From Darwin to Derrida その124

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その18

 
ヘイグによる目的論の擁護.再帰的な因果を持つ自然淘汰プロセスは,因果の逆転なしに目的が手段の原因になりうる.そして同じく自然淘汰プロセスはダーウィンの悪魔による遺伝子の選別,メンデルの悪魔による遺伝子のシャッフル,さらにパースの悪魔によるランダム実験としても解釈できることを議論した.ここで発生システム理論の絡む論争がテーマとして取り上げられる.
 

遺伝子淘汰主義と発生システム理論

 

ひとつの物事は,それがそれ自体の原因であり効果であるなら,自然の目的なのだ.

カント

 
冒頭の引用はカントの「判断力批判」からのものだ.カントがどういう文脈でこれを述べているのかについては浅学にしてよくわからないが,いかにもヘイグが引用しそうな文章であることは確かだ.
そしてここから発生システム論者オヤマによる遺伝淘汰主義への批判が引用される.
 

  • 「表現型は遺伝型を環境文脈において解釈する.なぜその中で遺伝子だけが,適応の利己的な受益者としての目的を持つものとして位置づけられるのだろうか.遺伝子は発生の質料因の1つであり,遺伝子の発現は発生の作用因の1つだ.しかし個体発生は遺伝子と環境の複雑な相互作用を通じて遂行される.発生システム理論の視点から見るなら,遺伝子には特別の役割はなく,因果的マトリクスがそれ自身を再帰的に再構成することになる.」(オヤマ 2000)

 
ここでオヤマは質料因と作用因を持ち出して議論している.そして発生においては遺伝子はいくつかの要因のひとつに過ぎないと主張する.遺伝子淘汰主義は発生において遺伝子のみが原因であるとは主張していないのだからこれはある種の藁人形論法だが,ヘイグはそう決めつけずに議論を進める.
 

  • 遺伝子は他の遺伝子や環境と相互作用し表現型を作り,それはどの個体が子孫を残すかに因果的に影響を与える.しかし環境が別のアレルではなくあるアレルを選ぶときには,それはそのアレルの平均効果に基づいて選ぶのだ(フィッシャー 1941).ルウォンティンの用語法(2000)によれば,アレルの効果は違いの原因だが,相互作用は状態の原因だということになる.違いに基づく散文的な淘汰は,詩的な状態の変化の意図せざる著者だということになる.

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-1809.1941.tb02272.x

 
引用されているフィッシャーの論文は「Average excess and average effect of a gene substitution」になる.そして自然淘汰はあるアレルの平均効果に基づいて働くというフィッシャーの洞察が述べられている.ここでルウォンティンへの皮肉が入っているのが楽しい.