ピンカーのハーバード講義「合理性」 その4

ピンカーの講義,第7回は相関と因果,第8回は合理的選択理論とゲーム理論を扱う.

 

第7回 相関と因果

 
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講義前の音楽はビートルズの「Because」
 

  • (左からのボールが右のボールに当たってはじき飛ばす映像を提示して)ヒトの心はここに因果を見る.本日は相関とは,因果とは,どう区別できるのか,どう実践するのかを扱う.
相関とは何か
  • 相関とは2つの変数間の依存関係をいう.(分布図,相関係数の算出,回帰直線などを説明)
  • 相関係数が0でないことは因果を見る最初のステップになる.
  • しかし相関係数だけに頼ってはいけない.分布図をよく見るのが大切だ(同じ相関係数になる様々な特異的な分布図を提示).
  • これに関わるのがシンプソンのパラドクスだ.すべてr>0になるいくつかのサブセットの全体がr<0になることがあるのだ.

 

  • 平均への回帰も相関の性質から出てくる.これは因果ではなく単なる統計的な現象だ.r=1でない限り,極端な値をとるxが極端な値をとるyと組合せにはなるとは限らないから平均への回帰が生じるだけだ.
  • トヴェルスキーはヒトが平均への回帰に鈍感であることを見つけた.いい成績で褒め,悪い成績で叱るとする.褒めたり叱ったりしなくとも平均への回帰から次は中庸な成績になりがちだ.しかしヒトの心はこれを罰に効果があり,褒賞に効果が無いように勘違いする.
  • スポーツ分野の2年目のジンクス,スポーツイラストレイティッド表紙のジンクスも同じことだ.稀な事件や災害への緊急対策に効果があったように思われがちなのもこれだ.

 

因果とは何か
  • では因果とは何か.これには難しい問題がある.
  • ヒュームは第1定義として「何度も繰り返される相関の経験(恒常的連接)」を提示した.しかしニワトリが鳴くと太陽が昇る場合,これは因果とはいえない.このような定義では交絡も排除できない.
  • ヒュームの第2定義は「反事実的条件法」だ.もしある事象がなかったとしたら結果としての事象が起こらなかったかを考える.これで交絡は排除できる.
  • しかしこれにも問題がある.通常の出来事には多くの必要条件がある.火が生じるにはマッチを擦る,マッチが乾いている,酸素がある,強風が吹いていないことなどが必要だ .しかし我々は「マッチを擦る」以外を原因と表現しない.何か通常ではない状況のみを原因と認識するのだ.
  • また反事実的条件法は因果的先回り(causal preemption)(暗殺者Aの弾丸で大統領は死んだが,第2の暗殺者が準備していた.Aが失敗していても大統領は撃ち殺されていた.だからAの銃撃は大統領の死の原因ではない)を排除できない.
  • そしてよく似た重層的決定(overdetermination)(銃手8人で一斉に囚人に発砲し,囚人は死んだ.誰か1人が発砲しなくても囚人は死んだので,どの銃手の発砲も囚人の死の原因ではない)も排除できない.

 

  • 出来事は1つだけの原因を持つわけではないし,その要因の影響は確率的であり,その確率はしばしば条件付きだ.これはベイジアンネットワークで表すことができる.その要素にはチェーン,フォーク,コライダー(合流)がある.

  

相関から因果へどうやってたどりつくのか
  • このベイジアンネットワークは相関を示しているに過ぎない.ではここからどうやれば因果を見つけられるのか.
  • そのためには介入が必要だ.ある要因から上流の影響を遮断し,その要因を操作して影響を見る必要がある.これは反事実的条件法と関連する

 

  • 因果のもう1つのコンポーネントはメカニズムだ.ヒトの心はそのような「力」「気」の幻想を見てしまう.エーテル,フロギストン,ホメオパシーなどはその例だ.
  • しかし時にこれが真である場合がある.遺伝子,原子,大陸プレートなどは真であることがわかった例だ.

 

  • 世界は交絡であふれている.多くの要素が互いに影響を与え合っていて正の相関を持つネットワークになっていることは多い. 個人の収入,健康,知能,教育,親の年収,ライフスタイル,あるいは国別のGDP,教育,健康,平和,民主制などもそうだ.

 

  • 相関と因果を見分ける黄金律は介入だ.ランダム化したコントロール実験(RCT)で因果をつかむことができる. これは疫学や医療効果の分野で確立され,今や政策決定(ランダムにテスト地区を作って政策を導入し,比較する)や経済成長(途上国への開発援助分野など)に応用されつつある.
  • しかし限界もある.まずたった1つの要因だけを操作することは難しい.予期しない影響を別の要因に与えてしまうことは多いのだ.また実務的にできない,倫理的にすべきでないような介入も多い.

 

  • 運が良ければ,自然にランダム化できた場合の比較ができる.この講義コースが定員オーバーで抽選になったら,コース終了後にその影響を見ることができ,それは因果といえる.
  • また操作変数が見つけられることもある.例えば「FOXニュースが共和党への支持を増やすのか,それとも共和党支持者がFOXを見たがるのか」を知るにはどうすればいいか. この場合ケーブルテレビのチャンネルナンバーの大小(ナンバーが大きいと視聴率が下がる(視聴者がチャンネルの若い番号からサーチすることが多いため),この数字はケーブル会社によりランダムに散らばっていると見做すことができる)を操作変数として利用することができる.
  • もう1つの方法は原因と結果の時間的な順序を利用するものだ.x(t1)とy(t2),x(t2)とy(t1)の相関を比較することでこれを調べることができる(クロスラグドデザイン)  
  • 交絡を見るのに交絡要因候補との相関残差同士が相関しているかを見る方法もある.これを発展させると重回帰分析になる.

 

  • ヒトの心は単一因果誤謬のバイアスを持つ.遺伝か環境かを排他的と考えるのはその1つだ.2つの要因が絡む場合も絡み方はいろいろあるので注意が必要だ.

 
因果とは何かについてのピンカーの説明はややわかりにくい.反事実的条件法ではすべての必要条件事象が「原因」ということになる.それに対してマッチの例でヒトの心の認知が異なっているという問題がまず提示され,次に大統領暗殺や銃殺刑の因果的先回りや重層的決定の例が提示される.
因果的先回りや重層的決定の例は,マッチの例のような「ヒトの心が論理的に同等なものを区別してしまう」という認知の問題ではなく,「結果事象をどう捉えるか」という論理的な問題だ.Aが失敗していてもBが殺しただろうというのは「大統領の死」ということを「結果」としている.しかし結果をより細かく分析し,「ある特定時刻にある特定の角度から撃たれた弾丸によって死亡した」ことを結果としたなら因果的先回りは回避できる.重層的決定も同じだ.これらの例は反事実的条件法を用いる際に「結果」とはなにを指すかが非常に重要になることを示している(もう1つの反事実的条件法の問題は「ある事象がない」という条件の詳細をどう決めるかというところにある.これについてはピンカーはここでは議論していない).そしてこの2つの例が取り上げられるのは主に刑法の問題(暗殺者Aを殺人の既遂罪に問えなくてもいいのか?)で,これがヒトの処罰感情(これはヒトの認知の問題になる)と整合的に解決できるかどうかが問題になるからだ.
そして論理的には,ある原因事象と結果事象について厳密に定義できれば,必要条件かどうかを吟味でき,すべての必要条件は皆原因でありその影響は確率的だと考えるべきだということになるだろう.
 
ピンカーが「The Stuff of Thought」で紹介していたアメリカ刑法における因果の問題を扱った本を読んだことがあるが大変面白かった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20091110/1257860625
因果関係については第4章で扱われている.詳細はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20091003/1254566994

 
 

第8回 合理的選択理論とゲーム理論

 
第8回は実践的理性の規範的モデルの話になる. 講義前の音楽はクリス・アイザックの「Wicked Game」

  • 実践的理性の規範的モデルの中心になるのは「効用」の概念だ.効用は幸福と一致するとは限らないし,利己的利益やお金とも異なる.
  • ではどうやってそれを知るのか,それは顕示選好を通じて知ることができると考えられている.

 

合理的選択理論
  • 選択の一貫性はどのように得られるか.フォン・ノイマンはそれは期待効用最大化によるのだと考えた.人生のペイオフは確率的でギャンブルの連続だ.そこで期待効用最大となる選択肢を選べば良い.
  • これは当たり前のように思うかもしれないが,そう単純ではない.お金などの多くのものは限界効用逓減の法則に従う.するとある点からの利益は損失より効用が低くなる.これは損失回避傾向を正当化する. また同じく限界効用逓減は保険をかけることの正当化理由にもなる.これは心の安心とは別の説明であることに注意が必要だ.

 

  • 期待効用最大化戦略が正しいと結論づけるには合理性の公理が満たされている必要がある.公理には比較可能性(完備性),推移性,無関係選択肢との独立性などがある.
  • ではヒトはこの合理性の公理を満たしているのか.多分満たしていない.
  • 1つの要因は合理性の限界だ.情報は不完全かも知れないし,公理は計算能力や時間のコストを無視している.最低基準を満たす最初の選択肢を選ぶのはある意味合理的だ.
  • ヒトが公理を満たしていない実例は多い.その1つはタブーや神聖な価値が絡むものだ.ヒトはそのような価値とのトレードオフを考えること自体を嫌がる.多くの政策決定には命と税金のトレードオフが含まれる.政治はそれをうまく隠す技術でもある.そして個別の比較で焦点になる問題を変えてしまうことはよくあり,それは推移性を満たさない選好につながる.(民主党大統領選挙候補の好みについての実例の説明がなされる)
  • また無関係選択肢との独立性もしばしば反例が観察される.(有名なアレのパラドクスの賭けの選択肢の実例が提示される)

 

  • 何故ヒトは合理性公理を満たさない選択を行うのか.1つは先ほどの合理性の限界だ.2番目に神聖価値の問題がある.3番目にゲインとロスが同じ物差しで測れない場合がある.負けたら死ぬような場合がこれだ. 4番目は感情への配慮だ.先ほどのアレのパラドクスは後悔したくないという感情から生じている.5番目は主観的確率と数学的確率は同じではないことから生じる.ヒトが確実だとか不可能だとか感じる確率はp=1や0とは違うことがある

 

  • これを記述的モデルにしたのがトヴェルスキーとカーネマンのプロスペクト理論だ.
  • しかし期待効用最大化戦術が実際に有効に使われている場面もある.例えばマーケットのエキスパートはそう努めている

 

ゲーム理論
  • 効用が相手の選択に依存する場合はゲーム理論で分析できる.(じゃんけんを例にとり説明,ゼロサム,ノンゼロサム,支配戦略,ナッシュ均衡などの概念が解説される)

(ここからゲームを戦略的な側面から分類して説明がある.相手の手を読み相手の狙いを外すゲーム,相手と同じ手を選ぶコーディネーションゲーム,チキンゲーム,エスカレーションゲーム,囚人ジレンマゲームが解説される)

  • ゲーム理論の教訓は奥深い.多くの平衡や戦略は反直感的なのだ.相手の読みを外すゲームではランダム化が鍵になる.コーディネーションゲームでは共有知識やフォーカルポイントが重要になる. チキンゲームでは一見非合理的なコミットメントが有効で,ドルオークションのようなエスカレーションゲームではベタ降りや損切りが合理的になる. 囚人ジレンマでは合理的選択が悪い結果を生み,規制や罰が正当化される.ヒトの集合的不合理を理解するにはゲーム理論が重要だということだ.

 
最後のゲーム理論の奥深さについてのピンカーのコメントは興味深い.確かにゲーム理論の面白さの1つはその反直感的な解にあるのだろう.

よさこい生態学セミナー202005

yosakoiseminar.blogspot.com


高知大学の鈴木紀之さんが企画する「よさこい生態学セミナー」が今回オンライン公開されたので,参加させていただいた.
配偶ペアの成虫が互いの翅を食い合うという面白い現象がテーマ.なかなか1つの講演のために高知まで行くというのも難しいのでこういう企画は大変ありがたい.


生物初・オスとメスが互いを食べ合うクチキゴキブリ 大崎 遥花

 
何故ゴキブリなのかという導入*1が秀逸.そこからこの面白い現象についての説明がなされる.
 

翅の食い合い
  • リュウキュウクチキゴキブリは朽ち木の中でオスメスの両親が子育てするゴキブリ.育って成虫になったら分散し,オスメスが出合ってペアになり,交尾し,その後新しい朽ち木で両親による子育てをする.生涯モノガミー(これにより適応度はオスメスで一致すると考えられる),年1化,卵胎生,寿命は2〜3年(あるいはそれ以上)で同じペアが何年かに渡って子を作り子育てする.この最初の交尾直後に翅を互いに食べるという行動が観察される.
  • この食い合いは最初にどちらかが少し囓り,そのあと交代して囓りということを繰り返し,最終的に翅の大半を互いに食べ合う.
  • これにより飛翔能力は永久的に失われる.
  • この現象はごく普通.300例以上観察した中で1例を除き翅の食い合いがみられた.

 

  • 行動生態的には婚姻贈呈や性的共食いに似ている側面がある.
  • しかし,性的共食いはカマキリやクモにみられるが,身体の大きい性(通常メス)が小さい性を食べる.婚姻贈呈もコオロギなどでみられるがオスがメスに渡すのみ(一例だけメス→オスの報告例がある).双方向なのはゴキブリだけだ.
  • 先行研究も(論文になったものは)皆無.

 

  • 学部時代にこの現象自体を観察して記載,修士時には翅を先に切断したらどうなるかという実験を行い,現在翅をコーティングして食べられなくしたらどうなるかを調べている.

 

現象の観察
  • 採集フィールドは沖縄本島のやんばるの森.大変素晴らしいフィールドだ.そこで朽ち木を砕いてゴキブリを採集し,持ち帰り,九州大学で飼育している.この中でオスとメスとペアを作り,動画撮影する.
  • 観察は24ペア.うち12ペアで翅の食い合いが観察された.相手の羽を食べるだけでなく落ちている羽を食べる行動も観察された.
  • 交代しながら食い合うのだが,その中で食べられている方が相手に身体を傾ける行動,揺さぶる行動が観察された.
  • 傾け行動は翅を喰われることへの協力とみられる(喰われているときや,その前のグルーミングの時だけ見られる行動で,そのあとで喰う時間が長くなる.
  • 揺さぶり行動は,これにより相手の動作が中止されるので,喰われることへの拒否とみられる.適応度が一致している中での自分の状態を正直に知らせるコミュニケーションではないかと考えている.

 

食い合い現象の(究極因的)解釈と翅切り実験
  • 何故翅を食い合うのか.いくつか仮説を立て,翅を切ってからペアリングするという実験を行った.
  • 仮説1:配偶者選択の手法
  • 仮説2:交尾後を知らせるシグナル
  • 仮説3:交尾相手の確保(飛翔できなくする)

 

  • 翅を食い合いの結果と同じぐらい短く切ってペアリングさせた.オスのみ切断10ペア,メスのみ切断10ペア
  • その結果食い合い,交尾がともに大半の例で生じた
  • 短くても喰う.切断面がぎざぎざになる.短くても交尾もする.またシャーレから逃げだそうとすることもない.

 

  • この結果は3仮説とも棄却するものだ.
  • ではどう考えるべきか.ここでペアの適応度は(遺伝的な生涯モノガミーであると考えられるので)一致するのでなんらかの協力行動かもしれないと考えた.
  • 仮説4:翅を失うことに有利性があり,互いの協力行動として翅を食い合っている.有利性としては坑道の中では翅が無い方が動きやすい,衛生的にダニやカビなどが生じにくい,飛翔筋自己融解のキューになっているなどを考えている.
  • 仮説5:翅に栄養価があり,互いの協力行動として翅を食い合っている.ただし翅は軽いのでやや苦しいところがある.

 

  • 今後は性的対立がない場合のオスメスの行動という視点からさらにリサーチしていきたい.

 

Q&A

Q:翅を喰うと行動が変化するか
A:定量的にはみていないが,より狭いところに潜り込もうとするように感じられる

Q:同性間でも食い合いは起こるか
A:一緒にしても食い合いは起こらない.相手をそのシャーレから追い出そうとする.

Q:生涯モノガミーであることはどのように確認したのか
A:そうであるとされている.ただし遺伝的な検証はこれから.一本の朽ち木に1つがいというのが基本.

Q:食い合いが協力行動として邪魔な翅を取り除いているのだとすると,何故拒否行動があるのか
A:そこは考察が難しいところ.早く食い終わる方が双方に得なはずだからだ.今考えているのは,「そこじゃない」「重い,疲れた」などのコミュニケーションかもしれないということ.
 
Q:翅がコストだとして,食い合いによってなくすのではなく,シロアリのように自然に脱落できるように進化しなかったのは何故か
A:確かにシロアリはできる.考えているのは,ゴキブリの場合かなりしっかりした翅でカーブ面もあるので,切り取り線を作ると弱くなりすぎてデメリットになるのではないかということ.
 

コメンテイター 入谷亮介からのコメント
  • 翅の食い合いは協力行動,性的対立,異性間の協力などのテーマに絡む面白い現象だ.
  • 最初に提示された仮説,配偶者選択,交尾済みマーク,相手の確保はいずれも実験により否定されている.
  • それでこれは協力行動ではないかというのが発表の流れ.

 

  • 協力行動は利他的な側面があると進化しにくい.そこで(利他的な)協力が生じるための進化的な理論としては直接互恵,間接互恵,血縁淘汰(ネットワークや空間構造含む)がある,
  • このような理論は無性生殖生物にはきれいに当てはまるが,有性生殖種のオスメス間では性的対立があるのでより複雑になる.原理的には協力のためには両性間の対称性が重要になる.
  • 性的対立は遺伝子座内,遺伝子座間で生じ,交尾器の形や子育てを誰が行うべきかのコンフリクトとして現れる.そしてオスメスで繁殖成功の基準が異なることがポイントになる.
  • これに関連してはアーキヴィスト達の2005年の本,ピザーリ達の2014年の論文,粕谷さん達の「交尾行動の新しい理解」が参考になる.

 

  • さらなる方向
  • この現象に関しての感想としては,メスにはコストがなさそうだが,オスは飛翔能力がなくなると次の交尾機会が減るというコストが(潜在的には)あるのではないかというものがある.
  • 残された疑問としては,生涯モノガミーの起源,獲得経緯,メス1匹にオス2匹で飼うとどうなるか,翅の食い合いには細菌獲得のメリットはないのか,食い合いはオス,メスどちらから始めるのか,ゲノムインプリンティングが生じる可能性はないのか,などがある.

 

  • まとめ
  • この配偶ペア間での翅の食い合いは世界で唯一の現象であり,いろいろリサーチが難しい面もあるが,取り組みべき課題も多いだろう.多角的なアプローチによる取り組みを期待する.

 
 
このあとはクチキゴキブリ飼育室へのバックヤードツアーになり,飼育現場やゴキブリの様子,リサーチ現場でのあれこれなどが臨場感豊かにに紹介されていた.
 
 
 
ここで私の感想もまとめておこう

  • やはり世界で唯一という現象はとても興味深い.
  • 生涯モノガミーで朽ち木の中から動かないということで適応度が一致して協力行動が進化するというのは確かにそうかもしれないが,これまであまり議論されているような気がしないのは何故だろうか.それはおそらくなんらかの性的コンフリクトが普通はあるからだろう.(入谷さんのコメントもここに関連するように思う)
  • 関連すると何故交互に少しずつ囓るのかというのが気になる.これは雌雄同体生物の交尾に似ていて,なんらかの性的対立(片方が一度に全部囓ってしまうと損をする状況がある)を示唆しているように見える.一気に囓ると双方にとってなんらかのデメリットがあるということかもしれないが,なお調べる価値があるだろう.
  • これは結局朽ち木の中で分散せずに生涯を過ごすという生活史が大きな要素になっているのだろう.これに関してはハミルトンがナチュラリスト感満載の面白い論文を書いていた(どちらかというと局所配偶競争などが主眼だったが)のを思い出した.

 

  • オンラインセミナーに関しては,遠距離参加のメリットのほか「スライドが見やすい」「質問がしやすく,演者もいい質問をセレクトして答えることができる」などのメリットがあるように思う.また今回はバックヤードツアーがとても面白かった.さらにいろいろな企画が可能なようにも思う.

 

入谷さんが紹介していた書籍,論文.


Sexual Conflict (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

Sexual Conflict (MONOGRAPHS IN BEHAVIOR AND ECOLOGY)

  • 作者:Arnqvist, Goran
  • 発売日: 2005/07/25
  • メディア: ペーパーバック

 
www.researchgate.net

 
「交尾行動の新しい理解」についての私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160406/1459939162

交尾行動の新しい理解-理論と実証

交尾行動の新しい理解-理論と実証

  • 発売日: 2016/03/15
  • メディア: 単行本


なお樹皮の下の生物たちに関するハミルトンの論文「Evolution and diversity under bark」はこの自撰論文集に収められている.

私のこの論文集への書評はshorebird.hatenablog.com

*1:ここは大変面白い.中学の時の総合の時間で虫の研究やりたいといったら理科の先生が(冬だったので)マダガスカルオオゴキブリを買い与えてくれたのがきっかけだったそうだ.このあたりの経緯は演者によるブログに詳しい.https://h-fabre.hatenablog.com/entry/2020/05/09/231750

ピンカーのハーバード講義「合理性」 その3

ピンカーの講義,第5回はベイズ推論,第6回は統計的意思決定(その中でネイマン-ピアソン型の統計検定を取り上げている)を扱う.
 

第5回 「ベイズ推論(Bayesian reasoning)」

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ベイズ推論とは何か,なぜ難しいのか,なぜ重要か,どうすればヒトは良いベイズ推論ができるのかをあつかう. 講義前の音楽はクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「Green River」(この音楽とベイズの関連は難しい.クリーデンス Creedence が,ベイズ流の主観的確率を表す「確信度: degree of credence 」の credence に似た綴りだということか)
 
最初はベイズの定理の通常の形とオッズ比を使った形を説明.例題には稀な病気の診断問題(ベースレートが低い病気についての偽陽性率があるテストでの陽性結果の解釈)という(この講義の時点ではまだ大きな問題になっていなかったが)今日的に関心が集まるものが使われている.
 

なぜベイズ推論は難しいのか.
  • トヴェルスキーはヒトは代表性ヒューリスティックによってベースレート(事前確率)を無視するからだと指摘した.(法律家エンジニア問題,タクシーの色問題の実験結果が示される.)
  • ではこのことはなぜ重要なのか.それは例題の間違いが医療に与える影響を考えればわかる.無用なパニック,不要な手術につながるだろう.実際にアメリカの医者でこれがきちんとわかっているのは残念ながら2割程度にすぎない.
  • これは稀な事象を偽陽性率のあるテストで検出しようとしたときに普遍的に現れる問題になる.テロリストのプロファイリング,自殺リスクのテスト,嘘発見器による不正の検出などは皆この問題を抱える.

 

  • ヒュームはベイズ的なことを言っている:「奇跡があったという証言は,奇跡のありそうもなさと証言が嘘である可能性を秤にかけて考えるべきだ」.カール・セーガンはこのことを「途方もないことを主張するには途方もない証拠が必要だ」と表現している.(これはドーキンスが神の存在についての議論でもよく引き合いに出すところだ.)

 

  • このことは前回話した疫学や社会心理学の「再現性の危機」にも関連する.
  • 現在主流の検証の仕方(p値を使った頻度主義的な検証法)はベースレートを無視している.(予知能力論文を示し)このような物理学的にあり得ないような主張を5%ぎりぎりの有意水準で主張できるはずがないのだ.
  • 実際にこのような検証で主張され,再現できなかった知見は多い:暖かいマグを持つとフレンドリーになる,ペンを噛むとマンガがより面白く感じるようになる.嘘を書かせるとハンドソープを高評価し,嘘をしゃべらせるとマウスウォッシュを高評価するなど (ピンカーはここでコーヒーメーカー料金箱の「目の効果」も再現性がなかったとしているが,「目の効果」は再現性がかなりあるのではないだろうか,ちょっとよくわからないところだ)

 

  • ベイズ推論は予測において有用であることが明らかになっている.(テトロックの予測実験を紹介)多くの評論家達の予測は定義を明確にして時限を切る形(事象Aが3年以内に起こるかどうか)で行わせると偶然レベルでしかあたらない.しかしごく稀にチャンスレベルを超える予測屋(スーパー予測者)がいる.
  • 彼等の手法はベイズ的で,ベースレートをまず考え,そこから得られた証拠や事実の展開によって予測を修正していく.オープンマインドで物事は偶然によって決まることがあると考えているのだ. これはベイズ推論の有用性を示している.

 

ではヒトは常にベイズ推論をすべきなのか.
  • そうではない.そこにはモラルとタブーの問題があるのだ.
  • 知能や犯罪などの社会科学的変数を測定すると年齢,性別,人種,宗教でなんらかの差が得られる. ベイズ的にはこれらはあるカテゴリーのベースレートになる.ベイズ推論をするなら雇用判断,有罪判断などにおいて人種別や性別に異なる扱いをすべきことになる.
  • しかしそうすべきではない.それは偏見を助長するし,そういうことによる社会的な効用改善は個人が受ける不利益を埋め合わせると考えるべきでもないし,そもそも個人の行動予測はゴールではなく,自己実現的な効果を考えるとそれは避けるべきだからだ.
  • もちろん社会科学的変数でもベイズ的に扱うべき場合もある.ある職業において性差別があるかどうかを判断するときには,単純な性比0.5ではなく,その職業における性比(ベースレート)を考えるべきことになる.
  • また保険などではカテゴリーごとの扱いが不可避だ.自動車保険で年齢ごと,性別ごとに保険料が異なるのはこのためだ.(そうしないと保険制度自体がフリーライダーに蚕食されてなりたたなくなるという意味だろう)

 

どうやれば良いベイジアンになれるだろうか.
  • 1つはデバイアシングだ.これは別の講義で扱う.
  • もう1つは問題の提示方法を頻度的に変えることだ(進化心理学者ギゲレンツァーの主張が説明される) 最初の稀な病気のテストの問題も頻度的に提示されると多くの人が理解できる.面積グラフで表してもそうなる.これは一種の生態的合理性ということになる.

 
ベイズ推論はある程度信頼できるベースレートがある場合,とにかく実時間でなんらかの推測をしなければならない場合には非常に強力な手法になる.この辺については「異端の統計学ベイズ」が面白かった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20131228/1388183026

異端の統計学 ベイズ

異端の統計学 ベイズ

 
テトロックのスーパー予測者についてはこの本に詳しい

 
心理学の「再現性の危機」については心理学評論で特集された.私の当該記事についてのエントリーは
shorebird.hatenablog.com

 
 

第6回 「統計的意思決定あるいは信号検知理論」

 
演繹的推論と実践的推論の橋渡しが扱われる. 講義前の音楽はハリー・ジェイムズの「I’ve Heard That Song Before」
 

不完全な情報の中でどう意思決定すればいいのか
  • 不完全な情報の中で意思決定しなければならない状況は多い.CT検査の結果をもとに手術をするかどうか,証言と証拠に基づいて被告を有罪にするかどうか.一度会ったような気がする人にどう挨拶すべきかなど
  • データはランダムさを持つ変数と考えることができる.あるいは p(データ|世界の状況)は1ではないということだ.
  • ある標本集団について何かの程度を測定するとその結果はヒストグラムに表すことができる.標本数を大きくしていくとなだらかな分布になる.それは様々な形を描きうるが,正規分布になることが多い.
  • その理由は中心極限定理(どんな分布もそこからの標本平均の分布は正規分布になる)にある. また多くの小さな原因が小さな効果を与え合い,その効果が相加的である場合も正規分布に近くなる.

 

  • ここで冷戦中にレーダーによりソ連からの爆撃機を探知するというケースを考えよう.ビープの大きさでみると,ノイズの分布と爆撃機信号の分布はそれぞれ異なる平均を持つ正規分布を描くとする.
  • ここである大きさのビープが観測されたときにどう対応するかが問題になる.信号を正しく検知(正検知),ノイズなのに信号と見誤る(偽アラーム),信号なのにノイズと見誤る(ミス),ノイズをノイズと検知(正棄却)の4状態が生じうる.
  • ある水準以上を信号と見做すことにすると,そこには正検知と偽アラーム,ミスと正棄却の間にトレードオフがあることがわかる.
  • どの水準以上のビープを信号と決めるのかの基準に功利的基準を使うとすると,それは4つの場合のペイオフマトリクスを作って期待値を最大化する基準を選べばいいことになる.(ここで尤度比を使って最適基準を算出する方法が示される)
  • このペイオフにモラル的なものを使う場合もある.犯人でないものに冤罪を着せるコストは非常に高いと考えるのはその1つだ.そしてその評価も大きなテロ被害を防ぐため,(レイプ事件などで)女性の保護のために変えられるようなことも実際にある.

 

  • このトレードオフは不可避なのか.そうではない.ノイズと信号の平均の差が標準偏差の何倍になるかをd’(dプライム)というが,これを大きくすれば,トレードオフを小さくできる. 具体的には検知機器の性能を上げたり,繰り返し検査したりすることによって可能になる.
  • では我々の司法制度(陪審制)はどうなっているだろうか.アンケートによると市民が許容できる冤罪率は5%,許容できる真犯人が無罪になる率は8%だ.(この冤罪許容度の高さはちょっと衝撃的だ.アメリカのデータだろうが,日本ではどうなるのだろうか)
  • ここから要求されるd’を計算すると3.0になる. これは非常に高い数字で,まず間違いなく現在の司法制度はそこまで性能が良くない.(CTスキャンで脳損傷を調べるケースで2.4~2.9,マンモグラフィは1.3,天気予想は0.8~1.7,IQテスト的な適性試験が0.6~0.8だ) 実際には1.0あれば御の字だろう.もしそうなら有罪率が33%の時に冤罪が58%,真犯人無罪が12%いることになる.(有罪率が66%ならその逆になる)
  • ただし明らかに無罪なら公訴棄却されているし,明らかに有罪なら司法取引になっているだろう.それを勘案しても冤罪可能性の数字は大きい.司法制度の議論はこれを踏まえてなされるべきだ.

 

信号検知とネイマン-ピアソンの帰無仮説検定
  • ここでネイマン-ピアソン式の帰無仮説検定のスキームを見て見よう.これは帰無仮説がノイズ,代替仮説が信号としたときの信号検知モデルとパラレルになり,有意水準を示すpは偽信号を一定以下(よくあるのは5%)にしようとするものに過ぎないことが理解できる. このpはp(データ|仮説)の形をしておりベイズ的なp(仮説|データ)ではない.つまり仮説の確からしさを示すものではないのだ.

 

  • しかしこれはしばしば誤解されている.有意水準としてp<0.05をとった場合についての次の命題を考えてみよう.
  • (1)これは帰無仮説が正しい確率が5%未満であることを示す
  • (2)これは代替仮説が正しい確率が95%以上であることを示す
  • (3)帰無仮説を棄却する判断が間違いである確率は5%未満である
  • (4)再現実験をしたときに成功する確率が95%以上である
  • 「これらの中で正しいものはどれか」と尋ねられたときに心理学の教授の90%,統計を教えている教授の80%はどれかを選んでしまった.実はすべて間違いだ.
  • 設問についてどれかが正解であるような誤解があったとしてもこれは嘆かわしい.pはタイプIエラーのキャップに過ぎないのだ.

 

  • ある言語学者からこう聞かれたことがある.「結局有意水準検定を満たした仮説であってもそのうち1/20は間違いなのだろう.なぜ君たち心理学者はこれらの知見にそんなに確信を持っているのかね」
  • これに対しては,仮説の正しさは(ベイズ的に考えるべきで)事前確率(つまりそれまでの知識や経験)に依存するからだというのが答えになる.世の中に真理を決定できるアルゴリズムはないのだ.

 
この問題はピンカーの説明を聞いたあとで解くと正答できそうだが,油断しているときにとっさに問われてどれかが正解だと思い込むと結構間違えそうだ. 
なお結局ピンカーのこの講義ではフィッシャー流の統計検定は扱われない.フィッシャーファンの私としてはちょっと残念なところだ.ネイマン-ピアソンとベイズの関係については以下の本が面白かった.
 
三中信宏による統計学の講義ノートを本にしたもの.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180610/1528591977

 
科学哲学者エリオット・ソーバーによる統計学の「主義」についての解説.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130811/1376182928
科学と証拠―統計の哲学 入門―

科学と証拠―統計の哲学 入門―

 
統計学者たちの人間模様という視点から描く統計学説史本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060415/1145065110
 

ピンカーのハーバード講義「合理性」 その2

スティーヴン・ピンカーの合理性講義.イントロダクションが終わって第3回からは合理性の記述モデルになる.
 

第3回「論理と論理的思考」

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ここから6回にわたって合理性の規範的な記述が扱われる.今回は「演繹的推論」.講義開始前の音楽はアレサ・フランクリンの「Think」

  • 合理性の規範的なモデルには3つあり,演繹的推論,帰納的推論,実践的推論になる.
  • 演繹的推論の例は3段論法だ,「ソクラテスは人間だ.すべての人間はいつか死ぬ.だからソクラテスはいつか死ぬ.」これは一般から特殊へ,確実,真偽の2値という特徴がある.
  • 帰納的推論は「ソクラテスとプラトンとアリストテレスは人間だ.ソクラテスはいつか死ぬ.プラトンもいつか死ぬ.アリストテレスもいつか死ぬ.だから人間は皆いつか死ぬだろう」というものだ.特殊から一般へ,確率的,信頼度が連続的という特徴がある.
  • 実践的推論は意思決定理論とも呼ばれる.不確実性がある中でどのように目的を追求するかを考える.どの選択が期待効用を最大化するのかを考えるのが基本になる.
  • それぞれの規範的なモデルは,演繹的推論がフォーマルな論理(形式論理),帰納的推論が確率統計,実践的推論が合理的選択理論になる.

 

演繹的推論の規範モデル
  • 形式論理はある命題が真理かどうかをその他の命題の(内容ではなく)形式に基づいて推論するものだ.
  • (例1)誰かが35歳でアメリカ生まれなら,大統領かもしれない.ピートは35歳以上でアメリカ生まれだ.だからピートは大統領かもしれない.
  • (例2)もし足の不自由な子犬に縄跳びの縄を与え,そしてその子犬が葉巻を吸わないなら,子犬は「ありがとう」といわないだろう.あなたは子犬に縄跳びの縄を与えて,子犬は葉巻を吸わない.だから子犬は「ありがとう」とはいわないだろう.(ルイス・キャロルによる例)
  • 論理はフォーマル化できる.命題はp, q などの記号で表され,真か偽かの値をとる.そしてロジカルコネクターとしてand, or, not, if-thenがある.これは真理表を用いて表すことができる.(具体的にハーバードを舞台にした恋愛映画「ある愛の詩」の台詞「ハーバードに入学しているなら,君は金持ちが頭が良いかどちらかだね」を用いて説明がある.)

 

  • 形式論理はvalidな推論のルールを与えてくれる.:(例)p, p→q, q(modus ponens),¬q, p→q, ¬p(modus tollens),・・・・・

 

  • validな推論はsoundな推論と異なる.
  • validな推論とは前提が真かどうかを問題にせず,結論が成り立つかを考える:「ヒラリーが2016の選挙で勝てばケインが副大統領だになる.ヒラリーが2016の選挙で勝った.ケインは副大統領だ.」これは前提の1つが間違っているので結論が正しくないが,形式的にはvalidな推論になっている.
  • これに対してsoundな議論は真である前提から真である結論を求めるものだ.
  • validだがsoundではない推論からはよくある誤謬が生みだされる.
  • (例1)もし私たちが政府官僚機構の無駄と虚偽を一掃できれば,より低い税率,より高い公共サービス,そして財政均衡を達成できる.(Big ‘if’)
  • (例2)If wishes were horses, beggars might ride. (「願っただけで望みが叶うならどこにも貧乏人なんていないよ」という意味の英語の慣用句)
  • (例3)As di bubbe volt gehat beytsim volt zi gevain mayn zaidah. (「祖母にボールがあれば,彼女は祖父だ」というイデッシュ語の冗談)

 

  • もちろんinvalidな推論に基づく誤謬もある.:(例)q, p→q, p(後件肯定),¬p, p→q, ¬q(前件否定)
  • 後件肯定の例としては4枚カード問題に関する間違いがある.
  • 後件肯定の誤謬は実際によく観察される:「ヘロイン中毒者はマリファナから始める.だからマリファナをやるといずれヘロイン中毒になるぞ」「社会主義者は民主党を支持する.だから彼が民主党支持者なら社会主義者に違いない」
  • これはしばしばジョークのタネにもなる:診察室で「先生,私肝臓病だと思うんですけど」「しかし肝臓病は最初は無症状だからね」「でしょ,それこそ私の状態です」,タイムズスクエアで象の忌避剤を売っている男に「この辺のどこにも象なんかいないのにこんなものいるわけがない」「象いないでしょ,こいつは効くんです」

 

  • 合理性を改善するためには,議論をフォーマルな論理の形に再構築することが役に立つ.
  • すべての前提を書き出す,そしてそれが真かどうかを吟味する.
  • すべての論理包含(if then)を書き出す,そしてそれが妥当かどうかを吟味する.
  • 推論を進めるための前提や論理包含が欠けていないかをチェックする.(省略三段論法 enthymeme)
  • そしてそこにある前提と論理包含から結論が支持できるかどうかを決定する.
  • 練習問題として「ユニバーサルインカムを支持すべきだ」についての議論を吟味してみよう. (「賢人達は12年でアメリカの労働者の1/3は自動化により職を奪われると予測している.現在の政策はこれに対処できない.アメリカ人たちが収入の道を閉ざされると将来は暗い.付加価値税による月1000ドルのベーシックインカムはすべてのアメリカ人が自動化から利益を得られることを保障する.ベーシックインカムは職を探し,起業し,復学し,家族を支えることを可能にする.」について「賢人の予測が正しいとは限らない」「職を失うからといって収入が閉ざされるとは限らない」「ベーシックインカム以外のより良い政策があるかもしれない」などの突っ込みどころがあることが示される)

 

  • この形式論理はブール代数の形で表現できる.
  • 真→1,偽→0と置き,and, or, not, if-thenを四則計算の形にできる.(具体的に説明がある)
  • これにより論理はコンピュータに実装できる.

 

ライプニッツの夢
  • ライプニッツはこのフォーマルな論理を使えば論争はすべて計算で解決できるはずだと考えた(ライプニッツの夢)しかしそれは結局実現しなかった.なぜライプニッツの夢は実現しないのか.
  • (1)論理と実践の違い
  • 論理は用語の定義から演繹的に推論できる問題をあつかう:(すべての独身男は結婚していない).これに対して実践は用語の定義と演繹だけでなく外界の観察に基づく問題を扱う.:(すべての白鳥は白い)
  • これはアイデア間の関係性と事実の違い,分析と統合の違いでもある .
  • そしてこれは科学革命とラディカル合理主義の失敗とも関連する.
  • これをよく示す逸話をフランシス・ベーコンが書き残している.(ベーコンによる「15世紀に『馬には何本の歯があるか』という問題について人々は文献をあたるだけあたって2週間の論争をしたが決着がつかなかった,そして彼等は『馬の口を開けて観察しよう』と提案した人を悪魔の使いとして口汚くののしった」という(おそらく架空の)逸話を紹介している)

 

  • (2)生態的合理性とフォーマルな論理の違い.
  • 何故ヒトはうまく論理を使いこなせないのか.4枚カード問題を多くの人が間違うのは何故か.
  • (例)「ここに考古学者と生物学者とチェスプレーヤーがいる.考古学者の誰1人として生物学者ではない.すべての生物学者はチェスプレーヤーだ.ここからわかることは何か.」多くの人は「考古学者は誰1人チェスプレーヤーではない」と答えるがこれは間違いだ.正解は「少なくとも考古学者でないチェスプレーヤーが存在する」だ.
  • 何故これが難しいのか.

 

  • (a)まず使われる用語の意味が異なる.and や or も日常的には異なる意味で使われる.(例:They got married and had a baby. (順序の意味が加わる)The American flag is red, white, and blue. (3色すべてあることが必要)Your money or your life.(両方という意味がない) Boys will be boys. (最初のboysと2番目のboysでは意味が異なる))

 

  • (b)日常では形式ではなく内容が重視される.
  • 4枚カードと同じ論理形式の問題であっても内容によって誤謬しやすさは異なる .コスミデスは社会契約の形で提示するとヒトはうまく論理を使えることを示した.(コンテント効果:「20年以上務めると退職金がもらえる」;これを4枚カード形式にすると誤謬が減る.さらに従業員の視点に立つ場合(20年働いたのにもらえないのはおかしい)と経営者の視点に立つ場合(15年しか働いてないやつに払うのはおかしい)で誤謬しやすい形式が異なってくる)
  • これは生態的合理性(これまでに得た知識をすべて使う,個人の目的達成をめざす)と形式論理合理性(自分が知っていることはとりあえず置き,提示されている前提だけを考える.コンテントの違いを超えて推論の一般的ルールに従う.抽象的真理をめざす)の違いになる.
  • ピアジェは抽象的形式論理は認知の発達の最終段階で現れると指摘した.「すべてのものがプラスチックでできている世界を想像しよう.そこではオーブンはプラスチックからできているか」という問いに対して,この最終段階(7~11歳ぐらいから)に達していない子どもは「違うよ,だって溶けちゃうもん」と答える.これは生態的には合理的だが抽象論理としては間違っている.
  • 形式論理は西洋文明の教育の成果であり,そのような教育を受けていない人には仮定の上の論理的な問答が困難だ(ナイジェリアのカペレ族,20世紀初頭のロシアの農民での実例が解説される).これはIQのフリン効果を説明する.

 

  • (c)論理で用いる古典的概念(必要十分条件で定義されるもの,独身男は結婚していない男,偶数は2で割りきれる整数など)とヒトが通常用いるファミリー類似概念(ウィトゲンシュタインの「ゲーム」の例が説明される)が異なる.
  • ほとんどのヒトが用いる概念は必要条件と十分条件で定義されるようなものではなく,境界はファジーでプロトタイプを持つようなものになる.これはファジー論理に関連する.ファジー論理では真偽は2値ではなく,連続値をとる.
  • 「独身男」は「結婚していない男」として古典的概念定義ができそうだが,「ある女性と数年間同棲し,子どももいて幸せに暮らしているが,正式の結婚はしていない」とか「グリーンカード取得のために会ったこともない女性と書類上結婚した男」とか典型的な独身男と結婚している男の二分法には収まらないように感じられる事例は多い.
  • 多くの論争はこの両概念の混同による.
  • 「ピザはベジタブルか?(オバマ政権が学校給食にはベジタブルが含まれなければならないと規制した.冷凍ピザ業界がこれを逃れて学校給食に参入するために共和党にロビイングを仕掛けていることが背景)」「SUVはcarかtruckか?(truckの方が燃費規制が緩いために多くの自動車会社がSUVをtruckとして登録していることが背景)」「ビルとモニカは”セックス”したのか(クリントン大統領がルインスキー嬢とセックスはしていないと証言していることが背景)」「受精卵は”人”か」
  • 典型的な誤謬もこれに関連する.
  • 例:白か黒か二律背反誤謬(生命はいつ始まるのか.トランスジェンダー女性は女性か),滑りやすい坂誤謬(中絶を認めれば嬰児殺しもいつか合法になる),ヒープ誤謬(砂の山から1粒取りのぞいてもまだ砂の山だ・・・・)など
  • ヒトの思考は古典的カテゴリーとファミリー類似カテゴリーを行ったり来たりする.それはカテゴリーの中でレイティングするところに現れる.(例)にんじんはパセリより良い「野菜」カテゴリーの要素だ.7は447より良い奇数だ,など

 

  • ヒトはそもそも何故物事をカテゴリーに分けるのか.
  • メモリースペースの節約? ソートしてボックスに押し込む執着? しかしそういうことではなさそうだ.
  • それは既に見えている特徴から,見えていない特徴を推測するためだと思われる.(吠えていれば,それはイヌで,棒きれを追い,おしっこをするとき脚を上げるだろう)

 

  • では何故古典的概念がそもそもあるのか.
  • まず二律背反的な事柄も存在することがある.「妊娠」などがその例だ(しかし「結婚」は違う,これは社会的状態や法的状態が複雑に絡む).量子,電荷,染色体などもそうだ.法律やルールの適用においては二律背反的な要素が多くこれは重要になる.
  • 次に類似性を克服することが可能になるということがある.クジラは哺乳類であり,魚に似ていても魚ではない.また古典的カテゴリーと論理により連鎖式のような反直感的な推論が可能になる.
  • 偏見を克服するにも有用だ.「すべてのヒトは等しく作られている」これはクローンだということではなく,人間に対してはファミリー類似カテゴリー要素のようにレイティングするのではなく,平等に扱わなければならないということを言っている.
  • バイアスや誤謬から逃れられること,そしてシステム2の利用という理由もある.

 
最後の概念の性質のところは以前これについてのピンカーの自撰論文集で長大な論文「The Nature of Human Concepts: Evidence from an Unusual Source」を読んだところだったので興味深かった. 私の当該エントリーはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170306/1488797325

 
 

第4回 「確率とランダム性」

第4回は合理性の規範的モデルの2つ目の講義になる.確率的事象についての合理性の規範モデルがテーマだ.講義開始前の音楽はローリング・ストーンズの「Tumbling Dice」.
 

ランダム性
  • まずランダム性とは何か.それには2つある.
  • 1つ目は出力されたもののランダム性(情報をそれ以上圧縮できないことがランダムの定義になる).
  • もう1つはソースとしてのランダム性.これには真のランダムである量子力学的なランダム性と決定論的システムで事実上ランダム的な出力ができるものがある.
  • 後者には(非線形で小さな条件が大きな結果を生む)カオス系のものと,多くの小さな原因が小さな効果を持って結果に影響を与えるもの(サイコロやコインなど)がある.
  • この結果のランダム性とソースのランダム性を混同することはヒトの引き起こす誤謬の原因の1つになる.
  • 真にランダムなものが必ずしもランダムに見えるとは限らないという問題があり,それが「すべての事柄は何か理由があって生じる」という信念と結びつくと,ランダムな事象について何かそれ以外の要素を直感的に見いだしてしまうという誤謬につながる.

 

確率
  • 次に確率とは何か.これはランダム性を扱う合理性ということになる.
  • これには頻度的な解釈と主観的確率という解釈がある.後者は(不正確に)ベイジアン確率とよばれることがある.

(ここで確率計算の基礎,条件付き確率,独立性などが説明される)
 

  • 確率が絡む誤謬は多い.ここでは5種類の誤謬を紹介する.
  • (1)数え上げ誤謬:確率計算の分母「現象が生じる機会の数え上げ」は結構難しい.
  • 「ジョーンズ家には子どもが2人いる,少なくとも1人は女の子だ,両方とも女の子である確率は」 これを1/2と答えてしまう人は多い.生まれ順に娘息子,息子娘,娘娘という3つの場合があるとして計算しなければならない.すると確率は1/3であることがわかる.
  • 「帽子の中にカードが3枚入っている.表裏で,赤赤,赤白,白白だ.一枚取りだしたら片面が赤だった,裏が赤である確率は?」これも1/2と答えてしまう人が多い.しかし片面が赤であるというのは1枚目の表,1枚目の裏,2枚目の表という3通りがあり,うち2通りで裏が赤になる.だから正解は2/3だ.

 

  • (2)条件付き確率の誤謬:
  • ジョーク「飛行機テロに遭わないためには自分で爆弾を持ち込むとよい.なぜなら1機の飛行機に誰かによって爆弾が持ち込まれる確率が0.0001ならそれが2人だと0.0000001まで下がるからさ」 この場合問題になるのは,自分が爆弾を持ち込んだという条件付きの確率だ.これはやはり0.0001で変わらないことになる.
  • これはOJシンプソン*1の裁判でもあった.検察がOJが妻を殴っていたことを示したとき,弁護士は「妻を殴る男が妻を殺すようになる確率」は1/2500だと弁護した. しかし本当に知るべきなのは「ある夫に殴られていた妻が殺されたときにその夫が犯人である確率」だ.これは8/9になる.

 

  • 最もよく観察される条件付き確率の誤謬はP(A|B)とP(B|A)の混同だ.AとBの全体的な確率が大きく異なるときにこれは全く異なる値になる.
  • 「スイスのスキー場で事故を起こす外国人の大半はドイツ人だ.ドイツ人に注意せよ」これはp(ドイツ人|事故)とp(事故|ドイツ人)を取り違えている.
  • 「致命的事故の1/3は家庭内で起きている.家庭は危険だ」これはp(家庭|事故)とp(事故|家庭)を取り違えている.
  • 「鑑識は被告の衣服についた血液の血液型が被害者のものと偶然一致する確率は3%ということを示した.検察官は被告が有罪である確率は97%だと主張した」これはp(一致|無罪)とp(無罪|一致)を取り違えている.
  • このカテゴリーの典型的な誤謬推論.「ある人間が法王である確率は73億分の1だ.フランシスは法王だ.フランシスが人間である確率は73億分の1だ.だから彼はまず間違いなくエイリアンだ.」「もし人類が今後も長く繁栄を続けるとすれば,これまでに生まれたヒトは過去未来を通じた全人類のごく一部になる.しかし私は今私を観察している.だから人類の絶滅はごく近い将来に起こるだろう」

 

  • (3)独立性の誤謬:ヒトはしばしば独立でないものを独立だと考えてしまう.場所,時期,言語,国などが違うときには要注意だ.
  • 「老人ホームの第1棟でビタミンを与え,第2棟でプラセボを与えた.1年後の生存率は92%と47%だった.p値は0.001より小さい.ビタミンは有効だ.」しかしこれは実は第2棟でインフルエンザの集団感染が生じた結果だった.各棟の各患者の結果は独立ではないのだ.

 

  • (4)事前(アプリオリ)か事後(ポストホック)か:事後に振り返るときには生じた機会を小さく見せることが可能になる.テキサスシャープシューター誤謬(でたらめに撃ったあとで,これを狙ったと言い張る)とも呼ばれる .「株式市場の天才詐欺(上がるあるいは下がるという予測を数多くの顧客に送り,当たった方にまた上がる下がるの予測を送りつけ,何週間か経って,すべて当たった予測を送った顧客を勧誘する)」もこれを利用したものだ.
  • これにはヒトの因果錯覚が絡む.ヒトは自分の因果仮説に合致する事象を過大評価してしまうのだ.(いくつか面白い例が紹介されている)
  • マーチン・ガードナーは人々は偶然の一致の可能性を過小評価すると指摘している.(ここもいくつかの面白い指摘が紹介されている.その1つは「リンカーンとケネディの状況の恐ろしいほどの一致」だ.)
  • これは科学者にもある.それが現在疫学,社会心理学,遺伝学で問題になっている「再現性の危機」の背景にある. データを得たあとであらゆる仮説で試す,あらゆるデータ操作を試して正当化理屈を考える,そしてpハッキングだ.これは事前登録で解決できる.もう1つは出版バイアスだ.これはネガティブ報告も受理することによって解決可能だ.

 
(5)ランダムクラスター錯覚:ヒトはランダムさを理解できず,そこにクラスターを見てしまう.

  • 「雷はランダムに落ちる.その頻度が1ヶ月に1度とする.木曜日に雷が落ちたとすると次に落ちる確率が最も高いのはいつか」多くの人はどの日でも同じだと答える.しかし正解は次の日(金曜日)だ.それ以降はそれまで雷が落ちない確率とその日に雷が落ちる確率の積になるからだ.
  • 訓練されていない人には,ランダムな現象がある程度の規則性,緩いクラスターがあるように感じられる.ギャンブラー誤謬もその1つだ.
  • この錯覚の例としては誕生日問題(何人集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率が50%を越えるか?),ロンドン爆撃(ドイツ軍が特定目標を狙っている),星座の知覚(グールドがニュージーランドの洞窟のグローワームの光が星座のように見えないことをそれがノンランダムだからと説明した逸話が紹介されている)などがある.
  • この錯覚は「少数の法則」(の錯覚)に結びつく,小さなサンプルサイズで十分と感じてしまうのだ. トヴェルスキーとカーネマンは社会科学者もこの錯覚を持つことを指摘している.これも「再現性の危機」の原因の1つだ.

 

  • 最後のおまけ:「ホットハンド錯覚」錯覚
  • トヴェルスキーはバスケットボールのホットハンド現象はこのクラスター錯覚ではないかと考え,NBAのフリースローデータを解析,3回連続で成功した後の成功率が全体平均を上回るかどうかを調べた. 結果その差は無く,ホットハンド現象は錯覚だと結論づけた.これは広く信じられた.
  • しかしサイコロと違って選手は体調や精神状態が持続するし,記憶も持つ.各ゴールの成功率が独立でなくとも不思議はない.
  • そして最近実はこの検証方法にはポストホック錯覚が含まれていることがわかった.これは彼等が過去を振り返ってのゴールの成功失敗の連続データを使っていることによる. 過去の長い連続データから3回連続成功データをとると,例えば4回成功した場合に2通りのデータ取得を生じさせなければならないが,彼等はそうしていなかった.この効果を考えると彼等の解析方法ではすべてのゴールが独立だとしても3回連続成功した後の確率は見かけ上平均より下がるはずになる.
  • 2016年にこの効果を加味して検証が行われ,ホットハンド現象は実はあることがわかった.バスケットボール選手はゾーンに入ることがあるのだ.これは「ホットハンド錯覚」自体が錯覚だったということになる.

最後のホットハンドの話は,確率計算的にも,広く信じられた話が錯覚だったということからも非常に興味深い.ヒトは本当に確率計算が苦手なのだ.

*1:有名なアメリカンフットボールのランニングバック.どう見ても怪しい状況で妻殺しの容疑で裁判にかけられたが,無罪評決を得たことでも有名.

ピンカーのハーバード講義「合理性」 その1

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スティーヴン・ピンカーが2019年の冬から2020年の春にかけてハーバードの学生相手に行った「合理性」についての講義が公開されている.ハーバードでの呼び方は「GENED 1066: Rationality」ということで,GENEDはおそらく一般教養ということだと思われ,ハーバード入学直後の学生向けなのかもしれない.当初は講義室で行われていたが,当然ながら途中からリモート講義ということになった.また著名人のゲストレクチャラーがたくさん登場することも特徴だ.

私は4月の下旬に気づいてそれから順番に講義を視聴して,感想や要約をツイッターに投稿(@shorebird2000)してきたが,せっかくなので一部内容を追加し,感想を付け加えてブログにまとめておこうと思う

第1回「イントロダクション」


第1回目はまだ新型コロナによるロックダウン前なので,教室に多くの大学生が集っている様子が映っていて感慨深い.
講義の前には関連のありそうな題名のポップミュージックが流されピンカーの好みがでていて面白い.ちなみに初回の曲はジェイムズ・ブラウンの「Think」だそうだ.

  • この講義のテーマは我々はどのように考えているのか,どのように考えるべきかということだ.
  • 最初にパラドクスを提示したい.片方でホモ・サピエンスは非常に合理的な生物に見える.宇宙のことを知り,月に宇宙飛行士を送り込み,生命の秘密も解き明かしつつある.戦争も飢饉も貧困も減少してきている.そしてすべての社会が合理性を持つ.(シャノンが記載したヤノマノ族の合理的な狩猟方法が紹介される)
  • パラドクスは全く合理的でない信念や慣習も多いことだ.(アメリカ人の間に占星術等の迷信,そしてフェイクニュースがはびこっている様子が紹介される)そしてこれはSNSのせいではなく,昔からだ(魔女狩りなどが紹介される)
  • この講義は合理性についてのコースだ.コースは3部構成で合理性とは何か(規範的合理性モデル),ヒトは合理的か(記述的合理性モデル),どうすればより合理的になれるか(各分野における合理性の応用)になる.

 
 

  • そもそも合理性とは何か.
  • いくつか例をあげよう.
  • (1)演繹的な推論.(ここで4枚カード問題,抽象的な形では多くの人が間違ってしまうこと,それは確証バイアスで説明できること,社会契約の形ではほとんど間違えなくなること(コンテント効果)の説明がある)
  • (2)数学的計算.(スマホとケースで110ドル.スマホの方が100ドル高い.スマホはいくら?,10台のプリンターで10分で10部印刷できる.100台で100部印刷するのに何分かかるか?,毎日倍になる雑草がフィールド全体を覆い尽くすのに30日かかる.半分覆うようになるのは何日目か?)カーネマンとトヴェルスキーによりヒトにはシステム1思考とシステム2思考があることが示されている.システム1でこのような計算問題を解こうとすると間違いがちになる.
  • (3)確率的推論.(モンティホール問題,そしてなぜ出場者はヤギのカーテンが開いたあと自分の選択を変更すべきなのかが説明される.確率は我々が世界について何を知っているかによって変化することが強調される)なぜ多くの人が間違えるのか,そして説明を聞いても納得しがたいのか.それは認知的錯覚とも呼ぶべきものが働くからだ.また自信過剰バイアス,権威による議論の誤謬,本質的帰属誤謬も関連している.

このモンティホールの詳細説明はとても面白い.そもそものテレビショーの状況も詳しい.そして当時メディアで有名な若い女性である「賢人」マリリンが「ヤギのカーテンが開いたら選択を変えるべきだ,変えれば豪華賞品があたる確率が1/3から2/3に増える」とコメントしたら,多くの数学の博士号を持つような学者からそれが間違いだと投書があった.そして何とポール・エルドシュも間違えたのだ.マリリンの反応も面白い,確率計算をつかって説得する代わりに,システム1思考でもわかるように「ドアが100あって,残り99のドアのうち98が空けられたと想像してみれば」とコメントしたそうだ.

  • (4)選挙予測.(銀行員リンダ問題を民主党予備選問題に変えて提示.バイデンかウォーレンかサンダースか,それが特定州の予備選の結果を条件とする形で示される)このような問題に対して人々はよく間違える.条件付き確率にかかる合接の誤謬になる.これは条件がより想像しやすいときに起こる.
  • (5)データを使う推論.(都市ごとの銃規制の政策のあるなし,犯罪率の増加か減少か数字の表が示され,それをどう分析するかという問題が提示される)このような問題については人々の政治的信念が誤謬に大きく影響する.自分に都合のよい解釈に飛びつくからだ.動機のある推論,マイサイドバイアス,表現にかかる合理性(何が正しいかではなく私が誰かが問題)が関係する.

 
ここの詳細説明も面白い.銃規制はアメリカでは政治トピックなので,その影響が大きく出る.数字を入れ替えると保守でもリベラルでも同じように自派に都合の良い解釈に飛びついてしまう.そしてそれが皮膚クリームの有効性のような政治的でない問題では正解を出せる人でも政治的問題になると間違えやすくなるのだ.まさに目がくらむということだろう.
 

  • 第3部の「応用合理性」ではオールスターゲストを呼ぶ.(ゲスト予定の人々が紹介される.有名どころではキャス・サンスティーン,マイケル・ルイス,リチャード・ドーキンス*1が予告されている)

紹介されているゲストの本をいくつか挙げておこう


Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness

Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness

The God Delusion: 10th Anniversary Edition (Pb Om)

The God Delusion: 10th Anniversary Edition (Pb Om)


 

第2回「合理性と非合理性」

 
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第2回目の講義もイントロダクションに続いて序説的な内容だ.合理性自体の正当化はできるか,どのように擁護すれば良いか,合理性に従わなくても良い場面はあるか,あるとすればどんな場面かが取り上げられている.なお開講前の音楽はロッド・スチュワートの「Reason to Believe」
 

  • ボストンにあるメイシーズが入っているビルには,マサチューセッツ州の紋章がある.その一番下には「理性に従え(Follow Reason*2)」とある.
  • では何故理性に従うべきなのか:定義からいって理性に従うことは合理的だ.
  • そして現在合理性の擁護は重要だ.それは多くの理性否定論がはびこっているからだ.それにはロマン主義,ポップカルチャー,ハリウッド映画(直感や感情を優先するプロットになりがち),宗教(信仰の要点はエビデンスなしで何かを信じることだ),そしてポストモダニズム(現実は社会構築物だ)がある.
  • 合理性自体をどう正当化するか.厳密には正当化はできない.そしてポイントはそこではない.合理性自体を合理的に擁護するのは「beg the question(本来議論すべきことが先取り的に前提になっている)*3」なのだ.(カメとアキレスの話が紹介される.三段論法でA→B→Cとしたときに,ではなぜAとBがあればCという結論を認めなければならないかという疑問を呈すると,それ自体をルール化することになり,「では何故,それ自体のルール化」が無限に続いてしまう)
  • 我々は理性を使うのだ.それは我々の脳に既に実装されているのだ.そしてなぜ合理性の正当化自体がポイントではないかというのは,合理性を否定する議論を行うとしてもそれは合理性を使った議論しかできないからだ.誰かを説得するには合理性,客観性,真実の存在,を前提に議論するしかないのだ.何もないところから何かを批判することはできない.これは合理的議論というよりも「我思う我あり」のデカルト的な議論だ.要するに我々は合理性を信じるのではない,それを使うということだ.

 
この理性を正当化する必要はないというのは「21世紀の啓蒙」にもあった議論でなかなか哲学的で面白いところだ.
 

  • 厳密に正当化はできないとしても,合理性への信頼を高めることはできる.まず合理性は有用だ.世界は一貫性と予測性を持っている.そしてテクノロジーは様々なことを可能にした.またそれをフォーマライズした論理学が存在する.コンピュータにも実装されている.
  • そして合理性を批判するような勢力も自分たちの聖なる価値を擁護する際には合理性を用いるほかないし,実際に用いる.試しに彼等に「では奴隷制も歴史的真実などではなく単なる神話なんですか」とか「気候変動も社会的構築物ですか」と聞いてみればいい.彼等は色をなして歴史的真実や科学的知見の客観性について熱弁をふるうだろう.

 
ここまでが合理性自体への擁護だ.続いてなぜヒトは時に合理的でないのかが扱われる.

  • 多くの古典的な誤謬は実は論理からくるのではなく,社会感情(ドミナンス,地位,競争,部族団結)から来ている.その例は権威主義的議論(フリーマン・ダイソンは気候変動に懐疑的だ),人身攻撃(彼は金のためにこれを主張している),お前だって論法(トランプがバイデンの息子を調べろとウクライナを脅したというが,ヒラリーだってゴールドマンサックスから金をもらったじゃないか),起源誤謬(彼はレイシストの文章から引用している),バンドワゴン誤謬(アメリカ人の多数が占星術を信じているんだから,全くの間違いじゃないはずだ),感情へのアピール議論などがある.

 
ここから我々は常に合理的であるべきかという問題に移る.
 

  • では我々は常に合理性に従わなければならないのか
  • そうではない.感情や喜び,タブー,道徳などの状況を考えてみよう.

 

  • (1)感情:ヒュームは理性は感情に仕えるべきだといった.それは衝動的に行動せよといっているのではない.目的にたどりつく方法は理性によって決めるべきだが,目的自体はそこから独立に決まるのだという意味だ.それはnon rationalなのだ.
  • では何故感情はしばしば非合理とされているのか.
  • 1つ目は目的間のコンフリクトがある.進化的究極的な理由は個人の幸福から見た目的とは食い違う.
  • 2番目は時点間のコンフリクトだ.人生は大きなマシュマロテストのようなものだ.ここで将来割引を行うこと自体は合理的だ.それは将来は不確実で,死は確実だからだ.しかしヒトの割引の仕方には非合理性がある.1つはそれが急すぎることだ.退職に備えた老後貯蓄の不足,気候変動への関心の低さ,将来世代への関心の低さなどに現れる.もう1つはその形状だ.近視眼的割引とも双曲割引とも呼ばれる.合理的な割引カーブは指数曲線になるが,それより近い将来が急で,遠い将来に平坦になる.これにより時間の経過により選好がフリップする.
  • このような非合理性に対して合理性を用いて対抗する方法がある.オデュッセウスの鎖やナッジだ.これに関連するのが合理的な無知だ.情報は通常多いほど良いが,そうでない場合がある.何かを知っているために望ましくない影響を受けてしまうような場合だ.例えば,小説やスポーツのネタバレ,父性テスト,治療方法のない遺伝病テスト,現金輸送車の運転手は金庫のコンビネーションを知らない方がいいことなどだ.
  • トーマス・シェリングは非合理性を持つ方が勝つようなパラドキシカル戦術を説明している.典型的にはチキンゲームだ.ハンドルを投げ捨てた方が勝つ.これは交渉ごとにおいてはしばしば見られる.より広くは合理性の無い方が利点になるゲーム状況になる.狂信者の自爆テロ,マッドマン戦略などだ.

 

  • (2)タブー:通常の善悪は行動についての判断だが,ヒトはしばしばある種の事柄について考えること自体を避けるべきだとする.
  • それはいくつかの現れ方をする.よく見られるのがタブートレードオフだ.ある種の事柄については売買することを考えること自体を嫌がる.臓器移植,養子などだ.環境汚染も人々はしばしば「どんなコストをかけても」といいたがる.実際には最適レベルの汚染を許容するほかはないのにだ.これは人の命にかかる問題も同じだ.
  • また人種や宗教のカテゴリーに関しては行動傾向や犯罪傾向などの事前確率として使用することがタブーになっている.
  • それから一部の事柄については仮想的な思考をすることがタブーになる.「ヨセフがマリアを捨てたとしたら」などがそれにあたる.
  • なぜこれらがタブーになるのだろうか.それはヒトは他人をどんな行動をするかではなく,どんな人間かに基づいて判断するからだろう.タブーに従うことはある種の社会的関係についての1種のコミットメントになっているのだ.

 

  • (3)道徳:道徳は合理的に擁護できるか.まずヒュームは「すべき」と「である」は別だとした.それは自然主義的誤謬,道徳主義的誤謬として知られる.
  • では道徳は単なる好み,あるいは文化的慣習なのか.おそらくそうではない.ではどのように正当化できるか.
  • よくある議論は宗教からというものだが,これにはプラトンが反論している.何かが神によって善悪が決められているとして,神に理由はあるのか.なければそんなものに従う必要はないし,あるのなら神とは無関係にその理由に従えばいい.
  • では道徳の合理性ベースは何か.それは個人的利益と視点の交換可能性だ.これを認めれば私の利益と同じようにあなたの利益も尊重すべきことになる.これは何度も独立に発見されている.黄金律,永遠の視点(スピノザ),定言命令(カント),無知のベール(ロールズ),功利主義,モラルサークルの拡大(シンガー)などだ.

 

  • 最後に1つ.理性は再帰的だ.チョムスキーはこういっている.再帰は言語の無限の力の基礎だ.そしてそれは思考にとってもそうだ.一歩下がって自分の考えをチェックするには再帰が必要になる.自分の考えが誤っていることを知るには理性が必要なのだ.

 
最後のリマークはちょっと面白い.チョムスキーとピンカーは言語の唯一の独自性がマージであるかどうかで意見を異にしているが,言語そして思考にとって本質的に再帰性が重要だという点においては異論はないのだろう.

第3回以降は合理性の記述モデルになる.

*1:なおドーキンスについては(おそらくCOVID19の影響で)ゲストレクチャーは実現しなかった

*2:英語でReasonとあるところは日本語ではいろいろな訳語があってなかなか難しい.ここでは適当に理性としたり合理性としたりしている

*3:ここでこの英語の慣用表現についての蘊蓄が語られていて楽しい