訳書情報 「なぜ心はこんなに脆いのか」

 
以前私が書評したランドルフ・ネシーの「Good Reasons for Bad Feelings」が邦訳出版されるようだ.本書は現役の精神科医であり,かつ「Why We Get Sick?(邦題:病気はなぜあるのか)」をかつてジョージ・ウィリアムズと共著したこともある進化的理論に理解のある著者によるさまざまな精神病理の進化的な解説を行う本である.
冒頭第1部で通常の疾病と精神疾患の違いが強調され(通常の疾病は何らかの身体の機能的な問題が病気の本質で,それが症状として目に見える形で現れると考えられるのに対して,精神疾患は脳の器質的異常を感知できないために症状からのみ記述される),なぜ心はこうも脆いのかが説明されるべき進化的な謎であるとする.邦題はこの本書の中心的テーマを提示するものであり適切だ*1
そこからは各論で第2部で感情に絡む障害(さまざまな悪感情,不安,鬱,気分障害),第3部で社会生活から生じる障害(障害の現れ方の個人差,罪悪感と苦悩,抑圧と自己欺瞞),第4部で行動にかかる障害(性行動にかかる障害,摂食障害,薬物中毒,遺伝性の強い統合失調症・自閉症・双極性障害)が取り扱われる.
鬱についてはネシーが長年深く考察してきただけあり,深みのある考察に圧倒されるし,感情の進化的な整理も見事だ.(フロイト的)抑圧と自己欺瞞についてもトリヴァースの他者操作仮説に対するアンビバレントな受け止め方と実は抑圧や自己欺瞞は短期的な衝動を抑える役割もあるのではないかという考察が読みどころになる.また遺伝性の強い統合失調症・自閉症・双極性障害についてはさまざまなトレードオフ仮説を吟味した上で崖のある適応度地形仮説を提示しており,説得的だ.精神疾患の進化的理解に興味のある人には必読文献だと思う.
 
私の原書の書評は
shorebird.hatenablog.com

 
 
関連書籍

原書

 
ネシーがジョージ.ウィリアムズと出会って最初に書いた進化医学の本.未だに入門書としてはベストだと思う. 
同邦訳 
次に編者となってまとめたコミットメントについての本.感情についての説明にもなっている.これも感情のコミットメント機能についての本としてはフランクの「オデッセウスの鎖」と並んで未だにまず読むべき本だと思う.

*1:ただし副題はやや問題含みだ.本書は精神疾患についての進化的な解説書だ.分野として進化医学の本であり,「進化心理学」ではなく原副題にあるように「進化精神医学」と表記すべきであっただろう

From Darwin to Derrida その84

第9章 どのようにして? 何のために? なぜ? その3

 
ヘイグによる至近因と究極因の読み解き.マイア論文の前史.スピノザに続いてエラスマス・ダーウィンとハーバート・スペンサーが登場する.

 

19世紀の至近因と究極因

  • ここで19世紀に現れる至近因(proximate cause)の究極因(ultimate cause)の用例をすべて扱うつもりはない.ここでは医学とハーバート・スペンサーに現れる例に絞る.

 

  • 医学において疾病の至近因は,remoteな原因,そして時に究極因と区別された.エラスマス・ダーウィンのズーノミアの第2巻では疾病を至近因に従って分類している.
  • かくして下痢の時に生じるこむら返りは,感覚における連結の力が至近因であり,先立つ腸の活動の増進がremoteな原因であり,腸の筋肉の急速な収縮が至近的な効果となる.しかしこれらの筋肉の痛みは付随症状であり,remoteな効果である.

 

  • ジョン・チャップマンも下痢の原因を議論している.
  • (下痢は)歯の炎症,腐敗した食物,不純な水分摂取,毒性のガスの吸引,腸の潰瘍などから,そしてその他なさまざまな疾病から生じる.そしてそのようにいかにprimaryな原因が多様であっても,至近因は常に同じだ.つまり下痢は脊髄と交感神経の充血から生じるのだ.

 

  • ここでは至近因は最終的なメカニズムをさしている.それはさまざまなprimaryな原因から生じるが,結果として同じ症状を引き起こす.
  • 医学の文脈では究極因は,至近因が生じる前に生じた物理的な原因を意味する.だから19世紀のジャガイモ胴枯れ病の議論においては「この病気の至近因は疑いなくPeronospora菌である.究極因については全く異なる環境のセットを探すべきだろう.・・・病原菌の攻撃は特別な気候かその他の条件により引き起こされるのだろう」という表現になる.同様に1902年のカール・フィルヒョウの墓碑には「彼は9月5日に亡くなった.その死の究極因は1月初めの転落による太ももの骨折であった」と記されている.
  • これに対して,今日の医学における究極の死因(ultimate cause of death)は,一連の因果の最後の原因,つまり死の直前のものとされており,一連の因果の最初のremoteな原因が挙げられることはない.たとえば「敗血症患者の究極の死因は多臓器不全となる.典型的には患者はまずどれか1つの臓器が不全になる.・・・,そこで放置されると他の臓器も次々に不全になる」というように記述される.

 
19世紀の医学の世界では因果の連鎖がA→B→C→Xであったとき,Xの至近因はCであり,remote因はAだということになる.これに対して現代医学の世界ではXの究極因がCだということになる.
 

  • ハーバート・スペンサーは,「個体と繁殖の間の必須の対立」は「(人種の)保全の最高の形態の達成」を保証するものであり,それは「オリジナルな繁殖力の過剰を究極的に消滅させること」につながると「動物の繁殖力の一般法則からの演繹される人口理論」という論文で書いている.スペンサーはさらに「そもそもの始めから,人口圧力は進歩の至近因だった.・・・それは人類に略奪的な慣習を捨てさせた.・・・それは人類に社会をもたらした.・・・そしてそのような究極的な因果ののち.人類は地球に広がり,すべての居住可能な地域を文化の高みに引き上げた.・・・そしてその後,人類は人口圧力が減少していくことを経験する」と記述している.
  • ここで「至近因」とは運命づけられた高等な結果をもたらすものを指している.また「蒸気エンジンは鉄道システムの至近因であり,国の運命や交易経路や人々の慣習を変えた」とその著書「進歩」において書いている.

 
スペンサーの引用があるが,非常に難解な英文になっている*1.この引用には究極因という用語はないので,至近因と究極因が対になって用いられているのかどうかはよくわからない.ともあれ「運命づけられた高等な結果をもたらすもの」という「至近因」の用法は現在の用法と相当異なっているということだろう.
 

  • ジョージ・ストークスにとって「物理学の最高の目的は,可能な限り,現象を至近因で説明すること」だった.しかしながら,(探索を続けると)どこかの時点で科学がそれ以上説明できない空白に至る.スペンサーはこの空白に早くから気づいていた.「第一原則」において彼は(大文字の)「究極因」を「それを経由してすべての事物が存在しているがそれを知りえないもの」としている.しかしながら,彼が「知りうるもの」である「均質な身体の不安定性」を議論するときには,ユニット間の小さな違いは疑いなく異種性の至近因であるとしつつ,(小文字の)究極因は偶然の力に各部分が不均一に暴露されたことだとしている.

  • まとめると,至近因は物理的な原因であり,究極因は至近因が生じる前の物理的な原因,あるいは目的因だということになる.

 
この至近因と究極因の用法は現在のに近い部分もあるが,やはりいろいろ異なっているということになるだろう.
 

  • 最後に(マイアの至近因と究極因の区別の議論の準備として)作用因(efficient cause)はしばしば「どのようにして」質問と,目的因(final cause)はしばしば「なぜ」質問と結びつけられているということを指摘しておこう.これに関する19世紀の用例を2つ示しておこう.
  • 1つ目の例はエッカーマンの引用によるゲーテの “Die Frage nach dem Zweck, die Frage Warum? ist durchaus nicht wissenschaftlich. Etwas weiter aber kommt man mit der Frage Wie?” という文章だ.私のつたない訳だとそれは「目的についての問い,つまりwhy質問は全く科学的ではない.しかしhow質問を問うならば,より先にすすめるだろう」となる.
  • 2つ目の例はチャールズ・キングズレーの「しかし,あなたに1つ警告しておかなければならない.それはあなたはマダムHowとレイディWhyを混同してはならないということだ.」だ.彼はマダムHowを自然とそれが示す事実に見立てているが,レイディWhyについてはその正体を明かさず「しかし彼女には仕えるマスターがいる.その主人の名前についてはあなたの想像におまかせしよう」と書いているのだ.

 
19世紀英国ではhow質問は至近因ではなく作用因と関連付けられ,why質問は究極因ではなく目的因と関連付けられていたということになる.そこからなぜ現在のような用法に変わっていったか,そこにマイア論文がどうかかわるかが本章の本論になる.
 

*1:上記私の意訳はおそらくいろいろ間違っているだろう

From Darwin to Derrida その83

第9章 どのようにして? 何のために? なぜ? その2

 
ヘイグによる至近因と究極因の読み解き.最初に至近因(proximate cause)と究極因(ultimate cause)を区別したとされるマイアの論文に入ることになるが,その前にかなり詳しい前史を置いている.
science.sciencemag.org
 

究極因についての遙かに古い起源

 

  • マイアの1961年の論文は生物学における「歴史的説明」を強く擁護している.そこでは「究極因は「歴史を持つ原因」だ」とされている.彼は生物学的な過程を理解するにはその進化的な歴史の理解が欠かせないと信じていた.

 
冒頭からこれはかなり驚く.歴史を持つ原因ということであればティンバーゲン的には機能的(適応的)理由より系統的理由の意味に近くなるだろう.そしてヘイグは究極因の意味はその言葉の使用者により異なり変化していったのだとほのめかす.
 

  • 似たような議論は単語の意味について行うことができる.意味は突然変異,意味論的浮動,代替的意味の競合の結果により進化する.ある一時点において異なる個人は,あるいは同じ個人でも異なる文脈では,同じ単語について異なる変異した定義を持ち,それらの変異の頻度は移り変わる.どちらの意味が広がるのかが科学的哲学的な議論の方向や結果を決めるだろう.(ある変異についての)支持者は世界が自分たちに従うことを望むだろう.このように問題を捉えることの利点は,単語の「真の」「正確な」「正しい」意味をめぐる議論から一歩下がることができることだ.

 

  • 進化生物学における「至近因と究極因の区別」は,現在の原因と進化的過去の原因の区別,あるいはメカニズムの説明と適応的機能の説明の区別などと様々に解釈されてきた.
  • 皆「至近因とは何か」について合意しているようだ.これらはアリストテレス的な作用因になる.意見の相違は究極因の理解のところに生じる.この究極因の意味の曖昧さは何世紀も前に存在する.「究極因」は作用因の一連のシリーズの最初のものとも,イベントの一連のシリーズの最後に現れると考えられる最終因(a final cause すなわち目的因)とも捉えられていた.現在見られる究極因の曖昧さ(歴史的説明か機能的説明か)はこの古い曖昧さの子孫と見ることもできる.最近の論争はこれらの究極因についての異なる意味を区別することによって明確にすることができる.

 
そしてこの究極因(ultimate cause)の意味の多元性は何世紀もさかのぼると畳みかけ,ここから語源のラテン語にまでさかのぼる思い切りディレッタントな解説となる.
 

  • オックスフォード辞典は始めるのにいいポイントだ.形容詞「proximate」と「ultimate」はそれぞれラテン語動詞の「近くに引き寄せる」「最後に存在する」から派生した語だ.「proximate」についての最初の項目は「因果の連鎖の前あるいは後に最初に現れる・・・しばしばproximate cause(至近因)という形で使われる.反対語はremote, ultimate」になる.「ultimate」についての最初の項目は「最後の,その他のすべてを越えてある,最終的な目的を形成する」になる.両方とも最初の用法は17世紀の半ばにさかのぼる.ここで重要なことは,「ultimate cause」は長い間「final aims」と共起され,「proximate cause」は「remote cause」「ultimate cause」と対比されてきたということだ.

  • 「proxima causa」と「ultima causa」は共に英語で「proximate cause」や「ultimate cause」が使われるようになるより何世紀も前に学問的ラテン語として使われてきた.トマス・アキナスは(アリストテレスの註解の1つである)「自然学註解」においてアリストテレスにおける「prior cause」と「posterior cause」の区別を説明している.
  • 私たちは「proximate cause」が「posterior cause」と同じ意味で,「remote cause」が「prior cause」と同じ意味であることを理解しなければならない.これらの2つの原因の違い(つまりpriorとposteriorの違い,あるいはremoteとproximateの違い)は同じものだ.さらに私たちはよりユニバーサルな原因はいつもremoteと呼ばれてきたことを,より特殊な原因はproximateと呼ばれてきたことを知るべきだ.たとえばヒトのproximate形態はその定義つまり「合理的な死すべき動物」だが,動物のそれはよりremoteであり特殊なものがそぎ落とされる.それは特に優秀なものは,劣ったものの形態を持っているからだ.同様に銅像のproximateな材質はブロンズだが,remoteな材質は金属であり,さらにremoteな材質は物質になる.

 
なかなか深い,近接と遠隔(究極)がもともとは事後と事前だったというのはなかなか驚かされる.そしてユニバーサルであるものは事前であり遠隔だということになる.さらに近接と遠隔(究極)に特殊と一般という意味が加わる.そこからより高いレベルの目的が遠隔(究極)ということになる.
 

  • remoteな原因はproximateな原因を説明するが,逆は説明できない.アキナスはproximateな原因とremoteな原因の区別を,一般性が上位階層に来る形相因と質料因の階層を使って,一般的な原因はremoteで特殊な原因はproximateだとして説明しようとしている.しかしながら階層が時間的に決まる場合にもこの区別は適用可能だ.先立つ出来事は後に来る出来事の原因となる.そして同じくこの区別はproximateな目的がより高い目的の手段であるような目的因にも適用可能だ.
  • どのような因果連鎖や因果階層においても,最もremoteな原因つまり先立つ(prior)原因を持たない原因は,ultimate causeになる.アキナスは「対異教徒大全」において,ultimate causeの必要性を示すためにアリストテレスの無限の因果連鎖を否定する議論を使っている.アキナスは作用因の連鎖においては不動の動者が必ず存在し,目的因の連鎖においてはそれ自体が目的であるfirst causeが必ず存在するのだと主張している.アキナスにとって不動の動者と究極の目的は1つにして全なるものなのだ.始まりにおいて目的があるのだ(In the beginning is the end. ).
  • スピノザも同じようにproximateな原因とremoteな原因を区別している.彼は「短論文」においてこう主張している.
  • 神は,神が創造したと私たちが考える無限で不変の物事のproximateな原因だ.しかしある意味において神はすべての個物のremoteな原因だ.
  • またスピノザは「エチカ」において,個物の世界における作用因の無限の連鎖を議論している.その部分の注釈において彼はこう書いている.
  • すなわち,まず神は直接創造したものについてのproximateな原因だ.・・・そして次に神は個物のremoteな原因であるということはできない.・・・ここで「remoteな原因」というのはその効果と連結しない原因のことだ.しかしすべての物事は神の中にあり,神なしに存在しえないという意味で神に依存している.
  • 神が個物のremoteな原因になれるかどうかについてスピノザは意見を変えたらしい.「エチカ」においては神は永遠に存在し,proximateであり,remoteではない.スピノザは目的因については強硬に否定し,「すべての目的因は人間の創造の断片に過ぎない」と書いている.スピノザの目的因の否定は神にも適用される.なぜならすべては神の中にあり,そしてもし神が目的を持つとするなら,そこには欠けているものがあることになるからだ.

 

  • proximateな原因は法律,特に不法行為法において昔から議論されている.フランシス・ベイコンの最初の法格言は「In jure non remota causa sed proxima spectatur. :法においてはproximaな原因のみが考慮され,remotaな原因は考慮されない」だ.すべての原因にそれに先立つ原因があるとしても,法は(延々とremoteな原因を探索したりせずに)実践的に直接的な原因のみを考慮する.
  • 結局のところ,原因は(比喩的なものを含めて)時系列的(prior, posterior)あるいは距離的(proximate, remote)に順序づけられる.これらの軸は作用因,質料因,形相因,目的因という区別の軸とは直交している.究極因(ultimate cause)はこのアリストテレスの4つの原因のすべてにおいて現れうるのだ.

 
スピノザの神学的議論やラテン語法格言まで登場する.ヘイグの博覧強記ぶりにはただ畏敬の念を覚えるのみだ.

From Darwin to Derrida その82

 
ヘイグによる本書も第9章に入った.第9章のテーマは至近因と究極因だ.これについてよくある説明は,まずそもそも「なぜ:why」という問いかけには異なるレベルでの回答が可能だという話*1をし,その後生物学における有名な例として「ティンバーゲンの4つのなぜ」を説明し,このうちメカニズムについての問いを至近因,機能的(適応的)理由を究極因と呼び,この他に発生的理由と系統的理由があるとするものだ.
ヘイグがどのように深く裁くのかが本章の読みどころになる.果たしてヘイグはこの至近因(proximate cause)と究極因(ultimate cause)という言葉の出所がマイアであるとし,さらにそのはるか昔の言葉の起源から語り始める.
 

第9章 どのようにして? 何のために? なぜ? その1

 

ヒトの本能的な行動の理由を問うには,自然が奇妙にみえるようなプロセスの実践を学ぶことによって解放された心が必要である.

ウィリアム・ジェイムズ (1887) Scribner's Magazine「本能とは何か」

 

  • アダム・スミスの道徳感情についての議論は進化生物学の現代的テーマに反響する.彼が行った私たちの理性(our reasons)とその理性がある理由( the reasons for these reasons)の区別は,進化生物学者の行うメカニズムの説明となぜそのメカニズムが進化したのかの説明の区別を思い起こさせる.

 
「理性がある理由」というのはまさに究極因的な概念だが,理性があること自体は至近因とは少し異なるだろう.とはいえ確かにアダム・スミスが究極因的な思考をしていたのは確かだ.
 

  • この区別は通常エルンスト・マイア(1961)による至近因(proximate cause)と究極因(ultimate cause)の区別が嚆矢とされる.(サイエンスに掲載された論文「Cause and effect in biology」が参照されている)

science.sciencemag.org
 

  • しかし私はこの解釈はマイアのテキストを誤読した結果だと考えている.本章は至近因と究極因の区別についてのコメントを求められたときに書いたものが元になっている.この区別が進化プロセスの理解を明確にするものか曖昧にするものかという問題は生物学の哲学の熱い議論の的となってきた.

 
生物学の哲学でこれについての熱い議論があったとは知らなかった.至近因と究極因を区別するのは,今いったいどのようなレベルの物事を取り扱っているかを明確にするものだから,この区別が進化プロセスの理解の曖昧にすることがあるとは想像もつかない.どのような議論があったのかには興味が持たれる.
 

  • 本書にこの章を含めた私のねらいは,「原因(cause)」という概念はほとんどの生物学者が考えるほど簡明なものではなく,多くの生物学者が目的論的用語を避けようとしているために生まれた用語の曖昧さによって混乱が生じていることを示すことだ.

 
確かに目的論的用語をことさらに避けようとするとかなり持って回った言い方を繰り返さざるを得なくなる.そこに原因という概念の奥深さがややこしい影響を与えるというわけだ.ヘイグはこのあと「究極因」という用語が人によって異なる意味に用いられて混乱のもととなってきたことを解説していくことになる.

*1:これについてはリチャード・ファインマンの解説が思い起こされる.ファインマンは「ある女生徒が今日遅刻をしたのはなぜか」という例を出し,それが出がけにけがをした母親を介抱するためだった.けがをしたのは氷の上で滑って転んだからだ,なぜ氷の上では滑るのか,その分子的な仕組みの謎という具合に解説のレベルを変えていく.

書評 「When Men Behave Badly」

 
本書は進化心理学者デイヴィッド・バスによるヒトにおける性的コンフリクト,特に男性の配偶戦略が引き起こす問題点(あるいは性をめぐる男性の悪行)についての一般向けの本である.バスは進化心理学の勃興時の立て役者の一人であり,配偶者選好に大きな性差があることを本格的なリサーチで明らかにしたこと,進化心理学の最も有名な教科書の執筆者であることで有名だ.
そしてバスはこれまでにヒトの配偶選択についての一般向けの科学啓蒙書を3冊書いている.最初の一冊「The Evolution of Desire」はヒトの配偶者選択全般を扱ったものであり,次の2冊「The Dangerous Passion」と「The Murderer Next Door」はそれぞれ嫉妬とパートナー殺人を扱っている.そして2016年には最初の「The Evolution of Desire」を最近の知見に合わせて全面的に改定している.
本書はこの改訂版で書ききれなかった部分,特に配偶戦略の性差(そして特に男性の行動)が引き起こすさまざまな個人的,社会的な問題点に焦点を合わせ,進化心理学的知見の応用も視野に入れた本となっている.「The Dangerous Passion」と「The Murderer Next Door」で取り上げたテーマをさらに広げ,性的コンフリクトが引き起こす問題全般に関する啓蒙書といってもいいだろう.副題は「The Hidden Roots of Sexual Deception, Harrassment, and Assault」.
 

導入

 
冒頭で本書が「性的コンフリクトの隠された起源」についてのものであることを宣言したあと,進化心理学的なとらえ方についていくつかの(初歩的な)注意点がおかれている.(予期される一部の社会科学者やフェミニストたちからの批判に備えるという趣旨もあるようだ) 

  • ヒトの性的コンフリクトを男性のグループと女性のグループの間に生じるものものと考えるのは適切ではない.このコンフリクトは個人としての男性と個人としての女性の間でその採る戦略が互いに干渉することから生じるのだ.
  • 生物学的な性は配偶子の大小で定義される.これは「ジェンダー」という用語に含まれるさまざまな文化的社会的アイデンティティ的意味を持つ区別とは異なる.
  • 配偶子の大小は繁殖生理学的な性差を生み,それは繁殖心理上の性差を生む淘汰圧となる.その心理的な性差は配偶の動機,そして性的魅惑,性的欲望,性的興奮,性的嫌悪,嫉妬,愛などの感情に現れる.さらにそれは性的ファンタジーや異性の性的意図の推測などの思考プロセスにも現れる.これらが性的コンフリクトを読み解く鍵となるのだ.
  • そしてそれぞれの性の中で大きな個人差がある.本書でのさまざまな解説には「平均して」という修飾語を補って読んで欲しい.
  • 進化的な考察を行うことにより,さまざまな性的逸脱がどのような社会的環境で生じやすくなるか,どのようなパーソナリティを持つ男性が性的逸脱を起こしやすいかを予測することができる.この社会的環境には,法,文化規範,結婚制度,(その個人が持つ)同盟関係,(そのグループ内で追求されている)配偶戦略,利用可能な防衛戦術,(そのグループ内での)性比などが含まれる.
  • 本書で考察対象になっているのはほとんど異性愛の男性と女性だ.もちろんそうでない人々もさまざまな性的コンフリクトに巻き込まれる.しかしそれらについてのリサーチは不足しているのが現状だ.

 
そして最後にこうコメントされている.

  • セクシャリティはほとんどの人にとって個人的な事柄だ.本書の内容の一部は多くの人にとって不穏なものだろう.私にとってもそうだ.そこには性的な騙し,ハラスメント,レイプ,DV,そして殺人が含まれている.これらの被害にあった人,被害を避けたいと思っている人にとって本書が役立つことを,そして被害者により大きな理解と援助が得られることを願っている.

 

第1章 性の戦い

 
第1章はヒトにおける性的コンフリクトの概説となっている.
 

  • 「性の戦い:The Battle of Sexes」は#MeToo運動,インセル*1の怒り,有害な男らしさ*2,マノスフィア*3などにより最近の流行だ.しかしこの起源は13億年前の有性生殖の開始にさかのぼる.
  • 社会学者たちはこの戦いを説明するのに苦労している.要因としてよく指摘されるのは家父長制,権力を握った男性たちによる女性の蔑視や排斥だ.マノスフィアのブロガーたちは女性たちが高い地位の男性を得るために低い地位の男性を踏みつけにすると非難する.
  • これらの説明にも聞くべき点はある.しかし説明の深さが足りない.彼らは古くからある性コンフリクトが私たちの繁殖心理に与えている影響,それが現代社会でミスファイアしているということに思いが至らないのだ.

 
ここからバスはオスがメスに婚姻贈呈を行うクモを例にとって,オス,メスの配偶戦略,その多型性,戦略間の干渉と共進化という行動生態学的な解説を行っている.そして男性の配偶戦略と女性の配偶戦略がそれぞれ目指す最適点が異なる場合,その中間領域では基本的にコンフリクトが発生すること,それぞれが異なる最適点を目指す変数は多数あること*4が説明されている.
 
ここからいくつかのトピックが取り上げられている.
 
<女性の対象物化>
最初に女性の身体をめぐるバトルが解説される.

  • 子育てへの投資量が異なるので女性の身体は男性にとっての価値ある繁殖リソースになる.この意味でフェミニストが「男性は女性をモノ扱いする」と主張するのは正しいが,なぜそうするのかが問われるべきだ.
  • このような女性の身体の価値が高年齢の男性の権力と結びついた興味深い例にティウィ族の配偶習慣がある.そこでは女性の身体が基軸通貨として機能しているのだ.(詳しい解説がある)
  • ティウィ文化はアウトライアーではあるが,女性の繁殖リソースの貴重さ,それが男性間に強いコンフリクトを生じさせること,女性獲得の鍵は地位であること,他人の妻を寝取ることは夫に対する窃盗と理解されることなどの要素は通文化的な特徴に一致している.

 
<コスト>
次はコンフリクトのコスト.

  • 女性がモノ化されると彼女の脳と身体は男性による操作の対象となってしまう.そのような操作を含む有害な結果を避けようとすることにもコストがかかる.男性もコンフリクトにより時間,努力,エネルギー,機会コストを失う.つまりコンフリクト自体には男性にとっても女性にとっても適応的なメリットはない,

 
<現代環境とのミスマッチと文化進化>
ヒトの適応形質にはしばしば現代環境とのミスマッチが見られる.バスは男性の嫉妬を例にとっている.

  • 男性の嫉妬は父性の不確実性に対応するための適応形質と考えられる.これは文化的には貞操帯や陰核切除などの有害な慣習を生んでいる.
  • 現代ではピルによる避妊が容易になり,父性はDNAで容易にテストできるようになったが,男性の嫉妬心理はなくなっていない.これは一種のミスマッチになる.さらにこの心理はデートレイプドラッグなどの新しい技術と共進化してコンフリクト状況を悪化させている.

 
<勝敗はどう決まるか> 
このバトルの勝敗はどう決まるか.バスはそれはさまざまな条件によるのだとして,男性が女性にどれだけ近接し続けられるか,サイズと強さの差,数の力(女性が同盟相手をどれだけ持っているか),バックアップの配偶候補を持っているかなどで決まると説明している.
 
<ダークトライアド(悪の3性質)>
ここまでの議論はヒトの一般的な性質にかかるものだが,ヒトには男性も女性もどのような配偶戦略をとるかも含めて個人差がある.一部の社会学者は男性はすべて女性を搾取すると主張するが,そんなことはない.そして特に女性をハラスしたり搾取したりしやすい男性の特徴が知られているとバスは指摘する.それはナルシシズム,マキアベリニズム,そしてサイコパスだ.これについては章をあらためて解説があることが予告されている.
 

第2章 配偶市場

 
第2章は男性と女性がそれぞれ配偶相手を求める出会いの場(配偶市場)をめぐるさまざまなコンフリクトを扱う.
 
<多様性に対する欲望>
男性の方が女性よりセックスの相手の多様性を求める傾向があるというのはよく知られている.

  • 男性の多様性への好みは(オンラインサイトのデータも含む)実証的な知見から頑健に観測されたユニバーサルだ.ゲイの男性とレズビアンの女性も同じであり,売春や浮気の様相もかなり説明できる.

 
<性的市場における魅力の食い違い>
配偶相手の魅力は当然ながら個人によって異なる.バスはこれがさまざまな騒ぎのもとになっていると説明している.

  • 男性はより自信過剰で(市場的にマッチングできるより)より魅力ある女性を求める.また女性はより選り好む.これらにより基本的に市場は女性優位になる.一部の男性は騙しのサイン(特に短期的な興味しかないのに長期的配偶戦略をとっているように装う)を用いることになる.

 
<性的裏切り>

  • 基本的に男性はより良い配偶を求めて健康などの質を高めリソースや地位を目指すことになる.しかし一部の男性はそのサインをフェイクする.最近のオンラインマッチングサイトはそのフェイクを容易にしている.フェイクには高級車と一緒に写ったセルフィーを使うことから結婚をにおわせてセックスと行うと消えてしまう(ゴースティング)ようなものまである.このような男性はしばしば自己欺瞞に陥っていることがある.また一部には同じような騙し戦略(キャットフィッシング)を使う女性も存在する.

バスはどのようなうそをつくかの性差(たとえば男性は身長を,女性は体重をごまかす),防衛戦略の文化的共進化なども語っている.
 
<性的関心の過大知覚と過少知覚>

  • 相手の自分への性的関心の知覚に大きな性差があることが知られている.これを受け入れることにはイデオロギー的抵抗がしばしば見られるが,科学的には非常に頑健な知見だ.
  • 男性は性的意図過大知覚バイアスを持つ.男性は,そんなことを考えてもいない女性が自分に性的意図を持っていると思い込みやすい.これはナルシシズム的傾向を持つ男性,短期配偶戦略をとりがちな男性で特に顕著になる.女性はその逆のバイアスを持つ.(いくつかのリサーチの詳細が紹介されている)

バスは進化的新規環境である現代のオフィスではこれはセクハラの大きな要因だとコメントしている.
 
<男性はどのような女性が性的搾取しやすいと知覚するか>
バスは坂口のリサーチを紹介し,性的搾取を試みる男性は搾取が容易と思われる被害者を選ぶこと,ゆっくりぎこちなく歩く女性,神経症傾向の高い女性,外向性傾向の低い女性,シャイな女性が狙われやすいことを解説している.また魅力的な女性は(搾取容易性ではなく)配偶のリターンが高いためにやはり狙われやすいともコメントしている.
 
<性的脆弱性の心理学>
つづいて性的搾取に対する脆弱性を掘り下げたバス自身のリサーチが紹介される.

  • 私たちは自信のなさ,だまされやすさ,低認知能力,性的奔放さ,高リスクテイク傾向などの心理的キュー,疲労,薬物摂取などの一時的認知能力低下キュー,孤独,連れ合いがいないなどの社会的キュー,低身長,筋肉の少なさ,歩く速度などの身体的キューを総合的に調べた.具体的には男性にさまざまなプロフィールの女性の写真を見せ,脆弱性,性的魅力,長期的配偶相手としての魅力をアンケートした.結果は以下の通りだ.
  • 男性にとっての性的魅力と長期的配偶相手としての魅力は全く別であり,弱く逆相関する.たとえば頭のいい女性は配偶相手としては望ましいが,性的魅力は低い.これは頭のいい女性は誘惑して騙してセックスに持ち込むことが難しいと感じられるからだ.
  • 男性は若くて未熟な女性は性的に搾取しやすいと知覚し性的な魅力を感じるが,長期的な配偶相手としての魅力はそれほど感じない.また酔っている女性,眠そうな女性は性的に搾取しやすいと感じる.
  • 別の脆弱性のキューは露出が多かったり体型があらわになるような服装だ*5.なぜなのかはよくわかっていないが,性的な興奮が男性に女性を搾取するように傾けるからかもしれない.
  • 女性の脆弱性がより利用されやすいのは,男性が短期的配偶戦略をとっているとき,そして男性の調和性パーソナリティ傾向が低い場合だ.共感の欠如が大きく影響する.これについてはダークトライアドの男性はそうしやすいというリサーチがある.

バスは現代の大学キャンパスは(進化環境には存在した)女性を守る同盟者や親族が不在であり,飲酒の機会も多く,いろいろな意味で女子学生にとって危険だとコメントしている.
バスはさらに短期的配偶戦略をとる女性にとっては脆弱性のシグナルを送ることが有利になるとも指摘している.男性からリソースを引き出すにも脆弱性シグナルは有効になる.ただし,望まない男性につきまとわれるリスク,その男性を払いのけて怒りを呼び復讐されるリスクもあるとコメントしている.
 
<バッドボーイパラドクス>
一部の女性はダークトライアドの男性に魅力を感じる.バスはこれについて,このような男性は社会的に魅力的なこと,自信と地位のシグナルを放射していること,おしゃれでスタイリッシュなこと,ボディランゲージに長けていることが多いことから説明できるとしている.

  • ダークトライアド男性に惹かれる女性側にはどのようなメリットとコストがあるのか.メリットとしてはリソースの提供,他の男性からの防御,セクシーサン的な遺伝的資質が,コストとしては名声のダメージ,身体的ダメージ,捨てられるリスクが想定できる.
  • ダークトライアド男性側はセックスの後で女性にしがみつかれることを避けようとする.このための戦術としては女性を自分の社会的ネットワークに入れないようにし,親密さを最少に保ち,他の女性との関係をにおわせる.彼等はゴースティングのマスターなのだ.

 
<ダークトライアドの女性>
性的搾取を行うのは(男性の場合が多いが)男性だけではない.サイコパス傾向には性差がある(男性の方が多い)が,ナルシシズムとマキアベリニズム傾向にはあまり性差がない.そしてダークトライアド傾向の高い女性は性的騙しのアーティストになるとバスは指摘する.彼女たちはリソースを得るためにセックスを使う.衣服や金をもらえる男性とのみ関係を続け,オーガズムを感じたふりをし,過去の自分の性的経験を過少に申告する.また彼女たちはすでにパートナーのある男性を横取りすることに長けている.
 

第3章 配偶内の争い

コンフリクトはいったん長期的配偶関係に入った後も続く.第3章は長期的配偶相手(パートナー)とのコンフリクトを扱う.
 
<調和のある配偶関係についての進化的レシピ>
バスはヒトの長期的配偶関係がうまくいくためのレシピを紹介する.それはモノガミー,(二人の間の)子どもの存在,継子の不在,別れる可能性がゼロであること,過去のとのややこしい接触がないこと,死ぬときも一緒(片方が残ると新しいパートナーと既存の子どもの間にコンフリクトが生じるという意味)だ.しかしこれらがすべて満たされ続けることは稀だ.また病気やけが,昇進や降格などにより配偶市場での価値がパートナー間で食い違ってくることはコンフリクトの要因となる.
 
<保険>
配偶関係が壊れるリスクは常にある.バスは印象的な逸話を紹介しつつ,男性も女性も(現在幸せであっても)パートナーのバックアップを作るような心理が進化的に形作られている(そしてバックアップ作りはしばしば無意識的に行われる)と主張する.そしてそれは,何かあったときの代替パートナー,心理的なサポート,リソースや保護の提供などの機能があり,バックアップが失われると人々はしばしば大きく落ち込むと指摘している.
 
<なぜ浮気をするのか>
浮気は最も大きな離婚要因だ.男性が浮気をする理由は(直接的に適応度が上がりそうだという意味で)わかりやすい.女性がなぜ浮気をするのかについて,これまでの通説は「よい遺伝子仮説」に沿うものだった.バスはより強い説明があると主張する.それは浮気は女性のよりよいパートナーへの乗り換えを容易にするという「メイトスイッチング仮説」だ.

  • ヒトは長期的配偶関係を求めるが,その中でよい相手の保持,よりよい相手への乗り換えを求める心理が進化したはずだ.特に乗り換えは自分と相手の相対的配偶価値が変動したときに重要になる.だから女性は自分とパートナーの配偶価値を常に評価し,代替的パートナーを常に探す.そして自分の相対的配偶価値が上がり,乗り換え候補が見つかれば,浮気をし,今の相手との別れを図る.

バスは,傍証として,非常に大きなリスクがありながら多くの女性が浮気をすること,浮気を始める女性は今の関係に不満をもっている傾向があること,女性の方が浮気の際に感情的に入れ込みやすいことを挙げている.
 
<リソース不貞と性的コンフリクト>
バスはパートナーがいる男性がパートナー以外の女性にリソース(金など)を流す行為を「リソース不貞(resource infidelity)」と呼び,アチェ族の男性が狩猟で得た肉を共同体メンバーに平等に渡しているように見せて,取り分けていた肉を不倫相手にこっそり渡していることがわかったという例を挙げている.

  • リソース不貞は現代的には男性が自分の財産状況を不透明にする(秘密の銀行口座など)形で現れ,広範囲に観察され,財産状況をめぐる争いはしばしば離婚に発展する.このコンフリクトは基本的にはパイをどう切り分けるかという話であり,自分の配偶価値を上げる消費のパターンの性差(男性は地位財に女性はファッションに)と関連する.
  • 男性の地位財への消費は典型的な地位や財産に関するハンディキャップシグナルで,女性のファッション,化粧,整形などへの消費は外見的な魅力の強化という機能がある*6.そしてこれらの消費はパートナー間での配偶価値の不均衡を生む原因になる.
  • 男性の地位財への消費は基本的に短期的配偶関係において有利になるものであり,女性はそういう意図を敏感に察知する.これに対して女性は,パートナーに性的満足を与える,自分をより魅力的に見せる(パートナーにシグナルを送るだけでなくライバル女性にも自分が大きく投資されているということをアピールできる.これが女性のファッション消費の一要因でもある)などの対抗策をとることがある.

 
<配偶関係内のコンフリクト源としての性的二重基準>
現代の北欧のような性的な平等が推し進められている社会でも不倫をめぐる二重基準(男性の浮気には寛容で,女性の浮気には不寛容)が存在する.バスはこの二重基準は論理的に一貫していないが,男性心理的には,性的相手の多様性への欲望,性的嫉妬の観点からある意味一貫しているのだと説明している.ここでバスは,「オーラルセックスをセックスと見做すかどうか(セックスの定義)」についてのアンケート調査の結果(男女とも自分の行為の場合とパートナーの行為の場合で二重基準になる)から,これは男女の間の二重基準というより,自己と他者の間の二重基準に近いとコメントしていて面白い.またここでは男性が不貞をセックスにからむものととらえ,女性が感情にからむものととらえるという有名な性差についても解説がされている.
 
<セックスへの同意と拒否>
かつては結婚した男性は妻への性的アクセスについて財産権的権利を持っている捉えられていた.このような慣習や法律は男性たちによって作られたもので,男性心理の反映だとバスは指摘している.近年のジェンダーの平等性に向かう文化的なシフトは婚姻関係にある女性に夫とのセックスについて同意も拒否もできるという権利を認めるようになった.バスはこれは女性に重要な力を与えたと評している.

  • 一部の女性はセックスへの同意を報酬として,セックスの拒否を罰として使う.この手法は(ときに裏目に出るが)うまく使えば効く.それはセックスへの欲望についての性差があるからだ.
  • 片方で一部の男性は妻とのセックスへの欲望が低くなりセックスレスになる.これは妻の配偶価値の評価と受け取られやすく,しばしば離婚の要因となる.

 

第4章 コンフリクトへの対処

このようなコンフリクトは進化環境を通じて生じていたので,これへの対処を行う心理的適応も進化している.第4章では対処戦略が扱われる.
 
<最も危険な感情>

  • 多くの科学者は嫉妬を基本的感情と認めない.それは特有の顔の表情がないからだ.しかし表情はその感情を伝えることにメリットがあれば進化するが,そうでなければ表情なしの感情が進化してもおかしくない.そして嫉妬はそのような相手にシグナルを送らないタイプの適応的な感情だ.
  • 嫉妬はリスク(パートナーの浮気,配偶価値の食い違いなど)に応じて起動し,配偶者の防衛や自分の配偶価値の上昇などの行動に向けた動機をつくりだすことが機能になる.

ここで嫉妬の対象事象についての有名な性差(男性はセックスに,女性は感情に)が解説される.

  • 最初にこの性差のリサーチが発表された時には,これはWEIRDサンプルだと批判された.しかしその後大規模な通文化的リサーチで性差の存在の頑健性が示されている.
  • 通文化リサーチは,伝統的な社会の女性は先進国の女性よりパートナーのセックスについての嫉妬が大きいこと,男性が子育てに大きく投資する文化において男性のパートナーのセックスについての嫉妬が大きいことを発見した.また,男性はライバルが自分より昇進したり金持ちであるときにより嫉妬し,女性はライバルが魅力的なときにより嫉妬する.(バスはこれらの性差についての進化心理的な解説を行っている.)

 
<見張り,情報収集,配偶者防衛> 
嫉妬にかられると,まず相手を見張り,情報収集し,相手を防衛しようとする.具体的には相手がいつどこに行くのかを調べ,突然呼び出したりして牽制する.バスはこのような行動に現れる性差についても詳しく解説している.

  • たとえば男性は,パートナーが若くて魅力的であるほど警戒防衛行動レベルが上がる.しばしばパートナーを自分の所有物のように表現し,周りに公言する.女性はパートナーの収入が高いほど警戒防衛行動レベルが上がる.防衛行動には自分の身体的魅力を上げることや,よりパートナーに服従的に振る舞うことなどが含まれる.
  • ダークトライアド男性は警戒防衛行動レベルが高い.パートナーの行動を細かくチェックし,自分以外の男性の気を引く行動を厳しく罰し,怒ったふりをしたりパートナーに罪悪感を抱かせるように振るまい彼女を感情的に操作しようとする.

 
<女性の抵抗>
一部の男性は王子様のように現れ,暴力的な束縛者に変身する.バスは男性のハイパーコントローリングな配偶者防衛戦略に対抗するための女性側の戦術を6つ解説している.

  1. 隠蔽:自分の行動情報,特に他の男性との接触記録を隠す
  2. 公開の場での愛情表現を避ける:人目のあるところでのキスなどを拒む(男性の所有ディスプレイの妨害)
  3. パートナーの(潜在的ライバル男性への)暴力的行動を咎める:「誰かが自分を見たからといって叫んだり脅したりしないで」
  4. ハイテク隠蔽:スマホ記録の削除,セキュリティの強化など
  5. 接触の回避:接触したくないときにはパートナーからのコールに応答しない,スマホの電源を切るなど
  6. コントロールへの抵抗:束縛されるぐらいなら別れるとほのめかす

最後にバスは女性の配偶者防衛への男性側の対抗戦略については全くリサーチされていないが,似たような戦術がとられているだろうとコメントしている.
 
<配偶価値の食い違いへの対処>
パートナー間で配偶価値が食い違うとさまざまな問題が生じる.高い方は不満を持ち,騙しやトレードアップの誘惑にかられる.低い方はよりパートナーの不貞や騙しに脆弱になり,嫉妬にかられやすくなる.高い方はその嫉妬に対処する必要に迫られる.そこにつけ込んで寝取ろうとする略奪者も現れる.バスはこの食い違いへの対処戦略を解説する.

  • 鍵になるのは自分が与えている価値と相手から与えられている価値の比(WTR)であり,それに応じてパートナーとの間の行動を決める.WTRは時とともに変動するので,それを評価し直し,行動を調整し続けることになる.これは「怒り調節仮説」のコアになる.この仮説の背景には怒りは単なるネガティブな感情ではなく,それを向けた人に自分をより高く評価して欲しいというシグナルを送る行為だという考えがある.ほかの女に色目を使う男性に対する女性の怒りは,相手のWTRが低すぎるという意味なのだ.男性が関係修復するにはWTRを上げることが必要になる.
  • 配偶価値の低い方は「意図的に嫉妬を起こす」戦略(たとえば女性がほかの男性に微笑みかけるのを見せるなど)を用いることがある.これは女性の方が良く用いる戦略になる.これを用いるときには嫉妬による暴力のリスクがあるので,ごまかせるように曖昧なシグナルであることが重要になる.また「許し」(パートナーに修復のチャンスを与えること)も戦略の1つになる.この場合には関係修復に向かう上向きスパイラルが可能になる.

 
<順次配偶による解決>
順次配偶(別れて新しい相手とやり直すことを繰り返す形)もコンフリクトの対処の1方法になる.バスはこのソリューションを採るには認知的リフレーム(ある一人にすべてを求めない,関係が永続すると考えない)が必要だとし,そういう方策のメリット(面倒な相手と別れ新しいスタートを切れる)とデメリット(将来の不確定性の増加,連れ子や収入減などによる再参入する配偶市場での価値低下,うまく別れられず粘着されたりストーキングを受けるリスク)を整理している.
 
<代替不可能性による解決>
パートナーの方が配偶価値が高い場合,パートナーから自分が唯一のかけがえのないパートナーだと認識されることは捨てられるリスクを大きく下げる.バスはこれには,自分の配偶価値を高める,相手の潜在的配偶者プールの質を低めておくという方法もあるが,いずれも簡単ではなく,相手のユニークな欲望を満たす方法を勧めている.そしてこれは配偶者選択の段階から戦略的に行うことができるとコメントしている.
 

第5章 親密なパートナーの暴力

 
第5章からはこのようなコンフリクトの暗黒面が解説される.最初はドメスティックバイオレンスだ.
 
カップルが破局に向かう場合,一部の人間は防衛戦略を警戒から暴力に変更する.バスはこれが非常に広く見られること,国によっては女性を守るような法令がないことにコメントした後にドメスティックバイオレンスを説明する理論の解説を行う.

  • 伝統的な社会学的な説明は,(愛着の不足から来る)病理,(父の振る舞いからの)社会学習,家父長制で説明しようとするものだ.これらの説明の中にも真実のかけらはあるが,深さが足りない.
  • これらの説明はなぜ一部の男性のみが暴力を振るうのか,なぜ家父長制文化がないところにもドメスティックバイオレンスが見られるのか,なぜこの暴力は女性の性的行動のコントロールに集中するのかを説明できない.暴力的な防衛戦略を理解するには進化的視点から配偶者防衛機能を考察すべきだ.

 
<どのように暴力は被害者の心理を乗っ取るのか>
配偶相手は互いにとって貴重なリソースになる.だから進化的には男女とも相手を失わないように膨大な努力を注ぎ込んできただろう.バスは配偶者保持戦略には利益供与型とコスト賦課型があると解説している.

  • 利益供与型は理想的だが,常に可能なわけではない.それが難しい場合にはコスト賦課型が選ばれやすくなる.そして暴力はコスト賦課型の防衛戦略であり,さまざまなリスク(被害者側からの報復,社会的名声,犯罪記録など)を伴うものであり,いわばパートナーを失わないための最後の努力という側面を持つものになる*7.メキシコのリサーチでは男性が低収入であったり,配偶価値が大きく見劣るほど暴力に訴える傾向があることが示されている.

バスはここで男性による暴力的な防衛戦略が被害者女性の心理にどのように影響するかを説明する.

  • 暴力を振るわれると女性の自己評価は低下し,暴力の跡は女性の配偶価値を下げ,恥の感情を抱かせ,自分を責める.そしてこの跡を隠そうとする.そして暴力を振るわれると相手の言いなりになりやすく,これは女性のWTRを上昇させることになる.暴力男はしばしば女性の収入源を断ち社会的に孤立させようとする.これは女性の男性への依存度を高めてしまう.同じく暴力男はしばしば女性の現実知覚を妄想だと思い込ませようとし,女性心理を混乱と不安に追い込む*8.そして暴力男は将来の加害(追加的暴力,財政的困窮,彼女の家族や友人への加害)で女性を脅す.この最も極端なケースでは殺害で脅される.多くの女性がこのようなテクニックによって縛られてしまう.

 
<暴力を振るう男性の動機>

  • 配偶者防衛機能からは,暴力はパートナーが誰かに寝取られそうなときに振るわれやすいと予測され,さまざまなリサーチは浮気のリスクと暴力が相関していることを示している.
  • 最も困惑させられる発見は女性が妊娠したときに暴力が振るわれやすくなるというものだ.これは男性がその子どもの父親が別の男ではないかと疑うことや,現在の状況で子育てに投資したくないことから胎児を堕胎させる機能を持つからなのだろうか? 決定的な証拠はないが,暴力を振るわれると流産しやすくなること,しばしば下腹部を殴打されることが報告されている.
  • 妊娠以外の大きなリスク要因が継子の存在になる.継子は配偶関係において適応度上のコスト*9となる.
  • カナダのデータでは継子の存在はパートナーの暴力を受けてシェルターに逃げ込む確率を5倍にすると報告されている.継子自体も暴力の対象になりやすい.*10
  • 配偶価値の食い違いも大きなリスク要因となる.高い方は浮気や相手を捨てようとする確率が高くなるからだ.この場合の暴力は浮気の抑止,配偶価値の食い違いに気づかせないという機能を持つ.さらに別れの回避や戻ってくることの強制などに効果がある場合もある.
  • 大変不幸なことにこのような暴力が時に配偶者防衛として機能する.また最近のCOVID19パンデミックによるロックダウン等の措置はドメスティックバイオレンスを増加させている.

バスは最後にこの問題については文化的社会的法的な保護が必要だとコメントしている.
 
<どのような男性が虐待し,どのような女性が暴力を振るわれやすいのか>
すべての男性が上記のようなリスク環境でパートナーを虐待するわけではない.ではどのような男性が暴力を振るいやすいのだろうか.

  • これはリサーチによって明らかになっており,それはダークトライアド(ナルシシズム,マキアベリニズム,サイコパス)の男性だ.この中で最も強い予測因子はサイコパスになる.
  • 別のリスク要因は境界性パーソナリティ障害だ.彼等は捨てられることに恐怖し,情緒不安定で,しばしば怒りを爆発させ,特にパートナーに対して暴力を振るいやすくなる.
  • ではどのような女性がこの被害に遭いやすいのか.進化心学理的には配偶価値の高い女性,つまり若くて魅力的な女性と予測され,それは実際のリサーチで裏付けられている.女性への強制的なコントロール手法(ヴェール,貞操帯,纏足,(修道院などのへの)監禁,侍女による見張り,女児割礼など)は多くの文化に見られるが,対象者は基本的に若くて繁殖力のある女性になっている.

 
<女性の虐待対抗戦略>

  • 女性側から見た虐待に対する最も有効な防衛は血縁男性の援助になる.また女性の同盟者(親しい友人など)も重要だ.
  • もう1つの重要な防衛は暴力による対抗だ.家父長制を原因とするイデオロギーを信奉する社会学者たちに無視されているが,実はパートナー間の暴力には女性によるものもかなりある.そしてそれは正当防衛や将来の暴力(子どもへのものも含む)への抑止として行使されているとして解釈可能になる.身体的な強さにはハンディがあるが,刃物や銃はそれを無効化しているという指摘もある.

バスは女性のパートナー暴力の多くのものが正当防衛的なものであることは疑いないが,一部には男性のそれと同じような強制的な配偶者防衛もあるのではないかという推測を最後においている.
 

第6章 破局のあとのストーキング,復讐

 
第6章では防衛むなしくパートナーに逃げられた男性が引き起こす厄災を扱う.

  • ストーキングは行為的には通常の男女関係で見られるものであるが,しばしば同意なく繰り返され被害を与える.定義においては被害者の心理的状態が決定的に重要になる.なぜストーカーはストーキングをするのだろうか.進化的に考える場合には,それが配偶者獲得や引き止めに有効な場合があるのかが重要になる.

 
<ストーキングの性差>

  • ストーキングの行いやすさには明確な性差がある.ストーカーに閉める男女の割合は大体4:1だ.この性差の一部は定義に「恐怖を感じる」が含まれることによるが,基本的に男性がストーカーになりやすいことに疑いはない.ここでは男性のストーキングを扱う.

 
<ストーキング被害者の身体的感情的負荷>

  • ストーキング被害者が経験するのは,不安,怒り,いらだち,ストレス,不眠などの症状だ.またしばしば転居や転職を余儀なくされ経済的な打撃や社会的な孤立も生じる.ストーキングにはしばしば将来の暴力などの脅しが含まれ,脅しが実行されることもある.最悪の場合にはそれは殺害に至る*11.それはきわめて重大な犯罪なのだ.

 
<なぜ捨てられた男性はストーキングするのか>

  • 伝統的な社会学はストーキングについても愛着の不足による病理,心理的障害を持ち出す.確かに幼少期の愛着不足,不安,鬱とストーキングに相関があるという報告がある.しかし(特に不安や鬱は)相関は弱く,効果量は大きくない.
  • ここで興味深いのは,ストーカー本人は多くの場合自分の行為をストーキングだという認識がなく,単なる愛情表現だと考えている点だ.被害者の拒絶は彼等に課せられたテストだと認識し,それにパスするためと考えて粘着する者も多い.
  • ストーカーの動機はさまざまだ.復讐や攻撃準備のためという場合もある.しかし多くの動機は配偶と関連している.そして破局が迫っているか破局の直後にそのパートナーにストーキングするケースが最も多く,彼等は「拒否されたストーカー」と呼ばれる.
  • ストーキングは相手の時間を独占し,ほかの相手との接触を減らせるので,配偶者防衛として機能する可能性があるが,多くの場合は失敗する.「拒否されたストーカー」は怒りと屈辱を感じ,しばしば執拗なストーキングを行う.これは配偶者を取り戻そうとする最後の試みであり,しばしば自暴自棄で自殺的であったり深刻な脅しを伴い,不幸なことに稀に成功する.

バスは現代環境ではストーキングはストーカーにとってもコストが大きすぎるが,進化環境では適応的に機能した可能性があると示唆している.
 
<ストーキングはどのように機能するか>

  • ストーキングが配偶者の取り戻しに成功する場合は,被害者の時間を奪い,心理的に疲弊させ,社会的に孤立させているケースが多い.
  • さらにストーキングは心理学者のいう「負の強化的随伴性」をセットアップする.ストーカーは何らかの要求が受け入れられたらストーキングを緩めることで被害者に報酬を与えることができる.そして要求が受け入れられなくなるとストーキングを激しくする.この繰り返しはストーカーに成功体験を与え,被害者は最悪の事態を避けるために要求に従うほかなくなるのだ.

 
<リベンジポルノ>

  • 被害者に拒否されると一部のストーカーはよりを戻すためにリベンジポルノ戦略をとる.セックスに応じないと恥ずかしい写真を公開するぞと脅し,それでも拒否されると脅しを実行し,被害者にダメージを与える.そして不幸なことに,この戦略は成功することがある.

バスは実例も挙げながら,リベンジポルノが被害者女性の人生をいかに悲惨なものにするかを描いている.彼女たちは不安,鬱,自殺願望,PTSDに追い込まれ,さらに他の男性からのストーキングを引き寄せる場合もあるし,周りの女性たちから疎外されることもある.バスはこのような被害は女性の性的な名声という観点から考えると理解できるとしている.
 
<ストーキングへの対処と防衛>
バスは進化心理学的知見も背景にして,被害者女性にストーキングへの対処を具体的にアドバイスしている.

  1. 社会的サポートを得よう.特に友人と家族に頼ろう.それはストーカーに被害者が孤立していないことを知らせ,法的措置を行うための証人にもなってくれる.
  2. ストーカーとのコンタクトをシャットアウトしよう.コンタクト自体がストーカーへの報酬になってしまう.電話やメールに応答しない,ギフトがあっても返送しないことが大切だ.
  3. 防衛しよう.緊急コールがすぐ送れるようにしておこう.家の戸締まりはしっかりと.
  4. ストーカーの行動を記録しよう.ストーキングは犯罪だ.記録はその証拠になる.
  5. ソーシャルメディアへの露出は最小限にしよう.多くのストーカーはサイバーストーキングを行う.彼等はフェイスブックやインスタグラムでのあなたの行動をチェックしているのだ.
  6. 警察に通報しよう.ストーキングを軽く考えてはいけない.特に相手が「拒否されたストーカー」の場合はそうだ.証拠があれば警察は動けるし,それがストーキングの抑止になることもある.最悪のストーカーは収監でしか止められないこともある.
  7. もし命の危険を感じたら,名前や住所やアイデンティティを変えることを躊躇してはいけない.ごく一部だが被害者を殺害するストーカーも存在する.

  

第7章 性的強制

 
相手の同意ない性的強制には痴漢,セクハラ,レイプ,性的人身売買,性的奴隷などが含まれる.バスはこれらの深刻さが認識されるようになったのは最近だとコメントし,これまでのリサーチは文化的社会的環境的アプローチに偏っているので,ここで進化的視点からの分析も加えるとしている.
 
<進化的視点は役に立つか>
バスはこの問題は大きく感情を揺さぶるものなので,いくつか最初に断っておきたいとし,進化的に分析することは,性的強制が生物学的に不可避であると見るものではないこと,ある行動傾向があることとその善悪は別であること,特に進化的に説明できることがその行為を正当化するものではないことを指摘している.このあたりはいつも苦労しているところなのだろう.
 
<望まれていない性的注目>
最初に男性が魅力的な女性に注目してしまう傾向,彼女を潜在的性的パートナーとして見てしまう(そして相手も自分に気があると思い込みやすい)傾向が取り上げられる.

  • 魅力的な女性を見ることは男性の脳内の報酬回路を刺激するのだ.そのような関係を望まない(そして職場などにおける社会的人間関係を壊したくない)女性はしばしばやんわりと否定するが,それは逆効果になることがある.男性は実は気があると誤解してアプローチを続け,そして最終的に拒絶されると復讐モードにはいることがある.

 
<セクハラと進化的ミスマッチ>
バスはまず進化環境と現代環境のミスマッチからセクハラを解説する.

  • 進化環境である狩猟採集社会では男女の役割は分業化されていた.男性はより危険な仕事,狩猟や戦争に従事し,女性は集団内の女性たちと連携して子育てをおこなった.この女性たちの共同子育て,社会ネットワークと協力の維持の重要性は最近理解されはじめてきたものだ.
  • 現代環境はこれと大きく異なっている.多くの仕事場では男女が混在しており,大学や出版,報道,映画ビジネスにおいては多くの若い女性がシニアの男性と一緒にいる.これは全く進化的な新奇環境であり,男性はその気のない女性に魅力を感じてしまう.多くの男性はその中で何とかやっているが,一部の男性がセクハラを繰り返すことになる.
  • セクハラには(仕事上の便宜をはまる見返りに性的関係を強要する)取引的なものと,まったくその気のない女性に性的接触を含むアプローチを繰り返す性的粘着的なものがある.
  • 進化環境では女性には血縁者や連携している女性たちがそばにいたが,現代の職場では女性は孤立しがちでセクハラにうまく対処できないことが多い.女性は職場のセクハラに対しても人間関係の配慮や報復の懸念からソフトな拒絶を行うことが多いが,しばしばセクハラの継続につながってしまう.

 
ここから進化心理学的なセクハラの解説になる.

  • セクハラの背後にある男性の動機には,短期的セックス,長期的パートナーを見つける,権力の維持などが混在している.多くの社会学的な取り組みは動機を単一のものとするが,これはナイーブだ.もちろん権力や家父長制も構図の中にある.権力を持っていた男性はセクハラがしやすいような職場の慣行やルールの形成にかかわってきた.そして進化心理的には権力は性的な成功を目指すための1つの手段であり,セックスと権力は心理の中でリンクしている.フェミニストはしばしば男性の権力志向がセクハラの原因だとするが,進化的に考えると因果は逆向きなのだ.ただしこのリンクの強さには大きな個人差があり,それが一部の男性のみがセクハラを繰り返す大きな理由になる.
  • 女性の方がセクハラに強く苦悩し,男性が若い独身の女性を狙う傾向にあることは進化心理学的な予測と一致する.女性は同じような行動でも(セクハラと認知すると)より侮辱されたと感じ,(感知された)男性の意図が性的かロマンティックかによって感じ方が変わる.
  • どのような男性がセクハラを行うのか.1つの要素は短期配偶戦略への傾きであり,もう1つの要素は不正直で操作的なパーソナリティ,特にダークトライアドだ.

 
<ストレンジャーレイプから知り合いによるレイプまで>
バスはメスに麻酔効果のあるケミカルを打ち込んで交尾するオスのタナグモの話をしてからレイプを論じる.

  • リサーチによると女性の90%以上は見知らぬ他人からレイプされて殺されることを恐れ,知人からレイプされることをあまり恐れていない.これはレイプの実際(ストレンジャーレイプの被害者が殺されることはきわめて稀,全体的には知人のレイプの方が多い)とは合わない.
  • これもおそらく進化環境と現代環境のミスマッチの結果だろう.進化環境では近隣の他グループの男達の襲撃のリスクが大きく,女性の血縁者がしばしばそばにいて知人レイプの可能性が低く,そして大学のクラスメートやアプリで不特定多数の中から知り合うような男性知人はいなかったし,飲酒を伴うパーティもなかったのだ.
  • そしてもう1つの説明としては,ストレンジャーレイプの方が女性に与えるダメージが重大なので,より防衛し,その結果被害が少ないということもあるだろう.

 
<レイプが代替的適応戦略なのかという論争>
ここでバスはソーンヒルとパーマーの「人はなぜレイプするのか」における議論を扱う.そこでソーンヒルは男性には適応的な条件付き戦略としてのレイプ心理があると主張し,パーマーはさまざまな進化した男性配偶心理の副産物だと主張している.ソーンヒルの主張する適応メカニズムは「相手の脆弱性評価,自分の状況(通常の配偶努力でうまくやれるか)の評価,相手の繁殖性評価,性的興奮,精子競争リスクがあるときのパートナーレイプ」などになる.バスはこれらの証拠とされているデータを詳しく吟味し,適応的心理とはいえないのではないかとし,副産物仮説を支持している.
 
<すべての男性は潜在的レイピストか>
ここでバスはフェミニストであるスーザン・ブラウンミラーによる「レイプとはすべての男性がすべての女性に対して行う意識的に畏怖を与えようとするものだ」という主張(特にすべての男性が潜在的レイピストだという部分)を取り上げている.

  • アンケート調査ではごく一部の男性しか「絶対に捕まらないならレイプをするかもしれない」にチェックを付けない.もっともこのような倫理的な内容については正直に答えることは期待できないと考えるべきだ.
  • より参考になるのは戦争時の行動だろう.正確な統計はないが,レイプの頻度は社会規範や将軍たちの意向などの要因によって大きく変化する.(最近の最も悲惨な例としてルワンダ内戦の事例が説明されている)
  • もう一つの証拠候補は男性のファンタジーの調査だ.リサーチはあまりないが,あるリサーチではレイプ的なファンタジーを妄想したことがあると答えた男性の比率は33%だった(浮気の妄想だと84%,獣姦の妄想は5%だそうだ).ただしレイプという言葉を「セックスを強制する」などに変えると比率は50~60%に上昇する.片方で90%の男性が「レイプをする男性について全く理解できない」と回答する.これについては「多くの男性は妄想を楽しむがそのうち一部の男性しか実行しない」「男性は自分のレイプと他人のレイプについて二重基準を使う」「強制的セックスをレイプと認識していない」などのいくつかの解釈が可能だ.
  • これらをクリアするための最も有用なリサーチはレイプという言葉を避けて自分の経験「過去に身体的な力や脅しを使って同意のない女性とセックスしたことがあるか」を問うものだろう.これにチェックを入れたのは6.4%で,このうち2/3は常習的なレイピストだった.そしてさまざまな文化圏の同様なリサーチによると多くの場合5~12%程度の男性のみがこれを是認する.
  • 要するにほとんどの男性は行動のレベルではレイピストではない.しかし一部の男性はレイピストだということになる.

 
<最もレイプしやすい男性の心理的特徴>
ではどのような男性がレイピストなのか.ここでも登場するのはダークトライアドだ.こういう特性を持つ男性はしばしばレイプを繰り返す.バスは共感性,敵意,ナルシシズム,短期的配偶戦略などの要素を細かく解説している.
 
<夫婦間レイプ,パートナーレイプ>
夫婦間のレイプはアメリカでは1970年代まで犯罪ではなかった.80年代以降各州で犯罪化が進み1993年にはすべての州で夫婦間レイプは犯罪とされるようになった.この流れは多くの国で生じている*12.バスはこれを前置きとしてから夫婦間レイプを解説する.

  • 進化的視点から見ると,夫婦間レイプと,知り合いによるレイプおよびストレンジャーレイプは生じる状況が全く異なっている.夫婦間レイプは夫が妻の浮気を疑うときに最も生じやすい.また夫婦間レイプは破局過程,破局直後に起こりやすい.これはミーリーの配偶者防衛モデル(この中で一部の女性はパートナーを捨てる際に浮気することが組み込まれている)でうまく説明できる.夫は失いたくない妻をなんとかコントロールしようとするのだ.ただし夫婦間レイプは適応と考えるべきではなく,男性の性的アクセスを保持しようとする心理と嫉妬心理を反映していると考えるべきだろう.
  • ほかのレイプと同じように,妻が若い方がより夫婦間レイプのリスクが高い.経済的に夫に依存しているのもリスク要因になる.夫婦間レイプを起こしやすい男性は,ほかのレイプと同じくダークトライアドになる.

 
<性的強制の呪い>
バスは最後にレイプが適応である可能性は低いが,進化した男性心理が大きな要因になっていることは重要だとしてまとめをおいている.

  • 性的強制に関連する男性心理要因としては,若い女性への選好,魅力的な女性への固執,報酬回路,視覚的情報による性的興奮,性的欲望の高さ,性的相手の多様性への好み,短期的配偶戦略,感情的アタッチメントなしのセックスへの欲望,相手の性的意図の過大知覚,心の中のセックスと権力のリンク,特定状況での共感性のショートカット,ダークトライアド,誠実性,暴力に訴える傾向がある.
  • 男女の心の差を示す4つの事実がある.男性は自分に全く気のない女性ともセックスしたい,男性はより多くの女性とセックスをしたい,女性の性的心理が自分のそれと全く異なることを理解できない,より暴力に訴える傾向がある,だ.(これが性的強制の正当化事由にならないことについてここでも注記がある)
  • 重要なことは危険な行動が生じるかどうかはパーソナリティや社会的環境に大きく依存することだ.集団の性比,社会規範,家父長制イデオロギーの強さ,厳格な法律とその執行,警察の感受性,この問題についての大衆の教育水準は性的強制事案の現れ方に大きく影響する.

 

第8章 性的強制に対する防衛

 
レイプを始めとする性的強制は女性に大きなダメージを与える.バスは第8章でこのダメージと女性側の防衛を論じる.
 
<ヒトの歴史における性的強制>
ここでバスはヒトの歴史を通じてレイプが見られることをかなり詳しく例を挙げて解説している.これは(男性のレイプ心理が適応でないとしても)女性の防衛心理が適応であると主張するなら,一部の社会学者による「レイプは最近の文化的現象だ」という議論を否定しておかなければならないからだということのようだ.証拠を合わせて考えると女性は何十万年もレイプに苦しめられてきたことは明白だとしている.
 
<レイプの多すぎる害悪>
バスはここで女性が被る被害について解説している.性的な裏切りや騙しは男女とも行うが,女性の方がはるかに心理的に大きなダメージを受け,それを男性は過小評価する.これはレイプで特に顕著に現れる.このダメージの大きさは進化的には女性の基本的な配偶戦略である配偶者選択を無効にされるからだと説明できる.具体的には身体的な被害,感染症,(その後の援助を受けられない可能性が高い)妊娠,(同意を疑われることによる)現在のパートナーの喪失,それを恐れて被害を隠し心理的に追い込まれる可能性,自己評価の低下,社会的孤立の可能性などの被害も大きい.それぞれ詳しく語られている.
 
<ボディガード仮説>
バスはサラ・メズニックとマーゴ・ウィルソンの唱えたボディガード仮説を解説する.

  • この仮説は女性は(特にリスクが高い場合には)一種の防衛戦略としてボディガードになる強くて社会的地位の高い男性を長期的配偶者として好むだろうというものだ.実際に女性は身長の高さ,社会的地位の高さ,上半身のV型を好む.ただしこれらの特徴を持つ男性からは子育ての上のリソースもより得られるだろう.もう一つの傍証は女性は結婚していると性的強制を受けにくくなるということだ.
  • この他のボディガードには男性の友人,女性の同盟者,血縁者(特に両親)がある.女性は(リスクを感じると)一人になるのを避ける.リアルな世界ではボディガードは役に立つのだ.

 
<恐怖>
女性は男性より犯罪の被害に遭うことを恐れるが,特にレイプを強く恐れる.レイプをのぞくと犯罪への恐れの性差はほとんどなくなる.バスはここで恐怖一般についての進化的説明(危険を避けるのに有用)を行い,この女性のレイプへの恐怖も適応だと論じている.

  • レイプについての恐怖は女性特有で通文化的であり,(レイプの被害に遭いやすい)若い時期に高い.(レイプがなされやすい)夜に恐怖が高まる.また知人がレイプに遭ったり,セクハラを受けていると恐怖が高まる.そして恐怖は一人になることや外出を避けることにより実際にレイプリスクの軽減に機能しているだろう.

バスはここで,実態に合わないように見える恐怖の解釈について,ストレンジャーレイプへの強い恐怖が実際にその被害を防いでいる可能性,レイプされて殺される恐怖はレイピストがしばしば暴力的な脅しを使うことに対してチューニングされている可能性を指摘している.
 
<警戒から麻痺まで>
ここからバスは女性のその他の防衛戦略をまとめて扱っている.
防衛戦略としては警戒,注意深い静止(音などの知覚に注意を向ける),危険な状況(ヤバそうな男性を含む)からの撤退,(リスクが迫った際の)逃走,(逃走後の)避難,(実際に襲われた際の)闘争(噛みつき,パンチ,キックなど)などがある.

  • レイプ犯をなだめて思いとどまらせようとすることはしばしば見られるがほとんど効果がない.
  • レイプから逃れられない状況でしばしば見られる麻痺(tonic immobility 身体がこわばり,時に痙攣し,麻痺したようになること,レイプ誘発麻痺とも呼ばれる)はどう説明されるべきか.一部の論者はレイプの暴行程度を弱める効果がある適応ではないかと主張してるようだが,これはまだわかっていないというべきだ*13

 
<襲われたことの隠蔽>
レイプ(特に知人によるレイプ)は通報されにくい.バスはこの理由は複数あって込み入っていると説明している.

  • 被害女性は自分を責めがちで,周囲からも責められがちになる.通報後の法的な仕組みは被害者のトラウマをもてあそぶようなものになる.特に被害者にとって厳しいのは友人や家族やパートナーに責められることだ.これらのことから被害者はレイプに遭ったことを隠そうとする.この状況はレイプ犯に犯罪を繰り返す誘因を与えてしまう.

 
<PTSD:障害か適応か>

  • レイプ被害に遭うとしばしばPTSDに陥る.症状は戦争時の激しい戦闘経験者のそれに似ている.進化心理的にはPTSDが適応かどうかが問題になる.
  • PTSDが危険の回避,避難につながりうること,極度の恐怖や襲撃されたときの麻痺や社会的な援助がないことがPTSDの予測因子であることからこれは適応的な反応である可能性がある.

またバスは障害と決めつけずに正常な適応的反応だと説明する方が被害者の回復にとってもいいのではないかと指摘している.
 

第9章 セックスギャップに注意

 
最終第9章はどうすればこのような 性的コンフリクトによる問題を緩和できるのかが扱われる.いわば応用進化心理学の試みだ.
まずバスは,このコンフリクトが進化的に古いものであることから,問題解決にはヒトの進化心理への深い理解が不可欠だとし,おそらく私たちは現在(その理解の進展により)歴史上初めて問題解決のツールを手にしているのだと指摘する.そして現在社会文化的にも進歩の兆しがある(#MeToo運動やセクハラのゼロトーラレンスポリシーなどが例にあげられている)とする.

<性的知覚と配偶感情の性差に注意しよう>
バスは解決への基礎には性的心理の大きな性差の認識が必要だと主張する.

  • 男性が女性の自分に対する性的意図を過大知覚することはさまざまなコンフリクトの源であり,男性にも女性にも広く理解されるべきだ.
  • 次に配偶に関する感情の性差の理解が必要になる.特に男性は女性の性的嫌悪感情が理解できていないことが多い(露出写真を送り付ける男性の例が引かれている).この他の感情面の性差(女性側で大きいものでは自分の身体に関する不安,愛とセックスへの結びつき,ナンパされることによる傷つき,男性側で大きいものではセックス相手の多様性への欲望,感情抜きのセックスへの欲望,視覚イメージによる性的興奮,逃したセックス機会への後悔)についても相互に理解されるべきだ.
  • また男性は女性のレイプへの恐怖を過小評価しがちだ.いかに女性が深く傷つくのかについての教育が望まれる.教育にはその被害者が自分の娘や妹や友人だったらどう感じるかという共感作用を利用することが有用だろう.

この節の最後で,バスは,ある個人的な友人の被害例を聞いて,さまざまなリサーチをよく知っていた自分自身でさえそれまで女性の傷つきの程度について過小評価していたことを自覚したと語っている.
 
<法律や政策>
ここでバスは既往の法律や政策の不備を指摘している.

  • ストーキングに関する法律や政策は,被害者の心理的状態について「一般通常人」基準(reasonable person standard)を用いている.しかしこのような考え方のもとでは一般通常男性と一般通常女性の心理が大きく異なるために重大な問題が生じる.多くの被害者は女性であり,女性の方がストーキングにより大きな不安や恐怖を抱く.男性の加害者の弁護士は当然この隙間をつくだろう.法律や政策は通常できるだけ性中立的に記述されるが,この場合は被害者女性の救済の障害になるだろう.
  • これはレイプやセクハラでも同様だ.このような問題を扱う法律は(医療と同じように)男女により扱いを変えるべきだ,

 
<家父長制の打破>
バスはセクハラや性的暴力の大きな要因である「家父長制」について,制度レベル,社会規範と信念レベル,心理的適応レベルの3つのレベルで議論する.まず最初の2つのレベルでは家父長制は弱まる傾向にあることが説明される.

  • 制度レベルの家父長制は制定法に顕著に現れる(アラブ諸国の法律の例,アメリカでも夫婦間レイプが近年まで犯罪でなかった例が引かれている).全体的な傾向として法律レベルでの男性の女性に対するコントロール権は廃止される方向にある.
  • 社会規範的な家父長制も弱くなってきている(#MeToo運動が引かれている).意識は世代間で大きく変わりつつある(最近のキャンパスの変化が紹介されている.またバスはここで社会規範についての進化心理学的解説をおいている).

 
<女性の配偶者選好と共進化した男性の競争戦略>
バスは家父長制を生んだ女性の心理的適応を解説する.

  • ある進化生物学者によると「男性は女性による永い育種実験の結果だ」ということになる.男性は女性の配偶者選好にパスするように地位とリソース獲得への強い動機を持つようになった.この因果を理解することは問題解決には重要だ.
  • このような家父長制へと向かう因果のリンクを抑制できるだろうか.1つの鍵は女性の配偶者選択の可変性にある.女性が重視するのは地位やリソースだけではなく,優しさ,知性,信頼性,感情的安定性,健康,ユーモアのセンスなどもある.
  • 女性は優先順位を変えていけるだろうか.これは現段階ではオープンクエスチョンだ.しかしDVに苦しんだあと優先順位を変える女性は存在する.基本的には女性の選択の方が優先されるのだ.
  • 次のステップは,進化的に女性の配偶者選好を作り上げた事情は現代社会には当てはまらないという理解だ.現代では(リソース獲得能力のある男性に頼らなくとも)飢餓が生存上の問題になることはない.
  • そして現代社会の女性はもはや男性のリソースに頼る必要がないことの理解も重要だ.彼女たちは自立可能なのだ.

バスは女性が優先順位を変更するのには時間がかかるかもしれないが,楽観的になれる要素もあるのだと締めくくっている.確かに意識的な理解とともに女性が優しい男性を選好するようになれば,男性は優しい方向に育種されるかもしれない.しかし女性が選好順位を変えたとしてもそれが育種効果に結びつくには長い時間が必要だろう.ややファンタジー的な提案かもしれない.
 
<男性の性的所有欲をそぎ落とす>
次にバスは家父長制を生んだ男性の心理的傾向を解説する.

  • 男性は繁殖力のキューを持つ女性を魅力的に感じるように進化した.そして利益提供,操作,脅し,暴力などの手段で手に入れた配偶者を保持防衛するようにも進化している.これは男性心理に配偶者への性的所有感覚をもたらし,家父長への大きな原因となった.
  • これを弱める方法の1つは女性に権力を与えることだ.女性がいつでもパートナーを捨てて出ていけるなら男性は暴力や脅しよりも利益提供的な配偶者保持方策を探るだろう.これは第一世代のフェミニストが目指した道でもある.
  • そういう方向に社会を変えるには,性役割の平等化と収入の性差の縮小が鍵になる.(ノルウェイ,インド,トルコの状況を説明し,性役割や収入の性差の縮小が性暴力の低減と相関していることを説明している)
  • さらに議会や政府により多くの女性が参加することが有効だ.それは政策をより性暴力を低減する方向に変えていくだろう.

 
<女性の性的対象物化>
バスは男性の女性を単なる性的な対象物と見てしまう傾向(女性の意思,性格,要望,感情,モラルを無視する傾向)が,性的暴力やセクハラを含む多くの有害な効果につながっており,家父長制の源の1つであることを指摘する.

  • その有害な効果の1つは女性が自分自身を性的対象物化してしまうことだ.彼女たちは自身の身体的性的魅力を高めることにとらわれて,(有害な化粧や整形を含め)すべてのリソースと時間をそこにつぎ込んでしまう.これはしばしばメンタルヘルスの問題を引き起こす.
  • 女性のこのような傾向の源は,男性が女性の繁殖力のキューである身体的な特徴に魅力を感じることにある.そしてそれは女性間の競争の基準に結びつく.現代環境ではメディアが超魅力的な女性のイメージを氾濫させるために,女性にとってのこの競争状況は悲劇的なものになっている.
  • さらに現代環境では男性は容易に魅力的な女性の登場するポルノにアクセスできる.これは男性に配偶環境と女性心理についての非現実的で歪んだモデルを提供し,性的対象物化心理を促進し,配偶者獲得の努力を低減化し,女性間の競争をより激しくさせてしまう.

バスはこのような状況を広く認識し,外見差別の撤廃などの社会規範の変化を進めていくべきだと提唱している.
 
<性比の問題>
バスはここで最近のアメリカのキャンパスの問題を取り上げている.

  • 性比の歪みは性的コンフリクトを悪化させる.女性が過剰だと女性の競争状況は悪化し,女性はより不利な条件を呑むように仕向けられる.
  • 女性の過剰はアメリカのキャンパスで急速に進んでいる.男性はより短期的配偶戦略をとるようになり,女性もそれに応じざるを得なくなる.いわゆるナンパ文化(hookup culture)の興隆だ.
  • この問題を緩和させる1つの方法はキャンパスの性比の歪みを一定以内に抑える政策であり,もう1つは進化心理を含めた教育になるだろう.

 
<男女の調和に向けて>
バスは最終節でこれらの方策を進めるためには進化心理の理解が重要だと繰り返した後,セクハラや性的暴力の抑制については将来に希望が持てるとし,4点コメントしている.

  1. 性的暴力の事件数は大きく低減している.社会規範も劇的に変化している.
  2. 性的暴力に関する個人差の知見が深まった.ダークトライアドの男性を特定し*14避けるのは有効な方策になる.
  3. 男性心理だけに注目するのではなく,女性心理や両者の相互作用の考察が進んでいる
  4. 現代環境と進化環境のミスマッチの理解も進んでいる.

そして最後にバスはこう結んでいる.

  • 男性の女性への性的暴力は最も重大な人権侵害だ.解決には進化心理の深い理解が必要だ.そして進歩の鍵は性的モラルの基礎的な変化だ.「女性は自分の身体について自己決定権を持つ.誰といつセックスするかは女性が選択できる」というのは女性の心理の最も深いところに刻まれており,これは基本的な人権の1つなのだ.進化心理の理解だけですべてが突然解決するわけではないが,私は事態は正しい方向に進んでいて将来は明るいと感じている.

 
以上がバスのバスの最新刊の概要になる.これまでもバスは男女のコンフリクトについてさまざまに語ってきたわけだが,今回はその総まとめであり,力が入って充実している.特に個人差とダークトライアド男性の危険性,セクハラやストーキングについては詳しく語られている.邦訳されて多くの人に読まれればいいと思う.
 
 
関連書籍

バスによる進化心理学の教科書.これは2019年の第6版.邦訳はされていない.

 
バスによる一般向け進化心理学本.
「The Evolution of Desire」の2016年の改訂第三版.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20171023/1508751865

 
同初版および第二版 
「The Dangerous Passion」 
「The Murderer Next Door」 私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060708/1152357233
 
邦訳 「The Evolution of Desire」については初版の邦訳になる 
「The Dangerous Passion」の邦訳 
「The Murderer Next Door」の邦訳 
女性の性的搾取されやすさについての坂口の本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090525/1243202602
 
「レイプの自然史」.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060805/1494724911
 
同邦訳

*1:“involuntarily celibate”:結婚したいのに誰にも相手にされないために独身となっている男性という意味

*2:“toxic masculinity”:男性による理由不明の凶悪事件について言われる言葉

*3:“manosphere”:フェミニズムへの強い反感,男性らしさへの称賛を内容とするweb世界を指す

*4:感情的親密性,配偶価値のシグナルの欺瞞性,職場における性的関心,浮気,銀行口座の秘匿性,別れる条件などが例にあげられている

*5:もちろん女性には服装の自由の権利があるし,女性の服装がどうであったかが男性犯罪者の言い訳になるべきではないと断っている

*6:なお,この女性の化粧や整形がハンディキャップシグナルかどうかはいかにもフェイクできそうな部分もあることから興味深いところだが,バスはここには解説をおいていない

*7:ここでバスは適応的機能があることとその行為が許されるものであることは全く別だと注意書きをおいている

*8:ガスライティングと呼ばれる.これはイングリッド・バーグマン主演の映画「ガス燈」で,バーグマンが演じる女性が夫から自分に物忘れや盗癖があると思い込まされ,心理的な虐待を受けることからきているそうだ.

*9:妊娠が遅れる可能性,子どもが生まれた場合の兄弟コンフリクトの強さ,子どもへのリソース供給についてのパートナー間のコンフリクトなどが指摘されている

*10:この場合(継子の存在)の暴力の機能的な役割は,さまざまなコンフリクトについて自分に有利にするというものになるだろう.バスはここについて詳しく説明はしてくれていない.なお継子が虐待を受ける確率は実子よりはるかに大きいが,ほとんどの継子は愛情をもって育てられる.バスはこのことから継子虐待はライオンの子殺しのような適応ではないこと,男性が継子に投資するのは子育て投資というより配偶投資と考えられることを指摘している

*11:O. J. シンプソンのケースが紹介されている

*12:なお日本では1970年代までは夫婦間のレイプは強姦罪に当たらないと解釈されていたが,1988年に強姦に当たるとする地裁判決が出て,現在ではそれが有力な解釈となっている.法律は不変だが解釈が変更されたという経緯になる

*13:またこの反応は自動的に生じるもので,決して性交への同意と受け取ってはならないことが力説されている.しばしばこの誤解により被害者がさらに苦悩することになるそうだ

*14:ヒントになるのは動物虐待,ギャンブルなどのリスクテイク行動,深い時間割引率だと指摘されている