From Darwin to Derrida その149

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その14

 
いかにも興味深いツインメルマン電報の逸話を扱った後,意味についてのヘイグの議論が展開される.
 

相互的情報と意味

 

  • 「意味論的情報」という概念は,意味が解釈に先立って情報の中にあるということを前提にしている.この考え方では解釈者はすでにある意味を新しいメディアにリパッケージすることになる.
  • 私はこれに対して,意味は情報が入力となっている解釈過程の出力だと考えるべきだと提案したい.この考え方では意味の質問に対する解答は解釈メカニズムと解釈能力の起源に求められるべきものになる.いったんこれらの難問が答えられたなら,意味論にゴーストは残存しない.

 
意味が出力というのは直感的な理解には反するような気もするが,結局「意味」について何か問題が生じるのは,その出力についてだから,結局これでよいのかもしれない.いずれにせよ思いつきにくい着想だと感じられる.
 

  • 「意味論的情報」と「解釈としての意味」のどちらを使うかは,「意味」の定義によるべきで,事実の判断によるべきではない.「解釈としての意味」は,情報とは世界に実在する客観的な実体ではなく観測者の認識論的不確実性を表すものだという信念とうまくフィットする.

 
そして出力として「意味」を捉えると,情報は実体ではなく不確実性(の減少)だというシャノンの議論と整合的になるということになる.ここでツインメルマン電報に則して解説がある.
 

  • ツインメルマンからエッカルトへのメッセージの2つの変換を考えて見よう.最初の変換では,ツインメルマンの平文はコード7500の暗号文に変換された.2回目の変換では暗号文は電信局職員と送信機により電気信号に変換された.これらの変換が意図された通りに為されれば,この電文は受信機により受信され,コードブックを持つ解読者に復号されただろう.
  • ツインメルマン電報の伝達の信頼性は,数多くのコードシステムの中での「相互的情報」(統計的な依存性)に依存する.
  • 「意味論的情報」の支持者はしばしば意味と相互的情報と同一視するか,意味は相互的情報から生み出されると考える.彼等によれば,ツインメルマン電報の様々なテキストは,数多くの転換を通じて保存された共通の意味のヴィークルだということになる.
  • 「解釈としての意味」主張者の立場からいえば,相互的情報は観察を解釈に転換することを可能にするものだということになる.意味は観察にあるのではなく,世界の中で効果的に行動するための背景情報(文脈)と観察の解釈的統合にあるのだ.

 
そして直感的な「意味は解釈に先立って情報の中にある」という立場から見ると,ツインメルマン電報の様々な形(ドイツ語テキスト,暗号文,モールス信号など)は共通して同じ意味を持つことになる.そしてあるテキストと変換された別のテキストの相互的情報(統計的依存性)により,意味の共通性が保証されることになる.
これに対してヘイグの「意味とは出力だ」という立場をとると,相互的情報(統計的依存性)は(文脈とあわせて)解釈を可能にするものだということになる.いろいろ難解だ.

書評 「The Parasitic Mind」

 
本書は進化心理学者ガッド・サードによる一冊.ガッド・サードは消費者心理やマーケティングを進化心理学的に分析考察する業績で知られている.題名は「寄生性の心:どのように感染性のアイデアが常識を殺すのか」という意味であり,一見したところミーム論の本のように見える(私としては進化心理学者の書いたミーム論だと思って手にした一冊になる).しかし実際に読んで見るとこれは現在アメリカのアカデミアで一大勢力を振るうウォークプログレシブによるキャンセルカルチャー告発の書であった.アカデミアのキャンセルカルチャーの問題を扱った心理学者がかかわった本としては以前にルキアノフとハイトの「The Coddling of the American Mind」を書評したが,こちらが学生の安全を過度に重要視することから生じた問題として憂いていたのに対し,本書はこれは感染性の悪質なイデオロギーに起因する問題だと看破し,(まさにそのキャンセルカルチャーの餌食になるリスクを冒して)戦闘的な批判姿勢を貫いているのが特徴だ.
 

序言

 
冒頭でサードは西洋は現在人々の合理的に考える能力を破壊する悪疫に襲われているとぶち上げる.それはダイバーシティ,インクルージョン,エクイティのイデオロギー,ポストモダニズム,ラディカルフェミニズム,トランスジェンダーアクティヴィズムなどが含まれる悪いアイデアの集合体であり,その態様はアカデミアの教授たちの左派の先進性純粋性シグナルのランナウェイ競争により過激になり,被害者アイデンティティ競争(犠牲者ポーカー)や科学否定主義の形をとって人々の理性的思考能力を破壊するというのだ.そして本書は真実のための戦いの書だと宣言している.なかなかラディカルな序言になっている.
 

第1章 内戦からアイデア戦争まで

 
第1章ではなぜサードがここまで過激な真実と自由のために戦う戦士になったのかの背景が書かれている.ここではなかなか迫力のある経歴が記されている.

  • 私は1964年にレバノンでユダヤ人として生まれた.1970年にエジプトのナセル大統領が死に,レバノンにはイスラム教徒たちによるユダヤ排斥運動が吹き荒れるようになった(様々な恐ろしい出来事が振り返られている).(第4次中東戦争の直後)1975年にレバノンは内戦に突入し,イスラム教徒とユダヤ教徒の平和共存は望めなくなった.自宅が襲撃され,一家はレバノンから逃げることに決めた(間一髪の脱出行も振り返られている).
  • 一家はなんとかモントリオールに逃れた.そこは寒かったが雪は爆弾より遥かにましだった.しかし1980年に両親が一時帰国するとファタハに誘拐された.両親は数日後に高度に政治的な交渉の末に解放されたが,私には大きなトラウマが残った.
  • そこから15年ほどは平和に過ごせた.私は(怪我でサッカー選手のキャリアをあきらめた後)数学とコンピュータサイエンスの道を志し,マクギル大学でMBAに進んだ.私は自由と真実に対する強いコミットメントを持つようになり,それが人生の指針となった.(そのようなコミットメントを持つようになったいくつかの出来事が書かれている)その後社会心理学や進化心理学に出会い,それを生かしたマーケティングを研究するようになった.
  • 科学は真実に至るための手法であり,それは大学で実践されている.しかし大学は科学的真実の源泉であると同時に馬鹿げた反真実生成機でもあることに気づくことになる.その反真実に最初に出会ったのは消費者リサーチの論文誌に掲載されたポストモダニズムの論文だった(その社会構成主義的主張がいかに馬鹿げたものであったかが説明されている).
  • 1994年にコンコルド大学に移る.そこの自然科学者の同僚はダーウィニズムを取り入れて消費者行動を分析する私のリサーチ方針を問題なく受け入れてくれたが,社会科学者の同僚はそれを還元主義的で性差別主義的だとあざけるのだった.特にフェミニズム学者は進化心理学に敵対的だった.
  • そして私はいくつかの邪悪な力が西洋の理性と科学と啓蒙の価値へのコミットメントを侵食していることに気づいた.その力には政治的正しさ(ポリコレ),ポストモダニズム,ラディカルフェミニズム,社会構築主義,文化相対主義,道徳相対主義,被害意識からの攻撃文化(マイクロアグレション,トリガーウォーニング,キャンパスのセーフスペース,アイデンティティポリティクスなど)が含まれている.これらはアカデミアや政治家をセンシティブなトピックから退出させるように様々な圧力をかけ,我々のオープンなディベートを通じて真理に迫るという文化を脆弱化させているのだ.

 

第2章 考察vs感覚,真実vs痛みの感覚

 
サードが最初に取り上げるのは問題への向き合い方だ.冒頭で感情と理性,カーネマンのシステム1とシステム2の二重過程論などを簡単に解説した後でこのテーマに進む.伝統的な科学的なアプローチは物事をロジカルに分析するものだが,今日のアメリカの大学ではロジックよりも痛みの感覚があるかどうかの方が議論を主導してしまうのだ.ここからはそれらの具体的な例示が続く.

  • ドナルド・トランプが当選したときのアカデミアの雰囲気はまさに集団ヒステリー状態だった.彼等は「株価は暴落して二度と回復しない」「トランプは民主制を破壊するだろう」「マイノリティは危険にさらされる」「トランプは核戦争とジェノサイドを引き起こす」「北米は反ユダヤジェノサイド主義に染まる」と口走った.これは象牙の塔の住人たちが(理性的に分析したのではなく)トランプのスタイルを嫌悪したからとしか説明できない.少し落ち着いた後でさえ彼等の中には「トランプに投票した63百万人は皆人種差別主義のうすのろだ」と主張するものもいた.彼等には移民や減税や規制にかかる政策的観点からヒラリーよりもトランプを選ぶということが(ある種の政治的な価値観から)合理的でありうることの考察を拒否しているのだ.
  • サマーズ発言,グーグルメモ事件において,問題となった内容は(ポリコレには反していたが)進化心理学的には正しいものだった.ハーバード大学当局やグーグルがとった行動は「真実が痛むのなら,それは真実であっても多様性,インクルージョン,エクイティ,コミュニティの団結のために抑え込まれねばならない」というものだ.最近もCERNのストルミーアは「物理学において女性は差別されていない」ことをデータで裏付けた内容を講演した結果,偏見による憎悪者と糾弾され職を失った.
  • 冗談も対象にされる.例えばノーベル賞受賞化学者のティム・ハントは国際会議の場で,男女がいるラボについて「女の子がラボにいるとね,自分がその子を好きになったり,彼女が自分を好きになったり,批判して泣かれたりするかもしれないんだよね.そういうのをどうしても避けたいんなら同性のみのラボしかないんだよね」と冗談を飛ばしたことがSNSで広まり,激怒の津波に襲われて(女性科学者を含む擁護者も多かったにもかかわらず)最終的にはUCLを辞職せざるを得なくなった.また医学者で外科医のラザー・グリーンフィールドは性交により精子に接触した女性の方が鬱になりにくいことを示す論文の最後に「このことから,聖ヴァレンタインが考えていたよりも男女の絆が深いことがわかる.そして私たちは今やチョコレートよりいいギフトがあることを知ったのだ」と書いて糾弾され,論文誌の編集者を辞さざるを得なくなるとともにアメリカ外科大学で降格となった.
  • マット・テイラーは彼の宇宙工学の業績についての公開されているライブストリームインタビューで(ガールフレンドからプレゼントされた)下着姿の女性がプリントされたTシャツを着ていたために激しく糾弾された.マットを糾弾するようなフェミニストは,しばしば男性の視線を視覚レイプであるとし,ビキニは父権主義的性差別主義者のツールだが,ブルカは男性の視線から守られるために開放的で自由だと主張する.どんな皮肉もこのプログレシブな馬鹿話にはかなわないだろう.

 

第3章 現代自由社会において譲歩できない要素

 
サードは次に社会がリベラルでモダンであるために必要不可欠の要素は何かという問題を取り上げる.それはサードによると(1)どのような問題でも自由に議論できる権利と(2)競合するアイデアをテストするための理性と科学へのコミットメントだという.そしてそれがどのように脅かされているかを語っていく.

  • 多くの人々は言論の自由についてほとんど理解していない.SNSに現れる社会正義戦士たちはしばしば私が(SNSで彼等に対して丁寧に相手をしないからといって)「言論の自由」偽善者だと批判する.彼等は,個々人が嘲笑や馬鹿げた議論を相手にしない自由があることを理解しない.そして彼等はSNSカンパニーは政府ではないからどんな言論をプラットフォームに上げるかを選ぶのは自由だと主張する.知識が力ならこれらのソーシャルメディアの巨人はほとんど無限の力を持っていることになるのにもかかわらずだ.そしてこのような巨人はどのような表現内容にマネタイズを許すかという意味でも権力を持っている.彼等は電力会社やガス会社と同じような規制を受けるべき対象なのだ.
  • 私は現在ポリコレ関連で苦境にある学生や研究者たちの声を(ソーシャルメディア活動として)よく聞いている.常に現れるテーマはプログレシブ正統派からの逸脱として罰されないための「自己検閲の必要性」だ.(数多くの具体例が示されている)イデオロジカルなスターリン主義は今や北米の大学の日常的現実なのだ.
  • 2017年ライアソン大学は「大学キャンパスでのフリースピーチのための戦い」という名の講演会(サードも講演者として招待されていた)をまるでアンティファのようにシャットダウンさせた.大学当局はセキュリティ上の理由だと説明した.講演会をシャットダウンさせようとした圧力者たちはフェイスブックにナチの鉤十字を掲げて「我々はナチズム,白人優越主義,ユダヤ排斥主義を許容しない」と表明していた.私はレバノンで反ユダヤの迫害から逃れてきたユダヤ人だがナチズムと認定されるのだ.このような騒ぎは何百も生じており,幅広い講演者が拒否されている.北米の大学は左派のエコーチェンバーとなってしまっている.
  • 「マイノリティに対しての攻撃的な言辞はどんなものでも許されない」とする風潮が明らかになってきたのは1988年のサルマン・ラシュディー事件ぐらいからだ.この頃からマイノリティの信念体系で神聖と認められるものへの批判,皮肉を許容しない動きが過激になった.そしてイスラムへの攻撃は「イスラム恐怖症,人種差別主義」と認定される.しかし誰かがこれは神聖だといったら一切批判できないのでは言論の自由は成り立たない.
  • 科学的に優秀かどうかは政治ではなく能力主義で評価されるべきだ.科学が成功したのは,まさにそれが誰が遂行したのか,するべきなのかに無関心であったためだ.しかし現在それは(ありとあらゆる局面で男女同数を求める)アイデンティティポリティクスに侵食されつつある.そしてさらに「科学は白人男性植民地主義の知るための方法にすぎない(そしてそのような科学と異なる女性やマイノリティの知るための方法も同じく尊重されるべきだ)」という悪質なアイデア病原体が大学に広まりつつある.そうではないのだ.真理はただ1つであり,私たちは科学的手法によってのみそれに近づくことができるのだ.
  • プログレシブたちは「ダイバーシティ,インクルージョン,エクイティ(DIE)が達成されれば全ての問題は解決する」と信じているようだ.これは今や大学の公的宗教となり,DIE官僚団が結成されている.官僚団は暗黙連想テスト(IAT)を使って差別主義者のあぶり出しに躍起になっている.しかしIATは信頼できる手法とは到底いえないものだ.このような異端審問の嵐の中で協調性が生まれるはずもない.
  • しかも皮肉なことに大学内の政治的多様性は著しく減少している(2005年の調査では大学内の民主党支持,共和党支持の比率は5:1,社会学では44:1になっている).プログレシブたちは「大学教授たちは賢いのでリベラルになるのだ」と説明しようとするが,それはまさに自己選択バイアスに陥った考え方だ.おそらくこれはシステマチックな政治差別の結果だろう.このような多様性の欠如は政治学や経済学の弱体化を引き起こしかねない.このような偏りは大学だけでなく,娯楽,GAFAを含むオンラインサービス,新聞出版などの業界でも観察されている.

 

第4章 反科学,反理性,そして非リベラル活動

 
第4章でサードは大学にはびこる悪質なアイデア病原体を具体的に解説する.特に目立つものとしてはポストモダニズム,社会構築主義,ラディカルフェミニズム,トランスジェンダーアクティビズムが挙げられている.ラディカルフェミニズムに対しては火を吹くような批判が繰り広げられている.なおポストモダニズムに対する2017年版ソーカル事件の詳細はなかなか興味深い.

  • 多くのアイデア病原体はヒトを現実から遠ざけようとする.ブランクスレート前提は美しいが偽りのヒトの可塑性を主張し,ラディカルフェミニズムは進化的に生じる性差を否定する.最も極端な現実否定は「トランス」を頭に付けると生物学的性や人種を自由に変更できるとするトランスアクティビストの主張に見ることができる.

 
<ポストモダニズム>

  • ポストモダニズムは客観的真理などというものはないと主張する.私がある論客に「ヒトは女性だけが出産できる」という真理を主張したところ,彼女は「日本には男性が精神的に子をつくる部族が存在する」と返してきた.私が「太陽は東から昇る」と主張すると,彼女は「東」「太陽」などの概念の恣意性を指摘して議論を煙に巻こうとする.どのようにでも言い逃れて客観的真実の存在を認めないのだ.
  • 性差の否定:カナダの人権法Bill C-16はジェンダーアイデンティティとジェンダー表現をヘイトクライム法益に追加するものだ.これを厳密に適用すると進化的人間行動の授業も,3人称代名詞の使用もヘイトクライムになってしまう.今や「男性にも生理がある」という「真実」を学校で教えようという動きもある.カナダ癌協会は広告キャンペーンで「トランスジェンダーの女性にも子宮ガンリスクがある」としている.
  • 1996年のソーカル事件は有名だが,2017年にはリンゼイとボゴシアンが「ヒトのペニスは気候変動の原因たる構築概念だ」というでっちあげ論文を査読誌(Cogent Social Sciences)に掲載させることに成功した.それは何でも載せられるハゲタカ誌だという批判に対して,彼等はさらに20のでっちあげ論文をフェミニスト哲学,ジェンダースタディの主要なリーディング論文誌に投稿した.そしてそのうち7つがアクセプトされたのだ(一覧表が載せられている*1).

 
<トランスアクティビズム>

  • トランスアクティビズムはマイノリティの専制政治だ.トランスジェンダー女性(生物学的には男性)の女子競技への出場がしばしば認められる*2.全くアンフェアだがトランスジェンダーは女性よりマイノリティなので,彼女たちの権利の方が女性の権利より優先されるのだ.「トランス」教義によれば「ヒトはジェンダーを含むあらゆるカテゴリーを自分で選択できる」ことになる.私はある時「であれば私は8歳未満のカテゴリーで柔道競技に出場することも可能になるはずだ」と皮肉を飛ばしたが,(婚姻マーケットで有利になることをもくろんで)自分の年齢を法的に49歳にしようとする69歳の男性が本当に現れてしまった.
  • 北米のプログレシブ主義は認知的に非一貫で非合理的な信念システムだ.彼等は刑事裁判においては17歳11ヶ月の人間を認知的に完全に発達していないから子ども扱いせよと主張し,選挙権に関しては16歳で十分と主張する.そして自分のジェンダーアイデンティティを自覚するには3歳で十分だというのだ.彼等は自分たちの主張と一致するときだけ科学に価値を認めるのだ.

 
<ラディカルフェミニズム>

  • フェミニズムは歴史を通じて数えきれないほどの女性の苦境を救済してきた.しかし今やそれは(その他のイデオロギーと同じく)運動を永続化させるための作り込まれた犠牲ナラティブに頼るようになった.
  • 両面価値的性差別主義目録(ASI)がこのナラティブ作成に使われている.この基準によると男性が女性を理想化したり,歩道で車からかばったり,女性なしの人生は味気ないと感じているなら,彼は悪質な善意的性差別主義者(vile benevolent sexist)と認定されるのだ.ヒトは異性の配偶相手を求めるものだ.進化心理学者でなくともこの基準がいかに馬鹿げているかはわかるだろう.フェミニストたちからの40年にわたる洗脳と魔女狩りを受けた男性が,今や緊急時の女性への心肺機能蘇生術をためらうようになったのも無理からぬことかもしれない.
  • さらに悪質なのが「有害な男らしさ(toxic masculinity)」概念だ.多くの大学がこれに関する講演やセミナーを定期的に開催している.この概念にはスポーツにおける競争性,社会的あるいは身体的な優越性の表示,公的な場面での感情の抑制などが含まれる.そしてこれが暴力,戦争,レイプなどの社会的悪の根源だとされるのだ.男を解毒できさえすれば世界は平和になるというわけだ.しかも今やこの「有害な男らしさ」にはオタク的な性質(toxic geek masculinity)も含まれつつある.
  • 多くのアカデミアのフェミニストたちはこの「有害な男らしさ」概念に満足していない.彼女たちにすれば「男らしさ」は全て悪質であり「有害な」という修飾語は不要なのだ(いくつかの言説が引用されている).そして女性は常に被害者だ.彼女たちの全ての考察はこの「犠牲」につながる.
  • フェミニズムは科学を侵食しようとしている.今やフェミニスト建築学,フェミニスト生物学,フェミニスト物理学.フェミニスト化学,フェミニスト地理学,フェミニスト数学,そしてフェミニスト氷河学*3なる分野があるのだ.
  • 数々の生物学的,解剖学的,生理学的,形態的,ホルモン的,認知的,感情的,行動的な性差の知見が積み重ねられてきた.しかし依然としてフェミニストは心の性差を頑として認めない.最新のこの幻覚の表出は「ニューロ性差別主義」(脳の性差を主張するものは性差別主義者だ)としてパッケージ化されている.なんともいらだたしいことにネイチャー誌までもがこれを肯定的にカバーしているのだ.
  • ラディカルフェミニストたちはDIEカルトの頑固なサポーターだ.しかしウィメンズスタディーの研究者の男女パリティは無視する.彼女たちは幻想的な賃金不平等を糾弾し,(観客数の差を全く無視して)女性のサッカープレイヤーにも男性のプレイヤーと同じサラリーを払うべきだと主張する.彼女たちはこのサラリーギャップの経済的リアリティを理解しようともしない.

 

第5章 キャンパスの狂気:社会正義戦士の登場

 
ではイデオローグたちはこれらの真実からかけ離れたアイデア病原体をどのように防衛するのかが第5章のテーマになる.専制主義下なら検閲と犯罪化に頼ることになる.サードは西洋ではイデオロギー洗脳はもっと微妙なものだと説明する.それはポリコレ思想とキャンパスの思想多様性の排除により防衛されている.そして大学はポリコレ思想と社会正義戦士を生み出す土壌となるのだ.

  • 大学のキャンパスでは少数派の社会正義戦士(SJW)がマイノリティの専制を敷き,ポリコレを推し進める.このプログレシブたちにとっては感情がどれだけ傷つけられたかだけが重要で,力は犠牲者階級で決まる.これは抑圧オリンピックとも犠牲者ポーカーとも呼ばれる「どちらがより傷ついたか」競争を生み出す.私はさらに「集合的ミュンヒハウゼンシンドローム*4」と呼ぶべき状況があると指摘したい.
  • 大学のリベラル教職員たちは,いったんこのプログレシブたちの中心教義を破ったと認定されると自分のアイデンティティの盾を失うことになる.
  • SJWたちは「対立するものの見方は『暴力』だ」という被害者ナラティブを広め,だからこのような暴力から保護されるべきであると主張し,大学当局に自分たちが意見を異にする講演者のキャンセルを強要することを正当化する.その結果キャンパスは完全なエコーチェンバー,そして不毛な安全スペースになり,若者は対立する意見を扱うには脆くなり,クリティカルシンキングは失われる.
  • このような不毛な安全スペースはキャンパスだけでなくSNSにも広まりつつある.私はTwitterが検閲を行うのは最適ではないと考えている.人々は(考える力を失わないためには)醜い社会的相互作用に触れるべきなのだ.
  • この感情的脆さはトリガー警告によりさらに悪化する.そしてトリガーリストは増殖を続けている*5.刺激的なものを全て避ける様な態度によって健全な心は得られないだろう.今や大学は「真実の追究」よりも「感情的な傷つきを最小化させること」を優先するようになってしまったのだ.
  • 多くのシステムには現状維持のためのホメオスタティックなフィードバックがかかっている.これが犠牲者ナラティブを過激化し,増加させ,何が犠牲かの概念をどんどん矮小化させている.そしてこれは偽りの激怒とでっちあげの犠牲者を作り上げ,大いなる道徳的偽善につながっている.(いくつもの驚くべき具体例が紹介されている*6
  • 子どもやペットを虐待しそれを病気だと訴えるミュンヒハウゼンシンドロームはそれにより同情を集めようとしていると説明される.私が提案する「集合的ミュンヒハウゼンシンドローム」は皆が自分の犠牲者としての地位を広告し,注目や同情を集めようとする状況を指す*7.ヘイトクライムをでっち上げて犠牲者階級内を上昇しようというわけだ.
  • 特に理性と常識に反した主張を行うのは肥満受容アクティビストとトランスアクティビストだ.肥満アクティビストは肥満が多くの生活習慣病と関連することを否定し,肥満者は肥満差別主義者により配偶マーケットから締め出されていると訴える.トランスアクティビストは自分の配偶相手を生物学的性と性自認が一致している人に限ろうとする態度をトランス差別主義だと糾弾する.つまり異性愛は偏見による憎悪だというわけだ.
  • プログレシブにとっては全ての道が偏見による憎悪につながっている,白人男性が黒人女性を好きにならないことも黒人女性を好きになることも偏見による憎悪になる.そして自分の属する文化以外の文化的習慣を好むこと(「文化の盗用:cultural appropriation」と呼ばれる)も偏見による憎悪になるのだ(いくつもの「文化の盗用」として糾弾された(常識的にはなんの問題もないと思える)具体例が挙げられている*8).「文化の盗用」を騒ぎ立てる社会で,いったいどのようにして文化的多様性の豊潤さを経験できるというのだろうか.
  • なぜ人はSJWになるのか.男性のSJWは(進化生物学でいうところの)スニーカー戦略をとっていると考えられる.彼等はそのイデオロジカルなコミットメントにより感受性豊かで強圧的でない男性を演じ,プログレシブ女性の受けを狙っているのだろう.別の動機には自分を鞭打つことによりイデオロジカルな純粋性を(コストをかけて)ディスプレイするというものがあるのかもしれない.これはキリスト教の原罪概念の代替だ.典型的にはSJWは優越的地位にある白人の西洋人であり,このアイデアと整合的だ.彼等は永劫的に自らへの鞭打ちを行いグロテスクな謝罪を繰り広げる.そして彼等は(自己鞭打ちを永続させるために)現実から乖離し,そうでない人々との間に大いなる分断が生じるのだ.

 

第6章 理性からの離脱:ダチョウ寄生シンドローム

 
第6章ではプログレシブたちがどのように現実から乖離するのか,どこまで現実から乖離してしまっているのかが扱われる.

  • 科学は真実を追究する営みだが,個別の科学者はそこから逸脱することがある.グールドとルウォンティンは彼等のマルキシスト世界観と一致しない社会生物学を厳しく糾弾した.ルイセンコも共産主義イデオロギーを優先し,遺伝の事実をねじ曲げた学説を打ち出した.そして反ワクチン主義は現代のルイセンコ主義といえる.
  • もちろん現実を否定したいのは科学者に限らない.ヒトは他人を欺瞞し,自己欺瞞に陥る能力を進化によって得た.都合の悪い事実を無視したり否定する態度は(ダチョウが首を砂の中に突っ込んで現実を見ないようにする漫画イメージから)「ダチョウ政策(ostrich policy)」と呼ばれる.これは多くの例が記録されている.私はアイデア病原体が多くの人々を集合的にダチョウ政策に導く様を「ダチョウ寄生シンドローム(OPS)」と呼ぶことにした.彼等は現実から乖離した世界(ユニコーン世界)を構築し,そこで幻想的相関関係,実在しない因果,気分の良くなるプログレシブのでたらめと暮らしているのだ.
  • これらOPS患者は幅広い認知バイアスに身をゆだねて現実から身を守る.そしてありもしない因果関係で物事を説明しようとする.(科学者と名乗るビル・ニエがパリのイスラム過激派テロの原因を気候変動と主張した例が示されている)
  • カナダのトルドー首相は「多様性こそが私たちの強みだ」とことあるごとに唱えている.しかし多様性が全ての問題を解決し,安定した平和な社会をもたらすと考えるのは典型的なダチョウ政策だ.(私の友人でもある)マンスール教授は「移民が持ち込む文化的価値観や宗教的価値観の一部は,西洋的リベラル社会に憎悪や不寛容や分断をもたらす」とカナダ議会で証言した.マンスール自身は有色のムスリムであり,この証言を白人優越主義のイスラム恐怖症からでたものだと決めつけることはできない.彼は全ての文化が等しくリベラルではないことをよく知っているのだ.合理的な移民政策を議論しようとするものを人種差別主義者だと決めつける態度はまさにOPSだ.
  • OPS患者たちはイスラム教についてのどのような道理をわきまえた批判も激しく拒絶する.彼女たちのロジックの主要なものは「全てのムスリムがそうじゃない」「真のイスラム教はそうじゃない」「どんな宗教にも原理主義的過激派がいる」「じゃあ十字軍はどうなのか」「じゃあ15世紀アンダルシアでのムスリムとキリスト教徒の平和共存をどう説明するのか」など(問題を本質からずらすやり方)だ.また批判者に対して「あなたはそもそもアラビア語がわかるの」「あなたはムスリムなの」「あなたはコーランの哲学が本当にわかっているの」と無限後退しながらその資格を問いつづけるというのも彼女たちがよく使うテクニックだ.私はレバノン出身の有色ユダヤ人でアラビア語を解するが,彼女たちにかかっては論評する資格などないことにされるのだ.特定の現象については,それは複雑な問題だと多数の社会学的要因ジャーゴン*9を並べ立てて煙に巻く手法もよく使われる.
  • イスラムの聖典にある明確なジェノサイド的な記述を突きつけられると,彼女たちは誤訳だ,誤解釈だ,誤解だと逃げを打つ.彼女たちは文化相対主義,道徳相対主義にしばられて,どんなに残酷で醜悪でも文化的習慣や宗教的習慣(例えば女子割礼,名誉殺人など)を批判できない.そしてフェミニストたちは,このような女性抑圧的文化宗教習慣を,それは実は女性開放的だと事実をねじ曲げて逃れることになる.これは「高貴な野蛮人」神話の現代版だ.
  • シャリア法体系(特にその犯罪に対する極端な厳罰主義,刑罰がイスラム教徒かそうでないかで差があること,さらに女性の低い地位)が,現在のアメリカ法体系と全く相いれないものであることは明白だが,OPS患者たちはそうではないと主張する.犯罪者がイスラム教徒かどうかで差別される状況は,ちょうどフェミニストがアイデンティティポリティクスに基づいて「男性は性差別主義者になりうるが,女性はそうではない」と主張するのによく似ている.
  • OPS患者は犯罪捜査やセキュリティチェックのプロファイリング利用は差別主義的だと批判する(その結果空港のチェック対象はランダムに選ばれ,3歳の女児がテロリストチェックを受けたりすることになる).しかし観察事実から物事を推論するのはヒトの認知の基礎の1つだ.彼女たちは差別なしをほかの全ての優先する「差別なしカルト」に属しているかのようだ.

 

第7章 どのように真実を探すのか:累積的証拠のノモロジカルネットワーク

 
第7章では,このようなOPSに陥らないためにはどうしたらよいのかが扱われる.

  • 自由な社会での市民は事実に基づいた認識を持つべきだが,情報を求めることに怠慢である傾向,入手可能なあるいは入手したがる情報源の偏り,いったん受け入れた見解の反証を否定するバイアスなどがそれを難しくしている.スペルベルとメルシエはヒトが自己の見解の反証を受け入れるのに消極的なことを説明する理論を提示している.それは合理的推論能力は,真実を得るために進化したのではなく,自分たちや他者を説得するために進化したからだというものだ.
  • ではヒトは動機のある推論をするだけで真実を探そうとはしないのだろうか.私は現実主義的楽観主義者としてそうではないと答えたい.(主流の見解に異を唱える)認知的勇気を持ち,関連する情報を偏りなく集め,クリティカルシンキングを行うことによりヒトは真理にせまれるのだ.(ここで科学的な手法について概説がある)
  • ダーウィンの「種の起源」の議論は,累積的な証拠を統合するノモロジカルネットワークを用いた考察の典型例だ.ノモロジカルネットワークに支えられた議論は説明的な一貫性,理論的統合,コンシリエンスを備えることができる.(ノモロジカルネットワークによる議論の具体例がいくつか解説される.テーマとしては「子どものおもちゃの選好に性差があるか」「ヒトの配偶選好に性差があるか」が採り上げられている)

 

  • ここで「イスラム教の教義は平和主義的か」を考えてみよう.多くの西洋人はイスラムの性質について混乱している.それは平和的なのか,それとも好戦的なのか.これは累積的な証拠とロジック,理性,科学で考察することができる.
  • 感染症の疫学の理解は,アイデア,信念,都市伝説,宗教などの拡散の理解に役立つ.疫学的に考えるとイスラム教の拡散強度が強いことを説明できる(イスラム教がユダヤ教より遥かに拡散していることを,入信の容易さ,布教の義務の有無,イスラムにある世界観*10などから説明している).
  • FBIのグローバルテロリストリストを見ると,イスラム教徒は世界人口の25%程度を占めるに過ぎないが,様々な人種,出身国のイスラム教徒はテロリストの92.9%を占めていることがわかる.搭乗拒否リストや警戒リストは公表されていないが,似た傾向があるだろう.アメリカ政府によるテロ組織リストによると68のグループのうち55(81%)がイスラム組織だ.2001年以降のテロの犠牲者の96.6%はイスラムのテロリストに殺されている.宗教的転向はよくあることだが,転向者がテロリストになる傾向があるのはイスラム教へ転向した場合だけだ.(このような事実の指摘についての)プログレシブたちの反応は,「イスラム差別だ」という金切り声になる.
  • イスラム政治分析家のビル・ワーナーのイスラム聖典(コーラン,ハディス,ムハンマド伝)の内容分析によると,全文章の中でユダヤへの憎悪が表明されている割合は9.3%になる.これはヒトラーの「我が闘争」(同7%)よりも多い.
  • 人々の現代的啓蒙主義的リベラル的価値ヘの態度に関する多くのグローバルなデータがある.2010年のピューサーベイは,多くの国の人々のユダヤ憎悪度を調べている.ユダヤ憎悪は(典型的な人種差別現象であり)リベラル的価値観に関する炭坑のカナリアだ.ユダヤ人を好まない人々の割合は,レバノンで98%,ヨルダンで97%,エジプトで95%,(中東戦争にかかわっていない)パキスタンで78%,インドネシアで74%,トルコで73%,イスラム教徒平均で60%(キリスト教徒の平均は28%)だった.
  • イスラム教国はゲイへの不寛容でも突出している.ゲイに不寛容な人々の割合はセネガルで98%,ヨルダンで97%,エジプトで95%,チェニジアで94%・・・となっている.女性差別でも思想良心の自由への不寛容でもイスラム教国は世界をリードする.一部のイスラム教国(サウジ,イランなどを含む)では男性の同性愛行為や無神論者であることが死刑相当の犯罪となっている.宗教弾圧ワースト20カ国の15カ国はイスラム教国だ.
  • これらの事実への言及はもちろん個別のイスラム教徒への攻撃ではない.それはイデオロギーの中身,それが平和,多様性,自由をもたらすようななものかどうかの分析に使われるものだ.そして大半のイスラム教徒が親切で慎み深い人々であるとしても結論は明白だ.自由な社会においては真実に迫るためのデータに基づいたこのような分析は偏見による憎悪と罵られずに許容されるべきだ.

 

第8章 行動を起こそう

 
最終第8章では,言論の自由と理性と科学へのコミットメントを取り戻すにはどうすればいいのか,プログレシブたちの圧力に対してどう戦えばいいのかが語られる.

  • 私と同じ価値観を持つ多くの人々がそれを表明することに失敗している.ほとんどの人はこの危険に気づいていないか,大学でのことはたいした話ではないと考えている.傍観者効果も影響しているだろう.しかしそれはすぐにビジネスにも影響を与える.あなたもあなたの子どもも影響を受けざるを得ないのだ.個人的な責任を自覚しよう.そしてソーシャルメディアは個人の声が世界に影響を与えることを可能にしているのだ.
  • 政治や宗教に関する意義深い議論ができてこそ,友人関係は深く価値あるものになる.お天気の話しかできない友情に価値はあまりないだろう.今日多くの善意の人たちは他者を評価することを恐れすぎている.
  • SNSの発言に連帯のハッシュタグを貼るシグナルの効果はほとんどない.それはコストのないシグナルだからだ.表現の自由と理性と科学を守りたいなら,腹をくくってリスクをとる覚悟が重要だ.失職や脅迫のリスクをものともしない発言だからこそ信頼されるのだ.私の場合はそのようなリスクよりも自分が真実を犠牲にしなかったということの方が遥かに重要だ.
  • あなたが理性チームの一員なら,得点できるチャンスは逃さないようにしよう.あなた自身にあるラーテル(向こう見ずで有名なイタチ科の動物)を奮い立たせよう.あなたを黙らせようとする相手に1ミリも譲ってはいけない.そして彼等の戦術を逆手にとろう.私の場合は,彼女たちが犠牲者ポーカー戦術をとってきたなら,「自分はレバノンでユダヤ迫害を受けた中東の有色ユダヤ人だが,あなたたちは特権的な立場にいる白人ではないか」と言い返すことにしている.この反撃はしばしばクリプトナイトのように効果的だ.宥和戦術では決して勝てないことを理解しよう.イスラエルは決して敵に譲歩しない.彼等は中近東では力が正義だとよく知っているのだ.
  • イスラム教の教義を批判することはイスラム恐怖症ではないし,ラディカルフェミニズムを分析することは女性差別ではない.オープンボーダー移民政策に疑問を呈することは人種差別ではないし,トランスジェンダー女性が女子競技に出場すべきでないと意見することはトランス恐怖症ではないのだ.多くの状況においては複数の権利が競合する(そして犠牲者ポーカーの勝利者が絶対的に優先する理由などないのだ).多くの人が人種差別主義者や性差別主義者と告発されることを恐れすぎている.黙らせようとする圧力には死に物狂いで抵抗しよう.
  • 大学教授たちは狂気が報われる文化を作り出してしまった.これと戦う第一歩は憲法違反のスピーチコードに反抗することだ.思想警察にはNOと言おう.思想や視点の多様性に触れよう.そして対立する立場と議論するのだ.これこそ大学で行われるべきことだ.
  • 大学では学問の優秀性が競われるべきだ.大学は能力主義的理想に戻るべきなのだ.アイデンティティポリティクスをゴミ箱に放り込もう.誰も自分が白人だから,男性だから,キリスト教徒だから,異性愛者であるからという理由で謝罪する必要はない.学生をセーフスペースやらトリガー警告やらで甘やかすのもやめるべきだ.そして「文化の盗用」や「マイクロアグレッション」をもてあそばさせるべきではない.
  • ヒトは協力的でかつ競争的な生物だ.そして個人個人が完全に同じではなく,どんな集団にも階層が生まれる.ヒトの本性についての誤った前提に基づいて作られたシステムは失敗する運命にある.個人の傷つきやすい自己評価を競争から守ろうとするだけのシステムは虚弱で給付を受け取るだけで政治的無関心な社会に陥るだろう.人生は競争的なものであり,社会には階層があるのだ.誰も感情的に傷つかないユートピアを追求するのは誰にとっても無益な試みなのだ.

 
そしてサードは本書をこう締めくくっている.

  • 今から数十年前,大学から生まれたアイデア病原体のセットが,科学,理性,ロジック,思想言論の自由,個人の自由と尊厳を容赦なく侵食し始めた.私たちが自分の子どもや孫に,自分が育ったと同じような自由な社会の中で育ってほしいと願うなら,私たちの原則を取り戻し守らなければならない.
  • レバノン内戦の残酷の中で育ち,大学において常識がむしばまれる様を見てきたものとして,私は(この戦いへの)あなたの参加を請い願う.あなたには必要な変化を起こせる力がある.方策はあるのだ.それは真実の追究と擁護であり,西洋科学革命と啓蒙運動への再コミットメントだ.進め,理性の戦士たちよ,ともにアイデアの戦いを勝ち抜こう.

 
以上が本書の内容になる.なかなか激しいウォークプログレシブ,ポストモダニズム.ラディカルフェミニズム,トランスアクティビズムの告発の書だ.これはサードがレバノンで命を脅かされるような迫害を受けた中東の有色ユダヤ人だからこそ,犠牲者ポーカーでプログレシブたちに立ち向かうことが可能なのであり,このような本が書けるということなのだろう.特にユダヤ迫害を実際に受けた立場からのイスラム教義の問題点の指摘には迫力がある.そして進化心理学者としてポストモダニズムやラディカルフェミニズムの学者たちからに難癖をつけられたサードにとってはユダヤ排斥のアイデアを含むイスラム教の教義もこれらのプログレシブの信念体系も事実に基づかないアイデア病原体で社会に悪をなす存在として同質に見えるのだろう.
最近ではこのようなキャンセルカルチャーやアイデンティティポリティクスの暗黒面を指摘する意見も時折目にするようになってきたが,本書は表現の自由と理性と科学についてのコミットメントを前面に出して,一貫した立場からの徹底的な批判があるのが特徴になる.私自身本書の全ての主張に賛成するわけではないが,傾聴に値する議論がなされている一冊だと思う.
 
 
関連書籍
 
ガッド・サードの本来の専門分野である消費者心理についての本.途中にかなり激しい宗教批判の章がある.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/01/25/204023

 
上掲書に先立つ専門書 
サードの編集によるビジネススクールでの進化心理学の教科書 
 
アカデミアのマイクロアグレション,キャンセルカルチャーの問題点の指摘としてはハイトとルキアノフによるこの本がある.基本的には学生に対する(望ましくない)過保護から生じている問題だとされている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2019/04/04/172150
 
後半部分でキャンセルカルチャーの中のスピーチコードの問題点を扱ったもの.著者は進化心理学者のミラー.特にアスペルガー傾向がある人や背景の文化的文脈文脈に疎い外国人留学生にとって過酷であることが強調されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/29/093951
 
ピンカーがキャンセルカルチャーの対象となった事件についての私の記事
shorebird.hatenablog.com
 

*1:「レイプカルチャーヘの反応と都市のドッグパークのクイア遂行性」「裏口からの挿入:ストレート男性のホモヒステリアとトランスフォビアを受動的侵入的セックス玩具の使用で克服する」「私たちの戦いは私の戦いだ:ネオリベラルと選択フェミニズムのインターセクショナルリプライとしての団結フェミニズム」「誰が測るのか?:人体測定学の克服と肥満ボディビルディングのフレームワーク」「ジョークがあなたに関するとき:ポジショナリティが皮肉にどう影響するかについてのフェミニストスタンス」などが論文の題名とされている

*2:このほかトイレやロッカールームの使用がしばしば問題になる

*3:論文のアブストには「フェミニストポスト植民地主義的科学とフェミニスト政治的生態学を統合することにより,フェミニスト氷河学はダイナミックな社会生態システムのジェンダー,権力,認識論の頑健な分析を提供できる.これはより公正でエクイタブルな科学とヒトと氷河の相互作用につながる」とあるそうだ.サードは「氷河が性差別主義者で父権主義者だなんて誰が知っていただろう」と皮肉っている

*4:ミュンヒハウゼンは嘘つき男爵の名前だが「ミュンヒハウゼンシンドローム」は子どもを虐待してそれを病気の症状として訴えるような症状を指す

*5:現状のリストは「虐待,レイプ,誘拐,中毒,薬物,針,血,吐瀉物,昆虫,ヘビ,クモ,ぬめぬめのもの,死体,頭蓋骨,骸骨,いじめ.ホモ恐怖,トランス恐怖,死,自殺,怪我,医学的措置,暴力,戦争,ナチスの表象,妊娠,出産,人種差別,階級差別,性差別,肥満差別,身障者差別,その他あらゆる差別,(同意のものも含む)性交,汗,あざけり,強迫性障害のトリガーになるもの全て」にまで広がっているそうだ

*6:カナダのLorne Grabher氏は27年前から車のナンバープレートを自分の(ドイツ系の)名前である「GRABHER」としていたが,これが「grab her(彼女をつかめ)」と読め,レイプカルチャーを体現する攻撃的なものだという理由でこのプレートを禁止されてしまったという事例,黒人市民権運動家が書いた本の題名を学生との会話で出した結果,そこに含まれる「niggar」という単語を発したという理由で大学の管理職ポジションを失った女性教員の事例,サンドウィッチの商品名「Gentleman’s Smoke Chicken Caesar Roll」が性差別的だと糾弾された事例などが挙げられている

*7:典型例としてトランプ当選時に,ある学生が「私はバイセクシャルな黒人女性だが,もはや怖くてキャンパスを安全スペースとは感じられなくなった」と訴え,そこからありとあらゆるマイノリティアイデンティティの学生が口々に自分こそ真に脅かされていると訴えたというケースが紹介されている

*8:授賞式で日本の着物を着た歌手ケイティ・ペリーが謝罪に追い込まれた事例,西洋の大学がカフェテリアで寿司を出すことが問題視された事例などが紹介されている

*9:例えば「それには古代植物学要因,社会文化要因,生物学的政治要因,神経生理学的要因,心理経済学的要因,ヘテロ歴史学要因,地理的オーガニック要因,民族ケトン食的要因が絡んでいる」などと並べ立てるらしい

*10:イスラムでは世界は「戦争の家」と「イスラムの家」に分かれており,平和は全世界が「イスラムの家」で統一されなければ訪れないと考える.また国内でもイスラムの家に統一しようとする.実際多くのイスラム教国ではイスラム教徒の比率が95%以上であるなどと説明されている

From Darwin to Derrida その148

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その13

 
ヘイグによる意味と解釈の話.いかにも興味深いツインメルマン電報の逸話が紹介され,ここからヘイグの解説になる.
 

意図を電信する その2

  

  • ツインメルマン電文は多くのメディア(媒体)に多くのテキストとして流れ,あるメディアから別のメディアに転載されるたびに解釈が生じた.「メッセージ」は時にドイツ語文,時にコード7500暗号文,時にコード13040暗号文,時にモールス信号,時にスペイン語,時に英語だった.ベルリン,コペンハーゲン,ロンドン,ワシントン,メキシコシティの電信局の職員にとってのテキストの意味は,単純に短点と長点の連なりから数字やアルファベットへのメカニカルな置き換えであったり,その逆であったりした.彼等は全てのテキストをメカニカルに扱うために雇われていたのであり,暗号化されたテキストを解読する文脈を持っていなかった.暗号化された電文には多くの情報量が盛り込まれていたが,従業員は解読キーを持っていなかったので彼等に感知しうる意味はなかったのだ.
  • ワシントンのドイツ大使館のスタッフが電文から得た情報量はずっと少ない.なぜならスタッフは(コード7500についての知識があり,どのような内容かについての)期待を多く持っていたからだ.しかし大使館スタッフが得た意味はずっと大きい.それは彼等が7500のコードブックを持ちドイツ語文に復号できるからだ.スタッフはドイツ語ができるので電文の中身についてのメンタル解釈(記憶)を持つことができ,その後暗号電文が傍受解読されたかどうかの吟味に使えることになる.

 
この情報量が少ないというのはシャノンの情報量の定義によるものということになる.大使館スタッフはそれがメキシコへの外交文書であるなら,どのようなメッセージがありうるかについて大きく絞り込むことができ,電文が減らした不確実性はそれほど大きくないから,得られた情報量は少ないということになる.
 

  • ここでカランサメキシコ大統領へのメッセージのコミュニケーションを考えよう.ドイツ大使エッカルトはドイツ語の文書を持参し,スペイン語で大統領と交渉した.エッカルトのインクの染みのドイツ語文への解釈から口語スペイン語音声に至る変換には複雑な複数のレベルの神経的テキスト段階も含まれており,さらにカランサはその音声を脳で解釈して様々な神経的テキストレベルを作り出す.それがインクの染みだろうが,神経活動だろうが空気の振動だろうがその全てのレベルで変わり続ける意味は解釈者による物理的テキスト以上のものではない.

 
神経レベルの電位情報も1つのテキストというのはなかなか面白い解釈だ.決して定着せずに次々に変化していくが,その動的な振る舞いも含めてテキストとみなせるということだろう.
 

  • 情報はものにあるのではなく,解釈者の不確かさの減少にある.すでに知っていることは情報ではないのだ.アメリカ情報当局がワシントンから打たれた外交電文のコピーを持っていたなら,英国情報部からもたらされたメキシコの電文には情報はない.真の情報は英国が解読したドイツ語文,それを翻訳した英文にある.これらが偽情報かもしれないというアメリカの不確かさはツインメルマンが実際にこの電文を打ったこと,解読が正確であることを公式に認めたときに解消された.

 
ヘイグは逸話の部分で語っていないが,アメリカでこのツインメルマン電報が公表された後,ドイツはそれは偽物だと否定することもできた(実際にアメリカの非参戦派はそれを偽電だと非難していた)が,ツインメルマンはそれを真実だと認めることを選んだ.これを認めて,アメリカが非参戦を貫けばメキシコとのトラブルに巻き込まれないことを重要視することを期待したらしい.
 

  • 暗号化されたツインメルマン電文は意図されてない相手に解読されないように意図されていた.だからドイツはそれをアメリカ大使館のルートを使って送信したのだ.コードブックは意図された解読者のみが解読できるためのプライベートキーだった.英国情報部はこのキーなしで解読できる方法を探り当てたのだ.コードグループに存在する意図せざる情報(似たような単語は似たようなコードとなる)が英国情報部に自分自身のコードキーを構築し暗号を解読する端緒となった.英国情報部のタスクは意図せざる違いによって容易になった.ドイツはナンバーコードを利用し,アメリカはアルファベットコードを利用していた.アメリカの外交ルートの電文群の中でドイツの暗号電文ははっきり目立つものだったのだ
  • ここで述べたツインメルマン電報の話はフリードマンとメンデルソン(1994),ガゼン(2006),フリーマン(2006),ボガード(2012)によっている.私の再構成は意図的に隠された情報や意図せずに欠落した歴史によって困難だった.あるいは情報を誤解釈し,意図せずにあなたを誤誘導したかもしれない.それでも,もし私の書いたことのあなたの解釈がおおむね私が私のテキストをあなたに解釈してもらおうとした意図通りであれば,私の言葉は目的を果たすだろう.

 
ヘイグがあげている参考文献のうち2つは書籍で,残り2つが論文になる.これは向こうでは結構興味深い出来事としてポピュラーなものなのかもしれない・

https://cosec.bit.uni-bonn.de/fileadmin/user_upload/publications/pubs/gat07a.pdf
www.yumpu.com

From Darwin to Derrida その147

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その12

 
ヘイグは送信者と受信者,意味と解釈について遺伝子とそれを読むポリメラーゼを例にとって解説した.ここから話は一転して暗号電信の話になる.
 

意図を電信する その1

 

  • コミュニケーション理論工学とは,あなたの電信文を受け付ける電信オフィスのきちんとした受け付け嬢のようなものだ.彼女はその意味について,それが悲しいか,楽しいか,不快かなどに,一切注目を払わない.しかし彼女は受け付けた電信の情報を適切に扱えるようになっていなければならないのだ.

ウォーレン・ウィーバー

 
冒頭の引用はウォーレン・ウィーバーが1949年にサイエンティフィックアメリカンに寄稿した「コミュニケーションの数学」というエッセイから.ウィーバーはアメリカの数学者で,シャノンの情報理論の解説を書いたり,機械翻訳の先駆者として著名なのだそうだ.彼はシャノンと共著で「コミュニケーションの数学的理論」という本も出していて,邦訳もあるようだ.

 
ここから話は暗号電文になる.これは第一次世界大戦中の1917年初頭の出来事になる.ドイツは開戦当初シュリーフェンプランに従ってフランスに侵攻し,短期の決着を目指したが,英仏連合軍はマルヌ会戦で持ちこたえ,凄惨な塹壕戦に突入していた.英仏はアメリカの参戦を願っていたが,アメリカ国内では孤立主義の世論が強く,ウィルソン大統領は参戦に前向きだったが国内政治的に難しかったという背景の中の話になる.
  

  • 1917年のツィンメルマン電報は,アメリカが世界大戦に参戦した場合にそなえたドイツからメキシコへの軍事同盟の申込文だった.同盟が成立し,アメリカが参戦した場合にはドイツはメキシコがテキサスとニューメキシコとアリゾナを再獲得するための財政的支援を約束するとしていた.
  • 英国はドイツから新大陸向けの全ての電信用ケーブルを切断していた.このためドイツの新大陸向けの電信は(アメリカの外交電信を利用する)間接ルートをとった.ベルリンで外務大臣の名(アルトゥール・ツィンメルマン)のもとにドイツ語の平文が書かれ,コード7500を用いて暗号化された.暗号化されたメッセージはベルリンのアメリカ大使館に送られ,そこからアメリカの外交電信ルートでワシントンのドイツ大使館に送られた.この電信はベルリン→コペンハーゲン→ロンドン→ワシントンという経路をとった.ワシントンのドイツ大使館でコード7500の暗号は復号され,コード13040で再暗号化された.これはメキシコのドイツ大使館がコード7500のコードブックを持っていなかったためだ.この13040暗号文はワシントンのウエスタンユニオン電信局からメキシコシティのウエスタンユニオン電信局に発信され,そこで紙に印刷されて1917年の1月1日にドイツ大使館に届けられた.大使館で暗号が復号され,メキシコ大統領へはスペイン語で内容が伝えられた.
  • アメリカもドイツも知らなかったが,(アメリカの外交電信ルート上の)7500の暗号文はロンドンの英国情報部が傍受しており,そこで部分的に解読された(英国はこの時点で電文の大意をほぼ把握した).英国はメキシコにいるエージェントにさらに13040電文のコピーを入手するように指令を出した.これは英国情報部がアメリカの外交電信を傍受していることをアメリカに知られたくなかったからだ.英国情報部は13040電文を入手,解読し,英国政府は暗号文,さらにドイツ語に解読したもの,それを英語に翻訳したものをアメリカ政府に提示した.
  • メッセージはアメリカ政府の参戦派によってプレスに公表された.大衆は激高し,英国側にたって参戦するように要求した.英国政府は電文をアメリカに提示することは,英国情報部がコード13040を解読できることをドイツに知られるより重要だと判断したのだ.

 
実際にアメリカ側の世論が参戦に大きく傾いたきっかけはドイツのUボートによる無差別攻撃でアメリカの商船が犠牲になったことだとされていることが多い.しかしこのツインメルマン電報の影響も世論の変化には影響したということだろう.(実際のアメリカの参戦は1917年の4月になる)
いずれにせよ(英国情報部はアメリカの外交電信を傍受しているが,それを何としてもアメリカに知られたくないとか,英国情報部エージェントがアメリカの民間電信局の電文コピーを入手を指示されてそれを達成するとかなどのスパイ物語も含め)なかなか興味深い歴史的逸話だ.ヘイグがこの逸話をここで持ち出したのは,電信文がドイツ語の平文から次々に形を変えて送受信が繰り返されているからだろう.ここからヘイグによる意味と解釈の話になる.

書評 「進化政治学と平和」

 
本書は進化政治学者伊藤隆太による3冊目の進化政治学本になる.伊藤は1冊目の「進化政治学と国際政治理論」では国政政治理論の古典的リアリズムを進化心理学的知見を基礎に進化リアリズム*1として再構築し,(ネオリアリズムの立場から見ると不合理な)戦争開始決定を部族主義,過信,怒りなどの概念を用いて説明してみせた.2冊目の「進化政治学と戦争」においては進化リアリズムの基礎的知見を人間行動モデル*2として提示し,ヒトには戦争することに使われる人間本性が備わっているとする「戦争適応化説(個人レベル,集団レベルの抗争を可能にする心理メカニズムを奇襲と会戦に分けて説明するもの)」を提示した.2冊とも科学哲学的に実在論に立っていることを強調している.そして今回の「進化政治学と平和」においてはやはり実在論を強調しながら新しく進化リベラリズムを提唱することが目指されている.
 

序章 進化政治学に基づいたリベラリズム

 
冒頭ではピンカーに対する除名運動騒ぎを引き合いにして現代のリベラリズムが危機にあると論じられる.運動家たちは本来実証的に論じられるべき問題(警官の黒人射殺が多いのは制度的レイシズムがあるからか,それとも単に警察との接触機会が多いからか)に対して,差別の問題の矮小化だと決めつけてピンカーの社会的立場の抹消を企図した.伊藤はこのようなキャンセルカルチャーを推し進めるwoke progressiveはリベラリズムの仮面を被った不寛容で権威主義的な反自由主義者だと断罪する*3
そしてこのような問題の根底にはヒトの認知に進化に由来するバイアス(とそれを利用して大衆を操作しようとする試み)があるのであり,これに対処するには進化的な視点を持つコンシリエンスに基づいた啓蒙が重要だとする.そしてその中核としての進化リベラリズムと進化啓蒙仮説が本書のテーマとなる.
 

第1章 進化政治学を再考する

 
まずこれまでの2冊の著作の復習的な内容がおかれている.進化政治学は進化学的発想(特に進化心理学)を政治学に応用する試みであること,自然淘汰や進化学の概説,進化心理学の概説,特に領域固有性(モジュール性)の解説が簡単に行われている.ここではヒトラーによる独ソ戦の決定(ネオリアリズム的には不合理な決定だが,過信により説明できる)の説明,ロングとブルケによる領域固有性と和解心理に基づいた国際政治理論などの話題が出てくるのが進化政治学書らしいところになる.
 
ここから進化政治学がもたらす政治学のパラダイムシフトが解説される.

  • 進化政治学のもたらす大きなインパクトは非合理的な政治行動を科学的根拠が備わった形で説明できることだ.(非合理な行動としては引きあわない戦争の開始,自爆テロが例に挙げられている)
  • 2番目のインパクトは既存の研究に進化的視点から科学的根拠を与えることができることだ.(古典的リアリズムのアナーキー観の根拠付けが例にあげられている)
  • 進化政治学は究極因まで考察するので,現状の問題の解決策を(ほかの政治的な立場より)深く考察できる.(ここでは至近要因に偏りがちな政治心理学と,究極因も視野に入れる進化政治学の統合が提唱されている)

 
最後にこのようなパラダイムシフトの具体的な成果がいくつか紹介されている.

  • 新たな理論的視座が提供されている.例えばマクデーモット,ロペス,ピーターセンは進化政治学に基づいた新奇な国際政治学的仮説を提唱している.(集団を単一アクターとして少々する心理メカニズム,指導者による敵への憤りの利用,相対的利得と絶対的利得の選好の条件性(同盟国なら絶対性,敵国なら相対性),好戦的な外交政策をとる要因,特に性差を用いた仮説になる) 
  • 国際関係論のリアリズムを科学的根拠を持つ形で再構築している.セイヤーは古典的リアリズムを人間本性の観点から再構築し,ジョンソンとともに攻撃的リアリズムを科学的に強化した(自助,相対的パワー極大化,外集団恐怖を用いる).
  • ペインは戦争を狩猟採集時代から現代まで連続的に解明しようとしている(感情,特に名誉にかかわるものを要因として考える)
  • 過信について様々な科学的根拠を持った議論がなされている.ジョンソンは過信をキーに肯定的幻想理論を構築し,第一次世界大戦,ヴェトナム戦争,イラク戦争を説明した.またティアニーとともにルビコン理論を構築した.
  • ジョンソンとトフトは戦争における領土の重要性を進化ゲーム理論から説明した.
  • マクデーモット,ロペス,ハテミは進化的な知見に基づいた政治的リーダーシップのモデルを構築した.
  • セイヤーとハドソンはイスラム世界で自爆テロが多いことを一夫多妻制と包括適応度から説明する仮説を提示し,データの裏付けを行った.
  • セイヤーは核抑止論を合理的アクターのゲームではなく,損失回避や感情を組み込んだアクターのゲームとしてモデル化して第三世界の独裁者による瀬戸際外交を説明した.
  • ロングとブルケは国際紛争の和解をめぐる進化的モデルを構築し,和解に向けたシグナルの重要性を説明した.
  • メルシエは国際政治学の分析概念としての感情を4つのカテゴリー(付帯現象,非合理性の原因,機転の利く戦略のためのツール,合理性の構成要素),3つの分析レベル(個人,国内,国際システム)で分析した.

 
基本的にはおさらいの章で,前2冊を読んでいない読者には親切な作りだ.様々な進化政治学の議論が進展している様子は興味深いところだ.
 

第2章 政治学と人間本性

 
第2章では既存の(政治学を含む)社会科学の何が問題なのかが整理される.1冊目の「進化政治学と国際政治理論」では既存の理論についてブランクスレート,合理的経済人のような科学的事実とはいえない前提を持つ社会学や経済学,および道具主義にたつ経済学や政治学を実在論の立場から批判してきたが,本書ではかつてコスミデスとトゥービイが行った標準社会科学モデル(SSSM)批判の枠組みに整理し直している.

  • SSSMの前提はブランクスレート説(ヒトには遺伝的に決まる人間本性はない),ヒトの行動は生物学の対象にならない(生物学恐怖),ヒトの行動は文化を含む環境要因のみにより決定される,進化は脳に及ばない(デカルトの機械の幽霊)というところにある*4が,これらは正しくない.
  • これらの前提はロック,ルソー,デカルトに由来するといえる.ロックは「人間悟性論」でブランクスレート説的主張を行った.これは人間は皆平等であるという考えにつながり,フランス革命などの民主主義的革命の大きな影響を与えたが,片方で権威主義的ハイモダニズムやソビエト共産主義や中国の文化大革命の根拠ともなった.ルソーは「高貴な野蛮人」」説を唱え,西洋文明に批判的だった.これはポストモダニズム的な反文明論につながり,ギアツやミードの文化相対主義に影響を与えた.デカルトは心身二元論を主張し,ヒトの本質は心にあり,それは物理科学的に分析できないとした.これらの主張が科学的に正しくないことは今や明らかである.
  • これらに対して最近の科学的知見はホッブスの見方が真実に近かったことを示している.ホッブスは人間本性の中に競争,不信,誇りという争いの原因を見いだした.これらは進化環境における部族間闘争,相互敵対状況のゲーム理論的分析,抑止の信頼性の分析から裏付け可能である.ホッブスはこの争いの解決策としてリヴァイアサンを提示したが,現代の国際関係にはリヴァイアサンは存在せず,アナーキー状態である.それがリアリストが国際関係の分析において国内政治のアナロジーを拒否する理由になる.リヴァイアサン不在時にはヒトはより人間本性(部族主義,自己胞子バイアス,楽観性バイアスなど)にしたがって行動しがちになる.国際関係においては人間本性の考察は非常に重要になるのだ.

 
ここは著者のよって立つ科学哲学の実在論をSSSM批判という形で整理して見せてくれている章になる.著者の立場は実在論にたって,科学的知見であるホッブス的人間本性を政治学に組み込むべきだというものになる.
 

第3章 修正ホッブス仮説

 
第3章ではホッブスの議論を拡張,ブラッシュアップして新たな自然状態論である「進化的自然状態モデル」が提示される.

  • 進化的視点から考察すると,ヒトには攻撃適応があると考えられる.ヒトには攻撃システム(自己や敵の戦闘能力を査定し,それにより条件的に振る舞う)が存在し,それには性差がある.様々なリサーチはそれを裏付けている.
  • セルは怒りの修正理論を提唱している.それによるとヒトは無意識に相手の強さのキューを検知し,強い男性ほど怒り,攻撃経験,攻撃性の支持,好待遇の期待,争いの成功経験を持ち,強い兵士ほど怒りと攻撃の閾値が低く,戦争の効用を信じる傾向にある.
  • 片方でヒトには協調適応もある(互恵性や社会的交換について解説がある*5).
  • ヒトの自然状態論を考察する際に重要になるのが部族主義だ.ヒトに部族主義があることは科学的に説明できる.*6
  • 狩猟採集時代のダンバー数程度の集団は特別に高い地位を占める男性に率いられ,かつ平等主義的であったことが推測されている.(ボームの平等主義とリバースドミナンスの説明が解説されている)*7 真の意味でリアリスト的な政治的指導者は単に相手を恐れさせるのではなく,尊敬されることで権力を獲得,維持,拡大するものだったはずだ.
  • このような初期のヒト社会の中では協調すると見せかけて自己利益を追求できることが最適解になるだろう.この状況が自己欺瞞を説明する(トリヴァースの自己欺瞞の理論が紹介され,ドナルド・トランプについて議論されている).政治指導者が自己欺瞞に陥ると,政治学的に「過信」と呼ばれる問題が生じる.これは不合理な開戦決定,軍事的無能などを説明する重要な概念になる.
  • ホッブスに端を発するリアリストリサーチプログラムに科学的根拠を与えて整理したのが(著者による)進化的リアリズムの戦争適応仮説だ(集団レベルの戦争を奇襲と会戦に分けてそれぞれの心理メカニズムを整理した前著の議論が要約されている.*8
  • この戦争適応の政治学的インプリケーションは,戦争原因を国家間アナーキーにのみ求めるネオリアリズムが必ずしも妥当ではなく,人間本性が戦争を起こすと考えた古典的リアリズムの方が分析レベルにおいて優れていた(国家間アナーキーがキューとなって政治指導者の人間本性に与える因果効果が重要)ということだ.

 
この章で科学的知見としての人間本性を組み込んだ著者の国際関係モデルが提示される.そしてネオリアリズムよりも古典的リアリズムの方が,そしてそれをブラッシュアップした進化的リアリズムの方が(実在論的意味で)優れていると主張されている.実在論は著者の立場ということだろう.私としては前著の書評でも書いたが,あえて声高に実在論を叫ばなくとも道具主義的に立ったとしても,そして今回のプーチンのウクライナ侵略を説明できるかという1点だけからでも進化的リアリズムの方がネオリアリズムより優れた道具だと主張できると考えられる*9し,それで十分ではないか(道具主義に立つ政治学者に対しても進化的フレームワークの有用性が主張できて学界内での説得力が増すのではないか)という思いを禁じえない.*10
なおこの章は(註に落としておいたが)進化的な説明のところどころで説明がやや雑になっており,危なっかしい記述が目立つ部分になっている.
 

第4章 平和と繁栄の原因

 
第4章において著者はピンカーの暴力減少説を基礎に進化的リベラリズムを提唱する.

  • ピンカーの提示した暴力減少説はリベラリズムにとって重要だ.それはリベラリズムが平和のための環境要因として主張してきた民主主義,経済的相互依存,国際制度と暴力減少との因果を科学的根拠をもって再構築していると同時に,(科学的にはルソーより正しい)ホッブス的人間本性がリベラル啓蒙主義により相殺されて平和が生まれるという新奇知見を付け加えるからだ.(これらの再構築と新奇知見が追加されたリベラリズムを著者は進化的リベラリズムと呼ぶ)
  • ピンカー説を批判する政治学者も存在する*11が,進化的視点にたつ学者の圧倒的多くはピンカー説を支持する.
  • ピンカー説に立てば,平和のために重要なのは理性と科学による啓蒙ということになる.理性によりシステム1のバイアスを抑え,情緒的な議論(ドグマ,オカルト,宗教,神秘主義,ロマン主義)の問題点を理解し,科学により無知と迷信(そして科学を敵視するポストモダニズム)から脱却すればよいということになる.(ここで科学的実在論の擁護と反実在論の依拠する決定不全性のテーゼが誤っていることについての議論がなされている)
  • 事実として暴力が減少傾向にある(これをデータで裏付けるのが合理的楽観主義になる)にもかかわらず多くの人が世界を悲観的に見てしまうのはなぜかについては,自然主義的誤謬,(事実から規範を導こうとする)生得的認知バイアス,(物事を悲観的に見て警戒しようとする)ネガティビティバイアス,利用可能ヒューリスティックとマスメディアの姿勢から説明できる.
  • 進化政治学はリベラリズムが論じてきた平和の因果論に新しい理論的説明を付け加えることができる.これは科学的実在論でいう使用新奇性の意義を持つ.

 
本章は著者なりのピンカー読解ということになるだろう.コンパクトによくまとまっていると思う*12
 

第5章 進化的リベラリズムに対する批判:欺瞞の反啓蒙仮説

 
第5章では第4章で説明された進化的リベラリズムにしばしば寄せられる非理性的な反発がなぜ生じるのかを扱う.

  • 社会や学会には,現代の科学が明らかにしたホッブス的人間本性を拒絶するラディカル左派やラディカル右派が存在する.これらの非理性的態度はいくつかの生得的バイアスから説明可能だ.
  • ヒトはパターンを探し,(火災報知器の原理から)より重大な悪い結果をもたらすリスク(そしてこれはしばしば悪意あるエージェントの意図になる)を過大に評価する.これによりヒトは超自然現象や陰謀論を信じやすくなっている.
  • ミームはそれが真実かどうかではなく,伝播しやすいかどうかで広まるかどうかが決まる.そして成功するミームの中にはヒトにとって望ましくない悪性ミームも存在する.しばしば凄惨な殺し合いを招いてきた正義を掲げる宗教は悪性ミームとして理解できる.
  • トリヴァースは他人を説得するための心理的適応として自己欺瞞を説明した.自己欺瞞傾向が強いという特徴はナルシスト的パーソナリティにあることが知られる.この概念をもちいてトランプやヒトラーやスターリンの政治的行動を説明することが可能だ.
  • ヒトにはモラライゼーションギャップ(自分は被害者であると思い込むバイアス)や自己奉仕バイアスがあることが知られており,これは紛争の種になり,報復の連鎖をより悪化させる.そして集団レベルでは部族主義と相まってマイサイドバイアスを発生させ,より状況を悪化させる.
  • そしてこれらのバイアス(や悪性ミーム)の存在は啓蒙主義の理念の重要性に帰結する.

 
著者はここで進化的視点をとる社会学説への反発をヒトの持つバイアスとミームから説明している.これらももちろん要因として大きいだろうが,さらに進化的な人間本性を認めるかどうかが自分が学界の中の主流派であるかどうかのバッジになっている(このバッジをつけないとインナーサークルに入れず追放されるリスクが生じる),かつてそのような雰囲気の中でそのような主張をしてしまっており今更撤回できないなどの事情なども大きいのではないかという気がするところだ.
 

第6章 進化政治学と道徳

 
では啓蒙はどう進めればいいのか.それを考えるなら進化によって組み込まれたシステム1的道徳感情を理性的に(システム2的に)克服することが啓蒙のキーになる.第6章では道徳が論じられている.

  • 進化により組み込まれた道徳感情が(平和を実現するために)不合理なものであるなら,その問題性を自覚する必要がある.それには(人文系も含めた広い意味の)科学が重要になる.
  • 進化リベラリズムによる啓蒙に対する疑問には3つある.それは(1)自然主義的誤謬になるのではないか(2)システム1の直感的道徳感情を利用して平和は実現可能なのではないか(啓蒙はむしろ有害ではないか)(3)システム2の理性的議論が共産主義や権威主義的ハイモダニズムの様な失敗に陥らないための条件は何かというものだ.(本章では(1)と(2)が議論される)

 

  • 確かに事実命題だけから当為命題は引き出せない(ヒュームの議論)し,事実的性質だけから価値を定義できない(ムーアの議論).しかしムーアの議論は意味論にとどまり存在論的に「事実的性質を持って価値を記述すること」は可能だ(著者はこれを道徳の存在論テーゼと呼ぶ).
  • 道徳を進化的に論じる際には,直感的道徳感情を議論するのか,理性的道徳推論を議論するのかの区別が重要だ.
  • ハウザー,スリパーダ,ニコルズたちの研究では(彼等の間には様々な論争があるが),道徳感情には生得性があることが示されている.これには協力推進のための合理的デフォルト戦略のようなものだけでなく縁故主義や内集団贔屓などのような性質も含まれる*13.(だからシステム1の道徳感情だけによる平和の構築は難しい)
  • ここから道徳的進歩はシステム2的理性的議論によるシステム1的道徳感情のコントロールによるものだと考えられる.「道徳とは何か」の考察は進化による知見の影響を受けず,生物学的な意味での道徳的な行為はない(著者はこれを啓蒙の反実在論仮説と呼ぶ).進化適応としての道徳的感情はヒトの包括適応度極大化戦略に資するものにすぎないのだ*14*15.(ここではジョイスによる啓蒙の反実在論仮説の洗練された議論が紹介されている)
  • 啓蒙の反実在論仮説への批判としては,徳倫理学からのもの,道徳的構成主義からのもの,反応依存説からのものがある(それぞれの批判の概要とそれに対する反論が書かれている).
  • ハイト,ブルーム,グリーンは進化的視点から道徳を論じていて,いずれも反実在論と親和的だ.ブルームとグリーンは功利主義的な理性を擁護する.進化リベラリズムは同じく功利主義により人間本性のもたらす悲惨から脱却することを目指すものだ.

 
本章は様々な道徳的な議論がコンパクトにまとまっていて内容は深い.基本的な主張は平和のためには(包括適応度最大化戦略に過ぎない)道徳感情を含む人間本性だけに頼ることなく理性的に最大多数の最大幸福を目指す方がよいということだ.
ただし自然主義的誤謬についての道徳の存在論テーゼの部分はよくわからなかった.価値を定義せずに記述することにより「道徳感情が進化適応産物だ」という議論ができるというのはわかる.しかし結局進化リベラリズムによる啓蒙を擁護するなら,どこかでたとえば「私は自由で平等で平和な社会の実現に資すものを善と定義する」と価値に踏み込んで宣言するしかない(リベラリズムをよしとする基礎も功利主義をとる基礎もそこに求めざるを得ないし,その価値を認めないものに対しては真正面から価値観を議論するしかない)のではないだろうか.
 

第7章 人間本性を踏まえた啓蒙

 
第7章は前章で示された疑問(3)が扱われる.啓蒙を成功させるための条件は何か,著者はこれを進化啓蒙仮説として提示する.

  • システム2の道徳のヒトの受容可能性はシステム1の人間本性により制約を受ける.外在的道徳律は無制限に設定できるわけではない.人間本性から乖離した社会は持続しがたく,人間本性の適応上の利点を軽視した啓蒙は失敗する可能性が高い.(ボイドとリチャーソンによる)適応文化仮説からは「文化は個人の包括適応度に資するものでなければ受容される可能性が低い」ことが示唆される.このことから啓蒙の対象として成功しやすいのは人間本性が現代環境とのミスマッチを起こしている部分や悪性ミームの部分ということになる.
  • 過去の啓蒙の成功例としては歴史的な人類の暴力減少が挙げられる.これらの暴力減少はいずれも個人の包括適応度に利するものであったと考えられる.(戦争による被害の減少や,ヒューマニズムをとることによる評判の上昇などがその傍証と指摘されている) 
  • 失敗例には(私有財産制の廃止,完全な平等主義,家族制度の解体を目指した)イスラエルのキブツがあげられる.これらは性役割心理,血縁間の絆と愛情,部族主義という人間本性を無視した試みだったために失敗したと考えられる.
  • 進化的リベラリズムが考える啓蒙は人間本性を踏まえた平和と繁栄になる.個人の包括適応度を考慮した啓蒙は古典的リベラリズムが「消極的自由」と呼ぶものを擁護することと重なる可能性が高く,また家族制度を重視する点で保守主義との関連性もあると考えられる.
  • (ここで前著で示された「適応としての人間本性,個人の遺伝的差異,後天的要因,環境のキュー」という4段階の人間行動モデルが解説される)人間本性は人間行動モデルの第1レベルにあり,進化的リベラリズムは第3レベルにおいて働くものと整理できる.

 
本章では啓蒙は人間本性を無視してはうまくいかないことが主張されている.古典的リベラリズムの消極的自由と保守主義の家族価値の重視が啓蒙を成功させるために重要であるかもしれないことが示唆されている部分は興味深い.
ここで啓蒙が人間本性を無視すべきでないことは同意できるが,しかし見極めの条件が「現状において個人の包括適応度に資しているかどうか」と考えることには同意できない.基本的には問題となる人間本性がどこまで頑強かという要素(これは現在ではなく過去の進化環境における淘汰圧の強さが関係する)と,共感の輪の拡大(これは包括適応度を上げるとは限らない,ある意味人間本性をハックするテクニックということになる)やよい評判を得られるかという説得力の要素のかねあいで決まると考えるべきではないだろうか.
 

終章 理性と啓蒙を通じた繁栄

 
終章では簡単に本書の概要が提示され,ここから導き出されるインプリケーションがいくつか示されている.

  • 自然科学と社会科学の融合により新しい学際的知見を生み出すことができる.本書はEOウィルソンのいうコンシリエンスの実践試論である.
  • ヒトの人間本性から来る非合理性(あるいは生態的合理性)は政治に重要な影響を及ぼしている.これは政治学の方法論的仮定に取り込まれるべきである.そして政策決定者や個人はマイサイドバイアスや楽観性バイアスによる「欺瞞の陥穽」に注意を払うべきである.
  • リアリズムとリベラリズムはともに近似的真理を措定しそれに漸進的に接近できると考える点において科学的実在論と親和的であり,メタ理論的に擁護されうる.本書はリアリズムについて進化的自然状態モデル,リベラリズムについて進化的リベラリズムを構築した.これによりこれらの考え方はポストモダニズムや社会構築主義からの批判を克服可能になる.
  • ネオリアリズムが国際政治学を席巻するにつれて古典的リアリズムは非科学的と批判されるようになった.しかしネオリアリズムはSSSMの陥穽に陥っている.人間本性を科学的知見として取り入れて古典的リアリズムを再構築することによりこれを克服できる.
  • (リアリズムの一派である)攻撃的リアリズムは,国際関係のアナーキー構造と安全保障のジレンマを強く見積もり,戦力均衡による抑止,バックパッシングが有効だと主張する.また(同じくリアリズムの一派である)防御的リアリズムは,安全保障のジレンマは協調により解決可能と考え,軍縮,融和政策の有効性を主張する.この両派の論争に対して,本書は攻撃的リアリズムに(戦争原因をアナーキーから人間本性に移すという)理論的修正が可能であり,世界は攻撃的リアリズムが想定する悲惨なものから防御的リアリズムが想定するマイルドなものに移行していった(暴力減少説)と考える.世界は攻撃的リアリズムの世界観がデフォルトだが,啓蒙により防御的リアリズムの世界観に移行していったのだ.
  • どのような啓蒙が成功するかを考えるには人間本性の考慮が重要だ.

最後に著者はもう一度SSSM的な立場からの進化政治学への(想定される)批判とそれに対する反論を整理し,アイデンティティポリティクスやラディカルフェミニズムなどの(ポストモダニズム的)イデオロギー的信念体系がリベラリズムに与える脅威を指摘し,それは事実と理性によりリアリズムとリベラリズムを再構築することにより克服できると主張して本書を終えている.
 
以上が本書の内容になる.進化政治学と人間本性について(SSSM批判を含めて)再整理し,国際関係論の自然状態を部族主義から再構成し,ピンカーの暴力減少説を人間本性に対抗する理性からの啓蒙と要約し,どのような啓蒙が望ましいのかを道徳と絡めて,どのような啓蒙が成功しやすいのかを人間本性と絡めて議論している.そしてこのような立場から議論するなら政治学としては古典的リアリズムの主張を再構築すべきであり,平和の実現のためにはリベラリズムを再構築した進化的リベラリズムからの啓蒙が重要であると主張されている.
著者の進化心理学と政治学のコンシリエンスの試みは最初の「進化政治学と国際政治理論」2冊目の「進化政治学と戦争」そして本書へのわずかな期間で大きく前進している*16.なおところどころ進化的議論の危うさは残っているが,刮目すべき進捗という印象だ.私的には政治学のリアリズムについての議論が大変興味深かった.さらに一層のコンシリエンスの進捗を願うものである.
 
 
関連書籍
 
著者の前著2冊.私の書評はそれぞれhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/04/20/113326https://shorebird.hatenablog.com/entry/2022/02/28/105349

*1:当初は進化のリアリスト理論と呼称していたが,のちに進化リアリズムと改めている

*2:心理学者や生態学者が受け入れている行動モデルを政治学者向けにモデル化したものと見ることができるだろう

*3:進化的リベラリズムに基づく啓蒙を唱える本書が,真っ先に啓蒙されるべきものとして名指しするのがキャンセルカルチャーだというのはちょっと意外な気もする.著者の伊藤自身が最近キャンセルカルチャー運動家から攻撃されており,強く問題意識を持っているということなのだろう

*4:方法論的全体主義はここでは指摘されていない

*5:なおこの部分で「包括適応度が個体の利己性を示し,(ドーキンスの遺伝子視点に沿う)遺伝子の利己性と異なる」ように読める記述があるが,これはミスリーディングだ.包括適応度は遺伝子の利己性を考えたときに,エージェントとしての個体がどう振る舞うべきかを記述するものであり,「個体の利己性」を示すものではない

*6:部族主義の説明のところは特に議論が雑になっている印象だ.著者はヒトに部族主義があることを示唆するものとしてダンバー数,マルチレベル淘汰理論,二重過程論,内集団バイアス,血縁淘汰理論をこの順序で並列に挙げている.まず部族主義は外集団への敵意と内集団贔屓が合わさった概念と思われる(著者自身部族主義について「自らの所属する集団にポジティブな感情を抱く一方,外部の集団にネガティブな感情を抱く傾向」と定義している)が,著者は(4番目の要因説明として)内集団バイアスがあることが実験的に示されており,これが部族主義の至近的説明であるとしている.至近的説明というより部族主義の一要素という方が適切ではないか.そもそも(外集団への敵意も含む)部族主義的傾向がヒトにあることを示す社会心理学的な実験が多数あるのであるから,部族主義があることを示すならそちらをダイレクトに示す方が遥かにわかりやすいだろう.またマルチレベル淘汰理論と血縁淘汰理論は数理的な進化理論であって,何らかの実証的事実ではないので部族主義があることを示すものとして並べて論じるのは適当ではないだろう.さらにマルチレベル淘汰理論と血縁淘汰理論にかかる説明もあまり感心できない.マルチレベル淘汰については「狩猟採集時代においてうまく団結して協力体制をつくった集団はそれに失敗した集団に打ち勝ってきた」として部族主義が根拠づけられるとしているが,かなりナイーブで問題含みだ.部族主義的な心性を持つ集団が闘争で強ければ,それは個々のメンバーにも利益をもたらすのであり,マルチレベル淘汰を持ち出さなくとも(敵対部族との部族間戦争が頻発する進化環境における)個体淘汰で十分説明可能だろう.説明のためにマルチレベル淘汰(あるいはそれに数理的に等価な血縁淘汰理論)を持ち出す必要があるのは,自己犠牲的な利他行動になるが,部族主義は利他的行動が中心的な要素にあるものではない(仮に部族主義に利他行動的要素があると主張し,その説明としてマルチレベル淘汰理論を持ち出すならわかるが,その場合にはグループ間淘汰の方がグループ内淘汰より強いという条件を満たす必要がある.しかしここではそのような吟味はない.)血縁淘汰理論については内集団バイアスの根拠として引き合いに出しているが,内集団バイアスは血縁集団でなくとも容易に生じることが知られており,短い説明としては適当ではないだろう.そして内集団バイアス自体も進化環境における個体淘汰で説明可能だろう.またそもそもマルチレベル淘汰理論と血縁淘汰理論は数理的に等価であり,なぜここでことさらに区別して,さらにかなり重なる概念である部族主義と内集団バイアスのそれぞれの別の根拠とするのか全く理解に苦しむ.一読したかぎりではこけおどし的にとりあえず関係ありそうな知っている事実や理論を並べて見ましたという印象で,深く考察されているようには読めない.これは本書全体の議論に疑念を生じさせかねない著述態度であり,啓蒙書としては損だと思う.部族主義があることを科学的に説明したいなら,まず実際にそういう傾向があることを示す社会心理学的知見を示し,次の段階でその究極因を考察し,近隣部族間での戦争が頻発したであろう進化環境における(個体淘汰で十分説明できる)適応であることが推測されるとまとめるべきだっただろう

*7:なおここでリバース・ドミナンスが「自分は弱者である」と訴える方が適応的だったことを意味する(そして現代の社会正義運動の根源がここにある)との解説があるが,疑問だ.ボームのリバース・ドミナンスはわがままで利己的なリーダーを集団の皆で制裁することによって生じるのであり,そこで弱者アピールが有効だったという証拠はないのではないか

*8:なおここでもマルチレベル淘汰理論に入れ込んだ説明がなされているが,先ほどと同じく利他性をことさらに問題にしているわけではなくあまり適切な解説とは思えない.詳しくは前著の書評でも述べたことなのでここでは繰り返さない

*9:実際に著者はフォーサイトにプーチンの決定についての寄稿を行っている.https://www.fsight.jp/articles/-/48927

*10:そもそも経済学でフリードマンが道具主義を説得力高く提示できるのは,経済的合理人の仮定でもかなり精度高く経済現象が説明できるし,知られているヒトの非合理性を組み込んだ精度の高い経済モデルが構築困難という事情があるからで,政治学にはそのような事情はないのではないだろうか.であれば実在論でも道具主義でもどちらでも進化的リアリズムの有用さを主張できるだろう

*11:セイヤーはピンカーの議論は非西洋圏には適用できないのではないか,中南米の対立のシステム要因を見逃しているのではないかと批判し,レヴィとシンプソンはピンカーのあげる文化的観念的要因は物質的制度的要因の内部変数に過ぎないのではないかと批判し,フリードマンはピンカーの挙げる要因だけではなくパワー構造,同盟関係,核抑止などのリアリスト的要因にも目を配るべきだと主張しているそうだ

*12:私的には政治学者たちのピンカーに対する反応をもう少し詳しく読みたかったところだ

*13:それだけではなく正義や報復にかかる感情も国際平和においては脅威となるだろう

*14:ヒトの適応産物としての道徳感情が客観的倫理基準と合致する必然性がないことについて重複論法(道徳感情が進化的に説明されるのであれば,それと異なる客観的道徳からの説明を信じる理由がなくなる)と特異性論法(ヒトの進化史が異なるものであれば異なる道徳感情が進化したはずだ)が紹介されている.特異性論法はEOウィルソンがシロアリの道徳がいかにヒトのそれと異なりうるかを提示したことで有名だ

*15:またここではDSウィルソンによる適応産物としての宗教擁護論も批判されている

*16:例えば1冊目では暴力減少を謎だと扱っていたのを本書ではきちんと進化政治学のフレームで説明できている