本書は長谷川眞理子によるダーウィン本.長谷川は2006年に「ダーウィンの足跡を訪ねて」というダーウィン本を出していて,これはダーウィンゆかりの地を訪ねた旅行記にダーウィンの簡単な伝記を合わせたような内容だった.そして,ダーウィンについては語り足りないことがあるということで,20年ぶりに本書が出されたということになる.本書では前書よりダーウィンの人生と進化考察の軌跡を深く扱っている.
はじめに
ダーウィンの手紙,ノート,著作集が包括的に出版されたことにより「ダーウィン産業」と呼ばれるようなダーウィンについての科学史的研究が勃興し,重箱の隅をつつくようなものも含めて論考が膨大にあることが紹介され,しかしそこにあえてダーウィン本を出すのは,やはりダーウィンは偉大だと思うし,特に「進化」について多くの人に正しく知ってほしいと思うからだと執筆の動機が語られている.
続いて,ダーウィン以前にも進化の事実を主張した人はいたが,ダーウィンが初めてなぜ進化が生じたのかを説明したこと,それに続いて多く学問分野(動物行動学,生態学,生物地理学など)の基礎を築いたこと,しかしダーウィンの進化の考えはなお人々には浸透していないことが指摘される.
そして「神による創造」という宗教的な考えがない日本でも進化の考えが浸透していかない理由として,人生における大事な価値観(人生の意味,目的,それを目指す努力)にうまく合致しないこと.時間軸が長過ぎることがあるのではないかともコメントされている.この「進化の考えが社会に浸透しないこと」が本書の裏テーマということになる.
第1章 生物の多様さと生物学の構造
冒頭で「種の起源」を書いた当時のダーウィンがいかに慎重に立ち回る必要があったかが説明され,続いて現代の(研究者でない)人々にとっては進化を知るためにダーウィンの原著を読む必要はもうないのではないか(良い解説書がいっぱいあるのでそちらを読んだ方が良い)とコメントされている.
ここからダーウィンが遺伝について何も知らなかったこと*1,しかしそれでも彼の進化理論は正しかったことが指摘されている.これはダーウィンは遺伝だけでなく,個体レベル以上のマクロな生物現象(携帯,分類,分布,行動,生態)に関して膨大な観察をすることにより進化理論を考えたからだとし,生物現象の階層性が説明されている*2.そしてマクロレベルでの観察の重要性が強く主張されている.
第2章 私とダーウィンとの出会い
第2章は長谷川がダーウィンに興味を持つようになった経緯を振り返る自伝的エッセイになっている.
家の父の書棚にあったダーウィンの「ビーグル号航海記」「種の起源」を読んだこと(細かいところはわからなかったがとても興味深く読んだと述べられている),生物が好きで図鑑が好きだったこと,東大理科2類に進み,初めて本格的に進化を学び,生物学科への進学を決めたこと,さらに人類学教室に進学したら(特に霊長類学において)今西進化論が幅を利かせていたこと,今西進化論には実証的にも理論的にも説得力がなく全く納得できず,やがて日本の霊長類学全体と決別することになったこと,博士号を取ったあとケンブリッジに留学し,ダーウィン・カレッジに住んだこと,そしてそこでダーウィンに対する興味に火がついたことが語られている.
第3章 ダーウィンの人生:生い立ちから大学まで
第3章から第7章にかけてダーウィンの生涯が年代順に語られている.
第3章は生い立ちからエディンバラで医学の道を断念してケンブリッジに進むまで.
ここでは(その自由主義的なアカデミアの雰囲気から)「北のアテナ」と呼ばれたエディンバラでの,ダーウィンに剥製の作り方を教えてくれた(もと奴隷であった)ジョン・エドモンストーンとの出会い,急進的博物学者であったロバート・グラントとの出会いが強調されている.特にグラントとは一緒に無脊椎動物の標本採集を行い,その地の博物学者たちの集まりに連れていってもらうなど親しく交わった.長谷川は,グラントの急進的自由主義,それがイングランドの保守主義とぶつかる様を見たことが,ダーウィンに大きく影響を与えただろうと推測している.
当時ケンブリッジは英国の保守的な宗教色に覆われており,長谷川はダーウィンはそれを嫌ったこともあり,金持ち息子の道楽(パーティ,狩猟,昆虫採集)にはまって好き放題遊んだようだとしている.ケンブリッジでは地質学のセジウィック,植物学のヘンズローと知り合い,仲よくなったことが強調されている.
第4章 ビーグル号の航海
第4章はビーグル号の航海.きっかけのヘンズローからの手紙から始まり,航海のあらましが語られる.ここで特に強調されているのは,航海当時のダーウィンはまだ進化論者ではなかったこと,のちの考察に重要だったと思われるイベントとして,熱帯降雨林の生物多様性を見たこと,チリの大地震に遭遇して地球の表面が一夜にして変化することがあることを体験したこと,絶滅動物のオオナマケモノの化石を発見したこと(地震による地形の変動と絶滅動物化石はライエルの斉一説と反進化の考えを批判的に再考するきっかけとなった),当時未開人とされていたフエゴ島民を観察したこと(のちに人間とは何かを考える上で大きな糧になった)の4点があったことになる.
また有名なガラパゴス諸島への訪問については,(それぞれの島に似て非なる生物がいること,南米の生物相との類似を見たことは大きな影響を与えたが,)進化を考える決定打とはならなかったこと,よく指摘されるダーウィンフィンチよりも,マネシツグミやウミイグアナについての観察の方が興味深く,のちの考察に大きな影響を与えただろうことがコメントされている.
第5章 「種の起源」出版まで
第5章はビーグル号の航海から英国に戻り,「種の起源」を出版するまでを扱う.
膨大な標本類の整理,「ビーグル号航海の動物学」などの書籍の出版,エマとの結婚*3,結婚当初のロンドンでの暮らし,ダウンハウスへの転居がまず語られる.
そこから当時のキリスト教と進化論の関係*4,ラマルク,グラント,チェンバースの考え,チェンバースの粗雑な議論が世間に厳しく批判されたことがダーウィンの自説発表の慎重さに影響を与えたことが説明される.
そしてダーウィンのノートについて,生物進化についてのAからNまでのノートで,種の変遷についての考えを深め自然淘汰の理論が形成されていること,それとは別に地質学のノートがあること(これは地球の成り立ちについてのケルビン卿の議論とそれまでの地質学の知見との齟齬があり,そういう意味からも重要だったとコメントされている)が指摘される.
続いてダーウィンが進化の考えを発表するまでのいきさつが描かれる.最初は若き友人であるフッカーとハクスリーにだけ打ち明けていたこと,この二人の人物紹介,フジツボ研究,長女アニーの死*5,進化についての大著を書き始めたところにウォレスからの手紙が届いたことが語られている.
第6章 「種の起源」の出版
第6章は(大著の短縮版としての)「種の起源」の出版とそのきっかけを作ったウォレスについて.
もう一度当時の英国社会において,人々に尊敬されるべき中上流階級のお金持ちであるダーウィンはチェンバースのような批判の対象になるわけにはいかず,非常に慎重だったことがまず踏まえられる.
慎重に大著を執筆していたダーウィンはウォレスのサラワク論文を軽視していたが,ウォレスからテルテナ論文の草稿を受け取って,自然淘汰説の先取権を失うとパニックになる.しかし相談を受けたライエルとフッカーの計らいでリンネ学会での共同発表となる.
ここからウォレスの人物紹介と彼の自然淘汰説への軌跡が語られる.ここで,ダーウィンの名声の大きさに比べてウォレスのそれが小さいことについてコメントがある.長谷川は以前それは英国における社会的地位の違いが主たる原因と考えていたが,現在ではウォレスの様々な奇矯な振る舞いや信念*6が影響したのだろうと考えを改めたとしている.
最後にアイズリーの「ダーウィンと謎のX氏」にあるダーウィンの自然淘汰アイデア盗作疑惑について*7,その後の研究できっぱり否定されていることがコメントされている*8.
第7章 「種の起源」の出版以降
第7章ではその後のダーウィンが描かれる.
ここでは(長谷川が邦訳を手掛けた)「人間の由来」についてフォーカスされていて,この本は「性淘汰の理論を用いて人種の違いを説明する」ために書かれたものであること,当時の「人種をどう説明するか」という問題が持つ政治社会的重要性,当時の説明理論(神が人種を個別創造したという「多元説」と,神がアダムとイブを創造したのちに世界中に分散し,その後それぞれの地域の自然と気候に適応して違いが生まれたとする「単元説」),ダーウィンとしては単純に単元説をとるのは神によるアダムとイブの創造を認めたと受け取られかねないことから,独自に性淘汰から説明しようとしたこと*9などが解説されている.
その後ダーウィンの理論が世界中に広まっていったことについて,進歩主義が優勢になったことの他,アメリカではスペンサーの影響,ヨーロッパではヘッケルの影響が大きかったことが指摘され,ヘッケルの人物紹介*10がなされている.
続いて,その後のダーウィンの活動として,「種の起源」と「人間の由来」の改訂,植物に関する本を何冊か,「動物における感情表現」,ミミズ本を出したことが紹介されている.そしてダーウィンは1882年に73歳で自宅でエマに抱かれたまま亡くなり,国葬でウエストミンスター寺院に葬られたということになる.
第8章 思想としての「進化論」
最終章は「進化」と思想,特に進歩主義との関係が扱われる.長谷川がこれまで「進化」という考えを自然科学だけでなく人文社会科学にまで浸透させようとして困難にぶつかり,考察してきたことが語られる章になっている.
冒頭では,「進化」という考えには,常に思想的哲学的匂いがつきまとうこと,そしてそれは「進歩」の概念と深いかかわりがあることが指摘され,ハクスレーやフッカーは進歩主義者であり,彼らが熱心に進化理論を擁護したのは,(もちろんダーウィンの挙げる証拠を科学的に吟味して納得したということが第一だが)もしかしたら進歩思想をバックアップできると(無意識にも)感じたからかもしれないと語る.
ここから19世紀の英国の社会風土(王権神授説による秩序への対抗としての進歩思想),その中で進歩主義者が「進化論」は自分たちの正当性根拠として使えると考えたであろうこと,それ以来現在に至るまで生物進化の話が(社会を変えることの正当性の科学的根拠として)進歩思想と結びついてしまったことが解説される.
そしてダーウィンの理論は提出時には様々な批判を浴びたにもかかわらず,最後に国葬となったのは,英国の社会思想がどんどん進歩主義に傾き,ハクスリーをはじめとする支持者たちが進歩主義に科学的根拠を与えるものとして持ち上げたからだろう*11,ダーウィン自身は進化が進歩ではないことをよくわかっていたが,自説発表の慎重さが,進歩主義の支持者たちに利用される余地を作ったのだろう,とコメントしている.
そしてここで(ダーウィン理論の普及に貢献した進歩主義者であった)ハーバート・スペンサーについて解説がある.
- 彼は19世紀後半の英国社会では人気の高い哲学者で多分野の業績を持つ一種のポリマスだった.
- 世間ではスペンサーはダーウィンの進化論を聞いてそれを人間社会に応用しようとして社会進化論を作ったといわれることが多いが,そうではなく,彼は1851年から「人間社会が未開人社会から西欧社会に向かって進化する」という社会進化論を唱えていた.
- 当初彼はなぜそう進むのかのメカニズムの理論を持っていなかった.そして1859年の「種の起源」を読み,これこそが進歩の起こる仕組みだと感激し,自然淘汰理論のかなりアバウトな形を自説に取り入れたということになる.
- ダーウィンはスペンサーの著作を読み,スペンサー自身にも会っていて,優れた思想家だと評価しているが,事物の観察に基づかず,思索だけの思想家だと見抜いていたようだ.
そしてなぜスペンサーに紙幅を割いたかが語られる.それは(少なくとも現在70代以上の)日本の人文社会系諸学の学者の間には「進化とは社会進化論のことであり,それは人種差別に繋がる道だ」という誤解が深く染みついていると感じられるから*12ということになる.そしてそのような誤解の要因として20世紀初頭の優生主義流行のほか,自然主義的誤謬があること,事実と価値は異なるというのは簡単だが,実際にはどのような理論を採用するかには科学者の持つ価値観や世界観が影響するし,生物の話は人間の話とつながり価値観とは切り離しにくいことが挙げられている.
そして話はダーウィンに戻り,ダーウィンは個人的には進歩思想を持っていたが,自らの進化理論を構築する際には科学的な証拠と論理の積み重ねが必要であることを知っていたし,そのような人物はある意味で希有なのだろう(片方でスペンサーは全く科学者とは呼べない)とコメントされている.
最後に,優生主義とは結局「なまじっか遺伝のことがわかってきた段階で,遺伝を操作すれば自分たちの価値観を実現できるという欲求に操られた現象」だった,しかし遺伝は実際には非常に複雑であることがわかり,普遍的人権の思想が主流になって優生主義は消えたのだろうと指摘があり,さらに現在の遺伝学の発展は遺伝子改変やデザイナーベビーも可能にしていることを踏まえるとますます科学と社会についてすべての人々が考えねばならない時代になったということだとして本書を終えている.
以上が本書の内容になる.コンパクトでよくまとまったダーウィン本だ.ダーウィン本がまた出版されてダーウィンファンの私としては嬉しい限りだ.また私的にはところどころに現れる「進化の正しい理解は社会に浸透しにくい,どうしても進歩主義などの思想やヒトの本性との関連で歪んでしまう」というテーマに関連する長谷川の愚痴にも似たコメントが読みどころだった.
関連書籍
長谷川の20年前のダーウィン本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060815/1155647712
進化生物学者が書いた最近のダーウィン本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2024/08/20/112735
私の印象に残っているダーウィン本
ダーウィンの魚についての言及を集めて注釈付きの事典にした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130224/1361669922
ダーウィンの犬とのかかわりについてフォーカスした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/08/05/103519
ダーウィンの植物本に絞った解説書.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/09/18/115337
ダーウィンの伝記の決定版.出版当初は箱入り2巻セットで18000円だったが,現在古書でかなりお安く入手可能なようだ.
上記伝記の著者が,特にダーウィンの研究の動機に絞って書いた本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20090727/1248688145.
本書でダーウィン産業の成果の例として紹介されているダーウィン本(で,私が未読のもの)
*1:ここでダーウィンの時代には融合遺伝の考え方が主流であったこと,ジェンキンによる遺伝が融合遺伝であればダーウィン説は成りたたないという批判,ダーウィンはこのような反論に備えて(融合遺伝ではない)独自の遺伝の考察をしたこと,しかしそれは誤りだったことが説明されている.
*2:ここでは分子生物学者からのマクロレベル生物学への蔑視,日本の生物学界が90%以上ミクロレベル生物学者によって構成されていること,しばしばマクロレベルの生物現象はメカニズムや遺伝的基盤が分からなければただのお話だと主張されることが述べられ,しかしそういう主張には断固として反対だとコメントされている
*3:エマとの宗教観の違いが二人の結婚生活に与えた影響についての長谷川のコメントがなかなか深い.
*4:キリスト教神学は個別創造論をとる方法と神は法則のみを定めるとする方法があり,後者であれば進化論を扱えること,進化論としては神学の範囲内で行うことも実証的科学として行うことも出来ることなどが説明されている,
*5:長谷川はダーウィンはアニーの死により最終的に信仰を捨てたのだろうと推測している
*6:心霊主義への傾倒,ヒトの進化の特別視(霊魂は生物学的進化で説明できない),よくない筋への投資による失敗,過激な社会主義思想などが挙げられている
*7:この本は1990年代に書店でよく見かけた本で懐かしい.私はどうせトンデモだろうと読まなかったが,当時の科学史家たちの間では(著者のアイズリーが著名な人類学者であったこともあり)シリアスな「学術的告発」として注目を集めたようだ.その後ダーウィンのノートや書簡などの詳細な検討が進み,現在では一種の「陰謀論」扱いになっているようだ
*8:アイズリーは,ダーウィンの「種の起源」の執筆について,ウォレスの手紙が届いた直後に2歳でなくなった息子チャールズ・ウェアリングの死を克服したことを重視する一方長女アニーの死を無視している,と長谷川は指摘している.そしてこれは無意識の男尊女卑の結果のように思えて,アイズリーを信用できなくなったとコメントしている
*9:ダーウィンがなぜ人種間の際を自然淘汰で説明しようとせずに,性淘汰で説明しようとしたかという点については,肌の色や髪の縮れ方に適応上の意味を見いだせずに,配偶者選択の選り好みの結果だと考えたからだろうと解説されている.そして現在肌の色については紫外線からの防護とビタミンD生産のトレードオフから自然淘汰である程度説明できるが,日照時間と肌の色の相関関係はおおまかにはあるが細かいところまでは説明できず,ダーウィンの性淘汰仮説は肌の色についてもなお棄却されているとは言えないという評価であることも説明されている
*10:長谷川は,ヘッケルについては,人種を優劣で考えていたような人物と辛辣に評している
*11:なお当時の保守派の人たち(カンタベリー大僧正,ウェストミンスター寺院の僧正たち,ヴィクトリア女王など)はみな何か理由をつけてダーウィンの国葬への出席を避けたことが指摘されている
*12:高名な文化人類学者に直接そう語られたエピソードも紹介されている.なお30代40代の文化人類学者たちはそうでもないようだともコメントされている.50代60代はなお微妙ということだろうか.また日本の人文社会系の諸学問分野は「進化といえばスペンサーの社会進化論」という伝統を知識を更新することなく受け継いでいるかのようだというコメントもある.いろんなことがあったことが窺える











