From Darwin to Derrida その118

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その12

 
ヘイグによる目的論の擁護.再帰的な因果を持つ自然淘汰プロセスは,因果の逆転なしに目的が手段の原因になりうる.現在の構造は過去それが役立ったからだという説明が可能になるのだ.ここから目的,手段,情報についての議論となる.

目的因と機能 その2

 

  • 目的は他の目的の手段となりうる.アヤラは至近的な目的(機能や直接の結果)と究極的な目的(繁殖成功)を区別した.ほとんどの生物学のリサーチは,明示的に究極目的に言及せずに,至近目的を得るための適応を扱う.前節で扱ったような心を持たない解釈者にとっての至近目的は,環境から得られた情報や送付されてきた遺伝テキストの解釈だ.それらの解釈者たちの目的があるかのような振る舞いは,過去環境で何が有用だったかを精密な情報移転分子機構に組み込む淘汰過程の結果だとみることができる.

 
https://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/288276

参照されているのはフランシスコ・アヤラによる1970年の論文「Teleological Explanations in Evolutionary Biology」になる.そこでは適応の説明における目的論が単に受容可能なだけでなく不可欠だと擁護されているようだ.
ここでは究極と至近という言葉が使われているが,いわゆる究極因と至近因ではなく,いわば究極因の中の説明のステップの違いになる.そしてリボソームのような「心を持たない解釈者」にとっての目的は至近目的としてみる方がわかりやすいということになる.
 

  • 淘汰とは代替選択肢セットの中から選ぶことだ.代替選択肢がなければ選択もない.ダーウィンによる「自然」淘汰のメタファーにおいては.「環境が(生存や繁殖の違いに基づいて)選ぶのだ.私の遺伝レプリケータの振る舞いの定式化によれば,環境は遺伝子の効果のセットの中からそのどれか選ぶことになり,そういう意味で遺伝子を選ぶことになる.
  • 効果はある遺伝子が作る(他の遺伝子との)違いだ.それは単一の遺伝子の特徴ではなく,他の遺伝子との比較において生じるものだ.淘汰を受けた遺伝子は違いを作る違いなのだ.この定式化においては,表現型(遺伝子の効果)は,代替選択肢(他の遺伝子)との違いによって定義され,環境はそれらの代替選択肢が共通に持つものと定義される.この定義のもとでは,ある比較におけるある表現型は,別の比較においては環境となる.
  • 自然淘汰は表現型を環境に転換する傾向を持つ.なぜならまともな代替選択肢がない世界ではすべてが環境となるからだ.有害突然変異は「ネガティブ淘汰」によって取り除かれる「非合理的選択」となる.それは生じるとすぐに排除される違いを作る選択肢なのだ.

 

  • 環境による選択は遺伝子が子孫を作る不確実さを減少させる.淘汰を受けた遺伝子はこれらの選択についての情報を後代のリボソームやその他の心を持たない解釈者たちに伝える.環境による選択がランダムでなければ,遺伝子の情報は環境の選択基準として有用なものになる.

 
そして「淘汰」とはいくつかの選択肢の中からどれかを選ぶことであり,それはその選択肢の持つ効果の違いに基づいていることになる.そして違いがないものは自然淘汰プロセスにおいてはすべて環境として扱われる.違いはすなわち情報だから,「環境」は情報に基づいて情報を生み出し,それが伝えられていくという構造を持つことになる.
いろいろ難解で息切れしそうになるがヘイグの説明はまだまだ続いている.