From Darwin to Derrida その45

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その10

 
ヘイグはインプリントされた遺伝子間の個体内コンフリクトを取り上げ,いくつかの例をあげた.基本的に父由来遺伝子と母由来遺伝子は母親からの投資量をめぐってコンフリクト状態になる.実際にこの投資を母親から引き出すためのパーソナリティや行動傾向がコンフリクトによる綱引きの結果決まっているらしいことが(そのインプリント遺伝子クラスターが除去された状態である)プラダーウィリ症候群とアンジェルマン症候群からわかるのだ.
この個体内コンフリクトは第5章のテーマである「遺伝子はどのように個体をコントロールしているか」を良く理解するための実例ということになる.そしてヘイグは第5章の最後でこのテーマに戻り,これを発達システム論との関係で論じている.
 

多数からなる1つ(E Pluribus unum*1

 

  • ここで一旦発達システム理論の視点に立って,遺伝子が有機体の自動機械をコントロールしているのかどうかを考えてみよう.
  • 個体発生には必然的に発達中の物質的生命体とその環境の相互作用が含まれている.遺伝子はこの過程の重要な部分だが,それだけでは作用できない.核酸は遺伝子の物質だが,生命体の分子コンポーネントという意味ではタンパク質や脂肪や炭水化物やミネラルと異ならない.これらの分子はより高いレベルのコンポーネント,つまり筋肉や神経や骨に組織化され,環境の中で目的論的に機能する.
  • 瞬間瞬間の生命体の行動のコントロールには遺伝子発現の変化はほとんど関与しない.しかしより長期的な発達のタイムスケールにおいては遺伝子は生命体が環境においてどう反応するかを改変するツールとなる.この生命体の機能にかかる遺伝子の概念はトークンとしての遺伝子,あるいは物質的遺伝子に近い.物質的遺伝子は生命体の行動をコントロールしない.生命体はそれの持つ複雑性の世界の中でそれ自身をコントロールしている.これは自律的なロボットのメタファーになる.

 
最後の部分は難解だ.発達過程において生命体の構成に指令を与える遺伝子が情報遺伝子より物質遺伝子に近いというのはわかりにくい.ヘイグがここで指摘しているのはそのような生命体を構成するような指令は直接の行動の指令とはかなり異なるということに過ぎないのだろうか.ここからヘイグは個体内コンフリクトの視点も入れ込むとどうなるかに進む.
 

  • ここでその生命体が分割されているとするなら,我々はコントロールについてどう考えればいいのだろうか.社会というメタファーは(自律的ロボットというメタファーより)より柔軟なエージェンシーについての考察の方法を示唆してくれる.国家とその市民のエージェンシーを考えてみよう.国家は世界の中で活動する.国家は宣戦布告し,条約を結び,インフラに投資し,市民間の紛争を解決する.これらの活動は市民の行動によって部分的に定められるが,その市民の選択や選好は国家の行動により形成される.
  • 国家の集合的エージェンシー性を否定しつつ市民の自律エージェンシー性を信じることができるかもしれない.しかし社会とそのメンバーについての因果性を理解するという問題は(部分から全体を参照し,かつ全体から部分を参照するという)単純な聖書解釈学ではない.
  • 個人としてのヒトは単に社会的グループの下部構造であるわけではない.グループはオーバーラップするメンバーを持つ.例えば一部の市民は(二重国籍者として)複数の国家に属している.このような場合の二重忠誠は国家内のコンフリクトの要因にもなれば,国家間の協調の要因にもなるだろう.

 

  • 私は生命体の行動のタイムスケールにおいて2種類のアクターを認識している.我々が生命体と認識する歴史的な個体と私が戦略的遺伝子と呼ぶ歴史的個体だ.これらの関係はある意味で国家と市民のそれに似ている.生命体は世界の中でその戦略的遺伝子達の集合的行動として決定されたように行動する.しかし個別の遺伝子的な行動は生命体レベルで得られた情報により決定される.戦略的遺伝子は単に生命体機械のパーツであるだけではない.なぜなら生命体の中の一部の戦略的遺伝子の結託は生命体全体の利益を自分たちの利益と引き替えに損ないうるからだ.戦略的遺伝子と生命体は異なる種類のエージェンシーを持つのだ.それは異なる方法で働く.

 
ここまで読むとヘイグの言いたいことはかなりはっきりしてくる.生命体が受ける指令は1つのレベルだけからではないのだ.それは個体の意思決定として捉えた方が適切な場合もあれば,戦略遺伝子社会での決定と見た方がいい場合もあるのだ.私たちは時に協調的で時にコンフリクトを持つ多層的なエージェンシーによる複雑な相互作用の結果を受けて行動しているということになる.
 

  • ここで注意を一時的な発達の軸から通時的な進化の軸に移そう.進化的なタイムスケールでは情報遺伝子はテキストになる.それらは情報の貯蔵庫でアリ.過去の環境で何がうまくいき,将来何が期待されるかが記されている.これらのテキストは過去の環境によって核酸配列として書かれている.それは現在の環境の解釈者でかつ遺伝テキストの解読者となる生命体の構築方法を含んでいる.現在の環境は発達過程におけるその物質的テキスト解釈の文脈を供給するのだ.

 
この最後の結論は深い.遺伝子は過去情報が詰め込まれたテキストであり,そのテキストの解読者を作る指令を出す.そしてこの解読には現在の環境が影響を与えるということになる.

*1:「多数から1つへ」という意味をもつラテン語の成句で,多くの州からなる1つの統合国家という意味でアメリカ合衆国を指す言葉として国璽などに用いられているそうだ

From Darwin to Derrida その44

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その9

 
ゲノミックインプリントが絡む個体内コンフリクト.ヘイグは理論的な概説に続いてインシュリンと熱生産の例をあげたが,さらに興味深い例が詳しく解説されている.取り上げられるのはプラダーウィリ症候群とアンジェルマン症候群だ.
 

プラダーウィリ症候群とアンジェルマン症候群

 
このプラダーウィリ症候群,アンジェルマン症候群というのは1956年.1965年にそれぞれ報告された症例で,一部の遺伝子の機能喪失によって発症することが知られているものだ.冒頭ではこれが親とのインタラクションが少ないことに原因があるのではないかという1988年に書かれた(いかにもドグマティックな「育ちがすべて」主義者が唱えそうな)文章の引用がある.この症候群を調べてみるとどちらも15000人に1人ぐらいの頻度で現れ,それぞれ特徴的な症例や知的障害が引き起こされるようだ.
 

  • プラダーウィリー症候群は第15染色体の父方インプリントされた遺伝子クラスターが除去されて発症する.そして同じ部位の母方インプリント遺伝子クラスターが除去されるとアンジェルマン症候群が発症する.つまりプラダーウィリ症候群は父方インプリント遺伝子の発現が抑えられることにより,アンジェルマン症候群は母方インプリント遺伝子の発現が抑えられることにより発症するということになる.

 
この除去自体がなぜどのように起こるのかについてはコメントされていない.除去自体がインプリント遺伝子の発現によるというわけではなさそうだが,気になるところだ.
 

  • つまりプラダーウィリ症候群は子どもより母親の利益が優先されるような現象が誇張され,アンジェルマン症候群はその逆になることが予測される.これらの症候群の複雑な症例はインプリント遺伝子のコンフリクトによって発達的,行動的に引き起こされる.これらのことから通常の子どもの発達過程では双方のインプリント遺伝子の相克の果てのバランスにより制御されていることがわかる.
  • プラダーウィリー症候群の子どもは食事に興味を抱かず,吸乳も弱い.そしてしばしば胃腸へのチューブによる栄養補給が必要になる.鳴き声もか細い.これに対してアンジェルマン症候群の子どもに栄養失調になる傾向はない.もう1つの対称的な症状は睡眠パターンだ.プラダーウィリー症候群の子どもは過剰睡眠の傾向があり,アンジェルマン症候群の子どもは不眠がちだ.
  • これらは進化的には,父方インプリント遺伝子はより食欲を持ち眠らないという形質でより母親の投資を引き出そう(さらに次の子どもまでの期間を空けようと)としており,母方インプリント遺伝子はその逆をしていると解釈できる.
  • 幼児を持つ母親が疲れ果てると訴えがちだが,その疲労は父方インプリント遺伝子による延長された表現型と考えることができる.
  • アンジェルマン症候群の症例は深い愛着や微笑みや笑いの頻度が高いと特徴付けられる.これはプラダーウィリー症候群の症例にみられる愛着の低さと対称的だ.アンジェルマン症候群の症例としての笑いはしばしば「不適切」とか「不自然で刺激なく生じる」とか形容されるが,注意深くなされたリサーチによるとこの笑いは非社会的な文脈ではほとんど生じず,アイコンタクトのあと特に生じやすいことがわかっている.そうでない子どもよりよく微笑み,大人の微笑みを生じさせやすいことも報告されている.これは通常母親のケア,注意,アタッチメントを誘発するような行動が強化されているのだと解釈可能だ.

 
父由来遺伝子は,子どもをわがままでディマンディングに,あるいは母親がかまわずにはいられなくなるように方向付けようとし,母由来遺伝子は欲求の少ない聞き分けの良い子に誘導しようとするというわけだ.そしてその綱引きで子どもの行動傾向が決まるが,片方の遺伝子クラスターが除去されると極端なケースが発現するということになる.
 

  • アンジェルマン症候群の子どもはこのような豊かなパーソナリティをもつが,それは言葉やそれ以外のコミュニケーションの深刻な不足ももたらす.幼児期には異常な高音で泣き,喃語は遅れる.大人の手を引いたり,払ったりというような行動も少ない.共有注意,共有行動も貧弱で,言語を習得しない.基本的に認知能力に問題があると考えられ,行動や言葉の模倣能力が特に低い.これは言語進化にかかる「モーターコントロール」説にとって示唆的だ.興味深い仮説は運動障害と言語の獲得障害はモーターコントロールにかかる同じ神経的な異常によるというものだ.
  • 母方インプリント遺伝子の削除と言語獲得障害の関係は興味深い.バドコックとクレスピは母方遺伝子が,子どもの脳の言語センターにおいて母のインストラクションへの注意や母と子どもの協調を推進するように働くのではないかと示唆している.言語コミュニケーションは発達のごく初期から現れる.おそらくより早く言語が発達するのは母親のケアのコストを下げるのであり,アンジェルマン症候群により削除される母方遺伝子は言語発達を開始する機能を担っているのだろう.

 
ヘイグもコメントしているが,このアンジェルマン症候群のその他のコミュニケーションに生じる影響は興味深い.基本的には父由来遺伝子が母親の投資を引き出そうとする性質の(母由来遺伝子の対抗がない場合の)副産物ということになるのだろう.母親とのコミュニケーション能力は,子どもの欲求強化に働くのか欲求抑制に働くのか.どちらにも働きそうだが,この証拠は,母親と言語でやりとりできた方が平均的に母親は投資を節約しやすいということを示唆しているというのがヘイグの解釈になる.

書評 「文化進化の数理」

文化進化の数理

文化進化の数理

  • 作者:田村 光平
  • 発売日: 2020/04/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

本書は文化進化の第一線の研究者田村公平による文化進化リサーチの手法,およびそれを用いたリサーチ例の解説書になる.文化進化についての概説書にはメスーディの「文化進化論」やヘンリックの「文化がヒトを進化させた」があるが,本書は数理的モデル構築手法に焦点を当てているところが特徴になる.
 

第1章 文化進化とは何か

 
最初の導入では文化進化研究をめぐる様々な基礎が整理されている.

  • 文化進化研究の様々な数理的手法は進化生物学の手法の応用によるものが多い.それは情報の複製という観点から共通性があるからだ.
  • 本書の学問的スタンスは「文化の研究は人間理解にとり重要だが,それは難しい」,「そのために理解にちょうど良いレベルの抽象化を行う」というものになる.
  • 文化には様々な定義がある.本書では文化形質を「連続的あるいは離散的にはっきりと観察あるいは測定しうる(他個体からの伝達による)なんらかの文化的行動の帰結」と定義する.文化進化の研究では「伝達される情報」としての側面から文化多様性の変化を量的に取り扱うことで文化の理解を深めようとする.
  • 文化進化とは「集団中の文化的構成の時間的変化」である.(ここで文化進化と生物進化のアナロジー,社会学習と個体学習,模倣,教示,文化淘汰,二重継承説,遺伝子の文化の共進化などについての解説,いくつかの文化進化の例の提示がある)

 

  • 文化進化研究が始まったのは1970年代になる.その端緒とされるのはキャヴァリ=スフォルツァとフェルドマンによる論文だ.それ以前からある生物進化と文化の変容の類似性の指摘とこの現代的文化進化研究が決定的に異なるのは数式を用いた定式化にある.
  • キャヴァリ=スフォルツァとフェルドマン,ボイドとリチャーソンは集団遺伝学,生態学,疫学のモデルを文化現象の解析に援用することで文化の定量的理解を試みた.
  • 1990年代以降には実証研究が増加した.また文化系統学の研究も盛んになった.
  • 2000年代には実験室での実験研究が増加した.
  • 2010年代の流れとしてはビッグデータの利用とそれを用いた比較研究が挙げられる.

 

  • 文化人類学や社会人類学における「文化進化論(社会進化論)」と現代的文化進化研究とは大きく異なる.古典的な社会進化論は段階的発展を想定し,後の複雑な社会の方が優れているという価値観を内包したものだが,現代的な文化進化はそのような想定も価値観も持ち込まない.

 

  • なぜ数理モデルを使うのか.それは人間の認知能力を補うためであり,大規模データの解析,仮定の明確化,複雑さの理解にとって有用だからだ.

 

第2章 文化小進化の数理

 
第2章は本書の理論編の中心となる部分だ.ここで文化小進化とは「個体レベル」から解析する文化進化を指す.集団中のある文化形質の割合をpと置き,その増減がどう決まるかを方程式にどう表現するかが詳しく解説されている.ここでは集団遺伝学の基礎と,文化進化に応用する場合の対応関係と相違点も整理されている.主な相違点としては誘導された変異,斜行伝達,水平伝達,一対多,多対一の伝達,様々な間接伝達バイアス(モデルバイアス,名声バイアス,類似性バイアス),同調バイアスなどがあり,それぞれ数理的にどう扱うかが整理されている.
 

第3章 文化小進化の発展的なモデリング

 
第3章と第4章は文化小進化の発展的研究が扱われている.ここは文化小進化の最新研究が次々に解説されていて読みどころだ.第3章は第2章で扱った文化小進化の理論を発展させた数理モデルとそれを用いた実際の研究例の紹介になる.
  
<環境変動と文化進化>

  • 環境変動がある場合個体学習と社会学習のどちらが有利になるのか.これを調べるためフェルドマンたちは「個体は個体学習者か社会学習者かが生得的に決まっている」と仮定し,「周期的に環境変動が生じて社会学習された行動が非適応的になる」という状況をモデリングした.この結果は社会学習者頻度は環境変動が生じるたびに減少するが,しばらくすると増加しはじめるという周期的な変動をみせるというものになる.
  • レンデルたちは二次元格子モデルを用いて集団に構造があると社会学習者に有利になることを示した.小林と若野は無限島モデルにより逆の結果を示した.田村と井原は二次元格子モデルにより構造が社会学習によって有利かどうかは水平伝達か斜行伝達かによって変わることを見つけた.

 
<非適応的文化進化>

  • 非適応的な文化進化については,人口転換の説明として盛んに研究されている.井原は垂直伝播される教育への指向性が斜行伝達頻度を上昇させ,非適応的行動の伝播に影響を与えるというニッチ構築型のモデルをたて,まず教育指向性が上昇した後,繁殖率が下がっていく状況が説明できることを示した.人口転換には社会的地位追求行動にコストがかかるが地位が上がれば社会的影響力が上がるというモデルによる説明もある.
  • このほかの非適応的文化進化研究のモデリングには,社会ネットワーク上の非適応的文化の拡散についての疫学的モデル,空間構造を用いた自殺模倣モデルなどがある.マルダーによる総説によれば,このような非適応的文化進化へのアプローチには行動生態学的モデル,進化心理学的モデル,文化進化的モデルの3種類があるということになる.

 
<累積的文化進化>

  • ヘンリックは継承技術水準が集団サイズをパラメータとするガンベル分布確率で与えられるモデルを立て,集団サイズが大きいと素速く累積的文化進化が生じ,小さいと水準が下がっていく状況を示し,タスマニアでの技術喪失をこれで説明できるとした.メスーディはこのモデルに知識蓄積に伴うコストを導入すると技術水準が頭打ちになることを示した.
  • 累積的文化進化については伝達連鎖法による実験研究も盛んに行われている.
  • 累積的文化進化については狩猟採集民の道具に累積的な進歩があったのかどうかをめぐる論争があり,決着はついていない.

 
<グループ淘汰理論の援用>

  • 利他行動を文化的グループ淘汰として説明しようという試みがあり,注目を集めている(ボウルズたちの偏狭な利他性,利他的な罰,戦争とグループ淘汰のモデルの概要が解説されている).これらの議論は興味深いが,ヒトの利他性が文化的グループ淘汰によるものだという結論に飛びつくのは性急だ.数理モデルが示すのはそのような道筋が論理的な可能であることを示すだけであり,実際にどうであったかは実証研究と組み合わせて示す必要がある.ボウルズたちの邦訳書には日本人研究者による解説とボウルズの議論への批判が紹介されており非常に有益だ.

 
ここは話題になった文化進化リサーチがその利用モデルと共に次々に紹介されていて充実している.最後のボウルズたちの議論については留保付きでの紹介になっている.もっと踏み込んで批判してもよいと思うが,数理モデル解説書としてはこのぐらいの抑え方の方が適切と言うことかもしれない.
 

第4章 文化小進化のデータ解析

 
第4章では,組み上げた数理モデルに対するデータの解析が取り扱われている.ここも最新の研究が次々に紹介されている.
 
<実験データからの学習戦略の推定>

導入として有名な伝達連鎖法実験としてスパゲッティタワー実験,4本スポーク車輪実験があることを紹介し,集団遺伝学の適応地形概念の解説を置いている.

  • 実験データを数理モデルに当てはめる研究例としては,マッカリスの農耕ゲーム実験(6つの農場で20季節あり,どこでどれだけ取れるかが違い,さらに季節変動があるという状況.被験者には収穫が事前にわからないなかでどの作物をどの畑に植えるかを他プレーヤーの情報も見ながら決める)がある.彼はいくつかの社会学習モデルを作り,それを実験データに当てはめた.49人中38人に同調モデルが当てはまった.
  • 豊川はクラウドソーシングサービスを利用して実験を行い,集団サイズと環境変動が学習戦略に与える影響を調べた.その結果大集団ほど社会学習に依存しやすいという結果を得た.

 
<動物の文化>

導入として動物文化の研究史が解説されている.

  • 今西によるニホンザルの文化の発見以降動物にも文化があることが認められるようになった.代表的な研究にはホワイトンのチンパンジー文化の研究があり,そのほか鳥類やクジラ類の歌,グッピーの配偶者選択の模倣などの例が知られている.レイランドはグッピーに非適応的な行動の継承があることを示した.ソーントンはミーアキャットに教示があることを報告した.佐々木たちは伝書鳩に飛行経路の累積的文化進化があることを示した.チンパンジーやトゲウオに同調バイアスがあることも報告されている.
  • アプリンたちはシジュウカラの「伝統」を調べた.色の違う扉のどちらを開けるかが集団により異なるように訓練し,データを集める.この結果群れを移籍すると開ける扉を集団に合わせること,高年齢個体ほど社会学習に頼らないこと,若い個体で社会学習への依存度が高い個体ほど早く行動を変化させることがわかった.またモデルによるシミュレーションにより同調バイアスがあっても環境変化後に集団が適応的な行動を取れるようになることを示した.
  • バレットたちはノドオマキザルを用いてパナマフルーツの殻の開け方にかかる実験を行い,彼等が同調学習ではなく利得バイアスによる学習を行っていることを示した.

 
<考古学データからの文化伝達の推定>

  • 現代的な文化進化の考え方を取り入れた考古学を進化考古学(あるいはダーウィン考古学)と呼ぶ.ダンネルは考古遺物について有用性の有無で「機能」と「スタイル」を区別し,淘汰圧の違いをモデルに反映できるようにした.
  • シェナンは集団遺伝学的な手法を用いてドイツの新石器時代の線帯文土器の考古学データを解析し,35種類の文化形質の頻度変化がどこまで浮動で説明できるかを調べた.結果は完全に中立ではなく,なんらかの淘汰が働いていることが示された.シェナンは反同調バイアスの効果があると推測している.
  • クレーマは文化進化プロセスだけでなく考古学データの獲得過程もモデル化し,シェナンと同じデータを用いて文化伝達過程を推定した.その結果文化伝達モードが時間と共に変化しない場合には反同調バイアスがデータをよく説明したが,時間と共に変化できるとすると前半は反同調バイアスが,後半は同調バイアスがあるとする方が良くデータを説明した.

 

  • ライセットはハンドアックスの形態変異データを解析し,ホモ・エレクトゥスがアフリカから拡散する際に創始者効果が生じたというモデルに良く適合すると報告している.
  • アトキンソンたちは世界中の言語に含まれる音素の数の多寡を分析し,アフリカを起源地だとする仮説が音素数の地理的パターンを最も良く説明することを示した.

 

第5章 文化大進化の数理

 
文化進化研究では集団内の個人ではなく集団を単位とした文化進化を文化大進化と呼ぶ.(これは生物学的な言い回しとは少し異なるようで面白い)著者はここでは文化心理学における東洋と西洋の扱いや,文化人類学における社会進化論を引きつつ,本来個人が単位で文化伝達が生じているが,集団を単位として扱った方が便利な場合があるのだと説明している.

<基本的なモデリング>

大進化における垂直伝達,水平伝達,適応,集団の絶滅と入植がある形のモデルなどの基礎が解説される.この後発展的なリサーチ例が紹介される.

  • ターチンたちは軍事技術の拡散に伴う巨大な政治体の出現を,制度や規範といった社会的な文化形質と騎馬技術や戦車などの軍事技術を文化的な成功の要因として区別してモデル化した.彼等はこのモデルを用いて紀元前1500年頃からのユーラシア大陸の領土ダイナミクスシミュレーションを行い,ある程度現実に沿った結果を得ている.

 
<文化的距離,多様性と大進化プロセス>

大進化のデータ解析について,文化的距離の測り方(ハミング距離,ジャッカード距離),多様度の測り方(ヘテロ接合度,シャノンの指数),分化度の測り方(ΦST)の解説がある.またこれらのリサーチ例も紹介される.

  • ググリミノたちはアフリカの集団と文化形質を分析し,親族構造に分類される文化形質は垂直伝達,性的分業とその他の文化形質は水平伝達される傾向を見いだした.
  • ロスはヨーロッパの民話を解析し,民話の分化度と最も高い相関があったのは地理的距離だったと報告した.

 
<文化系統学>

文化系統学は考古遺物等のデータを基に系統樹を推定する試みになる.推定方法としての最節約法*1,推定された文化系統樹の例,言語系統学と人類の移動に関する様々な仮説の関わりなどが解説され,最後に文化系統学に向けられる批判が扱われている.

  • 文化系統学に向けてよくなされる批判は水平伝達の影響をとりあげるものだ.このような批判に対してコラードたちは様々な文化形質と生物学的形質の保持指数(RI:系統樹の樹形らしさの指数)を測定し,少なくともデータ上は,文化進化だからという理由だけで生物進化より樹形的でないとはいえないとしている.ただし水平伝達が多い場合の理論的な検討は十分とはいえない.

 
<祖先形質復元>

  • 文化系統樹を利用して形質の共進化パターンを抽出できる.これは祖先形質復元とも呼ばれる手法であり,特定の2つの文化形質がいくつもの文化で見られる場合に,その組合せに意味があるのか,単に共有祖先形質なのか(ゴルトン問題)を見極めることに使える.具体的には系統比較法などの手法がある*2
  • ホールデンとメイスは人類学でよくいわれる「牛は母系の敵」というパターンが本当かをバンツー諸語の言語系統樹を使い系統比較法を用いて検証した.この結果母系で家畜所有社会は家畜所有か母系のどちらかの形質が変化しやすく,父系で家畜所有文化はどちらも変化しにくいことがわかった.
  • カリーたちはオーストロネシア語族の言語系統樹を推定し,既存の政治形態から分岐点の各時点の政治形態を推定し,政治形態の遷移規則を計算した.この結果複雑性の増加は段階的に,複雑性の減少は急激に起こる傾向があることが明らかになった.

 
<幾何学的形態測定学の応用>

ここでは近年著者が力を入れている「文化形質の測定と定量化のために幾何学的形態測定学を利用する手法」が解説されている.標識点ベース形態測定学,楕円フーリエ解析,それらを用いた実際の例が紹介されている.
 

おわりに

最後に終章が置かれている.単なるまとめではなくいろいろ研究者の本音が書かれていて面白い.絶滅危惧種の保全において当該動物の文化のあり方にも配慮すべきこと,再現可能性問題と銅鉄研究*3の重要性あたりの指摘には著者の思いがにじみ出ている.
 
本書では現在の文化進化研究の手法と最新リサーチ例が網羅的に解説されていて大変勉強になる.私的にはミーム学的な手法についての解説がないのがやや物足りなかったが,実際に取り上げるべき具体的なリサーチがあまりないということなのかもしれない.ともあれ文化進化を勉強しようというなら手元に置いておきたい一冊ということになろう.
 
関連書籍
 
メスーディによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160614/1465901048

 
ヘンリックによる文化進化本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/01/11/113010
 
ボウルズとギンタスによるヒトの利他性についての本.日本人研究者による解説が特に重要.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180314/1520983936
 
日本人研究者による文化進化についての本
文化進化の考古学

文化進化の考古学

 

*1:コラムではその他の技法も紹介されている

*2:これ以外に一般化線形混合モデルなどの手法もあることが解説されている

*3:同じ手法で対象を変えた研究,銅でやったことを鉄でもやってみるということからこの名がある

From Darwin to Derrida その43

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その8

 
個体内のゲノミックコンフリクトはどのように解消されるのか.ヘイグは単一遺伝子座での発現産物の量に関するコンフリクトはより多い量の生産を望む遺伝子が勝つが,2つ以上の遺伝子座が絡むと手詰まりになり得るのだと説明した.ヘイグは父由来遺伝子と母由来遺伝子のコンフリクト例としてインシュリン生産にかかる問題を挙げたが,さらに別の例を挙げて詳しく解説する.

 

冷たい肩

 

  • 群れで密集して寒気をやり過ごすような種の場合,体温調節は母方遺伝子と父方遺伝子の潜在的なコンフリクトの場になる.熱産生はコストがあり,周りの個体にメリットをもたらすので進化的にフリーライドの誘惑が生じる.父の異なる兄弟達で群れが形成されているなら,母方遺伝子と父方遺伝子の群れのための最適熱産出量は異なっていくる.父方のアレルはより低い熱産出を最適とするだろう.

 
これは寒さを防ぐための群れが形成されている場合,熱産出はコストがあって周りの個体に利益をもたらすので1種の利他行動になり,そこにはフリーライドの機会があることになる.包括適応度理論的に周りの個体との血縁度に応じて最適熱産出量が異なってくる状況だ.父由来遺伝子からみた周りの個体との血縁度が母由来遺伝子から見たそれより低いなら,父由来遺伝子にとっての最適熱生産量は,母由来遺伝子のそれより低くなる.
 

  • ゲノミックインプリンティングは実際に褐色脂肪細胞のシグナリング経路に影響を与えている(母方インプリント遺伝子のみが褐色脂肪細胞で熱産出を増進するXαsタンパクを作り,父方インプリント遺伝子のみがそれを抑制するXLαsタンパクを産出することの分子的な詳細が説明されている)

 
これが理論通りに発見されているのには理論の力を感じるところだ.
 

  • 褐色脂肪細胞は熱産出器官であり産出レベルは非インプリント遺伝子,母方インプリント遺伝子,父方インプリント遺伝子の効果の合わさったものになる.「最もうるさい声が優先する原則」によると,母方インプリント遺伝子は産出を上げようと,父方インプリント遺伝子は産出を抑制しようとすることになる.ただし現在の理論ではなぜ信号経路の特定部分にかかる遺伝子のみがインプリントされるのかを説明できるわけではない.

 
この最後のリマークにも味がある.この信号系路にはほかにも遺伝子発現によって産出量が異なるポイントがあるということなのだろう.そしてそこでインプリントが抑えられているのはなぜなのか(他の遺伝子による介入なのか)というのは大変興味深い問題だ.
 

  • インプリントは遺伝子量が問題になる遺伝子座において表現型の差を作る.もし単一アレルが2倍の効果を出せるなら,対抗するサイレンシングには淘汰的効果がないことになる.Gαsの効果は複数のシグナリング経路をを持つためにかなり大きく遺伝子量に感応する(その分子的詳細が説明されている).(だからこれは母方インプリント遺伝子の勝利になるように思われるが)しかしGαsが体温調節の唯一のメカニズムであるわけではなく,実際にこのコンフリクトがどのように決着しているのかはわかっていない.

 
アームレースの帰結は基本的にその状況の詳細に依存するということだろう.いずれにせよコンフリクトのコストは高そうだ.
 

From Darwin to Derrida その42

 

第5章 しなやかなロボットとぎこちない遺伝子 その7

 
ゲノム内にインプリントされた遺伝子があると,その母由来遺伝子と父由来遺伝子の間にはコンフリクトが生じる.これが細胞間の信号の正直さにどのような影響を与えるのだろうか.ヘイグはそれには一般的な解はなく,個別の詳細に依存するだろうと指摘した.ここから個別の詳細の世界が考察される.
 

ゲノム間コンフクトの解消

 

  • どのようにゲノム内コンフリクトが解消されるかを理解するには至近メカニズムの知識が必要になる.
  • 最も単純な仕組みはインプリントを防ぐことによるものだ.自分の由来を知ることができなければ両者の利害は一致する.

 
インプリント(そしてその結果のコンフリクト)がその他の遺伝子たちにとって不利ならば,遺伝子たちは共同してインプリントを防ぐように進化するだろう.ヘイグはこのことについてコメントしていないが,かなり多くの場合にはそういう理由でインプリントが抑えられているのかもしれない.ではインプリントが防げなかったらどうなるのかが次の問題になる.
 

  • 父方由来の場合に高い活性が有利な遺伝子の場合,母方由来の場合に不活性になる形でコンフリクトが「解消」される.母方の場合に不活性になり,父方の場合に単一で最適活性を持つようにするのが,このような遺伝子の「打ち負かされない戦略*1」となる.私はこれを「最もうるさい声が優先する原則」と呼んでいる.

 
これは活性を0以下にできないなら母由来遺伝子にはそれ以上どうすることもできず,父由来遺伝子の勝ちになるということだ.しかしある物質の生産量が単一遺伝子座のみで決まることは少ない.複数の遺伝子座が,活性の増進と抑制を司っているときにどうなるかが次に語られる.
  

  • この原則はコンフリクト解消の単純な形になる.より高い活性を望む方が全部生産し,もう片方は全く生産しない.これはいくつかの重要な帰結につながる.第1にこの遺伝子は活性があるときの表現型で淘汰を受ける.第2に遺伝子が転写されて活性を示すときその(それが父方由来か母方由来かの)アイデンティティを開示する.
  • 単一遺伝子座においてはこの原則はより高い活性を望む遺伝子が勝利することを意味する.しかし多くの表現型には数多くの遺伝子座が関係している.例えば授乳などの母親からの投資について父方遺伝子はより多くを望むだろう.すると(子どもの母親に対する)要求増進にかかる遺伝子座では父方遺伝子が勝って要求増進を強化させるが,要求抑制にかかる遺伝子座では母方遺伝子が勝って抑制を強化するだろう.これは進化的な手詰まりになる.要求増進も要求抑制もそれぞれの勝利遺伝子にとっての限界利益と限界コストがバランスするところで止まる.このような形では一般的にはどちらも最適なレベルを達成できない.
  • このような手詰まりの具体例にはインシュリンに関するIDF2にかかるものがある.(具体的に手詰まり状況が解説されている)

 

  • ある形質に関連する遺伝子座群が3つ以上のインタレストを持っていることもあり得る.私はその可能性を理論的に探り,そのようなインタレスト派閥は大きく2つの同盟(要求増強と要求抑制)に括られる傾向があることを見いだした.ただこの問題にはさらなるリサーチが必要だ.

 
このインシュリンにかかる詳細の説明は具体的で手詰まり状況がよくわかる.一般的に軍拡競争は片方の完全勝利ならそれは目に見えず,目に見えているならどこかでなんらかのトレードオフと共に手詰まりになっている状況だと思われる.まさにインプリント遺伝子間のインシュリンにかかるコンフリクトはその手詰まり状況にあるということだ.
さらに3つ以上のインタレストの状況についての話は興味深い.ヘイグがここで詳しく語ってくれないのは残念だ.
 
3つ以上のインタレストに関するヘイグの考察はこれかと思われる.(なぜか引用がない)
www.researchgate.net

 
なお「最もうるさい声が優先する原則」を考察したヘイグの論文はここで読める
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1688715/pdf/9404029.pdf

 

*1:ハミルトンが提唱した概念,後にメイナード=スミスがESSとしてフォーマライズする