書評 「証拠法の心理学的基礎」

 
本書は英米法の中の証拠法について,心理学的な視点から考察を行う本だ.心理学と法学のコンシリエンス的な内容で面白そうだし,海外ドラマの法廷ものを観るときにより楽しめるのではないか*1と考えて手に取った一冊になる.
著者のサックスとスペルマンはともに法学,心理学の両分野のキャリア*2を持ち,行動科学,心理学と法律の関係性や記憶と推論の法・公共政策などの研究者だ.原書はNYU Pressの法の心理学シリーズ*3の一冊.原題は「The Psychological Foundations of Evidence Law」.
 
日本は古代ローマ法を継受した大陸法系に属する.大陸法系では基本的に自由心証主義をとり,日本においては法廷で用いられる証拠の証拠能力に関する制限はほとんどない.例外は戦後に英米法の影響で憲法および刑訴法に導入された自白法則(任意性のない自白の排除)と同じく戦後に刑訴法に加えられた伝聞法則(伝聞証拠の排除)ぐらいになる(違法収集証拠については明文規定がなく,判例で重大な違法がある場合についてのみ排除が認められている).しかし英米法においては陪審制が基本であることから,陪審が惑わされかねない証拠は排除されるべきだという法原則が判例法としてのコモンローにおいて成立し,その後連邦証拠規則などによる整理を経て,さらにさまざまな新規立法がなされ,刑事だけでなく民事において証拠法の体系が確立している.すると,どのような証拠がヒトの判断を惑わすのか,証拠を見たあとで排除すると(陪審員に向けて)説示することに効果があるのかなど様々な心理学的な問題が生じることになる.本書はこの問題に真正面から取り組んだ一冊ということになる.
 

序章 心理学と証拠法の交差点

 
冒頭では証拠法のルールの作成者(かつてはコモンロー裁判官,現在では司法委員会,議会,特別小委員会)は,特定の証拠が事実認定者にどのような影響を及ぼすかを予測しなければならないのであり,応用心理学者として行動しなければならないこと,今日成立した証拠法はそれに関する心理学的信念の産物であることが強調されている.
信念の内容を示す具体的例として伝聞証拠排除ルールの例外「興奮状態下の陳述」が挙げられている.これは「虚偽証言をでっち上げるには認知能力が必要であり,刺激的な事件下ではそれが残っていないだろう」という信念に基づいているということになる.より一般的には証拠法ルール決定者は「ルール決定者は事実認定者の心理的プロセスと結果を推論できる」という信念を持っていることになる.本書はこのような信念に合理性があるのかどうかを問いかけていくことになる.
次に証拠法が英米法系で進展し,大陸法系にはほとんどない理由について触れている.通説的説明は陪審制とコモンロー裁判官が陪審の能力に疑義を持っていたことを理由とする.著者たちはそうではなく英米法の強い当事者主義の元では当事者たちの行き過ぎを抑制する必要があったという事情が大きかったのではないかと考察している.
序章の最後では証拠法系も世の中(特に科学の進展)とともに変化していくものであり,証拠法の法学は実証的社会科学を良きパートナーとして持つべきことが説かれている.そして現代において特に重要な実証的問題として,「精神汚染の影響」「ヒューリスティックスとバイアスの影響」を挙げ,また英米法における心理学的知見の応用の曲がりくねった歴史を振り返っている.
 

第1部 陪審を考える

 

第1章 裁判官 vs 陪審:事実を認定するということ


まず,陪審の任務,裁判官によるその管理,証拠法の果たす役割が解説される.最初に驚くのは英米法の陪審員は法廷でメモを取ることを許されていないということだ*4.さらに一度見た証拠をもう一度確認することはできず,証人に質問できず,(証拠調べ終了までの間)陪審員同士で議論してもいけない.これに加えて裁判官から「ある証拠をある目的については利用できるが別の目的については利用できない」などの(認知的な離れ業としかいえない)説示を受ける.
基本的に裁判官は陪審が何を聞くことができるのかを証拠法に照らして判断するのであり,証拠法は陪審が正しく適正な判断を下すために作られているということになる.本章ではここから生じるいくつかの疑問に答えていく.
 
<陪審と裁判官の役割分担>

  • 証拠法を適用するには,ある証拠が採用可能かどうかを判断するもの(裁判官)とその判断に従って採用された証拠だけで事実を認定するもの(陪審)という分業が必要になる.法学者や裁判官たちは(裁判官のみの公判審理(ベンチトライアル)において)裁判官が前者の判断をしたのちに(すでに見た証拠に精神汚染を受けずに)後者の判断ができるとナイーブに信じてきたが,実証研究はそのような期待を支持しない.
  • 一般的に「陪審員が誰であるかが評決に影響する(陪審員のバイアスで評決が左右される)」と信じられているが,実証研究によるとその影響は小さく,評決を左右する圧倒的に大きな要因は証拠だ*5.これは選任において公判参加者と個人的なつながりのある人が排除されること,陪審が集団として判断することで説明できる.(ただし,勝敗判断が五分五分に近い案件,特殊な知識が重要な案件,(人種や民族など)個人的な特性が争点になる案件では例外がある)
  • 証拠法はチャルディーニが「影響力の武器」で示した説得の技術(返報性,コミットメントと一貫性,権威,希少性など)の多くを制限している.これは公判審理をより適正にする効果があると評価できる.
  • 公判審理において証拠はQ&A方式で提示される.これはヒューリスティックスやバイアスの影響をなるだけ受けずに証拠を提示する良い方法だと評価できる.陪審員の意思決定プロセスは,このようなQ&A形式で展開される証拠をベイズ的に一貫性のある物語に作り上げるものだと考えられる.法律家は陪審に一貫性のある物語を提示するか,あるいは相手方の物語の一貫性を攻撃することになる.

 
<集団としての陪審>

  • 陪審が集団であるのは,集団の意思決定の方が優れているという考えに基づいている.ただしこれには独立の判断が為されたあとで話しあうことが重要であり(多数派効果の排除),裁判官は証拠の検討が終了するまでは最初の投票をしないように説示することが望ましい.

 
<裁判官と陪審の意思決定の違い>

  • 裁判官と陪審の意思決定が異なりうる可能性には一般的認知能力(バイアスへの耐性)の差,専門的訓練の効果が考えられる.
  • しかし実証研究によると裁判官が陪審より様々なヒューリスティックスに伴うバイアスに耐性があるという期待は支持されていない.証人の嘘を見抜く能力にも差はなかった(どちらもチャンスレベル以上に嘘を見抜く能力はなかった).
  • 裁判官は確かに法的な訓練を受けているが,事実認定についての訓練はほとんど受けていない.
  • 基本的に両者に事実認定者としての差はない.実証研究もそれを示している.

 
<結論>

  • これら全ての考察において浮かび上がるのは証拠の重要性である.

 

第2章 利益衡量

 
証拠法にはある証拠の証拠価値と陪審に与える不適切な影響のトレードオフが存在する.このためほとんどのルールはある証拠の採用を制限するかどうかについて裁判官に利益衡量を行うように求めている(例外的な絶対的排除ルールも存在する).利益衡量を行うためにはその証拠が陪審員にどのように影響するのかを推測する必要があることになる.ここではその心理学的な問題が利益衡量のルールに沿って解説される.
 
<一般的規則>

  • 利益衡量をするには証拠価値の判断とそれが陪審員に与える負の影響の判断の両方が必要になる.
  • 証拠価値は証拠の関連性を定量化したものになる.(1手法として事件の蓋然性の変化を用いるベイズ的なやり方が解説されている)
  • 排除類型は多様だ.
  • 「不必要な遅延,時間の無駄,重複的証拠」基準:これを判断するためには陪審員の心理状態を推測する必要があるが,その際には「知識の呪い」に注意しなければならない.いくつかの州では陪審員が裁判官に質問提出することを認めているが,良い方法だと考えられる.
  • 「不公正な予断,争点の混乱,陪審の誤導」基準:「不公正な予断」に含まれるものに「陪審の感情を掻き立てる証拠」(しばしば写真が問題になる)がある.これは感情的になると判断を誤りやすく,またぞっとするような被害を示す証拠は陪審に報復感情を生じさせるという前提の上にある.しかし怒りのレベルと有罪判断の可能性に相関はないとする実証研究がある.
  • かつては感情は不合理なものと考えられてきたが,近時の研究は必ずしもそうではないことを示している.感情を含むシステム1が常に誤りの結論をもたらすものではない.また陪審の評決は時間のかかる集合的プロセスなので,感情の生起と判断までに時間差があること,個人個人が一貫性の好みを持つこと,評議があることにより感情による誤りが是正されやすい.ただし集団感情伝染には注意する必要がある.また法律家による感情アピールは(陪審員に操作されているという疑惑を起こさせ)しばしば失敗することが知られている.

 
<証人の誠実性と前科>

  • 証人,被告人にかかる前科の利用の制限:前科は(当該事件の犯行事実の証拠として用いることはできないが)証人の誠実性を示すものとしては利用されて良い.しかし証拠価値と予断の間の比較考量を行うべきであるとされている(ただし偽証の前科については制限なしで証拠採用を認める).(様々な場合が詳しく解説されている)

 
<不法行為の有責性にかかる証拠の類型的排除>

  • 法がすでに利益衡量済みであるとして類型的に排除される証拠がある.多くは過失による不法行為にかかる証拠に関するものだ.
  • 事故が生じてそれについて改善策が立てられたことは過失,有責性,製品の欠陥,警告の必要性についての証拠として用いることはできない.これは陪審が後知恵バイアスから誤導されやすそうなこと,改善は社会的に望ましくそれを妨げるべきではないことから説明される.
  • 和解,和解の提案の事実は有責性の証拠として用いることはできない.これは陪審が帰属理論(他人の行動の原因に特定の意図があると考える傾向)から誤導されやすそうなこと,和解が社会的に望ましいと考えられていることから説明される.
  • 医療費の支払いの事実は事故の有責性の証拠として用いることはできない.被害者の治療に資したいという人としての衝動を,のちの訴訟において不利に扱うことにより阻害すべきではないということから説明される.
  • 責任保険への加入の事実を有責性の証拠として用いることはできない.これは責任保険の普及が社会的に望ましいこと,陪審が「保険がかかっているなら有責性を認めても被告は困らないからいいではないか」と考えて有責性の認定に傾きやすいだろうことから説明される.しかし今日においてはほとんどの被告は保険に加入しており,ほとんどの陪審員はそれを正しく想定しているのでこのような目隠しでそのような認識や影響を排除できないだろう.また逆に目隠しにより保険にかかっていないかもしれないと考えることにより有責性を認めがたくなるという影響も生じるかもしれない.

 
<結論>

  • 利益衡量ルールには複数の多層にわたる心理がかかわり,混乱をもたらすことがある.ルールの根拠の多くは心理学的な意味を持つように見えるが,それが本当に機能しているかどうかはあまり調べられていない.より機能的効率的ルールについて検討の余地がある.

 

第3章 証拠の無視や利用制限を求める説示

 
いったん特定の証拠が排除されたなら,(そしてそれが陪審が見聞きしたものであれば)裁判官は陪審にそれを無視するように,あるいはある特定の目的には利用しないように説示する.第3章はこれに関係する問題を扱う.
 
<概説>

  • 膨大な数の実証研究が,人は無視するように指示されても聞いたことの影響をしばしば受けることを示している.しかしどこまでうまくやれるかに影響する要因がいくつかある.これを考える上での重要なポイントは精神汚染と心の働きの二重過程論になる.

 
<証拠の無視を求める説示>

  • 人々に「見聞きした証拠を無視する能力」がないことを示す実証実験は数多い(模擬陪審員を使った実験の詳細が説明されている).

  
<無視できないのか>

  • 長期記憶に定着するまでなら人は意識的にある事柄をより長期記憶に定着させたり定着させないようにしたりをある程度操作できることが示されているが,法廷では証拠は事件と関連性をもって提示され,即座に物語の中に組み込まれるのでこのような操作の対象にはならない.事件に関連する重要な事柄をいったん知ってしまった後で意識的に記憶から除くのは困難である.
  • 無視するように指示されることでより(何を無視するべきかを覚える必要があり)注意が向くという心の過程,物語りに組み込まれた事柄を無視するには物語を再構成する必要があることなどが無視することの難しさを説明する.
  • その情報を知らなかったならどう判断したかを推論することも難しいタスクになる.ある事柄を理解するときにいったんそれを信じるという過程を経ること,いったん1つの信念を得たならそれに固執しがちであること(信念固執)という2タイプの精神汚染が関連する.後知恵バイアスもいったん得た評価を覆すことを難しくする.

 
<無視したくないのか>

  • 陪審が無視せよと説示された証拠を無視したくないと感じていることを示す実証実験がある.
  • 理由には,真実に至りたいという正義の感覚,権威者に指示されたくないという感覚の2つが提示されている.また「誰かが何かを隠そうとしているなら,そこに重要な真実に至る鍵があるのではないか」と信じる傾向があることも重要だ.これは訴訟当事者がある証拠に異議を申し立てることにリスクがあることを意味する.その意義が却下されたときには陪審員がその証拠を重視してしまう可能性があるのだ.

 
<どうすればいいのか>

  • 改善のための様々な実証研究があるが確かな結論は得られていない.

 
<利用を制限する説示>

  • 証拠法はしばしばある証拠についてある目的について採用を認め別の目的について制限をかける(いくつかの具体例*6が解説されている).裁判官はこのことを陪審に説示することになる.
  • 実証研究は,陪審員はある証拠を特定目的にかぎって利用することはないし,そうすることもできないこと,説示はむしろ逆効果になる(説示がないときより禁じられた用法の影響を増幅させてしまう)ことを示している.
  • これは法律家にとっては驚きではない.実際に法律家は(異議があれば排除されることがわかっていても)その様な証拠を賢く陪審に聞かせることに利益があることをよく知っている*7し,しばしば相手方の法律家はその証拠を強調しないためにあえて制限説示を請求しない.
  • 制限説示は法自身が困惑している事柄を隠すための無花果の葉に過ぎないのかもしれない

 
<裁判官自身は無視や利用制限できるのか>

  • 裁判官たちは,自分たちは証拠を適切に評価できると主張し,ベンチトライアルではしばしば証拠法のルールが無視される.
  • しかし実証研究は裁判官の証拠を無視する能力も完全ではないことを示している.(不法行為の有責性を示す)許容性のない証拠を知ったときには裁判官も陪審も責任を認める判断をしやすくなる.
  • 刑事被告人が許容性のない証拠が採用されたことを理由に上訴した場合,上訴審裁判官は(証拠の許容性がないと認めた場合には)「下級審の陪審がこの証拠を聞かなかったらどう判断したか」を推論しなければならない(結論が同じであると判断されたならば上訴は棄却される).これはメタ認知に関する一層困難な離れ業であり,心理学研究はこれが困難であることを示している.

 
<結論>

  • 説示には様々な解決困難な問題が潜んでいる.これについてのよい解決策はいまだに発見されていない.

 

第4章 証人を観察する

 
証拠には証人による証言が含まれる.第4章の証人の証言に関連する問題を取り扱う.
 
<概説>

  • 陪審は証言を聞くだけでなく,証人の記憶が確かなのか,真実を述べているのかを評価しなければならない.
  • 証人が意識的に嘘をつく可能性に対しては,法は宣誓,反対尋問,弾劾の制度を用意し,陪審は証人の態度を見ることができる.しかし証人が本当に誤解している場合にどう対処すればいいのかについて司法制度はよくわかっていない.

 
<記憶の変容>

  • 心理学の研究は人間の記憶が変容することがあることを示している.記憶は常に再構成される.誘導尋問によって記憶を変えることができるという事実もよく検証されている.
  • 法が主尋問において誘導尋問を禁じているのは適切だと評価できる*8.単に質問に同意するよりも自分の言葉でしゃべる方がバイアスを受けにくいのだ.
  • また法は証人の隔離を定めているが,これもほかの証言を聞くことによる影響の観点から適切だと評価できる.

 
<証言者の制限>

  • かつて法は潜在的に信用できない証人を排除しようとし,女性,アフリカ系,重罪前科者,無神論者は証人不適格とされた.この態度は社会的文化的心理的な面で劇的に変化した.現在なお能力の欠如で排除される証人は精神障害者,子ども,薬物の影響下にある人などだ.
  • 同じくかつて法は(真実を述べる)動機が疑わしいという理由で当事者,当事者の配偶者,利害関係人など広範囲な証人排除を行っていた.現在では陪審員の評価能力を信用し,この面のカテゴリカルな証人排除は無くなり,個別に証人適格を推定する形になっている(配偶者については配偶者側に証言拒否権がある形式になっている).
  • かつて宣誓は宣誓の元での偽証が深刻な罪になることを信じる証人へのプレッシャーとなると考えられていたが,現在では証人に真実を述べる義務があることを自覚させるための手段だと考えられている.この面での宣誓に効果があるとする心理学的研究*9がある.

 
<証言内容の制限>

  • 非専門家証人は個人的知識についてのみ証言が許される.これに対して専門家証人は個人的知識に加えて「知らされた知識」さらに「意見」を述べることができる.この区別については微妙な問題が多い(いくつか解説されている)
  • よく問題になるのは目撃供述の誤謬性について心理学の専門家証人を呼べるかだ.裁判官は陪審員は記憶の正確性や証人の評価についてよく知っているだろうと考えてしばしばこの手の証人を排除してきた.しかし最近では一般的な専門家証言は許容される傾向にある.

 
<嘘>

  • 証拠法のルールは証言の信憑性を陪審員が評価できることが前提になっている.特に「どのように言ったか」が手がかりになると考えられている.しかし数多くの実証研究は「人は話し手の態度に基づいて話の信憑性を評価するのが得意でない」ことを示している(詳しく解説がある).実際には「話し手の態度」ではなく,「話し手の能力」や「事件とのかかわり」,そして「物語の現実性」に基づいて判断しているのだ.
  • ポリグラフの利用は1923年の判例で否定された.これ以降fMRIを含む様々な技術的進展がある*10が,アメリカの司法制度では嘘発見器の利用は一貫して否定されている.この否定の主な理由は基本的には技術水準が一般的な承認を受ける水準でないというもの(1923年判例の理由)だが,裁判官や陪審が技術を過大視するリスクも理由の一つとされている.とはいえポリグラフの正答率は70〜80%とされており,有用性がないわけではない.これについては人間が人間を評価するところに裁判の道徳的正当性の基礎があるという議論がある.そうだとするならこのルールが変わることはないだろう.*11

 
<反対尋問>

  • 反対尋問は証拠法の原則の中で最も重要な位置を占めている.伝聞証拠が原則的に許されない最も重要な理由が反対尋問が行えないところにある.
  • 敵対証人に対しては証人の弾劾(信用性に疑問があることの証拠を提示すること)が認められている.これには前科のほか評判や意見に関する証言も認められているが,実証研究によると不明確かつ一般的な評判や意見にはあまり効果がないことが示されている.
  • 反対尋問ではしばしば嘘をつく動機の存在,供述の矛盾がテーマになる.実証研究は証人の自己矛盾が信用性評価を下げることを示している.
  • 反対尋問では(主尋問でも要求される)関連性と許容性が要求され,さらにその内容について主尋問で現れた事項と証人の信用性に影響する事項に限られている.しかし研究によるといかなる証言も信用性評価に関連する可能性があると考えられる.
  • 証人の自信を示す言動(断言など)は陪審員による信用性評価に影響するが,研究の結果,証人の自信と証言の正確性にはあまり関連がないことがわかっている.
  • 反対尋問などにより陪審がある証人の信用性に疑問を持ったとしても,そこから遡ってその証言内容をなかったことにして物語を再構成するのは難しい.これは証拠制限説示と同じ種類の問題になる.

 
<秘匿特権>

  • 証拠法は社会的利益の観点からいくつかの秘匿特権(法律家,医療やカウンセリング従事者,家族など)を認めている.秘匿特権を持つ証人はしばしば事件についての極めて有益な情報を持っているので,この特権を認める心理学的社会的な根拠が問題になる.しかし心理学的な問題(秘匿特権はどのような行動の変容をもたらすか,そもそも人々は秘匿特権を知っているのか,秘匿特権がなければ結婚関係が損なわれるということが本当にあるのか,同じく医療やカウンセリングが損なわれるのか)についての研究はほとんどない.
  • いずれにしても秘匿特権の存在は,嘘をつく最も強い動機を持つ証人が排除されるという結果を生んでいる.

 
<結論>

  • 証人尋問は拷問への道につながっている,このため法は様々な制限や制度を設けている.反対尋問は誠実性と正確性に役立つとされているが心理学的研究はあまり為されていない.反対尋問では誘導尋問が許されているが,そこでソース・コンフュージョンが生じないのかかはもっと懸念されるべきかもしれない.

 

第5章 性格証拠

 
英米では法廷で検察官が「被告人(あるいは証人)がいかに悪い(あるいは信頼できない)人間であるか」を強調しようとするのは極く普通になされているそうだ.そこでこのような「性格証拠」がどこまで許されるのかが問題になる.
 
<概説>

  • かなり多くの証拠のルールが「性格」(と法が呼ぶもの,明確な定義はないが人のパーソナリティ上の特徴や心理的帰属とだいたい同じと考えてよい)について定められている.実務ではそのうちの真実性,誠実性,暴力性などがよく問題になる.法は性格と行動をつなぐ線は曖昧で不完全であることをよくわかっているが,例外的に法意思決定のための特定目的に使うことが認めている.これが様々な問題を生じさせている.

 
<性格証拠ルールの概観>

  • 最も重要な一般的ルールは「性格はそれに沿って行動が生じたことの証拠として許容されない」(傾向性ルール)というものだ.しかしこれには多くの例外が定められている.
  • まず実体法で性格が要素になっている場合がある.(名誉棄損を受けた人の誠実性,子どもの監護における親の性格,保釈や仮釈放の要件など)この場合は性格が法廷で争われ,評判に関する証人の意見や証言が利用される.
  • 刑事訴訟においては被告人側は自分の(好ましい)性格についての証拠を提出できる.いったんそれが争点になれば検察側も性格証拠を提出できる.
  • 性格証拠は(行動の証拠としては利用できないが)動機,機会,意図,準備,計画,知識,(犯人と被告人の)同一性,錯誤(ミス)の非存在,事故(偶然)の非存在の立証には利用できる.多くの法律家はこの抜け穴を何とか利用しようと試みる.
  • ある人物の習慣的行動,ある組織の日常的習慣を示す証拠は(性格証拠と区別され)許容される.
  • 1990年代に証拠法に特殊な例外が追加された.性的暴行や子どもへの性的虐待事件については民事刑事問わず,「過去に性的暴行,子どもへの性的虐待を行ったこと」についてのいかなる証拠も許容されるようになった.これは傾向性ルールの重大な例外になる.
  • 証人の信用性については性格証拠の提出が許容される.ただし宗教的信念にかかる証拠は許容されない(かつてはキリスト教徒のみ証言が認められていたが,その制限がなくなると法律家は(キリスト教徒でない)証人の宗教的信念を攻撃するようになった.1975年にこのような攻撃が禁止されることになった).

 
<心理学と証拠法の方針>

  • 傾向性ルールを作り上げたコモンロー裁判官たちは,暗黙の性格理論に従っていたと考えられる.彼等は「性格は行動の源泉として各個人の中に一貫して存在するが,予測因として高度に信用できるものではない,しかし陪審員はそれを理解しない可能性がある」と考えていたのだろう.
  • その後の法律家たちも,陪審員が性格証拠に不当な重みを与える可能性があること,陪審員が被告人が悪人だと知れば証拠がなくとも有罪に傾きがちになることを傾向性ルールの理由としてあげている.
  • 心理学研究は性格による行動の傾向性がコモンロー裁判官たちや法律家たちの考えよりはるかに小さく,予断のリスクが高いことを示している.人格尺度が行動を予測する力は驚くほど小さいのだ.(性格よりその場の状況の方がはるかに重要であることを示すいくつかの研究が紹介されている) 将来の行動予測には性格よりも過去の行動の方がましなのだ.
  • では性格が重要だという認知が多くの人にあるのはなぜか.それは進化環境で他人の行動パターンを理解するためには単純化され一貫性のあるショートカット的な説明が有用だったからかもしれない.
  • この研究知見の法政策的含意は何か.それは性格証拠の禁止は賢明だということだ.また傾向的な証拠を利用する場合にはヒトが賢明な統計的推論者(特にベイズ推論者)でないことを考慮すべきだ.特に前述の性的暴行についての証拠法の例外を保つなら陪審に統計的説示を行うことが必要ではないかと考えられる.

 
<許容される個人についての証拠>

  • 「動機,機会,意図,準備,計画,知識,(犯人と被告人の)同一性,錯誤(ミス)の非存在,事故(偶然)の非存在の立証のため」という性格証拠の許容ルールはコモンローで時間をかけて発展してきた.このルールの目的は心の状態,同一性の確認,犯罪にかかわった状況(res gestae)の3つにまとめることができる.このルール群は多くの議論を招き,一貫しない裁判所の決定が生じてきた.またこれらのルールは利益衡量の諸問題,特定目的のみについての証拠利用や制限説示の問題を生じさせる.
  • 法は性格証拠と習慣証拠を区別する.これは習慣的行動はより引き金刺激により自動的に生じやすいという心理学的知見からみて是認できるものだ.
  • 法は証人の信用性について前科の提示を許容する.何であれ罪を犯すような人間はうそつきである可能性が高いと仮定しているのだ.しかし研究によると,陪審員の被告人の証言の信用性判断は前科の有無により影響を受けず(そもそも被告人の証言ははまったく信用されていない),いったん被告人の前科を知った陪審員は(制限説示があっても)有罪である可能性を高く見積もるようになる.
  • また法は証人の信用性について意見や評判などの性格証拠を許容する.正直性と評判が相関すると仮定しているのだ.しかしヒトの正直性についての研究は.それは大きく状況依存でかつ複雑であり,事態がそのように単純ではないことを示している(アリエリの一連の研究が紹介されている)
  • 性的犯罪についての傾向性ルールの例外を是認するには,性犯罪はその他の犯罪と行動態様が異なるという前提が必要なはずだ.しかしそのような主張を支持する経験的証拠は全くない.少なくとも少年犯罪についてはこの前提が全く当てはまらない.成人犯罪においても再犯率は性犯罪よりも窃盗などの財産犯と薬物犯の方が高いのだ.

 
<結論>

  • 多くの人は性格から行動を予測しすぎる.法はこれを抑える賢明なステップを踏んできたと評価できる.ルールには多くの例外が定められて様々な問題がある.心理学的研究が問題解決を支援していくことが望まれる.1990年代に定められた性犯罪についての傾向性ルールの例外はなんら経験的証拠なく採用されたもので,問題があると考えられる.

 

第3部 その他のタイプの証拠

 

第6章 伝聞と伝聞の例外

 
伝聞証拠は原則として許容されないが,様々な例外がある.第6章はこの伝聞証拠を扱う.(なお日本法においては刑事訴訟法においてのみ伝聞証拠が原則禁止されているが,面前調書などの広い例外規定がある)
 
<伝聞についてのルール>

  • 証人は自分で見聞した知識を証言できるが,他の人が見聞したと言っていることについては証言が許されない.それは見聞者の知覚や記憶の正確性や真実性について評価できないからだ.これが基本的なルールになる.
  • 伝聞は聞いたことに限られない.公判外で行われた供述(書面など)も含まれる.そしてそれを陳述した内容が真実である証拠として用いるものが制限される伝聞証拠になる.しかし法は2ダースを超える例外を認めている.

 
<伝聞についての研究の概観>

  • 伝聞証拠の一般的な問題についての心理学的研究は少ない.主に調べられているのは伝聞証拠の重みが低く扱われるかという点になる.
  • そのような研究のメタ解析によると伝聞証拠は完全には無視されないが,他の証拠に比べると影響度は小さい.ヒトは伝え聞いたことについては原則的に懐疑的であるようだ.(いくつかのリサーチが詳しく紹介されている)
  • 例外は実際の証人である子どもの供述を大人が代理して証言する場合だ.実験室実験では陪審員は成人の捜査官から得られた代理証言を子どもが直接証言する場合より信じていた.このような場合には伝聞証拠は過大に評価されることになる.

 
<例外>

  • 例外は必然性と信頼性の利益衡量から作られたとされている.それぞれの例外における信頼性,陪審員がどこまで信頼するかが心理学的な問題となる.
  • 諮問委員会の記録を読むと立法者が注意を払っているのは作り話(嘘)のリスクであり,誤認知や記憶の減衰にはほとんど注意を払っていないことがわかる.しかし近年の心理学的研究は記憶の脆弱性を明らかにしており,もっと注意が払われるべきだ.

 
<現在の感覚の印象と興奮した発言>

  • 「現在の感覚の印象」例外は,当該出来事が発生している最中に行われたその出来事に関する供述(911通報の録音など)を証拠として認めるものだ.同時性が記憶の変容の問題をなくし,(別途法廷に呼び出して)反対尋問可能であることから是認できると考えられる.
  • 「興奮した発言」例外は,供述者が興奮のストレスのもとにあり,その興奮を引き起こした出来事に関する供述を証拠として認めるものだ.これには興奮している状態では嘘をつく認知能力が制限されるという根拠が挙げられている.これは興味深い心理学的仮定のうえにある.現在の知見からみて嘘をつくのに認知資源が必要だというのは正しいと考えられるが,ストレスは長期短期の記憶を損なう可能性があり,法が考えるほど信用できる証拠ではないのではないかと考えられる.実際に陪審員はそのような証拠について低い重みづけしか与えないという研究もある.

 
<現存する精神的,感情的,身体的状態>

  • この例外は,供述者が自分の現存する心身の状態(どのように感じ,何を計画しているか)を供述する場合の例外だ.
  • 立法者はこれは「現在の感覚の印象」例外の応用だとしているが,心理学者は懐疑的だ.まずこのような供述は基本的に検証不可能だ.動機については,ヒトは自分の行動の理由を説明することが全く不得手であることが知られている.さらに意図や計画の供述については,(コミットメント効果,将来自分ができることについての過信傾向,将来自分がよい行動を行う確率の過大評価など)いくつもの問題がある.実際に陪審員は自己高揚的な供述について低い重みづけしか与えないようだ.

 
<瀕死の際の供述> 

  • 自分の死が差し迫っていると信じている供述者(実際に死ぬ必要なない)がその死の原因や状況について行った供述も例外となる.
  • この例外は瀕死の人は嘘をつく動機がない(嘘をついたまま地獄に行きたい人はいないだろう)という理由で非常に古くから認められている.
  • しかし最近の研究を見れば,そのようなストレス下での証言の正確性には懸念が生じるはずだ.片方で陪審員がこのような瀕死の状況での供述を疑うことは難しいだろうと想像される.

 
<規則の変遷>

  • この他にも多くの例外がある.例外の多くはビジネスや行政において様々な記録が導入されたことに関連している.前科や評判の利用も例外に当たる.評判に関する規定に関しては現在のようなネット世界でどう扱われるべきかについて再考すべきかもしれない.

 
<結論>

  • 伝聞証拠法則の例外ルールは多く,証拠法ケースブックの1/4を占める.
  • 立法者はもっぱら嘘のリスクを懸念したが,心理学者は意図せずに不正確になることをより警戒するだろう.
  • 心理学はこのルールの改善について多くのことができるだろう.

 

第7章 科学的証拠とその他の専門家証拠

 
第7章は科学的証拠がテーマ.法はこの世界の有り様や動きについての専門性のある(一般人にはあまり知られていないが,真実である蓋然性が高い)証拠や証言について特別の扱いをするのだ.
 
<概説>

  • 裁判所が科学的証拠と格闘する必要があるのは,(判例法の)ルール創造場面,専門家証言を法廷に入れるかどうかのゲートキーパーの場面.許容された証拠を陪審員が用いる場面だ.

 
<ルール創造>

  • 諮問委員会は審判対象事実(特定の事件の事実)と立法事実(ルールの創造,変更のために助けになる(法的推論や立法過程に関連する)事実)を区別する.前者において裁判官は調査においても決定においてもなんら制限を受けない(調査をしない完全な自由がある)が,後者において(特に矛盾する下級裁判所の判例を整理する必要がある時には)より広く関連事実を検討する必要があるとされている.
  • しかし実際には裁判官は立法事実についても調査をせずに直感に頼ることがしばしばある.心理学研究はどのような場合に直感が誤りやすいのかを示すことができる.

 
<ゲートキーピング>

  • ゲートキーピングは専門家証拠,科学的証拠に関する証拠法の焦点であり,多くの議論がある.
  • 専門家証言は(一般の証言と異なり)意見や推論の結果を述べることができる.
  • 平均人が有していない知識を持つものは誰でも専門家として扱える.
  • ゲートキーピングの許容性の試金石は「有用性」になる.
  • 法は専門家証人が中立的であることを想定しているが,実務では証人として申請した当事者側に立つことが大半だ.

 

  • 専門家とされた証人が実は専門知識を有していない場合やバイアスを持つ場合に生じる混乱に備えて,専門家証人のスクリーニング手続きが定められている.また法は裁判官に自らの選択による専門家証人を任命する権限を与えている(これは当事者があまりに劣悪だったりバイアスを持っている証人を申請することへの抑止になる).
  • 証人が申請者側のバイアスを持ちやすいことは,選んでもらったことへの忠誠バイアス,弁護士との対話の中で生じる一貫性バイアス,弁護士への権威に従うバイアスから説明できる.いったんバイアスを持つと推論は「動機付けられた推論」になりやすい.
  • 刑事においては科学捜査研究機関職員の証言が重要になる.彼等はいわば検察に恒久的に雇われたガンマンであり,そのグループ内で期待されるように振る舞う強い傾向を持つ.これが(最終的には主観が入り込みやすい)指紋や弾痕や足跡の類似性判断がしばしば重大な問題になる理由だ.弁護側はしばしば独自の専門家証人で対抗するが真実の発見のためには有効だと考えられる.

 

  • 最も初期の許容性テストは「資格」だった.19世紀には「市場性テスト」(消費者から信頼を得ているか)がしばしば用いられた.20世紀になりフライ基準(その専門知識が属する特定の分野で一般的に承認されているか)が採用された.フライ基準には同業者は消費者より甘い(占星術の専門家は占星術を有効だというだろう)という欠点があった.また裁判官は特定分野を広く解したり狭く解したりして許容条件を操作できるという問題もあった.
  • 現在のルール(ダウバート基準)は,専門分野の科学的有効性と証人の証人適格についてそれぞれ判断されなければならない,その分野の一般的承認では不十分だとされている.
  • このルールの変遷は基準がシステム1型からシステム2型に移行してきたと評価できる.実務的には民事においては専門家証言はより承認されにくくなり,刑事においては検察の専門家証人に対する被告人の異議が認められにくくなっている.
  • 最近の科学的再調査では,これまで法廷に招き入れられていたいくつかの分野(指紋の同一性判断,弾道学など)が全く信頼に値しないものであることが明らかになった.これは(社会心理学がいう責任の分散により)裁判所が機能不全であったことを示している.

 
<公判での利用>

  • 陪審員は専門家証言をどこまで理解し,正しい重みづけを行えるのかが問題になる*12
  • 陪審員は単純な事件で事実関係を整理することについては有能だが,複雑な事件ではその能力は疑わしい.専門家証言は本来はその中身で評価されることが望ましいが,陪審員にそれはできず,証人の表面的な特性で判断するか,その証言を無視することになる.
  • 特に理解されにくいのが確率的証拠についての統計的な解釈だ.陪審員は統計学ではなくヒューリスティックに従って判断し,因果を誤解する(様々な誤謬の例が紹介されている).データを提示する専門家証人は物語的で質的な証言を提示する証人よりも理解されにくいのだ.
  • 裁判所は長きにわたって専門家の証言に対しては反対尋問や対立する専門家証拠による弾劾に効果があるという立場をとってきた.しかし実証研究によるとその効果は疑わしい.
  • 改善のためのいくつかな試みがある.その1つは裁判手続きの改善だ.メモとりの許容,専門家への質問の許容,裁判ノート(専門家のスライドと用語集),チェックリストの利用などだ.研究によるとメモや質問には効果がなく,ノートとチェックリストには効果があった.
  • 別の方法は統計情報の表示方法の改善だ.ギゲレンツァはヒトは確率表示より頻度表示の方をより理解することを示した.統計的な理解についてのヒューリスティックの知見からデータ表示の方法についていくつかの改善案が提示されている.
  • 陪審員を法廷で直接教育するという方法も提案されている.直接的な教育が因果推論を(時間をかければある程度)改善できるとする研究結果がある.

 
<結論>

  • 科学的証拠は(専門知識を持たない)裁判官や陪審員に多くを要求する.
  • スクリーニングルールは時代とともに改善された.かつては現在では「無効」と考えられる「法科学」が法廷に持ち込まれていたのだ.
  • その下流にあるルールは陪審員が直面している理解・評価の問題について全く貢献していない.いくつかの改善提案はあるが,裁判官や陪審員に科学リテラシーがない以上根本的な解決は難しいだろう.

 

終章 証拠法のための心理学の教訓

 
最終章はここまで述べてきたことの教訓を中心にまとめられている.

  • 証拠ルールの創造者は(陪審員の心理を推測するメタ認知課題などをもつために)応用心理学者として活動するしかない.かつては素人的な素朴心理学が応用されてきたが,より体系だった方法で心理学が用いられることが望まれいる.
  • 法制史学者は証拠法の出現は素人陪審の台頭への応答と考えてきた.しかし実際には19世紀に弁護士に手続きが委譲されるのがきっかけになっている.証拠法は主として弁護士を抑制するために発展してきたのだ.
  • 証拠法の特に重要な機能は弁護士に(「影響力の武器」で示されたような)説得の技術を妨げるところにある.
  • 利益衡量テストにはメタ認知が必要になる.テストは意味ある試みだが,本当に機能しているかについては研究の余地が残されている.
  • 証拠無視や証拠利用制限の説示の効果は疑わしい.他の方法を考案すべきかもしれない.
  • 反対尋問は証言の信用性を評価するための重要な手段とされているが,これについての心理学的研究は少ない.
  • 性格証拠は(多くの例外はあるが)原則として禁止されており,これには意味がある.しかし近年の性犯罪に関する例外は根拠なく採用されたものであり問題含みだ.
  • 伝聞証拠の例外は証言が必要で信頼できることを前提に認められているが,(例外の体系が複雑であることもあり)これについての研究は少ない.
  • 科学的証拠は(真実の発見のためには)重要だが,裁判官や陪審員にこれを評価する能力がない.裁判官はゲートキーパーの役割を果たせていないことがしばしばある.特に統計的,確率的証拠はほとんどの人にとって不可解なものであり,効果的な教育方法の導入が望まれる.

 
 
以上が本書の内容になる.コモンロー裁判官が素朴心理学をもとに様々な証拠法を作り上げてきたこと,その多くは真実の発見のために役に立っているが,限界もあったこと(特にバイアスと二重過程,態度で嘘を見抜けるか,記憶の減衰や変容あたりについては理解されてない部分がある),今後心理学の応用として証拠法の改善の可能性があるということあたりが印象に残る部分だ.なかなかニッチな分野の書物で関心のある人は少ないかもしれないが,私的にはいろいろ楽しめた.裁判員制度が導入された日本でも今後重要になる部分(特に科学的証拠の扱い,記憶の変容の認識あたりはそうだろう)であり,多くの法律実務家たちに読まれればよいと思う.
 
 
関連書籍
 
原書

 
その他の法と心理学シリーズ

*1:かなり以前に英米刑法について本を一冊読んだことがあって,それは海外ドラマの刑事ものや法廷ものを見るときに大変参考になった.英米刑法では大陸刑法と責任についての考え方が基本的に異なっている.大陸法では故意と過失だけだが,より細かく分かれていて,しかも個別判例に遡った形でアドホックに定められていてとても興味深い.それが謀殺(murder)と故殺(manslaughter)の差を説明する.故殺はかっとなってやった殺人や未必の故意による殺人(日本法ではどちらも紛れもない殺人罪になる)を含む概念で,字幕ではしばしば「過失致死」と訳しているがあれはかなりミスリーディングだ.また「重罪:felony」も英米法特有の重要な概念で,これを知っているとシナリオをより深く楽しめることがある.ドラマでは法廷で証拠の採用をめぐって争う場面も多いので,それなら証拠法を知るとより楽しめるだろうと考えたわけだ.

*2:サックスは心理学博士で法学修士(MSL),法科大学院および心理学部でリージェント・プロフェッサーを務める.スペルマンは心理学博士で法務博士(J. D.),現在は法科大学院教授を務める

*3:証拠法のほかには財産権法,家族法,不法行為法,環境法が出ているようだ

*4:私のような強迫観念的メモとり人間が陪審員になったらものすごいストレスを感じるだろう.なお日本の裁判員はメモをとってもいいようだ

*5:評決の予測モデルを用いた研究では,評決の分散の80~90%が証拠で説明でき,陪審員の個性や特徴は10~15%しか説明できないそうだ

*6:例えば被告人に前科があることは,当該事件の犯行事実の証拠として用いることはできないが,被告人の性格を示す証拠としては採用が認められている

*7:これは海外ドラマでよく見かけるシーンだ

*8:なお日本法でも主尋問における誘導尋問は原則禁止されている.

*9:ダン・アリエリの行動経済学リサーチが紹介されている

*10:fMRIを用いる最新技術についての多くの神経科学者の意見はまだ法廷で使えるのを正当化できるレベルには達していないというものだそうだ.

*11:なお日本においては,捜査段階でのポリグラフの使用に被験者の同意が必要だが,いったん同意されて行われたポリグラフの結果の証拠能力は判例で認められている

*12:法が専門知識を持たないものに専門家証言のスクリーニングや評価の義務を与えているのは逆説的だとコメントされている