第18回日本人間行動進化学会(HBESJ Mejirodai 2025)参加日誌 その2


 
 

大会初日 11月29日 その2

 
口頭セッション1のあとはポスターセッションが90分.
いろいろバラエティのある発表が並んでいて楽しかった.

その後夕方の口頭セッション2に
 

口頭セッション2

日本企業の集団儀礼と凝集性:教義的かつ苦痛を伴わない儀礼によるアイデンティティ融合の促進 仁井田英佑

 

  • ヒト社会で行われる儀礼には様々なものがあり,火渡り,入社式の社長訓示,スポーツ選手のルーティーンなどがある.ホブソンは儀礼について,形式的,反復的,象徴的,直接的な意味がないなどの特徴を挙げている.機能についても認知的なもの,社会的なものなど様々な議論がある.ホワイトハウスは宗教的な儀礼について教義的,図象的の二態様論を提唱した.宗教儀礼以外では.小規模集団における個人的な絆形成がよく議論される.
  • キムは現代社会における集団儀礼の機能として,活動の意味付与,組織市民行動を挙げている.
  • ここではキムの分析が日本企業に当てはまるかを調べた.背景にはWEIRDの問題意識,企業組織文化の日米差がある.日本企業への従業員へのオンラインアンケート調査により,参加者の認知・感情,アイデンティティ融合の側面を調べた.
  • 結果は集団儀礼の儀礼性は,仕事の有意未成,組織市民行動の両方と正の相関があった(キムの知見が再現された)
  • また,ホワイトヘッドの二態様論に基づいて儀礼の特徴を(苦痛,教義的などに)因子分析してアイデンティティ融合との関係を調べた結果,アイデンティティ融合については苦痛因子が負の,教義的因子が正の相関を示し.苦痛なしの教義的な儀礼によってアイデンティ融合が機能する可能性が示された.

 
発表者はリクルートのマネジメントソリューション,人事領域ともかかわっているということで,日本企業の具体的な所作について発表であり,いろいろ具体的で面白かった.苦痛とはどのようなものかも例示されていたが,その中で「退屈」というのがあったのにはちょっと笑った.
 

狩猟採集⺠と食糧生産⺠の関係性の数理モデル:存続性と食餌幅の観点からの考察 河⻄幸子

 
(SNS言及不可マーク付き)
農耕牧畜民登場後の狩猟採集民の存続条件をモデル的に検討したもの
 

日常で耳にする音の言語化:発達における表現方略の変容 服部楓

 
子供が母語の音韻体系にどのように適応していくかを調べたもの,どちらかというと言語発達的な内容.

  • 子供の言語発達において,子供は1年程度をかけて母語の音韻体系に適応していく.この全体像は関与する要因が多く分析が難しい.ここでは模倣音(ワンワン,グーなど)に絞って探索的に調べた.
  • 方法的には「聞いた音を言葉で真似っこしてね」と頼んで*1,様々な刺激音を聞かせて,発話を録音し,スペクトラムを機械学習を利用して図示した.(いろいろな刺激音に対してどのような発話が現れるかが図示説明される)
  • 結果:1歳ごろまでに音韻体系化が進む,それ以降は成人との差がなくなる,どの表現にカテゴライズするかについては差が出るということが示された.

  

進化力学系ゲームにおける制度の自己組織化 板尾健司

 
共有地の悲劇を防ぐ制度の創設を進化力学系ゲームにより分析したもの

  • 共有地の悲劇の解決の1つは制度やルールになる.実際にはそれぞれの状況によりいろいろなルールが現れる.(たとえば3日ごとに利用,順番に利用,資源量に応じた調整など)
  • この問題についてのこれまでの分析は,ゲーム理論に基づいていた.そしてあらかじめ協力と裏切りの選択肢があって,それぞれの利得が決められて分析されていた.しかしこのような分析では制度の安定性は分析できない.そこでこの枠組みを力学的に拡張し,プレーヤーの行動により環境状態が変化し,利得も変化するという形の進化力学系ゲームで分析した.(具体的には資源量x,各プレーヤーの豊かさyを環境条件とし,それが時間依存してx(t), y1(t), y2(t)という関数で表される.ここで戦略を決める重みづけパラメータをs, oとし,手の選択をx, sy1, oy2, に依存するとして,その戦略パラメータs, oの進化を考えるモデルになる.tは離散時間で,各プレーターはあるタイミングごとに資源を収穫するか見送るかを決めるイメージになる.利得は当初資源量と各プレーヤーの収穫により決まる.進化は集団の中に複数のサイトがあり,その中でランダムマッチングした相手と繰り返しゲーム対戦し,より豊かになった方が有利になる形で生じる)
  • 結果,双方全期間利用だと利得が少なくなるので,まず何回かごとに利用する形が現れ,そこで(繰り返し囚人ジレンマで現れるような)搾取と罰の進化ゲームが生じる.世代が進むと何回かごとの利用が揃う同期状態となり,最終的に利用フェーズがずれる分業状態(双方の利得が最大になる)になる(進化動態の詳しい状況,進化的頑健性,効率性と認知負荷のトレードオフなどが説明される)
  • この分析によりボトムアップ的な制度の自己組織化が説明された.

 
なかなか力の入ったシミュレーションで興味深かった.

以上で大会初日は終了だ.
 

*1:と,発表されていたと思うが,あとで考えると1歳でこの教示に答えられるのかはなかなか難しいようにも思う.私が何か聞き逃していたのかもしれない

第18回日本人間行動進化学会(HBESJ Mejirodai 2025)参加日誌 その1


 
11月29日と30日に人間行動進化学会が開かれたので参加してきた.私としてはコロナ騒ぎ以降すっかり出不精になってしまい,ここしばらくオンライン参加が続いていたが,6年ぶりに東京開催ということで対面参加することにした.開催場所は目白台の日本女子大キャンパス,目白通りを挟んでかつての田中角栄目白御殿(現在は角栄死後,敷地の過半が相続税物納され,目白台運動公園の一部となっている)の向かい側に位置する瀟洒なキャンパスだ.
 

大会初日 11月29日

 
開会は午後一時.開会挨拶の後早速口頭セッションに
 

口頭セッション1

 

集団意思決定の効率性と柔軟性:異なる社会学習アルゴリズムの集合的帰結 菅沼秀蔵

 
急速に変化する現代社会においては,社会的な意思決定において,効率性と柔軟性のトレードオフが重要になっているだろうという問題意識の上に,社会学習戦略を考察した発表.

  • 認知神経科学においては社会学習アルゴリズムとして2つの類型が提唱されている.1つは決定バイアス法(DB),もう1つは価値形成法(VS)だ.
  • DBは他者の行動(社会的情報)を行動選択における選択バイアスに組み込む方式(選択肢の評価には直接影響を与えない),VSは他者の行動を選択肢の評価に組み込む方式になる.
  • ヒトが個人レベルで実際にどちらを使っているかについてのこれまでのリサーチではVSに近いとされている.
  • 今回,社会相互作用がある時にそれぞれの方式がどう影響するのかについて集団レベルでの考察を行った.
  • 2腕バンディット課題を用い,集団サイズ,多数派バイアス,共有メカニズム(どこまで開示するか)の程度をパラメータとして,試行途中で選択肢の有利不利がフリップする設定で.エージェントベースシミュレーションを行った.
  • (様々な結果が紹介され)一般的にVSの方が効率的だが,DBの方が環境変動に対して柔軟性があるという結果が得られた.またこれらの結果はより大集団,より多数派バイアスがある方が強く出た.
  • VSは小集団,環境定常で情報の質が高い時に有利だが,現代環境ではミスマッチになる可能性があると考えられる.
  • また進化動態としては集団内で(頻度依存により)VS,DBが共存することも示された.これは個人差を説明するものかもしれない.

 

集団間の不平等はいかに創発するか:多数派と少数派におけるタイプ条件づけの進化 山本嵩記

 
集団内の不平等がいかに生じるかについての発表で,キーになるのはタイプ条件付け(相手の属性により行動を変える戦略).ナッシュ要求ゲームにおいてどのナッシュ平衡に収束するかをみていく.

  • オコナーはナッシュ要求ゲームを用いて不平等の創発を分析した.そこではタイプ条件付き戦略が可能であれば少数派が不利になりやすいことが示された.これは(より多数派と対戦することが多く進化速度の速い)少数派が不利になっており,オコナーのいう文化的な赤の王効果が効いていることになる
  • ここではこのようなタイプ条件付き戦略が進化可能なのかどうかを,規模の異なる2集団混合で個人がランダム対戦を繰り返すかたちの進化モデルで分析した.
  • 結果は,タイプ条件付きは進化可能というものだった.そしてそれは集団規模が大きいほど,不平等なナッシュ均衡利得の平等配分からの差が小さいほど進化しやすかった.また後者の場合,より少数不利が生じやすかった.
  • これは相手を区別する行動が適応的に生じ,それにより不平等が生まれる可能性を示している.

 
最初の2つの発表はいずれもシミュレーションベースの進化動態を見るもの.どちらも詳細は細かなパラメータ依存が複雑でいろいろとマニアックだ.
オコナーの議論はこの本にあるものがベースになっている.

私の書評はこちら
shorebird.hatenablog.com

 

関係流動性と評判情報流通の文化差:オンラインレビューを用いた大規模国際比較 日下部春野

 
評判情報の内容と社会の関係を調べたもの

  • 評判情報は間接互恵的協力を可能にするものでヒト社会の基盤になっている.その機能は環境依存部分があると考えられる.そこで異なる社会で実際に流通する評判情報を調べてみた.社会に違いについては関係流動性(社会的関係の選択の自由度:アメリカで高く日本で低いといわれている)に注目した.
  • 関係流動性が高い社会だと,既往の関係からすぐに相手を変えられるが,低い社会だとその関係性に縛られる.
  • 仮説として,(1)関係流動性が高いと高評価の評判が(より価値が高いと考えられるため)より流通しているだろう(2)関係流動性が低いと低評価の評判が(より価値が高いと考えられるため)より流通しているだろう,の2つを立てた.
  • そしてGooglemapレビューの,レビュー数,平均スコア,コメントの感情価を評価したものを39カ国390都市に

わたり調べた.感情価は特にポジティブなものと特にネガティブなものを抽出して分析した.

  • 結果:平均スコアと関係流動性は正に相関した(両仮説と整合的).しかしポジティブ感情価は関係流動性と正の相関を示したが,ネガティブ感情価は有意の相関がなかった.(仮説(1)のみを支持)
  • このことは関係流動性の高い社会においては高評価の評判がより(有用であるため)流通している可能性を示唆している.

 
GoogleMap上でどのような評判情報があるのかを分析するというアイデアは楽しい.コメントの感情価評価して極端なものを採用するというアイデアも面白かった.

 

The evolution of cooperation when gossip with various lies from defectors spread in the population 福田陽介

 
(本件はSNS言及不可のもの.SNSでの言及不可とされているものについては,公開されている発表要旨範囲内の簡単な紹介にとどめておく.以下同様)
非協力者が虚偽情報を広める状況で協力が進化するかどうかを進化ゲームで調べたもの.
 
ここまでで口頭セッションの1部が終了だ.
 
日本女子大と目白通りをはさんで向かう合う目白台運動公園.奥に日本女子大が見える.

The Gene’s-Eye View of Evolution その32

 
 

第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その6

 
概念の整理を行う第2章.まず「遺伝子」が取り上げられる.ここではデイヴィッド・ヘイグの論考を機軸にして議論が進む.まず「gene」の起源としてのヨハンセンの仕事が取り上げられ,そこから分子生物学者と進化生物学者が異なる意味で「遺伝子」を用いていることが紹介された.そして進化生物学者はその分子的な詳細に興味はなく,表現型にどのような違いが現れるかに注目する.この側面についてキッチャ―とステレルニーは「違いを作るものとしての遺伝子」と呼ぶ.
 

2-2 利己的な遺伝子とは何か その3

 

  • 遺伝子についてのこの(違いを作るものとしての)様相を捉えるために,モスは表現型的なP遺伝子(Gene-P)という遺伝子概念を導入した.P遺伝子は前成説的な遺伝子概念で,表現型を予測する.それは発生的なD遺伝子(Gene-D)との対比概念になる.D遺伝子は分子生物学者のいう遺伝子に近い概念で,分子的な配列を持つ物質的な概念だ.

 
モスとは哲学者レニー・モスを指している.このP遺伝子とD遺伝子の区別は彼の著書「What Genes Can't Do」で提示されたものだ.モスはこの本で,遺伝的決定論を批判し,遺伝子は発生過程の1プロセスでしかないという議論を展開している.基本的に遺伝子視点にも批判的であるようだ.

 

  • P遺伝子はメンデルやヨハンソンにとってなじみやすいだろう.しかしここ半世紀のD遺伝子的な知見の進展は,彼らにとって理解困難かもしれない.
  • ルーとボウラは最近のエピジェネティックスティックスの知見と遺伝子概念の関連を議論し,似たような意味で進化的遺伝子と分子的遺伝子という概念を提示している.ここで重要なことは遺伝子視点は遺伝子について抽象的に考察することを好み,分子的な実体について曖昧であることを喜んで受け入れがちであるということだ.

 
ルーとボウラの議論は,科学哲学の論文誌に掲載された「The evolutionary gene and the extended evolutionary synthesis」という論文においてなされている.
philpapers.org

 

  • 遺伝子視点の遺伝子についての概念化は,表現型についてどう考えるかについても含意を持つ.生物学の伝統的な見方では表現型は個体の属性だと考えるが,ドーキンス(1982)がいうように遺伝子視点では表現型は遺伝子の属性だと捉える.故に,遺伝子の効果は代替アレルとの比較において考察されることになる.代替アレルがなければ表現型自体がないことになるのだ.これは奇妙に感じられるかもしれないが,実はヨハンソンのオリジナルな表現型の定義に近い.ヨハンソンは個体の(他個体と)区別しうるタイプを考えていた.

 
このあたりは「違いを作るものとしての遺伝子」として行動生態学でよく見かける考え方であり,ヘイグも取り上げているところだ.「From Darwin to Derrida」では第4章でこの問題が詳しく考察されている.私のノートは
shorebird.hatenablog.com

 

  • では,遺伝子が表現型効果を失ったら,「違いを作るものとしての遺伝子」はどうなるのだろうか.これは単に哲学的な問題ではなく,ゲノムワイド連関分析においてゲノムの大部分でシグナルを見つけられない時に実際的な問題になる.1つの考え方は効果がないのだから遺伝子もないと考えることだ.あるいは,そのような遺伝子は淘汰にかからず浮動によってのみ運命が決まると考えることもできる.

 
ここはちょっと哲学的で面白い.そしてGWASに置ける実務的な問題につなげているのもなかなか楽しい.
 

  • 最後に,遺伝子視点的な遺伝子概念を採用するなら,フィッシャーの拡張した環境概念も受け入れなければならない.分子生物学者や生態学者は環境を生物個体の外側のものに限定しようとする.しかし遺伝子視点をとるなら,環境には,同じ遺伝子座の他のアレル,同じゲノムのその他の遺伝子,同じ集団の遺伝子プールが含まれる.それは「代替的な存在によりシェアされた世界のすべての部分」なのだ.
  • 表現型のオーナーを個体から遺伝子に移すことによるメリットには,表現型を個体の身体を越えて捉えることができる(延長された表現型)ことがある.

 
ドーキンスが「利己的な遺伝子」の次に「延長された表現型」を書いたのはある意味論理的な必然だったということになるのだろう.

書評 「アンモナイト学入門」

 
本書は古生物学者相場大佑によるアンモナイトについての解説書だ.アンモナイトといえば,中生代を代表する生物で,その化石は古生代の三葉虫と並んで教科書にも載る「示準化石」であることでよく知られている.とはいえ,ではアンモナイトがどのような動物かといわれると,頭足類に含まれ,現生のオウムガイによく似ているという程度の知識しかなかった.三葉虫については三葉虫専門の古生物学者リチャード・フォーティによる「三葉虫の謎」があって大変面白かったが,アンモナイトについてはそのような本に触れる機会がこれまでなかった.というわけで手に取ったのが本書になる.表紙は相場自身の手による最新知見を元にしたアンモナイトの復元画でなかなか味がある.
本書はアンモナイトの様々な点について解説されているが,本稿では私にとって興味深かった部分を中心に紹介しておこう.
 

第1章 アンモナイトのきほん

 
第1章ではアンモナイトがどのような動物かが概説される. 

  • アンモナイトという呼称は,古代エジプト神話のアメン(ギリシア語ではアモン)に由来する.アモンには豊饒の象徴とされる羊の角があるとされており,プリニウスがアンモナイト化石を「アモンの角」として記述し,18世紀の動物学者がそれを元に「アモンの石」を意味するアンモナイト(Ammonite)という呼称を作った.
  • アンモナイトの殻は螺環と呼ばれる.その開いた端を殻口,その反対側を殻頂と呼び,巻いた螺環に囲まれる中央部分は臍と呼ぶ.表面の輪っか状の凸凹は肋と呼ぶ.殻内部は(隔壁に仕切られたいくつかの気室から成る)気房と(殻口側にある本体が入っている)住房からなる.螺間の内部には連室細管という管状の構造がある.隔壁は全体が波打っており,それが作り出す複雑な模様は縫合線と呼ばれる.
  • 現在想定されている系統関係によると,アンモナイトは基盤的頭足類からオウムガイが分岐した後に現生のイカ・タコ類の共通祖先と分岐している.つまり系統的にはオウムガイよりもイカ・タコと近縁ということになる.

 

第2章 アンモナイトの進化と絶滅

 
第2章のテーマはアンモナイトの進化史,主な系統の栄枯盛衰がまず語られ,そこからいくつかの関連トピックが取り上げられている.

  • アンモナイトは古生代デボン紀前期に登場し,白亜期末に絶滅した.(どこからをアンモナイトと呼ぶかという問題があるが,ここではアンモナイト目だけでなく(殻が一周以上巻くようになった)アゴニアタイト目以降の目をアンモナイトと呼ぶとして説明されている.アンモナイト目だけに絞れば登場は中生代の三畳紀となる)

 

  • デボン紀前期にまっすぐな棒状の殻を持つ頭足類バクトリテス亜綱から,最初のアンモナイトであるアゴニアタイト目が派生し,巻いた形に進化した.
  • デボン紀中期にはアゴニアタイト目からゴニアタイト目,クリメニア目が派生した.デボン紀末の大量絶滅では,ゴニアタイト目の1系統のみ生き残った.
  • 石炭紀に入るとゴニアタイト目が多様化しペルム紀まで繁栄した.その中で石炭紀にプロレカニテス目が派生し,さらにペルム紀にはそこからセラタイト目が派生した.
  • ペルム紀末の大量絶滅では原始的セラタイト目のみ生き残った(正確にはプロレカニテス目の一部も生き残ったがすぐ絶滅した)
  • 中生代三畳紀にセラタイト目が多様化した.そこからアンモナイト目が派生し,爆発的に多様化し,中生代を通じて繁栄した.(その中の様々な亜目や超科の栄枯盛衰が詳しく解説されている)
  • 白亜期末の大量絶滅でアンモナイトは恐竜や海生爬虫類とともに絶滅した(ただしごく一部の系統がわずかな期間生き延びたらしい*1

 

  • アンモナイトの古生代の初期進化における最も重要な変化は巻きがきつくなったことだ.このことの適応的意義については近年詳しく研究され,「魚の時代」ともいわれるデボン紀に顎を持つようになった魚類とアンモナイト類に捕食と防御の共進化が生じて,棒型から巻き型に進化したと考えられている.(横向きになって泳ぐことができる,その他に漏斗を様々な方向に向ける様な形態変化が同時に生じている)
  • アンモナイトの初期進化のもう1つの重要なポイントは(卵の中で幼体が丸くなれることによる)孵化サイズの縮小と殻の大型化,小卵多産型の繁殖戦略だ.

 

  • アンモナイトの進化においてよく議論されるのは,殻装飾の進化傾向だ.突起やイボなどの殻装飾は古生代にはほとんど見られず三畳紀以降に増加する.ウォードは中生代に二枚貝の殻を砕いて中身を食べるカニやヒトデが現れたこと(ヴァーメイによる中生代海洋革命)により,アンモナイトも防御力を高める方向に進化した可能性があると指摘した.中生代には海生爬虫類,ベレムナイト,コウモリダコなどの捕食者も現れた時代であり,アンモナイトが防御力強化の方向に進化した可能性はあると考えられる.
  • もう1つよく議論される進化傾向は,縫合線の複雑化だ.複雑化はよく知られたアンモナイトの進化パターンだが,その適応的意義は(殻強度向上は機能としてあったと思われるが)なお十分に理解されていない.

 

  • 白亜期末の大量絶滅を,イカ,タコ,そしてオウムガイは生き延びたのに,なぜアンモナイトは生き残れなかったのかについても様々な研究がある.最も有力視されているのは孵化サイズの違いで,アンモナイトは小卵多産型(r戦略),オウムガイは大卵少産型(K戦略)をとっており,そのサイズからアンモナイト幼生は浮遊性と考えられ,海表面近くで酸性雨の影響を大きく受けたと考えられている.また基礎代謝がオウムガイより高く,異常な環境下で脆弱だった可能性があるという指摘もなされている.

 

第3章 アンモナイトの成長

 
第3章のテーマはアンモナイトの成長.

  • アンモナイトは古い殻に新しい殻を継ぎ足ししながら成長する(付加成長).その際には隔壁を形成して1ブロックごとに移動していく.新しい隔壁が十分な厚さになると,気室の中のカメラル液を排水し気体を満たし,浮力器官とする(アンモナイトの連室細管の化石の分析から,連室細管はオウムガイのそれとよく似ており,同じような成長プロセスを持っていたと考えられている).
  • オウムガイに関するよくある誤解は「気室中の液体量を頻繁に変えて浮力を調節している」というものだ.実際には一度空にした気室にカメラル液を充填することは基本的になく,殻が欠けて浮力が高まりすぎたような緊急事態下でのみゆっくり再充填することがあるだけだ.アンモナイトはオウムガイより素早く再充填できたとする説もあるが,基本構造はオウムガイと同じであり,手放しでは受け入れられない.
  • アンモナイトの成長は胚殻期,幼年期,未成熟期,成熟期の4つの段階があるとされている.隔壁の間隔パターンなどから未成熟期にはいって浮遊性から遊泳性に変わると考えられている.(それぞれの段階の様々な議論が詳しく解説されている)
  • アンモナイトには雌雄がある(雌雄同体ではない)と考えられている.20世紀半ばに化石の特徴や産出状況から同種と思われる大きさが異なる2タイプの化石(大小それぞれをマクロコンク,ミクロコンクと呼ぶ)があることが指摘され,それが雌雄の性的二型であると考えられるようになった(なぜそう考えられるようになったのかについて詳細な説明がある).どちらがオスでどちらがメスかについては,ほかの頭足類の状況などからマクロコンクがメスとする説が有力だが,時代や種類により異なっている可能性も残っている.
  • アンモナイトの寿命はどのぐらいだったか.現生頭足類では1~20年と幅があり,野生のオウムガイは再捕獲法により20年程度と推測されている.アンモナイトはオウムガイと異なり小卵多産型戦略をとっているので,同じ戦略をとっている現生頭足類をもとに考えるとその寿命は1~数年程度と考えるのが妥当だろう.

 

第4章 アンモナイトの生態

 
第4章のテーマはアンモナイトの生態.特に生殖場所,遊泳能力と殻形の関係,食性が詳しく取り上げられている.

  • アンモナイトには多くの種があり,沿岸の浅海域から沖合いの(百数十メートルの)深い海まで様々な環境で生息していたと思われ,化石が堆積した海域の環境と殻の形や装飾に相関があることが知られている.
  • 装飾型は浅海域に主に見られ,異常巻き型はそれよりやや沖合いに近い海域,平滑型はさらに沖合いの海域に多いが,平滑型の分布を見ると浅海域から百数十メートルの深海域まで広く見られる.
  • 平滑型のアンモナイトの場合,螺間が細い殻は浅海域に多く,太い殻は広く分布するが,沖合い域に多い.これは海中の流れの強さと遊泳効率から説明がなされている.
  • 装飾型のアンモナイトの場合,(分布の中で)より浅い海域では螺間が太く装飾が強く,やや沖合いでは螺間が細く装飾が弱い傾向がある.装飾の強弱は浅い海での捕食防御と強い流れの中の安定性の重要性から説明されている.(ここで螺間の太さが平滑型と逆の傾向にあるのはなぜかという問題について,殻形成の発生的制約の可能性を絡めた議論が紹介されている)

 

  • 殻の同位体分析から,アンモナイトはジュラ紀から白亜紀にかけて遊泳生活あるいは浮遊生活ニッチから底生生活ニッチに進出した可能性があると主張されている.
  • アンモナイトの遊泳能力については浮心・重心・生息姿勢を計算により求めた上で推測されている.初期進化において棒状の殻が徐々に巻いていくにつれて,殻口の向きが上に変化して重心の高さに近づき,遊泳能力が向上したと考えられる.
  • さらに3Dプリンターで(巻きの緩いヘビ状.球状.円盤状などの)様々な殻模型を作り,モーターで漏斗からの推進力を与えたアンモナイトロボットの実験により,円盤状のものは最高速度と持続力は高いが方向転換が苦手であり,ヘビ状のものは速度は劣るが安定的な速度の持続に向き,球状のものは速度も持続力も劣るが方向転換に優れている(つまり形質を通じた各遊泳能力要素の間にトレードオフ関係がある)ことがわかった.これらの結果はアンモナイトの進化史において各時代に様々なタイプの形が常に存在していることを上手く説明している.

 

  • アンモナイトの食性についてはカラストンビ(顎器)の形状,消化器管内容物化石,糞化石から推測されている.カラストンビのバリエーションはイカ・タコ・オウムガイよりも多様で,肉食(イカ・タコ),腐肉食(オウムガイ)だけでなく濾過食か懸濁物食のものもいたと考えられる.内容物化石からは微小貝形虫,有孔虫,浮遊性ウミユリが含まれているものがみつかっており,濾過食,懸濁物食と矛盾しない.また内容物化石からは甲殻類,微小巻き貝などの他アンモナイトも見つかっており,中には同種のものもある.糞化石からも浮遊性ウミユリを食べていたことがわかっている.
  • 化石からはアンモナイトは,コウモリダコ,ベレムナイト,アンモナイト,魚類に捕食されていたことが示されている(モササウルスなど海生爬虫類についてもいくつかの報告があるが決定的ではない).

 

  • アンモナイトの卵の可能性のある化石,胚殻が集まった化石が見つかっている.後者はアンモナイトの小卵多産戦略の直接的な証拠となっている.

 

第5章 アンモナイトのタフォノミー

 
第5章のテーマはアンモナイトのタフォノミー(生物遺骸が化石化する過程の研究).

  • アンモナイト化石の産状は様々だが,中には地層の中でコンクリーションと呼ばれる保存状態が良い硬い岩石の塊になっている場合がある(それが出来るメカニズムについても解説がある)
  • アンモナイトが死後,海中で速やかに沈んだか,一度浮かび上がってから沈んだかについても様々な場合がある.これは,どの深度で死んだか,殻の孔からの浸水がどれだけ生じたかで決まる.速やかに沈んだものは保存状態が良くしばしば複数個体が集積しており,ゴーリセラスと呼ばれ,一度浮かび上がってから海面漂流などを経て沈んだものは保存状態が悪く,ネオフィロセラスと呼ばれる.
  • 大形アンモナイトの化石はしばしは中央部分が欠落してドーナツ型をしている.これは完全に埋もれるまでに時間がかかり殻の薄い中央部分が壊れやすいからだと考えられている.また周囲や下側中央部分の窪みに海底流により運ばれてトラップされた小さなアンモナイト化石や植物化石の集積が見られることがある.

(この他,小さなアンモナイト化石がよく保存される条件,ビーチに漂着した場合の壊れ方,現生オウムガイを使ったタフォノミー実験,例外的に琥珀の中に保存されたアンモナイト化石などの解説がある)
 

第6章 異常巻きアンモナイト

 
第6章のテーマは異常巻きアンモナイト

  • アンモナイトの「異常巻き」について正式な定義はなく,多くの人がイメージするような正常形以外の形をまとめて呼んでいるものだ.
  • 古生代に一旦きつく巻くようなアンモナイトが進化した後,かなりの期間異常巻きは現れず,一度巻いた殻がほどけたのは中生代三畳紀の末期になってからだ.三畳紀,ジュラ紀の異常巻きアンモナイトはそれほど多様化せず,生息期間も短かった.
  • ジュラ紀末に異常巻きアンモナイトのアンキロセラス亜目が登場し,白亜紀になると分布を世界中に広げ,多くの超科を構成しつつ多様化した.特に北海道の白亜紀層では固有種を含めた様々な異常巻きアンモナイトが豊富に見つかるが,その理由は分かっていない.

 
ここからは主に日本で産出する異常巻きアンモナイトの解説となり,様々な属の殻形態の時系列変化が詳しく語られる.その上で最も奇妙な巻き形態として知られるニッポニテス属について詳しい解説がある.

  • ニッポニテスの研究史は異常巻きアンモナイトを理解しようとする歴史が凝縮されたものだ.
  • ニッポニテス・ミラビリスは1904年に東京帝大の矢部により命名された.矢部は殻形態を詳細に記述し,これが事故の結果や奇形ではないと主張した(1個体しか標本がなく奇形と考える研究者も存在した).この当時は異常巻きアンモナイトが生物学的に正しく理解されておらず,(進化についての理解不足もあり)「進化の袋小路に陥った」などの考えがはびこっていた.
  • 1970年代までに日本,ロシア,アメリカで合計3種のニッポニテスが発見され,奇形説は消滅した.しかし殻形成の仕組みや生態に関しては謎だった.
  • 1980年代に東大の岡本隆によりニッポニテスの巻き方の仕組みが理論的に解明された.
  • 巻き方の仕組みの解明の鍵は,それまでの巻き貝の殻形態を示すモデル(ラウプモデル)で定数とされたパラメータが時間的に変化すると置く岡本の「成長管モデル」,そしてそれをニッポニテスにうまく当てはめた「成長方向調製モデル」だ.このモデルでは殻口の上下方向の向きに許容限界があり,それを超えると成長プログラムが切り替わるとされた.そしてこの許容限界を変化させるとニッポニテスの3種だけでなく近縁とされるスカラリテス,ユーボストリコセラスの殻形態も上手く説明できた(詳しく解説がある).
  • さらに2020年のピーターマンたちの研究により,生息姿勢復元,姿勢安定性が理論的に検討され,高い安定性を持つことがわかり,海中をゆっくり泳いでプランクトンを接触する生態が推測されている.

 

第7章 アンモナイトの復元

 
第7章のテーマはアンモナイトの復元,特に化石化されることがほぼない軟体部がどうなっているかの推測だ.ここはなかなか興味深いので少し詳しく紹介しよう.
冒頭でオウムガイ,アンモナイト,現生頭足類の系統樹上の位置と復元推測におけるブラケット法(基盤グループ(ここではオウムガイ)と派生グループ(同イカ,タコ)が同じ特徴を持つなら,その中間のグループ(同アンモナイト)も基本的には同じであるだろう)が解説され,それである程度推測できる特徴(顎器と歯舌,消化器系,神経系)とそれではわからない特徴が整理され,そこからブラケット法でわからない特徴についての推測が紹介されている.

  • イカの腕は10本,タコは8本,オウムガイは60~90本だ.オウムガイについて発生初期の腕の基礎が10本であること,アンモナイトの祖先から分岐した直後の頭足類が10本腕であったことが最近報告され,アンモナイトについても10本であった可能性が高いと考えられるようになっている(タコは進化の過程で2本退化させたことがわかっている).
  • アンモナイトの腕の化石は発見されていないが,白亜紀のスカファイテス類の腕の先端についていた鍵爪と思われる化石が発見されている(現状見つかっているのはスカファイテス類のみ,かつごく限られた種と個体でしか見つかっていない).鍵爪は現生頭足類のイカと白亜紀頭足類のベレムナイト類で見つかっているが,スカファイテス類を含めて3系統で独立に進化したと考えられている.
  • オウムガイはピンホール眼を,イカタコはレンズ眼を持っている.2013年にオウムガイにレンズ眼形成に必要な遺伝子がある(ただし発現していないためピンホール眼になっている)ことが報告された.アンモナイトの眼はレンズ眼であったとまず想定すべきだろう.

 
ここから例外的な軟体部の化石の話になる.

  • 長らくアンモナイトの本体の化石は見つからなかったが,2012年,2021年にいずれもドイツで本体部の化石が発見された.
  • 2012年に見つかったのは白亜紀の異常巻きアンモナイト,バキュリテスの化石で,顎器,歯舌,線状の食道(おそらく素嚢),眼を守っていた頭部軟骨(と解釈されたしみ)などの多くの消化器系,神経系が保存されていた.
  • 2021年に見つかったのはジュラ紀のアンモナイト,ペリスフィンクテスの化石で,殻を伴っていなかったが,ほぼ完全な軟体部が頁岩に保存されていた.顎器,眼(と思われるしみ),漏斗(の痕跡),素嚢,胃,生殖器官が判別できた.なお精莢と思われる折り畳まれた紐状の構造があるのでオスと推測され,大きさからこれはミクロコンクと推測できるのでアンモナイトの性別に関する重要な発見と考えられている.なおなぜ殻がないかについて発見者は捕食者のベレムナイトが軟体部を殻から引き抜いた後で捕食に失敗して残されたものだと推測している.
  • この2化石とも消化器系,神経系まで残されているのに腕が残されていない(とても不思議で,なぜだかはわかっていない).腕の特徴についてはアンモナイト研究に残る最終課題の1つだ.

 

  • 殻化石からは筋肉付着痕が見つかっている.そこから頭部索引筋と漏斗索引筋などの大きさ,比率が分かり,運動の様子がある程度推測できる(いくつかの種について詳しく解説がある)
  • アンモナイトは墨を吐いたか.同時代のコウモリダコやタコやベレムナイトの化石からは墨袋の痕跡が見つかっているが,アンモナイトでは見つかっていない.墨は吐かなかったと結論せざるを得ない.
  • アンモナイトには殻が4層になっている種があり(通常は3層),その場合追加層が外側から作られた可能性が指摘されている.だとすると内殻性だった可能性があることになる.(詳しい解説がある)
  • ジュラ紀のアンモナイトには顎器の下顎が大きく平べったいシャベル状になっているものがあり,殻を閉じる蓋の機能を果たしていた可能性が指摘されている.
  • 殻の外側の模様についてはそれが残っている化石からいくつかのパターンがあったことがわかっている(種ごとの解説がある).機能や適応的意義についてはほとんど検討されていない.

 
最後に復元画の歴史が図版とともに語られている.

  • 19世紀には特定の現生頭足類がモデルになることが多かった.1830年代の最初期の復元画は(タコの1種である)アオイガイをモデルにし,海面にぷかぷか浮かんで,大きく発達した腕を上向きに伸ばしている姿で描かれた.(当時はオウムガイが知られておらず,螺旋状の殻を持つ頭足類の代表がアオイガイだった)
  • オウムガイが知られるようになり,1870年代にはオウムガイをモデルにした復元画が描かれるようになった
  • 1890~1910年にかけて海面に浮かぶのではなく,海中を泳ぐ,あるいは海底を這う様な復元画が描かれるようになった.20世紀の多くの復元画にはオウムガイのようなフードが付けられていた.
  • 20世紀末になるとアンモナイトはオウムガイよりもイカ・タコと多くの共通点を持っていたことがわかってきた.それが復元画に反映されるのは2010年ごろからで,フードは描かれなくなり,10本腕のものが増えた.

 
以上が本書の内容になる.アンモナイトのことがいろいろわかって大変楽しい本だった.私はアンモナイトがオウムガイよりもイカ・タコに近縁というのは本書を読むまでは認識していなかった.縫合線の複雑化(いかにも定向進化的で非常に不思議)の適応的な意義が未解明なこと,なぜか軟体部の化石が非常に少なく腕の化石がない(ゾルンホーフェンの化石には見事なイカの軟体部の化石もあるのになぜアンモナイトの軟体部の化石がないのか不思議)ことなども興味深い.20世紀のオウムガイをモデルにした復元画はいかにも懐かしいし,最新のイカに似せた復元画も味わい深い.アンモナイトを知りたい人がまず読むべき良書だと思う.
 
関連書籍
 
リチャード・フォーティの三葉虫の本

 
 
同原書 

ちょっと検索してみると最近刊行されたこんな図鑑がヒットした.本書著者の相場大祐も寄稿しているし,本書で紹介された性的二型やドイツの軟体部化石もカラー図版で紹介されている.なかなか楽しそうだ.

 

 

*1:2005年のミカルスキとハインバーグの論文が引かれている.デンマークの古第三紀の地層から得られたアンモナイト2種については再堆積したと考えにくく,殻内部の砂泥に含まれる微化石の種類や殻の同位体分析からも,真に白亜期末を生き残ったものだと考えられると主張されている.

The Gene’s-Eye View of Evolution その31

 
 

第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その5

 
概念の整理を行う第2章.まず「遺伝子」が取り上げられる.ここではデイヴィッド・ヘイグの論考を機軸にして議論が進む.まず「gene」の起源としてのヨハンセンの仕事が取り上げられた.そこから現代的展開に話が進む.
 

2-2 利己的な遺伝子とは何か その2

 

  • ヨハンセン以降,遺伝子には様々な正確な意味が与えられた.ヨハンセンが表現型と遺伝子型という用語を提案してから20年後,トーマス・ハント・モルガンはその(染色体の遺伝における役割を解明したことに対する)ノーベル受賞講演で「遺伝学者たちの間に,何が『遺伝子』なのか,それに実体があるのか,純粋なフィクションなのかについての合意はない」とコメントしている.

 
様々な定義についてはフォーク,グリフィスとストッツ,カンプラキスたちのものが参照されている.
ラファエル・フォークのものは「Studies in History and Philosophy of Science」に載せられた「What is the gene?」という寄稿.
philpapers.org

グリフィスとストッツについては「Genetics and Philosophy: An Introduction(遺伝学と哲学:イントロダクション)」が参照されている.

カンポラキスについては「Making Sense of Genes」が参照されている.これら3つともgeneが文脈により異なる意味で用いられていることが指摘されているようだ.
Making Sense of Genes

Making Sense of Genes

Amazon
 
モルガンのノーベル賞授賞講演でのコメントはオーグレンの紹介した通りだが,「・・・合意がない」には続きがあって「なぜなら遺伝学的実験においては,遺伝子が仮説上のユニットであっても物質的な粒子であっても何の違いももたらさないからだ.どちらもそのユニットは特定の染色体と結びついており,遺伝学的分析で位置を特定できる.もし遺伝子が物質的ユニットであれば,それは染色体の一部であり,それが仮説上のユニットであれば,それは同じ染色体の上の同じ特定の位置にあるとして扱われる.要するに遺伝学の実践の上では(どちらであっても)何の違いもないのだ.」となっている.どっちでもいいではないかという感じが濃厚で面白い.いずれにしてもモルガンはのちの分子遺伝学者と進化生物学者のすれ違いの問題を予見し損なっていたということになる.

https://bastiani.biology.utah.edu/courses/3230/DB%20Lecture/Handouts/Lec7%20fly/morgan-lecture.pdf

  • 遺伝子についての共通の定義が欠如していたために,生物学者たちは数多くの意見のすれ違い経験してきた.相互に不満が残る会話に終わるリスクは,対話の当事者が分子生物学者と進化生物学者である時に特に高くなった.
  • そのよい例は,分子生物学者グンター・ステントがドーキンスの利己的な遺伝子を読んだ時の反応に現れている.ドーキンスはウィリアムズに続いて「遺伝子」を「自然淘汰の単位として働くに十分なほどの世代の間保たれる染色体の一部分」と定義した.ステントはこの用語法を「遺伝学においてしっかりと確立された意味深い定義を,曖昧で経験則的で無用な描写に変質させたもの」と描写している.

 
ステントのコメントの参照元は「You can take the ethics out of altruism but you can’t take the altruism out of ethics」と題されたエッセイだ.
https://www.jstor.org/stable/3560881

ステントは分子生物学者であると同時に科学哲学にも手を出している学者であるようだ.当該エッセイは基本的にはドーキンスの使う「利他主義」が人間社会の倫理の文脈において使われる「利他主義」とかけ離れていることに憤慨しているものになり,その中で「遺伝子」の用法にまでけちをつけているということだろう.
 

  • 一般的に進化生物学者は,遺伝子の分子的な詳細に興味を示さない.結局のところ,遺伝の物質的な基礎や遺伝子型と表現型の関係性が解明されるはるか以前に集団遺伝学は発展してきた.その中で集団遺伝学者たちは遺伝子概念をメンデルのオリジナルな「要因(factors)」に近いものとして扱ってきた.そこでは遺伝子は単純に表現型の違いに統計的に関連する何かとして扱われてきたのだ.モルガンの弟子で染色体の遺伝子地図を最初に作ったスターティヴァントはこれについてこう表現している:
  • 私たちが「ピンクの眼の遺伝子」という時には,ノーマルな眼のハエをピンクの眼のハエに変える遺伝子のことを指している.ピンクの眼を作り上げる遺伝子のことを指しているわけではない.ピンクの眼という特徴の発現は,それ以外の多くの遺伝子の働きに大きく依存しているのだ.(1915)

 

  • このスターティヴァントのコメントは様々に概念化された.キッチャーとステレルニーは「違いを作るものとしての遺伝子」と呼んだ.遺伝子の効果は代替との比較によってのみ現れるというアイデアはフィッシャーの考察の特徴でもある.(第1章で説明したように)フィッシャーはある特定のアレルの効果を,アレル数(0, 1, 2)の当該表現型に対する偏回帰で計測したことを思い出そう.

 
このスターティヴァントのコメントは1915年の「The behavior of the chromosomes as studied through linkage」という論文になる.
link.springer.com

 
キッチャ―とステレルニーのコメントの参照元は1988年の「The Return of the Gene」という科学哲学の論文になる.
philpapers.org

 
遺伝子を「違いを作るもの」として扱う説明の仕方は行動生態学まわりでよく見かけるものだ.これは情報遺伝子や戦略遺伝子の考えに繋がることになる.