「進化心理学を学びたいあなたへ」 その11

「進化心理学を学びたいあなたへ」 その11

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ


4.3 究極の選択を迫られた時 王暁田(X. T. Wang)

王暁田は本書の編者の1人.北京の知識人の家庭に生まれ,中国で基礎医学の教職の道に進むが,1987年にアメリカに留学して認知科学を学び,そのままアメリカで心理学者になる.研究テーマは(特にリスク周りの)意思決定,社会や組織のマネジメントが中心になる.

  • 1986年に私はアメリカで医学のトレーニングを受けようといくつかの大学の医学部大学院プログラムに出願していた.しかし(おそらく)何らかの手違いによりニューメキシコ大学の心理学部から受理の知らせが来る.そのとき私はありとあらゆる合理的・効用主義的計算に反した決断を下す.心理学への情熱と根拠のない自信から自身のキャリアを大きく変更することにしたのだ.
  • なぜ標準的意思決定モデルは私の決断を予測できなかったのだろうか.それは意思決定メカニズムは自然淘汰と性淘汰により作られたものだからだ.
  • 私は進化的な視点からヒトの意思決定を研究している.それは次の4つの要素からなる.(1)進化史で頻繁に現れたリスクと意思決定の問題は何か(2)そのような問題に対処するために見いだすべき特徴は何か(3)それを解決するためのヒューリスティックスはどのようなものか(4)そのメカニズムを促進したり抑制したりする社会的性格的生理的な要因は何か.


<(進化的視点の欠けた)意思決定研究の問題点>

  • 標準的意思決定モデルは合理的経済人を仮定している.合理的経済人は無限の認知資源を持ち,すべての事象の確率計算を行い,期待効用最大化行動をとる.この背景にはSSSMがあり,心は真っ白な石版であり,ヒトの学習推論意思決定の大部分はどんな問題にも使える汎用的知性(少数の論理ツール,確率原理,合理性公理)によりもたらされると考えている.
  • しかしヒトの心がそうした特徴を持つことは進化的に見てあり得ない.適応度差異をもたらすのはこのような規範ルールではなく生存や繁殖にかかる領域固有の問題だからだ.
  • 最近は行動経済学において標準的効用モデルの問題点を克服しようとする動きがある.しかし行動経済学は,既往モデルに新たなパラメータを追加して複雑化させているだけで(結局一般的意思決定メカニズムで期待効用を最大化させようとするアプローチに止まっている),その実証的な裏付けを欠いている.
  • (一般的意思決定モデルは単に期待値のみを問題にするが)進化の観点からはまず効用について適応度であることを明示的にとらえ,その上で(適応度の)分散を大きくするか小さくするかという決定も考慮すべきことになる.
  • 社会的状況や環境制約を無視して(狭い経済的な)自己利益だけにフォーカスしたモデルはヒトの直感をとらえ損ねるだろう.その結果そのようなモデルの信奉者自身が個人的な意思決定においてはそのモデルに従わないということが生じる(面白い逸話が紹介されている).


<進化的視点を取り入れた意思決定研究>

  • このような無限合理性モデルに疑問を抱いたハーバート・サイモンは「限定合理性」概念を打ち出した.それはヒトの情報処理における認知的制約を考慮に入れるべきだとするものだ.
  • さらに近年では社会的生態学的制約を伴ったリスク下の意思決定過程の研究が進んでいる.進化心理学者はヒトの進化における典型的な課題環境をEEAと呼んでいる.それには社会的交換,配偶,親の投資,集団内競争,集団間競争,血縁,道徳,採餌などが含まれる.要するに意思決定においては文脈が重要になるのだ.


<アジア熱病問題における意思決定と社会的文脈>

  • カーネマンとトヴェルスキーはアジア熱病問題と呼ばれるフレーミング効果を示した.彼等はこれは期待応用理論の不変性原則に抵触し,非合理な意思決定バイアスだと論じた.
  • 私は最初にこれを知ったときに,この認知バイアスは何かリスクが生じている社会的文脈と関連があるのではないかと感じた.危機にさらされている人命の数(オリジナルでは600人でEEAにおけるリスクで問題になる典型的な人数より遙かに多い)が隠れた重要な変数であるように思えたのだ.
  • 私は集団人数をシステマティックに操作してこのバイアスがどうなるかを検証した.そして集団サイズによりフレーミング効果が影響を受けることを見いだした.危機に瀕した集団サイズが(EEAで遭遇したであろう)2桁に収まるときにはフレーミング効果は消滅したのだ.同時に小集団の人数は血縁関係をより強く想起させ,意思決定はよりギャンブル的(つまり何とか全員を救おうとする方向)になった.この結果は期待効用理論の標準モデルの予測と対照的だ.
  • 私はさらに研究を進め,この効果が単に大きな数字に対する認知的制約によるものではないこと(6人と60人ではあまり効果に差が無く,600人と6000人でもあまり効果に差が無い)このサイズ依存効果は「人命」の場合に生じること(60億人の人命ではフレーミング効果が生じるが,60億人の地球外生命体の命の場合には生じない)を示した.
  • さらに最近では集団サイズ効果の脳内基盤についても研究している.


4.1節,4.2節でギゲレンツァー,トッドがヒューリスティックスの方が優れているとだけ語っているのに対して,王暁田はきちんとまず認知的制約の問題に触れ,続いて効用の定義と社会的文脈の関係を押さえていてわかりやすい.
このアジア熱病問題のフレーミング効果のサイズ依存性は進化心理学の有用性についての初期の鮮やかなデモンストレーションとして記憶に残っているところだ.
なお小集団でよりリスク志向的になる理由については解説されていないが,EEAにおいては家族や小集団が半分になって生き残っても(集団サイズの減少による競争上の不利から)包括適応度は半分より大きく下がる傾向があることが要因になるのだろう.

4.4 男と女が無理する理由 サラ・ヒル

サラ・ヒルはデイヴィッド・バスのもとで学んだ若手進化心理学者.社会的行動と社会的認知プロセスについて研究している.ここでは自らの研究を紹介している.

  • ヒトの意思決定は進化的に形作られた領域特殊的な様々なヒューリスティックスによっていることが明らかになってきている.このヒューリスティックスは,適応度に影響を与える文脈に影響を受けることが予想される.
  • 私は個人がどんな文脈で安全志向からリスク志向に行動戦略を切り替えるかを検討してきた.
  • 社会的競争の状況において,自分の(ライバルとの)相対評価が低いとよりリスク志向的になると予想し,検証したところ,結果は予測を支持し,これまで安全志向とされていた意思決定も相対的地位の関心によっては反転することが示された.リスクをとった場合にのみ相対的な(金銭的な)地位を逆転できる可能性が生まれる場合には特にリスク志向的になる.
  • また異性間の求愛と同性間の競争を顕在化させると,女性が自分を魅力的にみせるためにリスクを冒すようになるかどうかを調べた.そして日焼けサロン通いと危険なダイエット薬の服用という形でそれを示す結果を得た.そしてそのような選択をしているときには女性はリスクを低く見積もっていた.これは競争的局面でよりリスク志向的になるように働く心理メカニズムの1つであると考えている.
  • 私は現在の感情状態の変化がどのように認知処理と行動に影響を与えるかについても調べている
  • 嫉妬は不愉快な感情であり,この社会生活上の機能について検証した.一般的には不愉快な感情は何らかの警戒を促す機能を持つ.嫉妬はその心理的苦痛の原因への対処の動機を強め,自分の地位の向上や相手の地位を引きずり下ろしたりする行動につながっている可能性がある.この予想についていくつかの検証を行ったが,それらはすべて「嫉妬は他者の優位性に注意を向ける」という仮説を支持している.
  • 現在は協力と罰の行動における嫉妬の役割を調べている.
  • 10年前私がこの領域に入ったときには進化心理学は異端の学問として扱われており,研究の動機について疑われることさえあった.しかし進化心理学が世に送り出した知見の質と量は,その状況を変えてきた.主流の心理学誌に進化的アプローチの研究が載ることはもはや珍しくない.今は進化心理学者になるにはうってつけの時代だ.


一発逆転の可能性があるとリスク志向的になるというのは直感的にもわかりやすい.しかしこれは効用の定義を競争的文脈にあわせて調整すれば,合理的経済人の期待効用最大化アプローチでも同じ結論になる.どのように効用を調整するかのところに進化的なアプローチの有用性が表れるということだろう.
これに対してリスク志向的にさせるために自己欺瞞的にリスク見積もりを変化させる方略は期待効用最大化アプローチからは出てこない.どのようなメカニズムが進化しやすいかにかかるところで,なかなか面白い.