書評 「「協力」の生命全史」

 
本書は行動生態学者でヒトの協力のリサーチも行っているニコラ・ライハニによる協力の進化を扱った一般向けの科学啓蒙書だ.オーソドックスに協力にかかる進化生態学的な解説を行いつつ,最新の知見やリサーチ結果も取り込んでいて端正な仕上がりの本になっている.原題は「The Social Instinct: How Cooperation Shaped the World」
 

はじめに

 
冒頭で新型ウイルスが感染を広げられるのはヒトが社会的に生活しているからであること,それに対処するにはヒトの協力が必要であることに触れ,ヒトの生活のあらゆる側面に協力がかかわっていること,このような社会性を持つ生物は稀だがいくつか存在すること,協力には負の側面もあることなどが指摘されている.そして著者による協力の進化を探るたびの物語が始まる.
本書は4部構成になっており,それぞれ個体の進化,家族の進化,家族を超える支援,大規模社会が扱われている.
 

第1部 「自己」と「他者」ができるまで

 
第1部のテーマは個体の進化.個体の中では遺伝子の協力,細胞の協力があること,進化の歴史において真核生物,多細胞生物という(メイナード=スミスとサトマーリの提唱した)「大きな移行」があったことが冒頭で紹介されている.
 

第1章 協力を推し進めるもの

 
最初にドーキンス流の「進化を遺伝子の視点で考えること」のスタンスをとって自然淘汰が解説されている.そこから協力の進化の説明としての包括適応度理論(血縁淘汰)が血縁度,利益,コストの観点から簡単に紹介される.
ここで行動生態学者がしばしば個体の視点で語るのは,目的駆動型の行動が観察できるのは個体レベルであり,その目的駆動型の因子を遺伝子と考えることでいつでも遺伝子視点に戻って解釈できる(その解釈には包括適応度理論が用いられる)からであることが解説される.
このあたりは行動生態学者の正統的なアプローチが的確に説明されているところだ.
 

第2章 個体の出現

 
最初に「個体」という進化の「大きな移行」がどのように生じるのかが説明される.

  • 大きな移行は個体の内側の遺伝子やゲノムや細胞が次世代に受け継がれるためのルートが1つしかない状態になった時に生じやすい.それにより内側のメンバーの関心が1つの方向にそろうからだ.そして逆にどんな状態になれば「個体」といえるのかは内部の構成体の関心(目的的なデザイン)がどれだけ一致しているかで判断される.社会性昆虫のコロニーを「超個体」と捉えるのが説得力を持つのはこのような考え方(様々な機能特化型の個体が観察される)からになる.
  • ではヒトの社会は「超個体」と考えることができるのか.そう考える進化生物学者*1もいるが自分は同意しない.ヒトの社会は個体の関心が(時に揃うことがあっても)ほぼ完全かつ永久に揃ってはいないからだ.ヒトの集団はライバル集団と競争しているが,グループ内部でも複数の利己的な個人が競っているのだ.
  • また戦争を持ち出してヒトの協力行動がグループレベルの利益のために進化したとする説*2もある.確かに戦争がグループレベルで利益をもたらすことは可能だが,それだけでは論理の飛躍であり,戦争がグループに損失をもたらすこともあり,戦争への貢献が個人の利益(地位,資源,女性との配偶機会)をもたらすことがあることを考慮しなければならない.戦争に参加するような行動は基本的に個人の利得を求める行動と一致しており,集団の利益やコストは副産物だ.

 
次の論点はヒトの腸内微生物叢のような寄生微生物の扱いだ.

  • 一部の学者は微生物のゲノムと宿主のゲノムをまとめて「ホロゲノム」という単位とみなし,宿主と微生物は1つの不可分な実体「ホロビオント」とみるべきだと主張している.このような広範なカテゴリーが理にかなっているとは思えない.彼等の運命は通常宿主の運命と密接に関係していないからだ.そしてこの例外がミトコンドリアのような細胞内オルガネルになる.

 
この章では筋悪のマルチレベル淘汰的説明が上品にやんわり批判されていて美しい.このあたりも正統的な行動生態学者の普通の感覚だろう.
 

第3章 身体の中の裏切り者

 
第3章では個体の内部にある進化的なコンフリクトが扱われる.

  • 個体内部のコンフリクトの例として,ミトコンドリアが母系列でしか子孫に受け渡されないことから男性にとってのみ有害な遺伝子が淘汰されずに保持されてしまう「母の呪い」*3,減数分裂の際の分離比の歪み(マイオティックドライブ)などがある.そしてその他の遺伝子はそれに共同で対抗することになる.これは「遺伝子議会」と呼ばれる.
  • またがんは個体内での利己的な細胞とみることができる.がんは当初クローン性の疾患と考えられていたが,腫瘍内に多様な細胞があることがわかってきた.がん性腫瘍は宿主に対抗して協力する相利共生的群集(増殖因子を持つもの,宿主のがん抑制手段に対抗するものが存在するなど)とみた方がよいのだ.あるスケールにおける協力が他のスケールで競争となる状況は生物界でかなり一般的だ.

 
がんの相利共生的群集としての説明は興味深い.第1~3章はオーソドックスな包括適応度理論による端正な説明が続いている印象だ.
 

第2部 家族のかたち

 
第2部のテーマは家族の進化.冒頭では集団生活の利益とコストが簡単に解説され,利益が上回る場合に集団が形成されること,多くの場合はそれは一時的な集団であり,ヒトでみられるような家族で構成される安定した社会集団は稀であることが指摘されている.この第2部も包括適応度理論が中心となる.
 

第4章 育児をするのは父親か母親か

 
第4章と第5章では子育てがテーマになる.冒頭ではそもそもの子育ての進化条件*4,条件を満たす1つの極端な例としてサイチョウの子育て*5が解説されている.

  • 条件を満たし子育てをする場合,オスとメスのどちらが面倒を見るかというコンフリクトが生じる.動物界ではメスがより面倒を見る方が一般的であり,ヒトもそれに含まれる*6
  • 哺乳類の90%では子育てをすべてメスが行う.ヒトは父親も手伝うのでその意味では例外になる.ただこの範囲には文化によりかなりばらつきがあり,ホルモンにより育児への関心が変化することがわかっている.
  • なぜメスが子育て負担を負うことが多いのか(オスメスの身体,生理,行動傾向がそのように進化したのか).1つの要因は父性の不確実性だ.もう1つの要因は卵と精子のコストの非対称からもたらされる.ただしこの要因の効き方は性比もからんで複雑であり,状況によっては性役割逆転が起きることもある.

 

 

第5章 働き者の親と怠け者の親

 
第5章では子育てをめぐるコンフリクトのその詳細が語られる.

  • オスとメスの子育て負担をめぐるコンフリクトについてのゲーム理論による予測によると,片方が少し手を抜いた場合に,もう片方はそれを補うが完全には補わず,不足が残るようにするはずだ(サボった方に,子供を遺棄せず子育て投資を戻す動機を残すため).そしてペアで子育てする多くの鳥で,親鳥が実際にこの予測通りに行動することが確かめられている.
  • オスメスのこのコンフリクトは繁殖機会ごとに相手を変える場合に(生涯ペアに比べ)大きくなる.
  • このようなコンフリクト状態では互いに相手を操作しようとすることもある.モンシデムシでは,働き過ぎたメスは一時的に生殖能力を無くし,性欲抑制剤を分泌する.オスはその気をなくし,子育てに専念するようになる.

 
産仔数と子供の世話への投資量はトレードオフの関係にあり,当該生物の環境条件下で最適なバランスになるように進化する.そして片親で可能な程度の世話で子供がある程度生存可能になる場合に子育てをどちらの性が行うかのコンフリクトになる.この決まり方は父性の不確実性などの要因で母親に傾きやすいが,各種の環境要因がからむゲーム理論的な決まり方になる.詳細は微妙で複雑なので,著者はここで総説的にはまとめずに一部興味深い部分のみ解説するというスタンスになっている.
 

  • ヒトでは結婚や生殖にかかる慣行は文化によりかなりばらつきがある.性的二型の大きさや精巣の大きさからは,祖先形質は主に一夫一妻で,連続単婚だったと推測される.生涯ペアではないのである程度の子育てをめぐるコンフリクトがあっただろう.
  • 子育て投資をめぐっては妊娠中の母親と胎児の間にもコンフリクトがある(胎児は母親が望むより多くの栄養を得ようとする).そしてそれはゲノミックインプリンティングにより胎児の中での母方遺伝子と父方遺伝子のコンフリクトにつながる(詳細が解説されている*7).ヒトや類人猿では浸潤性の胎盤*8になっており,胎盤自体が受け取る栄養分の量を決めることができ,母は制御できない*9.これは生涯に設ける子の数が少なく,子の質が高い種において進化上の妥協として(胎児の方が有利になるかたちで)生じたものかもしれない.赤ちゃんの夜泣きもこのコンフリクトの現れとみることができる.
  • 妊娠中に胎児と母親は流動的に細胞を交換している.これはマイクロキメリズムと呼ばれる.これらの細胞が母親や子供の体内で何をしているのかのリサーチは始まったばかりだが,初期段階のデータは極めて示唆的だ.胎児細胞は母親は乳房の組織に移動することがよくある(そこで母乳量を増やしている可能性がある).齧歯類では胎児細胞は母親の脳にも移動している(行動に影響を与えている可能性がある).以前に子供を産めた女性がその後妊娠できなくなる減少は,年長の兄弟に由来する胎児細胞が母親の体内にあることが関連していることが明らかになっている.今後さらに発見が続き,5年後には1冊の本になっていても驚くべきではない.

 
ヒトについては(リサーチでわかっていることが多いので)コンフリクトの範囲を広げてゲノミックインプリンティングやマイクロキメリズムが解説されている.マイクロキメリズムのリサーチの今後の進展には興味がもたれるところだ.
 

第6章 人類の家族のあり方

 
第6章はここまでコンフリクトを解説してきたことをふまえて,ヒトの家族(特に共同繁殖種であるということ)を考える章になる.

  • 親の子育てを年長の子が手伝うのは「協力的繁殖」と呼ばれる.このような行動は様々な動物群で何度も独立に進化した.ヒトもこれに含まれ,多くの狩猟採集民で子供は弟妹の面倒を見る手伝いをよくする.
  • 協力的繁殖を行う種の分布は地球上で特に過酷な地域に集中している.初期人類のいた東アフリカ大地溝帯もそうだ.乾燥したサバンナで捕食されることを避けながら狩猟採集するには協力が有効だったのだ.
  • 協力的繁殖を行う種の多くは一夫一妻で一腹産仔数の多い種だ(ヘルパーが実の弟妹の子育てを手伝える).ヒトは通常産仔数が1であり,例外的だ.ヒトは社会的生活様式を持ち出産間隔を短くするという協力的繁殖のルートをとった.子供は母親,父親,兄,姉,おじ,おば,祖父母という複数のヘルパーに育てられる.現代社会では学校や保育所がその一部の役割を肩代わりしている.
  • これは西洋の「核家族」理想の対極にある.欧米のモデルは愛着理論に基づく規範的なものだ.しかし核家族は広い視点から歴史を見れば極めて珍しいものだし,保育所に通った子供の発育が遅れるわけでもない.育児については複数の養育者や関係を取り入れることをもっと考えるべきだろう.

 

第7章 助け合い,教えあう動物たち

 
第7章ではいったんヒトから離れ,厳しい環境で協力的行動をとる動物種が扱われている.ここでは著者自身のリサーチテーマであった教示行動についても触れられている.

  • 私はカラハリ砂漠で協力的繁殖を行うシロクロヤブチメドリを研究した.リサーチは個体識別した上で行動観察することにより行った.彼等は3~14羽の群れで生活するが,その中で繁殖の権利を持つのは1組のオスメスのペアだけだ.砂漠では捕食リスクが高く,餌を見つけるのも簡単ではない.
  • 彼等は交代で見張りをして警戒コール(捕食者によって異なるコールがある)をあげる.捕食リスクを下げるために親はできるだけ一緒に給餌する(給餌時には見つかりやすいので,その回数を下げる).巣立ち後のヒナは天敵に襲われやすい自分の存在を利用してもっと食べ物をくれとうるさく鳴いて親を強請ることもある(これは空腹であることのハンディキャップシグナルになる).
  • 興味深いのは彼等が教示行動を見せることだ.教示行動は一種の利他行動なので,教示コストを上回る包括適応度的な利益がないと進化しない.それは教示がないと(例えば)採餌が難しいような状況が必要だということだ.サバンナのヒトはこの条件を満たしている.しかしチンパンジーのように森林の果実食だとこの条件を満たすのは難しい.(アリやミーアキャットの教示行動が解説されている)
  • チメドリの教示行動は給餌の時にゴロゴロという音を出すという形で行われる(ゴロゴロ音と給餌の関係を学ばせ,後に巣立ちを促す時に利用する).

 

第8章 長生きの理由

 
第8章では家族や血縁コロニーの中の(協力の一形態としての)分業の進化,その特殊な例としての閉経の進化,さらに関連して老化の進化が取り扱われている.

  • やるべきことが多いと分業が効率的になる.アリやハチ,ヘルパー性の鳥などの社会性生物では齢による役割分担という形で分業が進化した.さらに真社会性のアリやハチでは生涯を通した役割分担がみられる(自爆アリや蜜壺アリが紹介されている).
  • このような社会性生物でよく見られる役割分担に繁殖がある(群れの中の特定個体しか繁殖しないチメドリやミーアキャットの例,アリやシロアリの女王とワーカーの分業が紹介されている).
  • ヒトの女性に閉経があることも一種の年齢による繁殖の役割分化とみることができる.進化的には(ヒトは女性が分散するので)これは姑と嫁の間のどちらが出産するかという(子育てリソースをめぐる)コンフリクトの結果として考えることができる(18世紀初め~20世紀半ばまでのフィンランドの教会のデータでは,同じ家の姑と嫁がともに出産した場合に,子供たちの期待生存率が大きく下がることが示されている).そして姑と嫁の間には血縁度の非対称性がある(姑は嫁の産む孫と高い血縁度を持つが,嫁は姑が産む夫の弟妹と非血縁になる).だからこのコンフリクトでは姑がより譲歩する(自らの出産をあきらめ(閉経し),リソースを嫁に譲る)形に進化しやすい.
  • 17~18世紀のカナダの教会のデータからは,閉経後の女性は孫の世話をするが,その世話はより期待血縁度の高い孫(嫁の子ではなく,嫁いだ娘の子)に向かうことがわかっている.閉経の進化自体は嫁の子とのコンフリクトで生じたが,それにより可能になった子育て努力量はより娘の子に向かうということになる.
  • では祖母の寿命はなぜもっと延びないのか.上掲のフィンランドのデータからみると祖母の貢献は孫の誕生後最初の数年間に限られており,それ以降は祖母の存在は(リソースを消費する分だけ)孫の生存にとってマイナスであるようだ.
  • では祖父はどうなのか.この部分は最近注目されつつあるテーマであり結論は出ていないが,全体的な傾向としては祖父は孫の生存に対して祖母ほどの重要性を持たないようだ.だとすると男性も女性とほぼ同じだけ長寿になっていることが謎になる.1つのありうる説明は,妻が閉経したあとも新しい繁殖パートナーを見つけられる可能性があるからというものだ.
  • 社会性がヒトより高い生物においては繁殖個体がかなり長命であるものも多い(シロアリとアリの女王,デバネズミの女王*10の例が解説されている).寿命は基本的に修復と繁殖にどうリソースを配分するかというトレードオフで決まるが,彼女たちの場合はどう説明できるのだろうか.それはおそらく外的要因により死ぬリスクが低いのでより修復にリソース配分することが効率的になっているからなのだろう*11.また女王は繁殖個体を産むようになるまでは(ワーカー個体を産んでいても)超個体の繁殖器官として未成熟器官であるということも効いているだろう.

 
閉経の進化について血縁の非対称を重視するところや寿命を身体修復と繁殖のトレードオフとして考察するところは行動生態学的解説として極めてオーソドックスだ.最後の共同繁殖種の繁殖個体の寿命の考察は興味深い.
 

第9章 家族内の争い

 
第9章ではもう一度家族および血縁コロニー内のコンフリクトに戻る.協力集団の中に様々なコンフリクトがあるというのは著者が本書の中で特に強調したい部分なので,重ねて解説しているということだろう.

  • 厳しい環境に生きる協力的な生物の家族でも(みなクローンでない限り)家族内にコンフリクトがある.
  • ミーアキャットの繁殖メスは下位メス(しばしば自分の娘や姉妹)の繁殖行動を厳しく抑制し,妊娠した下位メスを執拗に追い回してコロニーから追放するし,下位メスが出産するとその子を食べてしまう*12.シママングースでは上位メスが徒党を組み下位メスの子を食べてしまう.
  • つまり集団内の協力を維持するにはメンバー間の争いを抑制することが重要になる.大部分の脊椎動物では上位個体がワーカーを統制する.しかし1個体が統制できる下位個体の数には限りがあるので協力的な集団の規模には制限がかかる.
  • 一部の真社会性昆虫ではワーカーが他のワーカーたちに統制されることがある(ワーカーによる性比調節,スズメバチのワーカーによる女王殺し*13,それに対抗するための女王の複数オスとの交尾,それによる姉妹ワーカーのワーカー産卵に対するポリシングが生じるようになること*14などが解説されている).ここで注意すべきことはコンフリクトや利益の一致状況によっては,一部メンバーの共謀によりコロニー全体の協力体制が崩れることがあるということだ.

 

第3部 利他主義の謎

 
第3部で扱われるのは非血縁者間の協力だ.これがみられるのがヒト社会の特徴で,これにより大規模な協力が可能になっている.
 

第10章 協力の社会的ジレンマ

 
第10章のテーマは社会的ジレンマ状況での互恵性による協力だ.冒頭では社会的ジレンマ状況の1つである囚人ジレンマの説明に英国のテレビショー「ゴールデン・ボールズ」の様子*15が説明されていて,なかなか興味深い.ここから,このような状況はヒトの社会にはありふれていること,このような状況でヒトはしばしば(一見個人的利益より集団の利益を優先しているように見える)協力を選ぶこと,これを「協力すると温かい気持ちになるから」と説明するのは至近的な説明であり,進化的視点からの究極的な説明*16にはならないこと,そして究極因の説明の1つとして互恵性*17があること,繰り返し囚人ジレンマ状況では互恵性による協力の進化が説明できることを解説している.

  • 動物界における互恵性による協力とされてきた例としてはチスイコウモリの他,ラビットフィッシュ(捕食者への警戒を交代で行う),マダラヒタキ(子育てペアは近隣で営巣しているペアと協力してフクロウの脅威に対して防衛する)が知られている.
  • 雌雄同体の魚であるハムレットは,卵を小分けにして(繰り返し状況を作る)日暮れ時に(相手が裏切った後に別の相手を探しにくい状況を作る)少しづつ相互に繰り返し卵と精子を交換する.1回のやり取りを小分けにする戦略は霊長類の毛繕いなどでもみられる.

 

  • ヒトでみられる(非血縁者との)典型的な協力関係(つまり友人関係における協力)は,上記の動物で見られるような厳格な返報性を持たない.あなたは困っている友人を助ける時にことさらに見返りを期待したりしない.
  • これは相互依存から説明できる.友人の存在は(特に見返りがなくとも)様々な社会的状況であなたに利益をもたらすのだ.チスイコウモリの例も相互依存から考える(自分が困った時に仲間がいる状況を作っておく方がよい)方が理解しやすいだろう.
  • ヒトの伝統社会では厳密な返報性に基づく援助(交換)システムと相互依存的な援助システムが共存していることがよくある.そしてヒトは(相互依存的な関係を大切にしているので)しばしば厳密な返報性を回避しようとする(レストランの勘定を自分が払おうとして争ったりするのは,1回あたりのやり取りの詳細を気にしないことで相互依存関係にあるというメッセージを送っているのだと解釈できる).

 
この最後の「相互依存」の説明はこれまでの行動生態学的な解説ではあまり出てこないもので面白い.結局直接互恵性も間接互恵性も,「問題になっている行動は短期的にみれば利他行動だが,長期的には相利的である」として説明するものだ.そしてヒト社会で実際によく見られる(短期的には利他的に見える)協力は厳密な貸し借りの管理の上に成立しているものではなく,互いに困ったら助けるという関係が(長期的期待値として)相利的な状況にあるものだ.そういう意味でこの概念はなかなか有用な印象だ.
 

第11章 罰と協力

 
第11章では(非血縁者)3人以上の協力が扱われる.

  • 3人以上の場合には直接互恵における「非協力」という手がうまく働かない(非協力者に対して非協力で応じると,どんどん集団内に非協力者が増えていくだけになりがち).
  • ヒトの大規模協力は互恵性ではなく,ルールや制度によって保たれている.その中で最も重要なのは罰だ(公共財ゲームにおける罰の有効性が解説されている).確かに罰は協力を支えることができるが,協力関係を破壊することもできる(報復の連鎖になる場合があるし,罰を与えることのコストの問題もある).ヒトの社会の歴史はこの罰のシステムのデザインの模索でもある.罰に制限を設け,独立した法執行機関を設立することで報復の連鎖を防ぐことはできるが,現在のシステムで犯罪者の更生,壊れた関係の修復,被害者への償いなどがすべてうまくいっているわけではない.
  • ヒトの脳には悪行を行った他者に対する罰を報酬と感じる仕組みがある.これは第3者罰においても働く.理論的にはこのような罰行使自体が(コストがかかるため)一種の利他行動になり,これを進化的にどう説明するかが問題になる.これを集団の利益のためのものだと主張する学者もいる.
  • オスメスのペアがいるホンソメワケベラのクリーニングステーションにおける罰システムを調べてみた.そこでは客の掃除をせずにその身体の一部を食べる(その方が簡単に栄養をとれる)と客はしばらく来なくなる.オスはメスが裏切った場合にメスの尾に噛みつく罰を与える*18.これは客への裏切りに対する第3者罰のようにも見えるが,客への裏切りはオスにも不利益を与えるので,第3者罰とは言えないだろう.
  • するとヒトの第3者罰的な行動も,(集団利益だけでなく)実は罰行使者に利益があるのかもしれない.1つの候補は「罰を与える公正な人」という評判だ.そして評判はより広く協力を説明できる.

 
この最後の部分もスロッピーなグループ淘汰論者に対する批判的な姿勢が窺われる.ただ「罰を与える人」という評判は必ずしも有利になるとは限らない(しばしば恐ろしい人として相互作用を避けられる)ので,なかなか難しいところだろう.
 

第12章 見栄の張り合い

 
第12章は協力における評判の役割が扱われる.ヒトが評判や他人の目を気にすることは多くの実験により明らかであることを最初に示し,動物にもそうであるものがいることを紹介する.

  • ホンソメワケベラは気難しい客(気に入らないとすぐよそに行ってしまう客)には他の客より先にサービスし,そのような客が見ているとその時点の客に対していつも以上にサービスする.(彼等の行動はおそらく単純な連合学習によるものでヒトのような認知能力があるわけではないだろうことについて注記がある)
  • ヒト社会では取引にまつわる信頼の問題を主に法と(法を強制執行できる)制度により解決しているが,それが不可欠ではない.ダークウェブやギャングの組織は評判をうまく使ってこの問題に対処している.また公の制度として評判システムを用いているものもある(現代のネットサービスの例,中世のマグレブ商人の例が紹介されている).
  • 評判を伝えるシグナルには信頼性の問題が生じるが,コストをかけた信号によりそれを解決できる場合がある(ハンディキャップ原理の説明がある).
  • 狩猟採集民に見られる自らが労力とコストをかけてとった狩猟の獲物に対する気前の良さは,自分の何らかの質に対するシグナルと解釈できる.それは身体的な能力の高さも示しているが,より重要なのは協力的な性質だ.そしてそのような評判により尊敬と名声,そして支援のネットワークを得ることができる.またそれは異性に対して配偶者としての魅力も示していると考えることができる.
  • このように気前の良さをディスプレイしてメリットが得られるなら,そのような行動は(互いに競争するような状況で)エスカレートしやすい.(オンラインの慈善資金調達プラットフォームを用いた実験の結果が説明されている.男性は他の男性が高額寄付をし,寄付が魅力的な女性の調達者のページで行われていると寄付の金額を上乗せする傾向があった.女性が寄付の競い合いをする証拠は得られなかった)

 
協力における評判の役割については通常間接互恵性的な説明がなされることが多いが,著者は「相互依存関係」を重視する立場からそこを強調していない.狩猟採集民の狩猟の獲物に対する気前の良さは,社会淘汰的な機能がメインで,性淘汰的な側面もあるという説明になっている.以前は配偶者選択から説かれることが多かったが,最近ではこういう捉え方の方が多いのだろう.
 

第13章 評判をめぐる綱渡り

 
第13章では評判をめぐる複雑で微妙な詳細が扱われる.

  • 気前の良さを示すことは協力的な性質のディスプレイになるが,それを自ら公然と言いふらすとディスプレイの信頼性は下がる.ヒトは人知れず良い行いをする人物の方に高い道徳的価値を与える.それはヒトは発言者の発言の動機を推測できる(気前のよすぎる行為は利他的というより競争的ではないかと思われる)からだ.だから他人の心を読めるヒトと,読めないホンソメワケベラでは評判システムのあり方が変わってくる.
  • そして気前の良さの評判をめぐって集団内で競争が生じる.なぜビーガンは(動機に問題なさそうなのに)嫌われがちなのか.それはビーガンでない人にとっては,(自分の道徳的優秀性をディスプレイし続けるように見える)ビーガンの存在により,評判をめぐる競争で自分が不利な状況に追い込まれると感じるからだろう.公共財ゲームの実験でも,最も多く基金に拠出し続ける人はしばしば他の参加者から嫌われる.効果的な慈善を行っていた団体が,実は営利団体だとわかった結果世間からバッシングされたような例もある.私たちは利益と慈善が両立可能であるという事実を受け入れがたいのだ.
  • だから評判を獲得する上で自分が自慢屋だと思われないことは重要になる.これは高額な寄付がしばしば匿名で行われる理由なのだろう.伝統的な社会のリサーチでは相手にだけわかるささやかな善行を積み重ねることが重要であることが示されている.

 
この章の解説も面白い.基本的にヒトは相手の意図を読むという認知能力(心の理論)があり,社会の中で評判獲得をめぐる競争状態が生じるので,評判をめぐるシグナルが単純なハンディキャップ原理によるよりも複雑になっているということになる.評判獲得競争をめぐる協力という状況もありそうだが,著者はそこまでは踏み込んでいない.
 

第4部 協力に依存するサル*19

 
第4部のテーマは大規模社会における協力だ.これは動物界でヒトだけに見られるもので,著者はそれはヒトは協力するのに認知能力を利用した道筋をとっているからだとしている.支配と裏切り,外集団の脅威など複雑な社会的相互作用の中でどのように認知能力を使って大規模社会が実現しているのかが焦点になる.著者はその道行きを,狩猟採集生活→協力と成果物の分配→不公正への敏感さ,他人の脅威に対する検知システム,それらが組み合わさって支配的ボスを排除する狩猟採集民の平等主義的社会が生まれたという形で解説する.
 

第14章 他人と比較することへの執着

 
第14章ではヒトにある「他者との社会的比較に取り憑かれた心理」がテーマになる.著者はこれが大規模社会の協力に結びついたと考えており,チンパンジーとの比較をしながら詳しく解説がある.

  • 多くのリサーチが,ヒトの幸福感や満足感が社会の中の相対感に大きく影響されることを示している.ヒトに社会的比較に取り憑かれた執着心があるのだ.それを最もよく示すのは最後通牒ゲームにおける振る舞いであり,不公平なオファーに対する拒否は4歳児にも見られる.
  • チンパンジーにはこのような執着心はない.彼等も群れをつくるが,その社会は群れの中に複数の家族があるというような複雑な構造ではない.群れの中では順位があり,協力しないでも食料を得ることができる.彼等のコロブス狩りはしばしば協力の事例だとされるが,彼等の行動はチームワークではなく単に自分がサルを捕まえられる可能性を高めているだけだとして解釈できる.またサルを捕まえた個体は獲物を独り占めしようとする.肉を分けることもあるが,しつこくせがまれてしぶしぶ少し差し出したり,メスに交尾との取引で少し渡したりするだけだ.役割に応じた分配という概念があるようには見えない.
  • これに対してヒトは協力しないと食料が調達しにくい環境におかれ,認知能力を発達させ,共同で狩猟採集するようになった.ここで共同で獲得したものに対して役割に応じた分配(公正な分配)が基本になった(そして不公平さに対して敏感になり,他者との社会比較に取り憑かれる).
  • またチンパンジーはヒトのような(相手への)支援を目的にしたシグナル(指さしなど)を理解しない.彼等は他者のシグナルが自分を支援する意図の上にある,あるいは共通の興味の対象を示そうとしているということをほとんど理解しない(何らかの要求としてしか理解しない).
  • これらの違いはヒトは「私たち」の視点で考え,チンパンジーは「私」の視点でのみ考える傾向があるということで理解できる.ヒトは公平性や相手の意図を気にし,それが他者の幸福を気にかけたり自発的に他者を助けたりする傾向につながっている.

 

第15章 連携と反乱

 
第15章のテーマは反乱であり,集団内の反乱や敵対同盟の脅威の問題が概説されている.著者は狩猟能力の獲得が,ヒトにとって最大の脅威が他のヒトであるという状況を生じさせたのだと議論している.冒頭では印象的な反乱の例として18世紀のバウンティ合の反乱が描かれている.当時の商船と海賊船の組織の違いも解説されていて楽しい.

  • 18~19世紀の商船では船長がすべての権限を握っており,しばしば反乱が生じた.海賊船では船は乗組員の共有で,船長(略奪の執行者)と財宝分配者の権限が分離され,それぞれ民主的に選出され,船の秩序についての明示的なルールが公開されていた.これにより海賊船ではほとんど反乱が生じていない.
  • ヒトには他者より優位に立ちたい,権力を掌握したいという欲求がある.これは勝者による冷酷な支配につながる可能性を与える.しかし海賊船の制度のような文化的な発明により権力者による冷酷な抑圧を抑え込むことができる.
  • 一般的に権力は社会的ネットワークにおける他者の支援に大きく依存するので,連携,交友関係,同盟は非常に重要になる(チンパンジーの政治について説明がある).チンパンジーは他者からの脅威,他者同士の関係に細心の注意を払っている.
  • ヒトはさらにこうした社会生活の細部を気にしており,他者を反射的に「内集団」と「外集団」に分ける.ヒトは協力により自然環境における困難を乗り越えられるようになったが,その結果他のヒトの存在が主要な脅威になった.そこでは社会的な脅威の検知と回避の能力が重要になったからだ.

 

第16章 パラノイアと陰謀論

 
第16章では前章で見たような脅威に対する検知,連携を得るための心理的なバイアスがテーマになる.

  • パラノイアは人々の間に広く見られる.彼等の妄想する災害は他者が意図的に引き起こすものという特徴がある.おそらくパラノイアは社会的脅威の検知と管理に重要な役割を果たす心理で,火災報知器の原理でやや過敏に設定されている.しかしそれが過剰に働くと厄介で不適応な状態になるのだろう.
  • パラノイアは社会的な脅威がどの程度ありそうかという環境によって感度が変化する(迫害された民族集団などで頻度が高い).これはこの心理が適応的なものであることを示唆している.(社会的ストレスをコントロールしてパラノイア的思考が影響を受けることを示した実験が紹介されている)
  • パラノイア的な思考の例に陰謀論を信じ込むことがある.そしてヒトは陰謀論だけでなくしばしば不合理で根拠のない信念を集団的に信じやすい(そのように働くいくつかの心理的バイアスが知られている).これは信念がときに集団に属するためのタグの役割を示すからなのだろう.私たちは現在の社会的状況で最も多くの恩恵(集団からの支援など)をもたらす信念を採用しやすくなっているのだ.このプロセスが過剰に働くと不適応的な極端なパラノイアや妄想的思考に至るのだ.

 

第17章 平等主義と独裁制

 
第17章ではボームの唱えた狩猟採集社会の平等性(独裁者をみなで抑え込む社会),そして農業革命以降それが崩れたことがテーマになる.

  • ヒトは類人猿より協力的であり,集団の境界は柔軟で,家族を持っていた.そしてチンパンジーやボノボの社会と異なる重要な点はヒトの社会が平等主義的であったことだ.ヒトの狩猟採集社会では暴力的に君臨するボスは排除され,リーダーは名誉や尊敬を集めることにより地位を得る.
  • この権力分散は大規模な綱引きと考えると理解しやすい.綱の片方には他者を支配したいという個人の衝動があり,もう一方には多数の力で少数の独裁を抑えようとする集団的利益の力がある.綱引きが前者に傾くと専制君主や皇帝による独裁制になる.狩猟採集社会における平等社会はこの綱引きの上で多数による努力により後者の優勢が維持されている状態になる.
  • 社会における個人の利益追求には,1人勝ち(独裁)を目指す戦略とチームに加わって勝率を高め分配を受け入れる戦略があることになる.そしてその状況下でより賢明な(繁殖成功期待値の高い)手法が進化的に優勢になる.狩猟採集社会では後者の方が優勢だった.農業が始まり生産力が高まると常にリーダーがいる方が効率的だっただろう.当初のリーダーは平等主義的な尊敬により地位を得ていただろうが,(社会の多数者にとって狩猟採集社会で平等な分配を受けるより,高い農業生産量のもとで少し不平等な分配を受ける方が有利になり)リーダーによる搾取が徐々に可能になり,(狩猟採集集団がなくなり,そのような生活が不可能になっていった後)支配が強制的なものに移り変わっていったと思われる.
  • ではなぜ反乱があまり生じなかったのか.それは集団の規模が大きくなるにつれて,反乱者の協力が難しくなっていったからだ(誰かに反乱者になってもらい(リスクをとってもらい),その後成功した場合に成果だけ受けとる方が有利になる).

 

第18章 協力がもたらす代償

 
最終第18章は協力の暗黒面と気候変動などの世界規模の問題に対する協力の可能性について.

  • 協力は基本的に自分が有利になるために選ばれる選択肢だ.だから裏切りによりさらに有利になれるなら裏切りの誘因が生じるし*20,しばしば協力の外側の人々に代償が発生する.
  • 協力の輪をどこまで広げる傾向があるかについては,政治的態度(保守は狭く,リベラルは広い傾向がある)や文化(東アジアの集団主義文化では狭く,西欧の普遍主義文化では広い傾向がある)により異なることが知られている.一般的に家族の絆が深いと他人に対する協力と信頼が減る.(これらの知見について道徳的に評価しているわけではないことに注記がある)
  • 協力はヒトの進化において一種の社会保険(困った時に支援を得られる)として機能してきたと見ることができる.ヒトの進化史のほとんどの間は友人と家族からなる緊密なネットワークが保険の役割を果たしてきた.しかし現代の産業化社会では国家がこの物質的保障の役割を果たしている.この物質的保障の度合いにより緊密な社会的ネットワークにどこまで投資するか,その投資を減らしてより広いやり取りを行うようになるのかが変わってくるのだろう.実際に新型コロナ感染症パンデミックは予期しない物質的保障の変動だったのであり,そして私たちは地域のネットワークの協力の復活を多く目にすることになった.
  • 気候変動のような世界規模の問題に対しては世界規模の協力が必要になる.しかし世界規模では1個人にとって協力の恩恵は小さく利己的に振る舞う誘因が大きくなりがちだ.このような問題に対して「人の良心に中途半端に訴える方法」は危険で甘い考えだといえる.私たちはもっと用心深く,リスク,コスト,恩恵を踏まえてどのような行動に労力をつぎ込むかを細かく調整している.協力の成功のためには,なじみのある基盤の上に築かれたボトムアップの手法(合意の上で定められた強制措置と罰則を含む地域的な制度など*21)が有効だ.
  • ヒトの歴史における協力の物語はおとぎ話のようだ.協力をうまく利用すれば富がもたらされるが,悪意の利用者は破滅をもたらしうる.ここまでは協力によって繁栄してきたが,よりうまく利用する方法を見つけなければ人類は破滅するかもしれない.私たちは自分自身の成功の犠牲者となるかもしれない.おとぎ話の結末がどうなるかは私たちにかかっているのだ.

 
以上が本書の概要になる.極めてオーソドックスな行動生態学的な協力の解説で(最近の本にありがちな)無理筋のグループ淘汰的な説明を軽くいなしながら,最近の知見やリサーチを取り込んで協力と裏切りの進化ダイナミクス,そしてヒトの大規模協力の本質をわかりやすく説明している.ヒトの協力に関しては直接互恵や間接互恵にこだわらずに,より柔軟な「相互依存関係」における長期的相利的な関係を重視しているところ,心の理論や社会の中の評判獲得競争により,協力をめぐる状況が認知的に極めて複雑になっていることを強調しているところは特に読みどころになるだろう.
 
関連書籍
 
原書

 
協力や利他行動に関する本は多い.その中から比較的新しいものをいくつか紹介しよう.
 
現在の学問的知見の状況を最も簡潔にまとめているものとしてはこの教科書の利他行動,協力に関する記述になるだろう.全体の状況をまず見るには便利だ.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/04/30/142510

 
間接互恵性を中心にしたもの.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entries/2014/06/25
 
本書では狩猟採集民の平等主義的社会が解説されているが,それを自己家畜化,「反応的攻撃性」と「能動的攻撃性」から説明するもの.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/04/25/112359
 
評判獲得競争を深く議論した本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/29/093951
 
マルチレベル淘汰推しの協力進化本.よくあるナイーブグループ淘汰の誤謬は排除されており(そのかわり戦争状況における極端な利益とコスト状況を重視する),私はこの議論を買わないが,批判するにも読んでおくべき本ということになる.日本人研究者による訳者解説は必読.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936
 
海賊船の状況についてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20110511/1305111901

*1:引用はないがEOウィルソンのことをいっているのだと思われる

*2:ここでも引用はないが,ボウルズとギンタスのマルチレベル淘汰理論による偏狭な利己主義仮説のことだと思われる

*3:男性のみに失明を生じさせるレーベル遺伝性視神経症が例にあげられている

*4:基本的には子育てリソースが限られている中での子供の数と生存確率のトレードオフで決まる

*5:まず交尾前にオスメスが緊密な絆を作る.交尾後,メスは40日もの間,樹洞に閉じこもって(入り口を塞いで小さな穴だけ残して)産卵し,ヒナを育てる.その間はオスが餌をとってきてメスに渡し,メスとヒナの命を支える

*6:ここでヒトの赤ちゃんが近縁の類人猿に比べて未熟な状態で生まれてくることについて,かつては母親の産道の大きさの制限(運動能力とのトレードオフ)で決まったと考えられてきたが,最近のリサーチによるとエネルギー上の制限(母親の基礎代謝の大きさが生理上の限界に達する)で決まったと主張されていることが解説されている

*7:少しあとの部分でプラダー・ウィリー症候群とアンジェルマン症候群についても説明がある

*8:血絨毛性胎盤.胎盤組織が子宮内膜だけでなく母親の血管にまで入り込む構造を持つ

*9:これにより胎児への栄養供給はより父由来遺伝子の影響を受けやすくなり,妊娠糖尿病や子癇前症のリスクが高くなっている.また湿潤性の胎盤を持つことはがん細胞が母親に浸潤(転移)することも容易にしており,ヒトのがんのなりやすさの原因の1つになっている.

*10:ワーカーの平均寿命は8年,女王の平均寿命は30年だそうだ

*11:ここで飛翔動物である鳥やコウモリの寿命が同じ大きさの哺乳類より長寿であることもこれで説明できるとコメントがある.

*12:ただし,繁殖メスがすでに子を産んでいれば,(彼女は子供が誰の子かうまく識別できないので)この嬰児殺しは抑制されるそうだ

*13:コロニーが繁殖虫産出モードに入った際にワーカーからみて兄弟(女王が産むオス:血縁度0.25)よりも息子(血縁度0.5)や甥(姉妹ワーカーが産むオス:血縁度0.375)の方が血縁度が高くなるために女王を殺す動機が生まれることによるもの

*14:複数オスと交尾することによりワーカーからみた父の異なる甥の血縁度が0.1875まで下がることにより,女王の産む兄弟(血縁度0.25)の方が血縁度が高くなる

*15:2人の出演者を高額(片方裏切りで10万ポンド)の1回限り囚人ジレンマ状況に置き,その後2人の間で交渉させ,最後に手を選ばせる.いかに自分が絶対裏切ったりしないと相手にうまく信じさせるかが見物になる.テレビで放映されることからここで裏切るとかなり評判に傷がつくことになると思われる(そしてそうだからこそ自分は裏切らないとする説得がよくなされる)が,結構な割合の出演者が高額賞金に釣られて裏切るそうだ(みな協力するとテレビショーとしてはつまらないだろう)

*16:本書の訳者はこれらを「直接的な説明」「根本的な説明」と訳しているが,定着している科学用語に準じて至近,究極と訳してほしかったところだ

*17:訳者は「返報性」としている

*18:オスメスで体格差がありメスは罰を行えない

*19:訳者はここで「サル」としているが,原文は「A Different Ape」であり,「類人猿」とすべきだっただろう.著者は原書にあるちょっとしゃれた章題をすべてわかりやすさ重視の直截な章題に訳しているのでここだけ「全く異なる類人猿」とはしにくかったということかもしれない.

*20:ウーバー運転手たちによる価格釣り上げのための協調戦略(空港に飛行機が到着すると一斉にアプリをオフにする)と裏切りの誘因(少しでも先にアプリを再開させたい)が説明されている

*21:うまく働いた例として監視と制裁措置のある漁獲量割り当て計画が紹介されている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その40

 
ターチンの帝国の興亡理論.第7章はローマ帝国滅亡後に現れたフランク帝国とその後継国家群(後のヨーロッパ列強を形作る国家群)の興隆を扱う.

 

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その1

 

  • ヨーロッパは3つの帝国期を経験した.最初はローマ帝国で,地中海文明とガリアの「野蛮」の断層線上に興隆した.ローマ帝国の中心は地中海にあり,各地域は船で結ばれ,交易と文化的交流が盛んだった.ローマが内側から崩壊した後にそのコア地域(イタリア,ギリシア,スペインと北アフリカの地中海沿岸地域)はアサビーヤのブラックホールになった.そこではもはや帝国を興隆できるような社会的協力は不可能になった.

 

  • そしてローマの辺境に新しい強国(フランク,アラブ,ベルベル,ビザンチン,アヴァール)が興った.それらは帝国となり,かつてのローマのコア地域をめぐって争いあった.ヨーロッパにキリスト教が広がり,中東と北アフリカにイスラム教が広がったことで地中海は分断の海になった.

 
ここまではこれまでターチンが解説してきた部分になる.ローマは辺境に興り,拡大し,帝国となったが,崩壊後は内部のかつてのコア地域はアサビーヤのブラックホールとなり,そこから強国が興ることはなかった.代わってローマ帝国の辺境だった地域にいくつもの強国が生じたということになる.
 

  • 次の第2帝国時代にはフランク帝国とその他のゲルマン民族が西ヨーロッパを支配した.産業革命前の他の国々と同じくこれらのゲルマン帝国群も統合フェイズと分裂フェイズを持つセキュラーサイクルを経験することになる.
  • これらのゲルマン帝国群には,メロビング朝フランク王国,カロリング朝フランク帝国,ザクセン朝(Ottonian)とザーリア朝(Salian)ドイツ帝国(German Reich*1)が含まれる.これらの帝国のコア地域はラインランドだった.12世紀の初めにこのコア地域はゆっくり分裂期に入り,数多くの公国,伯領,騎士団領,教会領,自治都市が生まれる.これは新しいアサビーヤのブラックホールになり,中世ヨーロッパの中央に存在し続けることになる.

 

  • 3番目の帝国期はここ500年のヨーロッパ列強の時代で,どの1国も長期的に他を圧倒する帝国を作ることはできなかった.常に何国かがヨーロッパの覇権をかけて争ってきたのだ.この争いに参加する国はいくつか入れ替わってきたし,一時的にそのうち一国が優勢になることはあったが,ローマ帝国やフランク帝国のような圧倒的な優越国は現れなかった.
  • これがなぜなのかについて学者たちは議論してきた.この章ではそれを考えていこう.

 
というわけで,本章ではいくつものゲルマン諸王国の中で最終的にヨーロッパに大帝国を打ち立てたフランク帝国および(その後継帝国である)初期の神聖ローマ帝国の歴史,そしてそれが現代にヨーロッパ列強にいかにつながったかを見ていくことになる.
ゲルマンの大移動で初期に活躍するのはゴート族(西ゴートはイベリア半島,東ゴートはイタリア半島を征服する),ヴァンダル族(北アフリカに強国を築く)だが,いずれの王国も短命に終わり,フランクとアングロサクソンが生き残り,それぞれ西ヨーロッパ,ブリテン島に長く続く強国を築く.この辺りはギリシア・ローマ時代の歴史の伝統がローマ帝国の崩壊とともにいったん途絶えた後の時代であり,優れた歴史家による記述があまりない部分でもある.ターチンがどのように記述していくのかは興味深い.

*1:この帝国は日本では神聖ローマ帝国と呼ばれることが多いが,ターチンはここではドイツ帝国としている

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その39

 
ターチンによるローマ帝国の興隆.辺境とメタエスニック断層線と古代ローマの価値観「父祖の慣行」がアサビーヤにつながったと主張し,最後に古代ギリシアとの差(なぜアテナイやスパルタは帝国にならなかったのか)をあつかう.ターチンはスパルタを吟味したあとアテナイをみる.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その9

 

  • アテナイはスパルタと全く異なる社会を持っていた.しかしその被支配民の扱いの論理には似たところがあった.そしてそれが彼等の帝国の短命さ(紀元前478年〜紀元前404年)をもたらしたのだ.
  • アテナイ帝国は協力的な試み,つまりイオニア人をペルシア帝国から防衛するためのデロス同盟として始まった.ペルシアからの脅威が短期間だがギリシアの団結をもたらしたことは注目に値する.もしペルシアからの脅威が長引けば,マケドニアではなくアテナイこそが巨大な帝国を作ったのではないかと考える人もいるかもしれない.しかし実際にはペルシアはサラミスの敗戦後ギリシアから手を引いた.
  • 外部からの脅威が去った後,アテナイ人はデロス同盟を(同盟全体の共通利益ではなく)自分たちの利己的な目的のために利用し始めた.同盟ポリスのガレー船や軍隊の負担を金の負担に少しづつ入れ替え,徴収した金をアテナイの船と兵の増強に使った.つまり同盟ポリス民を被支配階層として搾取し,自分たちは支配階層として戦士となった.スパルタのヘロット搾取ほど酷い搾取ではなかったが,スパルタとの類似は印象的だ.イオニア人たちは,自分たちの立場を自覚するとアテナイの圧政から逃れようと考えた.アテナイがペロポネソス戦争でスパルタに敗北すると同盟ポリスはみな脱落し,アテナイ帝国は終わったのだ.

 

  • スパルタやアテナイと比べてローマはハンニバル戦争時の苦境に立たされた時にも同盟市から見捨てられなかった.ハンニバルは軍事力による脅しによってしかイタリアの諸都市をローマから引き離すことができなかった(例外はブルッティ人で,戦後ローマから厳しく罰せられた).多くのイタリア諸都市はローマに忠実だったが,しばしばハンニバルに攻撃され,内部でローマ派とハンニバル派に別れることもあった.このような場合,貴族層はローマから受け入れられていたので,概してローマ側だった.彼等の忠誠は後の帝国興隆時に報われることになる.

 
アテナイの市民権とローマ市民権が全く異なる原理によっていたことはよく指摘される.アテナイでは両親ともにアテナイ市民でなければアテナイ市民権を与えられなかった.これに対してローマは非常にオープンで,外国生まれの解放奴隷の子供でも市民権を得ることができたし,征服した都市の貴族層には積極的に与えた.ターチンによるなら,メタエスニック断層に沿っていればオープンになるが,アテナイやスパルタは文明圏の中心にいたのでクローズだったということになる.しかしローマのオープンさはガリア人と相対するはるか前からそうだったのではないだろうか.オープンさが巨大帝国の要因となることは間違いないとして,それをメタエスニック断層と結びつけるのはやや根拠薄弱ではないだろうか.
 

  • 最後にマケドニアを見ておこう.マケドニアはギリシア周辺域の典型的な辺境国家として始まった.マケドニアは最初にトラキア人と相対した.そして次にペルシアに短期間支配された.その後独立を取り戻したが,こんどは拡大するガリア人と相対した.メタエスニック断層に繰り返し触れることでマケドニアには強い国家的団結が生まれた.
  • ローマによる征服後,ローマはマケドニアを4分割して統治した.マケドニアはこの扱いに対して何度も反乱を起こした.彼等は独立を目指したわけではなく(それは無理だとわかっていた),マケドニアとしてまとめてほしいと願ったのだ.最終的にローマはマケドニアを1つの属州とした.
  • 他のギリシアポリスと異なり,マケドニアは最初から領域国家だった.この違いは大きい.アテナイはサラミスの島を手に入れてもそれをアッティカ(アテナイ人の土地)に組み込もうとはしなかった.アテナイは植民を送り込み,サラミス島の住人を被支配民としたのだ.スパルタもメッセニアを征服した時にラコニア領域を広げようとはしなかった.これに対してマケドニアは土地を征服するとそれをマケドニアに組み込んだ.それはフィリップス2世時代まで続いた.この包摂的な政策がアレクサンダー大帝国の元になったのだ.

 
マケドニアの扱いがあまりにも簡単でびっくりする.アレクサンダー大帝国がいかにして生まれたのかはもっと掘り下げるべきだろう.確かにマケドニアはメタエスニック断層線で興隆したが,辺境の強国から大帝国にいたる道においてはガリア人の脅威はあまり影響を与えていないのではないだろうか.そこではアレクサンダーの個人的な才能,野心も大きな要因ではないだろうか.アレクサンダーの軍の強さがアサビーヤだけで説明できるとするのなら,ペルシア帝国やインドとの戦いでアレクサンダー軍(各地の部隊の混成だったはずだ)にどの程度のアサビーヤがあったのかもう少し丁寧にみるべきだろう.
あるいは帝国は短命に終わったので,見る必要はないということかもしれないが,短命に終わった理由はアテナイ帝国の崩壊のような理由ではないだろう.アレクサンダーは包摂的な政策を明らかに採っていたし,彼が短命に終わらず,よき後継者を得ていれば,長期間大帝国として花開いた可能性もあるのではないだろうか.
 

  • 私たちは紀元前1千年紀から紀元後1千年紀のヨーロッパの帝国を見てきた.それぞれの例でメタエスニック断層理論の予測が裏付けられた.世界の帝国は文明の衝突線上で興隆する.ではそれは紀元後2千年忌の世界でも当てはまるのか.次章でそれを見ていこう.

 
というわけですべてメタエスニック断層線で説明できるとするターチンの主張はかなり我田引水的だ.
私の印象では,強国が興隆するには別にメタエスニック断層が必須ではなく,要するに紛争多発・弱肉強食の戦国的な環境があればよいということではないのだろうか.
日本の戦国時代も最終的にはより効率的な軍隊を組織できる戦国大名が各地で成長し,いち早く成長した織田,豊臣,徳川が最後の勝者として日本統一している.その成長具合には経済や技術の要因が大きく,織田軍のアサビーヤが特に高かったわけではないだろう.確かに日本にはどこにもメタエスニック辺境はなかったので,反証となるわけでもないが,軍隊の強さがアサビーヤだけで決まるとするのは無理があるのではないかという印象は禁じえない.

War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その38

 
ターチンによるローマ帝国の興隆.辺境とメタエスニック断層線という外部要因を見たあと,ローマ時代のテキストから内部要因を検討する.そして古代ローマの価値観「父祖の慣行」を吟味し,それがアサビーヤにつながったと主張した.最後に古代ギリシアとの差(なぜアテナイやスパルタは帝国にならなかったのか)が取り扱われている.
 

第6章 オオカミに生まれつく:ローマの起源 その8

 

  • ローマ帝国の興隆には2つの要因で説明できる.1つはここまで見てきた内部的団結,アサビーヤだ.そしてもう1つはその注目すべきオープンさだ.ローマは外部勢力を,それが直前まで戦っていた相手であっても,極めてオープンに受け入れた.このオープンさがなければ帝国は成長できない.
  • 確かに理論的には征服地を植民地化した上でジェノサイドや民族浄化を行うという代替手段もある.そして多くの帝国はある程度はこの方法も取り入れている.しかし成功した帝国はみな(自民族の生物学的増殖に頼らず)主に文化的同化を採用している.そしてこれがローマやマケドニア(アレクサンダー帝国)と,アテナイやスパルタの違いを説明する.

 

  • スパルタは非常に高い内部的な団結を持っていた.古代ギリシアの都市の中で初期ローマに最も似ていたのはスパルタだ.威厳ある振るまい,贅沢に対する嫌悪,そして国家に対する自己犠牲的奉仕の精神は初期ローマと同じだ.ペルシア戦争時のテルモピュライの300人の犠牲がそれをよく示している.あるいはスパルタの方がアサビーヤは高かったかもしれない.(スパルタの厳しい戦士育成システムが説明されている)スパルタは軍隊キャンプのようなもので,個人の幸福追求はどこにもなかった.その軍隊はギリシア世界最強で紀元前800年から371年まで敗北したことはない.
  • スパルタはどのようにしてそうなったのか.紀元前8世紀のスパルタ(当時ペロポネソス半島南部のラコニアを版図としていた)は他のギシリア都市と対して違わなかった.転換点は隣接するメッセニアを征服した時だった.スパルタはメッセニア人を奴隷(へロット)とし,自らは支配階級かつ戦士となり,ヘロットたちに土地を耕作させることにした.続く数世紀ヘロットたちはしばしば反乱を起こした.スパルタは鎮圧のために軍隊を強くすることに注力し,兵を厳しく訓練し,反乱を抑え込んだ.しかし紀元前371年についにスパルタが敗北するとメッセニア人はスパルタから抜け,スパルタの都市としての重要性はなくなった.
  • スパルタのメッセニアの処置はローマとは対照的だ.ローマは紀元前338年のラテン戦争後,すべてのラテンコミュニティを受け入れた.紀元前4世紀の終わりにはカンパニアを併合し,カンパニア貴族層をローマの支配層の一部に受け入れた.受け入れの態様にはいろいろあったがローマは被征服民を受け入れ続けた.
  • ただしローマのオープンさには限界もあった.それはメタエスニック断層を超えなかったのだ.「ローマらしさ」にはラテン,カンパニア,エトルリア,ギリシアが取り込まれたが,ガリアはそういう扱いを受けなかった.ガリアが受け入れられるようになったのは,(カエサルによる)トランサルピーナガリアの征服後,彼等がローマ文化やラテン語を受け入れるようになってから,そしてさらに野蛮なゲルマンが前面に現れてからだ.重要なことはすべての民族差は相対的だということだ.
  • スパルタはメッセニア人を奴隷にすべき民族だと考えた.それはスパルタがメタエスニック断層に接していなかったからだ.スパルタ人とメッセニア人はともにギリシア人であり,差はローマ(ラテン)とタレント(ギリシア)の差に比べて極くわずかだった.しかし断層の向こうの「あいつら」がいなかったせいで,スパルタはメッセニアを「われわれ」とみることはできなかった.ヘロットとの緊張関係はスパルタを強くし,しかし究極的にはスパルタ版図内の団結を得られず,その衰亡の原因になった.スパルタはその軍事的強さにもかかわらず,その版図をギリシア全体に広げることはできなかった.

 
ターチンはスパルタとの比較をしながら,ローマ帝国の興隆についてアサビーヤとオープンさを上げ,そのどちらもメタエスニック断層に沿っていたからだと説明していることになる.
しかしスパルタとの違いをこれで全部うまく説明できているようには思えない.そもそもスパルタがメタエスニック断層に沿っていなかったのなら,なぜそもそも強国になれたのか.それがヘロットとの緊張によるものだとするなら,最初の強国の興隆は断層なしでもいいことになるのではないか.要するに紛争多発地帯にいれば強国は生まれるということでいいのではないかと思える.
そしてメタエスニック断層に沿っていなかったからメッセニア人を「われわれ」として受けれいることがなかったとする.確かに最初はそうだったかもしれない.しかしペルシア戦争を経たあとでも受け入れられなかったのはなぜなのか(確かにペルシアは文明世界に属し,そこに文明対野蛮のメタエスニック断層はないが,「われわれ」と「あいつら」を作るには十分だろう.そしてターチンは民族差は相対的だといっているではないか)は説明されるべき問題だろう.それは社会システムの慣性ということなのかもしれないが,何らかの説明はしておくべきではないだろうか.
 
スパルタの社会システムは確かにすさまじい.古代ギリシアの本は多いが,実はスパルタに特化したものは少ない.私が読んだのはこれだ.
 

 
テルモピュライの300人は有名な逸話だ.映画にもなっている.
 

 

書評 「人を動かすルールをつくる」

 
本書はヒトがルールに対してどのように反応して行動するかという行動科学的視点にたって法(特に立法政策)を考える試み*1についての一般向けの解説書だ.著者のロイとファインはともに法学者で法と行動科学,法と行動の相互作用を専門としている*2
法,特に刑事法は人々の行動を変えようとするものでもあり,うまく人々の行動を変えるには,ヒトがルールに対してどのように反応するかは重要な論点のはずだが,実際に法を作っている人々はそのような行動科学のトレーニングは受けていないし,非常に単純な前提しかおいていない.著者たちはそういう立法実務は非効率でり,行動科学を取り入れた法のデザインが重要だと主張している.行動経済学とちょっと似た視点にたっていて,興味深い.原題は「The Behavioral Code: The Hidden Ways the Law Makes Us Better ... or Worse」
 

第1章 ふたつのコードの物語

 
冒頭で法律やルールにどう書かれているかと,それに対して人々がどう行動するかは別のコードだ(本書では前者を法律コード,後者を行動コードと呼ぶ)と指摘される.そして行動コードの理解の重要性が主張される.

  • 法律を定めて(変えて)社会を良いものにしようとするなら,行動コードを理解しなければならない.ここ40年で行動科学は大いに進展し,ヒトがどのように行動し,なぜ不正を行うかについては理解が深まった.しかしこれらの科学は法実務には生かされていない.
  • 行動主義革命は経済学や倫理学の分野を根本から揺さぶったがロースクールではほぼ無視されている.立法の実務家は(社会科学や行動科学を必修として学ばないので)ヒトの行動について直感に頼っているが,その多くは間違っている.立法に至る政治的プロセスは世論の影響を受けるが,一般の人々も行動コードを理解してはいないのだ.

 

第2章 処罰への誤解

 
著者による整理では行動コードは動機にかかるものと状況にかかるものに大きく分かれる.第2章から第6章では行動コードの動機付けにかかる要素が個別に取り上げられる(第7章と第8章で状況にかかる要素が取り扱われる).まず最初は罰の効果だ.

  • 多くの人は,罰を与えれば行動が改善され,ルールを破らなくなるだろうと考えている(処罰直感).政治家は犯罪に対してしばしば厳罰化を主張し(実例として大手金融機関の犯罪に対して法人への罰金だけでなく会社役員に実刑を課すべきだと主張した上院議員エリザベス・ウォーレンの例が挙げられている),一般大衆も支持する.
  • では,罰を与えれば本当に行動が改善されて犯罪が減るのだろうか.(後のナポレオン法典に影響を与えた)18世紀の思想家チェーザレ・ベッカリーアは拷問と死刑の廃止を訴えると同時に刑罰の中心的な機能は犯罪の抑止だと主張した.そして処罰の厳しさ,確実性,即効性が抑止の3つの核心要素だとした.

 
<厳罰>

  • 厳罰に処された犯罪者はその後犯罪を控えるようになるだろうというのは個別的抑止と呼ばれる考え方だ.しかし厳罰が再犯に対して抑止効果を持つとする確固たる証拠はない.(様々なデータとその解釈が提示されている)基本的に拘禁が個別的抑止として機能している証拠は見つからない.一部のデータは拘禁が再犯確率を高めること(処罰の犯罪誘導効果)さえ示唆している.ただし統計的に各種要因を完全にコントロールした調査は難しいという問題はある.
  • 既往の犯罪に厳罰を課すことにより,潜在的犯罪者に犯罪行動を控えさせる効果があるという考え方は一般的抑止と呼ばれる.ベッカリーアはこれが刑罰の核心要素だとした.これを検証するのは容易ではない(交絡変数が多い上に原因と結果が区別しにくい)が,社会科学者は何十年にも渡って分析してきた.
  • 抑止を狙ったもっともわかりやすい例はカリフォルニアなどで実施された三振法*3だ.しかしこの効果についての多くのリサーチは三振法にほとんど抑止効果がないことを報告している.一部のリサーチは三振法が暴力犯罪を増加させている可能性を示唆している*4.ただし抑止効果を認めているリサーチもある(その場合でも費用対効果は酷く悪い).
  • 死刑については抑止効果ありとするリサーチが出され,その後その欠点が指摘されるという騒ぎが2回繰り返された(詳細の説明がある).現時点では死刑が殺人率に影響するのかどうかについて有益な情報はないという結論になっている.
  • 結局厳罰化が犯罪行為を抑止するかどうかについて現時点では決定的な証拠はないという状況だ.これは行動コードがいかに複雑かを示す例でもある.

 
<確実性>

  • 厳罰とは異なり,処罰の確実性が犯罪の抑止に効果があることは複数の研究により確認されている.この効果には閾値があることもわかっており,逮捕率が30%を上回ると抑止効果が出始める.
  • 犯罪を減らすには犯罪多発地域「ホットスポット」に警官を集中的に配置することが効果的だ.ただしそれが人種的偏見によるものだと思われれば法制度への信頼が崩れるので注意が必要だ.
  • 犯罪者は処罰される確率を減らすために工夫を凝らす.資金を持つ企業の場合にはこれは深刻な問題になる(規制逃れを行うためのアプリまで開発したウーバーの実例が紹介されている)
  • この抑止効果は犯罪者の主観によるものなので,処罰リスクが過小評価されていると効果が下がる.どのような処罰が規定され,どう執行されているかを伝えることが重要になる.

 
<科学的アプローチへの障害>

  • 1990年代にアメリカのいくつかの都市で実施された犯罪減少への科学的アプローチ(厳罰化をやめ,処罰の確実性,迅速性,その啓蒙に注力するもの)は効果を上げた.
  • しかし導入は難航した.特に問題なのは政治家や市民の反応だ.このアプローチは直感的に犯罪に対して弱腰で効果がないと感じられるのだ.厳罰は道徳的直感に整合的で効果があると感じられてしまう.これを克服しないと科学は有効に活用されない.

 

第3章 必要なのはアメ,ムチ,それとも象?

 
第3章で取り上げられるのは処罰以外のインセンティブだ.
冒頭では人々の行動を変えるにはインセンティブが重要であることがいくつかの逸話とともに*5指摘されている.

  • 不法行為責任法は実際に損害行動の減少につながるのか*6.はっきりとつながると示されたリサーチはない*7.おそらく刑事法と同じ問題(賠償責任の確実性,その認識など)があるのだろう.
  • では遵法行為に報償を与えるのはどうか.成功例*8はあるが,不用意な外的報酬は内発的動機付けを減退させることがあるという欠点も指摘されている.
  • 報酬についての実証リサーチは少ないが,税務コンプライアンスについてのものがある.そこでは影響は複雑であることが示されている*9
  • インセンティブの効果を予測するのは難しいのだ.ルール設定においては具体的な実証分析が欠かせないだろう.
  • またヒトは常に合理的経済的に反応するわけではない(様々な認知バイアスの例が示されている).ヒトはしばしば直感的なヒューリスティックに従う(ハイトはこれを象と呼んでいる),法を定める時には象への対処法を知っておくべきなのだ.(ヒューリスティックの様々な実例が示されている)行動経済学の示す知見は興味深いが,再現性に問題のあるものも混じっていることがわかってきた.
  • 要するに状況は複雑で,罰のほとんどはうまく働かないし,アメの効果は複雑ではっきりしないのだ.行動コードは単純ではない.ヒトの意思決定がどのように進行するかを徹底的に学び,法においてインセンティブがどう意味を持つのかを考え直さなくてはならない.

 

第4章 道徳的側面

 
第4章では道徳(個人の価値観)が取り上げられる.冒頭では,ながらスマホ運転規制に関する例が取り上げられている.やめさせるために「法律違反だ,罰金がある」と説得するよりも,「非常に危険であり歩行者の生命にかかわるのだ」と説得する方が効果的だ.それはそこに道徳の要素があるからだ.

  • シカゴの大規模調査で,交通違反やゴミの不法投棄などの違法行為に何が影響しているかを調べた.処罰への不安はあまり影響がなく,最も強い予測変数は「法が自らの価値観に合致しているかどうか」だった.
  • 法は人々の道徳観念を利用できるはずなのに,たびたびそれに失敗する.うまく利用するには道徳や倫理についてのリサーチ結果を理解すべきだ.(コールバーグの道徳発達論,道徳的唖然(moral dumbfounding)の発見とハイトによる道徳の二重過程の議論が紹介されている)つまり道徳推論の発達段階や道徳的直感の存在を踏まえる方が効果的だ.
  • 行動倫理学は善良な人が悪いと知りながら反倫理的行動を行う理由を解明する(道徳の二重過程理論を踏まえた)新しい学問分野だ.これまでシステム1(道徳的直感)が働いている場合には(潜在意識が働いたり自己欺瞞が生じやすく)反倫理的行動をとりやすいことが示されている.なおそれがどのように選ばれるのかのメカニズムは非常に複雑で解明は途上にある.それでもシステム2(熟慮)が働きやすくなるような介入により状況が改善される可能性が示唆されているといえる.
  • いくつかわかっていることとしては,ヒトは自分は誘惑に抵抗できると考える傾向にあること,道徳的ジレンマに直面すると倫理よりも快楽主義的に傾きやすいこと,ポットのゆでガエルのような反倫理行動の増大プロセスがあること,罪悪感を克服するために自己正当化の「中和」や「道徳不活性化」が生じることなどだ.中和や道徳不活性化に対しては「修復的司法(犯罪者と被害者に向き合わせる手法を取り込むもの)」が提唱されている.
  • 一部の犯罪者は極悪な行動を繰り返す.これは中和や道徳不活性化では説明しきれない.これに対して,善人とは根本的に異なる悪人がいるのだとか,悪人は道徳的に極端に未発達な人なのだと考える人は多い(ただし道徳的理由付けレベルと犯罪タイプに関係性は見いだせていない).パーソナリティ研究からはダークトライアド(ナルシシズム,サイコパス,マキャヴェリズム)概念が提唱されている.一部のパーソナリティ障害者は犯罪を犯すリスクが高いことも報告されている.発達心理学からは幼少期の冷淡で非共感的な特性(CU特性)の要因が指摘されている.
  • これらをどう解釈すべきかは難しい.データは複雑で,特定の人が犯罪を犯す確率について信頼できる予測を行えるわけではない.パーソナリティの理解も(正確な判断を行うには)不十分だ.介入によってこれらの特質を変化させることが可能であることを示す証拠もある.
  • 法と道徳規範について社会科学から得られる教訓は以下のようになるだろう.(1)ヒトの行動に影響を与えたければ道徳を無視すべきではない.(2)法が効果を上げるのは道徳と整合的である時だ.そしてヒトが実際にルールに違反する前後には道徳性を正しく評価できないことがあることは認識しなければならない.(3)極く一部の人は善悪の判断や特性が酷く歪んでいて法によりそれを改めさせることは難しい.しかしそのような人は本当に極く一部であること,(法をふくめた)介入が効果を発揮する可能性があることは認識しておくべきだ.

 

第5章 市民的服従

 
第5章では「市民的服従(人々が法には従うべきだと感じていること)」が取り上げられる.これは法に従うという規範意識ということになるだろうか.冒頭ではガンジーの不服従運動が紹介され,市民的不服従が生じるのは法が賢明ではないことを示す炭坑のカナリアのようなものだと指摘されている.

  • 著者によるリサーチによると,法に従うことへの義務感は,その国の政治体制では説明できず(アメリカと中国で差がない),特定の個人的特徴(パーソナリティ,政治姿勢,道徳的関心,親の傾向*10など)によってよく説明できることがわかった.
  • 個人の発達段階では,幼少期には法やルールは何かを禁止するもので,処罰への恐れから守ろうとするが,長じるに従い,処罰を恐れるためではなく法に従うのは義務だと考えるようになる.
  • 手続き的公正は,司法制度の公平性や正当性への見解にとって重要だ.そして公平性や正当性ヘの見解は法に従うことへの義務感に大きく影響する.これらについてのリサーチの多くは相関関係に基づいているが,中には実証的に因果を明らかにしているものもある*11.手続き的公正は市民的服従の前提条件だといえる.(手続き的不公正が蔓延し,警察や司法への不信感が増し,犯罪が多発した実例,いったん不信感を持たれた警察活動を改善しようとした試みの実例が紹介されている.そこでは手続き的不公正が改善された後には司法機関そのものへの信頼を取り戻す試みも必要なこと,その際には真摯な謝罪が重要であることが指摘されている)

 

第6章 群れに従う

 
第6章で取り上げられるのは社会規範だ.冒頭ではイスラエルの託児所でお迎えの遅刻に罰金を設定したらかえって遅刻が増え,罰金を廃止しても元に戻らなかったという有名な事例(罰金により,「遅刻は良くないことだ」という規範意識から「追加費用を払えば遅刻が許される」という規範意識に変わったためと説明される),省エネを呼びかけるメッセージにおいては社会規範的な文言が有効だという実験結果などが紹介されている.

  • 行動を変化させる上で社会規範は大きな力を発揮する.法がこれを利用できれば違法行為を減少させる効果は大きく改善される.(いくつかの実例*12が紹介されている)
  • 社会規範はしばしば気づかれなかったり誤解されている(自分はきちんと納税するが他の人は機会があれば脱税すると信じているなど).だからすでに存在している社会規範を利用するには,多くの人がルールに従っている点を強調するのが効果的だ.
  • すでに存在している社会規範の扱いには注意しなければならない.良い行動を支えている社会規範があるなら変に手を加えない方がいい(イスラエルの託児所の失敗の例).
  • メッセージの発信源の信頼性も重要だ.メッセージの受け手が一体感のある集団やコミュニティのメンバーの場合は効果が高くなる.メッセージの内容の(記述的なメッセージと命令のような規範的メッセージの組み合わせが効果が高い)にも注意を払うべきだ.(失敗例がいくつか紹介されている*13
  • ヒトは社会規範や他人の行動に反応する.このことは現在の法制度の元になっている個人の合理的な選択モデルとは異なる視点を持つ必要を示している.社会規範を利用するなら人々がどのように興隆し,習慣や価値観や社会規範をどのように共有するのかを理解する必要がある.

 

第7章 変化を知らしめる

 
第7章と第8章では行動コードの状況にかかる要素が取り扱われる.
第7章は,「法律を守ることができるようになっているか」という状況についての介入がテーマだ.ここでは法を知っていること,認知的能力,社会経済的条件が取り上げられている.
 
<法の周知>
最初に取り上げられるのは「ルールの周知」だ.冒頭ではテニス選手のシャラポアが禁止薬物のリスト変更を知らないまま10年間使っていた薬を使い続けドーピングテストに引っかかり,記者会見で率直に謝罪した経緯が語られている.

  • 法により社会を改善しようと思うなら,社会規範や道徳を考える前にまず法を周知させることが重要だ.法の不知は法律のあらゆる側面に現れる.刑法の基本的な事柄や家族法さえあまり知られていない.法律体系は膨大で複雑でありその内容を理解するためには専門家の助けを借りるしかないものになっている.
  • 同じ問題は組織や企業の独自のルール体系についても当てはまる.独自ルールはしばしば管理者の免責のための体系になりがちで,何か問題が起こるために取り繕うための条項が付加され,複雑で膨大でわかりにくいものになる.
  • 将来の行動を法やルールにより改善させようと思うなら,問題が生じるたびに条項を付加するアプローチの限界を認識すべきだ.できるだけ複雑さを回避し,明確でシンプルなものにし,ルールの周知と啓蒙のためにもエネルギーを注ぐべきだ.

 
<法を守る能力>
次に取り上げられているのは「法律を守る能力の改善」だ.

  • 犯罪と自制心の欠如に強い相関があることが多くの実証研究から明らかになっている.自制心を強めるための介入に犯罪を減少させる効果があることも実証研究から明らかになっている(カナダのSNAPプログラム*14や服役囚に子犬の訓練をさせるプログラム*15が紹介されている).
  • 別の法を守る能力に関連する犯罪要因に薬物乱用や依存性障害がある.これもソーシャルスキル,問題解決能力,ストレス管理などに注目する治療プログラムが再犯率の減少に効果があることがいくつかのリサーチで明らかになっている.

 
<社会経済的条件>
続いて「社会経済的条件ヘの介入」が取り上げられている.

  • 多くの州で雇用者には犯罪歴による雇用差別が認められている.犯罪歴を理由に入学を許可しない大学も多い.これは服役者の社会復帰を困難にし再犯の要因になっている.犯罪歴による差別の解消を目指すのには重要な根拠があるのだ.
  • また貧困,教育の欠如,住居へのアクセス不全などの社会経済条件も犯罪要因になる.これらが犯罪要因になることについてアグニューは一般的緊張理論を提唱している.この理論は複雑なので理論全体の実証は難しいが,その核心的部分(一部の人は社会経済的ストレスに対して犯罪という形で対処すると考える)である緊張とネガティブな感情と犯罪の間の関連性には実証的な根拠がある.アグニューはペアレントトレーニングやいじめ対策プログラムなどの介入政策を提言している.

 

第8章 テロリストに機会を与えない.

 
第8章では犯罪機会についての物理的,状況的な介入が検討される.冒頭では液体爆弾の可能性が発見されたことに対して航空機への液体の持ち込みが制限された事例が紹介されている.

  • アメリカの70年代の犯罪率増加は,社会経済要因が改善している中で生じた,コーエンとフェルソンはデータを細かく分析し,社会経済要因の改善により女性が職場や学校により進出し,家に誰もいない時間が増えたこと,家の中に高額でサイズの小さなもの(テレビなど)が増えたこと,が関連していることを明らかにし,「日常活動理論」を提唱した.この理論によれば価値のあるターゲットがきちんと防備されていることが犯罪リスクを抑えることになる.これは近時のオンライン犯罪(価値あるデータがきちんとセキュリティされているか)にも当てはまる.
  • このアプローチは有効だが,被害者が(防備を怠ったと)非難されやすいという問題がある.この問題に対してはクラークが提唱したターゲットの堅固性だけでなく,違法行為が発生した実際のコンテキストに注目する「状況的犯罪予防」というアプローチがより優れている*16.たとえば街路の明るさや建物の高さと構造が犯罪率に影響を与えるなら,建築物や都市計画をもっと広い目で見る必要があるのだ.クラークは状況的犯罪予防の戦略を25のタイプに分類している.
  • これらの犯罪の機会を減らそうとする介入には,新しい犯罪に置き換わるリスク,犯罪者が適応するリスク,犯罪の被害者に不平等が生じるリスク(犯罪機会が抑えられていないものに被害が集中する)があるので注意が必要だ.しかしこれらの転移効果についてのリサーチは,介入の25%程度で転移効果が生じるが,全体としての犯罪抑制効果の方がはるかに大きいこと(そして場合によってはポジティブなハロー効果があること)を示している.
  • これに関して問題になるのは「犯罪者を刑務所に収監しておくことが犯罪機会をなくす介入として有効か(拘禁に無力化効果があるか)」ということだ.多くの人はこれが有効だと感じているが,リサーチによるとその関係は明確ではない(様々な結果が報告されていて,全体としては判断できない).
  • 無力化効果があるという考えには「犯罪者の犯罪傾向は不変だ」という前提がある.しかしそれは一定ではない.年齢犯罪曲線が示すのは思春期を過ぎれば犯罪率は下がるということだ.また一部の犯罪者を拘禁すれば代わりの犯罪者が(機会を得て)現れるという代替効果もありうる.
  • また犯罪機会論のアプローチには市民的自由との相克があり,アメリカ国民はしばしばそのような制限を好まない(シートベルトを付けないと発進しないシステムを義務化するかどうかで生じた議論,銃乱射事件の頻発にもかかわらず銃規制に反対する大きな政治的勢力があることなどが説明されている).このアプローチは政治的,道徳的な側面があるのだ.だからこれを採用するなら最終的には政治がうまく調整する必要がある.

 

第9章 システムを食い物にする

 
第9章はこれまでの行動コードの解説を踏まえたうえで,企業や組織のコンプライアンスを議論する章になっている.冒頭はジーメンス社の組織的な大規模汚職事件が紹介されている.彼等は発覚後連邦裁判所にこの問題に対する徹底したコンプライアンスプログラムを提出し,それは司法省に高く評価され,<組織のための連邦量刑ガイドライン>にしたがって寛大な処分が勧告された.

  • 社会を改善するには組織の行動の問題解決も重要だ.問題を起こした会社を罰しようとするのはよくある対応だが,企業幹部や組織自体に厳罰を課せば犯罪が減少する決定的な証拠はない.
  • この点からみると,単に罰するのではなく,組織が自ら違法行為をしないように促すのには意味があるように思われる.連邦量刑ガイドラインは効果的なコンプライアンスと倫理プログラムを組織に採用させることを狙っている.プログラムを策定した組織は(違反行為が発覚し,その対策として策定した場合)量刑が軽くなり,立ち入り検査の負担を減らすことができる.
  • ではこのような取り組みには効果があるのだろうか.一連のリサーチの結果はまちまちだ.全体的には効果はあるようだが,それは非常に限られているように見える.時間とともに効果がなくなる,あるいは全く効果がないとする結果もあり,プログラムの効果に懐疑的な学者もいる.場合により事態を悪化させることがある(特に経営陣の倫理的コミットメントへの社員の信用が失われた場合*17など)という指摘もある.
  • コンプライアンスプログラムの要素の多く(倫理意識向上トレーニング,内部告発者保護の明文化,違反の報告の義務づけなど)は何の効果も発揮していないようだ.効果がありそうな要素には,苦情対応の方針の明文化,インセンティブより価値観に働きかける,社員に権限を付与した上で意見を反映させるなどがあるが,プログラムのどこに効果があったかを見極めるのは難しい.
  • 法が企業に要求する内容は曖昧で,企業は法に配慮しなければならないが同時にコストも抑えたいので,「象徴的な構造*18」を作り出すだけという対応をしがちになるのも問題だ.この場合プログラムは法に忠実そうな姿勢を見せる手段に成り下がり,中身は空っぽになる.
  • プログラムが効果を生むには特定の条件が必要であるようだ.独立した第三者による監視体制があり,経営幹部がコンプライアンスと倫理に深くコミットし,組織風土や文化も倫理的でなければならないのだ.要するにプログラムはそんなものが必要でない場所でしか効果を発揮しない.
  • 内部告発者条項は重要な戦略と位置づけられている.内部告発者は検査では見つけにくい情報を持っているからだ.しかし内部告発には多大なコストとリスク(保護条項があっても多くはトラブルメーカーのレッテルを貼られ,降格や解雇の憂き目に遭う)が伴う.つまり告発には利他的な使命感が必要になる.また告発によって事態が改善されるとは限らない.最初の報告先とされる上司には報告をブロックしてフィルターにかける権限が備わっている.複数のリサーチによると法の遵守へのコミットメントが組織内に存在しない限り内部告発システムは十分には機能しないようだ.
  • つまり組織全体の構造や価値観が問題になる.違法行為に対する組織文化を知るには組織の儀式,シンボル,習慣,価値観を文化人類学的に分析する必要がある(BP,フォルクスワーゲン,ウエルス・ファーゴの実例が説明されている).そのようなリサーチにより有毒な文化の7つの要素が指摘されている(リスクを無視して実行する,批判的な意見を言わない,ルールは違反してもよい,違反を隠してもよい,悪いのは社員で経営陣ではない,ダメージはなかったと言い張る,公式の方針やメッセージは建て前に過ぎない).これらは行動を悪い方向に誘導する.
  • 最も重要なのは組織がその文化に内在する有害要素を洗い出して認識し,問題解決に取り組むことだ.

 

第10章 行動法学

 
第10章ではこれまで説明してきたことからどのように法律をデザインすべきかがまとめられる.冒頭では2020年4月のコロナパンデミック危機初期の人々の行動改変と,5月以降の失速に置ける様々な状況が描かれている.

  • コロナ対策のコンプライアンスからは行動コードが1つのメカニズムによるわけではないことがわかる.おおまかにいうと行動コードには動機付けと状況という2つのメカニズムを持つ.
  • 動機付けにはインセンティブによる外発的動機付けと,価値観,道徳,義務感による内発的動機付けがある.状況にはルールに従う能力(知識や理解など)と違反する機会がある.望ましくない行動に法律で対処するなら,動機付けと状況を確認する必要があるのだ.
  • 次の6ステップからなる分析過程が有効だ.(1)望ましくない行動のバリエーション(一体何に対処するのか)の確認(2)行動がどのように機能しているか(機会)の確認(機会への介入だけで対処可能ならその方が望ましい)(3)行動を控えさせるために何が必要か(従う能力)の確認(これが満たされていないと動機付けには意味がないので改善方向への介入を検討する)(4)法制度や執行者が正当だと考えられているか(法に従う義務感)の確認(5)関連する道徳や社会規範の確認(法目的が道徳や社会規範に沿っているならそれを利用し,沿っていないならそこに注目が集まらないように注意する)(6)インセンティブの考慮(処罰の確実性,厳格性,人々の認識を考慮して罰や報酬を決める)
  • 19世紀初頭まで西洋医学はガレノスのバランス論に依拠してしばしば意味のない(場合によっては有害な)治療行為を行ってきた.しかしそれ以降科学的検証が取り入れられ,医学は科学的なものになった.21世紀初めの法学の世界は19世紀初頭の医学の状況と同じだ.法律(特に立法行為)も同じように科学的な洞察を取り入れるべきなのだ.私はここで3つの改革(法曹教育の改革,現実に即した法に関する行動科学の設立,法曹の意識改革)を提唱する.

 
以上が本書の内容になる.法はしばしば望ましくない行為に罰を規定して,これを抑止しようとする(法学において明示的な合理的経済人モデルで数理的に議論するようなことはあまりないと思うが,ある意味それよりももっと原始的に直感的なモデルに従っているとみなせるということだろう).しかしヒトが反応するインセンティブは罰だけではないし,(罰もふくめた)各種のインセンティブへの反応の仕方は状況依存で非常に複雑であり,効果を見定めるには具体的個別リサーチが必要なこと,そしてそもそもその前に状況をよく吟味して介入した方がよい場合も多いことが詳しく説かれている.第9章の企業や組織のコンプライアンスの問題点の指摘には深く頷ける部分が多い.
結局現時点では罰をふくめたインセンティブの効果がよくわかっていないことが多いこと,状況への介入が望ましいと示唆されているが,その一部はいかにも理想主義的でやはり現時点ではその効果がはっきりしないことなどいろいろすっきりしない部分もあるが,これから練り上げていく学問のスタートとしては十分興味深いと思う.コンシリエンスの一環として今後の発展を期待したい.
 
関連書籍
 
原書
 

*1:本書の副題「ルールを作る行動法学の冒険」ではこれは「行動法学」と呼称されている.「行動経済学」と並べると収まりがいい語だが,あまり一般的な用語ではないようだ

*2:ロイはコンプライアンスや企業文化,ファインは犯罪学と刑事司法により軸足があるようだ

*3:3度目の犯罪に対して懲役25年から終身刑という厳罰を規定するもの

*4:これはすでに2度犯罪を犯した前科者は,次の犯罪にいったん着手したあとでは何をしても同じ厳罰になるので,どのようなリスクをとってでも処罰を回避しようとすることによる効果だと説明されている

*5:レンガ製造業者の環境規制を守るためのインセンティブとして設定された補助金の効果の実例や,ブロガーに(合法的に)侮辱された億万長者が復讐のために,同じような仕打ちを受けた人に名誉棄損損害賠償の訴訟費用を負担すると申し出て,ついに巨額の賠償金を払わせた例などが紹介されている

*6:英米法では不法行為法はtort lawと呼ばれ,契約法とは異なる法理が集積されている.法目的に一般的抑止があるとされ,悪質な不法行為に実損害額を上回る懲罰的損害賠償が米国の多くの州で認められている(日本法を含む大陸法では実際に生じた損害の賠償責任のみというのが原則)

*7:自動車保険の保険料が事故の後上がる州と上がらない州での比較,医療ミスに伴う責任が緩和された州とそうでない州の比較などのリサーチが紹介されている

*8:リッチモンドのピースメーカーフェローシップ作戦の成功例が紹介されている

*9:性差があり,報酬の種類によっても効果が異なる.また効果が長続きしない可能性がある,報酬にはある程度の規模が必要で費用対効果が悪い場合もある

*10:親の法的義務感が強いと子供にもその傾向が現れる.本書ではそれは学習によると説明されているが,遺伝の影響も考えるべきだろう

*11:3種類の警官の取り締まり態度の動画を被験者に見せ,その後法への義務感をアンケート調査したもの,確定申告が遅れている納税者に3種類の督促状を送って効果を見たものなどが紹介されている

*12:飲酒運転をなくすために「モンタナではほとんどの人が友人や家族を大切にするために飲酒運転をしません」とメッセージに効果があった例などがあげられている

*13:アリゾナ州の珪化木の森の国立公園で珪化木の持ち出しをやめさせようして失敗した例が紹介されている.公園当局は悔い改めた盗難者から返還された珪化木を積み上げて「良心の山」と名付け,「一度に持ち出される珪化木は小さくても.それが積み重なり1年間で14トンも失われています」というメッセージを添えた.しかしこれは「みんな持ち出してるんだ,だから自分もやっていい」という規範意識を生じさせてしまったそうだ

*14:6〜12歳の少年少女に自制心を失うきっかけを自覚する方法を教え,その場合にはまず立ち止まり深呼吸し,悪い考えを現実的な考えに置き換える訓練などを行うプログラム

*15:子犬との触れ合いは服役囚の大きな喜びになり,トラブルを起こすと子犬と引き離されるので,自制心の訓練になるそうだ

*16:このわかりやすい例として,ヘルメットの着用義務の罰金化がオートバイ盗難を減少させた事例が挙げられている.罰金導入により皆がヘルメットを着用するようになったので,オートバイを盗難したあとノーヘルで乗っていると(そして盗む前にヘルメットだけ持ってうろうろしていると)警察に注目されてしまうことが犯罪減少につながったとされている.

*17:典型的なものはこのようなプログラムが最高幹部の保身のためにだけあると感じられた場合

*18:例えば「差別」が問題になるなら,差別問題担当者を置き,差別禁止規定を設定するだけなど