人工凝固因子の方がはるかに安全であることがわかり,アロシマIIで示されていた恐怖は逆転する.

第4部 人間の正しい研究題目は人間である:人類遺伝学(1970~2005)

第4部の冒頭はまた家族の物語.ムカジーの父は2014年にロッキングチェアーから転倒して病院に運ばれ,正常圧水頭症と診断される.それも遺伝性である可能性の強い疾病だった.ただし1個の遺伝子によるものではなく多数の遺伝子と環境の影響を受けるものだ.ムカジーはそこから遺伝子はいかにしてほかの遺伝子や環境と相互作用するのか,そして(いかにも医師らしく)正常と異常を分けるものは何かと問いかける.

遺伝性疾患

様々な知見を得て遺伝学は人間についての探求を開始する.最初は1遺伝子が1つの疾病を引き起こすものについてだ.ムカジーはその代表例としてフェニルケトン尿症を取り上げて詳しく語っている.遺伝性疾患にはこのほかに染色体異常によるもの(ダウン症など),さらに複数の遺伝子が相互作用して働く多因子遺伝性疾患がある.
ムカジーはこの多因子遺伝性疾患の特徴を整理し,重要な知見として「変異とは絶対的な概念でなく,統計的な概念である」ことを強調している.ここはムカジーが常日頃から強く感じていることらしく,変異体に対する世間の誤解を解くべく,ミュータントヒーローであるスパイダーマンまで登場させて熱く語っている.

新優生学

1966年段階で羊水穿刺と遺伝子検査,そして妊娠中絶により,望まない遺伝型の子どもをスクリーニングすることは技術的に可能になっていた.アメリカでは1970年に連邦最高裁のロー対ウェイド判決で法的にも可能になる.
これは見方によっては新しい優生学の取り組みにもなり,遺伝子検査の科学的な標準化と自由意思による新優生学として擁護者を獲得する.さらにスクリーニングだけでなく,精子バンクを利用した積極的選択も可能になった.
片方で新優生学に懐疑的,批判的な人々も現れる.ムカジーは多因子遺伝性疾患の複雑性を強調し,批判者に同調的なコメントを行っている.

遺伝子地図とヒトゲノムプロジェクト

1978年ボットスタインとデイヴィスはDNA多型を利用して遺伝子のゲノム上の位置を正確に特定する手法(ポジショナルクローニング)を考えつく.そこからムカジーはウェクスラーによる10年以上に及ぶハンチントン病の遺伝子特定物語,さらに別のチームによる嚢胞性線維症の遺伝子特定物語を詳しく語っている.
遺伝子特定の利点が明らかになり,ヒトゲノムの全体を解読しようという機運が生じる.ムカジーは専門家らしく,がんについてのその利点を詳しく解説している.がんは遺伝と進化と環境と偶然がすべて組み合わさって生じる.それを解明するにはまず正常なゲノムを知ることは重要なのだ.同じような多因性の問題には統合失調症もある.また当時には犯罪のプロファイリングへの応用期待(これについては批判的な紹介になっている)もあった.
マリスによるPCR法の発見はヒトゲノム解読が可能であるという見通しを高めた.1986年にワトソンが開いた「ホモ・サピエンスの分子生物学」会議はその印象を世間に与え,ギルバートはその費用を30億ドルと推定し,ヒトゲノムプロジェクトは動き始める.ムカジーはここからワトソン率いるNIHプロジェクトとクレイグ・ベンダーによる激しい解読競争,ワトソンの退場とコリンズへのバトンタッチ,クリントン大統領の介入と土壇場での手打ち,2000年の解読完了共同発表への経緯を詳しく語り,最後に読まれたヒトゲノムについての詳しい解説を置いている.

第5部 鏡の国:アイデンティティと「正常」の遺伝学(2001~2015)

ヒトゲノムプロジェクト以前の遺伝学は「異常」な形質の遺伝を追っていた.ヒトゲノムの解読はこれを逆転させた.そして人類遺伝学は個別のテーマに焦点を当てたものになった.ここからムカジーは現在の状況について(これまでの編年体をやめて)テーマごとに記述するスタイルを採っている.

人類の起源

遺伝子を読むことにより,多元発生説とアフリカ単一起源説の争いは決着がついた.ムカジーはルイ・アガシとダーウィンまでさかのぼり,アラン・ウィルソンの分岐年代推定とミトコンドリア・イブ,カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンの分析をふくめた学説史を追い,さらに人類の出アフリカについて語り,最近の分析により人種について何が言えるのかを扱っている.人種についてはマレーとハーンスタインの「ベル・カーブ」が引き起こした論争をどちらかといえばスティーヴン・グールドに近い視点から丁寧に追っている.最終的なムカジーの主張は以下のようなものだ.

  • 議論になったg因子のような概念は確かに遺伝性を持つが,その厄介な点はIQテストが知能だけではなく,テストへの適性や自尊心やエゴや不安をも測定しているところだ,テストの構成を変えると簡単にグループ間のスコアの差異は変化する.
  • ヒトゲノムに基づいて人々をひとまとめにすることもできるし,無数に分類することもできる.
  • それは選択の問題で,例えば特定の遺伝的疾患の原因を調べるためにゲノムを分類するのは理にかなっているだろう.マラソンが遺伝的スポーツになりつつあるのにも理由があるだろう.
  • しかし測定する特性や形質の幅を広げるほどその形質に単一の遺伝子が関与する可能性は低くなる.
  • ある特徴の定義を狭めるか広げるかは実際にはアイデンティティの問題だ.文化的,社会的,政治的な意味で自分たちが人間をどう定義し,分類し,理解しているかの問題なのだ.


ここは人種と知能の議論に集中していてちょっと物足りない.遺伝子系統樹や系統地理学の話題も取り上げて欲しかったところだ.

アイデンティティと遺伝

ムカジーはここで一卵性双生児である母と叔母の人生を紹介している.彼女たちは(嫁ぎ先の違いにより)全く異なる環境におかれ,その人生は大きく分かれた.外観は随分異なる2人になったが,物事へのアプローチや気質は驚くほどそっくりのままだそうだ.これをムカジーは人格の一次導関数(そしてアイデンティティ)と表現し,アイデンティティと遺伝について語り始める.


遺伝子はアイデンティティを決めるのだろうか.ムカジーはまずジェンダーから話を始める.ヒトの性染色体が発見されたのは20世紀初頭だった,そして性決定のメカニズムが探索され,遺伝的にもっとも脆弱なY染色体にある1つの遺伝子がマスタースイッチになていることが解明される.性決定は遺伝的なのだ.ではジェンダーはどうか.当初ジェンダーは環境依存の可塑的なものだと信じられていたが,様々なジェンダーの修正試行の失敗事例が積み重なり,これも極めて強い遺伝的な影響の元にあることが明らかになった.性決定のマスタースイッチがあり,その元に遺伝子が階層的に組織化され,トランスジェンダーアイデンティティを含む連続的なジェンダー表現型が現れるのだ.ムカジーは続けてヘイマーによるゲイ遺伝子の探索プロジェクトの顛末*5も語っている.


心理的傾向,あるいは行動傾向はどうだろうか.その遺伝的な影響を調べる一番いい方法はなお双生児研究法だ.ムカジーはここでミネソタ大学の双生児研究の事例を解説し,見つかった興味深い知見をいくつか紹介している.
ではどのような行動傾向がどのような遺伝子によって決められているのか.エプスタインはビッグ5と遺伝的多型の関係を調べて,D4DR遺伝子と新奇探求的傾向の関連を見つける.


様々なアイデンティティが遺伝的な影響を受けることはわかった.では個々の個人を形作るものは何か,同一ゲノムでも異なる気質や人格が現れることがあるのはなぜか,ムカジーはこれを遺伝学の最後の1マイル問題と読んでいる.ムカジーはそれはおそらくランダムな偶然の出来事,あるいは運命なのだろうと思弁し,このようにして生じる生物の個々の多様性を「自己」と呼ぶのだとコメントしている.

エピジェネティックス

ここでムカジーはエピジェネティックスを扱っている.オランダのナチス占領下の飢餓が与えた影響の研究*6の話を振ってから解説を始める.
カエルの体細胞クローンを作成したガードンはなぜ体細胞からクローンを作るのがこんなにも難しいのかを考え始めた.それは何かエピジェネティックな印が刻まれているためではないか.メアリー・ライオンはメス体内でのX染色体のランダムな不活性化現象を見つける,これもエピジェネティックなマークがつくことによるのだろう.そして科学者たちは1970年代末にDNAのメチル化の仕組みを見いだす.これらのメチル化は同じ遺伝組成からなる細胞の「個性」を説明できる.
ではヒトの個性もそういう形で環境が遺伝子に付けたマークとして解釈できる部分があるのだろうか.この話題は記憶のエピジェネティクスとして議論されているが,まだ具体的なメカニズムは何も見つかっていない.
ここでムカジーは最初のオランダの飢餓研究の事例を飢餓体験が食糧欠乏に耐えやすくするように遺伝子のメチル化に影響を与えた可能性,それが生殖細胞にも生じた可能性を論じている.なおここでは,体験が常に適応的な方向の変化を生じると考えるべきではなく,飢餓のような進化過程で繰り返し生じたもののみこのような可能性があること*7について断り書きがあり,さらにエピジェネティックスがニセ科学の正当化に利用されやすいことについても警鐘を鳴らしている.

遺伝子の起源

ムカジーはここで遺伝暗号の起源について,まず生命の起源についてショスタクの原始海洋のスープと自己複製RNA仮説を紹介し,その後バックアップコピーの有用性からRNAからDNAに移り変わったのだろうという考え方を解説している.

第6部 ポストゲノム:運命と未来の遺伝学(2015~ )

ムカジーの遺伝子の物語,最終部は遺伝の現代テクノロジーとその倫理的な側面について.

レトロウィルスによる遺伝子挿入治療

最初はウィルスによる遺伝子組み込みの医療応用の試みだ.初期の試みは,生殖細胞へは遺伝子挿入できないこと,体細胞への遺伝子挿入もランダムにしか生じず,さらに発現が抑えられてしまうことから失敗した.
しかしES細胞の実用化からトランスジェニックマウスが実用化されると,ヒト医療への応用が期待されるようになった.しかし当初はヒトES細胞がマウスのそれに比べて扱いにくく技術的な障壁を越えられなかった.このため体細胞への遺伝子挿入がもう一度考えられることになる.いくつかの試みのあと,OTC欠損症に対する臨床実験が1999年に行われたが,ベクターに使われたアデノウィルスの安全性確認がずさんだったため結果は悲惨な失敗となり,FDAは遺伝子治療臨床実験の全般的な一時中断を命じることになる.

遺伝子診断

片方で遺伝子診断は急速な進歩を続けていた.ムカジーは非常に明確な結果が得られた例として家族性の乳ガン遺伝子の単一遺伝子BRCA1のケースを挙げている.
片方で難しいケースとして家族性の統合失調症と双極性障害のケースが取り上げられている.家族性の多因性遺伝疾患の遺伝子特定は実は非常に難しい.遺伝学者たちは様々な技術を組み合わせて統合失調症の遺伝子候補を108選び出しているが,それらの遺伝子が何をしているのかはほとんどわかっていない.おそらく特定の組合せが確率を上げるように働くのだろうし,未知の要因も隠されているのだろう.この全貌を理解するには疾患患者にどんな遺伝子があるのかではなく,ある遺伝子があると疾患になる確率がどのぐらい上がるのかを知ることが必要になる.
ここでムカジーは家族の逸話に戻る.叔父の1人は双極性障害だったが魔法のような才気の持ち主でもあり,それは躁状態と連続していた.そして狂気と才能を巡る逸話は多い.つまり精神疾患と創造的な才能を区別できないなら,疾患遺伝型と才能遺伝型の区別もできないということになる.病気は絶対的な障害ではなく,ある表現型の環境へのミスマッチと考える方が適切なのだ.
さらにムカジーはある会議で出合った稀な遺伝性神経筋疾患の女性の逸話をおいている.彼女の疾患は単独では大きな不利益があるわけではない稀な変異が重なったために生じたものだった,


ここからはムカジーの思索になる.遺伝性疾患には様々な形があり,それぞれ遺伝子診断に対する難問を生じさせる.BRCA1の変異を持つ女性は70~80%の確率で乳ガンを発症するが,それは100%ではなく,どのようなガンがいつ発症するかは確率的にしかわからない.すべての予防治療はそれぞれ身体的心理的苦痛を伴うものだ.家族性統合失調症や双極性障害は浸透性の高い複数の遺伝子の組合せで生じる.予防治療もなく,完治もできない.稀な遺伝子変異が重なったための神経筋疾患は患者をひどく消耗させる不治の病だが,目的を持って人生を前向きに生きることは可能だ.胎児の遺伝子診断と中絶を組み合わせるとこの原因遺伝子を遺伝子プールから取り除くことは可能になる.遺伝子診断を受けた人はこれからその疾患とどう対処していくかの決断を迫られる「プリバイバー」*8になるのだ.
ムカジーは問いかける.我々はどこまでゲノムから未来を読むことができるだろうか,それを利用することができるだろうか,そしてそのような状況なら運命への介入が許されるのだろうか.ムカジーは以下のように思索を続けている.

  • 解読には2つの制約がある.1つは遺伝子に書かれているのはレシピだということだ.レシピの変更が最終産物にどう影響を与えるかを推測するのは難しい.そしてもう1つは遺伝子の相互作用は極めて複雑だということだ,これも完全な解読を困難にしている.しかし限られたケースでより精度の高い予測ができるようになっていくだろう.
  • 着床前遺伝子診断を行うと堕胎することなくスクリーニングが可能になる.これは難しい倫理的問題を提示している.
  • 最近まで遺伝子診断および介入については3つの原則により導かれてきた.それは「決定的な病気の因子である単独遺伝子変異のみを対象にする」「これらの疾患によって患者が正常な人生を送ることが不可能になる場合に介入が許される」「介入の正当性は最終的には社会的医学的な総意により決める」というものだ.これらは最後は主観的に決まる要素を残し,そして実際にはこれらを越える介入が行われている.そしてナイーブな遺伝型を元にしたナイーブな社会工学的なアイデアが真面目に議論されている.
  • 私の家族のバックグラウンドを考えると,遺伝子診断は臨床的個人的な現実だ.3原則のありようは個人の未来に直結している.
  • 我々は20世紀の歴史から,遺伝的なスクリーニングの決定権を政府に与えることの危険性を知った.ではそれを個人に与えることはどうなのかが現在直面している問題なのだ.
遺伝子治療

一旦中断された遺伝子治療は復活しつつある.生殖細胞系列遺伝子治療はあと一歩で可能になりそうな情勢だ.CRIPER-Cas9の技術は正確な遺伝子編集を可能にする.あとは遺伝子改変が施されたヒトES細胞(あるいはその遺伝子の丸ごとのセット)をヒト胚に組み込む(あるいはヒト生殖細胞に変化させる)だけだ.ムカジーはこの最後の障壁は技術よりも倫理的な問題としての側面が大きいだろうとコメントしている.2015年には科学者グループが遺伝子改変技術をヒトES細胞へ応用することの一時中断を求める共同声明を出している.ムカジーはこれはヒトを遺伝的にエンハンスメントすることの是非という問題だと見做している.そして最後にムカジーなりの遺伝とゲノムに関する見解と制限なしのエンハンスメントに対しての懐疑的な結論をおいている.(なおこのあと本書のテーマを振り返るエピローグも置かれている)

以上が本書のあらましになる.医師でかつ研究者である著者の真面目な著述スタンスによって,遺伝学の発展がメンデルから始まって(途中優生学にも触れつつ)時系列に沿って丁寧にまとめられている.途中から遺伝学の中でもヒトに関するものに焦点は絞られ,最後に遺伝子診断と遺伝子治療に関する倫理的な問題を取り上げて深く悩むという内容になっている.そして家族にある遺伝歴が著述内容に重みを加えている.倫理的な問題についての意見にはいろいろな立場があると思われるし,ジンマーの本のような華やかさや興味深いテーマのてんこ盛りという雰囲気はないが,実直でいい本だと思う.


関連書籍


原書

The Gene: An Intimate History (English Edition)

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ムカジーの前著

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 上

病の皇帝「がん」に挑む ―  人類4000年の苦闘 下

病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘 下


同文庫版

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)



同原書

The Emperor of All Maladies

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カール・ジンマーによる遺伝の啓蒙書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180903/1535927931

She Has Her Mother's Laugh: The Powers, Perversions, and Potential of Heredity

She Has Her Mother's Laugh: The Powers, Perversions, and Potential of Heredity

*1:以降の小見出しは私による便宜的な項目建てになる

*2:ムカジーはネーゲリは素人学者に冷淡だったという書き方をしているが,おそらく当時似たような実験は数多く行われたが,連鎖や無性生殖などのためにメンデルのようなきれいな結果は得られていなかったということが事情としては大きいのではないかと思われる.なおメンデルの統計データ捏造疑惑(比率が3:1にあまりにも近い)ことについてはムカジーは考えにくいと否定的だ

*3:ムカジーはホールデンとライトについては触れていない.フィッシャーについてもごく簡単に触れているだけで,この辺はやや物足りないところだ

*4:ナチスによる遺伝学への貢献については,別の部分で,優生学のおぞましさを世界に明らかにしたことも挙げられている

*5:結論としてはゲイ決定のごく一部はXq28遺伝子の影響を受けるが,大半は不明のままということになっている.ムカジーはおそらくわずかな効果を持つ多数の遺伝子が関係しているのだろうとコメントしている.

*6:当時胎児だった人々は大人になってから肥満や高血圧になる傾向が高かった.そしてその次世代の子どもにも同じ影響が見られたと報告されている

*7:もう1つ本当に生殖細胞にそのようなメチル化が生じる可能性があるのかについてもやや疑問とせざるを得ないと思うが,そこは扱われていない.この章のムカジーの解説はやや曖昧で,真っ当なエピジェネティックスと怪しいエピジェネティックスの区別をきちんと説明できているとは言いがたいだろう.

*8:ムカジーは疾患から生還した人はサバイバーと呼ばれることから,これから疾患リスクに対処することを迫られる人をこう呼ぼうと提唱している

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その11

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進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

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4.3 究極の選択を迫られた時 王暁田(X. T. Wang)

王暁田は本書の編者の1人.北京の知識人の家庭に生まれ,中国で基礎医学の教職の道に進むが,1987年にアメリカに留学して認知科学を学び,そのままアメリカで心理学者になる.研究テーマは(特にリスク周りの)意思決定,社会や組織のマネジメントが中心になる.

  • 1986年に私はアメリカで医学のトレーニングを受けようといくつかの大学の医学部大学院プログラムに出願していた.しかし(おそらく)何らかの手違いによりニューメキシコ大学の心理学部から受理の知らせが来る.そのとき私はありとあらゆる合理的・効用主義的計算に反した決断を下す.心理学への情熱と根拠のない自信から自身のキャリアを大きく変更することにしたのだ.
  • なぜ標準的意思決定モデルは私の決断を予測できなかったのだろうか.それは意思決定メカニズムは自然淘汰と性淘汰により作られたものだからだ.
  • 私は進化的な視点からヒトの意思決定を研究している.それは次の4つの要素からなる.(1)進化史で頻繁に現れたリスクと意思決定の問題は何か(2)そのような問題に対処するために見いだすべき特徴は何か(3)それを解決するためのヒューリスティックスはどのようなものか(4)そのメカニズムを促進したり抑制したりする社会的性格的生理的な要因は何か.


<(進化的視点の欠けた)意思決定研究の問題点>

  • 標準的意思決定モデルは合理的経済人を仮定している.合理的経済人は無限の認知資源を持ち,すべての事象の確率計算を行い,期待効用最大化行動をとる.この背景にはSSSMがあり,心は真っ白な石版であり,ヒトの学習推論意思決定の大部分はどんな問題にも使える汎用的知性(少数の論理ツール,確率原理,合理性公理)によりもたらされると考えている.
  • しかしヒトの心がそうした特徴を持つことは進化的に見てあり得ない.適応度差異をもたらすのはこのような規範ルールではなく生存や繁殖にかかる領域固有の問題だからだ.
  • 最近は行動経済学において標準的効用モデルの問題点を克服しようとする動きがある.しかし行動経済学は,既往モデルに新たなパラメータを追加して複雑化させているだけで(結局一般的意思決定メカニズムで期待効用を最大化させようとするアプローチに止まっている),その実証的な裏付けを欠いている.
  • (一般的意思決定モデルは単に期待値のみを問題にするが)進化の観点からはまず効用について適応度であることを明示的にとらえ,その上で(適応度の)分散を大きくするか小さくするかという決定も考慮すべきことになる.
  • 社会的状況や環境制約を無視して(狭い経済的な)自己利益だけにフォーカスしたモデルはヒトの直感をとらえ損ねるだろう.その結果そのようなモデルの信奉者自身が個人的な意思決定においてはそのモデルに従わないということが生じる(面白い逸話が紹介されている).


<進化的視点を取り入れた意思決定研究>

  • このような無限合理性モデルに疑問を抱いたハーバート・サイモンは「限定合理性」概念を打ち出した.それはヒトの情報処理における認知的制約を考慮に入れるべきだとするものだ.
  • さらに近年では社会的生態学的制約を伴ったリスク下の意思決定過程の研究が進んでいる.進化心理学者はヒトの進化における典型的な課題環境をEEAと呼んでいる.それには社会的交換,配偶,親の投資,集団内競争,集団間競争,血縁,道徳,採餌などが含まれる.要するに意思決定においては文脈が重要になるのだ.


<アジア熱病問題における意思決定と社会的文脈>

  • カーネマンとトヴェルスキーはアジア熱病問題と呼ばれるフレーミング効果を示した.彼等はこれは期待応用理論の不変性原則に抵触し,非合理な意思決定バイアスだと論じた.
  • 私は最初にこれを知ったときに,この認知バイアスは何かリスクが生じている社会的文脈と関連があるのではないかと感じた.危機にさらされている人命の数(オリジナルでは600人でEEAにおけるリスクで問題になる典型的な人数より遙かに多い)が隠れた重要な変数であるように思えたのだ.
  • 私は集団人数をシステマティックに操作してこのバイアスがどうなるかを検証した.そして集団サイズによりフレーミング効果が影響を受けることを見いだした.危機に瀕した集団サイズが(EEAで遭遇したであろう)2桁に収まるときにはフレーミング効果は消滅したのだ.同時に小集団の人数は血縁関係をより強く想起させ,意思決定はよりギャンブル的(つまり何とか全員を救おうとする方向)になった.この結果は期待効用理論の標準モデルの予測と対照的だ.
  • 私はさらに研究を進め,この効果が単に大きな数字に対する認知的制約によるものではないこと(6人と60人ではあまり効果に差が無く,600人と6000人でもあまり効果に差が無い)このサイズ依存効果は「人命」の場合に生じること(60億人の人命ではフレーミング効果が生じるが,60億人の地球外生命体の命の場合には生じない)を示した.
  • さらに最近では集団サイズ効果の脳内基盤についても研究している.


4.1節,4.2節でギゲレンツァー,トッドがヒューリスティックスの方が優れているとだけ語っているのに対して,王暁田はきちんとまず認知的制約の問題に触れ,続いて効用の定義と社会的文脈の関係を押さえていてわかりやすい.
このアジア熱病問題のフレーミング効果のサイズ依存性は進化心理学の有用性についての初期の鮮やかなデモンストレーションとして記憶に残っているところだ.
なお小集団でよりリスク志向的になる理由については解説されていないが,EEAにおいては家族や小集団が半分になって生き残っても(集団サイズの減少による競争上の不利から)包括適応度は半分より大きく下がる傾向があることが要因になるのだろう.

4.4 男と女が無理する理由 サラ・ヒル

サラ・ヒルはデイヴィッド・バスのもとで学んだ若手進化心理学者.社会的行動と社会的認知プロセスについて研究している.ここでは自らの研究を紹介している.

  • ヒトの意思決定は進化的に形作られた領域特殊的な様々なヒューリスティックスによっていることが明らかになってきている.このヒューリスティックスは,適応度に影響を与える文脈に影響を受けることが予想される.
  • 私は個人がどんな文脈で安全志向からリスク志向に行動戦略を切り替えるかを検討してきた.
  • 社会的競争の状況において,自分の(ライバルとの)相対評価が低いとよりリスク志向的になると予想し,検証したところ,結果は予測を支持し,これまで安全志向とされていた意思決定も相対的地位の関心によっては反転することが示された.リスクをとった場合にのみ相対的な(金銭的な)地位を逆転できる可能性が生まれる場合には特にリスク志向的になる.
  • また異性間の求愛と同性間の競争を顕在化させると,女性が自分を魅力的にみせるためにリスクを冒すようになるかどうかを調べた.そして日焼けサロン通いと危険なダイエット薬の服用という形でそれを示す結果を得た.そしてそのような選択をしているときには女性はリスクを低く見積もっていた.これは競争的局面でよりリスク志向的になるように働く心理メカニズムの1つであると考えている.
  • 私は現在の感情状態の変化がどのように認知処理と行動に影響を与えるかについても調べている
  • 嫉妬は不愉快な感情であり,この社会生活上の機能について検証した.一般的には不愉快な感情は何らかの警戒を促す機能を持つ.嫉妬はその心理的苦痛の原因への対処の動機を強め,自分の地位の向上や相手の地位を引きずり下ろしたりする行動につながっている可能性がある.この予想についていくつかの検証を行ったが,それらはすべて「嫉妬は他者の優位性に注意を向ける」という仮説を支持している.
  • 現在は協力と罰の行動における嫉妬の役割を調べている.
  • 10年前私がこの領域に入ったときには進化心理学は異端の学問として扱われており,研究の動機について疑われることさえあった.しかし進化心理学が世に送り出した知見の質と量は,その状況を変えてきた.主流の心理学誌に進化的アプローチの研究が載ることはもはや珍しくない.今は進化心理学者になるにはうってつけの時代だ.


一発逆転の可能性があるとリスク志向的になるというのは直感的にもわかりやすい.しかしこれは効用の定義を競争的文脈にあわせて調整すれば,合理的経済人の期待効用最大化アプローチでも同じ結論になる.どのように効用を調整するかのところに進化的なアプローチの有用性が表れるということだろう.
これに対してリスク志向的にさせるために自己欺瞞的にリスク見積もりを変化させる方略は期待効用最大化アプローチからは出てこない.どのようなメカニズムが進化しやすいかにかかるところで,なかなか面白い.

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その10

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

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第4章 意思決定と組織陰影を進化から考える その1

4.1 ヒューリスティックス:不確実な世界を生き抜く意思決定の法法 ゲルト・ギゲレンツァー

最初はトヴェルスキーと認知バイアスの限定合理性や生態学的妥当性を巡って激烈な論争をしたことで知られるギゲレンツァー.意思決定やヒューリスティックスをリサーチエリアにしており,一般向けの本も数多く出している.

  • ヒトの行動についての進化的なアプローチは(1)意思決定の基盤になる至近的メカニズムは何か(2)行動はどのような至近的メカニズムと環境により生じるのか,という2つの問いを重要視する.ここでは自然淘汰の産物であるこの至近メカニズムがわずかな情報だけを用いて残りを無視する「迅速で簡易なヒューリスティックス」であることを説明する.
  • 自然淘汰が創り出す意思決定メカニズムは,クジャクのメスが,よってくるオスの中の3~4羽のみを注目し,最終的にオスの羽根の目玉模様の数だけで1羽に絞り込むように*1驚くほどシンプルで効率的だ.これは古典的な意思決定理論による方法(すべての選択肢について関連するすべての特徴を重み付けし,期待効用最大選択肢を選ぶ)とは大きく異なるものだ.
  • 同じことがヒトの意思決定についても言える.多くの経営者は,例えば顧客にカタログ送付を続けるかどうかを決めるのにすべての顧客情報を利用して期待効用最大化アルゴリズムを求めようとせず,しばしばたった1つの手がかり(過去9ヶ月の間に買い物したかどうか)だけを用いる「中断ヒューリスティック」を用いる.そして検証してみるとこの中断ヒューリスティックは平均して複雑な合理的モデルよりも予測力が優れている.つまりヒューリスティックは非合理的でも次善の策でもなく,ヒトや動物が多くの手がかりを無視するには理由があることを示している.
  • ヒューリスティックスの科学には2つの問いがある.1つは「ヒトにはどのようなヒューリスティックスがあるか」という記述的なものだ.もう1つは「ある問題に対して最も優れているのはどのヒューリスティックスリスティックか」という規範的問いであり,これは生態学的妥当性を問うものだ.
  • 初期の研究ではカーネマンやトヴェルスキーに見られるような「ヒューリスティックスがヒューマンエラーの原因である」という解釈が主流だった.しかし今では,この解釈は誤りであり,不確実な世界で優れた意思決定を下すさには関連情報の一部を無視する方がいいことがわかっている.この頑健性の数理的根拠は統計学におけるバイアスと分散のジレンマや生態学的合理性によって説明できる.
  • これまで行動については内的要因が重視されてきたが,行動は内的要因と外的環境要因の2つの帰結だと考えるべきだ.例えば多数派模倣やしっぺ返しのようなヒューリスティックルールもそれに従うかどうかは仲間や相手の行動に依存する.そう考えると道徳もヒューリスティックスから起源するかも知れないし,同一人物の道徳的非一貫性も説明可能になる.
  • このようなアプローチの有効性の例として,まれにしかない病気の検査結果の解釈問題を取り上げよう.医者も含めた多くの人はうまく事前確率を組み入れたベイズ推定を行うことができない.内的要因だけを考えるアプローチでは「ヒトは確率情報をうまく扱えない」とあきらめるしかなくなる.外的要因も考えて判断をフレーミングとの交互作用としてとらえると,進化的に新奇な確率情報ではなく頻度情報を用いればより正しい解釈にたどりつきやすいのではないかと考えることができる.そして実際に頻度情報で与えた方が正答率が向上する.この知見は医者や裁判官のトレーニングにも取り入れられ始めている.


ギゲレンツァーはストレートに「単純なヒューリスティックの方が予測力が優れている」と言い切っており,これは前提条件抜きではやや受け入れがたい印象だ.トヴェルスキーとの論争のきっかけがこのような言い回しだったのなら,トヴェルスキーが激高したのも少し理解できる.一般的には正確な情報収集,計算にかかる能力やコストや時間の制限から(複雑なモデルによる期待効用最大アルゴリズムの算出より)ヒューリスティックの方が(コスト込みで)有利な結果になりやすいということではないかと思う.


ギゲレンツァーの本

Simple Heuristics that Make Us Smart (Evolution and Cognition)

Simple Heuristics that Make Us Smart (Evolution and Cognition)

The Empire of Chance: How Probability Changed Science and Everyday Life (Ideas in Context)

The Empire of Chance: How Probability Changed Science and Everyday Life (Ideas in Context)

  • 作者: Gerd Gigerenzer,Zeno Swijtink,Theodore Porter,Lorraine Daston,John Beatty,Lorenz Kruger
  • 出版社/メーカー: Cambridge University Press
  • 発売日: 1990/10/26
  • メディア: ペーパーバック
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Bounded Rationality: The Adaptive Toolbox (Dahlem Workshop Reports)

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Reckoning with Risk: Learning to Live with Uncertainty

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Gut Feelings: The Intelligence of the Unconscious

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Heuristics: The Foundations of Adaptive Behavior

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Risk Savvy: How To Make Good Decisions

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邦訳されているもの

なぜ直感のほうが上手くいくのか? - 「無意識の知性」が決めている

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賢く決めるリスク思考:ビジネス・投資から、恋愛・健康・買い物まで

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4.2 進化心理学へのシンプルな道 ピーター・トッド

ピーター・トッドは,数学専攻の学部を卒業し,機械言語と言語処理関連の研究を行って,哲学の博士号を取得,さらに心理学の博士号も取得,その後ヒトの発達や認知科学のリサーチを行っているそうだ.ここでは自分の研究歴を振り返りながら,得てきた知見が解説されている.

  • 私は,ヒトが適応上重要な場面において,わずかな情報・計算によるシンプルな意思決定システム(ヒューリスティックス)を用いていかに良い選択をするのかを探ってきた.ここでは私のたどってきた道を語りたい.
  • 1980年代私は学部で数学とコンピュータサイエンスを学んだ.大学院に進むときに認知科学に私を魅了することが集まっていることに気づいた.UCサンディエゴの博士過程ではラメルハートの元で神経ネットワークと進化的探索プロセスのための遺伝的アルゴリズムを研究した.1年後ラメルハートとともにスタンフォードに移り,そこで同じく院生だったジェフリー・ミラーと知り合い友達になった.ミラーの指導教官だったシェパードがコスミデスとトゥービィという2人のポスドクを迎え入れてから,心理学部全体で進化的な議論や論争がなされるようになった.
  • 当時大部分の心理学者は心が進化の産物であることには同意していたが,進化の過程を見ることができない以上そこから何か得られるかどうかについては懐疑的だった.私は「人工の心の進化ならコンピュータシミュレーションで研究できる」と考えた.
  • ミラーと私は脳の働きの要素(連合学習,鋭敏化,馴化など)の進化をサンのワークステーション20台を使ってシミュレートした.その成果を論文にし,学会で発表し,このツールは社会科学においても使えるのではないかと議論した.ミラーは性淘汰の心の進化に果たす役割を深く考察し,学位論文を書き上げ,それは「The Mating Mind」に結実した.
  • 1989年,スタンフォードの行動科学高等研究センターに新たな共同研究グループが設立された.そこにはコスミデスとトゥービィ,デイリーとウィルソン,バス,ギゲレンツァーたちが集まった.それは後の進化心理学の中核を担うグループだった.私とミラーはそこで議論に参加した.
  • スタンフォード時代は2つ,あるいは3つの神経単位を用いたニューラルネットワークの進化シミュレーションを行っていた.マサチューセッツのローランド研究所でのポスドク時代にはさらにシンプルな人工生命シミュレーションをスパコンを用いて行い,その後ようやく行動(環境に応じた意思決定)に立ち返り,デンバーに移ってからは人工生命のエージェントベースのシミュレーションを進めた.
  • そこでマックスプランク研究所の立ち上げにかかわっていたギゲレンツァーから新しい心理学チームへの参加のオファーをもらった.それを受けることはせっかく手に入れたデンバーでのテニュアを返上することを意味したが,その機会を断る気にはならなかった.この意思決定はそれぞれの選択によって生じるすべての結果を考慮して計算したものではなく,新鮮でエキサイティングな方を選ぶという単純なルールに従ったものだったが,結果は素晴らしいものになった.
  • 結局マックスプランクには10年間在籍し,適応行動・認知センターでシンプルかつ効果的な意思決定について研究した.私たちの得た結果は「良い意思決定というのは,特定の環境で入手可能な情報構造にマッチしたシンプルなヒューリスティックスや経験則によって導かれる」というものだった.意思決定メカニズムと情報構造がマッチしていると生態学的合理性が生じるのだ.
  • 私は,この「シンプルさ」について(単にシミュレーション上の便宜のためではなく)実際に生物が追求しているものだと考え,さらに「シンプルさ」について研究を進めた.そしてある状況を他の状況に一般化させるような場合にはシンプルな方法が複雑な方法より有用であることを発見した.これはギガレンツァーとの共著「Simple Heuristics that Made Us Smart」に結実した.
  • ヒューリスティックスの生態学的合理性の研究については実証的に進め,その過程で様々なヒューリスティックスや意思決定方略で構成される心の適応的道具箱の青写真を作り上げた.
  • シンプルな順次探索戦略において配偶者選択をいつ停止すべきかという問題については,スピードデートを使った実験によりデータを採取した.この問題についてハーバート・サイモンは「相手の質がある閾値を超えたところで停止する」というヒューリスティックを提唱した.この方略がうまくいくためには,最初の数回で自分の質についてアセスすることが重要になる.実験の結果は,まず最初の数回で(自己評価により)閾値を設定し,その後単純なルールに従っているという仮説を支持した.この実験は豊富なデータを産出することができ,参加者が熱心に参加してくれることもあり,様々な工夫を加えながら,今でもこの枠組みを使って研究を続けている.
  • マックスプランクで10年過ごしたあと,私はアメリカに戻り,インディアナ大学で意思決定の研究を続けている.現在私はヒトの認知メカニズムは従来考えられていたよりさらにシンプルではないかを考え始めている.心の道具はすべて領域特殊で別々だとは限らない.情報環境構造が類似していれば道具は共通かも知れないのだ.
  • 私は,空間的食糧探索と記憶探索が本質的に共通のメカニズムを利用している可能性を検証し,一方の領域における探索が他方の領域における行動をプライムするという結果を得た.この結果は進化による心のメカニズムは領域固有ではなく,環境構造の特定パターンに特化したメカニズムの集合体だという見方につながるだろう.
  • これまでの私の研究生活の成り行きを振り返ると,最先端に飛びついたり流行に乗るよりも自分の興味に従うことや突然現れる新たな方向性にその興味をつなげるチャンスを追い求めることが大事だと思う.よいサイエンスをしよう,人々にヒトのシンプルかつ複雑な美しさを気づかせよう.世界に発信しよう.


これを読むとコスミデスとトゥービィがいかに巨大な影響を周りに与えるかがわかる.ギゲレンツァーもミラーもトッドもポスドク時代の2人に多大な影響を受けているのだ.
内容的には前節のギゲレンツァーのところで省略されているヒューリスティックスが有用になる条件として生態学的合理性が強調されている.これはある意味自己利益の定義にかかる部分になるだろう.なおコストや時間や情報の誤差の制約についてはここでも触れられておらず,少し気になるところだ.
最後に述べられている領域固有性の議論はなかなか興味深い.結局領域固有なモジュールといっても脳が細かく区分されているわけではないので,その働きは様々な共有回路を利用しているということになるのだろう.とはいえある領域の問題についてある働きをするモジュールがあるという状況には変わりはないもののように思われる.


これは上でも紹介したが,ギゲレンツァーとトッドの共著になる.

Simple Heuristics that Make Us Smart (Evolution and Cognition)

Simple Heuristics that Make Us Smart (Evolution and Cognition)

*1:これについては疑問を呈する長谷川チームの研究があることが訳注されている.

書評 「知ってるつもり」

知ってるつもり 無知の科学 (早川書房)

知ってるつもり 無知の科学 (早川書房)

  • 作者: スティーブンスローマン,フィリップファーンバック
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/04/15
  • メディア: Kindle版
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本書はスティーヴン・スローマンとフィリップ・ファーンバックという認知学者2人によって書かれた「無知」についての本だ.原題は「The Knowledge Illusion: Why We Never Think Alone」.
本書の中心的なテーマは,「ヒトは自分が何かを知っていると思いこんでいるが,ほとんどの場合には断片的で不完全な知識しか持っていないし,そのことについて自覚していない.そしてそれはヒトが集団生活をする中で,お互いを外部記憶として使っていることに由来している」というものになる.私はこの二人の学者の業績については何も知らなかったが,スティーヴン・ピンカーが推薦文を寄せているということで手にとったものだ.認知のゆがみについて自分自身で把握できていないというのはしばしばみられるもので,適応的なバイアスだったり,自己欺瞞だったりするわけだが,「無知」についての認知のゆがみというのはこれまであまり読んだことがなかった.そういう意味で本書は私にとってなかなか興味深い一冊となった.

序章 個人の無知と知識のコミュニティ

冒頭ではビキニ環礁での水爆実験の爆発規模の科学者たちによる見通しが3倍もずれていたという事故事例が採り上げられている.それは科学者がリチウム同位体の性質について不活性だと誤解していたためだ.なぜ水爆を完成させることができる科学者チームがその主要構成物質の性質を理解できていなかったのか.著者たちはそれは個人の知識は驚くほど浅いにも関わらず,それを自覚できていないために生じたのだと説明する.進化の過程でヒトは意思決定に際して最も役立つ情報だけを抽出するようになった.(ここではそういう用語は使っていないが)これは適応的なデザインだという説明になる.


そして著者たちはさらに「ヒトはその自己の無知について驚くほど自覚がなく,自信過剰だ」と指摘する.そしてそれを読者に実感してもらうために水洗トイレの仕組みを画に描いて説明するように促している.ほとんどの人はこれができない.さらに真にトイレを理解するには製造方法,設置方法,経済的な採算性,消費者心理,人体の排泄の仕組み,その他様々な詳細の理解が必要になるが,誰もそれをすべて理解してはいないし,理解していないことに無自覚だ.著者たちはこれを「知識の錯覚」と呼ぶ.
ではなぜこうも無自覚なのか.著者たちはそれは思考は行動のためにあるのであり,物事の真の理解よりも,ある行動とその効果の予測つまり因果関係の推論に特化しているからだとする.正しい行動の意思決定をするための知識ベースは個人個人がみな持っている必要はなく,適宜参照できればいい.つまり社会的集団の中で志向性のみを共有し,知識については「認知的分業」ができていればいい.そしてそのような分業を行うためには自分の内と外の知識の間に明確な線引きがない方がいい.だから無知について無自覚になる.


ここまでは認知の適応的デザインの説明だ.これでうまくいくなら別にそれでいいということになる.しかし(進化環境とは大きくミスマッチになっている)現代環境の元では,認知の錯覚は弊害も大きいと著者たちは指摘する.現代における重要な社会問題の多くは原因が複雑で結果も予測できない.この複雑さを受け入れられないと,そこから逃げようと特定のドグマに染まりがちになる.しかし認知的分業と知識の公共性を受け入れれば,何が自分の信念や価値観を形作っているのかを現実的に理解できるようになるし,すべてを特定個人に帰するような英雄思考も是正できる.インターネットに対する姿勢も変わり,知識量よりも他者と協力する能力の方が重要であることも理解できるというのだ.


導入において本書のアウトラインを大まかに示すということだが,単なる錯覚の指摘ではなく,非常に深い内容が展開される期待を膨らませる序章になっている.

第1章 「知っている」のウソ

まずは自分がどのぐらい物事を知っているかについての過大評価「説明深度の錯覚」から.またも核物理学者のエピソードにふれた後,この錯覚の検証方法が示される.それはまずある物事について自分がどれだけ知っていると思うかを7段階スケールで答えさせ,実際に説明させてみて,その後もう一度自分の理解度を7段階スケールで答えさせるというものだ.実際に被験者は説明を試みると自分の錯覚に気づいて自己評価を修正する.
認知科学者はこの問題についてどう考えてきたのか.最初はヒトの知識はコンピュータのメモリのようなものだと考えていた.しかしリサーチが進むにつれてヒトの脳とコンピュータの動作が異なることが理解されていった.熟慮するときにはそれに近い動作になることもあるが,認知の大部分を占める直感的思考はそういう風には働かない.
認知科学者のランドアーが平均的な大人の知識量からメモリサイズを推定するとそれは約0.5ギガバイトにすぎなかった.また学習時の記憶速度や忘却率から生涯獲得記憶を推定するとそれも約1ギガバイトにすぎなかった.要するに複雑系,組み合わせ爆発,フラクタル,カオスを含む外界は脳内ですべての情報を記憶して処理するには複雑すぎるのだ.そしてそのような外界の複雑さに我々が圧倒されないのは我々が「ウソ」を生きているからだというのが著者たちの主張になる.


適応論的アプローチからみれば,「圧倒されない」ためには単に鈍感になればいいだけだから過大評価する理由付けとしては弱いし,そもそも圧倒されないかどうかはそんなに適応的に重要かという疑問も残る.もちろん著者たちはここで議論を止めているわけではない.圧倒されないだけでなく,その中でうまくやれているのはなぜなのかこそ重要なのだ.それは認知的分業によるというのが次章以降で説明される著者たちの回答になる.

第2章 なぜ思考するのか

ここで著者たちは,別の角度からの疑問を提示する.(そういう言い方はしていないが)ではなぜより大きな記憶容量が進化しなかったのか.すべてを記憶する方が有利ではないのか.
著者たちの回答はそれは脳の機能的な目的にとって有利にならないからというものだ.そもそもヒトはなぜ思考するのか,それは有効な行動をするためだ.そして(超記憶症候群患者のエピソードを紹介し)超記憶はその役には立たないことを説明する.真に重要なのは,膨大に入ってくる情報の中から本質的で抽象的な情報を抽出する能力なのだ.


この議論は適応的でかつ説得的だ.リソースは有限で,記憶能力と計算能力,記憶情報量と有効な抽出計算の間にはトレードオフがある.そして進化は行動の最適性に向かって進む.だから記憶量は有限で,できるだけ有効な情報抽出ができるようになっているのだ.ただし行動の意思決定のためには単なる計算だけでは不十分で,どの選択肢が望ましいかという価値の決定が必要になる.ここについては(本書のテーマから遠いということだろうが)著者たちはふれていない.

第3章 どう思考するのか

では具体的にはどう思考するのか.著者たちはまず,結果より原因に焦点を絞る方がいいとする.そして実際にヒトを含む動物の脳には単純な関連学習ではない様々な領域特殊な原因推定のモジュールが実装されている.さらにヒトは最も因果的推論に長けた生物になる.それは単純な論理的推論とも異なる.つまり我々はそれに役立つ様々な世界に実装されているメカニズムを理解しているのだ.
これにより我々は様々な現実世界の問題を解決できる.たとえば未来を予測したり,他人の意図を推定することができる.原因がどのような結果をもたらすかの前向き推論(予測推論)も,結果から原因を推測する後ろ向き推論(診断推論)もできる*1
また我々は因果推論に関する情報を互いに交換する.その際には「物語形式」が好まれる.それのヒトの意図が絡む際には特に有効であり,だから我々の周りにはこれほど物語があふれているのだと考えられる.そしてそのためには「目の前にある現実と全く異なる世界」を構築する能力が必要になる.これは「反事実的思考」と呼ばれ,別の行動シナリオの検討が可能になる.これも因果的推論能力があるからこそ可能になる.
そして物語は個別の因果情報の交換だけでなく,コミュニティに共有されることにより集団的記憶の形成を可能にする.


この部分の議論は因果推論と物語の連結が強調されていておもしろい.ただし物語は,因果全般というよりは,その中で特に意図を持つエージェントの行動予測に有効だということなのではないかと思われるし,そうなると心の理論にもふれてほしい部分ではあるが,著者たちは(おそらく本書のテーマからはずれすぎるということだろうと思われるが)そこには深入りしていない.

第4章 なぜ間違った考えを抱くのか

次はヒトの因果推論の特徴について.まず直感的素朴物理学が現実の物理学と乖離することが説明される.そしてそのほかにもヒトの思考には当てずっぽうや大まかなイメージにあふれている.
そしてそれは(そういう用語は使っていないが)進化環境における適応的推論は完全である必要はなく,実務上十分であればよく,だから表層的になっていると説明している.


ここは適応的アプローチとしては説明不足気味だ.十分かどうかではなく,様々なトレードオフの中でそうなっているということだろう.


ここから著者たちはカーネマンの二重過程論を説明する.そしてそれは因果的推論にもあると話を進める.直感的な因果推論と熟慮の上の因果推論が異なる結論になりうる.そして直感的推論は個人個人のものだが,熟慮的推論は集団で共有可能だという.だからコミュニティとともに議論し熟慮することで直感的因果モデルの弱点や誤りを克服することが可能になるのだ.これは説明深度の錯覚の克服にも使える.またどちらの過程により頼るかについては個人差がある.熟慮型の人の方がより説明深度の錯覚に陥りにくい*2.熟慮型の人はより詳細な情報を求め,ある意味知識のコミュニティの力を借りているのだ.

第5章 体と世界を使って考える

本章はAIの初期の試みの説明から始まる.初期の研究者たちはコンピュータに膨大な知識と高度な推論能力を与えてインテリジェントな機械を生み出そうとした.しかしこの方向は行き詰まった.著者たちはそれはソフトとハードを別にするデカルトの心身二元論的なアプローチだったからだと説明する.世界は複雑で,現実に何が起こるかをこのようなアプローチで判断するのは困難なのだ*3.さらにこのアプローチでは行動に移る前にすべての結果が計算できていることが前提になる(だからこそ最適行動を選べる).そしてやはりそれは膨大な計算量が必要になる.
ここで生まれたのが「知能の具現化」という新しいロボット工学のアプローチ(包摂アプローチ)になる.まず限られた情報の元に決断し,行動しながらリアルタイムで情報を収集してフィードバックすればいいのだ.
そしてヒトの知性のデザインもこの包摂アプローチに近いことがわかってきた.我々は文字を読んでいるときも運動してるときも視野のごく一部に注意を集中させている.それ以外は「世界はたいていは正常であるはずだ」という割り切りの元に捨象しているのだ.また様々な計算のショートカットを用いて行動を単純化している(例としては野球のフライの落下地点に達するためのボールへの視線方向を使った方法が解説されている).つまり我々は世界自体をリアルタイムで外部記憶として用いているのだ.
また様々な認知科学の知見が示しているのは,我々の認知は考えている対象や道具と結びついているということだ(ダマシオのソマティック・マーカーの議論が紹介されている)とも強調している.そして感情的反応は意思決定に影響する(ヘビへの生得的恐怖についての進化心理的説明などが紹介されている.ただし感情自体がよりよい意思決定のための適応的形質だという議論までは行っていない).ここでの著者たちの主張は,知性は脳の中だけにあるわけではなく,身体や外部環境と切り離せないし,情報処理のためにそれらを使う,つまり外部からの手助けまで勘案すると個人はそれほど無知というわけでもなくなるというところにある.

第6章 他者を使って考える

外部環境を使ってどのようにうまく情報を処理できるようになるのか.著者たちはまずミツバチの集団的意思決定の話を振ってから,先史時代のヒトの狩猟は認知的分業によって効率的になったのだろうとする.ここから社会脳仮説,ダンバー数,言語,相手の意図の推測,志向性の共有について次々に解説する.ここでの著者たちの主張の中心は「ヒトを特徴づけるのは他者とともに何かをし,関心を共有する能力と欲求であり,認知的進化は社会的なものだ」というものだ.
そして実際にヒトは無意識のうちに認知的分業を行おうとする傾向がある.共同で何かをしているときには個人の思考と集団の思考は密接に絡み合っており,自分のアイデアや知識とチームの他メンバーのアイデアや知識を区別することは難しい.だから知識の錯覚が生じる.著者たちは,このような集団での思考を考えると,知識を自分が持っているかどうかは重要ではなくそれにアクセスできるかどうかが重要なのだと強調している.
このような認知的分業によってヒトは多いに繁栄したが,デメリットもあると著者たちは指摘する.その一つは重要な体験をし損なってしまいやすいこと,もう一つはまさに「知識の錯覚」に陥ることだ.

第8章 テクノロジーを使って考える

ここからは各論になる.まずはテクノロジーの発達について.これまで技術と社会は互いに後押ししながら進歩してきた.そしてヒトは技術的変化を受け入れやすいようにできているようだ.その一つの現れは道具を体の一部として扱える能力にある.
では近年の驚異的な技術進歩の速度はヒトにどういう影響を与えるのか.技術は様々な面でヒトを追い越し始め複雑化している.個別の技術進展の帰結が予測しにくくなる一方,自ら問題を解決できる能力の付加も可能になりつつある.そしてヒトはテクノロジーを知識コミュニティの構成員として扱うようになってきている.これに伴いネットへの接続が「知識の錯覚」を強化する.
しかしテクノロジーには(まだ)志向性の共有はできない.目的設定はヒトが行う必要がある.これが世界征服をたくらむ邪悪な人工知能の誕生があまり恐れられていない理由になる.著者たちは志向性の共有は協力する能力が必要になるためにプログラミングが困難なのだろうとコメントしている.
するとテクノロジーへの過度な依存にはリスクもあることになる.引き続きヒトはプログラマーが想定していない事態に対処する必要があるのだ.


著者たちはこのちょっとエッセイ風のテクノロジーの章の最後にクラウドソーシングについてのコメントを置いている.クラウドソーシングは多くの人の知識や能力を統合可能で,うまくインセンティブを作れればコミュニティに存在する専門知識を活用する最適な手段になるというわけだ.そこでは専門知識が集まることの重要性,向いている問題と向いていない問題,分散型共有プラットフォームとしてのイーサリアムの将来性などが語られている.この部分は本書のほかの部分の一般的な議論に比べて,妙に特定のテクノロジーにこだわっていて浮いている印象だ.よほど気に入っている事情が何かあるのだろう.

第8章 科学について考える

次は反科学的思想について.著者たちはラッダイト運動を紹介し,このような反科学,反進歩的な思想は根強く,ヒトの心にある強い警戒感を象徴しているのだろうとし,これは人類の将来にとって重大なリスクだとする.
ここから,温暖化,遺伝子組み換え作物,ワクチンなどの個別の問題を紹介し,ではどうすればいいのかを考察する.
伝統的なアプローチはこのような反科学は無知からくるので教育啓蒙を行えばいいというもの(欠乏モデル)だ.しかし教育啓蒙は何十年も取り組まれているが,うまくいっていない.近年の反ワクチン運動の高まりは教育の敗北のよい例になる.
最近の新しい考え方は,科学に対する意識はエビデンスに対する合理的評価に基づくものではなく,他の信念や共有された文化的価値観,アイデンティティと深く関わるというものだ.ここでは原理主義コミュニティから合理的な科学的信念に向けて離脱するために人生の混乱と人間関係の喪失が不可避であった実例を挙げて説明している.著者たちは,これについて「私たちは新しい信念を受け入れるに際して,自力ですべての判断はできず信頼できる人に従うしかなく,周囲の意見と補強しあうように信念が形成されることをよく示している」とコメントしている.だから科学リテラシーを高める取り組みはコミュニティ全体を対象にしないとうまくいかないのだ.


もう一つの反科学的信念の源泉は,個々人の持つ誤った因果モデルになる.ここから著者たちは個別の反科学的信念の例として,遺伝子組み換え作物に対する忌避,反ワクチンを採り上げている.このような信念が形成される原因となる誤った因果モデル(組み替え=汚染,組換元の生物の本質が組換先の生物に導入される,放射と放射能の混同など)が具体的に解説されている.


そしていったん生じた反科学的信念は「知識の錯覚」により検証を受けずに定着してしまう.著者たちは,解決策の一つは,知識を直接教示しようとせずに,相手にその信念の内容,特に因果的な内容の説明を行うことを求める方がいい(それによって知識の錯覚から抜け出せる可能性がある)と示唆している.

第9章 政治について考える

ここまで述べてきたことは政治についてどのようなインプリケーションをもつのか.著者たちはオバマケアを巡る政治的状況を引き合いに出しながら,1つの問題は人々が政治的な問題についてその本質や詳細をほとんど理解していないのに(あるいは理解していないからこそ)極端な意見の相違,あるいは分断化が生じることだという.誰も自らの無知を理解していないが,コミュニティはメンバーに正しいという感覚を与え続ける.これが知識のコミュニティの危険性の現れだということになる.
これは歴史上宗教の異端排除やプロパガンダによる恐怖政治にみることができる.著者たちは特に20世紀のイデオロギーの「思想的純潔」は巨悪だと指弾している.


人々が(根拠を理解していないにも関わらず)強固な意見を持ち続けられる一つの要因は説明深度の錯覚にある.では被験者に問題を説明させることにより説明深度の錯覚を自覚できるようにするとどうなるだろうか.
著者たちは,温暖化や医療問題のような特定の価値観に基づかない効用的な問題については特に因果関係を説明させることによって自分の意見を考え直すようになることがあると説明する.(単に支持理由を説明させるとかえって自説に固執することもあるそうだ)
しかし(ハイトのいう)神聖な価値観にかかる道徳的な問題についてはこの方法はうまくいかない.そしてこの価値観は他者を説得することを生業とする政治家に利用されやすい.


ではどうすればいいのか.著者たちは以下のように示唆している.解決策というには遙かに遠い内容だが,ある程度の指針にはなるだろう.

  • 私たちは知識のコミュニティに生きており,機能させるには認知的分業が必要だ.
  • 分業を使ってうまく意思決定するには,問題を理解している人が指南役をつとめるべきだ.誰がそうなのかを見極めるのは(それが利害に直結するために)難しいが,解決不可能ではない.多数のレビューによる評価システムは(利害関係者に操作されるリスクはあるが)機能する可能性がある.
  • 直接民主制は「知識の錯覚」を考慮していないので間接民主制よりリスクが大きい.
  • リーダーは自らの無知を自覚して他の優れた意見を活用すべきであるし,また人々に自分は愚かだと感じさせずに無知を自覚する手助けをすることが望ましい.


この著者たちの政治問題の分析はやや浅い.というより説明深度の錯覚関連と道徳的価値観の部分のみを採り上げているとして読むべきものだろう.極端な政治的対立になる要因としては,そもそも特定政策が自分にとって有利かどうか,自分の属するコミュニティへの忠誠バッジになっているのかどうかの方が重要だと思われる.

第10章 賢さの定義が変わる

人々は歴史上の偉業,科学的な成果,スポーツの結果について,ある個人にすべてを帰す形で単純化して理解しがちだ(公民権運動とキング牧師の例が引かれている).しかし実際には皆多くの個人が絡み合いながら達成してきたことだ.単純化した英雄信仰は重要な個人とそれを支える知識コミュニティを混同しているのだ.
これはどのような個人がより成果を上げられるのかという理解に影響している.人々は目の前の個人の能力,特に知能に注目する.しかしここにも説明深度の錯覚があるのだ.
ここから著者たちは知能テストと一般的知能(g因子)を巡る心理学説史,そしてg因子がその個人の成功を予測できる最もよい指標であることが認められるに至った経緯を解説した上で,以下のようにコメントしている.

  • 確かにg因子が知的能力の測定可能な差異を示すという強力なエビデンスが存在する.しかしそれは何を測っているのかははっきりしない.
  • 標準的な理解は,それは知的な馬力を示すものだというものだ.
  • しかし知識がコミュニティにあるのだとすると,知能とは個人がどれだけコミュニティに貢献するかを示すものだと考えるべきなのではないか.要するに個人の情報処理能力だけではなく,他者の立場や感情を理解する能力,効果的に役割を分担する能力,傾聴能力なども含まれるのだろう.
  • 有能な集団に必要なのは異なる能力を持つ人がバランスよく含まれることだろう.そして測定テストはチームに対して行うべきだろう.
  • 実際に集団知能仮説に基づいてチームの様々な作業の成績を調べたリサーチによると,実際にチームの成績を予測できるc因子が得られた.メンバーのg因子からはチームの成績は予測できなかった.予測に役立つ指標は,社会的感受性,メンバー同士の役割交代頻度,女性の割合などだった.
  • 解決すべき問題は残っているし,c因子が何を測定しているのかもはっきりはしていない.しかしグループが成功するか否かは主に個人の能力で決まるのではないとするデータが集まりつつある.
  • 成功はチームで決まるとするなら知能はチームの性質ということになる.そして個人を評価するにはチームへの貢献を測るべきだろう.


実際にインパクトのある業績はチームでなされることが大半だろうからこの章の主張には興味深いものがある.しかし一般的知能が個人の成功を予測できるなら,チームへの貢献への(弱められたとしてもある程度の)予測にもなっているという方がありそうな気がする.本当にメンバーのg因子がチームの成功を予測できないのだろうか.やや懐疑的に今後のリサーチを見極めたいところだ.

第11章 賢い人を育てる

次は教育.ヒトは実際に行動することによりより深く学ぶことができる.ブラジルで貧困のために学校に通えず路上で物売りをしている子供たちを対象にしたリサーチによると,彼等は学校に通っている子供より足し算や引き算については遙かに熟達していた.単に授業を聞き教科書を眺めて理解したつもりになっていても実際には深く理解できていない.これは「説明深度の錯覚」とよく似た「理解の錯覚」と呼ぶべきものだ.ヒトは「見たことがある」を「理解している」と混同する.文章を理解するには,意識的に丁寧に読み込む必要があるのだ.
ここから著者たちは教育についての自説を展開している.

  • 教育は知識を身につけ知的独立性を高めるためにあるというのは完全には正しくない.本当の教育には自分の知らないことがたくさんあることを知ることが含まれる.知らないことに目を向けるためには思い上がりを捨てなければならない.そして自分の知識の限界の先を「なぜ」と考えてみるのだ.そしてさらに他の人の知識や能力を活用できる方法を身につけなければならない.
  • 科学の研究はコミュニティで行われる.すべてを自分で立証するのはコストがかかりすぎる.だから信頼に基づいて行動する.宗教との違いは「真実」とされるものに疑問が生じたときに,立証により真偽を確認できるというところだ.しかし普段の活動は信頼の上にある.
  • だから,学生向けの教育は,まず他者の知識に頼ること,そしてコミュニティの一員として活動する事で自らの知識の限界を超えることを教えなければならない.
  • そして誰を信頼すべきかを教えることが重要だ.それには科学の本質,プロセス,不正行為の実例,ピアレビューの特徴を教え,誤った主張を行う主体の背後の利害関係を理解させることが必要だ.
  • 学校教育においては「学習者のコミュニティ形成」への取り組みが有効だ.与えられたテーマについて,まずいくつかの調査グループが異なる要素を調べ,そののち各グループからそれぞれメンバーを組み入られたチームを作って認知的分業に取り組ませるというものだ.

なかなか面白い.まず「知識の錯覚」を自覚させ,知識コミュニティの上手な活用方法を教え,そして認知的分業のトレーニングをするということだろう.とはいえ,誤った信念を持つコミュニティにどう対処するか(特にそこに属してしまったときにどうするか)についてはふれられていない.ここは解決が困難な部分ということになるのだろう.

第12章 賢い判断をする

次は消費者教育.消費者はしばしば非常に不利なローン契約を結んでしまう.原因の一つは非線形的な複利を理解できないことにある.そしてもう一つの原因は意思決定において細部に関心を払おうとしない態度だ.ごく一部の説明マニア的な人以外は皆説明嫌いなのだ.そして説明マニア的な人も自分の興味対象以外の商品については説明嫌いであることが多い.さらにそれにつけ込むマーケティング手法がはびこっている.(例として薬品,スキンケア商品,「有機」「グルテンフリー」などをうたった食品があげられている)

この問題への標準的な対応は消費者教育ということになる.世界中の政府や団体が金融教育プログラムに巨費を投じてきたが,成果はほとんど上がっていない.
著者たちは,このような失敗は,意思決定を個人の問題ととらえたためだと指摘する.問題解決には意思決定をコミュニティの視点でとらえ直すべきなのだ.そもそも経済現象は基本的に集団的な信念に左右される(貨幣制度や好況不況が説明されている).そして家計はその中で認知的分業に参加する.だから使わないと金融リテラシーは低下するのだ.そしてこの問題の解決手法の一つとして行動経済学者セイラーと法学者サンスティーンの提唱する「ナッジ」手法を好意的に紹介している.これは個人を変えようとせずに環境を変えようとするからうまくいくのだ.その上でいくつかの教訓と示唆を並べている.

  • 金融知識の大半はコミュニティにあり,個人は分業にほとんど参加していない.だから説明はかみ砕かなければ理解されない.
  • さらに意思決定のための単純なルールを提示しなければ個人は対応できない.
  • 情報は個人が必要とするタイミングで与えた方がいい(高校でいくら複利を教えてもローンを借りるときには忘れてしまっている).
  • 消費者個人としては,自分がどこまで理解できているか確認しよう.


日本だと消費者金融問題ということになろうか.ただ確かにここには金融リテラシーの問題もあるところだが,片方では長期的意思決定における双曲割引率の問題もあって,真に難しいのは後者のような気もするところだ.

結び 無知と錯覚を評価する

著者たちは最後に本書の要点をまとめ,それが持つ意味についてコメントして本書を終えている.

  • 本書の主張は,「個人は(ごくわずかしか知らないという意味で)無知である,しかし実際以上に知っていると思いこんでいる(知識の錯覚),思考は行動の一部であり,推論は因果を説明するためにある,そしてヒトは知識のコミュニティに生きている」というものだ.これらはみな特段驚くようなものではない.
  • なぜこんな自明なことを本にしたのか.それは改めて考えてみるまでこうしたことを明らかだと思わないからだ.重要なのは自明な事実を知っているということだけではなく,それに対して自覚的であることだ.
  • この「無知」「知識の錯覚」「知識コミュニティ」に対する単純な秘策はない.無知は必ずしも悪ではない,それに無自覚なのが問題を引き起こすのだ.そして意思決定はコミュニティを活用してなすようにした方が有効だ.また属しているコミュニティの知識が常に正しいとは限らない.だから一服の懐疑心と警戒心を持つ必要がある.
  • 錯覚は微妙だ.錯覚をなくせば認識は正確になり悲劇を避けられるが,錯覚自体に効用もある.それは楽しいし自信をもてる.そして錯覚があるのはチームプレーヤーである証でもあるのだ.

著者たちも最後に書いているように,自分が多くのことを余りよく知っていないというのはある意味自明だ.しかしここに知識の錯覚があり,それが非常に大きいということについては,(「錯覚」であるのだから当然というべきか)あまり自覚できてはいないし,改めて指摘されて初めて感じ入るところだ.読書経験としてはそこがなかなか楽しい.そしてそれを(そういう用語は使っていないが)進化適応的にきちんと解説しているのも評価できる.


自分の知識のなさとその無自覚に驚いた後,よく考えてみると「知識の錯覚がなぜ生じるのか(なぜその方が適応的なのか)」は興味深い問題だ.著者たちはその方が因果推論がスムーズに進むから(圧倒されないというのはそういう意味だろう)という説明の仕方だが,本当にそういう領域特殊な適応的デザインなのだろうか.あるいはより一般的な自信過剰傾向(社会的相互作用や配偶選択の中でディスプレイ上有利になる)の現れであるようにも思われる.
知識のコミュニティの強調も新鮮な視点だ.ここもよく考えてみると信頼できる情報に多くを頼っているのは自明だ.私たちは認知的共同体の中で意思決定しているのだ.この点に関しては現代テクノロジーの進展に対してどのように情報リテラシーを構築していくかが過大ということになるのだろう.
本書はこのような新鮮な視点から私たちの認知と意思決定の背後にある真実に迫り,説得的に解説してくれる.多くの人にとって興味深い本となるだろう.


関連書籍

本書は「知識の錯覚」の適応的デザインに関する議論が載せられているが,意識そのもの,その自己欺瞞的傾向の適応的議論についてはこの本が面白い.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20111001/1317477823

Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

同訳書 私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20141001/1412160200

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由

*1:ここでこの予測推論と診断推論は異なる思考プロセスによっており,予測推論は脳内シミュレーションによるために明示されていない要因を考慮しにくいという問題があるが診断推論にはそのような問題が生じにくいことが解説されている

*2:ここで熟慮型の人はミルクチョコよりダークチョコを好み(甘さへの誘惑に耐えるという意味らしい),神を信じない傾向にあるとも説明されている

*3:ここで著者たちは例として「ケイシー打席に立つ」という詩を理解するためにどれほどの知識ベースが必要なのかという話を持ってきている.これはアメリカでは相当有名だが,日本ではほとんど知られていない.だから(著者たちの意図とは異なるだろうが)日本人読者は必要な背景知識ベースの膨大さを身を持って感じることができる.個人的にはこの詩に最初に出会ったのはアンダーソンとディクソンの手になる抱腹絶倒SFホーカ・シリーズの中だったので,まさにその解釈に頭をひねった経験があって感慨深い

 日本進化学会2018 参加日誌 その8


大会第四日 8月25日 その2

一般公開講演 「博物標本から進化を語る」

大会プログラムの最後は一般公開講演.今年は「博物標本から進化を語る」というテーマで,同じキャンパスにある東京大学駒場博物館の特別展「博物学に学ぶ進化と多様性− Evolution and Diversity Learned from Natural History」と連動した企画になる.

ホネから探る動物の暮らしと体作りの進化 小薮大輔
  • 哺乳類の多様性と進化は解剖学からも理解することができる.
  • 博物館にはたくさんの標本がある.よく一般の人からこんなに集めてどうするんですかと聞かれる.それを使って進化を謎を解き明かそうとしていることを知って欲しい.今日は(1)様々な動物の育ちから(2)動物のからだの組み立てからの進化の話をしたい.
  • (1)様々な動物の育ちかた
  • 哺乳動物の妊娠期間は様々だ.ピグミーウサギ→25日,ヒョウ→75日,ゴリラ→270日,シロナガスクジラ→360日,キリン→470日,アジアゾウ→650日ぐらいだ.ちなみにヒトは280日とされている.こうしてみると大きい動物ほど妊娠期間が長い傾向があることがわかる.しかしこれは例外の多い規則だ.有袋類は非常に妊娠期間が短い.
  • ここで生まれてくるときの成熟度によって動物を大きく分ける.ネズミやモグラやアナウサギの子どもは毛もなく目も閉じて産まれてくる.これを晩成性という.シカやキリンやノウサギの子どもは毛もありすぐに歩行できる.これは早成性と呼ばれる.これには出生後の生活が大きくかかわっている.具体的には巣のある動物は晩成性になる傾向がある.外敵に襲われにくいので晩成性にして多くの子を産めるからだと説明されている.
  • サルも巣のあるなしで早成性と晩成性に分かれる.これは元々早成性だったが,巣を持つようになったグループが独自に晩成性を進化させたものだ.ヒトは後者に含まれるが,そのあとで脳が大きくなって難産となった.このためヒトの赤ちゃんの頭骨は融合する前のふにゃふにゃな状態のままだ.これはトレードオフの中でぎりぎりのバランスで決まっていると考えられる.
  • (2)動物のからだの組み立て方
  • このような生活史にあわせた発達の形質はほかにもあるだろうか.ここでは体を組み立てる調べてみた.ここで博物館の胎児標本をマイクロCTにかけるという手法が有効になる.ハリネズミの発達の順序を見ると,頭骨と脊椎→肩→四肢→手足という順序になる.そしてこの順序も生後の生活にあわせて変わるのだということがマイクロCTを使えるようになって最近わかってきた.
  • 最初の例は有袋類と有胎盤類の違いだ.有胎盤類では前肢と後肢はほぼ同じ時期に発達するが,有袋類では前肢が非常に早く発達し,後肢はかなり遅れる.これは産後自力で母の腹を這い上がって袋に入るために前肢が重要であるからだと考えられる.
  • もう1つの例はコウモリだ.コウモリは後肢が前肢より早く発達する.これは産まれた後母にしがみつくために後の足を使うからだ.
  • 結論としては標本は大切ということになる.

日本産チョウ類の分子系統地理:絶滅危惧種のルーツを探る 矢後勝也
  • 日本には絶滅危惧種のチョウが61種,28亜種存在する.
  • 東大博物館にはチョウの標本が60万ある.これを使って進化や保全について研究が可能だ.
  • オオルリシジミは1属1種で極東アジアの草原地帯にのみ生息している.年1化で,5月〜6月に羽化する.これは6亜種に分かれ,本州,九州,ウスリー,朝鮮半島および隣接する中国大陸の一部,山西省に分断して分布している.日本の中でも本州では2地域,九州では1地域1カ所にのみ生息する.草原の放棄,農薬,農業形態の変化により減少したとされており,極東アジア全域で激減している.
  • 日本の生息地域のうち1つは長野県東御市になり,そこではシチズンの工場で保全活動が行われている.
  • 標本から採集したミトコンドリアDNAで分析すると,近縁のゴマシジミからは190万年前に分岐し,その後40万年前頃から次々と各地域亜種に分岐している.そして各亜種は単系統であることがわかった.遺伝的多様性は九州では保たれているが,本州では低くなっている.本州亜種と九州亜種では本州亜種が朝鮮のものと40万年前の分岐.九州亜種は10万年前の分岐になる.おそらく2回にわたって朝鮮から渡来してきたのだろう.
  • ゴマシジミは草原性のチョウで,クシケアリと共生することで知られる.生まれてから3齢まではワレモコウを食べ,その後クシケアリの巣に入り,アリの幼虫を食べる.このクシケアリが減少して絶滅危惧となった.
  • 保全努力は山梨県北杜市で行われている.草刈りをしないとクシケアリがいなくなるので,定期的に草刈りをしている.
  • ゴマシジミはヨーロッパでは保全のシンボル的なチョウとして有名だ.そこでは特定のアリとの共生,隠蔽種や生態の異なる同種が存在することがわかっている.
  • ゴマシジミはユーラシアに8種あるとされており,日本の保全活動にとって重要なのは,分類,遺伝的構造,進化史などの解明になる.
  • 日本のゴマシジミ標本のDNAを使って分析すると,4つのリネージに分かれ,クレードは隣接しているが,固有のハプロタイプを持ち,分岐が深い.これは長期の隔離によって形成されたものと考えられる.
  • そしてこのDNAによるクレードは,これまで分類の基準とされてきた斑紋形態による分類とは一致しない.斑紋は環境適応によって急速に進化するようだ.実際に湿地帯では青っぽく崖や火山性の草原では黒っぽいことが知られている.
  • 日本へは更新世の始めに大陸から入ってきたようだ.まず2クレードがほぼ同時に北と南から侵入し,その後南から1クレード,さらに北からもう1クレード入ってきたようだ.
  • ツシマウラボシシジミは対馬のみに生息する固有亜種だが,現在シカの増加により絶滅危惧になっている.シカの増大の原因は1つには狩猟の減少だが,もう1つは温暖化で子鹿が死ににくくなったことも効いているのではないかと考えている.
  • 現在生息域が1カ所にまで減少しており,2014年には行政に対して今手を打たなければ1〜2年で絶滅する可能性が高いと緊急要望書が提出された.このシジミは林床のヌスビトハギを食草としている.この植物は少し前まではどこにでもある普通種だったので油断していたが,あっという間にシカの食害で姿を消しつつある.
  • まずシカの防護柵を設け,林床が暗くなりすぎないように間伐を実施している.すると何とそこに外来種がはびこってしまった.なかなか保全の実務は難しい.
  • この頃メスが5個体まで減少し,ほぼ野生絶滅の事態になった.なんとかしなければと言うことで研究室の机の上で卵を産ませ,足立区生物園のバタフライファームで放して交尾させるということを行った.こう言うと簡単そうだが,いろいろと難しい条件があって大変だった.
  • DNAを分析すると台湾と中国のものから遺伝的距離が近く,多様性も低い.インドの亜種とは遺伝的な距離が大きくこれは別種である可能性が高いと思っている.


化石記録から分かる貝類の繁栄 佐々木猛智
  • 貝類の特徴としては以下のものがある
  1. 昆虫に次いで種数が多い.10万種以上記載されている.日本だけで8千種いる.
  2. カンブリア紀以降連続して化石記録がある.
  3. 化石については種数,個体数とも動物界最多
  4. 陸上から深海にまで広く分布している.
  • 博物館には化石のコレクションがある.常に新しく化石を含む標本を採集しながら研究する.
  • 私の研究歴はまず貝の解剖から,そして進化に興味を持ち,化石に手を出しているということになる.
  • 頭足類について.これはイカ,タコ,オウムガイ,アンモナイトを含むグループ.アンモナイトは化石から1万種記載されている大きなグループで,現生のオウムガイを研究することで理解を深める事ができる.
  • オウムガイ自体はデボン紀から(広義のオウムガイはカンブリア紀から)現れている.現生種も存在するが,飼育繁殖は難しい.水族館での繁殖成功事例は鳥羽水族館で1例あるだけだ.熱帯の深海100〜600メートルのところに生息する.フィリピンでよく取れていて入手は容易だったが,2017年からワシントン条約の対象になり,持ち込みは難しくなった.
  • (ここで発生の様子,腕の原基の仕組み,殻の構造,隔壁,付管,体間索,アンモナイトとの相同についてスライドを使って詳しく説明)
  • アンモナイトには様々な形態のものがある(スライドで様々な形態のものを紹介)
  • イカの化石はほとんど出土しない.基本的に軟組織だからだが,パリの博物館には体,顎(カラストンビ),墨汁嚢がわかる素晴らしい化石がある.
  • 巻き貝と二枚貝はカンブリア紀から現れている.初期のものはごく小さく数ミリ程度だが,形態的には同じになっている.
  • オキナエビスの殻の切れ込みはアワビの殻の列になった穴と相同になる.
  • 巻き貝の巻き方向.右巻きが9割以上.カンブリア紀以降常に右巻きが多い.逆巻き同士では交尾できないので偏りが生じると説明されるが,イモガイでは一時期左巻きが主流になったことがあることが化石からわかっている.
  • 二枚貝にはいくつか特殊化が進んだものがある.1つはカキで,殻はすべて形が異なる不整形になっている.これは三畳紀に現れ,中生代以降大繁栄している.もう1つはホタテガイで三畳紀以降現れているが,遊泳能力を獲得している.いろいろな形の二枚貝も発生の最初は丸く,そこから形が分岐していくことがわかっている.


歴史系博物館で人類進化を考える:縄文人・弥生人・現代人
  • 高校生物の指導要領が大幅に変更され,2022年からは進化をまず教えることになる.またそこには人類の系統と進化という単元も加わった.そして観察と実験を通じて探求することも求められているが,このテーマは難しいだろう.そこで博物館を是非有効活用して欲しいと思っている.
  • 東京地区なら,国立科学博物館がお勧めだ.いまや日本館の2階の展示はGoogle Street Viewでも観ることができる.(あとで試してみたが,これは素晴らしい)もう1つ推薦するなら本郷の東大博物館になる.
  • その他の地方だとちょっと難しい.日本にある博物館はその2/3が歴史博物館になり,科学博物館は8%しかない.しかし歴史博物館には縄文や弥生時代を扱っているところもあるので,これらも使えるだろう.(新潟の歴史博物館の展示内容を紹介)
  • 日本の人類については縄文人と弥生渡来人の二重構造説が長らく認められてきた.これに対して頭骨形態の主成分分析を行った鈴木が形態の変化の原因を生活様式の差に求め,小進化説を主張して対抗した.これに対して新たに発掘された弥生人骨から金関が批判を行い,鈴木もそれを認めたというのが形態を材料に論じた時代の学説史になる.
  • ちなみに直立二足歩行も,アファレンシスからの草原適応だというサバンナ仮説が長らく定説だったが,森林に住んでいた時代のサヘラントロプスやラミダスなどの直立が明らかになって見直されるようになっている.今は繁殖行動の変化などの社会構造から議論されることが多い.
  • 二重構造説については核DNAによる分析でも追認されている.


ここで講演が終了.このあとは駒場博物館に移ってフィールドトークの時間になった.一般の方も30人以上参加されて,関連標本を前に講演者とやりとりをされていた.


以上で2018年の日本進化学会が終了となる.ここで改めて主催者および設営スタッフの方々にはお礼申し上げたい.どうもありがとうございました.


<完>