「Wild Life」

Wild Life: Adventures of an Evolutionary Biologist (English Edition)

Wild Life: Adventures of an Evolutionary Biologist (English Edition)


本書は互恵的利他行動,親子コンフリクト,条件依存的性比調整(トリヴァース=ウィラード効果)個体内遺伝要素間コンフリクト,さらに自己欺瞞などの革新的な進化理論を次々打ち出した進化生物学者ロバート・トリヴァースの自伝である.
最初に題名「Wild Life」をみたときには当然「野生」という意味で,トカゲのカバー絵があることからフィールドリサーチ主体の自伝だという印象を抱く.そしてそう思って読み進めると,実は全くそうではないことがわかる.それはまさに「ワイルドな人生」という意味なのだ.人生の軌跡をすべて書き出したものではなく,(特に学問的な業績関連のことはすでにエッセイ付き自撰論文集があるからそちらに譲るという趣旨だろう)研究者になった経緯と一部学者との交流の思い出があるほかは,ジャマイカのワイルドな人生に徹底的にフォーカスされている.そしてその内容はとにかくはちゃめちゃなのだ*1.そして冒頭の序言で,科学者には,人生を徹底的に科学探究に捧げて私生活は慎ましやかなものになるというタイプもあるだろう,しかし自分はそれとは全く異なる人生を歩んできたとコメントがある.本書はまさに科学探求とは別の人生についての本なのだ.


トリヴァースは外交官の息子として生まれ育ち,外国暮らしと外国語は子供のころの人生の一部だった.そして12歳の頃科学者になろうと志し,最初に天文学に興味を持つ.そのための数学を学ぶにつれてそれにも惹かれ,ハーバードに入り,数学専攻の2年生になる.しかしそこで1年たつと,数学で業績を上げてそれが世の中に影響を与えるのは早くとも2250年だと気づいてしまう.物理学にはセンスがなく,化学や生物は履修もしていなかった.というわけで方向転換してハーバードの法科に進む.法律の根元を勉強しようとアメリカ建国史に足を踏み入れ,それが自己欺瞞だらけであることを知る.
そしてハーバードの3年生の時にオーバーワークからメンタルブレイクダウンを起こす.精神病院を3つほど経験し数ヶ月かけて回復し,自分の病気を知るために心理学を勉強するが,それがまだ科学といえるほどの体系になっていないことを知る.結局法律に戻ることにしたが,受験したロースクールにはすべて落ちてしまい,学位はあるが職のない若者として実家に戻ることになる.
当時のアメリカはベトナム戦争の最中でまた徴兵制がしかれていた.徴兵検査に出向いたが,軍は(精神疾患の経歴から)トリヴァースを4F(つまり不要)と判定した.トリヴァースは侮辱と共に,自分は国家からはフリーになったと感じたそうだ.(なおこの徴兵検査の際の病院からのレポート提出や同性愛傾向の有無の確認などの逸話は傑作だ)

無職でぶらついているわけにも行かず,トリヴァースは教科書会社に職を得る.会社はトリヴァースに生物学の記述について生物学者の監修を受ける仕事を与えた.これがトリヴァースの人生を大きく変えることになる.そして紹介されたのがウィリアム・ドルーリィだった.彼は(当時としては先進的にも)個体淘汰の観点に立つ自然淘汰の議論をよく理解しており,トリヴァースはその薫陶を受け,理論進化生物学者になることを志す.
ここからドルーリィの思い出話が続く.彼は失読症のために学者としては無名だったが,その知性は鋭く,フィールドリサーチャーとしても一流で,トリヴァースを今ある道に導いてくれたのだ.(鳥の観察についての教えは深い*2.バードウォッチャーとしてはここだけでも読む価値がある)いくつかのドルーリィの教えや当時のハトの観察は後の互恵的利他行動や性淘汰の洞察に結びつく.またドルーリィについて北極圏のフィールドに出たときの経験も語っている.カリブーとオオカミ,そしてカリブーに寄生するヒツジバエ,北極圏での孤独と自然の美しさ,これらはトリヴァースに強い印象を残したようだ.

研究者になることに決めた後トリヴァースはドルーリィの紹介でエルンスト・マイアに出会い,そしてハーバードの生物学専攻の院に入ることになる.そしてそこでマイアとGGシンプソンにまさに現代的総合を徹底的に仕込まれる.ここからはマイアの思い出話が続く.彼は本当に知の巨人だった.*3


そしてここからが荒ぶる人生の始まりだ.1968年,ハーヴァードの院生であったトリヴァースは指導教官に誘われトカゲのリサーチをしにジャマイカに渡る.トリヴァースはこれに惹きつけられる.西インド諸島には漂流で流れ着いたトカゲたちが分岐と分散を繰り返して適応放散しており,まさに進化の実験場の一つであったのだ.
ここからいくつかのアノールトカゲたちの紹介とフィールド話が語られる.トカゲたちは樹上性で,高所恐怖症のトリヴァースには捕獲が難しいかと思われたが,すばしこい少年たちを雇えばいいことに気づく.また現地の人はトカゲを極端に恐れており(ちょうど西洋人がネズミを恐れるのと似ているのだそうだ)トリヴァースは現地人に「トカゲ男」として有名になる*4
トリヴァースはジャマイカをフィールドリサーチの拠点に据えてアメリカと往復する生活に入る.ここでいろいろなジャマイカの逸話を語り,だんだんジャマイカに惹かれていく自分を描いている.時にトカゲの捕獲に夢中になりすぎて穴に落ちて死にかけ,グリーンアノールをペットにして孤独を紛らせ,そして現地の人々と交流を重ね,養子援組で母となる人,結婚相手,そして多くの友人を得ることになる.

そして陽気なジャマイカのもう一つの顔,その暴力性が描かれる.警察がしばしば腐敗しているために男たちはまさに名誉の文化に生きており,些細な争いごとはすぐに暴力沙汰になる.
最初はトリヴァース自身が巻き込まれた暴力事件だ.後に養子縁組で母になる女性の家に寄宿していたときに,彼女に暴力を振るう男に「静かにしろ」と言ったことから殴りかかられ,逆にボクシングのジャブでたたき伏せる*5.その男は腹いせにトリヴァースのタイプライターをたたき壊したあげく,警察に駆け込んでトリヴァースを逮捕させる.裁判になり,男は偽証証人を用意するが,トリヴァース側の知人が証言の時間に彼らをうまく酒場に誘い込んでトリヴァースは正当防衛で無罪になり,逆にタイプライター破損の件で男を有罪にする.男は逆恨みしてその知人を襲おうとするが,知人は男を逆に巧妙な罠に誘い込み,返り討ちにする.
トリヴァースはこの一連の流れを振り返りながら,両当事者たちの動きには何十もの欺瞞と自己欺瞞が組み込まれていて,その嘘の多さは熱帯地方の特徴なのかもしれないと書いている.


ここでインターミッション.霊長類リサーチフィールドの思い出だ.そこではアーヴィン・デヴォア,サラ・フルディ,ジェーン・グドゥールの逸話,そしてヒヒ,ラングール,チンパンジーたちの振る舞いが描かれている.ここでもトリヴァースはコンフリクトだけでなくその結果としての動物たちの欺瞞に注目しているのがわかる.


次のジャマイカの暴力は,警察黙認の強盗クラブだ.トリヴァースはあるとき,あそこはやばくなったからとさんざん忠告されたにも関わらず,昔よく通った酒場に顔を出す.するとそこはまさに強盗が行われている現場だった.財布をとられ,命も危ない状況だったが,新しいカモが現れた隙に逃げ出すことに成功する.後からわかったのはそれは警察も黙認している強盗クラブで,黙認されている被害者以外の(アメリカ国籍を持つ白人である)トリヴァースが現れたために強盗側も戸惑って逃走を容認したということらしかったそうだ.


ここでもう一つのインターミッション.少年たちのトカゲ捕りの妙技.その中でも天才グレンノイは素手でワニを捕ることもできる.そしてトカゲを探すときにその目だけを探すそうだ.トリヴァースはその進化生態的な意味をエッセイ風に考察している.また彼らが捕獲作戦中にマリファナを吸っていることに気づいて,その瞬間トリヴァースの脳内にハーヴァードを解任されるフラッシュバックが走る話や,トリヴァースの払う捕獲料の料金体系に合わせて彼らがチートしトリヴァースが必死に見抜こうとする話などは傑作だ.またここで,トリヴァースが若い女性助手が運転手にうっとりするのに嫉妬して,山道を行く車を自分でも運転するといいはり危うく崖に落ちそうになったエピソードも語られている.これも自己欺瞞が深く絡んでいる.


そしてジャマイカ社会の殺人率の異様な高さがフォーカスされ,そこでの様々な殺人のあり方が描写されている.多いのは金目当ての強盗に内部手引きがある場合,そして有力者の庇護下にない弱者をスケープゴートにする場合だ.警察による殺人も日常的だそうだ.有力者たちからの暗殺依頼を執行する場合さえあるとトリヴァースは憤っている.ここでは具体的な殺人事例がこれでもかこれでもかと描写されている.陰惨だ.
そしてなぜこのようなことになっているのかが考察されている.麻薬と銃の問題が大きいが,トリヴァースはアメリカの政策にも怒っている.アメリカは自国の麻薬問題の原因(麻薬の需要)から目をそらし,供給側の中南米の国々を非難することを止めない.そして彼らのビジネスを非合法化するように強要する.しかし(アメリカからの需要のために)現実に麻薬は経済の大きな部分を占めてしまっている.そしてそれが非合法化されればそこは銃だけがものを言う世界になってしまうのだとトリヴァースは指摘している.
トリヴァースはさらに親友の一人が殺された事件,その後始末に自分がなぜ首をつっこまざるを得なかったかも詳しく書いている.明らかに誰かの陰謀で殺されたのだが,その罪が暴かれることはなかった.


次のインターミッションはトリヴァースがブラックパンサーと関わったいきさつだ.ブラックパンサー公民権運動を過激に進めた組織だが,元々は白人警官による黒人虐待を実力で阻止する目的で作られたものだ.トリヴァースはその主催者であるヒューイ・ニュートンとひょんなことから知り合い,その趣旨に共鳴してブラックパンサーの白人メンバーとなるのだ.筋金入りのリベラルとして知られるトリヴァースだが,それにしても政治的にもなかなかワイルドだ.トリヴァースはヒューイの自己欺瞞にも触れながらブラックパンサーの功罪を総括している.


そしてちょっと趣向の異なるワイルド話.それはトリヴァースのこれまでの逮捕歴の振り返りだ.(なおここで学者として名をなした後にトリヴァースに取り憑いた10年ほどの鬱の時代についてはスキップするとコメントがある,そのかわり逮捕歴を並べるという趣旨のようだ)ここも生物学者の自伝としては異色のワイルドさだ.
とはいえさすがに重大な犯罪によるものはなく,アメリカでの危険運転,同じくアメリカで女性とふざけていてストーカー扱い,パナマで(政治的に好ましくないから)国外追放しようとした現地警察にセットアップされたドラッグテストと逮捕(たまたまドラッグは持っていなかったし,車は念入りにクリーンにしていたので何も出てこずににすぐに釈放),またもアメリカで危険運転(今度は飲酒運転だったがアルコール検査をどうくぐり抜けるか,持っていたマリファナの処分などスリル満載),ジャマイカのホテルにクレジットカード詐欺で訴えられ逮捕(そもそもホテルが現地人と外国人で二重価格製になっていて,トリヴァースはジャマイカ人と結婚していたので現地価格適用のはずだが,ホテルが外国人価格を主張.たまたま差し入れていたデビットカードに外国人価格残高がなかったというもの,これは外部と連絡が取れずに結構長く拘留され,大変だったようだ.ジャマイカ拘置所や判事のインサイドストーリーは面白い.)などが語られている.


ここでまたもインターミッション.先だってウェブでも公開されていた楽しい話満載の進化生物学者たちの思い出だ.私的には本書でもっとも興味深いところだった.ドーキンス,ハミルトン,ジョージ・ウィリアムズに対しては暖かなまなざしが注がれており,その業績への敬意が読みとれる.それに対してグールドとルウォンティンには厳しい.(グールドは自己喧伝と自己欺瞞で膨れ上がった知的な詐欺師であり,ルウォンティンはつまらないイデオロギーに殉じて興味深い科学探究を捨てた男と評価されている)*6


そしてジャマイカに対するアンビバレントな思いが綴られる.片方でジャマイカは底抜けに明るい.トリヴァースは彼らに対して(自らの祖先がしてきたことについてアメリカの黒人に対するような)罪の意識を感じずに済み,そこでは真に自由になれる.しかし殺人以外にもジャマイカにはダークサイドがあるのだ.
一つは庇護者のいない社会的弱者に対するむごい仕打ちが容認されることだ.トリヴァースは身近に生じた一つの事例を,救えなかったという断腸の思いと共に書いている.もう一つは同性愛への嫌悪だ.これは男たちの社会的常識に深く刻み込まれているようだ.そして法の順守がない状況がある.トリヴァースは2007年にクラフォード賞を受賞するが,それが賞金50万ドルという事実と共にジャマイカで報じられた.そして翌年自宅にいるところを二人組の強盗に襲われる.詳しい事件の経緯が書かれているが,実際にちょっとした偶然の帰趨によってはトリヴァースは殺されていたかもしれないのだ.
そしてそれでもそれを埋め合わせる最大の要因はジャマイカのユーモアだとトリヴァースは書いている.そしてお気に入りのジャマイカジョークも紹介されている.


そして最終章でトリヴァースは,72年間の人生を振り返る.自分は熟考すべき時に熟考せずに状況に流され,ワイルドな人生を送ってきたと述懐し,親子コンフリクト理論を提唱したが,自分の子供のことはどうなのと妻になじられ,そして結婚が破綻した経緯もあけすけに語る.それでもなお自己欺瞞と対称性のリサーチ*7について前に進みたいが,その最大の障壁はやはり自己欺瞞だという.
そして自己欺瞞を乗り越えるにはそれを意識することが重要だとコメントする.そこでは最近ようやく克服できそうないくつかの自分の自己欺瞞の症状も書かれていて迫真的だ.
最後に自分の埋葬ブランが書かれている*8.もしジャマイカで死ぬことがあったら,ピメントの木の根本に逆さに埋めてほしいそうだ.身体で最も重要な頭の部分がピメントのぴりっとした実に伝わるようにと.


というわけで本書は自分の人生のワイルドな部分にフォーカスし,どこまでも率直に自分をさらけ出している本だ.まさに自己欺瞞をライフワークにしているトリヴァースにふさわしい.陰惨な題材も多いが,なぜかぐっと読者を鷲掴みにする不思議な魅力にあふれた本だろう.とにもかくにも異色でワイルドだ.


関連書籍

トリヴァースのエッセイ付き自撰論文集.互恵利他行動,トリヴァースウィラード効果,トリヴァースヘア仮説にかかる論文はもちろん収録されている.本自伝ほどではないが,エッセイも結構型破りで面白い.

Natural Selection and Social Theory: Selected Papers of Robert L. Trivers (Evolution and Cognition Series)

Natural Selection and Social Theory: Selected Papers of Robert L. Trivers (Evolution and Cognition Series)


そして自己欺瞞に関する最新著書.この本を執筆中に強盗に襲われたそうだ.ほんのちょっとした偶然でこの本は世に出なかったのかもしれないわけだ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120523

The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life

The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life



 

*1:そしてよく見るとカバーの最上部にはドーキンスの推薦コメントがある「人生のローラーコースターについての大胆なまでに率直でかつどこまでもユニークな回想録だ」.まさにその通りの中身だ

*2:鳥の警戒音をうまく真似て彼らをコントロールする逸話は大変興味深い

*3:彼はフォトグラフィックメモリを持ち,本当に多くの論文を読み込んでファイルしていたそうだ.繁殖成功の分散の性差にかかるベイトマンの遺伝的な議論をトリヴァースに読ませようとした逸話などは面白い.性淘汰に関する論文についての分厚いフォルダーを学部生に請われて貸したところそれが戻ってこずに,マイアが大きく嘆いていたことに触れ,それがなければ,自分の性淘汰に関する仕事はマイア自身が成し遂げたかもしれないとも語っている.奥様であるグレーテルとの逸話もほほえましい.彼は道徳的にも自制が効き,トリヴァースのモラルコンパスであったし,理論的に行き詰まったときに夢に出てきてヒントをくれたことさえあったそうだ.

*4:送金事務を遅らせて利子分の小金をくすねるジャマイカの銀行員をトカゲで脅す話は傑作だ

*5:トリヴァースは一時ボクシングに打ち込み,セミプロ級の腕前だったそうだ

*6:この部分については私のブログ記事http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150517http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20151128を参照のこと

*7:もう一つグールドがぐちゃぐちゃにしてしまった種選択についても整理したいと語っている.これはちょっと楽しみだ.

*8:これは元々ウェブで公開していた進化生物学者たちの思い出のハミルトンのところにあった記述だ.確かに自伝の最後にある方がふさわしい.