From Darwin to Derrida その143

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その8

 
だんだん難解になる「Making Sense」.送信者(最初の解釈者,情報の創造者)意図と受信者(2番目の解釈者,情報の消費者)の意図が異なるという話に続き,送信者の意図が欺瞞的な場合の話になる.
  

解釈の解釈 その3

 

  • さらに著者の意図と,著者が読者にどのように解釈させようとしていたかというのも区別されるべきだ.一部のテキストは欺瞞的だ.ガの折り畳まれた翅の隠蔽色は捕食者に「ガではない」と解釈されることを意図したものだ.そしてガが飛び立つ時に翅を広げて見せる目玉模様は,(貴重な一瞬を稼ぐために)「上位捕食者の眼」と解釈されることを意図している.もしこれらのテキストがガの捕食者にガが意図した通りに解釈されるなら,それらは目的に役立ったのであり,読者に誤解させるという著者の意図通り読者に解釈されたのだ.

 
最初の意図と意図した解釈の区別というのは,どう解釈させようとしたか(what)となぜそう解釈させようとしたか(why)は異なる問題だというほどの趣旨だろう.ここから目的論についての蘊蓄が始まるかと思いきや,ヘイグは禁欲的に意味について語り続ける.
 

  • 完成した巣には構築についての証拠が残されている.もし鳥が自分の巣のモデルを自分が巣立った巣に求めるなら,親の巣は子の巣の構築の情報を伝えていることになる.もし親が,子が再構築しやすいように巣を作っているなら,それは孫の生存率を上げることになり,繰り返されるだろう.だとするなら巣は子どもの解釈を意図したテキストということになる.この例は物事は(抱卵のための)ツールであると同時に(子孫への教示のための)テキストでありうることを示している.マフィアが内通者の死体を通りに放置するとき,殺人は(裏切り者の消去という)目的についての直接的な手段であると同時に,(潜在的な内通者への警告という)テキストでもあるのだ.

 
ここはちょっと面白い.あるテキストには二重(あるいはそれ以上)のメッセージが託されることがあるということだ.するとそのテキストの「表現型」は2つの目的にとっての最適性が異なることから妥協的になることが予想される.
 

  • 地上営巣性の鳥の擬傷ディスプレイは,捕食者に「ここに簡単に捕れる獲物がいる」と解釈されることを意図したテキストだ.このディスプレイの機能は捕食者を本当に簡単に取れる卵から遠ざけることだ.もし捕食者がこのテキストを「近くに巣がある」と解釈して近くを探すなら.テキストは意図された通りに解釈されることに失敗しているが,捕食者は状況を正確に解釈していることになる.逆にもし鳥が本当に翼に怪我をしていてその様な動作をしているなら,捕食者が「ここに簡単に捕れる獲物がいる」と解釈することは正しい解釈になる.それを「近くに巣がある」と解釈して探索するなら,状況を誤解釈したことになる.
  • さらに本当は翼に怪我をした鳥が,捕食者がこれを擬傷ディスプレイと解釈することを意図して怪我をした動作を行うという状況も想像することができる.捕食者がそう解釈して近くを探索するなら,捕食者は鳥の動作を,鳥の(捕食者にこう解釈させようという)意図通りにテキストとして解釈しているが,鳥の意図自体を誤解釈していることになる.テキストは鳥の意図を達成し,うまく騙された捕食者の意図を阻止したのだ.

 
ここも面白い.ドーキンスとクレブスが看破したように利害の一致しない送信者と受信者間のシグナルは,送信者による操作になり,受信者はそれを見破ろうとするアームレース的な状況がうまれるということだ.
  

  • 紫外線は色素のない皮膚にダメージを与える.一部の皮膚は紫外線に暴露されるとメラニンを蓄積させる反応を起こす.このような反応を起こさない皮膚は紫外線を情報として使わず,紫外線によって単にダメージを与えられるだけだ.反応を起こす皮膚は紫外線をさらなるダメージを防ぐためのメラニンとして解釈する.黒い皮膚の観察者は,その皮膚が日光に当たったであろうこと,さらに文脈によっては皮膚の持ち主がアウトドアでレジャー活動しただろうことを推測できる.レジャー活動には社会的価値があるので,そのような解釈されるように紫外線ランプで皮膚を黒くしようとする人もいる.この場合黒い皮膚は意図を持つ観察者の解釈に情報を与えるように意図されたテキストになる.

 

  • 解釈(意味)は解釈された情報を「表現(to represent)」するもので,「解釈者」による情報コンテンツの属性要因(ascription)だと考えることができる.(ここで解釈は観察のメタファーとして使われている) 表現はどのように解釈者の内部プロセスが情報から意味を引きだし,なぜ解釈者はそのように解釈するように進化したかという興味深い疑問を生じさせる.テキストは単に著者により使われた情報を表現(represent)しているわけではなく,意図された読者に向けた情報を提示(present)しているのだ.
  • テキストは直接的ではなく,読者の解釈を通じて間接的に働く.テキストはエージェントではない.それ自体は何もしない.しかしテキストの違いは世界に大きな違いを作ることができる.それはバガヴァット・ギーターやアメリカ独立宣言やシオン賢者の議定書のことを考えてみればわかる.

 
このあたりは難解だ.利害が対立するものの情報のやり取りはいろいろと複雑な状況を生み出すので,それを深く考察できるということだろう.
なおよくわからなかったので調べて見ると「バガヴァット・ギーター」とは古代インドの長大な叙事詩「マハーバータラ」のなかの一節で,神の化身クリュシナとパーンタヴァの第5王子アルジュナの対話が収められている.この対話のテーマの1つが「無私の行為」であり,ガンジーに影響を与えたということらしい.また「シオン賢者の議定書」とは「ユダヤ人が世界を征服しようとしている」という陰謀論が書かれた偽書であり,ナチスのホロコーストに影響を与えたということらしい.このあたりの蘊蓄も深い.