ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まるセキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説した.続いてその後の統合フェーズが取り上げられる.
第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その6
- 後期ローマ共和政の分解フェーズはフランスや英国で見たのと同じ理由で終わった.内戦が貴族層の過剰人口問題を解決したのだ.紀元前1世紀の内戦による大量殺戮はすさまじいものだった.BC91〜82の10年あまりだけで20万人が死んだ.スパルタカスの乱でもう10万人,BC49〜42の間にさらに10万人が死んだ.
- 内戦時の被害者の大半は平民だった.無産市民,市民権を持たないイタリア人,巻き込まれた人など.しかし仮にこの1%が貴族であれば,それは貴族人口のかなりの割合を占めることになる.さらに内戦で片方が勝てば,彼らは大喜びで反対派を粛清した.そのよい例がスラによる粛清だ.彼は元老院議員の1/3を粛清した.同様なことはマリウスも行ったし,カエサル暗殺後の内戦期にも繰り返された.
- (貴族層過剰人口の解消に続く)2つ目の要因は外部領土の征服による利益だ.BC146の第三次ポエニ戦争もコリントスの戦いも基本的には防衛戦争あるいは反乱の鎮圧であり,ローマに巨大な利益をもたらしたわけではない.しかし事態は,ポンペイウスによるオリエントの征服とカエサルによるガリア征服が行われた内戦期を経て変化した.BC30年以降に内戦が収束すると外部への拡張が再開した.これは巨額の収入をもたらした.貴族人口が減少しただけでなく,それを支える経済基盤が強化されたのだ.
- 3つ目の要因が社会ムードの変化だ.社会は内戦に疲れ,内部の平和と秩序をもたらす体制が歓迎された.それは同時代の文学作品に反映されている(平和を希求するティブルスやウェリギリウスの詩が紹介されている).アウグストゥスが内戦に勝利し平和をもたらした時に彼は元首政のレジームを構築し,それは幅広い市民から支持された.
これがターチンによる分解フェースから統合フェーズへの移行の要因説明となる.基本は内戦により支配層の人口が減り,競争状態が緩和されたということで,それにさらに征服地(属州)からもたらされる莫大な収益と内戦に倦んだ社会のムードが付け加えられている.
なお莫大な属州からの収益が競争緩和要因となることについては必然的ではないような気もする.金持ち喧嘩せずということもあるだろうが,戦って得られるものが増えるわけで,より競争激化要因になってもおかしくはないだろう.この辺りはやや説明が不足しているように思う.
- アウグストゥスによりもたらされた政治的な安定は.不平等拡大傾向を緩やかに反転させた.人口減は耕作放棄地を生み,無産市民(特に退役兵)がそこに入植できたのだ.オクタヴィアヌスは内戦期にイタリアの土地を掌握し,自軍の退役兵に配った.内戦が終わると(アウグストゥスと呼ばれるようになった)彼はさらに土地を買い集めて退役兵に配った.多くの無産市民が属州に入植し,イタリアの人口圧力を減じた.アウグストゥス体制はある程度まで小規模の土地所有者階層を作ることに成功した.
- 超富裕層の資産の縮小はアウグストゥス治世期以降に生じた.これは様々な方法で行われた.アウグストゥスは累進相続課税のような税を導入し,後の皇帝たちは超富裕貴族たちに反逆の罪を着せて処刑して資産を没収した(クラウディウスやネロの実際の例が紹介されている).ヴェスパシアヌス帝の頃(治世AD69〜79)には富裕な元老院貴族家系は(共和政期の1000程度から)200程度まで減っていた.エリートの刈り込みは元首政の100年程度の時期継続して行われたのだ.これはチューダー朝英国で起こったことによく似ている.
ターチンはまた不平等もこの時期に縮小したと主張している.そうなのかもしれないが,定量的な分析はなく,アネクドータルな証拠をつまみ食いしているだけにもみえる.貴族家系が減ったとしても残った貴族に富が集中すれば不平等はより拡大するだろう.この辺りも説明不足感がある.
- 結果,1世紀の元首政期に富裕貴族層の力は減少し,小規模土地所有者は安定から来る経済的利益を享受した.3世紀の危機まで内戦が生じたのはAD69の(ネロ失墜の後の)1年間だけだった.
というわけでターチンは元首政成立期(BC27)から統合フェーズ入りしたと整理している.
確かにネロ帝が自殺に追い込まれた後の内戦はガルバ,オトー,ウィッテリウス,ヴェスパシアヌスの間で争われたが短期間で収束し,ヴェスパシアヌスがフラヴィウス朝を興すことになる.この内戦が短期間で収束したのは,それが統合フェーズにあったからだというのがターチンの見立てだが,単にヴェスパシアヌスの軍事力が卓越していただけかもしれないのではという気もする.もしそれぞれの将軍が拮抗した戦力を得られていれば内戦はもっと長引いてもおかしくなかったかもしれない.
そしてそもそもカエサルの内戦期以降の軍隊の中核は小規模自作農市民兵士ではなく,将軍に忠誠を誓う職業軍人になっており,その変質と小規模自作農民の重要性の吟味も必要ではないかという気もするところだ.
ともあれここまでがターチンによる後期共和政から元首政成立までのセキュラーサイクル分解フェーズの説明となる.
