From Darwin to Derrida その123

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その17

マクスウェルの悪魔の議論から発想を得たと思われる3体の悪魔.ダーウィンの悪魔は遺伝子(アレル)の中の一部をより抜いて選び出し,メンデルの悪魔は有性生殖のたびに遺伝子をランダムに混ぜ合わす.そして最後に登場するのは登場するのはパースの悪魔だ.私はもよく知らなかったが,調べてみるとチャールズ・サンダース・パースは19世紀のアメリカの数学者.論理学者,哲学者で数論やカテゴリー論で様々な先駆的な業績を残した人のようだ.ここではコントロールされたランダム化実験こそが自然に隠された真理にせまれる唯一の方法であることが語られる.
  

パースの悪魔

 

実験・・・は無言の情報提供者だ.それは決して自白しない.それは単に「yes」とか「no」を答えるだけだ.・・・それは自然史の学徒であり,彼にのみ自然は宝物を開示する.自然は厳しく追求する実験者に対して報いを与えるのだ.

C. S. パース プラグマティシズムとは何か*1

 
https://arisbe.sitehost.iu.edu/menu/library/bycsp/whatis/whatpragis.htm
https://philpapers.org/rec/PEIWPI

 

  • パースは実験科学者と本からのみ学んだ人を比較している:「この2者はまるで水と油だ.そして一緒にしても互いによい影響を受けることなく全く異なる心理的な道を行くだろう」 彼の鮮やかなメタファーは,彼の「どのような学問も専門用語体系なしでは意味を成さない.そして専門用語体系に置いては,すべての用語は単一の定義された意味を持ち,その学問を行うすべての学徒に受け入れられ,そこに(ルーズな書き手が誘惑されるような)甘さや魅力を乗せるようなことをしてはならない」という訓戒を裏切っている.
  • 彼はまた実験家の「実験の簡素な口琴(meagre jews-harp of experiment)」の貧弱さをナチュラリストの「観察の壮麗なオルガン(glorious organ of observation)」の豊かさと比べている.このひどい不公平な比較にもかかわらず,合理的な信念は繰り返し実験の結果からのみ得られるのだ.「もしある概念の肯定や否定が意味する考えつく限りの実験現象を正確に定義できたなら,その概念の(それ以上でもそれ以下でもない)完璧な定義が得られたと考えるべきだ.」 正しい行いは実験にガイドされた選択だ.

 
コントロール実験の威力を示すなら「フィッシャーの悪魔」あたりになりそうなものだが,パースを持ってくるところがいかにもヘイグの蘊蓄ぶりということなのだろう.口琴(ユーラシアの草原でひなびた音を流しているイメージか)とオルガン(これは当然荘厳な音を響かせるパイプオルガンのイメージだろう)の対比も面白い.きちんとした手続きに従っていれば,いかに貧弱な実験であってもその威力は百万の観察に勝るということをいいたいのだろう.
 

  • 実験は疑問の解決のために自然が提供してくれる選択だ.実験は厳密に定義された質問に対する簡潔でそっけない答えを与えてくれる.これらの答えは,世界の状態についての実験家の不確実さを減らしてくれるときに情報を与えてくれる.そこから得られる信念は,行動をガイドするときに意味を持つ.これにより「合理的な実験論理によりコントロールされた考えは,ある特定の意見への固定に至る」.そしてその意見は恣意的なものではなく自然によって決められているものなのだ.

 
そして実験的手続も違い(特定の意見の固定)を作り出す悪魔だということになる.そしてメンデルの悪魔がいるからランダム化が生じ,その上で働くダーウィンの悪魔はある意味コントロール実験を行っているということになる.
 

  • このような実験的手法(パースの悪魔)と自然淘汰(natural selection)(ダーウィンの悪魔)は違いの解決者(resolvers of difference)であり,その違いは自然の選択(choices of nature)が有益な情報を通じて適応的な行動を教えてくれる中で生じる.
  • コントロールされた実験はある要因のみ変化させ,残りを一定に制御する(その他がすべて同じであれば:ceteris paribus).それはその物事の原因となる違いを決定するためだ.しかし実験は平均して残差(コントロールされていない変化)を抑え込むために繰り返されなければならない.
  • 有性生殖の組み替えは,異なる遺伝的背景のもとでアレルの違いを際立たせるための,コントロールされた繰り返し実験に似ている.アレルの違いの平均効果は複雑な生物学的相互作用を単純な二値の選択に還元する.
  • この実験的手法や有性生殖生物の成功は,組み換えたユニットに対する単純な選択が統合された全体に対する思索よりも有効であることを示唆している.

 
そしてここがヘイグのポイントだ.生命体の知見を得るには,ランダム化された中で選択を行ってきた手続きを還元的に調べる方が,生命体を全体としてみて観察を繰り返すよりはるかに豊饒な方法だということだ.
  

  • 因果的概念と法的概念の歴史は密接に絡み合っている.裁判(trial)の機能は被告が犯罪に対して有責(responsible)かどうかを決めることだ.数多くの状況や意見が考慮されるが,判決は二値(有罪か無罪か)だ.
  • 知られている最古の「try」の意味は「篩い分ける」「あるものと別のものを(特に善と悪とを)区別する」「選ぶ」だ.そして同じく「trial」の最古の意味は「違いの決定,有罪か無罪かを裁判,決闘,試練によって決める」だ.
  • 自然淘汰は,良い原因が報われ,それが学習される再帰的な裁判(trial)と判決(judgement)のプロセスなのだ.

 
そしてヘイグは刑事裁判手続きとの類似性も示唆している.裁判は被告人を有罪か無罪かに篩い分ける.そこが遺伝子を残すか排除するかという二値システムである自然淘汰に似ているというのだが,あまり印象的なメタファーという感じではない.語源的な連想からちょっと書いてみたということだろうか.

*1:引用文献目録にはこれは「What pragmaticism is」(タイトル改題後)と書かれていて,検索すると「What pragmatism is」という論文が出てくる.このあたりの蘊蓄も難しそうだ.