Virtue Signaling その6


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第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その2

 
ミラーの道徳性淘汰論文,序論を終了していよいよ本論に向かう.
 

Sexual Selection for Moral Virtues. Quarterly Review of Biology, 82(2), 97-125 (2007)

 

コストリーシグナル理論,適応度指標,道徳的徳

 

  • コストリーシグナル理論は多くの伝統的アカデミアの分野にルートを持っている.その中には道徳と関連するものもある.ニーチェの「道徳の系譜(On the Genealogy of Morals)」には,異教の徳は健康や権力の魅力的なシグナルだという主張がある.ヴェブレンの「有閑階級の理論」には,顕示的消費や顕示的なチャリティは富と社会的地位についてのフェイクしにくいシグナルだという主張がある.そして生物学者のザハヴィは1975年の独創的な論文で多くの動物の向社会的行動はフェイクしにくい適応度指標だと論じた.

 

道徳の系譜 (岩波文庫)

道徳の系譜 (岩波文庫)

On the Genealogy of Morals

On the Genealogy of Morals

  • 作者: Friedrich Wilhelm Nietzsche
  • 出版社/メーカー: Createspace Independent Publishing Platform
  • 発売日: 2018/10/16
  • メディア: ペーパーバック
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有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

有閑階級の理論―制度の進化に関する経済学的研究 (ちくま学芸文庫)

The Theory of the Leisure Class (Oxford World's Classics)

The Theory of the Leisure Class (Oxford World's Classics)

 

  • 1990年代からコストリーシグナル理論は性淘汰とヒトの利他性についての研究に革命的な影響を与えるようになった.多くの動物の信号は同種他個体に自分の優秀性を示すために用いられる.しかし発信者は(自分は本来より優秀だと)嘘をつくインセンティブを持つ.(もし嘘がまかり通れば受信者は信号を信用せず,信号システム自体が崩壊せざるを得ない) コストリーシグナル理論はこの問題の解決を提供するのだ:もし信号が本当に質の高い個体しか耐えられないようなコスト高なものであれば,それは進化的に信頼できるものになる.
  • コストは適応度的にどのようなものでも良い.多くの性的装飾は精妙で派手だ.これは発信者に非常に高いコストを課し,だから適応度指標として信頼できるのだ.(クジャクの羽の例が解説されている)

 

  • 本論文は多くのヒトの道徳的徳がコストのある性淘汰シグナルとして進化したと主張するものだ.この仮説の実証的検証はここ数年の進化心理学や進化人類学で最もアクティブな活動の1つになっている.かつて血縁淘汰や互恵性利他の産物と考えられていた多くの向社会的行動傾向が,社会淘汰や性淘汰のコストのあるシグナルではないかと考えられるようになっている.
  • その1つの例はリスクのある大型動物の狩猟行動だ.かつてこれは家族や子どもなどの血縁者を養うのに有利であるからだとされていた.しかし最近のリサーチでは,大型の獲物の肉を部族民に分け与えるハンターはより多くの望ましい女性を魅了することがわかってきている.これは意識的な動機ではないかもしれないし,因果関係もはっきりしないが,しかし肉の分配行動の少なくとも一部は性淘汰産物である可能性を示唆している.
  • 同様にその他の道徳的徳についての配偶選好もコストのあるシグナルで説明できるのかもしれない.恋人募集広告の「やさしくて正直な男性を望む」という文言は進化的には「コストのある利他的行動を行えるほど健康でパーソナリティ障害や遺伝的欠陥が少ない男性を望む」と読み替えられるのかもしれない.もちろんこの広告自体はコストのあるシグナルの証拠にはならないが,広告はコストのあるシグナルとして機能しうる道徳的徳を指し示しているのかもしれない.

 

良い遺伝子,良い親,良いパートナー

 

  • 性淘汰を受けるコストのあるシグナルは通常2つのクラスを広告している.1つは良い遺伝子でもう1つは良い親(子育て投資)だ.異なる道徳的徳はそれぞれこのどちらかを広告しているのかもしれない.そしてさらに長期的に良いパートナーである資質を,つまり信頼でき,気立てが良く,共同作業を効率的に行えるということを広告しているのかもしれない.
  • 良い遺伝子広告は突然変異負荷が小さいことを示す.道徳的徳は遺伝的負荷が高いとうまくディスプレイできないこと,つまり洗練され,共感的で,社会知性を持ち,複雑な心の理論を扱えることを印象的に行えるという形で機能するのかもしれない.これらは様々な精神障害があるとうまく行えない.そして広告が機能するにはこの特徴について遺伝性があり,集団内に遺伝的分散があり,別の適応度形質と相関している必要がある.
  • これに対して良い親広告は子育てに役立つ表現型を広告する.だから共感性パーソナリティは良い親広告としても機能するのかもしれない.良い親広告の場合はその特徴に遺伝性,遺伝分散,別の適応度形質との相関がある必要はない.
  • 良いパートナー広告は効率的な共同作業を通じた相互利益があることを広告する.この関係は複雑なペイオフコンフリクトのある繰り返しゲームとしてゲーム理論的に分析できる.いくつかの道徳的徳は自らのペイオフを改善しリスクを下げるためのシグナルと解釈できる.例えば相互協力戦略をとるというシグナルがそれに該当する.共感や同情の能力は「私はパートナーのペイオフも自分のペイオフとしてカウントしますよ」というシグナルになるかもしれない.ロマンティックコミットメントへの選好は協力関係を保つことを望むシグナルになるかもしれない.ただしこの場合シグナルの将来的な信頼性は常に問題になる.

 
この部分はシグナルが何を広告しているかの分析になる.性淘汰が効くためには特徴に遺伝性がなければならないが,遺伝性がない特徴も広告して有利になるなら当然広告することになる.ハンディキャップ原理は広告全般に適用されるのでどちらの広告にも当てはまる.ただし最後のゲームのペイオフの広告というのは実は発信者の「質」とはちょっと異なる問題になるので,うまくハンディキャップが設定できない場合が多いだろう.それでこういう留保がついているのだと思われる.
 

  • 遺伝子,親,パートナーを問わずこのような配偶選好は,血縁淘汰や互恵性などのその他の社会選好から起源したのかもしれない.例えば(互恵性にかかる)だまし検知としての適応は配偶選好において拡張されるだろう.
  • もちろん機能を持たない副産物的起源であったり,感覚バイアス起源である可能性は排除できない.しかし配偶選好の適応度的重要性を考えるとそのような非適応的な選好は素速く排除されるか,適応的なものに変容していくだろう.

 
このあたりは当時の性淘汰の理論的論争に絡むところだ.ミラーは割とあっさり流している.

Virtue Signaling その5


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第4エッセイ 道徳的徳の性淘汰 その1

 
第4エッセイは2007年に出されたミラーの論文そのものだ.まずはこの論文についての背景説明.
 

  • 「Virtue Signaling」は最初はとても簡単な話に思える.しかし実際には「人々は消費の好みや政治的態度を見せびらかすことによって実際より善良であるようにみせかける」ということよりも遙かに深い.その深さを理解するには道徳的徳自体の進化的起源に戻って考える必要がある.その起源は自明ではない.ルーツを掘り返すのは一仕事なのだ.
  • このエッセイは徳の起源についての私の最深探索になり,本書のハートそのものだ.本書の中で最長で最もシステマティックでアカデミックなものだ.道徳的徳の性淘汰が理解できれば,ファーストデートやグリーン消費から政治までの「Virtue Signaling」の心理的な基礎が理解できる.

 

  • 私はこの論文をテニュア取得(2008年に取れた)に向かっている最中に書いた.テニュア取得には,私が大きな絵を思索する考察家であると受け取られるために一流誌にメジャーな理論的論文が掲載される必要があった.私はほとんどの心理学雑誌よりもQuartery Review of Biology誌の方が私の進化的な議論にオープンであることを知っていた.だからそこに投稿し,受理されたときには身震いした.Quarterly Review of Biology誌はかつてトリヴァースの互恵的利他論文を掲載したことがあるのだ.
  • 私はヒトの親切と利他性の起源に興味を持っていた.そしてこの論文の10年前にもそのテーマで論文(それは「The Mating Mind」の1章になっている)を書いている.しかしそれまでシステマティックで学術的に真剣な論文は書いていなかった.私はそれまで学んだ進化心理学,ゲーム理論,信号理論,利他行動,道徳哲学,ロマンスについてのすべてをこの論文に盛り込んだ.

 
というわけで本エッセイは本書収録の中で最長で,フォーマルな議論が繰り広げられるものになっている.ゆっくり見ていこう.
 

Sexual Selection for Moral Virtues. Quarterly Review of Biology, 82(2), 97-125 (2007)

 

  • ヒトにおいて美しい肢体は短期的な欲望をかき立て,魅力的で道徳的な行動は長期的な愛に火を付ける.性的装飾と道徳的徳は機能的類似物なのだろうか? 本論文はヒトのモラルが性淘汰により性的ディスプレイとして進化してきた可能性を探求するものだ.

 

  • 最もロマンティックに魅力的な特徴,つまり優しさ,勇気,正直,信頼はしばしばモラル的側面を持つ.
  • 最近の実証的リサーチは,多くのモラル的特徴が性的に魅力的であり,メンタルな適応度指標として機能しているらしいことを示唆している.それらはメンタルヘルス,脳の効率性,協力的な性的および子育てについての協力的関係をもたらすことについての正直なインディケーターとして機能している.つまり性的に魅力的な道徳的徳は(性淘汰理論,信号理論に従い)適応度についての騙しの難しい広告をするために進化したと考えられる.
  • この仮説は道徳的徳の少なくとも一部は性淘汰により形成されたというものになる.モラルに関連する共感や公正さに関する感覚は類人猿にも見つかっており,ヒトのモラルがすべて性淘汰で1から作られたわけではない.そうではなく,私は性淘汰は社会性類人猿として我々の祖先が持っていた標準的な徳をユニークで精妙なヒトの徳に強化したと考えているのだ.そしてこれまで主張されていた血縁淘汰,互恵性利他などの仮説を置き換えようとするものでもなく,それを補足するものだと考えている.

 

  • このモラル性淘汰説には長所と短所がある.これまでの考え方と異なるのは,本仮説においては性的魅力,同類配偶,遺伝分散,表現型分散,条件依存的コスト,顕示的ディスプレイ,ディスプレイが若い年代でピークを形成することをうまく説明できることだ.
  • そして血縁淘汰などの別のメカニズムで生じるモラルをより強化し,社会的選択として作用することにより極端でコスト高なモラル的行動を引き起こすことを予測する.血縁淘汰などのメカニズムだけでは個体に包括適応度的な生存メリットが必要になるが,配偶選択メカニズムが加わると遙かにコスト高な行動傾向が進化できるのだ.つまり配偶選択型性淘汰はその他の進化メカニズムにポジティブフィードバックメカニズムを付け加えてスーパーチャージするように働くのだ.

 

  • 一部の道徳的徳はシグナルとして魅力的(例えば競争力のシグナルとしての英雄的行為)なのだろう.また一部はそれ自体が魅力的な特徴(例えばフェアであることは長期的性的関係において望ましい)だろう.とはいえこの区別はトリッキーだ.というのはシグナルには常にフェイクの問題がつきまとうからだ.つきあい始めは愛想が良くていい感じの男性に思えたが,2〜3年経つと実は気むずかしくて厄介な男だとわかったりする.この場合の愛想の良さは(将来的な特徴のシグナルとして)信頼できないシグナルだということになる.
  • この問題を明確にするにはコストのあるシグナルの視点が有用だ.すべての道徳的徳のディスプレイは潜在的には不安的で信頼できないものである可能性がある.信頼性を見るにはコストの分析が重要なのだ.

 
(ここで進化的理由付けが意識的動機になっている必要がないことについて注意書きがある)
 

  • 本論文は性的魅力のあるパーソナリティと道徳的徳の間にかなりのオーバーラップがあると主張するが,すべての道徳的徳が性的魅力をもつとか,すべての性的魅力のある特徴が道徳的だとか主張するわけではない.人によっては異性のマキアベリアン的狡猾さや攻撃的な獰猛性に惹かれることもあるだろう.ヒトのセクシャリティは時に変態的になるし,ナイスガイが常にもてるわけでもない.悪徳が決して魅力的にならないわけではないのだ.

 

道徳的徳と徳倫理

 

  • 本論文は私の著書「The Mating Mind」で議論した内容を深め,2000年以降の実証的理論的研究,個人差研究,行動遺伝学,道徳哲学からの洞察を取り入れたものになっている.
  • 道徳哲学的視点は本論文で特に説明的な力を与えてくれたわけではない.また私は哲学者たちが歴史的に「徳」として考えてきたものが自然淘汰産物と一致するとも思っていない.しかしここで道徳哲学を持ち出すにはいくつかの理由がある.
  • まず徳倫理(virtue ethics)は伝統的な帰結主義(そしてこれは利他主義の血縁淘汰や互恵性の説明の基礎に使われている)に対して有用なカウンターバランスをもたらしてくれる.また徳倫理学は分析の焦点を個別の行為から安定的パーソナリティに転換させてくれる.さらに多くの徳倫理学者は他者の道徳的行動に対する認知的感情的反応を記載してくれていてこれはモラルシグナルに対する受信者心理分析の出発点として役に立つ.最後に徳倫理学は進化理論が今日の社会科学や人文科学へ影響を与える新しいルートになり得ると思うからだ.

ここまでが本論文の序論にあたるものになる.このミラーの性淘汰仮説はあくまで血縁淘汰や互恵性による利他主義の説明の補足,興味深いスーパーチャージャーだとしていることがわかる.またごく初期からパーソナリティとの関連を深く捉えていることもわかる.当倫理学へのコメントもなかなか興味深いものだ.

書評 「Outgrowing God」

Outgrowing God: A Beginner's Guide (English Edition)

Outgrowing God: A Beginner's Guide (English Edition)

 
本書はリチャード・ドーキンスの最新刊になる.ドーキンスは「The Selfish Gene(邦題:利己的な遺伝子)」で有名な進化生物学者だが,2006年に「The God Delusion(邦題:神は妄想である)」を著し,デネット,ハリス,ヒッチンズと並ぶ新無神論の主導者の1人となった.本書はそこで主張された新無神論をさらにかみ砕いて初心者向けに書き下ろしたものになる.2011年の「Magic of Reality (邦題:ドーキンス博士が教える「世界の秘密」)」では子ども向けに新無神論を含んだ内容を書いているが,想定読者層はそれより少し上からということなのだろう.
題名にある「outgrow」という動詞は(何かを超えて成長するというのが直接の意味だが)「子どもが成長して(おもちゃなどから)卒業する」という文脈で使われる.だから本書のタイトルは直訳的には「神様から卒業する」というほどの意味になるだろう.
 
序章やイントロダクションはなくいきなり第1部が始まる.
 

第1部 さようなら神様

 
第1部ではキリスト教,イスラム教などの教えがいかに奇妙で根拠の無い内容のものであるかが描かれる.
 

第1章 何と多くの神

 
ドーキンスは世界の多くの宗教が多神教であることから始めている.ギリシアやローマの神々の名を上げ,現代の西洋人はこの神々については無神論の立場に立っていることを指摘する.ここで一神教とされているキリスト教においても,父と子と精霊という三位一体教義,聖母マリア,様々な聖人,天使などの概念があり,多神教的であることをちょっと揶揄したのちに,核心に触れる.人はたまたまある宗教集団に生まれ,その神を信じるようになる.なぜたまたま自分が産まれた集団の神だけが正しくて,他集団の神が間違いだということになるのかという問いかけだ.
ここで不可知論についても1本入れている.不可知であること,つまり想像できるが誰もその不存在を証明できないことは何十億もあるが,その存在を信じるべき理由がない場合には普通はそれを信じない.我々は妖精やアポロ神に対してはそういう立場をとっている.なぜヤハウェだけ別扱いにするのかというわけだ.

 

第2章 でもそれって本当?

 
信仰者は信仰の理由としてしばしば聖書を持ち出す.では聖書はどの程度のものなのかが第2章のテーマだ.ドーキンスは伝言ゲームによる情報の劣化を説明した上で議論を始める.
最初は歴史的事実としてイエスは実在したか.ドーキンスは,4つの福音書は後代の書物で誰が書いたかもあやふやで信用できないし,パウロ書簡もイエスについての事実の記述がなく根拠とはしにくいが,ユダヤの歴史家ヨセフス,ローマの歴史家タキトゥスの記述を吟味すればそれは同時代的な記述であり,実在していた確率が高いとして良いだろうとする.
では聖書について同じように吟味するとどうなるか.福音書はイエスの死後何十年も経ってから書かれたまさに伝言ゲームの世界になっており,互いに矛盾する記述もある.そこに書かれているイエスが起こした奇跡についてはケネディ暗殺を巡る陰謀論と同じようなものだと示唆する.
そしてこの調子で,ヨハネの黙示録など福音書以外の新約聖書も事実を示す記述として信用できないものであることを延々と示していく.このあたりは現在キリスト教と聖書を何となく信じている人に対する丁寧なガイドということになるだろう.4つの福音書以外の様々な福音書の内容とそれが新約聖書に含められなかった理由の推測はなかなか面白い.そしてある記述を信じるかどうかを決めるに際しては,その記述にあることが本当に生じそうな確率とその記述が嘘である確率を比較することを勧めている.
 

第3章 神話とその起源

 
第3章は引き続いて旧約聖書を取り上げる.旧約聖書を理解するには,それは1つの神話であり,それがどう始まるのかを考察するのが良いというのがドーキンスの示唆になる.そしてアブラハム,エジプトからの脱出などの事実性についてまず何の根拠もないことを示す.しかしバビロン捕囚については歴史的な事実である証拠がある.つまり旧約聖書はそれが書かれた紀元前6世紀頃の事実と神話の混合物なのだ.ここも丁寧に紀元前6世紀以前の記述についてはでたらめだったり(家畜化された年代から見てアブラハムがラクダに乗って移動したはずはない)他民族の神話や伝承の借用(ノアの方舟の原型がシュメール神話にある)であることを延々と解説している.
そして神話は事実ではなく,それはいとも簡単に始まって広まりうるということをエルビス伝説,ニューギニアのカーゴカルト,モンティパイソンの「ブライアンの人生」,モルモン教の例を上げて説明している.
 

第4章 善の本か?

 
多くの宗教者は聖書には道徳が書かれており,それは聖書を信じる理由になる,あるいは聖書なしでは善悪が相対的になりこの世は地獄になると主張する.これが第4章のテーマになる.
ここでは旧約の神がいかに残酷で(ノアの洪水,イサクの燔祭),他神への信仰に対してジェラシーの塊である(他神信仰部族に対してジェノサイドを命じている)ことを示していく.次に新約では原罪への執着のすさまじさ(キリストの贖罪をよく考えるといかに醜悪な論理であるか)を指摘している.
 

第5章 善であるためには神が必要なのか?

 
宗教が善悪を教えないと人々は自分勝手な善悪の判断をして社会が崩壊するのか.アメリカでは今でもそう信じている人が多い.ドーキンスは,バーニー・サンダースを民主党の大統領候補にしないために,クリントン派がサンダースは無神論者ではないかというキャンペーンを行うことを検討したという逸話を紹介しつつ,この問題を論じる.
 
まず「神は天から人々を見張っている警官だ」という考え方を取り上げる.ドーキンスは誰から見られているところでは良い人であるように振る舞うという傾向は(残念ながら)確かにヒトの本性の一部だと認める.そして聖書では恐ろしい罰があると警告している.(ここでドーキンスは,ありそうもない罰であるほどそれは恐ろしいものだと強調せざるを得なくなるのだと示唆している)
しかし実証的に調べると,信仰心と行動傾向に相関はない.アメリカでは囚人がキリスト教徒である確率は無神論者である確率より750倍も高い(もちろんそう申告した方が仮釈放されやすいだろうというのが背景にあるだろうとはドーキンスも認めている)のだ.
 
次は「聖書は人々に良いロールモデルを与えている」という考えを吟味する.本当にそうなのか,ドーキンスはここで十戒を1つずつ吟味する.ちょっと詳しく紹介しよう

  • (1)「他神を信仰するな」(2)「偶像を崇拝するな」:この2つは単にジェラシーに過ぎないだろう.
  • (3)「神の名をみだりに用いるな」(4)「安息日に働くな」:これらがそんなに邪悪な犯罪なのだろうか.
  • (5)「父母を敬え」:これはナイスだ
  • (6)「人を殺すな」:確かにこれは重大な犯罪だが,(一神教以外も含んだ)どのような法体系でもこれは犯罪とされている.そして聖書の中では他部族への殺人は罪とされていない.旧約ではこれは「自分と同じ部族の人を殺すな」という狭い意味でしかない.
  • (7)「浮気をするな」:これはわかりやすいが,しかし結婚が破綻しているなど許される状況があってもいい.
  • (8)「盗みをするな」:これに異論はない.そしてやはりどのような法体系でもこれは犯罪とされている.
  • (9)「隣人に対して偽証するな」:確かに偽証はするべきではない.しかしなぜ隣人にだけ限定するのか
  • (10)「隣人の財産,妻.奴隷,家畜をうらやむな」:行動ベースでないものを犯罪とすべきだろうか.そして妻を財産扱いするのはどうなのか.

要するに十戒は時代遅れなのだ.そしてそこが重要だ.我々は紀元前6世紀から前に進んでいるのだ.
 
続いてドーキンスは新約に進む.「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」というのは旧約にある報復主義を超えていてイエスは時代を先取りしていたと評価できる.しかしイエスが報復主義的な行動をした記述(マタイ伝:無花果の奇跡)もある.信仰のため家族を捨てるように命じる記述(ルカ伝:イエスに従うことの困難)もある.
そしてこのような記述に直面した現代の宗教家は,これを寓話だとして取捨選択する.ここがドーキンスの力点になる.一体その取捨選択する基準はどこから来るのだろうか(それが聖書にあるはずはない)というわけだ.
 

第6章 善をどう決めるのか?

 
ドーキンスはまずヒトの本性に利他的な部分があることを指摘し,しかし実際の道徳規準は時代と共に大きく移り変わっていることを強調する.旧約の世界ではもちろん,アメリカでもリンカーンの時代まで奴隷制は存続していたし,戦争時の残虐性の基準は第2次世界大戦以降大きく変化している.
なぜ変化するのか.ドーキンスはピンカーを引用しながら,それは我々が互いに影響を与え合っているからだと説明している.そしてここで道徳哲学を初心者向けに概説している.この帰結主義者と絶対主義者の対話篇は面白い.
そこまで予習した上で「善であるために神が必要か」の議論に戻る.我々の道徳的価値観は時代と共に変化している.それは聖書に固定されたような道徳律には収まらない.そして実際に我々の持っている21世紀の道徳観は聖書の道徳観と合わないのだ.つまり道徳を理由とした宗教擁護は成り立たないということになる.
 

第2部 進化,そしてそれを超えて

 
ドーキンスは第1部で,神を信じる根拠として,宗教が真実を教えているから,宗教が道徳の基礎であるからという議論を否定した.しかしもう1つ神を信じる動機がある.それはこの精妙で美しい世界にはデザイナーがいるはずだという感覚だ.第2部はここを取り扱う.そしてそれはドーキンスが新無神論にたどりついた理由でもある「進化」の説明が含まれる.
 

第7章 この世界にはデザイナーがいるはずなのか?

 
ドーキンスは様々な生物界の精妙なデザインを挙げる.ガゼルとチータの(草原を疾走する能力の)アームレース,カメレオンの舌,シャコの超高速パンチ,タコの体色変化,脳と神経細胞の複雑性,細胞内の化学反応の精妙さ,クジャクの羽の美しさといかにも楽しそうに解説する.これらの背後に完璧なデザイナーを見てしまうのはある意味無理もない話になる.
この議論に対してドーキンスはまずデザインが完璧でないこと,(脊椎動物の眼の盲点や反回神経の経路など)を指摘し,そしてもしこのデザイナーがチータにガゼルを狩る能力をデザインし,ガゼルにチータから逃れるデザインしたのだとすると,そもそも彼は一体何を意図しているのだろうかと問いかける.つまり全能のデザイナーは説明にならないのだ.
 
なおタコの体色変化についてのこの動画が紹介されている.何度見ても驚きの映像だ.

Octopus vulgaris Camouflage Change
 

第8章 ありそうもなさへのステップ

 
なぜ人々は適応形質の背後にデザイナーがいると感じるのか,それはその形質の(偶然で生じると考えるときの)ありそうもなさ(improbability)から来る.人々は形質の説明には偶然かデザインかの二択しかないと考えるからだ.これはウィリアム・ペイリーの議論でもある.
ダーウィンはここに3番目の選択肢を与えたのだ.ドーキンスは自然淘汰の説明に入る.この解説はさすがに手練れの手によるものでトレードオフやアームレースに踏み込み,簡潔で深い.
  

第9章 結晶とジグソーパズル

 
ここからドーキンスは適応産物が形作られる至近メカニズムの説明に入る.初心者に納得してもらうにはそこも重要だという判断だろう.最初に結晶の成長のメカニズムを解説し,そこからバクテリオファージの形成原理(3次元ジグソーパズル),化学反応と触媒の原理,そして様々な物質が細胞内でセルフアセンブリーされる仕組みに進む.この自動組立の鍵になるのは触媒のオンオフ調整であり,それがDNAによってなされていることまで解説される.
 

第10章 ボトムアップかトップダウンか

 
では生物個体はどう組み立てられるのか.ドーキンスは発生の仕組みに進む.発生がうまく進むことには強い自然淘汰圧がかかる.ここでドーキンスの十八番である「DNAによる発生指令はレシピであって設計図ではない」という概念が強調される.本書ではシロアリのアリ塚とバルセロナのサグラダファミリアの違いとして解説されている.このあと実際の発生の進行(分割,胞胚,原口形成)が図解され,この様子はレシピ的なコンピュータプログラムでかなりうまくシミュレートされることが示されている.
 

第11章 我々は宗教的になるように進化したのか.我々は善に向かって進化したのか

 
生物界のデザインは自然淘汰で説明できる.ではヒトの宗教心もそうなのだろうか.ドーキンスはおそらくそうだろうと答え,物事の背後にエージェンシーとその意図があると過剰に感じる傾向が,重大なリスクに対する火災報知器原理によって説明できること,両親や身近な大人に教示されたことを信じる傾向もそれが進化環境で有利だったとして説明できることを指摘し,神を信じる傾向はそれらの副産物として理解できると主張している.これは宗教の副産物説ということになる.
ドーキンスはここで副産物説とは別のミーム的な説明や「宗教がそれが属するグループや国家に有利だったから」というグループ淘汰的説明(これは真の進化的説明ではないがとことわりつつ,イスラム帝国やラテンアメリカのスペイン征服地の増大はそういう側面があるし,集団内の団結心に役立つこともあるだろうと認めている)も紹介している.ただここでは様々に互いに排他的でない説明があるというところにとどめている.ここで深入りするのは本書の目的から見て得策ではないということだろう.
 
続いて(宗教なしに善悪があるのかという問いかけに対する回答として)善の基礎の進化もここで扱っている.ここもあまり深入りせずに,血縁淘汰的説明,互恵利他的説明を簡単に行うにとどめている.しかしそれは基礎的な部分に過ぎず,現在のヒトの道徳を論じるなら時代と共に変わっていくいわば学習された道徳規準が重要なのだとコメントしている.いずれにせよ神を信じる心自体進化で説明でき,善であるために神が必要なわけではないのだというのが本章の結論になる.
 

第12章 科学から勇気をもらおう

 
ここまでの議論をしても宗教擁護派はギャップの神(まだ科学で説明されていないことは神の領域だとする主張)に逃げ込む.これに対するドーキンスの答えが本章の議論になる.それは最初にギャップだと思われたことでも科学が常識的にとても信じられないような答えを出してきたこと,そしてそれが真実だったことを見ていこう,その真実に立ち向かう勇気を持とうということだ.そしてその例としてガリレオの力学,月は地球に対して自由落下しており質量はあっても重量を持たないこと,地動説,大陸移動説,原子核と電子のあり方から見ると通常の物質はほとんど真空からなること,分子や原子の小ささ(あなたが今飲んでいるコップ一杯の飲み物にカエサルの尿に含まれていた原子が1個以上含まれている確率はほぼ100%であること),特殊相対性理論,量子論が挙げられている.
 
ここでドーキンスは後付けで考えるといかにも単純な自然淘汰の議論がなぜ19世紀まで見過ごされていたのかを考察している.そしてそれは自然界の複雑さ,美しさ,目的論的デザインがあまりにも強力に知性を持つデザイナー説を指し示しているように感じられ,そこを飛び越えるにはとびきり大きな知的勇気が必要だったからだろうとコメントしている.
そしてそのような勇気を持って取り組むべきなお解決されていない問題の例として物理定数の決定問題をあげ,この解決もマルチバース説と人間原理を用いれば見通せるのではないかとしている.ドーキンスは最後に,この見通しが真実だとするのはまだ早いが,これまでの科学の軌跡を考えれば,勇気を持って立ち向かい,成長し,神様から卒業できると思うと述べて本書を終えている. 
 
新無神論を世に問うた「The God Delusion」は,論敵として宗教家,哲学者,宗教擁護的リベラルインテリなどを想定しており,ややテクニカルな議論が多く,厳しい指摘や皮肉っぽい批判もあって,多くの普通の人々に必ずしも共感を持ってもらえるような本ではなかっただろう.本書はそこを埋めるべき本で,神の実在に何となく疑いを持っているがなお踏み出していないような人達に向けて優しくカミングアウトの手伝いをするという本としてよくできている.宗教の主張は真実ではなく,宗教なしでも道徳は崩壊せず,自然界のデザインや宗教心自身も唯物的に説明できるのだというところに絞って扱っているのもそういう趣旨だろう.私的には結晶から発生のところの説明振りがなかなか楽しい一冊だったという感想だ.
 
 
関連書籍

ドーキンスが新無神論を世に問うた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20070221/1172066931

The God Delusion (English Edition)

The God Delusion (English Edition)

 
同邦訳.

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別

 
第8章関連では唯一邦訳されていないドーキンス本.なかなか楽しい本だけに未邦訳のまま取り残されているのは残念だ.

Climbing Mount Improbable (English Edition)

Climbing Mount Improbable (English Edition)

Virtue Signaling その4


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第3エッセイ なぜわざわざしゃべるのか

 
次のミラーのエッセイは言語について
 

  • 1990年代,私はポピュラーサイエンスの雑誌である「New Scientist」誌の大ファンだった.私の最初の本「The Mating Mind」に対しては好意的な書評を掲載してくれたし,執筆者や編集者に知り合いもできた.2002年に彼等は「科学におけるビッグクエッション」という特集を組むことにし,私に寄稿するようにいってきた.
  • 当時何がビッグクエッションなのかはよくわからなかったが,言語と信号理論についてはしばらく考えていた.「The Mating Mind」においても言語について1章をさいたし,1994年に出たピンカーの「The Language Instinct」,1996年のダンバーの「Grooming, Gossip, and the Evolution of Language」,1997年のディーコンの「The Symbolic Species」に魅せられていた.それまで100年間も評判が悪く単に思弁的であるに過ぎないと思われていた「言語の進化」への興味についてのルネサンスが1990年代に始まりかけていたのだ.
  • しかしこれらの言語進化理論はキーイッシューを見逃していると思った.これこそビッグクエッションだ.これらの理論はみな人々がなぜ情報を持っている他人の話を聞くのかを説明していた.しかしこれらはそもそもなぜヒトは内容のあるコンテンツを話すのかについて説明していなかった.それがこのエッセイの焦点だ.

 
確かにこれらの本はみな90年代に出版され,非常に刺激的だった.ピンカーとダンバーについては出版直後に入手して読んだことを思い出す.
 

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.) (English Edition)

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.) (English Edition)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

  • 作者: スティーブンピンカー,Steven Pinker,椋田直子
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 1995/06/01
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Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

Grooming, Gossip and the Evolution of Language (English Edition)

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ

The Symbolic Species: The Co-evolution of Language and the Brain (English Edition)

The Symbolic Species: The Co-evolution of Language and the Brain (English Edition)

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

 

How did language evolve?   In H. Swain(Ed.) Big Questions in Science, pp. 79-90 (2002)

 

  • 私たちはしゃべる.チンパンジーはしゃべらない.なぜだろうか.言語を説明することはヒトの進化におけるビッグクエッションであり,進化心理学にとってもキーになるチャレンジだ.しかし動物のコミュニケーションを調べれば調べるほどヒトの言語は謎めいて見えるようになる.
  • 25年前には言語を説明するのは容易だと思われていた.ジョン・ファイファーは1960年代の後半に「言語は後期旧石器時代革命と同時に進化したに違いない」と論じた.ヨーロッパで4万年前に生じた突然の洞窟絵画や彫刻や埋葬儀式や複雑な道具の出現と同時に言語も現れたと説明したのだ.フィリップ・リーバーマンは1970年代の初めに喉の化石の構造から見てネアンデルタール人は言葉をしゃべらなかったと主張した.そしてコンラード・ローレンツのような動物行動学者は「動物は世界についての有用な情報を共有する」というさらにナイーブな見解を持っていた.
  • これらの主張を合わせるとこぎれいな物語になる.「言語はヒト以外のどの種にも現れなかった.それはヒトにおいてのみ4万年前にグループ内で情報を共有するために進化した.一旦言語が進化すると私たちはすぐに文化,文明,そして引用カウントを発明した」

 

  • 問題は新しく得られた証拠に照らし合わせるとこれらの主張はなり立たないということだ.
  • 言語が4万年前に進化したのなら,サブサハラアフリカの人々やオーストラリアアボリジニが言語を持っているのをどう説明するのだろうか.言語がヒトのユニバーサルで,サピエンスが少なくとも10万年前にアフリカに出現したのであれば,その時点で言語はあったはずなのだ.古生物学者はネアンデルタール人についてのリーバーマンの主張も覆した.確かに彼等はサピエンスの言語の母音のいくつかを発音しにくかったかもしれないが,その喉の構造は全くしゃべれないというものではなかったのだ.
  • 最も重要なのは1978年にドーキンスとクレブスが動物コミュニケーションについての考え方を革新してしまったことだ.彼等は動物たちが有用な情報をライバルである同種個体に広く共有しようとするはずがないと指摘した.そのような共有は利他的であって進化するのは難しいのだ.
  • このドーキンス/クレブス革命以降,生物学者は動物たちが送っている信号のほとんどは世界についての情報などではないことを見いだしてきた.それは送信者の情報だったのだ.
  • 多くの動物信号は送信者の種,性別,年齢,場所を示す.それ以外では送信者のニーズというものもある(鳥のヒナが餌をねだる場合はそうだ).そして最もありふれているのは送信者の質を示すものだ.その健康,エネルギーレベル,頭の良さ,優れた遺伝子を示して,捕食者をあきらめさせ,性的ライバルを撤退させ,求愛するのだ.それは例えば「僕は健康なオスだよ,交尾しよう」といっているのだ.シグナル自体は込み入っているいることもあるが,そのメッセージは驚くほどシンプルなのだ.
  • 動物は滅多に世界のありようについての情報の交換をしない.確かに働き蜂は餌のありかをダンスで示すし,警戒コールを行う動物もいる.これらの信号であっても,それはシンプルで定型的だ.そしてそれ以外の場合動物たちは世界の情報に対しては非常に寡黙なのだ.
  • これらを考えると,ヒトの言語は進化的視点から見て謎に満ちている.なぜ私たちは真実でもなく,誰かに関わり合いがあるわけでもないことをわざわざしゃべるのだろう.ここで進化的に見ると,誰かのためやグループのためにしゃべるというのは説明にならないこと,言語が何らかの突然変異で一気に現れたりしないことを理解しておくのは重要だ.
  • 心理学,言語学,遺伝学の証拠からみてヒトの言語は複雑な適応産物だ.それは漸進的に進化したはずであり,発言者のメリットがコストを(平均して)上回り続けたことを意味する.コストとは有用な情報をライバルに与えてしまうことだ.では発言者のメリットは何だろう.多くの議論は発言者のメリットを考察していない.これはピンカーやビッカートンやディーコンの議論の弱点だ.そしてこれは(言語の理解のみを調べる)類人猿言語リサーチプロジェクトの弱点でもある.
  • ロビン・ダンバーの議論はこのメリットを考慮している.彼は言語は類人猿の毛繕いの延長だと主張した.グループ内での社会関係を築くことができるのは発言者のメリットでありうる.
  • ダンバー説の問題は,なぜおしゃべりにコンテンツがあるのかを説明できないことだ.毛繕いの延長なら単に意味のない声を出して歌っていても十分なはずだ.ダンバーは毛繕いの延長だからこそ私たちの会話のほとんどは無意味なのだと冗談めかして語っているが,しかしその内容が無意味だとしても,そもそも天気やカリフォルニアの電力事情について話すのはなぜなのだろうか.

 

  • この問題を解決するには1986年に人類学者のロビンズ・バーリングが提唱した理論をアプデートする必要があると考える.バーリングはすべての社会で男たちはその発話能力で社会的地位を得るのであり,その社会的地位は魅力的な女性たちとの繁殖機会で報われるのだと主張した.つまり言語は鳥のさえずりを同じく性淘汰産物だということだ.
  • 問題はバーリング説はなぜ女性もしゃべるのかを説明していないことだ.多くの性淘汰装飾はオスのみに発現する.多くの動物ではオスが求愛アピールを行い,メスが選ぶからだ.鳥のメスはさえずらない.ではなぜヒトの女性はしゃべるのか.
  • 「The Mating Mind」において私はなぜ男性も女性も面白いことを言おうとするのかを理解しようと試みた.多くのほかの霊長類と異なり,ヒトは長期的性的関係を形成し,その中で子どもを作り育てる.ヒトの男性はどの霊長類のオスよりも子育てに投資するので,長期的相手を選ぶときにより選り好もうとするのだ.祖先の男性が女性の相手をしゃべる能力に基づいて選り好んだら,女性もしゃべるように進化するだろう.つまり双方向配偶者選択が言語能力が両性に見られることを説明する鍵になる.
  • バーリング説はダンバー説と同じく,コンテンツの問題を解決できていない.私は脳の大きな動物は求愛時に何を見せびらかすようになりやすいのかを考えるといいと思う.知性が生存と社会生活にとって重要ならそれを求愛相手に広告するのは良い考えだ.そして言語は豊富なコンテンツを扱えるのでそのインディケーターとして特別に優れている.私たちは思考やフィーリングを言葉に込める.だから求愛相手はその思考やフィーリングに触れることができるのだ.私たちは言語を通じて相手の心を読むことができる.だから(単に身体や装飾ではなく)その心によって相手を選り好むことができる.ほかのどんな動物にもこんな事はできない.
  • 言語は,私たちの祖先が配偶相手を相手が考えていること,覚えていること,想像できることを元に選んだからこそ進化したのだ.先史時代のシラノやシェラザードは(口べたな)ホーマー・シンプソンよりうまくやれただろう.彼等はいつも真実をしゃべっていたわけではない.しかし彼等の言語能力は彼等自身について,その質の高さやパーソナリティについては真実を語っていたのだ.そしてそれこそ配偶相手を選ぶ上では重要なのだ.
  • 現在言語は単に求愛に使われているだけではない.しかしその起源は,その他の動物の複雑なシグナルと同じく.祖先たちが恋に落ちたやり方にあるのだと考えている.

 
改めて読んでみて,この言語起源性淘汰産物説は説得的だと思う.言語はしゃべっている内容の真実性を担保するようにはデザインされていない.しかし発言者の質については確かに真実を語っているのだ.今日この説明は言語進化周りであまり聞くことはないが,再考に値するものだろう.おそらくミラーもそう考えてここに収めたのだと思う.

Virtue Signaling その3


amzn.to

第2エッセイ ハンディキャップ原理

 
第2エッセイはザハヴィが提唱し,グラフェンが数理モデル化して世に受け入れられたハンディキャップ原理が採り上げられている.オリジナルはザハヴィの本への書評文であり,この書評についての解説はこうなされている.

  • スタンフォードの院にいたとき(1987~1992),私は配偶者選択型の性淘汰の理論とリサーチに取り憑かれていた.それはとても魅力的で力強く刺激的な進化プロセスに思えた.私はピーター・トッドと性淘汰のコンピュータシミュレーションアルゴリズムを開発し,共著で論文を書き,学生に性淘汰を教え,1993年にヒトの脳の増大を性淘汰で説明する論文を書いた.この論文はその後「The Mating Mind」につながった.
  • 性淘汰の様々な理論を吟味しているときにアモツ・ザハヴィのハンディキャップ原理の論文(1975)に出合った.それは非常に反直感的な議論でその真偽は当時進化生物学の大きな論争になっていた.しかしそれは私に突き刺さった.一旦ザハヴィのアイデアになじむとその適用範囲はあらゆる場所に広がることが実感できる.1990年代の中頃にはザハヴィのアイデアは最も深い進化理論の1つだと考えるようになっていた.それは進化心理学だけでなくゲーム理論,信号理論,消費理論,政治にも適用可能だ.そしてそれはヒトの「Virtue Signaling」のコアにあるのだ.
  • だから私はザハヴィ夫妻が1997年にハンディキャップ原理を解説する本「The handicap principle」を出版したときには大変嬉しかった.そしてEvolution and Human Behavior誌にこの書評を書いた.
  • 1年後この原理に関するカンファレンスをロンドンで開いた.そしてザハヴィその人を講演者の1人として招くことができた.ザハヴィは「ハンディキャップ原理が,単に性淘汰装飾だけでなく,私たちの行動についての理解を深めるかについての素晴らしく刺激的で野心的な講演をしてくれた.そしてそのヒトの行動には「Virtue Signaling」も含まれるのだ.

  

The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle (English Edition)

The Handicap Principle: A Missing Piece of Darwin's Puzzle (English Edition)

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利他行動の謎を解く

  • 作者: アモツザハヴィ,アヴィシャグザハヴィ,長谷川眞理子,Amotz Zahavi,Avishag Zahavi,大貫昌子
  • 出版社/メーカー: 白揚社
  • 発売日: 2001/06/10
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Book review of ‘The handicap principle’ by Amotz & Avishag Zahavi Evolution and Human Behavior, 19(5), 343-347 (1998)

 

  • 進化は効率性を最大化する.でしょ? 自然淘汰は適応度を最大化し,コストを最小化するように働くはずだ.このダーウィニアン効率性原理は明白で普遍的に思われる.
  • しかしこの重要で魅惑的で突飛な本はこの効率性原理が成り立たない状況を指し示す.それはとても特異的で限定的状況のように思われるかもしれないが実際には非常に広い.ハンディキャップ原理は,ある生物個体が別の生物個体に自分の「質の高さ」を示そうとするときに,唯一の可能な方法はそれを大きな適応度コストとして示すことだと主張するものだ.つまり「効率的な」シグナルでは質の高さを伝えられないのだ.馬鹿げた無駄遣いでしかそれを示すことはできない.(クジャクの羽の例をあげて具体的な説明がある)
  • この考えは奇妙で反直感的に思えるが,しかし私は正しいと思う.そしてこれは進化心理学とヒトの行動について非常に広いインプリケーションを持つ.
  • この原理はダーウィンの性淘汰理論,ハミルトンの血縁淘汰理論,トリヴァースの互恵性理論に比肩できるほど重要だ.そしてそれは配偶者選択リサーチの基礎となり,利他行動について血縁淘汰に対するラディカルな代替理論を提供する.本書には推測も多く含まれ詳細には誤りも含まれるだろう.しかし本書は進化生物学者と心理学者にとっては必読書だ.

 

本書について

 

  • 本書はザハヴィ夫妻によって書かれ,その娘夫妻によってヘブライ語から英語に翻訳されている.美しいクジャクの羽の絵がデザインされたカバーが掛かり,素晴らしいイラストにあふれている.
  • 4ページのイントロダクションで彼等の議論が簡潔に要約されており,例としてはガゼルのストッティングが使われている.この例は生物学的なゲームで真にゼロサムであるものは非常に少ないことをよく示していると思う.捕食者と餌動物でさえ時に共通の利益を持ち,それがコミュニケーションの基礎となるのだ.
  • 本書ではハンディキャップ原理を用いた信号の例が広く何百も紹介されている.その中には警告色,オス間の儀式的闘争,配偶者選択,親子コンフリクト,社会性昆虫のフェロモンシステム,鳥の共同ねぐら,そして粘菌の細胞間のシグナルが含まれる.
  • いくつかの章の議論は非常に説得的で,いくつかの章のそれはやや怪しげだ.しかし通説に挑戦する著者の気概は新鮮だ.読んでいくとなお多くの動物行動がまだグループ淘汰的なフレームで理解されていることに気づかされる.ザハヴィはそのような(いかがわしい)議論を強い怒りと皮肉を込めてたたきつぶしている.本書の理論的明晰性と革命的オーラは大学のセミナーでのケーススタディにもってこいだろう.

 

ハンディキャップ理論の苦難

 

  • ハンディキャップ原理は最初1975年に(つまり20年以上前に)アモツ・ザハヴィによって提唱された.それは性淘汰を巡る理論生物学に論争を巻き起こした.そしてごく最近1990年代になってから受け入れられ始めた.それでもまだ多くの生物学者にとってこの原理は,ネッカーキューブのように,あるときに自明に思え,そしてあるときには数理生物学の深い謎あるいは矛盾に思えるようだ.
  • 自明というのは校庭で子どもが何かを主張するにはとんでもないことをやらかすのが一番であるのは明らかだし,ウェブレンの顕示的消費の議論にも似ているところがあるからだ.
  • 片方で矛盾というのはこういうことだ.ハンディキャップ原理は信号が効率的な信号であるためには非効率的な無駄を要求されることを意味する.しかしこれは適応の基本的基準である効率性,安定性,種内普遍性,複雑性と相容れないように思われるのだ.ハンディキャップシグナルは非効率的で,安定性がなく(個体が少しでも弱ると信号は瓦解する),種内で異なるのだ.そして複雑である必要はない,単にコスト高であればいいのだ.
  • いずれにせよハンディキャップ原理の存在により適応の同定については新しい基準が必要になった.進化心理学のヒトの行動の適応を同定する基準にも改定が必要だ.
  • 1つの例は音楽だ.これまで多くの論者が音楽についてその才能に個人差が大きく,コスト高で機能がなさそうであるので適応ではないと見做してきた(ピンカーのチーズケーキ説はその1つだ).しかしハンディキャップ原理によるとこれはまさに質のシグナルとして期待される特徴になる.
  • 実際に本書は方法論的な悪夢であり,多くの論者にとって受け入れがたいかもしれない.ザハヴィは本書において様々な戦略の共進化を提示しているが,正式なゲーム理論モデルとそのナッシュ均衡の形を用いているわけではなく,示している均衡がただ1つであることも示していない.多くは反直感的な機能的仮説の形で示され,実験的証拠や信号の変異が機能にどう影響を与えるかの議論を提示していない.フィールドの観察とその機能についての推測が述べられているだけだ.
  • 著者については読むものの視点によって(1)ドーキンスを超えるハイパー適応主義者(2)フロイトのような興味深いエセ科学者(3)ヴィクトリア朝博物学者(4)動物の信号理論,性淘汰理論,血縁淘汰理論,利他行動理論に新しい活力を吹き込む情熱的で創造的な生物学者など異なって見えるだろう.私はこの最後の視点をとる.

 

  • しかしながらヒトの行動に適応主義を適用することに懐疑的な生物学者は次のようなことを指摘するだろう.「それはいかにもパングロス的だ.もしヒトの心の特徴が効率的で安定性がありユニバーサルであればそれをダーウィニアン適応と呼び,しかしそれが非効率的ですぐに瓦解し個体差が大きいのならそれはザハヴィアンハンディキャップと呼ぶというのだから.適応とハンディキャップの基準が完全な相補性を持つ以上,それは何も説明できていないだろう」
  • この非難を避けるために進化心理学者は適応を認識するための方法論的基準を持たねばならない.
  • ハンディキャップ原理は,個人差は大きく,遺伝性が高く,多くのヒトの社会的経済的文化的求愛的行動は互いに自分の質の高さを広告しているものだということを示唆している.これはコスミデスたちのヒトの心のユニバーサルな特徴についての標準的な見方と異なるものになる.ハンディキャップ原理は個人差について進化心理学に再考を促しているのだ.おそらくハンディキャップ原理は進化心理学と行動遺伝学の奇妙な愛と憎しみの関係の橋渡しをすることができるだろう.

 

利他性

 

  • 本書の目玉は第12章におけるアラビアチメドリの観察を元にしたザハヴィの互恵性利他仮説への力強い批判だろう.ザハヴィはこの群集性の鳥を30年にわたって観察し,多くの利他行動を見つけた.彼等は捕食者に対する見張り役(歩哨)として行動し,非血縁個体と餌を分け合い,共同営巣し,捕食者にモビングする.
  • 互恵性利他仮説は彼等が(他個体に利他行動を押しつけようと)騙し合おうとすることを予測する.しかしチメドリたちは逆に利他行動を行うことを競い合うのだ.優位個体は積極的に歩哨役を務め,それを代わって行おうとする劣位個体を攻撃する.ザハヴィは優位個体は利他行動をハンディキャップシグナルとして自分の質を広告しているのだと主張している.
  • 特に興味深いのはザハヴィがハンディキャップ原理を利他行動についての(ゲーム理論的な精査にも耐えうる)グループ淘汰的議論に用いていることだ.
  • ザハヴィは2つの鳥のグループを想定し,質の広告のハンディキャップシグナルとして片方のグループは浪費的な餌の散財を,片方のグループはコストの高い利他行動を用いた場合を議論している.どちらのシグナルもゲーム理論的にはパレート最適な均衡になっていて,グループはそこから動けない.しかしグループ間では利他行動をシグナルとするグループの方が有利になる.
  • これはよくある伝統的なグループ淘汰とは異なり,(利他的行動シグナルは結局その個体の利益につながっているから)グループ内での個体利益とグループ利益のコンフリクトは存在しない.しかしながらそれは(ヒトに見られるような)純粋の利他行動への橋渡しをすることができるかもしれない.それは性淘汰を受けたハンディキャップ型利他主義ということになる.

 
 
私がハンディキャップ理論を最初に知ったのはドーキンスの「The selfish gene」の邦訳初版(当時の邦題は「生物=生存機械論」というひどいものだった.1980年)で,こんなとてつもない議論があるのだと(やや懐疑的に)紹介しているのを1986年頃読んだときだ.そしてその後「利己的な遺伝子」に改題された第二版(1991年)で,それはおそらく正しいのだとグラフェンの数理モデルの要旨と共に註において解説されていた.そしてそのグラフェンの数理モデルが論文として出版されると共に行動生態学で受け入れられていく.このグラフェンの数理モデルは大変重要な仕事だと思うが,日本語で数理的な詳細が解説されているものは私が知る限りない.大変残念なことだ.
 

利己的な遺伝子 (科学選書)

利己的な遺伝子 (科学選書)

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 1991/02/28
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提唱者ザハヴィ自身による「The handicap principle」は出版直後にニューヨークの書店で発見してそのまま読み始めた記憶がある.様々なイラストと共に説得的な議論が展開され非常に面白かったのを良く覚えている.私が手にしたハードカバーも表紙カバーはクジャクだった.ミラーが「Virtue Signaling」の表紙にやはりクジャクの羽を使っているのは,このザハヴィ本へのオマージュでもあるのだろう.
 
アラビアチメドリの見張り役に関するザハヴィの議論も印象的でよく覚えている.現在ではハンディキャップ原理による利他性の説明は,血縁淘汰や直接互恵性,間接互恵性を補足するものとして捉えられていることが多いと思う.グループ間で異なるシグナルが用いられたときの利他行動がシグナルになったグループの有利性の議論がこの本にあったことは忘れていた.この議論はまさに「協力的な種」でボウルズとギンタスが得意そうに「弱いグループ淘汰」として定式化していた議論そのもので,彼等があそこにザハヴィを引用していないのはまたも醜悪な取り扱いだといわざるを得ないだろう.

 
いろいろ問題含みのボウルズとギンタスの「協力する種」.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

  • 作者: サミュエル・ボウルズ,ハーバート・ギンタス,竹澤正哲,高橋伸幸,大槻久,稲葉美里,波多野礼佳
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2017/01/31
  • メディア: 単行本
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