The Gene’s-Eye View of Evolution その60

 
 

第3章 理論の難点 その5

 
第3章は「理論の難点」.最初の論点は「擬人化」.ミジリーによるナイーブに遺伝子に意識があるという解釈であるかのような批判に続き,哲学者や科学者たちの厳密な科学的な記述には相応しくないという批判が紹介された.オーグレンは生物学と目的論的用語の関係をデカルトから解説する.

 

3-2 擬人化 その3

 

  • 擬人化,目的論,意図的用語法に対する批判は,何も「利己的な遺伝子」をきっかけに始まったわけではない.そのかわりに,ハンケとサリバンの批判は「そのような用語法は問題含みであり,生物学を物理学や化学に対して未成熟な学問にみせてしまう」という,より一般的な批判的な議論に影響を与えた.この点に関して彼らは「理論というのは厳密に物理的であったり,メカニカルなものであり,目的,ゴール,意図は禁止される.なぜ生物学がその例外だと言えるのか」と主張した.
  • これはいろいろな意味で重要な問題だった.生物学の歴史を通して,その前進は生物学を何か特別なものとみなさない人々によりなされた.たとえば17世紀フランスの哲学者,ルネ・デカルトは「生命体は一種の機械にすぎないのであり,そう理解されるべきだ」と主張した.これはすぐに主流の見方になり,生物個体の一部を機械部品としてみなして,どう機能するかを調べることにより多くの新しい発見がなされた.

 
デカルトのこの見解「動物機械論」は,様々なところで主張されているようだが,最も有名なのは「方法序説」ということになるだろう.有名な「我思う故に我在り」は第4部で,この動物機械論は第5部で展開されているようだ.

 

  • 生物学を特別視しないもう一つの例はシュレジンガーの1944年のレクチャー「生命とは何か」に見ることができる.当時遺伝の物質的な機構は知られていなかった.このレクチャーの価値は遺伝にかかる問題は物理化学的に説明されなくてはならないことを指摘したところだ.このレクチャーは聴衆に,そしてその後同じタイトルで出版された本の読者に大きな影響を与えた.そのような読者にフランシス・クリックとジェイムズ・ワトソンがいた.彼らはのちにモーリス・ウィルキンズとロザリンド・フランクリンとともにDNAの二重らせん構造を解き明かした.彼らは二人とも,彼らが物理学や鳥類学から分子生物学に転向した理由にシュレジンガーの名前を挙げている.

 
シュレジンガーの「生命とは何か」も有名な本だ.遺伝子は非周期的な結晶構造をしているだろうとか,生命の本質をエントロピーの観点から考察して,当時としては非常にエキサイティングな議論だったのだろう.

 

  • 1953年の二重らせんの発見は分子生物学の黄金時代をもたらし,物理や化学分野から生物学への人材流入が生じた.最近ではゲノム解析などの技術発展により,コンピュータ科学者,エンジニア,統計学者たちが生命科学に引き寄せられている.この生物学リサーチにおけるシフトは上記の問題「なぜ生物学は特別なのか」に私たちを引き戻している.この問題は,あるいは「何が生物学にこの特別に自律的な規律を許しているのか」と捉えても良い.

 

  • 最も単純な答えは「生物学は生命体を対象にしており,生命体は特別なのだ」というものだ.確かに生命体は物質からなり,氷と同じくフェルミオンとボソンで構成され,ロウソクの火が従っているのと同じ物理法則に従っている.同時に生命体にはほかの物質とは似ていないところがある.生物にはほかの非生物物質には見られない目的追求的性質がある.だから生物学においては科学的説明に目的が入り込むのだ.

 
生物の目的追求的性質あるいはエージェンシー性については以下の文献が参照されている.RAウィルソン,DMウォルシュ,マイケル・ルースは科学哲学者.ウィルソンは多層的なエージェンシー性を認め,ウォルシュは生物個体の目的追求性を強調し,ルースは理解のためのヒューリスティックとしての比喩としての目的を擁護したという具合に,3人の主張はそれぞれ異なるようだ.

On Purpose (English Edition)

On Purpose (English Edition)

Amazon

 

  • 「生命体は生物学を特別にする」というのはカントが到達した答えでもある.カントにとって,目的的用語を使わずに生物学を語るのは不可能だった.カントは,植物や動物が何らかの神的,あるいは目的的な力を持っていると信じたわけではない.しかし目的は生物について語る上で最も強力なヒューリスティックだ.カントは自分の答えに満足したわけではなく,結局生物学は物理学のように適正なものにはなれないだろうと結論づけている.曰く「将来,植物の葉の形成についてデザインや目的を使わずにすべての自然法則で理解可能なように説明する新たなニュートンが現れるだろうと考えるのはばかげている.人間にはそのような洞察は得られないだろう」

 
この主張があるのはカントの3批判書(純粋理性批判,実践理性批判,判断力批判)の最後を飾る「判断力批判」になる.

 

  • これらのすべてのことはダーウィンとともに変わった.彼の自然淘汰による進化理論は,純粋にメカニカルな過程が,自然に見られるデザインをいかに生むかの説明を提供した.自然淘汰による進化はメカニズムと目的をつなぐ橋を提供したのだ.

 
ということでオーグレンはダーウィンの自然淘汰理論が,生物学にデザインと目的に関する用語が入り込む基盤をつくったという説明を行っていくことになる.

書評 「ダーウィンは進化をどう考えたのか」

 
本書は長谷川眞理子によるダーウィン本.長谷川は2006年に「ダーウィンの足跡を訪ねて」というダーウィン本を出していて,これはダーウィンゆかりの地を訪ねた旅行記にダーウィンの簡単な伝記を合わせたような内容だった.そして,ダーウィンについては語り足りないことがあるということで,20年ぶりに本書が出されたということになる.本書では前書よりダーウィンの人生と進化考察の軌跡を深く扱っている.
 

はじめに

 
ダーウィンの手紙,ノート,著作集が包括的に出版されたことにより「ダーウィン産業」と呼ばれるようなダーウィンについての科学史的研究が勃興し,重箱の隅をつつくようなものも含めて論考が膨大にあることが紹介され,しかしそこにあえてダーウィン本を出すのは,やはりダーウィンは偉大だと思うし,特に「進化」について多くの人に正しく知ってほしいと思うからだと執筆の動機が語られている.
続いて,ダーウィン以前にも進化の事実を主張した人はいたが,ダーウィンが初めてなぜ進化が生じたのかを説明したこと,それに続いて多く学問分野(動物行動学,生態学,生物地理学など)の基礎を築いたこと,しかしダーウィンの進化の考えはなお人々には浸透していないことが指摘される.
そして「神による創造」という宗教的な考えがない日本でも進化の考えが浸透していかない理由として,人生における大事な価値観(人生の意味,目的,それを目指す努力)にうまく合致しないこと.時間軸が長過ぎることがあるのではないかともコメントされている.この「進化の考えが社会に浸透しないこと」が本書の裏テーマということになる.
 

第1章 生物の多様さと生物学の構造

 
冒頭で「種の起源」を書いた当時のダーウィンがいかに慎重に立ち回る必要があったかが説明され,続いて現代の(研究者でない)人々にとっては進化を知るためにダーウィンの原著を読む必要はもうないのではないか(良い解説書がいっぱいあるのでそちらを読んだ方が良い)とコメントされている.
ここからダーウィンが遺伝について何も知らなかったこと*1,しかしそれでも彼の進化理論は正しかったことが指摘されている.これはダーウィンは遺伝だけでなく,個体レベル以上のマクロな生物現象(携帯,分類,分布,行動,生態)に関して膨大な観察をすることにより進化理論を考えたからだとし,生物現象の階層性が説明されている*2.そしてマクロレベルでの観察の重要性が強く主張されている.
 

第2章 私とダーウィンとの出会い

 
第2章は長谷川がダーウィンに興味を持つようになった経緯を振り返る自伝的エッセイになっている.
家の父の書棚にあったダーウィンの「ビーグル号航海記」「種の起源」を読んだこと(細かいところはわからなかったがとても興味深く読んだと述べられている),生物が好きで図鑑が好きだったこと,東大理科2類に進み,初めて本格的に進化を学び,生物学科への進学を決めたこと,さらに人類学教室に進学したら(特に霊長類学において)今西進化論が幅を利かせていたこと,今西進化論には実証的にも理論的にも説得力がなく全く納得できず,やがて日本の霊長類学全体と決別することになったこと,博士号を取ったあとケンブリッジに留学し,ダーウィン・カレッジに住んだこと,そしてそこでダーウィンに対する興味に火がついたことが語られている.
 

第3章 ダーウィンの人生:生い立ちから大学まで

 
第3章から第7章にかけてダーウィンの生涯が年代順に語られている.
第3章は生い立ちからエディンバラで医学の道を断念してケンブリッジに進むまで.
ここでは(その自由主義的なアカデミアの雰囲気から)「北のアテナ」と呼ばれたエディンバラでの,ダーウィンに剥製の作り方を教えてくれた(もと奴隷であった)ジョン・エドモンストーンとの出会い,急進的博物学者であったロバート・グラントとの出会いが強調されている.特にグラントとは一緒に無脊椎動物の標本採集を行い,その地の博物学者たちの集まりに連れていってもらうなど親しく交わった.長谷川は,グラントの急進的自由主義,それがイングランドの保守主義とぶつかる様を見たことが,ダーウィンに大きく影響を与えただろうと推測している.
当時ケンブリッジは英国の保守的な宗教色に覆われており,長谷川はダーウィンはそれを嫌ったこともあり,金持ち息子の道楽(パーティ,狩猟,昆虫採集)にはまって好き放題遊んだようだとしている.ケンブリッジでは地質学のセジウィック,植物学のヘンズローと知り合い,仲よくなったことが強調されている.
 

第4章 ビーグル号の航海

 
第4章はビーグル号の航海.きっかけのヘンズローからの手紙から始まり,航海のあらましが語られる.ここで特に強調されているのは,航海当時のダーウィンはまだ進化論者ではなかったこと,のちの考察に重要だったと思われるイベントとして,熱帯降雨林の生物多様性を見たこと,チリの大地震に遭遇して地球の表面が一夜にして変化することがあることを体験したこと,絶滅動物のオオナマケモノの化石を発見したこと(地震による地形の変動と絶滅動物化石はライエルの斉一説と反進化の考えを批判的に再考するきっかけとなった),当時未開人とされていたフエゴ島民を観察したこと(のちに人間とは何かを考える上で大きな糧になった)の4点があったことになる.
また有名なガラパゴス諸島への訪問については,(それぞれの島に似て非なる生物がいること,南米の生物相との類似を見たことは大きな影響を与えたが,)進化を考える決定打とはならなかったこと,よく指摘されるダーウィンフィンチよりも,マネシツグミやウミイグアナについての観察の方が興味深く,のちの考察に大きな影響を与えただろうことがコメントされている.
 

第5章 「種の起源」出版まで

 
第5章はビーグル号の航海から英国に戻り,「種の起源」を出版するまでを扱う.
膨大な標本類の整理,「ビーグル号航海の動物学」などの書籍の出版,エマとの結婚*3,結婚当初のロンドンでの暮らし,ダウンハウスへの転居がまず語られる.
そこから当時のキリスト教と進化論の関係*4,ラマルク,グラント,チェンバースの考え,チェンバースの粗雑な議論が世間に厳しく批判されたことがダーウィンの自説発表の慎重さに影響を与えたことが説明される.
そしてダーウィンのノートについて,生物進化についてのAからNまでのノートで,種の変遷についての考えを深め自然淘汰の理論が形成されていること,それとは別に地質学のノートがあること(これは地球の成り立ちについてのケルビン卿の議論とそれまでの地質学の知見との齟齬があり,そういう意味からも重要だったとコメントされている)が指摘される.
続いてダーウィンが進化の考えを発表するまでのいきさつが描かれる.最初は若き友人であるフッカーとハクスリーにだけ打ち明けていたこと,この二人の人物紹介,フジツボ研究,長女アニーの死*5,進化についての大著を書き始めたところにウォレスからの手紙が届いたことが語られている.
 

第6章 「種の起源」の出版

 
第6章は(大著の短縮版としての)「種の起源」の出版とそのきっかけを作ったウォレスについて.
もう一度当時の英国社会において,人々に尊敬されるべき中上流階級のお金持ちであるダーウィンはチェンバースのような批判の対象になるわけにはいかず,非常に慎重だったことがまず踏まえられる.
慎重に大著を執筆していたダーウィンはウォレスのサラワク論文を軽視していたが,ウォレスからテルテナ論文の草稿を受け取って,自然淘汰説の先取権を失うとパニックになる.しかし相談を受けたライエルとフッカーの計らいでリンネ学会での共同発表となる.
ここからウォレスの人物紹介と彼の自然淘汰説への軌跡が語られる.ここで,ダーウィンの名声の大きさに比べてウォレスのそれが小さいことについてコメントがある.長谷川は以前それは英国における社会的地位の違いが主たる原因と考えていたが,現在ではウォレスの様々な奇矯な振る舞いや信念*6が影響したのだろうと考えを改めたとしている.
最後にアイズリーの「ダーウィンと謎のX氏」にあるダーウィンの自然淘汰アイデア盗作疑惑について*7,その後の研究できっぱり否定されていることがコメントされている*8
 

第7章 「種の起源」の出版以降

 
第7章ではその後のダーウィンが描かれる.
ここでは(長谷川が邦訳を手掛けた)「人間の由来」についてフォーカスされていて,この本は「性淘汰の理論を用いて人種の違いを説明する」ために書かれたものであること,当時の「人種をどう説明するか」という問題が持つ政治社会的重要性,当時の説明理論(神が人種を個別創造したという「多元説」と,神がアダムとイブを創造したのちに世界中に分散し,その後それぞれの地域の自然と気候に適応して違いが生まれたとする「単元説」),ダーウィンとしては単純に単元説をとるのは神によるアダムとイブの創造を認めたと受け取られかねないことから,独自に性淘汰から説明しようとしたこと*9などが解説されている.
その後ダーウィンの理論が世界中に広まっていったことについて,進歩主義が優勢になったことの他,アメリカではスペンサーの影響,ヨーロッパではヘッケルの影響が大きかったことが指摘され,ヘッケルの人物紹介*10がなされている.
続いて,その後のダーウィンの活動として,「種の起源」と「人間の由来」の改訂,植物に関する本を何冊か,「動物における感情表現」,ミミズ本を出したことが紹介されている.そしてダーウィンは1882年に73歳で自宅でエマに抱かれたまま亡くなり,国葬でウエストミンスター寺院に葬られたということになる.
 

第8章 思想としての「進化論」

 
最終章は「進化」と思想,特に進歩主義との関係が扱われる.長谷川がこれまで「進化」という考えを自然科学だけでなく人文社会科学にまで浸透させようとして困難にぶつかり,考察してきたことが語られる章になっている.
 
冒頭では,「進化」という考えには,常に思想的哲学的匂いがつきまとうこと,そしてそれは「進歩」の概念と深いかかわりがあることが指摘され,ハクスレーやフッカーは進歩主義者であり,彼らが熱心に進化理論を擁護したのは,(もちろんダーウィンの挙げる証拠を科学的に吟味して納得したということが第一だが)もしかしたら進歩思想をバックアップできると(無意識にも)感じたからかもしれないと語る.
ここから19世紀の英国の社会風土(王権神授説による秩序への対抗としての進歩思想),その中で進歩主義者が「進化論」は自分たちの正当性根拠として使えると考えたであろうこと,それ以来現在に至るまで生物進化の話が(社会を変えることの正当性の科学的根拠として)進歩思想と結びついてしまったことが解説される.
そしてダーウィンの理論は提出時には様々な批判を浴びたにもかかわらず,最後に国葬となったのは,英国の社会思想がどんどん進歩主義に傾き,ハクスリーをはじめとする支持者たちが進歩主義に科学的根拠を与えるものとして持ち上げたからだろう*11,ダーウィン自身は進化が進歩ではないことをよくわかっていたが,自説発表の慎重さが,進歩主義の支持者たちに利用される余地を作ったのだろう,とコメントしている.
 
そしてここで(ダーウィン理論の普及に貢献した進歩主義者であった)ハーバート・スペンサーについて解説がある.

  • 彼は19世紀後半の英国社会では人気の高い哲学者で多分野の業績を持つ一種のポリマスだった.
  • 世間ではスペンサーはダーウィンの進化論を聞いてそれを人間社会に応用しようとして社会進化論を作ったといわれることが多いが,そうではなく,彼は1851年から「人間社会が未開人社会から西欧社会に向かって進化する」という社会進化論を唱えていた.
  • 当初彼はなぜそう進むのかのメカニズムの理論を持っていなかった.そして1859年の「種の起源」を読み,これこそが進歩の起こる仕組みだと感激し,自然淘汰理論のかなりアバウトな形を自説に取り入れたということになる.
  • ダーウィンはスペンサーの著作を読み,スペンサー自身にも会っていて,優れた思想家だと評価しているが,事物の観察に基づかず,思索だけの思想家だと見抜いていたようだ.

 
そしてなぜスペンサーに紙幅を割いたかが語られる.それは(少なくとも現在70代以上の)日本の人文社会系諸学の学者の間には「進化とは社会進化論のことであり,それは人種差別に繋がる道だ」という誤解が深く染みついていると感じられるから*12ということになる.そしてそのような誤解の要因として20世紀初頭の優生主義流行のほか,自然主義的誤謬があること,事実と価値は異なるというのは簡単だが,実際にはどのような理論を採用するかには科学者の持つ価値観や世界観が影響するし,生物の話は人間の話とつながり価値観とは切り離しにくいことが挙げられている.
そして話はダーウィンに戻り,ダーウィンは個人的には進歩思想を持っていたが,自らの進化理論を構築する際には科学的な証拠と論理の積み重ねが必要であることを知っていたし,そのような人物はある意味で希有なのだろう(片方でスペンサーは全く科学者とは呼べない)とコメントされている.
最後に,優生主義とは結局「なまじっか遺伝のことがわかってきた段階で,遺伝を操作すれば自分たちの価値観を実現できるという欲求に操られた現象」だった,しかし遺伝は実際には非常に複雑であることがわかり,普遍的人権の思想が主流になって優生主義は消えたのだろうと指摘があり,さらに現在の遺伝学の発展は遺伝子改変やデザイナーベビーも可能にしていることを踏まえるとますます科学と社会についてすべての人々が考えねばならない時代になったということだとして本書を終えている.
 
以上が本書の内容になる.コンパクトでよくまとまったダーウィン本だ.ダーウィン本がまた出版されてダーウィンファンの私としては嬉しい限りだ.また私的にはところどころに現れる「進化の正しい理解は社会に浸透しにくい,どうしても進歩主義などの思想やヒトの本性との関連で歪んでしまう」というテーマに関連する長谷川の愚痴にも似たコメントが読みどころだった.
 
関連書籍
 
長谷川の20年前のダーウィン本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060815/1155647712

 
進化生物学者が書いた最近のダーウィン本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2024/08/20/112735
 
私の印象に残っているダーウィン本

ダーウィンの魚についての言及を集めて注釈付きの事典にした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130224/1361669922

 
ダーウィンの犬とのかかわりについてフォーカスした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/08/05/103519
 
ダーウィンの植物本に絞った解説書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/09/18/115337
 
ダーウィンの伝記の決定版.出版当初は箱入り2巻セットで18000円だったが,現在古書でかなりお安く入手可能なようだ. 

上記伝記の著者が,特にダーウィンの研究の動機に絞って書いた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090727/1248688145

 
本書でダーウィン産業の成果の例として紹介されているダーウィン本(で,私が未読のもの) 

*1:ここでダーウィンの時代には融合遺伝の考え方が主流であったこと,ジェンキンによる遺伝が融合遺伝であればダーウィン説は成りたたないという批判,ダーウィンはこのような反論に備えて(融合遺伝ではない)独自の遺伝の考察をしたこと,しかしそれは誤りだったことが説明されている.

*2:ここでは分子生物学者からのマクロレベル生物学への蔑視,日本の生物学界が90%以上ミクロレベル生物学者によって構成されていること,しばしばマクロレベルの生物現象はメカニズムや遺伝的基盤が分からなければただのお話だと主張されることが述べられ,しかしそういう主張には断固として反対だとコメントされている

*3:エマとの宗教観の違いが二人の結婚生活に与えた影響についての長谷川のコメントがなかなか深い.

*4:キリスト教神学は個別創造論をとる方法と神は法則のみを定めるとする方法があり,後者であれば進化論を扱えること,進化論としては神学の範囲内で行うことも実証的科学として行うことも出来ることなどが説明されている,

*5:長谷川はダーウィンはアニーの死により最終的に信仰を捨てたのだろうと推測している

*6:心霊主義への傾倒,ヒトの進化の特別視(霊魂は生物学的進化で説明できない),よくない筋への投資による失敗,過激な社会主義思想などが挙げられている

*7:この本は1990年代に書店でよく見かけた本で懐かしい.私はどうせトンデモだろうと読まなかったが,当時の科学史家たちの間では(著者のアイズリーが著名な人類学者であったこともあり)シリアスな「学術的告発」として注目を集めたようだ.その後ダーウィンのノートや書簡などの詳細な検討が進み,現在では一種の「陰謀論」扱いになっているようだ

*8:アイズリーは,ダーウィンの「種の起源」の執筆について,ウォレスの手紙が届いた直後に2歳でなくなった息子チャールズ・ウェアリングの死を克服したことを重視する一方長女アニーの死を無視している,と長谷川は指摘している.そしてこれは無意識の男尊女卑の結果のように思えて,アイズリーを信用できなくなったとコメントしている

*9:ダーウィンがなぜ人種間の際を自然淘汰で説明しようとせずに,性淘汰で説明しようとしたかという点については,肌の色や髪の縮れ方に適応上の意味を見いだせずに,配偶者選択の選り好みの結果だと考えたからだろうと解説されている.そして現在肌の色については紫外線からの防護とビタミンD生産のトレードオフから自然淘汰である程度説明できるが,日照時間と肌の色の相関関係はおおまかにはあるが細かいところまでは説明できず,ダーウィンの性淘汰仮説は肌の色についてもなお棄却されているとは言えないという評価であることも説明されている

*10:長谷川は,ヘッケルについては,人種を優劣で考えていたような人物と辛辣に評している

*11:なお当時の保守派の人たち(カンタベリー大僧正,ウェストミンスター寺院の僧正たち,ヴィクトリア女王など)はみな何か理由をつけてダーウィンの国葬への出席を避けたことが指摘されている

*12:高名な文化人類学者に直接そう語られたエピソードも紹介されている.なお30代40代の文化人類学者たちはそうでもないようだともコメントされている.50代60代はなお微妙ということだろうか.また日本の人文社会系の諸学問分野は「進化といえばスペンサーの社会進化論」という伝統を知識を更新することなく受け継いでいるかのようだというコメントもある.いろんなことがあったことが窺える

The Gene’s-Eye View of Evolution その59

 
 

第3章 理論の難点 その4

 
第3章は「理論の難点」.最初の論点は「擬人化」.冒頭では,哲学者ミジリーによる「ドーキンスは『遺伝子に意識的な利己性がある』という主張をしている」という主張を取り上げた.ミジリーは,ドーキンスは表面上は比喩だと主張しているが,論理的にはそう主張していることになるという趣旨だったようだが,いずれにせよ,これはやや突出した批判だったということになるだろう.
 

3-2 擬人化 その2

 

  • (ミジリーによる)この特に酷い誤解はそれほど広まりはしなかった(とはいえストーヴによるこの批判を永らえさせようとする試みはある)が,ゴール,目的,戦略を個々の遺伝子のものとして記述する慣習は,ある種の生物学者や哲学者たちをいらつかせた.

 
哲学者デイヴィッド・ストーヴによるドーキンス批判の書.

ストーヴの批判は,ミジリーのものによく似ていて,ドーキンスは遺伝子が利己的だと言うのは比喩だといっているが,彼の主張する論理はその比喩に依存してしまっており,論理的破綻だと主張しているもののようだ.
 

  • たとえばローゼンバーグは(彼はその他の点では遺伝子視点に対して好意的だったが),生物学者たちがこの種の言い方をすることについて「陰謀主義者的だ」と描写している.フランシスやゴドフリー=スミスはそれを「ダーウィン的パラノイア」と表現している.

 

哲学者アレックス・ローゼンバーグのこの本はドーキンスを全面的に礼賛している本のようだ.ただし擬人化については,ヒトは物事に意図,目的を見いだしやすいバイアスを持っているので,説明のステップとしては有用だったが,厳密な科学的現実の描写としては排除すべきであると主張しているようだ.
 リチャード・フランシスは神経生物学者.行動生態学や進化心理学が「なぜ」という究極因を過度に追求する姿勢を批判し,ドーキンスの擬人化を「すべてのものには目的がある」というパラノイアだと批判しているようだ.
 科学哲学者のゴドフリー=スミスは,進化のプロセスを多元的にとらえるモデルを提唱していて,ドーキンス流のレプリケータを唯一の真の受益者であるとする捉え方を,数ある要因の中のごく一部を過剰に取り上げており,進化の背後に利己的な主体を見つけようとするパラノイアだと批判しているようだ.
 
 

  • 植物学者のデイヴィッド・ハンケは生物学の状況を以下のように診断している.
  • 生物学は病気にかかっている.基本的に非科学的な考察モードがますます受け入れられるようになり,次の世代に教え込まれるようになっている.問題の核心は,我々が,世界には根拠のない主観的価値観を帰するような意味がないことを知っているにもかかわらず,世界を(文字通りに)意味あるものとして理解し続けようとしていることにある.
  • ハンケは自身が受けてきた科学的トレーニングとドーキンスがもたらした悲劇を対比させている.自身が受けてきた科学的トレーニングとは,学問対象について批判的,客観的に推論し,主観は信頼できず,誤解を招き,真実を曇らせるものだと扱うものだ.そしてドーキンスが招いた悲劇とは,彼の学生たちが彼の授業を受け始める前にドーキンスを読んでしまっていることだ.
  • (ハンケによれば)学生たちはルーシー・サリバンが「オクスフォード学派の生物学SF」と呼んだものの犠牲者ということになる.ハンケとサリバンにとって,擬人化と意図的用語法の最大の罪は,単にそれが怠惰で誤りであることや知的洗練さを損ねていることではなく,生物学の問題に対して私たちを迷わせてしまうことにある.

 
参照されているのはこの論文.
www.researchgate.net
ハンケの批判は,ロジックとしてはローゼンバーグに近く,本来そこには目的も意図もないのにそういう用語を使うべきではないというものだが,その弊害として学生の教育面を挙げているのが特徴ということになるだろう.
 
ルーシー・サリバンの「オクスフォード学派の生物学SF」批判
pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
ドーキンスの説明は科学をSFに引き下げたという厳しい弾劾ということになる.
 
ここからオーグレンは,これらの擬人化批判についてどう考えるべきかを語っていくことになる.

The Gene’s-Eye View of Evolution その58

 
 

第3章 理論の難点 その3

 
オーグレンは本書第1章で遺伝子視点の歴史的起源を取り扱い,第2章で遺伝子視点において重要な概念の概念整理を行った.第3章は「理論の難点」.導入部分で,論争のナスティさをちょっと紹介したあと,論点として5つ(「擬人化を伴う表現に問題があるのではないか」「遺伝子間の相互作用(エピスタシスやヘテロ優位性)を扱えるのか」「帳簿付けではないか」「遺伝的決定主義ではないか」「ヒトを扱うのには問題があるのではないか」)あることが指摘された.ここからまず最初の論点「擬人化」が解説される.
 

3-2 擬人化 その1

 

  • 1979年に英国の哲学者メアリ・ミジリーは「遺伝子ジャグリング」を書き,そこで悪名高い「利己的な遺伝子」についてのコメントを行った.それはこう始まっている.「遺伝子は利己的であったり非利己的であったりできない.それは原子が嫉妬深くなれなかったり,ゾウが抽象的でありえなかったり,ビスケットが目的論的でありえなかったりするのと同じだ」
  • 「遺伝子ジャグリング」は書評ではなく,「利己的な遺伝子」の論理にのっとって書かれた互恵的利他についての哲学者ジョン・マッキーの論文への応答論文になる.

 
この論文は「Philosophy」誌に掲載されており,ばりばりの哲学論文ということになる.
https://www.joelvelasco.net/teaching/3334/midgley1979.pdf

 
仮にミジリーが,(ドーキンスのこれが比喩である旨の本の記述を読んでいなかったとしても)「進化生物学者が『遺伝子は意識的に利己的である」と考える可能性がある」と信じていたのだとすると,哲学者にしては,あるいは哲学者であったにしても,あまりにナイーブで信じがたいところだ.
上記原論文に当たってみると,どうやらミジリーはドーキンスの論理について,(1)ドーキンスは比喩のつもりかもしれないが,『selfish』という用語は心理的属性を示すものであり,(遺伝子に意識的利己性がないなら)比喩として破綻している(2)遺伝子の利己性を人間の心理的エゴイズムを説明する根拠としているが,それは遺伝子に意識的な利己性があるという前提がなければロジックとして成り立たない.として攻撃しているようだ.
これ以外にこの論文で主張されているドーキンスへの攻撃は,(3)おひとよしとか裏切り者という戦略を単一遺伝子に帰しているロジックは遺伝学的知見から間違いである(4)ドーキンスは動物のすべての行動は利己主義から生まれていると主張しているが,実際には利他的な行動が報告されている(5)片方で「我々は遺伝子のためのヴィークルとして作られた」と主張しながら,片方で「我々は遺伝子に背く力がある」と主張するのは論理的矛盾だ,などがあるようだ.
(1)は『selfish』という言葉を比喩に用いる際の根拠の無い一方的な言いがかり,(2)(特に後段)はなぜそうなのか全く不明の誤った論理,(3)(4)(5)はドーキンスの主張を完全に誤解しているということだろう.
これを読んだドーキンスは当然ながら大激怒することになる.
 
そして同じ「Philosophy」誌にミジリーに全面的に反論した論文を投稿する
https://www.joelvelasco.net/teaching/3334/dawkins_defense_selfish_genes.pdf

  

  • ミジリーのトーンがあまりにどぎついものだったので,ドーキンスは辛辣に返答した.彼は「利己的な遺伝子の擁護」においてレトリックのレパートリーをフルに展開した.それはこう始まっている.
  • 私はメアリ・ミジリーの不可解な敵意に満ちた攻撃に驚かされた.同僚たちの幾人かは私に「こんなあからさまな悪意は無視するに限る」とアドバイスしてくれた.しかし別の同僚たちは「彼女の論文の悪意に満ちたトーンは内容的なエラーを覆い隠している可能性がある」と警告してくれた.
  • 確かに,私たちは,発言内容が正しいことを確認するという予防措置をとらずにここまであからさまに無礼な物言いをする人など誰もいないだろうと思い込む危険に晒されているのだ.

 

  • ドーキンスは続けて,いかにミジリーが「誤解の芸術を目も眩むような高い水準に引き上げたか」を説明し,彼女があまりにヒトの問題にこだわっていることを非難した.ドーキンスは「特定のかなり異常な種」であるヒトにフォーカスしていたわけではなかったのだ.
  • ミジリーは「ドーキンスが遺伝子は(進化生物学者が用いるようなテクニカルな意味ではなく)人間と同じように利己的であると信じている」という前提で議論を組み立てていた.憤激の中でドーキンスは「ミジリーは私の定義を単に見逃しているだけなのか? 結局ある本を侮辱したいと思っている読者がその一冊の本の単語をすべて読むことを著者として期待しても無駄なのだろう」と書いている.

 
これも原論文に当たってみると,ドーキンスの徹底的な反論振りが印象的なものになっている.
「利己性」「利他性」という用語についての心理学の行動主義からの定義を提示して,比喩の正当性を示し,そもそも本書は遺伝子の利己性から動物個体行動の利他性が説明できると主張するものであること,動物行動の戦略性について動物が意識的に計算する必要がないこと,ミジリーが遺伝学を誤解していることなどまことに手厳しい.

両者の応酬を見ると,基本的にミジリーは「ドーキンスがヒトの利己性を擁護しているのはけしからん」トーンになっていて,勇み足的批判をしてしまったのに対し,ドーキンスが徹底的に反撃しているという印象だ
  

  • ミジリーの論文は遺伝子視点についての特に酷い誤解をよく示している.公平のために言っておくと,ミジリーはのちに論文のいらいらした性急なトーンについて謝罪している.彼女はのちの「宗教としての進化」「孤独なセルフ:ダーウィンと利己的な遺伝子」において気を配った書き方に改めたが,しかし引き続き「利己的な遺伝子」を「悪い科学的な例とともに示されたモラル哲学における腐敗したエッセイ」とみなしている.

 
基本的にミジリーのトーンは変わっていないということのようだ.オーグレンはミジリーの主張を論点1「擬人化」で取り上げているが,どうも本質的には彼女の主張は論点5「ヒト」の問題という印象だ.
 
謝罪のある論文(1983),および「宗教としての進化」(1985),「孤独なセルフ:ダーウィンと利己的な遺伝子」(2010)は以下の通り.
 
謝罪のあるのはこの「Selfish Genes and Social Darwinism」.おなじく「Philosophy」誌に投稿されたもので,明確に「口調」については謝罪しているが,それでもロジックの基本は撤回せず,ドーキンスのこの本は社会ダーウィニズムを後押しする効果があると主張している.
https://cooperative-individualism.org/midgley-mary_selfish-genes-and-social-darwinism-1983-jul.pdf

 

 

書評 「進化心理学概説」

進化心理学概説

進化心理学概説

Amazon
 
本書は進化心理学者である中西大輔による進化心理学の教科書になる.大学の授業用の講義ノートに加筆修正を加えて書き上げられたもので,1章が1回分(90分)の講義に相当する(全15コマのうち復習・総括分の2コマを除いて13章となっている)形になっている.これまで日本語で出版された進化心理学の入門書,教科書の中では最もボリュームがあり,内容的にも充実している.
 

第1章 進化心理学とは何か?

 
第1章は導入章.ここは進化心理学の特徴として,(ほかの心理学分野とは異なり)自然淘汰による進化理論を基盤(メタ理論)として持つことが強調されている.そして他の心理学と共通な特徴として機能主義(特定の心理状態を規定するのはその内部構造ではなく機能であると考える),行動主義(測定可能な対象のみを研究する*1.行動主義をとる場合,ヒトもヒト以外の動物も機械も区別できないことになる)があることが指摘される*2

次に進化心理学の誕生の経緯と意義が説明される.意義としては,進化理論をメタ理論として持つことにより,他の心理学分野では説明が循環論*3になりがちだが,進化心理学ではそうならないことが指摘されている.進化心理学ではヒトの行動をヒト以外の動物のそれと連続体として捉え,より単純で節約された低次の尺度の説明を試みる.そして進化心理学は,自然淘汰というメタ理論から,ヒトの行動を適応とという観点からリバースエンジニアリングし,適応上の課題を解決する機能を解明するという特徴を持つことになる.ここでは,適応課題,領域固有性,トレードオフについても解説がある.
 
続いてティンバーゲンの4つのなぜが解説され*4,進化心理学ではこのうち生存価値(究極因)と系統進化要因に着目することが指摘される.また進化心理学に対立するものとして,キリスト教のローマ教皇の回勅(進化論を単なる仮説以上のものと認めるが,人間の魂については神の創造によるものとする),トゥービイとコスミデスが指摘した標準社会科学モデル(その代表としての文化相対主義*5)が挙げられて解説されている.また関連して,進化心理学も研究の進展に伴って文化の重要性を認めてより統合的に扱うようになっていることにも触れられている.
 

第2章 進化及び遺伝子の概念

 
第2章は初学者に向けての進化や遺伝子についての概説章.
進化とは何か,自然淘汰のしくみ,自然淘汰が働いていることの証拠,表現型と遺伝子型,遺伝についての学説史*6,適応度*7,ハーディ=ワインベルグ平衡,分子進化の中立説,進化についてのよくある誤解,至近要因と究極要因の違い,自然主義的誤謬と道徳主義的誤謬が解説されている.
 

第3章 利己的遺伝子

 
第3章は行動生態学の基本概念の概説章.
ドーキンスの利己的な遺伝子概念とレプリケータとヴィークルの区別,遺伝子の実体としてのDNA配列と継承のしくみ,戦略と利益,トレードオフ,個体はレプリケータでなくヴィークルであること,グループがヴィークルたりうるかという問題と(ナイーブ)グループ淘汰の誤謬,マルチレベル淘汰,ゲーム理論とナッシュ均衡,進化ゲーム理論とESS,ナッシュ均衡とESSの関係*8,進化ゲームの例としてのタカハトゲームが解説されている.
 

第4章 ヒトの進化

 
第4章はヒトの進化の概説章
「チンパンジーが進化したらヒトになる」という誤解および進化の梯子型モデルと分岐型モデルなどを扱ったあと,ホモ・サピエンスの多地域起源説とアフリカ起源説,霊長類の特徴,生活史戦略*9,類人猿の特徴と系統樹,ホモ属以前の人類,ホモ属人類*10が簡単に解説されている.
 

第5章 性と進化(1):性淘汰の理論

 
第5章は基本的に性淘汰の概説章だが,ところどころにヒトについてのトピックが扱われている.
ここはまず学説史が詳しく,ダーウィンの考察,メスの選り好みについてのマイヴァートの批判が解説されている.そこから父性の不確実性,性的二型,ランナウェイ仮説,優良遺伝子仮説とコストリーシグナル,ハンディキャップ理論,性的対立が解説される*11.ここで一旦トリヴァースの親の投資理論が挟まれ,最後にヒトの潜在的繁殖率*12,排卵隠蔽*13,精子競争が扱われている.
 

第6章 性と進化(2):人間の性行動

 
第6章以降は進化心理学のトピックが解説の中心となっている(第8章では利他性の進化についての基礎的な解説もある).第6章はヒトの性行動の解説章.
まずヒトの配偶システム(一夫多妻が認められる社会が多いが,そのような社会でも実体的には一夫一妻が中心であること.経済条件との関連,なぜ一妻多夫が稀なのか,男女がそれぞれどのようなシステムを望む傾向があるのか,データから見るとヒトの配偶システムは一夫一妻と一夫多妻の間ぐらいと推定できることなどが解説されている)が取り扱われ,続いて性差が解説される.
 
まずヒトの配偶システムが完全な一夫一妻でないことから男性間の方が配偶相手をめぐる競争が激しいことになり,そこから類人猿とヒトで見られる相対的な精巣の大きさの種間差の議論がまずあり,次にヒトのペニスの形状についての議論が紹介される*14.またエラーマネジメント理論からは男性の方が相手の好意を勘違いしやすい傾向をもつことが予想されること,それを確かめた実験が紹介される.
続いてバスによる配偶者選好の性差についての議論,およびその検証結果,さらに議論をまとめた「性戦略理論」が詳しく紹介される.またここではその後の追試の状況も詳しく解説がある*15.バスの議論は基本的におおむね追試が成功しており,進化心理学における成功例の1つと考えられると指摘がある.
次にシンによる有名なWHR研究が,この研究に対する批判(特に文化の影響の扱いが雑かもしれない点,理論的になぜWHR0.7が選好されるかが明らかではない点が指摘されている)があることも含めて詳しく説明されている.ここではボヴェによるレビュー論文の結論「この仮説についてはそれを支持する理論的実証的な裏付けはあるが,論文の多くは理論的枠組みを適切に展開していない.いくつかの興味深い代替仮説が見落とされている一方,人気のある仮説についてはより強力な理論的経験的な支持証拠が必要だ」が引かれ,これは進化心理学の仮説の脆さを批判する内容として読むことが出来るとコメントされている.
 

第7章 感情の進化

 
第7章のテーマは感情.
冒頭で本書では,主観的情感(feeling),情動(emotion),気分(mood),アフェクト(affect)すべてを含む概念として「感情」を扱うと断りがある.そこからそもそも感情をどう捉えるかという問題に入り,「心理学における感情研究の4つの視点」としてダーウィン説(進化産物で.他の哺乳類との類似があるだろうと考える),ジェームズ説(身体的変化の体験と捉える),認知説(認知的思考が感情の世紀に必要と考える),社会的構築主義説(文化の所産と考える)があり,本書ではダーウィン説に立って説明すると宣言される.
 
ここからダーウィンの「ヒトと動物の感情表出について」の議論がまず紹介され*16,続いて有名なエクマンの感情のユニバーサル性についての研究*17,また日本における先駆的な業績として戸田正直のアージ理論が紹介されている*18
ここから感情は適応的か,そして生得的かという問題が取り上げられる.セリグマンの準備性学習仮説,ジョンストンの快不快がそれをもたらした出来事の適応性と関連しているという主張がまず紹介され,そこからネガティブ感情の適応性の議論が解説される.ネシーの感情の進化的説明,特に不安症についての説明,ロバート・フランクの感情のコミットメントとしての機能の説明,配偶者防衛という観点からの嫉妬の説明とバスの浮気研究が紹介されている.
 

第8章 利他性の進化(1):血縁淘汰と互恵的利他主義

 
第8章と第9章で利他性の進化が扱われる.第8章は2者間の利他行動が扱われ,血縁淘汰と互恵性利他がテーマとなる.
冒頭でウエストたちによる利益と損失の観点からの利他性の定義が説明され,そこから双方損失となる「意地悪行動(spite)の進化が解説されるのがちょっと面白い*19
ここから利他性の進化が解説される.まず血縁淘汰.血縁度,ハミルトン則,包括適応度理論が簡単に概説され,血縁認識とウェスターマーク効果*20,表現型マッチング*21が解説されている.
続いて直接互恵性.直接互恵性の成立条件,アクセルロッドたちによる繰り返し囚人ジレンマゲームを使った戦略選手権*22とそれが互恵性成立の進化シミュレーションと解釈できることが解説されている.
 

第9章 利他性の進化(2):大規模集団での利他行動

 
第9章は大規模集団での利他行動がテーマ.まず共有地の悲劇と社会的ジレンマが解説される.
ここから直接互恵性を念頭に置いた議論がかなり詳しく解説されている.相互作用が2者間で行われない場合,繰り返し囚人ジレンマで有効だったしっぺ返し戦略が(裏切り者に直接応報ができないため)機能しないこと,外側から直接応報することはそれ自体が利他行為となる(罰や報酬は公共財であることになる)ことが指摘される.中西は大規模社会での協力にとって重要なのは匿名性をどう処理するか(匿名性の高い相手は互恵的に振る舞うことが期待できない)ということであり,人類は様々な制度により匿名性と対峙してきたともいえるが,制度がいかに構築されてきたかを考えないとこれも問題の先送りになるとコメントしている.
そして確かに匿名性の高い相手からのお返しは期待できないのだが,それでも私たちは時に匿名の相手に親切に振る舞うことがある*23.では実際に私たちは匿名性の高い社会でどのようにこの問題に対処しているのだろうかが次の論点になり,大規模集団での利他性を説明する議論が次々に紹介される.
紹介される議論には,ナイーブグループ淘汰理論,社会心理学の社会的アイデンティティ理論*24,現実的葛藤理論,偏狭な互恵性理論,トリガー戦略理論,マルチレベル淘汰理論,マルチレベル淘汰理論で必要な条件を満たすことを説明する文化的グループ淘汰理論および強い互恵性の主張,などがあり,それぞれその問題点(ナイーブ淘汰の論理的誤謬,その他の理論の前提条件の不在,実証的証拠との不一致など)が指摘される.
そして最後に間接互恵性が解説される.パンチャネイサンとボイドによる社会的ジレンマと別の相互援助ゲームと連結させれば評判を利用した条件付き利他戦略により問題解決可能であることを示した数理モデルがまず紹介され,評判を利用するということはある程度閉鎖的な社会が前提になることが指摘され,山岸の安心社会と信頼社会の議論が解説され,開かれた社会での問題解決のためには相手を見極める能力と,最初にまず取引してみようとする一般的信頼が重要だとコメントされている.
 
第9章の叙述は一般的な利他性の進化の解説本とはかなり構成が異なっており,本書独自の視点からの議論が数多く展開されて,なかなか興味深いものになっている.
 

第10章 文化の成立基盤としての社会的学習

 
第10章と第11章で文化の問題が扱われる.第10章のテーマは文化進化になる.
まず文化の定義*25を扱い,そこからメスーディの文化進化の議論が紹介される.ポイントは「文化の内容それ自体ではなく,それが社会的に伝達されることの適応的な価値や進化的基盤を明らかにすることが重要である」という主張(これが文化進化研究と文化人類学研究の違いになる),文化伝達には情報の伝達能力と受信能力が必要になること,進化的に考える際にはコストも重要になることあたりになる.
そして具体的な文化伝達研究の4つの問い「何がコピーされやすいか」「誰がコピーされやすいか」「いつコピーされやすいか」「どのようなコピーされるか」,これらはミーム概念,伝達バイアス,環境変動や学習や教育のコストが伝達に与える影響と関連することが指摘される.続いて研究方法として伝達チェーン法,交代法,クローズドグループ法が解説されている.
 
ここから「不確実にしか情報を獲得できない環境における社会的学習の有利性」という問題が詳しく扱われる.まず文化的伝達(社会的学習)と遺伝的伝達の違い,文化の適応価についての注意点*26が紹介され,そこから環境変動が文化的伝達の有利性に与える影響*27についてのヘンリックとボイドのシミュレーションの結果(環境変動が非常に激しい場合には社会的学習より個人的学習が有利になる,そこまで激しくない場合には社会的学習が合理的になる.この場合頻度依存バイアスはかなり環境変動が激しくても高い値を保つ),これに個人的学習のコストの要素(社会的学習はフリーライドしていると扱う)を加味すればどうなるかについての亀田と中西のシミュレーションンの結果(コストをかけて個人学習するものとしないものが一定比率で均衡する.コストが高くなると個人学習の比率が下がり,得られる情報の価値が下がる)とその実験による検証が解説されている.
 

第11章 ヒトとヒト以外の動物の文化

 
第11章の前半は第10章の続き.前章で議論された頻度依存バイアス(多数派の判断を重視すること)の合理性(個人的学習によるエラーが低減される*28)についての説明がまずなされる.そしてこれまで社会心理学では多数派同調の非合理的な側面が強調されてきた(アッシュの実験が紹介されている)が,それは生態的な妥当性には注意を払っていなかった*29ことが指摘される*30
続いて社会的学習が出来る社会と出来ない社会ではどちらが平均的適応度が高くなるかという問題に関するロジャーズのモデルの結論(出来る社会における社会的学習者と個人的学習者の平衡頻度は,個人的学習と同じ適応度が得られるところになる.つまり両方の社会の適応度に違いはない)が紹介され,これはヒトは文化を持ったから繁栄したのだという議論を否定するように見えることが指摘される.中西はこの点について,自らの研究を示し,ロジャーズモデルの前提「社会的学習可能社会の社会的学習者は社会的学習のみを行う」を「同社会の参加者は社会的学習も個人的学習も行ってみて両者を比較してどちらにするかを選ぶ」に変更すると社会的学習可能社会の方が平均適応度が高くなることを解説している.
 
第11章後半はヒト以外の動物の文化が取り扱われる.
まず文化の定義によっては動物にも文化があることになることが指摘され,そこからこれまで報告された様々な「動物の文化」の報告が紹介される.まずチンパンジー(グドールのシロアリ釣りの親子間の伝達観察,地域による文化の多様性),続いて宮崎県幸島のニホンザルのイモ洗い行動が取り上げられ*31,さらにハンドウイルカのカイメンを使った狩り,ザトウクジラのバブル・フィーディング,ラットの食物選好の社会的伝播,英国のカラ類の牛乳瓶の蓋開け行動などが解説されている.いずれもかなり詳しく扱っていて読んでいて面白い.
次に「動物にも文化があるか」についての様々な議論が解説されている.真の社会的学習と局所強調(他の個体の行動により,局所的な注意が促され,そこから個別学習が生じる)や社会的促進(他の個体の存在そのものにより個別学習が促進される)の区別の難しさが指摘され,主張者の学問的背景も影響すること*32がコメントされている.
 
最後にヒトにのみ累積的な文化進化現象があること,累積的文化進化にはイミテーション能力が必要でイミテーションとエミュレーションの区別が重要という主張,過剰模倣や教育の存在が重要という主張があるが,まだまだ研究の蓄積がなく今後の展開に期待すべきことが簡単に解説されている.
 
第10章,第11章の文化の議論は,中西自身の研究や興味のあるテーマが中心的に取り扱われ,あまり類書にないポイントが強調されていて,なかなか読みどころになっている.
 

第12章 脳の進化

 
第12章のテーマは脳の進化.
冒頭では脳の研究史が概説されている.ヒポクラテス,プラトン,アリストテレスから始まり,19世紀の骨相学*33,骨相学自体は否定されているが,その基本的な考え方である脳機能局在説はブロードマンの脳地図に受け継がれていることが解説されている.
続いて脳の解剖学的構造が解説され,マクリーンの三位一体説(脳はその進化的発達の段階ごとに爬虫類脳(反射),哺乳類脳(情動),新哺乳類脳(理性)という3層の構造を持っており,それが三位一体となって機能しているという考え方)は直感的には理解しやすいが,現在の進化学的理解とは整合的ではないことが指摘される.
ここから現在の進化学的理解から脳の進化が解説される.ゲアリー・マーカスの脳のバイアスについてのクルージ説,脳の大きな進化とカンブリア爆発との関係をめぐる諸説*34に触れたあと,ヒトの脳の巨大化と脳のエネルギーコストの問題が扱われる.大脳化指数(EQ*35)から見るとエレクトゥス段階から大きく増大していることが解説されている.
ここで話は心理学の行動主義に転じる.機能だけに注目する行動主義を貫くと,ヒトと動物,そして機械の間に本質的な違いがないことになることがまず指摘され,最新のAIはチューリングテストをクリアしていると思われる*36が,これは行動主義の勝利なのかをめぐる哲学的な議論が紹介される.ここでは,いずれにしても心理学が基本的に機能主義をとる以上,心理学者はこの問題を常に考え続ける必要があるとコメントされている.
その後話は脳の増大化のコストをどう説明するかという論点に戻り,ダンバーの社会脳仮説,それに対する懐疑論が紹介されている.
 

第13章 知能の進化

 
最終第13章は,第12章の議論(脳の増大化にはコストがかかるが,それに対する説明の1つが社会脳仮説になる)を受け継ぎ,そのように進化した脳がどのように機能しているのか,意思決定はどのように適応的なのかということがテーマになる.
冒頭でこれまでの意思決定の研究領域は「ヒトの認知や行動の非合理的側面」を強調してきたこと,しかし脳の増大が自然淘汰の結果ならそれは不思議であることがまず提示される.そしてこれに対する進化心理的説明が解説される.
まずヒトが確率判断がうまくできないこと(例として飛行機墜落のリスクを過大に見積もる傾向,ベイズ確率判断がうまくできないこと(事前確率の無視)が取り上げられている*37)について,頻度表現を用いればよりうまく推論でき,それはヒトは(進化環境では現在のような大量のデータは周りに無く,自分や一緒に暮らす者の観察という限られたデータしかなかったため)頻度情報を扱うように認知メカニズムを進化させてきたからだというコスミデスとトゥービイの議論が紹介される.
続いて行動経済学のプロスペクト理論とフレーミング効果が紹介され,行動経済学では観察された事実を記述しているだけで,なぜそうなっているかの説明にはなっていないことが指摘されたのち,「アジアの致死的伝染病ヘの対処問題」において,6000人や600人ではフレーミング効果が出るが,60人では消失することをダンバー数程度の集団で進化した社会脳から説明する王暁田の議論が紹介される.
さらに行動経済学で報告された様々なバイアスとヒューリスティックス*38が説明され,これについてのギガレンツァーたちの限定合理性の議論(進化環境ではすべての情報を入手したり.すべての代替選択肢を考慮できるわけではないので現実的には今ある手がかりから判断することに合理性がある場合が多い*39*40)が解説され,進化心理学は様々なヒューリスティックスを生態学的妥当性の観点から捉える学問だともいえるとコメントしている.
最後に4枚カード問題と裏切り者検知メカニズムについてのコスミデスとトゥービイの研究とその後の論争,心の理論とサリー・アン課題,ヒヒにおける戦術的騙しと複雑な群れという環境が簡単に解説されている.
 
 
以上が本書の概要になる.講義用の進化心理学の教科書として丁寧に書かれており,充実した一冊だ.私の感想をまとめておこう.

  1. 進化心理学は,その他の心理学の諸分野と異なり,基盤たるメタ理論(進化理論)を持っており,現象の説明が循環論にならないということが全体のテーマの1つになっており,冒頭で宣言されるとともにそれに沿った説明が各所にちりばめられていて,著述スタンスが一貫している.
  2. また心理学の機能主義と行動主義についてもこだわりがあり,各所で関連のトピックとともに解説されている.これも類書にはあまりない特徴になる.
  3. 講義が念頭にあるため,ところどころ著者の「ここはぜひ詳しく解説したい」というこだわりが深く現れている部分(学生を飽きさせないための工夫でもあるのだろう)があり,読み物としても大変面白いところがある.それは純粋に中西の興味本位の部分もあるだろうし,中西自身がいろいろ引っかかった部分(おそらく初学者も引っかかりやすいと思われる部分)もあるだろう.前者は読み物として興味深いものになっているし,後者は学習者にはありがたい部分になっている.
  4. リサーチ結果の紹介については,そのデータや検証手法について詳しい説明をおいていることが多い.これは再現性の危機を踏まえてという趣旨だろうが,中西の細部へのこだわりが生かされていて,読み物としても楽しい部分になる.再現性の危機に関しては,当初の報告だけでなく,その後の追試やメタ解析の結果などが各所で紹介されている.これも学習者にはありがたいところだ.
  5. 本書が持つ,他の日本語の教科書と大きく異なる特徴は,(中西が社会心理学出身ということもあり)心理学者目線の記述が多いところだ*41.私的には大変新鮮な部分が多く,勉強になった.これまでの教科書だけでよしとせずに,もう一冊読むに値するものだと思う.

 
 
関連書籍
 
これまでの進化心理学の日本語の教科書

この分野の代表的な教科書で最近第3版が出版されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2026/05/08/103748
 やはりこの春に出されたワードマップシリーズの一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2026/04/23/130627
 放送大学の「進化心理学」の講座の教科書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/04/30/142510
 10年ほど前の分担執筆による教科書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20131017/1382015218
 カートライトの教科書.日本語で出版された最初期のもの,さすがに内容的には古くなった.
 
教科書以外の優れた進化心理学関連本
 進化心理学と周辺他分野との関連・影響を多角的に捉えた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/06/17/120538
 進化視点に立ったヒトの行動についての事典.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/07/09/131933
 進化心理学を学ぶ中国の学生向けに書かれた,進化心理学者34名による寄稿(自伝,明らかにしてきた知見,学生向けアドバイスなどが中心になっている)を集めた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2018/11/30/081619
 
 

*1:「行動」が日常用語と異なるニュアンスになるのはbehaviourを「行動」と訳してしまったことに原因があるという指摘がある

*2:これらの特徴は進化心理学においてより純粋な形になるともコメントされている

*3:例として人がなぜ孤独に耐えられないかを親和動機で説明しようとする社会心理学的説明が挙げられている.これは結局人が孤独に耐えられないのは孤独に耐えられないという傾向があるからだといっているにすぎないことになる.欲求や動機という説明は観察に還元されてしまうのだ

*4:ここではジュリアン・ハクスレーの「生物学の三大問題」との関連が解説されている

*5:マーガレット・ミードの「サモアの思春期」,それに対するフリーマンの批判,ヒューマンユニバーサルを主張したドナルド・ブラウンの見解が,経緯も含めて詳しく解説されている

*6:なおここでダーウィンは融合遺伝説を採用していたという記述がある.これは日本の入門書にはしばしば見られる記述だが,私は誤解だと思っている.本書ではフツイマの「進化生物学」を出典として,かなり詳細にこの問題を扱っている(これはなかなか珍しい).そこでは当時融合遺伝という考え方が支配的であったこと,それでは自然淘汰がうまく働かないためにダーウィンが悩んでいたこと,その問題を解決するためにラマルク的な獲得形質の遺伝を受け入れたと説明し,それを「ダーウィンは融合遺伝という間違った考え方を採用していたし,その間違った考えに基づいて進化を説明するために獲得形質の遺伝説も採用していた」とまとめている.フツイマの原典にあたってみると.前段の部分はその通り(ただし融合遺伝説は普及していたと記述され,支配的とまでは書かれていない)だが,後段の「ダーウィン自身も融合遺伝説を採用していた」という記述は見当たらない.そしてダーウィンのパンジェネシス説はそもそも原理的に粒子遺伝説だ(ダーウィンは隔世遺伝現象に気付いており,遺伝が単純に融合的ではなく,粒子的側面を持つと確信していた).フツイマはダーウィンは自説の難点を克服するために獲得形質の遺伝を受け入れたとしている(それはもしかしたらそうかもしれない)が,私は(「飼育栽培下における動植物の変異」を読んだ感想として)ダーウィンは,自説の難点を克服するために,そして隔世遺伝を説明できるものとして(融合遺伝説をとらずに)独自の粒子遺伝説を提唱し,しかし一部の間違った報告を信じたために獲得形質遺伝も認め,獲得形質の遺伝を成立させるためにジェミュールが血液中に流れているという間違った構成をとったのだと思う.

*7:ここでは適応という概念の多義性について詳しい解説がある.

*8:これも入門書ではあまり解説されていないところで,初学者が混乱しやすいところをうまく解説してくれている.この2つの均衡は静的均衡分析と動的均衡分析としてそれぞれ独立に導き出されたものだが,基本的によく似たアイデアから生まれており,ESSが動的安定条件も加わった特別なナッシュ均衡という関係にある

*9:条件依存的な生活史戦略が個人差の一部を説明できるかもしれないことがここで解説されている

*10:ホモ・ナレディまで解説されているのが嬉しいところだ.なおデニソワ人についての澎湖諸島化石のタンパク質分析に基づく最新の報告は反映されていない

*11:なおここで林岳彦が「性的対立」という論文において,「ランナウェイ仮説や優良遺伝子仮説は古典的性淘汰説と呼ばれるもので,現在では性的対立説が繁殖形質の進化理論として中心的な位置を占めるようになっている」と主張しているとのみ紹介し,この主張についての論評を避けている.これでは読者は混乱するのではないだろうか.一時期性的対立説が注目されて議論されたのは確かだが,性淘汰産物については現在でも優良遺伝子説とランナウェイ仮説が説明の中心になっている(実際に本書もそういう構成になっている)ことをコメントしておくべきではないかと思う.さらに言えば,私的にはクジャクの羽根のような安定的で派手なメスの選り好み形質については(本書ではランナウェイと並列的な扱いになっているが,ランナウェイはメスに識別コストがかかれば長期的には成り立たないわけで,)ハンディキャップとして捉える優良遺伝子説を説明の中心に据えるべきだと思う.

*12:ここでは説明の前段として繁殖成功の分散の性差を説明するときによく持ち出される800人を超える子供を持ったイスマイール王の逸話について,それが本当に可能かどうかをめぐって交わされた論争が詳しく紹介されている.2014年のコンピュータシミュレーションを用いたリサーチにはイグノーベル賞が贈られているそうだ

*13:排卵隠蔽についてはそもそも本当に隠しているのかどうかがわかっていないことがまず指摘されている.そして(排卵隠蔽があるとして)排卵隠蔽について女性側の戦略としてはどういうことがありそうか,男性側に対抗戦略が生じないのか,それらを考慮した上で立てられたガンゲスタッドの仮説とその検証,それに対する反論とその後の論争が詳しく解説されている.論争はまだ決着していないそうだ

*14:ここはペニスの先端のくびれについての精子置換仮説,それを検証しようとした実験の詳細,しかしより精子競争が激しいチンパンジーにこのくびれがないことが説明できないというこの仮説の難点が指摘されている

*15:数多くの追試があり,バスの検証結果の大半は再現されているが,一部微妙な部分があるとされ,そのあたりも詳しく解説がある

*16:ここはかなり詳しく解説があり,有用な連合的習慣の原理,反対の原理,神経系の構成による作用の原理の説明の後,「ダーウィン自身は感情表出は系統発生の過程で生まれた一種の副産物のようなもので,それ自体に適応価はなのだと考えていた」とコメントされている.そして連合的習慣の原理は獲得形質の遺伝がなければ進化することはないはずだとも指摘している.確かにダーウィンの「感情」における説明には一部副産物的な記述がある.しかし私の読後の感想は,「ダーウィンは系統的な議論を主に行い,適応の議論を避けている,その真意はよくわからないが,進化産物である以上適応的な部分を持っているはずだが,うまく適応的に説明できなかったためにこういう執筆姿勢になったのではないか」というものだ

*17:ここもエクマンの主張する基本6感情,その検証,日本における追試などが詳しく解説されている

*18:中西は,アージ理論は戸田が実証に熱心でなかったこともありあまり普及しなかったが,その理論は壮大で先進的で,現代の進化心理学における知見と矛盾なく受け入れられるとコメントしている

*19:最後通牒ゲームで,相手の不平等提案を拒否する行為がそれに当たるとされている.これがあるために公正な配分が成立しうるし,コミットメントの一種と考えられるともコメントされている.

*20:ウェスターマークによる最初の主張とフロイト派や文化人類学者たちによる批判,イスラエルのキブツの研究によって1960年代以降支持を得てきたことが解説されている.

*21:ヴェーデキントによるTシャツ実験が紹介され,MHCタイプが異なる男性のTシャツの匂いが(ピルを飲んでいない)女性からより魅力的と判断されたと報告されたこと,しかし効果量は低く追試に一貫したパターンが得られていないこと,最近のメタ分析によるとMHCと配偶者選好に明確なパターンはあるとは言えなさそうなことがコメントされている.

*22:ここは詳細がかなり詳しく解説されていて(アクセルロッドの有名な著書には書かれていない詳細を論文に当たって補充説明していたりする)面白い.

*23:ここで中西は自分自身が雨の日の札幌の地下鉄の駅近くでびしょびしょになって泣きながら家に帰るお金がないと訴える女の子に500円渡してしまったというエピソードを披露している.中西が(いかにも研究者らしく)物陰に隠れてその後何が起きるか観察したところ,その女の子は別の通行人から同じようにお金をせびっていたそうだ

*24:社会心理学は,社会的アイデンティティ理論によって人々が内集団メンバーに好意的に振る舞う傾向があることを示してきたが,その理由には答えていない.また実証的には(社会的アイデンティティ理論では不要なはずの)同じ集団のメンバーであるという相互的知識が重要であるという知見が得られているとコメントされている

*25:有名なタイラーの定義「文化および文明とは,広く民族学的な意味で,社会の成員たる人によって獲得された知識,信念,芸術,道徳,法,慣習,その他のあらゆる能力や習慣を含む複合的な総体のことであ」を紹介したあと,タイラーが「劣った未開文化から優れた西洋キリスト教文化への一次元的発展」という思想の持ち主であったことが指摘されている.また伝統的な文化人類学では「ある特定の文化圏において共有されている人工物」と捉えられていると説明されている

*26:模倣によってしか伝達できない情報もあること,生殖上の有利さを得るための情報伝達は,ゲノムを解するより直接伝える方が有利と考えられることが指摘されている.後者の典型例が環境変動が頻繁な場合で次の議論に繋がる

*27:環境変動がない場合,情報の不確実性問題に対しては社会的学習がうまく機能する(あるキノコがたべられるかどうか(キノコ問題)については長老の意見に従っておけばいい)が,遺伝的伝達でも問題解決できる.

*28:ここでコンドルセの陪審定理が解説されている

*29:アッシュの実験のように多数派が間違っていることは実は少ない.合理性を示すには個人的学習のエラー率と多数派のエラーの比較が必要なはずだということになる

*30:ここではフェスティングの社会的比較理論(能力や意見を正しく評価したい人間は,(客観的な判断手段がないときには)他者の意見や能力と自分のそれを比較すると考える)も紹介されている

*31:ここはかなり詳しく紹介されていて,社会的伝播にしては伝達スピードが遅過ぎる点や社会的学習による伝播と個々の個別学習により広がったかの区別は実は容易ではないことなどが指摘されている.

*32:生物学者はマクロな側面に興味があり,比較的動物の文化を認めやすいが,心理メカニズムや認知プロセスに興味のある心理学者は慎重(厳密に統制された実験室における証拠はほとんどない)なのだそうだ

*33:骨相学(phrenology)という名称の起源についても解説がある

*34:ファインバーグとマラットの意識の起源説,パーカーのカンブリア爆発の眼の誕生原因説,それを脳の複雑化に結びつけたトレスマンの視覚先行説,対立仮説としての嗅覚先行説などが解説されている

*35:ここでは研究によりEQ算出値がかなりずれていること,それは算出の仮定が様々であるためで,同じ仮定から測定されたEQを比較すべきことが説かれている.

*36:ここではチューリングのオリジナル論文で相手が人間であると判断した質問「あなたのソネットでは最初の行に「汝を夏の日にたとえよう」とありますが,「春の日」の方がよくありませんか?」を中西自身がChatGPTに投げてみた結果が紹介されている

*37:なお事前確率の無視についてギガレンツァーは進化環境では頻度表現が普通だったということのほかに,よくある「稀な病気の検査結果の解釈問題」については,そもそも検査を受けることになった時点で,事前確率は単純な有病率ではなく,検査を受ける必要が生じた集団の有病率に変わっているという議論も行っていることが紹介されている

*38:ここでは特に代表性ヒューリスティックについて,事前確率(基準率)の無視,サンプルサイズの無視,ギャンブラーの誤謬,リンダ問題などが詳しく説明され,さらにアンカリングと調整のヒューリスティック,利用可能性ヒューリステイック,サンクコスト誤謬が取り上げられている

*39:ここでは代表性ヒューリスティックの限定合理性の説明の1つとしてホットハンド誤謬は進化環境では資源がランダムに得られるわけではなく合理的であっただろうという議論が紹介されている.バスケットボールのホットハンド誤謬の主張は統計的な扱いが誤っていては実は誤謬ではなかったという話が紹介されていないのは残念だ

*40:サンクコスト誤謬については,ドーキンスとブロックマンのジガバチの行動への適応的説明が紹介され,ヒトにおいても自分がこれまで多く投資してきたものは重要性が高いことが多く,それなりに妥当に機能している可能性があると説明されている

*41:長谷川ほかの「進化と人間行動」,小田の「進化心理学」は行動生態学的目線の記述スタンスが多く,大坪の「進化心理学」は(大坪は社会心理学出身だが)ニュートラルな記述振りだった