「Science in the Soul」

Science in the Soul: Selected Writings of a Passionate Rationalist

Science in the Soul: Selected Writings of a Passionate Rationalist


本書は進化生物学者リチャード・ドーキンスがこれまで発表した雑誌等への寄稿,序文,エッセイ,レクチャーなどの文章を集めた本であり,このような本としては2003年に出された「A Devil’s Chaplain(邦題:悪魔に使える牧師)」に続く2冊目ということになる.私は当初本書について,この「A Devil’s Chaplain」以降に発表された小文を対象にしているものかと思っていたが,実はそうではなく,「A Devil’s Chaplain」に未収録の全作品を対象にしてテーマごとに選んだものになっている.今回は特に「科学」を正面から取り上げ,しかもSoulという言葉を書名に用いているのが目を引く.序言を読むと2016年の英国とアメリカでの選挙結果に深く打ちのめされ,もう一度科学的啓蒙主義の重要性を訴えたいという気持ちがあることがわかる*1.科学は世界にとって,そして一人一人にとって重要なものだというのが本書を貫く通奏低音になる.


それではテーマごとにみてみよう.

第1部 科学の価値


ここでは科学という営みについての4つの文章が収められている.書かれた年代は1997年から2004年までとなっている.


冒頭には科学の価値,価値の科学についての議論(1997年のアムネスティレクチャーが元になっている)が収められている.かなり長い文章だ.ここでドーキンスは「科学というのは客観的な真実が存在するという信念の元にそれを追求できる唯一の方法である」という点を強調し,客観的な真実の存在を否定しようとする極端な相対主義者を激しく糾弾する.そして科学者のコミュニティの中ではデータの捏造こそが最も重大な罪であるとも書いている.また科学の価値の中には,真実の追求ととは別に美的な価値もあるとも主張する.これは後に「虹の解体」につながったところだろう.そして自然主義的誤謬についての考察の後,しかし科学は価値がどこからくるかを考察できるのだとする.それはコストとメリットのトレードオフの上で適応度を最大化させるために生物が何を選ぶのかに基礎があるはずであり,その判断メカニズムは進化心理学的なモジュールとして自然淘汰の影響を受けているだろうとしている.そして遺伝子は利己的だが,個体は必ずしもそうではないことを述べ,さらに進化産物である脳はその遺伝子の圧政に対抗できるのだと「利己的な遺伝子」執筆当時からの立場をもう一度明らかにしている.このあたりは誤解されてずいぶんたたかれたところなので,なされた批判も含めてかなり粘着的に議論していて改めて読んでみると面白い.なお批判者の中にには宗教的な右派もいて,その道徳的な価値の源泉の議論が後の新無神論につながる様子も分かる.


次にチャールズ皇太子が表明した,科学より直感,伝統農法や有機農法への「自然さ」への賛美,遺伝子組み替え作物へのヒステリックな敵意などについての厳しい糾弾を行う公開書簡がある.なかなか手厳しい.


次は科学を軽視したり敵意を持つ風潮に断固抗議する文章(BBCでのレクチャーが元になっている)がおかれている.(なおこういうことに抗議するとエリート主義だと批判されると憤懣やるかたない風情で書いている.)まず科学は真摯な取り組みであり,20世紀の科学はデジタル革命により大きく花開いたことを解説する.量子論とカオス理論による不確定性の発見が科学の予測可能性に疑問を投げかけたことが極端な文化相対主義やポストモダニズムに影響を与えた可能性を指摘しつつ,ポストモダニズムによる「科学も一つの神話にすぎない」という議論,それが創造論者に利用されて進化理論の否定に結びついていること,さらに極端なフェミニズムの「女性的な知のあり方として白人男性的科学を否定する議論」などを厳しく批判している.科学者としては当然の抗議だが,なかなかこのあと当然巻き込まれるであろうめんどくさい論争を考えると,躊躇のないつっこみぶりがいかにもドーキンスという文章だ.


最後にドリトル先生シリーズについてのエッセイが寄せられている.ドーキンスは子供の頃このシリーズが大好きだったそうだ.ドリトル先生は動物と言葉を交わし,子供の想像は果てしなくかき立てられる.しかしロフティングのこの名著は現在バンポ王子についての表現などが人種差別主義的だとして禁書扱いになりつつあるのだそうだ.ドーキンスは,現代の基準を(当時の表現基準を無視して)昔の著作物に機械的に当てはめることの問題だけでなく,そもそもドリトル先生は反人種差別よりさらにハイスタンダードである反種差別主義の世界に生きているのであって,そこを無視して皮相的な部分のみに着目して禁じるとはなんたる皮肉かと嘆いている.

第2部 その無情な栄光


ここでは進化理論についての文章が集められている.


冒頭は1858年にダーウィンとウォレスの両者の自然淘汰論文が読み上げられたその部屋で行われた2001年のメモリアル講演でのスピーチ.まず両者の間でのアイデアの先取権争いが起こらなかったこと,特にウォレスの態度をリスペクトし,この共同発表に至ったドラマを解説する.サラワク論文(1855)とテルテナ論文(1858)の違いをドーキンス流に読み解いてみせるところが読みどころだ.
また性淘汰を巡るダーウィンとウォレスの見解の相違も解説されている.ドーキンスはウォレスが性淘汰を受け入れなかったのは(巷でよく言われるようなヴィクトリア朝時代の女性蔑視的な理由ではなく)メスの気まぐれな選り好みがなぜあるのかについて有用性に基づく適応的な説明がなかったことだと鋭く見抜いている.そしてウォレスの議論はハミルトンに,ダーウィンの議論はフィッシャーにつながったことにふれ,淘汰的な説明のパワーを強調して締めくくっている.


次は1982年のダーウィン死後100周年記念講演でのスピーチ.自然淘汰は累積的適応的複雑性を説明できる唯一の議論であり,それ以外の歴史的に主張された説明が全て成り立たないことを論じている.特にラマルク主義(用不用)は単に獲得形質の遺伝が成り立たないから否定されるのではなく,原理的に累積的適応的複雑性を説明できない(獲得形質が常に有用である保証はない,複雑な生物を作るためのインストラクションはレシピ的に行うほかなく,獲得形質は原理的にインストラクションに戻せない,など)のだ,とする切れ味鋭い議論が繰り広げられている.また跳躍進化を否定するところで断続平衡についても当てこすり的にコメントしていて(これはさらに今回付け加えられたアフターワードでも補足されている)楽しいところだ.またランダムのみで進化を説明する考えを否定するところで木村の中立説についてもふれている.ドーキンスは分子進化の大半が中立的であることを事実として認めているが,それは累積的適応的複雑性の説明にはならないとコメントしている.


次はエルンスト・マイアの100歳を祝って書かれた小文.ここでは進化における目的論の誤謬を枕に,生態系の目的論的誤謬(調和に向かうコミュニティ,あるいはデザイン)について明晰に議論し,それはあくまで共進化系であること,それは個体内の遺伝子の共進化的な特徴にもみられることなどを説く.そしてそのあたりについてやや曖昧なマイアの議論を整理し,遺伝子とヴィークルの違いについて強調している.


次は有名な「血縁淘汰についての12の誤解」(1979年の論文の抄録の形になっている).日本の読者にとってはこれは「延長された表現型」の邦訳書に収録されていることでおなじみだ.現在でもこの誤謬の一部はマルチレベル淘汰論者にしばしばみられるものであり,単に歴史的な文章に止まらず,今でも読む価値のある重要な論考だと評価できるだろう.

第3部 条件付きの未来


ここでは科学者による世界の見方,あるいは予測がテーマになった比較的新しい文章が集められている.


冒頭はエッジによる毎年のブロックマン質問のうち「インターネットはあなたの考え方をどう変えるか」についての回答.ドーキンスは若い頃からのコンピュータオタクなので回答ぶりにもなかなか味がある.ネットの情報の真偽の問題をその半減期から考察してみたり,ネット中毒による時間の浪費を指摘してみたり,ヒトの外部記憶,仮想現実,政治的含意などを扱っている.(なおアフターワードで,2016年の選挙結果が与えたショックがまたも取り上げられている)


次も同じくブロックマン質問への回答.テーマは地球外知性について.冒頭で創造論者のインテリジェントデザインを皮肉ってから,SETIの試み,人間原理による宇宙の解釈,ドーキンス流のドレイク方程式,もしコンタクトがあったらそれはどのようなものになりそうか,知性は自然淘汰でしか説明できないだろうというユニバーサルダーウィニズム,そして最後にインテリジェントデザイン論はデザイナーの存在を説明できないという決定的な問題があることを指摘している.またここでは地球外生命探索についての小文が続いて収録されている.


最後は50年後の科学が達成できることの予測(2008年に出版された,様々な人の50年後の予測を集めた本に収録された原稿になる).ドーキンスは科学はヒトの心の深い謎も解き明かすだろうと主張し,それを超自然的魂Soul-1, ヒトの精神力であるSoul-2の問題(これは虹の解体の主題になる)に区別し,特にSoul-1と科学について論じている.ベルグソンのエラン・ヴィタールの時代はワトソンとクリックのDNAの解明により終焉し,ゲノミクスの進展はきっとヒトの意識の問題にも光を当てるだろうと書いている.

第4部 マインドコントロール,悪戯と泥沼


第4部は新無神論関連の文章が並ぶ.ここはとりわけ痛烈だ.


冒頭はアラバマ州が生物学の教科書に添付を義務づけたシールについての激烈な批判(アラバマ州がこれを決めた1995年にちょうど現地で講演することになっていたドーキンスが予定していた演題を急遽変更して用意した原稿になる).このシールには「この教科書では進化について議論しています.進化は論争のある理論で,一部の科学者は生物の起源についての科学的な説明だと主張しています.しかし初めて生物が地球に現れたところを見た人はいません.だから生命の起源についての記述は単なる理論であり事実ではないと考えられるべきです.・・・・」と書かれてある.ドーキンスはこのシールの全ての文章(かなり長い)について逐語的に吟味し,その誤謬性を徹底的に暴いていく.事実をねじ曲げ,子供を洗脳しようとする試みに対してのドーキンスの怒りが火を噴いているような文章だ.


次は生物を用いた照準システムを持つミサイルはどうすれば可能になるかという(9.11直後にガーディアン誌に載せられた)原稿.ドーキンスはそれはヒトの心に「死後の報酬がある」という誤った信念を植え付けて自爆攻撃をさせることによって可能になるのであり,9.11はまさにその実行だったと書いている.


続いて自然災害などの悲劇は神による罰だと主張する人々への痛烈な批判(インド洋の津波の直後の2005年に書かれたコラム).これは今日の日本でも似たような言説を時に見かけるところであり,強い共感を持って読める部分だ.最後にドーキンスはこう文章を締めている.「世の中には,癒しや慰めに宇宙的な真実など必要としない人々と,ことさらにそれを必要とする人々がいるのだ.後者に出会うとき,私は職業的な教育者としてほとんど絶望を感じざるをえない.」


ここで宗教学校への補助金を推進する英国の首相への公開書簡(2011年)が収められている.子供の宗教的ラベル付けを強烈に批判し,国家は「信念を持つことがよいことだ」という信念を持つべきではないと主張している.国家は無神論的である必要はないが,宗教から中立であるべきだと最後に締めくくっている.


次は宗教を科学的に説明すればどうなるかというレクチャー.「The God Delusion」を書く前の2003年のもの.まず生物学的に馬鹿げた浪費のようにみえる性淘汰産物を採り上げ,適応仮説とその検証のあり方に触れる(ここにはまだグールドによるジャストソーストーリー批判への反論が含まれている).ここから様々な仮説の吟味になる.まず健康に有益というプラセボ効果はあっても弱いだろう,好奇心に答える機能説,慰め機能説は適応仮説になり得ないとする.そして宗教的なグループの方が戦争に強かったというグループ淘汰的説明に対しては,理論的可能性はあるが進化条件は非常に厳しいだろうとだけコメントする.そして自らの説明,それは別の適応的性質,子供が年長者に従うという適応的傾向がミスファイアしているものであり,片方でヒトの模倣傾向につけ込んだミーム寄生体でもあると解説する.「The God Delusion」の議論の骨格が既に示されていると言えるだろう.


ここに「科学は1つの宗教か?」というスピーチ原稿が来る.これは少し古くて1996年のもの,ポストモダニズムへの反論でもあるが,痛烈な宗教批判にもなっているのでここに収められているのだろう.もちろん科学はエビデンスに基づいている点で宗教とは決定的に異なるのだが,ここでドーキンスは,それに加えて「科学は宗教の持つ良い点(モラル)を持ちつつ,その欠点(正しい宇宙観を示せない)を持たないのだ,そして宗教教育で科学と宗教を対比しつつ教えてみればいい(そうすればいかに科学の方が優れているかわかるだろう)」とちょっとひねった議論を繰り広げている.


最後もかなりひねった2004年のクリスマス時期のコラム.イエス・キリストは,その時代のユダヤ教にあったヤハウェの報復的な残虐さに抵抗したのであり,超自然的なナンセンスから脱却し.ヒトの善良さを強調したミームを創り出し,それをパウロが広めていったのだとする.そしてもしイエスが現代に生まれ変わったなら,組織的宗教のナンセンスに抵抗し,より無神論的なヒトの善良さを強調するミームを創り出しただろうとコメントしている.

第5部 現実世界に生きる


ここではヒトの本質主義的傾向が産む害悪,人間中心種差別主義への問題提起などにかかる文章が集められている.


冒頭は2011年に書かれた原稿.ヒトの心にある本質主義は様々な問題について0か1かの峻別を迫る.これにより本来連続的なものごとをうまく捉えられなくなる.それは学生の成績評価を非合理なものにし,進化の理解を難しくし,特に道徳問題(胎児はいつから人間になるのかなど)に暗い影を落とす.ドーキンスはさらに化石の種名に拘泥する古生物学者を皮肉り,環状種の現実を説明し,人種の定義のばからしさを指摘する*2.「ヒトはなおプラトンの手の中にあるのだ」と珍しく暗いトーンの文章になっている.


引き続いて英国の刑事裁判システムについての2013年のコラムが収められている.もし「合理的な疑いを越えて」有罪を立証されていなければならないというのが真実であれば裁判の陪審の判断は100%予測可能になるはずだがそうなっていないと指摘する.


ここから種差別主義への批判,動物の権利に関する文章が2つ収められている.最初は進化生物学的には動物もウォーニングシステムとして痛みを感じていることは疑いなく,動物は痛みを感じないから人間と峻別してよいのだという主張はなりたたないのだと主張するもの.続いてボンファイヤーナイトの時期*3に連日打ち上げられる花火の轟音に動物たちがいかにおびえているかを憂え,「せめて打ち上げ期間を数日間に限り,そして音を抑えた花火にしてはどうか」と提案するものが収められている.


ここからいくつかの短い文章が続く,最初は様々な合理主義への懐疑論を取り上げて徹底的に批判するもの(ワシントンポストへ2012年に寄稿したコラムを2016年にリバイズしたもの).反エリート主義,宗教的権威への盲信,超自然主義を扱っている.次は英国のテレビで外国語のインタビューが吹き替えになることについて字幕にした方がいいのではないかと提案する2016年のもの(自分が流暢に話せるのが英語に限られることについての反省も込めてという文章).そしてもし自分が世界を統治できたら何をするかという2011年のコラム.航空機のテロ防止のためとされる馬鹿げた規則をなんとかしたいと書かれている.

第6部 自然の神秘的な真実


ここは自然史についての文章が収められている.


冒頭は動物の体内時計について.太平洋のパロロワーム(イソメ目の環形動物)は新月の時期に一斉に身体の後部を切り離して海中に放出して交尾する.このほか鳥の渡り(経度の算出に体内時計を使う),ミツバチのダンス(方向を示す際に太陽の動きを補正するのに体内時計を使う)を説明し,さらにメネシス説の26百万年というどうも正しくなさそうな仮説,太陽黒点の11年周期がまだ生物の体内時計としては見つかっていないことを紹介し,さらに放射性同位体による年代決定,ビッグバン,時間の非対称性などを楽しそうに論じている.


ここから「祖先の物語」に収めきれなかった追加物語が2つ続く.1つはガラパゴスゾウガメの物語.ゾウガメは南アメリカから海を渡り,さらにガラパゴスの中でも海を渡り,島々で分化し,さらにイザベラ島では火口平原ごとに分化し,それぞれの環境に適応を見せる.そしてもう一つはウミガメの物語.「進化の存在証明」でも書かれていた水陸を往復したカメの進化史が説明されている.読んでいて大変楽しい物語だ.


最後はダグラス・アダムズとマーク・カーワディンによる「これが見納め」の2009年版への序言が収められている.絶滅危惧種の保全の理由は「それなしでは世界がつまらなく,暗く,孤独な世界になってしまうこと」で十分だと主張し,デジタル時代の申し子ともいうべきアダムズの人柄と抱腹絶倒の旅が解説され,そしてその早すぎる死への追悼が述べられている.

第7部 生きたドラゴンを笑う*4


ここではドーキンスのユーモアあふれる文章が集められている.英国風ユーモアは時に難解だが,独特の味があってなかなか楽しい.


最初は首相を引退したトニー・ブレアが「世界の主要宗教間の相互理解と相互リスペクトを推進し,現代世界で善を推進するためにいかに信仰が重要かを示す」ことを目的としてファンドを募集したことに対する痛烈な皮肉.もちろん今後ゾロアスター教や,モルモン教,そしてサイエントロジーも含めるんでしょうね,キリスト教の子供とイスラム教の子供の相互理解の後はもちろんポストモダニズムの子供とリービス主義者の子供とソシュール構造主義の子供の相互理解に進むんでしょうねなどなど,いかにブレア財団の目的が近視眼的かを示す当てこすりになっている.


次の2つはウッドハウスによる「比類なきジーヴス」のパロディ*5.いかにキリスト教の教義の一部が馬鹿げているか,創造論者が進化を誤解しているかが語られている.原作を知っているなら抱腹絶倒間違いなしだ.


ここから,宗教Religionのアナグラム「Gerin Oil」を使って,宗教的信念がいかに薬物中毒に似ているか示すコラム,ロバート・マッシュの「恐竜の飼いかた教えます」の第2版に寄せた序文,「無トール主義:(トール神はいないという主張)」に対する洗練されたトール神学者の言い分というパロディが並び,最後にこれもブロックマン質問への回答である「ドーキンスの法則」が載せられている.これはなかなか面白いので紹介しよう.

  • ドーキンスの難解さの保存法則:アカデミックな主題についての蒙昧主義はその本質的な簡潔性がつくる空白を埋め尽くすまで増大する.
  • ドーキンスの神の論破不可能性の法則:神は負けない.補題1「理解が深まれば神は矛盾に直面する.しかし神は自分自身を再定義して現状維持することができる」補題2「ものごとがうまくいけば,神は感謝される.うまくいかなければ,より悪い結果を避けられたことに感謝される」補題3「死後の世界があるという信念は正しいときのみ証明されうる,間違っていることは決して証明されない」補題4「信念が防衛不可能となったとき怒りの大きさはその防衛の容易さと逆比例する」
  • ドーキンスの地獄と永罰の法則:地獄の業火の温度はその確からしさに逆比例する.
  • ディベートの法則*6:2つの相容れない信念が同じような強さで主張されたからといって,真実がその中間にあるとは限らない.片方が完全に間違っているということはありうる.

第8部 誰も孤独ではない


最後に故人を偲ぶ追悼文が集められている.恩師であるニコ・ティンバーゲンに捧げるもの.自らの父親,叔父に対する追悼.そして(厳密には追悼文ではないが)既に死に至る病を患っていたクリストファー・ヒッチンズをその死の2ヶ月前にドーキンスアワードの受賞者として授賞式に招待したときの挨拶文が収められている.叔父への追悼文はとりわけ読ませるものになっている.ドーキンスの個人的な人柄を表す文章ということになろう.


ドーキンスは論文や著作以外にも多くの文章を残している.このように集めて書籍化してくれるのはファンにとっては大変嬉しい,そして読んでみると期待に違わず素晴らしい本になっている.科学という営み,進化理論,そして新無神論にかかる時に明晰,時に激烈な文章が綺羅星のように並び,その中にぴりっと風刺の効いた小文がはめ込まれ,最後にパロディと追悼文が収められている.私のようなドーキンスファンにとってはまさに至福の一冊だ.


関連書籍


2003年のドーキンス著作集.

A Devil's Chaplain: Selected Writings (English Edition)

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同邦訳

悪魔に仕える牧師

悪魔に仕える牧師


2018年の出版が予告されているピンカーの啓蒙主義に関する著作,私は既にKindle版を予約済みだ.

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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内容的に関連するその他のドーキンスの著作


科学の価値は真実の追究だけではないということにかかる本

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか


新無神論についてはもちろんこの一冊.私の原書の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070221

神は妄想である―宗教との決別

神は妄想である―宗教との決別


水陸を往復するカメの進化史はこの本に収められている.私の原書の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100218

進化の存在証明

進化の存在証明


その他の関連書籍


アダムズとカーワディンによる絶滅危惧種を訪ねる抱腹絶倒の旅物語.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110905

これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景

これが見納め―― 絶滅危惧の生きものたち、最後の光景

  • 作者: ダグラス・アダムス,マーク・カーワディン,リチャード・ドーキンス,安原和見
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 2011/07/23
  • メディア: 単行本
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ドリトル先生シリーズ.岩波の井伏鱒二訳がなつかしい.

ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))

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ロバート・マッシュの恐竜本.原書の第一版はごくわずかしか印刷されずに,入手困難だったそうだ.私はこの第一版の訳書で楽しんだ.

恐竜の飼いかた教えます

恐竜の飼いかた教えます


その強い人気により企画され,ドーキンスが序文を書いた第二版の訳本,表紙カバーからはこれがいかに英国風ユーモアにあふれる本かわからなくなっていてちょっと残念だ.

新版 恐竜の飼いかた教えます

新版 恐竜の飼いかた教えます

*1:これは来年出版が予定されているピンカーの新刊「Enlightenment Now」 と同じ問題意識だろう.

*2:ドーキンスは,アメリカの大統領選挙システムにまで文句を言っているが,これはやや八つ当たり気味だろう.この州の選挙人の勝者総取り方式は,各州が自分の州の政治的重要性を最大化させるために採っているもので,本質主義とはやや別の話だと思う.

*3:英国で1605年の反乱を制圧できたことを記念して行われる行事で,盛大に花火が打ち上げられるものだそうだ

*4:これはトールキンの「ホビットの冒険」に由来する表現だそうだ

*5:著作権に気を使って ジーヴスをジャーヴィスに変えている.

*6:ドーキンスはこれが自分が発見したものではないが,しばしば自分の名前がつけられているのでここに喜んで載せると書いている