Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その8

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最後に扱われるの「一体ピンカーはこの本を書いて何をしようとしているのか,どのみち(トランプ支持者のような)馬鹿どもには届かないのではないか」という反応だ.ピンカーは本書を誰に向けて書いたのかを説明し,本書が基本的にはポジティブに受け取られていることを強調し,最後に実際に送られてきた一読者からの嬉しい手紙を紹介している.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その11>
  • 人々は不合理だ.彼等は事実が何かを気にしないし,議論しようともしない.だとするとあなたは「Enlightenment Now」で一体何をしようとしているのか.

 

<応答>
  • トーマス・ペインが書いているように「理性の使用を放棄している人と議論するのは死人に薬を与えるようなもの」だろう.私は「Enlightenment Now」を理性と議論を放棄している人向けに書いたわけではない.私はこれをあなたに向けて書いたのだ.実際に多くの人は事実が何かを気にするし,事実の提示によって(モラル的アイデンティティによって神聖な事柄以外の)意見を変えることがあるのだ.特に事実がグラフによって示されたならばそうだ.(グラフの有効性につてのリサーチが引用されている)

 

  • 「Enlightenment Now」を書いたときの望みが果たされたのかという点に関して言えば,ここで示している批判や私の反論にかかわらず,望みは予想を超えて果たされたと言うべきだ.「Enlightenment Now」に対する反応は私の最大の期待を越えて嬉しいものだった.「Enlightenment Now」は気むずかしい書評家たちからいくつもの激賞を受け,ペーパーバックの “Praise for Enlightenment Now” ページへの材料に事欠かない.1500通を越える手紙の大半はポジティブで建設的なものだった,その中でも特に嬉しかったのは次の3つの反応だ.

 

  • 最初の反応は現国家指導者,指導者・アドバイザー経験者7人との会談への招待だった.彼等は政治的なアドバイスを欲しがっていたわけではない.彼等は現在のリベラル民主統治の望みについて考察する機会を得たかったのだ.単に反ポピュリズムや反社会主義や現状維持主義では十分ではない.効果的な民主政治のリーダーであるためにはその使命の高貴さと価値についての信念が必要なのだ.そして啓蒙運動の理想は良いスターティングポイントになる.「すべての人間は生命,自由,幸福追求についての奪われることのできない権利を持つ.政府は人々によってそれらの権利を守るために統治する権限を与えられて創られる.」
  • 75のグラフが生命,自由,幸福追求についての進歩を示していることは,民主制の実験は,政府が常に改革を重ね問題を新しい知識によって解決する限り,成功しつつあることを示唆しているのだ.

 

  • 次の勇気づけられる反応は,自分たちの職業文化に破壊的な否定性が埋め込まれていることに気づき始めたジャーナリストたちからのものだった.
  • その否定性は読者を遠ざける:最近の国際的なリサーチでは1/3の回答者がニュースを見ないようにしていると答えている.そしてその態度は世界情勢についての誤解を生みだす.多くの人は世界の貧困や健康や暴力についての3択質問に対してチンパンジー以下の正答率しか示せない.
  • またその否定性は世界は改善できるという信念を腐食する:人類の進歩を信じない人ほど世界の将来に対してシニカルになる.そしてそのシニカルな態度はテロリストや乱射事件犯やツイートする政治家やその他の激情の暴発者たちのインセンティブを作り出しているのだ.
  • 世界の危険や不正義を報道すること(それはジャーナリストとして当然の行いだ)と,「良いニュースは大衆への迎合か企業PRか政府のプロバガンダに違いない」という奇妙な信念の元に進歩を覆い隠すことは違うのだ.
  • 私はジャーナリズムをより建設的でデータを基礎にしたものにするためのいくつかのプロジェクトに参加している.そのようなプロジェクトには以下に挙げるようなものがある.

www.solutionsjournalism.org

constructiveinstitute.org

futurecrun.ch

www.jodiejackson.com

thecorrespondent.com

www.blog.google

www.wbur.org

 

  • 3番目の心温まる反応は,多くの読者が「Enlightenment Now」を読んだことで人生が変わったと報告してくれたことだ.「心理学者」と呼ばれるようになってから,私はいつも「心理学者は人々のメンタルヘルスを改善してくれるはずだ」と考える人々の期待を裏切ってきた,そして人生で初めてその期待に添うことができたようなのだ.多くの心温まる手紙の中でこれが一番嬉しいものだ.それは「進歩を学ぶことの究極の効果は,単なる満足ではなく(進歩への)結びつきにある」という私の信念を裏付けてくれるものだからだ.

毎週私は自分のクラスに最近の出来事を教えています.そして教えることの効果は私にも跳ね返ってきます.多くの若い人は情報源をソーシャルメディアとニュースヘッドラインに頼っているので,私は一日中コンスタントにウルトラネガティブで恐ろしいニュースに襲撃され続けることになります.このプロセスは私を疲弊させるもので,私は時に鬱状態に陥っていました.
しかしあなたの本は私の人生を変えました.今では私は生徒たちに対峙し,生徒たちが議論したがっている恐ろしいヘッドラインを巡るコンテキストを提供できるようになりました.そして私は世界がより良い方向に向かっていることを知り,夜ぐっすり眠れるようになったのです.
現在の社会問題について黙示録的に採り上げず「問題は解決できる」と教えることが重要だと言うことについて,若い人々と接触しながら働いているものの一人としてあなたに全面的に賛成です.若い人に問題は解決できるのだと理解させることは特に重要です.なぜなら彼等は信じられないぐらいエネルギーにあふれているからです(私は毎日それを目のあたりにしています).私たちは,彼等を脅すのではなく(それはほとんどすべての研究でうまくいかないことがわかっています),彼等のエネルギーをうまく導くようにしなければなりません.
恐怖をあおり立てる文化の中で真に必要なコンテキストを提供してくれたことに深く感謝します.それにより私はより幸福な人間に,そしてより幸福な教師になることができました.

 
以上が「Enlightenment Now」を出して1年経った際のピンカーの批判に対する反論だ.基本的には浅い批判が多く,本書内で説明されていることで十分反論できるものばかりだ.ピンカーは本書の趣旨に整合的な多くの解説や記事を引用して自分の議論を補強している.向こうで出版されてからの議論の状況もよくわかるものになっていると思う.

<完>

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その7

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次に扱われるのは批判というより,本書がなぜ多くの批判を受けることになったのかについてのピンカーのコメントになる,

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その10>
  • なぜ「Enlightenment Now」はあんなに人々を怒らせるのか

 

<応答>
  • もしかしたら,それは私が啓蒙運動を理解していないから,本当は啓蒙運動の敵だから,啓蒙運動の罪を拭い去ったから,データをチェリーピックしたから,苦しんでいる個人に冷たいから,啓蒙運動が今にも消えそうなことに気づいていないから,ニーチェを十分に精読できていないから,なのかもしれない.いや,私としては決してそうは思わないが,自分で判断するのはベストとは言えないだろう.というわけでなぜ現代のインテリが本書にこうも激怒しているのかについて憶測を巡らすのにおつきあい願いたい.
  • 【プルーストを読ませよう】
  • 多くの文芸批評は,偉大さについてニーチェ的ロマンティズムに従って芸術や歴史的な成果を念頭におき,子どもの死亡率,栄養状態,識字率などの散文的な指標に無関心だ.50年以上前にC. P. スノーが科学で貧困国の人々の苦しみを減らせると主張したときに,文芸批評家のF. R. リーヴィスに「偉大な文学は人生の糧となる」という理由で攻撃された.
  • 私も「人類の最良の日は未来にあるのか」というテーマで議論したときにアラン・ド・ボトンから同じ理屈で反撃された.ボトンは彼の住むスイスについて,スイスは健康,幸福感,平和,教育,繁栄において素晴らしいところだが,それらは市民がプルーストを評価する保証にならず,他国民からの賞賛に値しないというのだ.(それを決めるのは他国民にまかせてはどうかというのが私の感想だ)
  • この文学至上主義は人類の状況を改善させようとするエンジニアやビジネスピープルや官僚の緻密な努力をあざけることにつながる.これらのハードワーカーたちは組織の中で黙々と成功を積み重ねている.これに対して多くのインテリたちは「クリティカルセオリー」とか「ラディカルな敵対性」とか「懐疑の解釈学」とかのスタンスに立って現代西洋は基礎から崩壊しつつあってラディカルな社会変革が避けられないと考えているのだ.

 

  • 【2つの文化】
  • リーヴィスはスノーの「啓蒙運動のコンシリエンスの理想に沿って科学と人文学は第3の文化に統合される」という示唆に激怒した.科学と人文学に橋を架けようとする試みに対して人文学者が見せる激情は現代のインテレクチュアルライフの中で長年にわたってみられる特徴だ.
  • 科学者の方はこれに気づかず,「なぜ我々は一緒に上手くできないのか」カンファレンスに招待されて,例えば「視覚認知科学が芸術に新たな光を当てる」あるいは「音楽ユニバーサルの解明における定量的調査の有用性」などについて話をし,自分たちが不作法な還元主義ナチスだと扱われているのを発見する.
  • 他の私の著書と同じく「Enlightenment Now」もこの科学と人文学の「境界」を侵し,定量的リサーチ,認知科学.進化心理学を用いて歴史,政治,哲学の解釈を豊かにしようとするものだ.

 

  • 【コンフクト対ミステイク】
  • スコット・アレキサンダーは最近のエッセイで2つのマインドセットの違いに光を当てた
    • ミステイク理論は政治を科学やエンジニアリングや医学と同じに扱う:国家は問題を抱えている.我々はみな医者であり,ベストな診断と治療を巡って議論する.一部の者はいいアイデアを持っているが,一部の者は役に立たなかったり多すぎる副作用を与えたりする悪いアイデアを持っている.
    • コンフリクト理論は政治を戦争として扱う:異なる関心を持つ異なるブロックは永遠に戦う.国家とはエリートをより裕福にするためのものか大衆を救うためのものかを決めるために永遠に戦うのだ.

slatestarcodex.com

  • 彼はいかに多くの調整不可能な違いがこの裂け目にあるのかを示した.それらの中には,議論と言論の自由の価値,人種差別の性質,民主制の利点と欠点,官僚制のメリットと革命的解決の有用性,知的な分析とモラル的な情熱の相対的有用性の問題が含まれている.(ミステイク理論家にとっては情熱は不適切で怪しいものだということになる.間違った者は正しい者と同じぐらい,あるいはそれを越えて大声を出すことがあるからだ.難しい患者の診断と治療を巡って医者が議論しているところに,頭のおかしい叔母が雇った男が割り込んで「それは狼瘡だ!」と大声で叫び続けても問題の解決には役立たないだろう)

 

  • 「Enlightenment Now」は単にミステイク理論に沿っているだけではなく,それこそ啓蒙運動の本質だとみている:「進歩は知識の応用にかかっている」のだ.コンフリクト理論家は啓蒙運動は単に特権の維持のための口実だと見る:彼等は「進歩は権力を巡る戦いにかかっている.」と考えるのだ.
  • アレキサンダーはなぜ共通の認識を得るのがこうも難しいのかを説明している.
    • コンフリクト理論家は,単に何が間違いかについて別のアイデアを持っているミステイク理論家というわけではないのだ.彼等はあなたの批判に対して,なぜあなたは間違っているのかを指摘したりはしない.
    • 「異なる立場を理解して,それを自分たちの言葉で説明できるようになったりしてはいけない」という立場を理解しようとするのにはメタレベルの問題がある.もし理解と説明に成功すれば,あなたは失敗するし,それに失敗すれば成功するのだ.


アラン・ド・ボトンのピンぼけぶりは動画でも見たが,いかにも見苦しかった.(この対談本についての私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20161113/1478991673,同訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20161113/1478991674) 芸術の高尚性を強調して現代文明をもたらす科学とその豊穣さを否定するというスタンスはいかにも似非インテリたちにとって居心地がいいのだろう.そしてもう1つの問題は問題解決ではなく相手を叩くことを優先するメンタリティだ.これらを打破していくためにも「今こそ啓蒙運動」というのがピンカーの趣旨ということになる.

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その6

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次の批判は本書の最終部分でのニーチェの扱いについてのものになる.ピンカーはこれが多大な反発を受けるとは予想していなかったと書いている.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その9>
  • なぜニーチェをそんなに悪く言うのか

 

<応答>
  • 私は自分の本のどこが読者に注目されるかについていつも驚くことになる.「Enlightenment Now」では,それは私のニーチェの扱いについてだった.ニーチェは哲学者であり,その著書の中身は「ヒューマニズムの真逆は何か?」という質問への解答だ.

 

  • ニーチェは「多くの人の苦痛を減らして,幸福度を上げる」という理想はユダヤ-キリスト教的「奴隷のモラル」の感傷的な残存物であり,究極のゴールに至る唯一の道は英雄と天才が偉大な功績を挙げて人類種を持ち上げることだと論じた.私はそれに関するニーチェの言葉を多数引用し(具体例:「高貴な男性による大衆への宣戦布告」「劣った人種の殲滅」・・・),そしてそれ以外の関連する言葉(具体例:「しくじった何百万人を絶滅させる」・・・)をリスト化した.そしてニーチェがファシストやナチスやボルシェビキに崇拝されていたこと,現在もオルトライトや白人至上主義者や自分がイケてると勘違いしている芸術家やインテリを鼓舞し続けていることは偶然ではないかもしれないとほのめかした.
  • 私のニーチェ主義への否定は余談などではない.これまで多くの著者たちが「ニーチェ思想は啓蒙主義が神を否定したことの不可避の帰結であり,もしあなたが啓蒙運動的ヒューマニストならあなたは同時にニーチェ主義者に違いない」と論じてきた.この「ニーチェは無神論者であり『神は死んだ』と宣言した.多くのヒューマニストも無神論者であり『神は最初からいない』と信じている.だからヒューマニストとニーチェは同じだ」という議論は論理的誤謬だ.
  • このように考える人の一部は単に無知からそうなっている.彼等はあまりにも有神論的モラルにとらわれていて,神以外から倫理を導く方法について見当もつかないのだ.(啓蒙運動思想家はどのようにそれが可能かについてプラトンを引用して示している) その他の人はもう少し物事がわかっているが,しかし現代(modernity)の理想,例えば科学,進歩,リベラル民主主義を受け入れられず,それを連想によって覆そうとするのだ,(そのもっとも良い例はジョン・グレイだろう.彼への批判についてはアンソニー・グライリングとジェリー・コインのエッセイを参照のこと)

www.newstatesman.com

https://newhumanist.org.uk/articles/1423/through-the-looking-glassnewhumanist.org.uk

Philosopher John Gray denigrates reason and promotes religion on the BBCwhyevolutionistrue.wordpress.com

 

  • いずれにしても「啓蒙運動=ニーチェ主義」という等式の誤りを示すのは容易だ.ニーチェのその文才のすべてを使って「ほとんどの人の人生は無価値だ」と論じており,それはヒューマニズムの考えの真逆だ.ヒューマニズムはニーチェではなく啓蒙運動によって鼓舞されており,ニーチェは啓蒙運動を蔑んでいた.そしてヒューマニズムUKの最高責任者でインターナショナルヒューマニストと倫理ユニオンの会長であるアンドリュー・コップソンはこう言っている.「ヒューマニズムとは有神論とニーチェをともに否定するものだ」

 

  • 何人かの批評家は私のニーチェの扱いについて憤慨して「ピンカーはジョークを解しないのだ」と攻撃してきた.(彼等によると)ニーチェはジェノサイドや女性蔑視的な言葉をそのままの意味で使っているわけではなく,皮肉,フィクション,あるいは時代も場所も違う人々の精神を再構築する試みと解すべきなのであり,ニーチェの文章は警句,パーソナルなもの,非倫理的なもの,矛盾とパズルに満ちた非論理的なものであり,誰も真に理解できないもので,私にはそれを批判する権利はないのだそうだ.

 

  • いやはや,あるいはそうなのかもしれない.しかし,「ニーチェはナチスやオルトライトに誤解されたのだ」と主張するニーチェの擁護のなかにも,彼がファシストに利用されたことの責任の一部はニーチェにもあると認めているものがいる.
  • いかにも.もしあなたのヒーローが「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を次々と流麗な文章で喧伝したのなら,洗練された解釈能力を持たない一部の読者が「堕落する人種の殲滅と優秀な単一人類の興隆」を信じ込んでも驚くべきはないのだ.

 

  • ニーチェが当時のユダヤ排斥主義者やドイツナショナリストに対して敵対していた(それも「Enlightenment Now」には書いておいたが)としても,それは効果的な擁護にはならない.哲学者のケリー・ロスは「ニーチェの人種差別主義は明白だ」と書いている.ロスは私のニーチェの扱いはむしろやさしい方だとも書いてくれている.

www.friesian.com

 

  • 私はニーチェについての専門家だと主張するつもりはない.私の「ニーチェは反啓蒙運動,反ニューマニズムだ」という主張は何人かの哲学者や歴史家(バートランド・ラッセル,リチャード・ウォリン,アーサー・ハーマン,ジェイムズ・フリン,R. ラニエル・アンダーソン,ジョナサン・グローバーたち)の仕事によっている.「Enlightenment Now」出版後,私の考えは法哲学者でニーチェ学の学者であるブライアン・レイターの「フリードリヒ・ニーチェ:真実は醜悪だ」というエッセイによって裏付けられた.そこにはこう書かれている.
  • ニーチェは反リベラルと共に実存する「実存主義者」だ.彼は有神論の崩壊を目撃し,ポストキリスト教現代のモラル世界観が基本的に耐えがたいものであるという考えに結びつけた.
  • もし,不滅の魂を持つそれぞれの人間を同じ価値あるものとして扱う神がいないのであれば,なぜ我々はみな同じモラル的考慮に値するものだと考えられるのだろうか? そしてもし,ニーチェが議論したように,平等のモラル,利他主義,苦しむものへの憐れみが人類の栄光への障害物であるなら? もしモラルを持つ人間がベートーベンになれないのだとしたら?
  • ニーチェの結論は明確だった:もし平等のモラルが人類の栄光への障害物であるなら,平等のモラルは悪しきものである,これはあまり知られていないが,ニーチェのショッキングな反平等主義なのだ.

www.the-tls.co.uk


私はニーチェについては著書を読んだこともないし,真剣にその思想を理解しようとしたこともないが,まあそういうことなのかなあという感想だ.現代の日本では,そして哲学業界ではニーチェの扱い,あるいは人気というのはどうなっているのだろうか. 

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その5

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次の批判は「AIとSNSが啓蒙運動を殺す」というそれだけでは何のことだかよくわからない批判だ.結局よくわかっていない人達による上っ面の批判だということになるのだろう.
認知科学のリサーチャーでもあるピンカーは本書内で既にこのAiについての懸念を一蹴しているが,ここでさらに深く反駁している.
 

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

<批判 その8>
  • 啓蒙運動はその落とし子つまり人工知能(AI)とソーシャルメディアに殺されるだろう.

 

<応答>
  • これはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の200周年において,たまらなく魅力的なストーリーラインだった.しかし電気ショックによる死体の生き返りと同じく,人類を置き換える汎用AIというのはSFファンタジーに過ぎない.私は「Enlightenment Now」において,AIが人類を征服したり人類抹殺事故を起こしたりするはずがないと論じた.
  • このテーマはツイートやロボカリプス記事に現れ続けた.しかし最近では多くの記事がこれを洗い流そうとしている.(例が示されている)

quillette.com

www.theguardian.com

www.technologyreview.com

 

  • (3番目の記事の著者である)ブルックスはMITのAIの専門家だが,「起こりそうにもないこと(広範囲な失業,シンギュラリティ,人類と異なる価値観を持つAIが人類絶滅を企むこと)への恐怖」について手厳しく批判している.
  • 彼は多くの誤解について洞察に富んだ診断をしてくれている.それはアーサー・クラークの「十分に発達した技術は魔法と見分けがつかない」のアプデート版ともいえるものだ.
  • 彼はニュートンが現代にタイムトラベルしてiPhoneを手に入れたらどうなるか想像するように読者を促している.ニュートンはiPhoneの様々な機能に驚き,それはちょうどプリズムのように(充電なしで)永遠に機能すると考えるかもしれない.これが未来の技術の想像に際しての問題なのだ.その機能が我々の理解を超えると,その制限や限界を想像することもできなくなるのだ.そうなるとそれは魔法と同じになる.どのような機能の主張も反駁不可能になる.

 

  • 2018年の風変わりで,技術をまるで魔法のように扱う予言の1つはヘンリー・キッシンジャーによるものだ.「どのように啓蒙運動は終わるのか」と題されたその記事の副題は「人類社会は哲学的にも知的にも,そしてどんな風にもAIの興隆に対して準備できていない」というものだ.

www.theatlantic.com

  • 彼自身インターネットの興隆に対して準備できているようには見えないことから見て,この95歳の政治家がテクノロジーの将来についてのベストなガイドだということはありそうもない.(キッシンジャーのピンぼけコメントが皮肉っぽく紹介されている)
  • AIがどのようにインターネットに統合されて啓蒙運動を殺すというのだろうか? キッシンジャーはAIのアルゴリズムは人から見て不透明で,意思決定をAIに委ねることは,政策を理性的に決定し説明するという理想を忘れさせてしまうと言う.しかしほかのピンぼけ預言者と同じくキッシンジャーは最近のAIのトレンド(マルチレイヤーのニューラルネットワークを誤差逆伝播法で訓練する手法;しばしば誤って「深層学習」と呼ばれる)を理解していない.

 

  • 魔法を解こう.深層学習ネットワークは,画像のピクセルや音の波形などの入力を,画像のキャプションや話された単語などのより有用な出力に変換するようにデザインされている.ネットワークは何百万もの情報のかけらをインプットから受取り,最初のレイヤーでそれを何千もの重み付けした組合せにして計算し,その結果を受け取った次のレイヤーはそれを別の重み付けの組合せにして計算し,それを次々に繰り返し,結果を答えの推定として出力する.ネットワークはそうやって計算した答えと(外側から与えられる)正解を比較し,その差異を巨大な数の信号変化として隠されているレイヤーに送り返し,答えが正解に近づくように重み付けを調整する.これを何百万回も繰り返す.これはきわめて速いプロセッサーと巨大データデットが可能にしたものだ.(私は「 How the Mind Works(邦題:心の仕組み)」でこれらのモデルの第1世代について詳細な解説を置いている)
  • 深層学習ネットワークはレイヤーの数が多いという意味で「深い」のに過ぎない.レイヤーの理解は玉ねぎの皮ほども「薄い」のだ.何日もトレーニングしたネットワークは驚くほど上手に入力を使える出力に変換するが,しかし彼等がその意味を理解しているわけではない.翻訳ネットワークは扱う文についての質問には答えられない.ヴィデオゲームをプレイするプログラムはその世界のオブジェクトや力について理解しているわけではなく,ルールのマイナーチェンジに対応できない.
  • 確かにプログラムの知性は何百万もの小さな数字によっていて,どのように決定されたかについては我々人間は再構成できない.それが「AIは我々にはわからない目的を持つのではないか,我々が感知できないバイアスを持つのではないか」という恐怖に結びつき,啓蒙運動の理性に対する脅威に思わせてしまうのだろう.

 

  • しかしこれこそが,AIエキスパートたちが,その最近の大成功にもかかわらず,AIネットワークの向上は障壁にぶち当たっていると考えている理由なのだ.そしてエキスパートたちはさらなる進歩のためには新しい種類のアルゴリズム,おそらく明示的な知識表出を含むものが必要だと考えている.エキスパートたちにはゲアリー・マーカス,ジュディア・パール,ジョフリー・ヒントン,アーネスト・デイヴィスたちが含まれる.(彼等の論文や記事が紹介されている)

medium.com

arxiv.org

www.axios.com

www.nytimes.com

  • そしてマーカスとデイヴィスが正しいなら(さらなる進歩のためには)AIはアイデアと目的をもっと明確に表出できるようにならなければならないだろう.AIはヒトを幸福にするためのツールに過ぎない.それがどう動くかが透明でない限り,つまりAIが人々の目的を理解し,常識と我々がセットした制限に従い,エラーを正すようにエンジニアリングできなければ,それは真に知性を持つとは言えないのだ.

 

  • もう1つの恐怖を生みだす魔法の道具がソーシャルメディアだ.そして民主制の破壊から特定世代の荒廃までこの惑星のすべての厄災の原因だと非難されている.しかし西洋文明をお払い箱にする前に,物事を歴史的に捉えるべきだ.これまで新しいコミュニケーションツールが現れると,いつもそれはまず偽伝,剽窃,陰謀論にあふれ,何らかの真実の保証方法が編み出されるまで続いたのだ.トンデモや陰謀論を好むものは常に存在するからだ.ソーシャルメディアはまだ始まったばかりであり,それがこの先もひどいマインドコントロールの道具であり続けて民主制や啓蒙運動的な組織を破壊すると信じる理由はない.政治学者のブリーデン・ナイファムが主張するようにフェイクニュースの影響力は誇張されているのだ.ナイファムは2016年の選挙のソーシャルメディアを調べ,選挙関連の書き込みがフェイクである比率は非常に低く,それを読んだ人は比較的少なく,フェイクなものも説得力を持たないものがほとんどであったことを見いだした.

www.nytimes.com

 

  • スマホの与える心理学的影響も歴史的視点から眺めてみるべきだ.

(ここで,1840年代の書籍,1880年代の新聞,1910年代の雑誌,1960年代のテレビ,1980年代のウォークマンがそれぞれ以下に憂われていたかを示し,今のスマホへの憂いも同じではないかと示唆するXKCDのコミックが紹介されている)

  • 「ここ数十年で最もメンタルヘルスに問題を抱える世代」? この警鐘を鳴らした心理学者ジーン・トゥインジはメンタルヘルスの推移傾向をリサーチした.

www.theatlantic.com

  • 彼女の記事は,ほとんどすべての世代が子どもたちにパニックになっていたことを示す戯画のようなものになっている.ミレニアル世代のナルシシスト傾向,iGenのスマホ依存など.この記事はすぐに激しく非難された.(批判記事がいくつか紹介されている)

medium.com

medium.com

https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797616678438journals.sagepub.com

www.zacharykarabell.com

 

  • まず,批判者の言うように子どもたちはほぼOKだ.その前の世代に比べアルコール依存,喫煙,犯罪,交通事故,妊娠,避妊なしのセックスの比率は低い.ティーンエイジャーの幸福感はここ20年で変化していない.メンタルヘルスの低下はごくわずかで,アメリカ経済の景気後退後の他の世代のそれとほぼパラレルだ.
  • スマホの使用は(極端な過剰使用をしない限り)メンタルヘルスに良い影響を与えるのかもしれない.(そして過剰使用とメンタルヘルスの相関関係も因果を示すものではないかもしれない.鬱になったティーンエイジャーはエレクトロニックな暇つぶしに没頭しやすいということかもしれないからだ)


関連書籍

ゲアリー・マーカスのAIについての最新刊.

Rebooting AI: Building Artificial Intelligence We Can Trust (English Edition)

Rebooting AI: Building Artificial Intelligence We Can Trust (English Edition)

Enlightenment Wars: Some Reflections on ‘Enlightenment Now,’ One Year Later その4

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次の批判は現代社会は人々の幸福感を蝕み,鬱や孤独や疎外,そして精神疾患や自殺が増加しているに違いないという思い込みからの批判になる.これは事実の誤認の上の批判だが,結構多く見られるということだろう,ピンカーは丁寧に対応している.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 
 

<批判 その7>
  • リベラルな先進国における絶望,鬱,孤独,精神疾患,自殺の増加をどう説明するのか?

 

<応答>
  • 説明などしない.なぜならそんな増加など生じていないからだ.
  • とはいえいくつかのサブポピュレーションは悲劇的に苦しんでおり(特に中年で低教育で田舎に住む白人アメリカ人はそうだ),そのため人々はどんどん不幸になっているという信念は非常に強固な幻覚になっている.それは「楽観度ギャップ」「『個人的楽観度/全国的悲観度』コントラスト」「ソロー幻覚」とでも呼ぶべきものだ.これについての良い概説はマックス・ローザーとモハメッド・ナジーによるOur World in Dataの記事になる.そこでグラフで示されているのは,すべての国で人々は「周りの人は自分より不幸だ」と考えているということだ.例えばアメリカ人は,「アメリカ人の過半数は幸福ではない」と考えているが,実際には90%が幸福だと答えるのだ.

ourworldindata.org

 

  • いくつかの特定の主張を見て見よう.リベラルな先進社会は疎外と絶望の掃き溜めどころか,実際のところ世界で最も幸福な場所だ.「The World Happiness Report 2018」によると世界で最も幸福な10カ国は,最もリベラルで先進的な北欧5カ国,スイス,オランダ,カナダ,ニュージーランド,オーストラリアだ,そして都市伝説と異なりブータンはそれほど幸福ではない(156カ国中97位).

worldhappiness.report


(なおこのリポートの幸福度は基本的にはアンケート調査に基づいて算出される.本記事のあと2019年3月に2019年版が出されている.これによると上位国はほぼ同じだ.ただしオーストラリアが11位に後退し,代わりにオーストリアが10位に入っている.アメリカは19位,日本は58位だ.日本の低順位についてはアンケート調査への回答傾向の文化的バイアスが影響しているのかもしれない)
 

  • 「Enlightenment Now」でも書いたように,世界はより幸福になっている.マックス・ローザーとエシュタバン・オーティス=オスピーナのOur World in Dataの記事によるとデータセットが2つ以上ある69カ国のうち49カ国の最新のデータで幸福度はその直前より増加しているのだ.

ourworldindata.org


f:id:shorebird:20190903231422p:plain
 

  • 鬱,先進疾患,薬物中毒の蔓延はどうなのか.ハンナ・リッチはOur World in Dataの記事でこう言っている.「多くの人は精神疾患問題は最近悪化しているという印象を持っている.IMHE(http://www.healthdata.org/gbd)のデータはこの結論を支持しない.精神疾患と薬物中毒の問題の状況は26年前の基本的に変わっていないのだ」

 
f:id:shorebird:20190903231453p:plain
 

  • 自殺についていえば,2018年のエコノミストの記事でトレンドが整理されている.自殺はほとんどすべての場所で減少しているのだ.

www.economist.com

 
f:id:shorebird:20190903231544p:plain
 

  • グラフはでアメリカと世界全体のラインがクロスしている.これがなぜ多くの人が自殺トレンドを誤解しているかをよく示している.アメリカ人ジャーナリストは一番腐ったチェリーをピックアップしていたという訳なのだ.アメリカは1999年から2016年にかけて世界トレンドに逆行していたのだ.アメリカの1999年の自殺率は実は史上最低で,20世紀前半には遙かに高かった.これはスイスや英国でも同じだ.
  • 自殺率をさらに詳細に分析するのは難しいが,エコノミストの記事では以下のように説明されている.
    • 「より大きな自由が自殺率減少の1つの要因だ」と精華大学教授のジン・ジュンはコメントしてる.女性の自立は多くの女性を救っただろう.2002年の調査では田舎の若い女性の自殺率は高く,自殺未遂者の2/3は不幸な結婚生活,2/5は夫に暴力を受けていること,1/3は姑との諍いを理由として挙げている.ジンは「彼女たちは夫の家族に嫁入りしたのだ.彼女たちは故郷を離れ,知り合いが1人もいないところに嫁いだ」と説明している.
    • インドでも同じようなことが起きている.「インドの若い女性は特に厳しいジェンダー規範に直面している.」とハーバードメディカルスクールのヴァイカラル・パテムは言う.もし妻の両親がその結婚を認めない場合には,両親は警察に娘を誘拐されたと訴える.そして警察は21才の女性を同意に基づく家庭から引きはがすのだ.パテムはこう結論する.「インドの多くの自殺は若い人が自分のロマンティックパートナーを選ぶための方法を欠いていることから来ているのだ」

 

  • イスラム学者ナディア・オウェイダットはあまりリベラルでも先進国でもないヨルダンで育ったときになぜ自殺を考えたかについてこう語っている.
    • 大学に行きたいと家族に言ったとき,彼等は激怒した.高校を卒業した時点でもう十分だと.私は英語を学んで国外に出るという望みを持つようになった.彼等はそんなのあきらめてすぐに結婚しろと迫った.
    • この諍いを終わらせる方法があるのは知っていた.大学に進んで教育を受けアメリカに脱出するか,あるいは死ぬかだ.

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  • デュルケーム的な結束の強い家族,親密な村の生活,伝統的社会規範は人々を疎外と自殺から守るという考えも再考を迫られている.エコノミストの記事が結論づけたように,「世界全体で自殺率は田舎の方が高い傾向がある.社会的絆は時に人々を束縛する.暴力的夫や暴君的姑から逃げ出すのは都会の方が容易なのだ」
  • これらのことは,田舎に住んだこともないくせに伝統的生活を切望する批評家たちの頭から抜け落ちている.バークレーの教授であるアリソン・ゴプニックの「Enlightenment Now」の書評サブタイトルは「この新刊でピンカーは不思議なことに小さな村の価値を無視している」だった.この自分で経験してもいないのに浸るノスタルジアは,不思議なことに田舎の小さな村の生活の偏狭主義,同調主義,部族主義,女性の自立の阻害を無視しているのだ.
  • 確かに啓蒙運動は女性が拡大家族に属しながら科学者としてコスモポリタン的大都会で成功する方法を示すことができたわけではない.しかし彼女がその選択権を持つようになったことが,現代への告発理由になるはずもない.

 

  • 人生にはトレードオフがつきものだ.現代社会のかつてないような自由は,親密さと自立のトレードオフ,長期的にまずいことになる誘惑に負ける自由を含むのだ.我々はまだ皆が自由をうまく使えるようなナッジを駆使できる完璧なリバタリアンパターナリズムには行き当たっていない.しかし法学者リチャード・ポズナーが指摘するように.現代への嘆きに繰り返し現れる誤謬は「理想化され悪徳を無視した過去と悪魔化した現代を比較すること」なのだ.