「ぼくらはそれでも肉を食う」

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係



本書は心理学者ハーツォグによる動物に関する様々な心理を扱った本ということになる.本人はこのような分野をヒトと動物の相互関係を扱う新しい分野として認識し,Anthrozoology*1と呼んでいるようだ.原題は「Some We Love, Some We Hate, Some We Eat」ということで片方で愛玩し片方で食べるというヒトと動物(特に家畜)の複雑な関係を示すものになっている.訳書はカバー絵に畑正憲アクリルガッシュを用いるなどややポップ調に仕上げていてちょっとおしゃれだ.


本書は内容的には様々な話題を次々と紹介するというスタイルになっている.まず最初に取り上げられるのは,アメリカでの動物を巡る最新の話題ということで「イルカセラピーの有効性」「飼い主とペットは似ているのか,もしそうならその理由は」「幼少期の動物体験と成人後の暴力傾向に相関はあるか」というものだ.当然ながらイルカセラピーにはプラセボ効果以上のものはない*2,飼い主は自分と似た犬種を選ぶので似ている(だから雑種ではあまり似ていない),幼少期に動物をいじめた場合に成人後に犯罪傾向があるという統計的な証拠はないという説明がなされている.


続いて家の中で家族の一員として飼うようなペットの問題.このような形のペットが増えているのはアメリカでも戦後の傾向なのだそうだ.ここではまずペットが本当に健康にいいのかという点を扱っている.実際によい影響を与えることもあるが,代償もあり,個人差もある.全体として巷間言われているほどではないというのが結論だ(ここではペットのために人生がめちゃくちゃになった話も紹介されている).
次にペットを飼うことの進化的な説明が論じられている.ヒトの進化環境で適応度が上がるようには思えないこと,文化的ユニバーサルでもないことから適応的な傾向ではなく,ベースにはヒトの子育てにかかる絆形成メカニズムの副産物とそれを利用するペット動物側の人為淘汰,さらに文化との共進化(家族の一員としてペットを飼うというミーム)で説明されている.おおむね説得的だ.
なおここでは,イヌについては,その起源についてコッペンジャーの野良オオカミ説,人為淘汰傾向についてベリャーエフのキツネ実験を紹介している.またイヌが人を助ける能力の俗説が誤りであることも指摘している.


動物との関係におけるヒト側の性差が次の話題になる.一般に認識されているのとは異なり,動物を可愛がる傾向や動物実験に反対する傾向についてはあまり性差はないそうだ.しかしそれを実際に行動に起こすかどうか(動物保護団体でボランティアをするか,動物解放運動に実際に参加するかなど)には性差がある.また飼いだめ(非常に多数の動物を引き受けてしまって生活が崩壊することをこう訳している)は圧倒的に女性に多いのだそうだ.ハーツォグは一般的な性差の要因に関する説明(遺伝も環境も重要)を行った後,おそらく平均の差はあまりないのだが,それぞれの分布曲線を考えると行動まで起こすような極端なケースでは性差が目立つのだろうとまとめている.


ここから動物の権利と道徳にかかる議論になる.アメリカでは闘犬や闘鶏にかかる社会的非難が激しく*3,ハーツォグはまず闘鶏を取り上げている.大切に育てられ,本能に従って闘って死ぬ軍鶏たちへの扱いを非難するのに,工場のような場所で商業生産・処理されるブロイラーへの取り扱いを非難しない矛盾が提示される.さらに動物愛護の精神と肉食を巡る態度と(何を食べてはいけないかの)タブーの間が逆説だらけであること,さらに動物の権利を真面目に考える人々の動物実験を巡る葛藤が延々と語られている.
私のように動物の権利については「多くの人が悲しむことについて一定の範囲でリスペクトすればいいだけなのでは」としか考えていない人間にはなかなか理解できないところだが,動物の権利を原理的に考え始めるとこのあたりはなかなか大変なところになるのだろう.
この中では,原理的な考察から菜食主義者になるのだが,やはり身体が不調になったり(あるいはめんどくさくなったり)して挫折するケース,動物の権利を真面目に考える代償(食事を変えざるを得なくなる,より残酷でない取り扱いの保証シールを貼った高い肉を購入する,ゴキブリなどの害獣も容易には殺せなくなる,普通の人との関係がうまくいかなくなる,街中にあふれる動物虐待を思い起こさせるもの(ハンバーガーの看板,毛皮のコート,動物愛護団体からの寄付要請のメール)に不快感を感じてしまうこと)などが書かれていて,偽善と紙一重のヒトの心理が良く出ていて面白く読める部分だ.なお動物実験家に対するテロリズムの実情も解説されていて,なかなかシリアスなところもある(リスク要因はカリフォルニア,霊長類,脳だそうだ).
ハーツォグもいろいろと悩みながら,結局ある程度偽善を受け入れるという結論にいたった(いかにも正直で常識的で好感が持てる)と書いて本書を終えている.


本書は動物とヒトを巡る様々な心理的な話題を広範囲に紹介するという書物であり,語り口も楽しく,ポップな装丁ともよくマッチしていて読みやすい.後半では倫理的な問題に焦点が当たっているが,それは道徳問題を動物に拡張すると様々な偽善と矛盾と逆説があらわになるということを示していて,道徳問題全般にかかる論点としてもなかなか興味深く感じられる.


関連書籍


原書

Some We Love, Some We Hate, Some We Eat: Why It's So Hard to Think Straight About Animals

Some We Love, Some We Hate, Some We Eat: Why It's So Hard to Think Straight About Animals

*1:「人類動物学」と訳されている.それ以外の訳しかたは難しいが,何となくちょっと違う感が否めない

*2:アメリカではイルカと触れあうことで病気を治すという怪しげな商売があるそうだ.豪華に海外のリゾート地まで行くツァーもあるらしい.もっともバリやドバイまで行ってセラピーを受けるとイルカ以外の様々なイベントもあって楽しいだろう

*3:アトランタ・ファルコンズの花形QBだったマイケル・ヴィックが闘犬に関わったという罪状で収監されキャリアを2年間棒に振ったことが思い起こされる