ピンカーのハーバード講義「合理性」 その13

ピンカーの合理性講義.全24回が終了したが,講義中にあまり質疑応答の時間を取れなかったということで,第25回には質疑だけに特化した補講が用意されている.題して「何でも聞いて」.講義前の音楽はムーディ・ブルースの「Question」
 
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第24回 何でも聞いて

 

質問1

(質問者)

  • アポロ計画での月着陸やホロコーストの否定論がある.真実を否定するようなグループについてはどう説明するのか?

 
(ピンカー) 

  • ご指摘のような現象についてのヒューリスティックス,バイアスの知見は実は驚くほど少ない.しかしこの問題は今やとても重要になっている.それは私たちの大統領がこのような思考形式にとても親和的だということもあるからだ.
  • また部分的には講義の中で説明している.それは部族主義的なメンバーシップのディスプレイであり,真実かどうかよりも,自分が何者であるか(そのグループに受け入れてもらえるか)の方が重要だという説明だ.
  • この説明に関しては,大きな部族としては右派と左派ということになるが,実はもう1つ分断軸がある.それはエスタブリッシュメントと大衆という軸だ.大衆部族は真実かどうかよりもカオス,ナラティブを好むことになる.
  • この部族主義的説明が当てはまるのは,気候変動や進化などの政治的な色がついた問題だ.

 

  • しかしそうではない陰謀論や真実否定言説も広く信じられている.至近な例では「コロナウイルスは○○によって○○のために開発された人工的なウイルスだ」などがある.
  • 何故このような現象があるのかについてはリサーチを経た確立された知見はない.だからここからは私の仮説,推測だ.

 

  • 私たちは自分の身の周りの現実を自分の生活の前提として持っている.車のガソリンはまだあるか,明日どのようにオフィスに行くか,などの問題は外界の現実とつながっている.この部分では誰しも真実を気にする.
  • しかしそれ以外のゾーンがある.直接自分の生活に関係ないところにはマルチプルなナラティブがある.多くの人はその世界では前提が真実かどうかはあまり気にしない.グループで共有していると集合的神話ということになる.そこでは真実かどうかよりも,面白い話か,道徳的に受け入れられる話かの方が重要だと感じるのだ.
  • そして私やあなたちハーバード生を含むアカデミアの部族はこの点に関して「すべての信念に関してはそれが真実かどうかが重要である」という「ユニバーサルリアリズム」を信奉している.私たちはすべての物事を自分で確かめることはできないから専門家のネットワークを信用する.そしてはるか過去の歴史から宇宙の果ての現象まである話が真実かどうかを気にする.しかしこれは実は心理的には不自然で歴史的には新しい考え方なのだ.
  • 多くの人はそういう風には考えない.良い例は歴史ドラマや映画だ.どんなに史実に基づいたものであっても脚本家は話を盛っているし,台詞はほぼすべて創作だ.でも普通の人はそれでいいのだ.すべて真実かということより「いい話」かどうかの方が重要なのだ.
  • もう1つの例は宗教だ.宗教においてはいろいろなとても信じがたいことを信じるように説かれる.そして信者はそれが文字通りの真実かどうかは実はあまり気にしていないことが多い.モラル的に受け入れられるかの方が重要なのだ.ドーキンスの新無神論の受けが悪いのはここに原因がある.神が実在するかどうかは実はそれほど信者にとっての重要な論点ではないのだ.彼等の関心はモラル,存在論,コズミックなところにあって,それは神話やお話しに近いのだ.
  • これが私の推測だ.トランプがあんなに嘘ばかり言っても大して支持率が落ちないのもここに原因があるのだと思う.

 

質問2

(質問者)

  • 世の中にはいろいろな人がいて,時に事実の主張について間違っている人もいる.しかしその人に「事実は違いますよ」と伝えても,しばしば「私はあなたのその指摘に傷ついた,謝罪せよ」という風に反応される.そういう場合に単に謝る方がいいのか,いや私は事実を指摘しただけであなたを攻撃したのではないと頑張る方がいいのか

 
(ピンカー)

  • 事実を伝えただけなら謝るべきではないと思う.特に大学内ではそうだ.
  • そして単に謝るという対応をとると相手の敵意を強めてしまうというリサーチもある.

 

質問3

(質問者)

  • 私は女性がSTEM部門に少ないのは性差別の結果かということについて興味がある.そしてリサーチを調べると,確かに空間把握能力などでは性差があるという知見を得ることができる.しかしそのような知見はこの問題については,(差別が原因だという論者には)全く受け入れられないように見受けられる.こういうことについてどう考えればいいのか.

 
(ピンカー)

  • 一般的に認知科学の知見を確立させるのは非常に難しい.それはヒトの反応がノイジーでアンケート調査にはいろいろ問題が生じやすいからだ.
  • こういう問題にはメタアナリシスが重要だ.そして良いメタアナリシスは単にこの問題については51%が支持で49%が不支持だというだけでなく,なぜこの違いが生じるのか,この問題がどのように複雑なのか,見落とされている可能性のある要因は何かにまで踏み込んでいる.

 

  • そしてこの性差別問題に関しては確かに政治的な含みがある.そしてまさにこのハーバードで15年前に総長ラリー・サマーズ辞任事件が起こった.また最近もGoogleメモ事件が起こっている.両方のケースでサマーズもダモアもメンタルローテーションで性差がある,職業選好に性差がある,分散が男性の方が大きいなどというかなり確立している知見に基づいた意見を述べただけだが,大騒ぎになった.
  • この問題について.まず押さえておくべきことは,性差があるものについても男女の重なりは大きいということ,そして女性の方が優秀であると認められている能力も多いということだ.
  • そのうえでこの地雷原の上を綱渡りしようとするなら,「なんらかの差別を正当化しようとするものではないこと」「男女の能力や選好についてのクリアーな知見を得ようとしているだけであること」を強調することを勧める.

 

質問4

(質問者)

  • 私は大きなイベントを経たヒトの行動の変化に興味がある.産業構造の変革とか911の前後とかだ.今回のコロナウイルスのパンデミックを経てヒトの行動はどう変わると思うか

 
(ピンカー)

  • 今まさにその最中なので予測は難しい.911のときになされた社会の変容についての予測の多くは極度に誇張されたものであったことがあとでわかった.例えば本社に機能を集中させるのはテロの標的になりやすいので,企業は本社を持つのをやめるだろうとかの予測は皆外れ,多くはノーマルに戻っていった.もちろん空港などのセキュリティは少し厳しくなったが.
  • アメリカでは大災害のあとは,それに対応した動きがあるのが普通だ.911のときは国土安全保障省が新設された.30年代40年代に都市の大火災が相次いだときには消防の組織や危機設備が整備された.
  • 今回も同じことが起こるだろう.次のパンデミックに備えて早期探知システム,対応するためのネットワーク,個人予防手法の開発,薬やワクチンの早期対応体制の整備などだ.

 

  • この講義との関係でいえば,リスク認知と利用可能性バイアスが関連する.利用可能性バイアスがあると,リスクがイメージできればその認知が上がり,イメージできないと認知が下がる.これはアジア諸国がアメリカやヨーロッパ諸国より上手くできている1つの要因ではないかと思っている.彼等はSARSによって今回のコロナの危険性をよりイメージできたのだろう.いずれにせよより良いパンデミックへの体制が整備されることを望んでいる.

 

  • 行動変容という点では今まさに私たちがやっていることをどう考えるかだ.つまりこれまでフェイストゥーフェイスのミーティングが重要だとされていて,多くの人は飛行機や自動車で物理的に移動して会議や商談や講義を行ってきた.しかし今回それができなくなり,やむを得ずにZoomなどで面談するようになった.そしたら実はフェイストゥーフェイスは多くの場面で不要だったのではないかという認識を皆が持つようになってきている.
  • もちろん今すぐにすべてが置き換わるわけではないだろう.しかしEメールが物理的な手紙に,オンラインメディアが既往メディアに,ストリーミングが映画館に与えたような影響は出てくるだろうと思っている.多くの面談はオンラインに移行するだろう.

 

  • グローバル化やジャストインタイムのサプライチェーンがどうなるかが議論されている.この点に関して私は大きな変化が生じるという意見には懐疑的だ.グローバル化はものすごく大きな基盤的な動きだ.そう簡単に動きを変えることはない.そして国際貿易には引き続きものすごい利点があるし,パンデミックへの対応自体に国際協力は不可欠だ.サプライチェーンも大きく変化して巨大倉庫や高い在庫水準が基本になるという意見にも懐疑的だ.ただいずれにしてもこの手の予測は難しい.

 
(質問者)

  • ミーティングについてはコロナが既にあった動きを加速したという理解か

 
(ピンカー)

  • そうだ.テレカンファレンスは増えつつあった.そして今回のコロナウイルスはこの動きを加速するだろう.皆が今回やむなくオンライン面談をやってみたら,多くの面談はこれでこなせることがわかってきた.ただどこまで置き換わるかの予測は難しい.私は「多く」の面談がオンラインに移行するだろうという言い方に止めておく.

 

質問5

(質問者)

  • 講義でモアウェッジはバイアスを訓練により克服できると主張していたが,それはどこまで信頼できると思うか

 
(ピンカー)

  • あそこで主張されていたのは訓練で違いが生じるということで,それは信頼できる.
  • ではどこまでバイアスを克服できるのかというのは別の話だ.モアウェッジはカーネマン自身がバイアス克服には悲観的だったと紹介している.
  • しかしカーネマンはほとんどの人はシステム2も使うことができると指摘している.誤謬が生じやすい環境のキューに目を配り,見つけたら意識的に誤謬の補正するように努力する事はできる.これはバイアス自信をなくすわけではないが補正を賭けられるということだ.
  • 長年にわたり「相関と因果に気をつけよう」とか「逸話だけで飛びつかずにデータをみよう」とか訓練していれば違ってくる.そしてどのようにすればバイアスを補正できるかの方法を知っていることも役に立つだろう.私は小学校の時から訓練をすればいいのではないかと思っている.

 

質問6

(質問者)

  • 自己意思,自制というのは本当にあるのか.例えば体重を減らしたいが,「自分に体重を減らすことはできない」と信じているような人は自己意思があると言えるのだろうか

 
(ピンカー)

  • まず,ヒトは自制の能力を持っている.それは前頭前野から辺縁系に至る脳内のネットワークとしても解明されているし,実際にヒトは様々な欲望を抑えることができ,それは人生の成功と相関していることが知られている.
  • しかしそれは無限ではない.肥満に関していえば,肥満しているからといって自制能力がないわけではない.ヒトには体重のセットポイントがあり,そして各人の自制能力はレンジを持っている.そして各時点でレンジの中で自制能力を発揮し,セットポイントから上下するというのが実情だろう.
  • 講義との関連でいうと,短期的な割引率の問題から逃れる方法としては自制よりもオデュッセウス的な方法の方が効果的だ.我慢して自制するのではなく,事前に環境を操作してその時点で欲望を満たすことを不可能にするのだ.

 

質問7

(質問者)

  • この自制能力を改善することはできるか

 
(ピンカー)

  • いい質問だ.この問題には2つの次元がある
  • 1つは人は将来の期待についてそれぞれ異なるマインドセットを持っているということだ.期待が高い人はより達成が難しい将来の希望を持ち,それに必要な自制能力の水準が異なってしまう.
  • もう1つは訓練による改善が可能かという問題だ.これはバウマイスターのリサーチが有名で,彼は自制能力は筋肉と同じように訓練で改善できるし,使い続けると疲労で能力が下がると主張した.この主張の是非には議論がある.私は訓練による改善はありそうなことだと思っている.

 

質問8

(質問者)

  • 講義では政治的バイアスと部族主義の話があった.現在政治的な分極化が進んでいる.私の祖父は保守派だったが,いろいろな論点について有意義な議論ができた.しかし今は学校内でそういう議論を行うのは難しくなっている.合理性を使うとして,どのように政治的に意見を異にする人達に対応すればいいのだろうか

 
(ピンカー)

  • それはまさに「the question of this era」だ.私が証明された効果的な方法を知っていればなあと思う.
  • とはいえ,いつもうまくいくとは限らないが時にはうまくいく方法はいくつか示唆されている.
  • まず同じ場所にいて共通の問題の解決をしなければならなくなると部族主義が減退することが知られている.
  • また議論する際に,相手をデモナイズしない,道徳と絡めて人格攻撃をしないことはとても重要だ.
  • 分断が何故あるかを理解することも役に立つ.これは教育程度により住居地区と職業選択が分断されていることが大きな要因になっている.過去はこの分断を埋める環境(徴兵制による軍隊経験,ライオンズクラブのような組織)があったが,それが失われている.
  • 議論において何故そう思うのかの理由やデータの有無の確認も役に立つ.ただし都合の良い証拠のチェリーピックで論争がさらに燃え上がることもあるので注意が必要だが.
  • そして部族的シンボルにはとりわけ注意すべきだ.いい例は気候変動だ.アル・ゴアはこれについて明確な意見を述べたが,政治的な色彩を問題に与えてしまったともいえる.あまり合理的とはいえないかもしれないが,右派の気候変動問題に関心のある人々を取り込むことも役にたつだろう.
  • 気候変動については気候変動自体ではなくプログラムの是非を議論するのが有効だろう.炭素税や原発やいろいろな提案があるが,そのどれがいいかを議論するのだ.それは問題を協力して解決しようという方向につながる.

 

質問9

(質問者)

  • トランプの当選予想の時に明らかになったが,ヒトはアンケートの正直に答えないことがあるが,この問題にはどうすればいいのか

 
(ピンカー)

  • アンケート調査への回答の信頼性は社会科学の大きな問題の1つだ.
  • これは回答が社会的望ましさに関連するときに問題になる.そしてアンケートの中にそういうの(例えば嘘をついたことがある)が1つでも混じっていて,それに不正直に回答すると,そのあとのアンケート回答の正直度が下がってしまうという問題につながる.
  • いくつかの対策はある.匿名性,他の人がどう回答するかの予測も合わせて答えてもらって補正するなどだ.
  • ダヴィドウィッツはGoogleのサーチデータを使ってこの問題を回避した.ゲイについてや人種差別についてなどの実態把握を行ったのだ.
  • いずれにせよこの問題は残る.

 
(質問者)

  • Googleなどのデータを使うのはプライバシーのような問題があるのではないか

 
(ピンカー)

  • プライバシーの問題と,サーチリザルトが副作用的な影響を与えるという問題がある.プライバシーに関してはダヴィドウィッツは匿名化されたデータを用いている.
  • この問題は私企業と政府,言論の自由とも絡み複雑だ.

 
以上で補講も含めたピンカーの講義は終了だ.半年分の講義を短時間で受講できて大変楽しかった.
 

<完>