「この6つのおかげでヒトは進化した」


この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス

この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス



著者は研究者ではなく,サイエンティフィックアメリカンやディスカバリーの記事を書くアメリカのサイエンスライター.このおかげで人類が進化したその6つが「つま先,親指,のど,笑い,涙,キス」というので,いかにもサイエンスライターらしい受け狙いの味を出している.


全体を読んだ感じはまさしくアメリカのサイエンスライター.ちょっと受け狙いで,自然淘汰だけではなくいろんな偶然でこうなりましたというグールド的な説明が大好き.面白そうな最新の学説はとにかく紹介しまくっているが,本筋の説明はあまり整然としていないし,論理的にに納得できない部分も多く,私的には評価できない.
もっとも軽い読み物として,定説のない部分についてのいろいろな学説の詳細の紹介話にふれるという趣旨で本書を読むなら,楽しめるだろう,特に第4章以降はそうだ.そしてそういう観点から見るとなかなか手慣れた作りだといえるだろう.


さてまずはつま先.
つまり足の親指の話だ.人類化石の系譜を簡単に説明して,直立の話がつづられる.直立の謎に関してはグールド的な断続的な進化を最近のホックス遺伝子の発見と結びつけて跳躍的な進化をほのめかしている.しかし至近要因と究極要因について整理した話になっていないし,あまりいただけない.続いてヒトの性淘汰形質の話に振ったと思うと,(またもグールド的な)ネオテニー形質の話に流れ,それと直立歩行を結びつける.ここも論理的にはちょっと無理があるように思う.
また人間関係が複雑化したのは,子育て負担に絡んで家族が生じたためであり,さらにそれが強い性淘汰を呼ぶという論理立ても示唆されているが,これもスロッピーだろう.一部「種全体が,そして群れが生き残るためには,これが必要なのである」等の記述も見られ,仮に単純な群淘汰的な意味はなくそういう性質の結果群れが残ったという趣旨だとしても,群れはともかく「種」はちょっとミスリーディングだろう.


2つ目は手の親指.
ここでは手でいろいろなものをつかんで操作できるようになったことから言語のための脳回路が生まれたのだという話が主軸になっている.これまたいかにもグールド的な外適応話だ.しかしものを握るために手の親指が対向しているのはヒトだけではないし,話にかなり無理がある.もっともモノの操作が言語の大きな特徴である「再帰性」と関連があるかもしれないという部分は今注目されている重要な話だ.
また言語と顔の表情・身振りの関連が2番目に指摘されている.ここも身振り・感情表現と言語の関連で定説のない分野だ.しかし言語の進化とピジンからクレオールへの世代交代に伴う話を混同しているなどずれた記述も散見される.


3つ目はのど.
体毛を失ったことについてまず冷却説を採っている.そして脳冷却こそが脳の増大へのボトルネックだったし,冷却システムが生じたおかげで言語が発達したという強引な主張がなされる.
そして本筋としては,のどの構造とコントロール能力が言語にとって重要だったという話に変わる.確かにそうだが,言語が有利になればコントロール能力が進化するのはある意味当たり前のような気がする.コントロール能力が進化させにくい特質だったかのような説明はいただけない.
続いて意識.シンボルと再帰性が重要だという指摘はいい点をついている.しかし意識は創発した特性だという(当然ながらグールド親和的な)説明は,私としては買えない.
続いて社会関係・対人関係の重要性を指摘しているがこれはその通りだろう.


4つ目は笑い.
これ以降は言語と自己意識で解決できない問題に対する回答(さらにそれに3つある)という著者独自のお話の提示になっていく.
笑いの進化的な説明については私の知る限り定説はない.だからこのような本で自由に論じるのに向いているだろう.ワイズマンのラフラボの話はなかなか興味深い.結局笑いは「あなたに敵意はないということを表す信号」として考えるのがとりあえずいろいろな現象に適合するようだ.私的にはこの信号についてのいろいろな疑問(特にコストやだましに関して)が浮かぶが,それについての記述はない.


5つ目は涙.
涙についてはハンディキャップシグナルという説明を取り上げている.確かに今のところこれ以上の説明はないようだが,私的にはコストについてはまだ疑問が残る.


最後はキス.
これも結局涙と同じように対人関係を深くする機能を持つという主張のようだ.これが文化的にはユニバーサルでないことについてちょっとふれられていてなかなか興味深い点だ.(もっとも現代文化以前には「とにかく種を存続することに主眼が置かれていた」などという話も含まれていてがっかりさせられるが.)確かにキスの進化的な説明については説明が難しい部分がありそうだ.


エピローグには自然淘汰を越える将来としてロボット,サイバーサピエンス話がなされていて,これはかなりの与太話だ.


全体としてはグールドがアメリカの上質のサイエンスライティングに与えた巨大すぎる影響を強く感じてしまう.自然淘汰による進化という説明ではつまらないし,知的ではないという風潮が確かにあるのではないだろうか.創発,外適応,ネオテニー,発生の制約こそ興味深いとする方がおしゃれなのだろうか.適応現象の理解こそ面白いと感じる私にとってはそれは残念な現象だし,アメリカの現代文化というのもちょっと透けて見えるような読後感だった.