From Darwin to Derrida その144

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その9

シグナルの送信者と受信者にとって,それぞれのシグナルを送受信する意図やシグナルの意味(解釈)は異なりうるもので非常に複雑な状況が生起しうることが説明されてきた.ここから解釈者の内部に話が進んでいく.
 

私的テキストと公的テキスト

 

  • 複雑な解釈者の内部の働きにはサブ解釈者たちへの仕事の委任が含まれている.サブ解釈者はテキストを他のサブ解釈者に提示する.これらの内部的にのみ使われるプライベートなテキストは全て物理的実体をもつ.その一部は一時的なものだ.例えば知覚の認識結果は感覚器への入力の解釈で,次のサブ解釈者に渡される(その後消えてしまう).別の一部は長期的なものだ.記憶は必要なときに取り出されるテキスト記録になる.

 
我々の自己は単一の存在ではないというのは,心の中に意識のホムンクルスが存在するはずがない(それは何層もの階層と複雑なネットワークによる処理だ)ということだろう(デネットがカルタジアン劇場の比喩を提示して丁寧に説明しているところだ)
 


 

  • 意識はプライベートなテキストであり,私たちのメンタルデスクトップであり,極く短期間のメモリだ.私たちはそのメモリがどのように書かれているかを知らないが,意識は関連する情報を得るにはどこを探すべきかを別のサブ解釈者から教えられる.視覚に捉えられた光景はコンスタントにアプデートされる世界の単純化された解釈であり,ほかの知覚との齟齬矛盾を常に比較される.
  • 私はモネの絵を見る.そこにはボートと5羽のアヒルのいるセーヌ川が色のついた斑点の芸術的な集合体として描かれている.私は水面の光の揺らめきばかりか,ボートの索具装置が立てる音すら感じる.これらの意味は私の解釈だ.私の連れ合いはアヒルではなくカモメを見る.キャンバスにより近づくと見えていたものは歪んだ形の斑点に溶けていく.アヒルはただの白く塗った跡とわかる.私の見た光景は劣決定だが,モネの天才は最小の手段と絵に仕込まれた内部情報でそれを示唆するのだ.モネは私が絵に近づくときにそこに期待する詳細の幻想を作り出すのだ.

 
この絵はおそらくクロード・モネの『赤いボート、アルジャントゥイユ』のことだと思われる.ハーバード美術館に収蔵されているのでヘイグにはこの絵を見る機会が多いのだろう.
 
artsandculture.google.com
 

 

  • この文章は私があなたの解釈に与えようとする全ての情報を含んでいない.紙の上にあるインクの配置により,私は絵とその光景を示唆し,あなたに「ああ,何を言ってるかわかるよ」と言わせようとしているのだ.あなたに特にわかってほしいのは,著者はパブリックなテキストを組み上げるときに,常に読者のプライベートな豊かな情報やリソースを当てにしているということだ.

 
送信者の意図はテキストに全て書かれているわけではない.受信者がどうそれを解釈するかは様々な状況に依存し,それを前提にしていることになる.
 

  • 私のテキストは,進化してゆくテキストの複数のドラフトからの作り上げられたものだ.読み,読み直し,書き,書き直している中で,私は自分が何を意味していたか,意味しているのかを理解する.私の意味は今あなたが読んでいる公的なテキストであり,私の中の曖昧な感覚ではない.
  • 齢を重ねて心の鋭敏さが薄れるにつれ,私は本当は何を意味したかったのかを知るために,記憶補助メモとして以前の私の公的なテキストに頼るようになった.私の心にあるのは,以前のドラフトから思い起こした記憶と下手くそに書いたテキストについての後悔だ.いったんテキストが出版されたなら,読者にとってのその意味は書き手の意図の手を離れる.あなたが読むと私の意味はあなたの意味になるのだ.

 
自分がテキストを書いていたときに何を本当に意図していたのか,それは一部分の忘却と記述スキル不足のために時とともに曖昧になっていく.そして最終的にはそこにあるテキストと(著者が推測できたかどうかにかかわらず)読者が持つ様々な状況のみによって意味が定まっていくということだろう.これは自分の昔のテキストを読んだことがある人にはよくわかる感覚だろうと思う.