From Darwin to Derrida その69

 
 

第8章 自身とは何か その9

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み.まず前半は行動のガイドとして本能,理性,文化を扱った.本章後半はアダム・スミスの議論の軸になっている「sympathy」を深掘りしていく.

 

「sympathy」と自分自身の繁栄

 

私たちは他者がどう感じているかを直接知覚できない.だからそれがどう形成されるかについて直接知ることはない.しかし自分なら同じ状況をどう感じるだろうかを考えることはできる.

アダム・スミス 「道徳感情論」

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

The Theory of Moral Sentiment : 6th edition (English Edition)

  • 作者:Smith, Adam
  • 発売日: 2020/05/14
  • メディア: Kindle版
 

  • 「sympathy」すなわち他者の行動や感情や好みや推論を代わりに経験すること,はアダム・スミスの道徳感情の議論の中核にある.この章を書きながら私は彼の思想や論理への「sympathy」を感じ始めており,彼の文章のリズムやスタイルが自分の思考や散文の中に入り込むのを感じている.
  • 彼との同一感を感じながら,私はこの遙か昔に亡くなった哲学者への博愛の情(affection)を育むようになったが,しかしこのような慈愛の心(benevolence)は私の「sympathy」の定義の必須の部分ではない.

 
いろいろ重層的なエッセイ風で味があるところだ.ヘイグの「sympathy」の定義は相手の行動や感情や好みや推論を代わりに経験することであり,相手を肯定的に捉えたり好意を持つことは必須ではないという.やはり日本語的には「同情」よりも「共感」に近いということになるだろう.
 

  • 私たちはしばしば,自分の目的を達成する手段として,あるいは他者から搾取されるのを防ぐために他者を「sympathize」する.ここで私の散文が(慈愛の心についての)1人称単数から(あまり魅力的ではない動機についての)1人称複数へ変化しているのに気づいただろうか.これは私の罪についてあなたが私をどう「sympathize」するかに影響を与えようとしているのだ.

 
ここもなかなか楽しい.つい私たち(we)とタイプしてしまい,それからどうして複数形にしたのかを内省し,これは読者から見た「私」の評価を保つためにそうしようとしたことに気づき,そしてそれはこの部分のテーマにも関連していることからそのままにしているのだろう.あるいはさらにそこをディスクローズすることにより,読者の印象を操作しようとしているのだという含みがあるのかもしれない.
 

  • ミラーニューロンは私たちの「sympathy」の神経学的な基礎だと通常解釈されている.しかし私は神経学者ではないし,スミスのエミュレートに関して,私は普遍的抽象的に議論していきたい.
  • 私はここから3つのレベルで「sympathy」を議論する.

 

  • 1人称「sympathy」は自分自身のセルフイメージであり,他者のセルフイメージの構築の足場となるものだ.
  • 2人称「sympathy」は直接相互作用している他者の視点から感じることだ.それは直接互恵の協力を可能にする:「私はあなたにとって良いことをするから,あなたは私にとって良いことをしてね」という形だ.
  • 3人称「sympathy」は公明正大な観察者の視点から自分の行いを評価するものだ.それは間接互恵の協力を可能にする:「私はあなたにとって良いことをした,だからほかの人は自分に良くしてくれるだろう」という形だ.

 
ミラーニューロンと共感の神経基盤の話には入らないと宣言し*1,普遍的抽象的に「sympathy」を扱い,それを3つのレベルで分析することが予告されている.ここから各論に入ることになる.

*1:巷でなされているこの手の議論には誇張や無理な解釈も多く,怪しげな議論には巻き込まれたくないということかもしれない

書評 「The Slow Moon Climbs」

  
本書はヒトの「閉経」について進化生物学,歴史,文化という3つの視点から読み解いていく重厚な本だ.著者は古代ギリシアと古代ローマを専門とする歴史学者であるスーザン・マターン.歴史学者が進化的な説明にも踏み込んで書き上げた意欲的な本でもある.副題は「The Science, History, and Meaning of Menopause」.
私の興味は当然ながら進化的な部分になるので,その部分を中心にしてレビューしたい.生物のメスがまだ寿命があるのに繁殖をやめるのは不適応(命ある限り繁殖する方が有利ではないのか?)にみえる.だから「何故ヒトには閉経があるのか?」は1種の進化的なパズルとなる.私の理解では現在の有力説はおばあさん仮説であり,さらに親世代と子世代の繁殖のリソースをめぐるコンフリクトを血縁淘汰的に説明するコンフリクト仮説がそれを補強するものとして提唱されているということになる.本書でのさばき方が私的には読みどころとなるだろう.
 

プロローグ

 
冒頭は歴史学者らしくチンギス・カンから始まる.彼の母親ホエルンは夫を亡き者にされたあと波瀾万丈の中テムジンを含む数多くの子どもを叱咤激励しながら育てあげた.彼女のモンゴル帝国への貢献は単にテムジンを生んだことではなく,子どもを産み終えた後の中年以降の行動にある.ここに閉経の進化的理由が示唆されているというわけだ.そして本書では閉経を進化的歴史的文化的視点から扱っていくと宣言されている.
 

第1部 進化

 

第1章 なぜ閉経があるのか

 
著者は真正面からこの進化生物学的な謎を丁寧に解説していく.

  • なぜ閉経があるのか.そしてなぜそれが女性だけに起こるのか.この進化的な説明は驚くほど難しい.長寿命の哺乳類の生活史のリサーチは困難で結果は明瞭ではないからだ.
  • ヒトとチンパンジーのデータを見ると,ヒトにはユニバーサルに閉経があり,チンパンジーには閉経はない.繁殖後の寿命を持つ生活史(閉経現象)はチンパンジーとの分岐後,かつヒトの出アフリカ以前に進化したようだ.
  • 哺乳類全体ではどうなっているのだろうか*1.(ここで閉経をどのように定義するかが詳しく解説されている*2,現在は集団内のおとな個体の繁殖後年数と生存年数の比PrPを用いるのが標準的だとされている.)PrPはチンパンジーで0.02,ニホンザルで0.05.アジアゾウで0.13,シャチで0.22,ヒトで0.4程度になる.この数字を見るとヒトの繁殖後の生活史は哺乳類の中でも特異的であることがわかる.
  • ヒトとある程度比較しうるような閉経を持つ哺乳類はシャチとコビレゴンドウの2種しか知られていない.(それぞれの生活史が詳しく解説されている)この2種については世代間コンフリクト仮説で血縁淘汰的*3に説明されている.
  • ゾウのメスも(ヒトやシャチほど顕著でも全個体がなるわけでもないが)ある程度閉経後生きる.歳を取り経験を積んだメスのゾウは食糧や水の場所をよく知っているといわれており,それが重要なのかもしれない.
  • 閉経の至近的なメカニズムはどうなっているのか.しばしば卵細胞の枯渇が議論されるが,これは間違っている.ヒトの閉経は卵胞が1000個以上残っている中で生じるのだ.だからこれは閉経に適応的なメリットがあることを強く示唆している.

 
ここから著者は閉経のみならず,老化ついても詳しく進化的な解説を行う.基本的に生活史のパラメータ全般が進化適応産物と考えられ,閉経の問題はその中で考えるべきだということを強調したいということだろう.

  • 老化の進化理論はピーター・メダワーに始まる.メダワーは生活史の最終期に働く有害遺伝子に対しては淘汰圧が弱くなると指摘した.ジョージ・ウィリアムズは多面的発現遺伝子の概念を用いてこの議論を補強した.ある遺伝子に若い時期のメリットがあれば,老齢時にデメリットがあっても正の淘汰圧を得るだろうというのがその骨子になる.ハミルトンはこの議論を数理モデル化した.そして最後にトーマス・カークウッドが身体のメンテナンスコストと次世代への繁殖メリットがトレードオフになっているという考え方を呈示した.
  • ほとんどの場合淘汰圧は繁殖的寿命と身体的寿命とほぼ同じにするように働く.これが崩れる場合(閉経)を説明する理論は2つあり,1つは多面的発現による副産物だとするもので,もう1つが血縁個体の繁殖を手伝う方が適応的だとする包括適応度理論(血縁淘汰)だ.
  • 閉経をめぐる進化的な論争は激しく行われた.現状では(適応仮説の1つである)「おばあちゃん仮説」がかなり有力説だとされている.おばあちゃん仮説を受け入れるにせよ否定するにせよ,私は閉経がヒトの生活史の様々な特徴と密接な関係を持ち,その成功に深く関係していることは間違いないと考えている.

 

第2章 ヒトの本性をありがとう,おばあちゃん:おばあちゃん仮説

 
著者はここで閉経の進化学説史を展開していく.

  • (おばあちゃん仮説の出発点ともいえる)「おかあさん仮説」を呈示したのはウィリアムズだった.これはある時点で母親は新しい赤ちゃんを産むよりも既に産んでいる兄弟の子育てに注力する方が有利になるのではないかというアイデアだ.ハミルトンはこの子育て投資メリットに孫へのメリットも含まれると考えた.
  • おばあちゃん仮説を1998年に最初に明確に呈示したのはクリステン・ホークスになる.ホークスはチャーノフの生活史進化の数理モデルに依拠して,老齢女性はある時点で自分の子を産むより孫の子育てに投資した方が有利になり,閉経を持つ生活史が進化したと説明した*4.おばあちゃん仮説の利点の1つはそれが生活史の様々なパタメータをを統合的に説明できることにある
  • このおばあちゃん仮説を部分的に組み入れたいくつもの仮説がある.サラ・ハーディは世代的に重複する子育てが社会にどのような影響を与えるかを考察し,ヒトは共同子育て種だと考えた.また脳の巨大化*5や環境変動の影響を組み合わせた仮説も提示された.特に環境変動が激しいなら好時期に共同飼育で集中的に子どもを育てた方が有利になり,ヒトはブームとバスト型の繁殖を行って世界に広がっていくコロナイズ種となったというアイデアは注目を集めた.これらは基本的に閉経は有用であり適応であるという考え方を採っている.

 
仮説があれば,次は検証が問題になる.著者はおばあちゃん仮説の検証努力を詳しく解説する

おばあちゃん仮説のテスト その1:祖母は孫の生存を助けているのか
  • 祖母の存在が孫の生存率を上げるかという問題については様々なリサーチがなされている.これらのリサーチは文書の記録がある農業と定住以降の時代のものがほとんどだということには注意が必要だが,メタ解析によるとその効果は大きい.(父方の祖母と母方の祖母の効果を比較したようなリサーチについてもいろいろ紹介されている.詳細はいろいろ興味深い)
  • 聞き取り調査などの定性的なリサーチも多くなされている.リサーチャーは祖母やその他の老齢女性の存在が子どもの生存率に大きく影響していると結論づけている.

 

おばあちゃん仮説のテスト その2:数理モデルによる検証
  • 祖母が孫の生存率を上げているとしても,自身の子を産むことをあきらめて,トータルで包括適応度が上昇しているのかが真の問題になる.多くのリサーチャーがこれを説明する数理モデルを組み.民族誌や人口動態調査の数字をパタメータに当てはめて検証しようとした.
  • ハミルトンは1966年の老化の進化の論文の中で,台湾の日本統治領時代のデータから見て閉経にはなんらかの進化的な説明が必要だとコメントしている.これに本格的に取り組んだのはシャンリーとカークウッドであり,彼等は2001年に同じデータを用いて分析した.彼等は高年齢時の出産リスクだけでは閉経を説明できないこと,ウィリアムズのおかあさん効果(既存の兄弟への投資の方が有利)も大きくないこと,おばあちゃん効果はあるがそれだけで閉経は説明できないこと,しかしおかあさん効果とおばあちゃん効果を組み合わせると説明できることを示した.
  • レベッカ・シアはガンビアのデータを用いて,同居している母方の祖母が孫の生存率を上げていることを示し,さらにシャンリーやカークウッドと共同で,数理モデルを示し,やはりおかあさん効果とおばあちゃん効果を合わせると閉経を適応として説明できることを示した.
  • 片方でアチェ族のデータはおばあちゃん仮説を数理的に支持しなかった.多くの老齢女性には世話をするべき孫があまりいなかったのだ.
  • ロナルド・リーはハミルトンの老化モデルにリソースの世代間移転を組み込んだモデルを提唱した.このモデルでは繁殖後には若い世代へのリソース移転が適応度に効いてくることになる.このモデルでは幼児期の高い死亡率と繁殖後の長い寿命の進化を説明できる.またこのモデルには後に多面的発現効果も組み入れられた.
  • パヴァードとブランガーは母の死亡,子どもの依存度の変化,孫への投資を組み込んだモデルをテストした.このモデルでは(ある程度死亡率が低い条件から始めると)孫育てを手伝う祖母の寿命が延びること,繁殖率が若い時期に上がり老齢時に下がることを説明できた.
  • ここまでのモデルは無性生殖モデルだった.最初の有性生殖モデルはカチェルによって示されたが,女性の閉経を説明できなかった.ただしこのモデルにはおかあさん効果は組み込まれてなく,繁殖と生存のトレードオフも組み込まれていなかった.この点を修正したキムたちのモデルは(子の成長が遅く,長寿であるという条件からはじめると)女性の繁殖後の長寿を説明できるようになった.
  • さらにいくつかの点で洗練させたキムたちのモデルは,長寿の進化には,おばあちゃん効果だけでなく,男性間の競争の激しさ(競争が激しいと若い時期がより重要になり寿命が縮む)も重要であることを示した.この点の吟味は今後の課題となっている.
  • まとめると,数理モデルには解釈が難しい面もあるが,基本的にはおばあちゃん仮説を支持しているといえるだろう.数理モデルで明らかになった重要な点は,リソースの世代間移転があると子どもの死亡率の上昇と閉経後の長寿命の両方が進化するということだ.

 

おばあちゃん仮説をめぐる複雑な問題:繁殖をめぐるコンフリクト
  • ヒトの家族は協力的だが,家族内には競争もある.祖母が十分に若ければ,家族内に娘や嫁との繁殖をめぐる競争が生じうる.実際にシャチのリサーチャーたちはこの繁殖競争を理論に取り込んでいる.
  • ヒトにも同じような競争があるのか.データを直接観るとその効果はほとんどなさそうだ.しかしこの繁殖をめぐる世代間抗争が閉経の進化に影響を与えたことを示唆する間接的証拠がある.
  • ヒトにおいて,閉経は祖母になる時期の前後に生じ,世代間の繁殖のオーバーラップはほとんどない.社会的慣習もこれを後押ししている.男性は女性より結婚年齢が高く,女性は結婚相手の家族に属して義理の両親と暮らす.息子が嫁を取ったり孫ができたりすると女性はセックスや出産を避けるようになるという慣習は(ユニバーサルではないが)世界中の文化で見られる.
  • (繁殖とメンテナンスのトレードオフを強調する)「使い捨ての身体」理論は異なるトレードオフを含意する.それは繁殖における量と質のトレードオフだ.高齢時の出産はより(繁殖としての)質が下がる.これは閉経のコストを下げる.最大数の出産は必ずしもいいことではなくなるのだ.
  • 農業社会では家族の存続は世代間で受け渡される資産に依存する.息子間やいとこ間の遺産をめぐる競争は激しい.そして裕福な家系の子どもの生存率は資産を持つ祖父や父がいるかどうかに大きく依存する.逆に貧しい家系の子どもの生存率は母方の祖父や母の兄弟の援助に大きく依存する.子どもたちはこれらをめぐって争う.そして農業社会では,姑と嫁間のリソース(含む婚資)をめぐる競争が生じる.これは孫たちに影響を与える.つまり資産の相続がある社会においてはその要素を考慮しないと祖母や祖父の影響は理解できなくなるのだ.
  • 私は閉経の進化において繁殖をめぐる世代間競争はファクターになっただろうと考えている.そして農業社会においては閉経によって競争が抑制されることの重要性がより大きくなっただろう.閉経があったればこそ機能する農業経済を構築できたのではないだろうか.

 

  • 閉経は高齢女性がさらに出産をせずに子どもや孫の世話をする方が有利になり進化した.それは若い女性が短い期間に出産をくりかえすことを可能にし,高齢女性の包括適応度を上げた.そしてそれはヒトを世界中に広げ,長寿にして子どもの成長期を引き延ばし,技術,社会,協力を高度化した.かつてアリソン・ゴプニックがホークスの理論に対して述べたように,まさに「おばあちゃん,ありがとう」なのだ.

 
第2章の閉経の進化理論の説明は丁寧で詳細にまで踏み込んでいて書かれていて充実している.ただ理論的にすっきり整理され切れておらず,わかりにくいところがある.「孫の世話により自身が繁殖するよりも包括適応度が上がるので閉経が進化する」というのがおばあちゃん仮説の骨子になる.そして個別の数理モデルにおいて包括適応度や繁殖をめぐる世代間コンフリクトの取り扱いが組み込まれていくことになる.だから数理モデルの話とコンフリクトの話を分けるのはややわかりにくいだろう.
そして世代間コンフリクトにおける血縁度の非対称の影響の議論(シャチの母系社会と異なりヒトは父系社会なので,姑から見た孫(嫁の子)の血縁度が1/4なのに対し,嫁から見た夫の兄弟(姑の子)の血縁度が0であるために,コンフリクトでは姑が妥協しがちになる)がここで説明されていない.第3章の最後でヒトにヘルパー性が進化しなかった理由の整理のところで少し触れているが,きちんと姑と嫁の血縁度の非対称について説明がない.このあたりはこの理論の最もスリリングなところであり,そこが描かれていないのは画竜点睛を欠くようで残念だ*6
 
 

第3章 閉経と男性:ヒト進化の男性中心的理論

 
ここからの著者の説明はいかにも歴史家らしく,ヒトの生活史進化の学説論争史を眺めるものになってくる.特に男性の役割を強調しようというバイアスに焦点が当てられている.
 

  • おばあちゃん仮説が現れるまでヒトの生活史を説明する最もよく知られた仮説は「男はハンター」仮説だった.これは脳の増大,子供期の延伸,男性の優越と核家族的モノガミー傾向は狩猟への適応で説明できるというものだ.おばあちゃん仮説をめぐる論争がヒートアップした1つの原因はこの「男はハンター」仮説が男性研究者に引き起こす感情的愛着だったのかもしれない.
  • 「男はハンター」仮説は1950年代には人気があったが,だんだん凋落していった.アウストラロピテクスの研究は脳の増大を説明しようとする洗練された道具の出現以前に狩猟が行われていたことを示していた.そしてこの仮説は閉経を全く説明できなかった.さらに狩猟採集民の肉の分配は平等主義的で仮説と合わなかった*7
  • ホークスのおばあちゃん仮説はヒトの生活史進化のストーリーから狩猟と男性を排除するものだった.リチャード・ランガムは脳の増大に大きく影響したのは狩猟ではなく料理(火の使用)だったと説得力を持って主張した.シューとリーはエネルギー収支と移転の観点からヒトの性的分業を説明するエレガントなモデルを提唱した.これによると男性のエネルギー移転は女性より小さくなり,繁殖コストの高い女性で閉経が生じることをうまく説明できる.

 

家父長制仮説

 

  • マーローは閉経について家父長制仮説を提唱した.これは道具などの狩猟技術の進展により男性は老齢になっても競争力を保てるようになり適応的に寿命が延び,女性も多面的発現の副産物として寿命が延びたが繁殖年齢は卵胞の枯渇により頭打ちになったとする説だ.しかしこの説に説得力はない.まずこれは非現実的な「女性は繁殖期を延ばすように適応できない」ということを前提にしている.(その他の問題点も詳細に論じられている)
  • モートンは男性の若い女性への配偶選好を加えて家父長制仮説を補強しようとした.しかし若い女性への好みは閉経の原因というよりもむしろ結果に近いだろう.

 

身体化資本仮説,あるいは男性の閉経

 

  • カプランとガーヴェンは狩猟採集民の社会を観察し,技術習得には年月が必要で生産力のピークが中年期にあることから身体化資本仮説を提唱した.これはヒトの生活史の進化について(おばあちゃん仮説が孫の世話をその進化の要因とするのに対して)まず食糧分配の協力が高年齢時の死亡率を下げ,それが脳(1種の資本と考える)の増大を生じさせ,閉経,長い子供期,高い狩猟採集技術を引き起こしたとするものだ.ハーディはこの協力について「共同子育て」を強調した(共同子育て仮説).
  • これらの仮説は協力が引き起こした脳の増大を生活史進化の要因として強調する.これらの説の問題点はネアンデルターレンシスも大きな脳を持っていたが,サピエンスほど長寿命でも子どもの成長期が長いわけでもないことだ.おばちゃん仮説は脳の増大自体を進化のドライバーとして考えないのでより柔軟に説明ができる.

 

  • 閉経はヒトの生活史戦略(長寿命,共同保育,食糧分配を含む平等主義的社会,高い狩猟採集技術,長い子供期などを含む)の中に組み込まれており,好環境時に素速く繁殖したり,累積的文化を持つことを可能にした.身体化資本仮説とおばあちゃん仮説の主要な相違点は前者は高年齢時の協力を女性に限っておらず,男性についても(女性の閉経ほどではなくとも)高年齢時での繁殖努力が低下すると考えることだ.

 

ではなぜ私たちはハダカデバネズミのようではないのか?

 

  • 分配や子育て協力が閉経を進化させ,若齢女性の出産間隔を短くできるようになった.しかしそれは(高齢女性の繁殖を抑えるという形ではなく)ハダカデバネズミのようなヘルパーを持つ協同繁殖種のように若齢女性の繁殖を抑えるという形でも可能なはずだ.なぜヒトはそうならなかったのか.
  • 一部のリサーチャーはそれをヒトの社会の父系性から説明しようとする.高齢女性の方がグループ内他個体への血縁度が高いから協力しやすいというのだ.わたしはこれには納得しかねている.むしろ経験を積んだ方がより子育てや採集の能力が上がるという説明の方が良いのではないか.
  • またヘルパー性が進化する動物ではしばしばナワバリなどの繁殖リソースが限られていて,そこから若齢個体が外に出て行っても成功の見込みが小さいことが進化要因の1つとされている.ヒトにおいてはそのようなリソースの限定性よりも子供期の拡大(子育て労力の増大)の方が重要だったのかもしれない.

 
この最後の問題意識はなかなか興味深い.どのような場合に(若齢個体が繁殖を抑制する)ヘルパー性が進化し,どのような場合に閉経が進化するのか,統一的に説明できる生活史モデルが望まれるところだ.
 

第4章 現代の狩猟採集民:狩猟,分配,スーパーおじさん

 
第1部の最後は理論の検証のための狩猟採集民のデータが概説されている.特によく調べられているのはタンザニアのハッザ族,パラグリアのアチェ族だということで,この両部族について,暮らしぶり,生活史,配偶システム,誰が子育て,狩猟,採集を行っているか,どのようにリソースが分配されているか(社会の平等主義的特徴),繁殖成功がどのように決まっているのかなどが詳しく解説されている.同性愛傾向(そしてそれをめぐる進化的仮説)についても詳しく解説されていて,なかなか読み応えのある部分になっている.そして狩猟採集民について得られた知見が簡単にまとめられている.

  • どの集団においても閉経後の女性は子育て支援の重要なパートとしてビルトインされている.そしてこのようなおばあちゃん以外にも独身のおじさん,ゲイやトランスジェンダーの男性も重要な子育て支援パートとなっている.これは核家族を強調する「男はハンター」仮説とは相容れない.核家族は基本的に独立して自律的にやっていけないのだ.もしポスト農業社会である産業化社会が,より緩い「シリアルモノガミー」に移り,女性が必ずしも子どもの父親と同居しているわけではなくなり,子育てにおばあちゃんやコミュニティからの協力を受けるようになっていくのだとしたら,それはヒトの進化過程の95%でやっていた道に戻ることになるのかもしれない.
  • 狩猟採集社会に対するよくある「男が供給して女が消費する」という見方は完全に間違っている.「おとなが供給して子どもが消費する」というのがより真実に近い.そして男女間では分業がある.男女間の格差はあるが,農業社会よりは小さい.結婚はアレンジされたものではなく,離婚は頻繁にある.女性を性的にコントロールしようという力は弱い.
  • 平等主義,協力,性的格差の小ささは農業社会と比べると際立っている.ヒト社会の起源には家父長制も階層的なドミナンスもない.とはいえ狩猟採集社会をロマン的にユートピアとして捉えるのも間違っている.

 
最後に第1部全体のまとめがある.

  • 閉経は適応であったはずだ.もしそうでなかったら,淘汰圧は簡単に繁殖能力を寿命まで引き延ばしただろう.
  • 血縁淘汰は閉経の起源を説明するために重要な理論になる.孫や甥,姪を助けることにより高齢女性は包括適応度を得られる.資源の世代間移転はヒトの進化にとって基礎的な重要性を持ち,閉経の進化の要因の1つだ.繁殖をめぐる世代間コンフリクトも重要だっただろう.また取得に多大な学習や経験を必要とする技術は繁殖後の時間を有用なものに変えただろう.
  • 私はヒトがコロナイズ種だという議論に強く惹かれる.個体の包括適応度を上げるための適応が,集団全体の好環境時の繁殖速度を引き上げるように働いた.ヒトの生活史と繁殖戦略はヒトの並外れた成功の理由であり,閉経はそのキーパートなのだ.

 
 

第2部 歴史

 
著者は第2部で閉経という生活史を進化させた人類がどのような歴史を歩んできたのかを語る.章立ては時代に沿っている.著者の本書において重点的に追求するテーマは農業革命後の世界に与えた閉経の影響であり,第6章と第7章は非常に充実している.
 

第5章 長い石器時代:いかにおばあちゃんは世界を征服したか

 

  • サピエンスの長寿はいつ頃進化したのか.20年ほど前までは,それは現代的な現象だと主張する学者も残っていた.現在では様々な証拠から,サピエンスはごく早い時期から長寿であり,人口の少なくとも1/4は孫を持つようになってから15年以上生きていたと考えられている.
  • ホモ・エレクトゥスやネアンデルターレンシスはどうだったのか.様々な議論があるが(フローレス人,デニソワ人なども含めてかなり詳しく解説されている)おそらく彼等はサピエンス型の生活史を持っていなかっただろう.今のヒトの生活史はサピエンスと共に進化したのだ.(またここでは出アフリカ仮説,5万年前の認知革命,ネアンデルターレンシスとの交替をめぐる議論*8も詳しく取り扱われている)

 

第6章 農民の時代:家父長制,所有権,そして繁殖コントロール

 

  • 完新世になり,人類は農業社会に移行していった(農業の始まりについても様々な角度から詳しく語られている).閉経は好環境時の素速い繁殖と悪環境時の繁殖抑制を組み合わせた繁殖戦略を可能にし,これは農業社会において大きな利点となった.農業社会は家父長制で不平等なものであり,その経済においては中年女性の労働力が非常に重要だったのだ.
  • 農業が始まると防衛可能で相続可能な資産が発生した.防衛は男性の仕事になり,それを自分の子孫に伝えたいという動機は,男性が資産と繁殖をコントロールする家父長的な社会と(父性を確実にするための)モノガミー的家族制度をつくった.そして貧富の差と階級が生まれ,社会は不平等なものになった.(これにかかる論争史,家父長制社会や家族態様のある程度の多様性とその要因*9などが詳しく解説されている)
  • 性的な分業は農業社会においても存続した.女性が主に受け持つ労働は衣服の生産,食糧の加工,看護やある種の医療などだが,家父長制社会においてその価値は低く評価され,権力と富はほとんど男性が享受した.
  • 農業時代に入り,人口動態も変わった.合計特殊出産率も15歳未満の死亡率も高くなった.平均寿命は20代後半から30代前半程度だっただろう.これは新石器時代の人口転換と呼ばれる.(これに絡む様々な議論が解説されている)
  • 人口はゆっくり増加していった.人口は農業生産力を越えて増えることができない(マルサス的要因)が,人口増加は技術を進展させ(ボセラップ的要因),人々は繁殖をコントロールしたり移民したりできる.人々は未開発の土地に移住して大きく人口を増やし,環境が飽和すると繁殖をコントロールした.コントロールの一部は栄養状態などから生じる生理的なものであったが,結婚の高年齢化,授乳期の長期化,未亡人の再婚制限などによるものが大きかっただろう*10.意識的な動機としては子どもは育てるのにコストのかかる純消費者であること,子どもが多いといずれ土地を分割せざるを得なくなることがあっただろう.
  • 閉経は農業社会の繁殖抑制の重要な部分になっていた.この(狩猟採集生活において進化した)閉経という生活史要素は新しい経済システムに適応していった.人々は未開発地域では素速く繁殖したが,定常的な農業社会の中では,繁殖を抑制し,高年齢女性の技術や経験を役立てたのだ.だから農業社会になっても閉経はなくならなかった.

 

第7章 いくつかの農業社会における繁殖と繁殖抑制

 
ここで著者は産業革命直前の英国と中国の清時代のデータを取り上げて,第6章の主張(特に意識的な繁殖のコントロールの存在)の裏付けを行っている.家族態様,結婚年齢の推移,嬰児殺し*11,捨て子*12,終生独身者,未亡人,社会の共同保育状況などについて詳しく説明されている.
閉経に関しては姑の家庭内意思決定権力との関連が議論されていて,中国*13,ネパール,マラウィ,セネガルなどの例が示されている(この強い権力はしばしば現代的公衆衛生政策の阻害要因になるそうだ).
 

第8章 現代世界

 

  • 現代に入り,賃金労働,資本主義,工場生産,機械化,情報通信技術は経済をグローバル化した.先進国では農業生産に従事する人口は4%を切っている.
  • 経済は成長し,貧困は減り,(特に医療や公衆衛生に関する)技術が向上し,大幅な人口増加が生じた(課題としては持続可能な成長と気候変動問題に触れている).マルサス的な恐怖は優生主義や移民をめぐるコンフリクトを生んだこともあった(それぞれ詳しく解説されている).しかしその後人々の子育てに関する選好は次第に量から質へ変化していった.豊かになれば人口は安定や縮小に向かうのだ.(人口縮小時代になった場合の様々な議論も解説されている)
  • 現代の人口動態の理解において重要なのは人口転換と疫学的転換だ.人口転換は産業革命後まず死亡率が低下し,少し遅れて繁殖率が低下した現象を指す.(様々な地域での産業革命後の人口動態が解説されている)
  • 死亡率の低下にもっとも効いたのが疫学的転換だ.病原体の理解と公衆衛生,そしてワクチンは(特に幼児の)死亡率を大きく引き下げた.
  • 最後に繁殖率が下がっていった.なぜそうなったかについては未だに論争中だが,おそらく教育水準の上昇と幼児死亡率の低下が大きな要因なのだろう.子どもへの教育コストは上昇し,教育は女性の意識や決定権を向上させた.幼児死亡率の低下は10年ぐらい遅れて出産率を下げるようだ.これ以外の要因としては都市化,政治的自由,政府の人口抑制プラグラム,避妊や中絶の容易化などが挙げられている.
  • この背後にあるのが,ヒトの進化的適応である子どもへの高い投資傾向であり,その1つが閉経なのだ.ヒトは少数の子どもの成長に大きく投資したがる.そして共同保育の長い進化史を持ち,(非血縁を含む)子どもの世話をすることに大きな報酬を感じる.人口が安定や縮小に向かうのは,ヒトが(それが現環境下で進化的に最適でないとしても)子どもの幸せを心から望むからなのだ.要するにおばあちゃんのいる種はうまくやれるということだ.

 

第3部 文化

 
第3部では閉経(そして特にその生理的症状(更年期障害))を文化的な視点で眺める.冒頭では特定文化特有の症候群の例として日本の「肩こり」が登場する.閉経に伴う更年期障害の症状が西洋文明や西洋文化に特有のものかどうかという問題がかなり激しく論争されてきたというのが背景にあるようだ.
 

第9章 女性にとっての地獄:閉経と現代医学

 

  • 閉経に伴う様々な身体の症状が医学的な問題とされるようになったのは比較的新しい.古代ギリシアやローマでは女性の出産が50歳ぐらいまでという認識はあったが,閉経の症状(更年期障害)の記述は見られない*14.私は更年期障害を医療的な問題としてみる文化が,個人の経験に影響を与えているのではないかという議論を呈示したい.
  • 伝統的な家父長制文化の元では,権力を持つ男性は女性の繁殖をコントロールしようとしており,女性の生理的な状況は隠されるものだった.だから女性の生活史を記述することはある意味女性をより平等に取り扱おうとするものでもある.
  • 医療が伝統的医療*15から現代医療に転換したのはここ100年ぐらいの出来事だ.そしてほとんどの伝統医療は閉経を表す言葉を持たず,それを医療的な問題としては取り扱ってこなかった.
  • 西洋において閉経が更年期(climacteric)として医療的な問題として記述されるようになるのは18世紀だ.閉経(menopause)という単語は19世紀の初めに現れるようになる.(古代ギリシア以降どのように記述されてきたのかの詳細が解説されている)19世紀半ばには様々な更年期障害の原因の議論が行われた.(月経血(毒性を持つと考えられていた)との関連,神経的な問題,都市生活の影響などの議論が解説されている)西洋医学はその後現代医療の基礎となり,世界に広がった.その過程で閉経のアイデアは継承された.
  • 同じように同時期に西洋医療によって記述されるようになった症状にヒステリー,メランコリー,ヒポコンデリー,クロローシス(思春期の女性の生理が止まり食欲が減退するとされる症状)などがある.(精神医学的な後継概念があるものもあるが)今日これらが医療的な問題として言及されることはない.これらが想像上の架空のものだったというわけではない.おそらくこれらの主観的な経験には文化が大きく影響しているのだろう.
  • 19世紀には更年期障害は定量化されて測定されるようになった.論者により基準は様々だったが,ホットフラッシュ(ほてり),性器の様々な異常,怒りっぽさなどが取り上げられている.
  • 20世紀には閉経とホルモンとの関連が明らかになり,閉経は血液や神経の問題ではなく内分泌的な現象だと理解されるようになった.これはプログラムされたシステムの挙動と考えられてもよかったはずだ.しかし当時は更年期障害は特定の化学物質の不足によるという理解が広がり,アメリカではエストロゲン投与療法が推奨された(後にこの療法と子宮内膜癌との関連が発見される.現在ではこの療法はホットフラッシュには有効だが,癌と心臓発作には悪影響があり,バランスを考えて実施することが推奨されている).閉経と女性の性,人種.階級の問題も激しく議論された(当時の社会学的な分析も詳しい).閉経の現代的概念は現代社会のあり方と切り離せないものだったのだ.
  • 片方で文化的には閉経は精神分析と結びついた.閉経は女性機能の劣化という屈辱の災難だ,閉経は退行的なメランコリーを引き起こすなどという考えが取りざたされ,鬱,不安症,神経症,記憶障害,奇行,妄想との関連が議論された.特に強調された閉経と鬱の関連については様々なリサーチの結果から基本的に1990年代には否定されているが,なおアンケート調査をもとにこれを追求する論者も存在する.
  • 閉経のアイデアとリアリティは絡み合っているのだ.

 

第10章 それって何のこと?:伝統社会の閉経

 

  • 中国の古典的医療(Classical Chinese medicine)では閉経は生理の終了とだけ理解され,それは加齢のサインの1つであり,医療的な問題ではないとされていた.中国の伝統的医療(Traditional Chinese medicine)は,20世紀半ばになってはじめて更年期障害を認識し*16,それを「気」から説明し,治療を試みはじめたにすぎない(中国における閉経の医学史が詳しく解説されている).
  • 文化人類学的な調査において,伝統社会での更年期障害はほとんどレポートされない.狩猟採集民や西洋以外の農業社会の女性にとって更年期障害は(頭痛や不安などの症状がないわけではないが)大した問題ではないようだ.(様々な具体的な例が紹介されている.そこではしばしば女性たちは閉経を出産や生理の労苦から解放される喜ばしいものと受け取っている.)女性が閉経をどのように体験するかは生理的な条件だけでなく文化を含む多様な要因が絡んでいるようだ.
  • 更年期障害を認識している例外的な文化もないわけではない.その1つは日本であり,ある漁村のリサーチによると,人々は女性の生活史を(出産と生理の労苦とその後の閉経と更年期障害を合わせて)「血の道」と呼び,閉経となった姑は妊娠した嫁をいたわるべきだという教えを伝えている.日本ではこのような考え方と西洋医学的な閉経概念が混然一体となっているようだ.
  • 閉経に関連して通文化的に見られるアイデアに「枯渇」がある.また多くの文化で閉経は社会の中での重要な役割の変化と結びついている(典型的には閉経と共に女性は清浄になったと判断され,制約が解け,リソースのコントロールに関与するようになる).

 

第11章 症状

 

  • 「閉経には症状(更年期障害)が伴う」というのは現代医学の公理になっている.そして多くの通文化的な閉経リサーチは(その公理を前提に)症状(およびその症状に対する態度)にフォーカスされている.症状はそもそも主観的なものなのだが,リサーチャーはそうは考えずにほとんどの場合チェックリストによるアンケート調査の結果を客観的なものとして取り扱う.これらのリサーチの結果の信頼性には問題があるだろう.(いくつかのチェックリストとその問題点が詳しく解説されている)
  • NIHは閉経の症状としてかなり限定されたもののみを挙げている.それらは血管性症状(ホットフラッシュ,寝汗),性器の乾燥,睡眠障害だ.2007年のWISHeSとして知られる大規模リサーチでは,ホットフラッシュ,寝汗.記憶障害,性器の乾燥,性的刺激問題,頭痛(首と肩の痛みを含む)を挙げている.これらの対象女性は現代の西欧と北米に限られている.しかし対象女性の範囲を広げてみると,すべての国で頑健に関連が見られるのはホットフラッシュだけになる.
  • このような症状をアンケート調査で行う場合にはいくつかの困難さがある.その症状を現す概念がその文化にあるのかどうかがかなり回答を左右するのだ.(ここで日本女性の例が詳しく取り上げられていて興味深い*17)また客観的にホットフラッシュを捉えようと皮膚コンダクタンス反応を計測してみると,アンケート調査とはあまり一致しない.日中の行動習慣も主観的なホットフラッシュの認識に影響する*18
  • これらの問題点や近時のグローバル化の進展により,閉経をめぐる現象は非常に複雑でとらえどころがないものになっている.

 

  • 閉経に際してユニバーサルに女性のホルモンバランスが変わるのは確かだ.しかしホットフラッシュはある意味西洋に固有なのだ.世界の多くの地域ではホットフラッシュはごく最近に輸入された概念になる.この歴史の差が複雑さの1要因になっている*19

 

第12章 文化的症状なのか?

 

  • 前章での私の態度は,複雑性を過度に強調し,明らかに存在する「閉経の症状」を否定しようとするピュロニズム的懐疑論に見えるかも知れない.しかし私は更年期障害を否定しようとするわけではない.それは実在する重要な現象であるが,現代社会の文化的構築物つまり文化的症状(cultural symdrome)でもあると主張するものだ.
  • 文化的症状とは何か.あるタイプの症状を感じるがどうかはそういう症状があるという認識に依存し,文化は認識に影響を与える.これは正のフィードバックループを形成する.(文化的症状の典型例として韓国における中年女性の鬱火病の事例が解説されている)
  • 更年期障害は,不安とパニック*20の要素が加わった文化的症状として理解できる.それはヒステリーやヒポコンデリーなどの他の西洋の文化的症状と歴史的な関連を持つ.そして現代の西洋社会において独特の役割を果たしているのだ.

 

エピローグ

 

  • シモーヌ・ド・ボーヴォワールは自身閉経を迎えてから,それを人生の新しい役割だと肯定的に受け止めるようになった.それはヒトの歴史に生じたことでもある.閉経は狩猟採集社会で進化し,農業社会移行後,高齢女性はその生産性により経済に貢献し,家庭においてある程度の権力を持ち,社会において新しい役割を担うようになった.それは単なる更年期障害という症状よりもはるかに重要なことだ.閉経は私たちをここまで成功させてきたものであり,そして将来的にも私たちを導いていくものなのだ.

 
以上が本書のあらましになる.閉経について進化生物学的視点,歴史的視点,文化的視点からそれぞれ濃密に描かれていて素晴らしい.進化生物学的な解説もほとんど破綻のない丁寧なもので,あちらの歴史学者の力量というかスコープの広さには本当に驚かされる.閉経を多角的に捉えて考えをめぐらすことのできる名著だと思う.
 

*1:この直前に閉経の驚くべき例として日本にいるヨシノミヤアブラムシの生活史が挙げられている.このアブラムシは単為生殖のクローン集団を形成し,そこで老齢のアブラムシは繁殖をやめ,ねばねばする物質を分泌して天敵に飛びついてくっつき,コロニーを防衛するということだ.これは血縁淘汰的利他行動として解釈できるだろう.

*2:データをとる上では野生の生活史と動物園での生活史がかなり異なることも問題になるようだ

*3:母系社会の中で老齢のメスほど集団内の他個体との血縁度が上昇していき利他的になりやすい

*4:ホークスは単に理論を提唱するだけでなく,狩猟採集民のデータで裏付けを採ろうとした.そして実際に狩猟採集民の老齢女性はよく働いていて,食糧獲得で重要な役割を果たしていることを見つけている.

*5:老齢個体が経験を生かして子育てを手伝うメリットも淘汰圧の1つとする

*6:シャチが母系社会でヒトが父系社会であることが,それぞれどのように影響しているのか,閉経に向けた淘汰圧として違いはあるのかについての説明が本書にはない.基本的にどちらも老齢個体の方が集団内血縁度が高くなるので閉経に向けてプラスの淘汰圧効果があるが,父系社会であるヒトの方がより強い効果があるということだと思われる.

*7:なぜ狩猟採集民の肉の分配は血縁淘汰的ではなく平等主義的なのか.著者は,直接互恵的仮説,間接互恵的あるいは社会淘汰的仮説,肉の防衛が不可能だからという仮説が提唱され,実証データはどの要因も効いていることを示しているようだと説明している.

*8:著者的には5万年前が出アフリカ以降であることから認知革命を脳機能の増大という視点から考える仮説に疑問を呈し,人口密度や移住の面から考えた方が良いと示唆している

*9:結婚の際にどちらの家族が金を拠出するか(婚資か持参金か)が古代ローマと古代アテネでどう異なっていて,女性の立場にどう反映されているかなどが詳しく解説されていて,(著者の専門分野ということもあり)読みどころになっている

*10:中絶や嬰児殺しの可能性もあったが,その比重は小さいのではないかと著者はコメントしている

*11:特に中国における女児の嬰児殺しの慣習について(階層間の上昇婚傾向との関連も含めて)詳しく記述されている.またトリヴァース=ウィラード仮説との関連も議論されていて面白い

*12:特に英国における捨て子の状況が詳しく描かれている

*13:特に清末期の女性の伝記(A Daughter of Han:The Autobiography of a Chinese Working Woman)に書かれたエピソードが詳しく語られていて迫力がある

*14:西洋において更年期障害が意識的に記述されるようになったのはルネサンス期以降のようだ

*15:例の1つとして日本における漢方医療が挙げられている

*16:中国でもそれを更年期(gengnianqi)と呼んでいるが,それは日本語からの借用だそうだ

*17:そもそも症状を表す用語として,1980年代以降英語から入った「ホットフラッシュ」のほか,「ほてり」「のぼせ」「急な熱感」などがあり,すべて合わせて20%前後の女性がそういう症状があると回答するという状況になるようだ

*18:ここでインドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の差が示されている.イスラム教徒は祈りのために立ったりひざまずいたり腰をかがめたりするのでホットフラッシュを主観的に感じにくいのだそうだ

*19:ここで日本には元々「血の道」概念があり,そのうえに西洋の「閉経:menopause」概念が輸入され,「更年期」概念となったが,それはmenopause概念ではなく日本固有の概念になっているのだという説明がある

*20:ここではホットフラッシュとパニックとの関連が議論されている

From Darwin to Derrida その68

 
 

第8章 自身とは何か その8

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み.行動に影響を与える要因として本能,理性を扱ってきて,最後は文化を扱うことになる.理性と本能のところではスミスの引用があったが,ここにはない.うまい該当箇所がないということだろうか.
 

文化

 

  • 私たちは他者の経験や推論を学ぶ.そうすることによって個人ごとの学習の試行錯誤のコストを減らすことができる.私たちは学んだことを選り分け,自分が欲しいものをうまく手に入れている(あるいは手に入れているようにみえる)他者のやり方を真似る.私たちの教師も誰かから教えを受けており,さらにその教師にも教師がいて,この連鎖の各段階で選り分けと組換えが生じている.
  • このような累積的プロセスによって,文化的に伝達されるアイデアはより学習者にとって魅力的なものに進化していく.文化的な伝達はそれ自身の伝達効率を上げるような適応を生じさせ,それ故にそれ自身の目的(teleogy)を持つ.

 
まずは学習のメリットと,学習の際に内容の取捨選択と他社の模倣が生じることを指摘する.そしてそれは世代を越えて連鎖し,そこに文化進化が生じることになる.このあたりは最近では文化進化として様々に議論されているところだ.
 

  • 文化はその運び手の効用や適応度を上げるような形質を進化させがちだ.それは(運び手である)私たちが自然淘汰によって形作られた心理的な動機にアピールする文化アイテムを採用するからだ.しかし文化は感情よりもずっと速く進化し,しかもそのプロセスにおいては運び手の適応度や効用を必ず上げなければならないわけではない.だからこれにより,私たちの心理的な動機は遺伝的なロープから部分的には解き放たれているのだ.

 
文化進化を取り扱ったところで,遺伝子中心主義を自認するヘイグがここで第3章で論じたようにミームに踏み込まないのは少し肩すかし気味に感じられる.ともあれここでヘイグの主張したいことは文化によってもヒトは遺伝子の目的因から解放されうるということなのだろう.
 
文化進化についての本を挙げておこう.
 
最近刊行された本で,文化進化リサーチ手法と代表的な研究が解説されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/01/19/115621

文化進化の数理

文化進化の数理

  • 作者:田村 光平
  • 発売日: 2020/04/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

メスーディによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160614/1465901048

 
ヘンリックによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010
 

From Darwin to Derrida その67

 
 

第8章 自身とは何か その7

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み.理性について.理性の役割について,ここまで,本能(感情)の目的(効用)を得るための合理的方法を見いだすという役割,複数の本能(進化心理学でいうところのモジュール)のコンフリクトの調整と言う役割(そしてそれがどのように解決されているのかは内省ではよくわからないこと)を論じてきた.そして最後によくある理性と感情の相克の問題を扱う.
 

理性(承前)

 

  • このような基本的な疑問は脇においておこう.そしてここでは理性はある種の感情と相反する行動を推奨すると仮定し,それがどのような原理の元で解決されるかを考えてみよう.
  • 理性と感情の相克はしばしば自己制御や意思の力の問題とされる.遺伝的な視点から見ればこれは2つの適応間のコンフリクトになる.感情は過去の自然淘汰の智恵を要約したもので似たような環境で適応度を上げる行動を推奨する.これに対して理性は現在の文脈の特定の特徴に反応する.そしてそれは感情の推奨する駆動が現環境下で自己破壊的であることを認識することが可能だ.しかし理性は誤謬に陥ることもある.その選択は同じ遺伝的利益を持たない別のアクターに操作されることもある.
  • だからある特定環境下で感情と理性のどちらかが良い推奨をしているとは限らない.意思の力は選択を安定させるにはどうするればいいかという主題に関わる.意志が弱すぎると誤った感情に引きずられるし,強すぎると保守的で正しい感情の助言を無視してしまう.

 
なぜヘイグは「遺伝的な視点から見ると(from a genetic perspective)」理性と感情の相克が2つの適応間のコンフリクトだということになるとコメントしているのだろうか.「進化生物学的に考えると」という方が適切であるように思えるところだ.いずれにせよヘイグは理性も(現在の特定環境下での適応度を上げるための)適応産物だと(ある意味当然ながら)考えていることになる.そして理性は様々なトレードオフから完璧な論理演算能力を持つことはできないし,誰かの操作によって誤謬に導かれることもあるということになる.理性と感情の相克が扱われる場合は,どのように感情に流されずに理性を活用するかという文脈で語られることが多いが,ヘイグはここで理性の暗黒面も指摘していて興味深い.
 

  • そして理性はある意味感情そのものでもある.パズルを解くことはそれ自体が報酬になる.世界を意味あるものとして解釈することは,理解の喜びと発見のスリルを通じて心理学的な報酬として機能する.私たちはどの知識が将来の目的に有用かを前もって知ることはできないし,見つけた人生の問題への解決策は「知的資産」として他者と分かち合ったり交換したり出来る.そしてそれは私たちにとって有用なのだ.

 
この「理性もなんらかの報酬によって働いており,ある意味感情と同じ本能だ」という指摘も深い.いろいろ考えさせてくれるところだ.

From Darwin to Derrida その66

 
 

第8章 自身とは何か その6

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み.ここまでは「本能」と題して,(本能としてある)感情の目的と適応度がずれうること,そしてそれは他者による操作の対象になり得ること,学習と理性により本能を出し抜けることなどが議論された.続いてヘイグは「理性」を扱う,
 

理性

 

  • 理性は,意識的,無意識的に働く生得的な問題解決メカニズムを含み,そして複数の目的を追求できる.理性は過去の自然淘汰が働いていない現在の環境の新奇な特徴にも反応でき,自然淘汰のハードワイヤード適応では対応できないような微少な利得の差異も利用できる.
  • 理性は感情の奴隷であり同時に統治者でもある.奴隷としての理性は感情の目的を達成するための効率的な方法を探すために使われる.この過程で理性は欲望を満たすための補助目的を見つけることもある.私が喉の渇きを感じているとして,私の(補助)目的は渓谷の道を見つけることだったり,バケツの穴を塞ぐことだったりする.理性は感情の目的を(文脈に応じて)特定し,修正するのだ.
  • 適応度は様々な文脈において異なった方法で得られるので,私たちには複数の感情がある.ある文脈で適応度を上げる行動が別の文脈では適応度を下げることがある.だから統治者としての理性はある特定の文脈,人生,文化において感情と感情の仲を取り持ち調整する.

 
感情の奴隷としての理性と感情の統治者としての理性を分けるというのはなかなか面白い発想だ.ヘイグが「奴隷としての理性」で説明しようとしていることは,感情にしたがって行動するにしても,どうすれば感情の欲求を満たせるかについて理性の働きどころがあるということであり,「統治者としての理性」は複数の感情がコンフリクトを起こしているときにそれを調停する役割があることだろう.この複数の感情というのは進化心理学でいうところのモジュールだが,ヘイグはあえてその用語は使っていない.
しかしこの調停はいつもスムーズに行くわけではない.ヘイグはうまくいかない場合について考察する.
 

  • 理性の目的(telos)は効用機能であり,それは異なる感情の選好を比較し統合する.そしてそこには私にとって何か漠然としてうまく定義できないものがある.
  • 理性が自分の中の異なるエージェントの選好の比較や統合をうまく行えないときに何が起こっているのかについて,社会的選択理論の方が合理的選択理論よりも良いモデルを提供している.そしてこの理論は重要な効用が比較できないときには基本的な合理性の基準が満たされなくなることを示唆している.

 
うまく調整できない場合に何が起こっているのかについて合理的選択理論はうまく当てはまらない.それは合理的選択理論はすべての結果を1次元の(経済学的)「効用」で比較できることが前提となっているからだ.そもそも複数の感情(モジュール)がコンフリクトしているときには,それぞれの感情の「効用」は同じ次元で単純に比較できない.すると状況は(同じ次元の効用を持たない)複数の主体がなんらかの意思決定を集団的に行うときにどうするかという社会的選択理論の方が当てはまりがよいことになる.(ここでヘイグは触れていないが)そしてそこにはアローの不可能性定理が厳然とそびえ立っており,一義的なうまい調整方法はないことになるのだ.
 

  • 内省ではどうすれば内的なジレンマを克服できるのかを明らかにはできない.私の決断は不安定であり,何かリーズナブルでパッピーな人生を目指しているようではあるが,片方で他者への義務と責任を果たそうとしており,それらは「良い人生」(それがどんな意味にせよ)を得ようとする複数の感情をどううまくバランスさせるかについての互いにコンフリクトする複数の文化的な示唆という文脈の上にある.

 
ここは味わい深い,モジュール間でコンフリクトがあるときに私たちの意識的な内省は何が生じているかについてクリアーな説明を与えてくれない.それはそのような状況における意思決定がそもそも不可能性定理の上にあることが影響しているからかもしれないし,あるいは(おそらくこちらの方が可能性が高いように思うが)意識は後付けの理屈をでっち上げる報道官に過ぎない(そして良い報道官であるために何が起こっているかについてアクセスできないようになっている)からかもしれない.