書評 「The Genetic Book of the Dead」

 
本書はリチャード・ドーキンスの最新刊.ドーキンスはすでに83歳だが,なお執筆意欲高く本を出してくれるのには感謝しかない.ドーキンスといえば「利己的な遺伝子」を始めとする進化生物学の啓蒙書だが,ここ15年ほどは,新無神論本,自伝,書評集,エッセイ集が中心だった.しかし2022年に「Flights of Fancy: Defying Gravity by Design and Evolution(邦訳:ドーキンスが語る飛翔全史)」で,久々に進化生物学の啓蒙書を出してくれ,そして今回本書の出版ということになる.
題名のThe Genetic Book of the Deadからは,これはゲノム本かと思っていたのだが,読んでみると,まさにドーキンスらしく利己的な遺伝子と表現型が議論の中心になっている*1.その中では,「利己的な遺伝子」,「延長された表現型」などで繰り広げられた議論が簡潔にブラッシュアップされている部分もあり,ある意味ドーキンスにとって(自伝とはまた異なる角度で書かれた)これまでの学者人生振り返りの本なのかもしれない.
 

第1章 動物*2を読む

 
冒頭は「あなたは一冊の本なのだ」という一文から始まる.生物の身体(表現型)とゲノム(遺伝子型)にはその祖先がたどってきた過去が自然淘汰を経て書き込まれているという意味だ.そしてこの「死者の遺伝子本」の内容はその生物にとっての将来の予測であり,過去環境のモデルとなる.ドーキンスはここで古代の羊皮紙(palimpsest)を比喩として持ち出す.それは一部消しては新しく書き込まれるということを延々と繰り返してきた書き物なのだ.
ここから,その羊皮紙に書かれている内容を上からみていくことになる.
最上層にはその生物自体の過去(知覚内容,学習内容,免疫記憶など)が書かれている.ここでは脳には現実世界のVRモデルがあること,それを解読することは現時点では出来ないが,原理的には可能であること*3が指摘されている.
2層目に行く前に,自然淘汰について解説がある.自然淘汰は遺伝子プールに対して働き,それをより建設的な方向に(適応的に)彫刻していく.そして有性生殖による組み替えがあることにより,遺伝子プールはデータベースになり,種は平均化計算機として働くことになる.
 

第2章 絵画と彫刻

 
続いて「死者の遺伝子本」の次の層,ある種について自然淘汰により書き込まれた部分,そのうち特に(我々から見て)解読しやすい部分が取り上げられる.
最もわかりやすいのはカモフラージュ(比喩として「絵画」が使われている)だ.これはまさにその生物種がたどってきた環境の見た目が生物の表面に描かれている.ここでは地衣類そっくりの模様を背中に持つトカゲやカエル,樹木そっくりに見えるフクロウやヨタカ,小枝に見える昆虫の幼虫,漂う海藻の切れ端のようなタツノオトシゴ,ライチョウの冬の白色,葉っぱのようなヤモリなどが紹介されている.オオシモフリエダシャクの工業暗化,トラの縞模様が二色型色覚しかないシカなどからみて完璧に機能するカモフラージュになっていることなどにも触れている.
次は擬態(比喩として「彫刻」).育児嚢を小魚に似せている二枚貝ランプシリス(大きな魚に襲わせて,幼体をそのエラに寄生させる),尻尾の先をクモに似せて獲物を釣るヘビ,ハチに似たアブなどが紹介されている.ここでは危険なものへの擬態として,警告色,チョウやガの眼状紋*4,ウツボのように見えるタコのポーズ,胸から上がより大きな鳥の頭に見えるハゲワシのポーズなどが紹介されている.
 

第3章 羊皮紙のさらに深くに

 
第3章では,さらに深く,種分岐を越えて祖先系列において自然淘汰により書き込まれた部分を扱う.
ドーキンスはすべての生命が海から始まったことを取り上げる.陸上生物であっても海中生活の名残が羊皮紙の深い部分に書き込まれているのだ.脊椎動物の陸上進出,それについてのローマーの干ばつと連続した水たまり仮説*5にちょっと触れたあと,一旦陸上進出した脊椎動物の水中への再進出が取り上げられる.
ここではなぜクジラやジュゴンはエラを進化させなかったのか(肺を捨ててエラを再進化させる方向に進むよりも,今ある肺を上手く利用する方が容易だった),ウミヘビの解決法(基本は肺を使うが,一部の酸素を頭部の血流を増やして水中で皮膚呼吸を行うことにより得ている),ウミガメの解決法(同じく一部の酸素を総排出腔を用いた皮膚呼吸で得ている),水中に戻ったことにより巨大化が可能になったこと(クジラやステラーカイギュウ),イクチオサウルスとイルカの収斂などを取り上げたあと,水陸を往復したカメの進化史*6が詳しく解説されている.
続いて自然淘汰が羊皮紙に重ね書きしていくために生じる様々な事象として,既存のデザイン設計を少しづつ上書きすることしか出来ないために生じる「進化のバッドデザイン」(脊椎動物の網膜と神経の配線と盲点,反回神経の配線など),発生の初期に働く羊皮紙の基礎層ではしばしば保守的なデザインが生まれること(脊椎動物の骨格,節足動物のセグメントパターンなど),上書きにより使われなくなった記述が偽遺伝子化することなどが取り上げられている.
 

第4章 リバースエンジニアリング

 
第4章では自然淘汰による生物進化(適応)がパーフェクトなものに向かって進むことといわゆる「進化の制約」の関係が議論される.これは昔のグールドとのスパンドレル論争の今日的な整理ということになるだろう.
ドーキンスはまず適応主義者も認める「進化の制約」を5種類*7(タイムラグ,歴史的制約,遺伝的多様性の欠如,コストによる制約,環境の予測不可能性や捕食者や寄生者の対抗進化によるもの*8)挙げ,ここから反適応論者が主張する(上記5点に含まれない)いくつかの制約に反論していく.

  • 「不利な形態,生理,行動にかかる変異のうち,トリビアルすぎて自然淘汰が見逃すものがある」というルウォンティンの議論:不利になる目に見えるような形態や行動を自然淘汰が見逃すはずがない.ごくわずかな不利でも世代を繰り返せば頻度差が増幅されていく.自然淘汰はヒトの観察眼よりはるかに敏感に不利な変異を淘汰するだろう.
  • 自然淘汰は必ずしも最適を目指さない,十分によければいいという議論:自然の競争は厳しい,十分によいだけのものは最適なものに簡単に淘汰されるだろう*9

 
ここから進化生物学者がとる「リバースエンジニアリング」手法が解説される.例としては古代ギリシア時代の遺物であるアンティキティラ島の機械がどのような目的のために作られたかの解明が挙げられている.
そこから一見完璧から離れて見える進化産物についてリバースエンジニアリングを用いて見えてくるもの,具体的にはアームレースにおける最終産物,コストとのトレードオフ,羊皮紙の深い層にかかる制約,動物の身体内部がぐちゃぐちゃに見えること,胚発生からの発達を経て身体を作らなければならないことによる制約などが解説されている.
続いてリバースエンジニアリング的な考察の具体例がいくつか取り上げられている.キリンの頭部に十分な酸素を供給するための心臓と血管系,哺乳類の頭骨とその生態の関係(肉食獣と草食獣の違い,例えば歯の形状と目のつき方,具体例として剣歯虎の牙と裂肉歯と待ち伏せ型の狩り,蟻食動物,魚食動物の頭骨の特徴が取り上げられている),同じく哺乳類の消化器系と生態の関係,ヒトの歯の特徴とランガムの調理仮説,鳥類のクチバシ形状と生態などが詳しく解説されている.
そしてリバースエンジニアリング的に動物を比較すると,同じ問題に対して同じ解決法がしばしば進化していることがわかる.それが次章のテーマになる.
 

第5章 共通の問題と共通の解決

 
第5章のテーマは収斂になる.ドーキンスは進化の力の強さはカモフラージュの完璧さによく現れているが,もう1つ,収斂現象も強い印象を与えると言っている.
ここからは次々に印象的な収斂の例が紹介される.フクロオオカミとイヌ,パカ(南米の齧歯類)とマメジカ,アルマジロとセンザンコウとダンゴムシの防御姿勢,頭足類の眼と脊椎動物の眼,ハゲワシとコンドルがまず紹介される.
次に旧世界のヤマアラシと新世界のヤマアラシの類似が齧歯類の中での収斂であること,針による防御が様々な哺乳類(2つのヤマアラシ,ハリネズミ,テンレック,ハリモグラ)で進化したこと,滑空も様々な哺乳類で進化したこと(モモンガ,ウロコオリス,ヒヨケザル,フクロモモンガ),オーストラリアの有袋類と旧世界の有胎盤類の様々な収斂*10,地中生活への収斂(モグラ,メクラネズミ,キンモグラ(アフリカ獣類),フクロモグラ(有袋類)),大きな牙を持つスミドロン(剣歯虎)とニムラブス(偽剣歯虎)とティラコスミルス(有袋類).エコロケーション*11(イルカとコウモリ*12,そしてより原始的なエコロケーションがアブラヨタカ,アナツバメに見られる),電気魚(南米のデンキウナギとアフリカのギュムナルクス),電気センサーを持つクチバシ(カモノハシとヘラチョウザメ),鳥の偽傷行動(鳥類において何度も独立に進化している),掃除魚行動(魚類だけでなくエビでも何度も独立に進化している)が紹介される.
この中でドーキンスは種間GWAS(IGWAS)による収斂遺伝子の探索を提案している.大規模に行えば例えば哺乳類のゲノムを水生生活次元とか樹上性次元などで分析できることになる*13
 

第6章 1つのテーマについての多様性

 
第6章のテーマは適応放散.
クジラが一旦海に戻ったあと,重力の制約から逃れて多様化したこと,硬骨魚の適応放散とその結果の多様性(タツノオトシゴ,アンコウ*14,ミノカサゴ,マンボウなど),恐竜絶滅後の哺乳類の放散,ヴィクトリア湖のシクリッドが短期間で多様化したこと*15,甲殻類の多様性*16とボディプランの制約,それに関するダーシー・トンプソンの甲羅の変形の議論が解説されている.
 

第7章 生きている記憶

 
第7章では羊皮紙の最上層に戻る.つまり学習や記憶が扱われる*17
スキナーのオペラント条件づけ理論とスキナーボックス,自然淘汰との類似点,報酬と罰とそれにかかる脳の仕組み,そして何を報酬と感じ何を罰と感じるかが自然淘汰により形作られること*18,人為淘汰により動物にそれまで罰や痛みとして感じられていた刺激を報酬と感じさせることが出来るように育種可能かもしれないこと*19,鳥のさえずりにおける遺伝と学習の多様な関係*20,クレブスとドーキンスによる動物のシグナル伝達の理論(シグナルは発信者が受信者を操作しようとしているものと考える*21),操作とそれへの対抗というアームレースとマインドリーディング能力の進化,動物の文化伝達,免疫記憶*22,日焼けや高地適応,カメレオンやヒラメやタコによるカモフラージュ的体色模様変化や擬態などが扱われる.
最後は脳によるシミュレーションやイマジネーションも扱われ,そのような能力ももちろん自然淘汰により進化したとコメントされている.
 

第8章 不滅の遺伝子

 
本書はここまで「死者の遺伝子本」に何が書かれているのかの具体例を挙げてきた.ここからはこの背景にある「進化についての遺伝子視点」を語っていくことになる.これはドーキンスの「利己的な遺伝子」から「進化の存在証明」までの進化本の中心的なメッセージであり,80歳を越えてもう一度読者に伝えておこうという趣旨だろう.
第8章は「利己的な遺伝子」で提示されたテーマが中心になり,「利己的な遺伝子」に対する(誤解から生まれた)批判が整理され,それに反論する形になっている.少し詳しく紹介しよう.

冒頭では誤解からの批判の最新版デニス・ノーブルによる「Dance to the Tune of Life」が取り上げられている.

  • ノーブルは「○○のための遺伝子」なるものは存在しない,遺伝子は分子を作るための道具に過ぎず,それは直接的原因(active causes)ではない」と主張する.そうではない,自然淘汰が作用するためには遺伝子こそが必須要因であり,遺伝子が生物体(つまりヴィークル)を利用して将来へ旅しているのだ.
  • ノーブルのコメントは科学史家チャールズ・シンガーによる「生物学の因果には特権的なレベルは存在しない」という考えと共鳴している.しかし生命体がどれほど様々なレベルにおいて複雑に相互依存しているとしても自然淘汰を考えるならそこには因果の特権的レベルが存在し,それは遺伝子のレベルなのだ.
  • もちろん分子的実体としての遺伝子には寿命があるが,遺伝子の持つ情報は,無限にコピー可能であるがため潜在的に永遠で原理的に不滅であり,因果的に強力だ.
  • そして遺伝子が変異すれば次世代の表現型が変更しうることは実験的にも示せる.それは直接的原因だ.そして変異のうちあるものが成功し,別のものが失敗し自然淘汰が働くが,それはまさに遺伝子が(統計的に)因果的影響を及ぼすからだ.

 
次はグールドとの論争が振り返られる.

  • グールドは遺伝子の役割を「単なる帳簿づけ(進化の原因ではなく進化が記録されているだけ)」だと主張し,遺伝子,個体,グループすべてのレベルで淘汰が生じており,特権的なレベルはないという意味でのマルチレベル淘汰理論を支持した.
  • 確かに生物進化現象には階層があるが,遺伝子は特別であり,進化の因果的なエージェントとしての特権的なレベルにある.それは遺伝子のみがレプリケータであり,その他のレベルはヴィークルだということだ.

 
遺伝子の性質についてのいくつかの論点も整理されている.

  • 遺伝子とは何かについての1つの論点は遺伝子の境界が明確でないことだ.それは染色体より小さく,さらにどのような配列も減数分裂で組み換えられる.
  • 何を(あるいはどのぐらいの大きさのDNA配列を)遺伝子と考えるかは,考察している世代数に依存する.成功する遺伝子とは世代を超えて頻度を増やす統計的な傾向を持つものだ.

 

  • 「○○のための遺伝子」がないという主張において,表現型と遺伝子が一対一対応していないということを理由にする議論も散見される.これは「○○のための遺伝子」が,表現型の「違い」に関する概念だということが理解できていないための誤解になる.

 
最後に「進化の遺伝子視点」と個体の関係が扱われる.

  • 実際に表現型を観察できるのは生物個体だ.これはしばしば遺伝子視点の弱点だと主張される.しかしそうではない.
  • 生物個体は(その個体の利益だけではない)特殊な目的のためのエージェントとして振る舞う.ハミルトンはこれを深く考察し包括適応度理論を作り上げた.そして,包括適応度とは何か,なぜ個体が包括適応度上昇のために行動するのか,を理解するのに遺伝子視点は非常に役に立つのだ.(詳しく解説がある)

 

第9章 身体の壁を越えて

 
第6章のテーマは「延長された表現型」.進化について遺伝子視点を取れば,その表現型はその生物の身体より外側に広がっていることが理解できる.ここではトビケラやミノムシやジガバチの巣というわかりやすい例から始め,ケラの作る地中のトンネルの出口がダブルホーンの拡声器になっていることを紹介し,そして鳥のさえずりを例にとり様々な行動も遺伝子の表現型として理解できることを示している.
さらに表現型は(遺伝子の持ち主ではない)他の生物個体の身体や行動まで延長して考えることが出来るとする.そしてまず鳴鳥のオスの遺伝子がさえずり行動を形作り,それがメスの生理や行動を変容させること,同じことがアズマヤドリのアズマヤにも当てはまること*23が述べられる.
また延長がかなり長距離まで生じることが,ビーバーのダムの大きさ,テナガザルやホエザルの歌の響く範囲で示されている.
 

第10章 後ろ向きの遺伝子視点

 
第10章と第11章では(生物個体ではなく)遺伝子の祖先系列がテーマになる.特定遺伝子に書き込まれているものはその祖先系列における環境になるので,遺伝子視点からはこの祖先系列は興味深いものになる.第10章で大きく取り上げられているのが托卵鳥をめぐる様々なパズル,特にカッコウの托卵系統だ.
 
托卵習性が鳥類の中で何度も進化していること,カッコウのヒナがホストの卵やヒナを巣から押し出す(そして殺す)こと,ホストの親鳥はそれを(介入せずに)傍観することにちょっと触れてから*24,カッコウの擬態卵の問題を取り上げる.

  • カッコウは複数種のホストに托卵し,そこで生まれたメスはそのホスト種の卵に合わせた(遺伝的に決まる)見事な擬態卵を生む.これはホスト種の托卵排除習性への対抗と考えられている.
  • しかしオスはどのホスト種で生まれたメスとも交尾するので擬態がなぜ壊れないのかがパズルとされている.この問題はなお解決していない*25が,有力な仮説は擬態遺伝子(特に模様や色を決める様々な遺伝子の発現についてのスイッチ遺伝子)が性染色体のWに乗っているというものだ.メスのヒナは自分の生まれたホスト種を認識して同じホスト種に托卵するので(この文化的メス托卵系統はジェンツ*26と呼ばれる),この仮説においてはW染色体の擬態遺伝子の系列は常にある特定ジェンツのメスを経由していることになる.
  • メスがホスト種を記憶・認識して托卵する際にエラーが生じることがある.そして托卵排除習性を進化させていない種に托卵することがカッコウのホスト種拡大・乗り換えのきっかけになりうる*27

 
続いて特定の遺伝子系列をめぐる2番目の例として,グッピーの1種 Poecilia parae のオスに見られる色彩多型の問題が取り上げられている.

  • この種のオスは特定オス系列にのみ現れる模様を持つ(5系列あり模様は5種類).それぞれの模様は配偶戦略に関連し(地味な模様はスニーカー戦略など),模様はオス系列で遺伝する(息子の模様は父親の模様のみで決まる).
  • これを受けて,模様と行動にかかるオス系列のジェンツが存在し,それはY染色体上の遺伝子(おそらくスイッチ遺伝子)が決定しているという仮説が唱えられている.
  • リサーチはこのオスジェンツの多型が頻度依存的に維持されていることを示唆している.(それぞれの配偶戦略がどのように頻度依存的に働きそうかが詳しく説明されている)
  • 特定ジェンツのオスの遺伝子はすべて同じジェンツのオス系列をたどってきており,仮説が正しいなら行動や模様はY染色体上の遺伝子が決定する.Y染色体は組み替えを受けないので,それぞれ複雑な模様と行動という形質の連関が(それが複数遺伝子の制御下にあっても)壊れにくいのだと考えられる.

 
ドーキンスはカッコウの話題に戻り,なぜホスト種は托卵排除習性は進化させるのに,ヒナ排除を進化させないのかについて解説し,コストとメリット(命とご馳走原理),アームレース,超刺激*28などについて語っている.
 

第11章 バックミラーに映るさらなる眺め

 
第11章は遺伝子の祖先系列をさらに考察したいくつかの話題が取り上げられる.
まずゲノミックインプリンティングが簡単に紹介される.つづいてオス系列で伝わる遺伝子は過去のランダムサンプルではなく,「激しい競争を勝ち抜いて繁殖に成功したオス」を経由しているという歪んだサンプルであることが指摘され,様々な動物に性差があること(そしてしばしばオスはよりリスク受容的であること),なぜ性比がメスに偏らないのかについての(グループ淘汰的な推論の誤りの指摘の後)フィッシャーの性比理論,分散の重要性とハミルトンの洞察(ハミルトンとメイの理論)*29などが語られる.
ここで合祖理論が取り上げられる.そしてドーキンス自身のゲノム分析でわかったこと,英王室の血友病遺伝子,繁殖プールの大きさの歴史の推定,種系統と異なる系統樹を描く遺伝子系統を分析できること,自然淘汰の痕跡を調べることができること(セレクティブスウィープ)などが語られている.
 

第12章 良い仲間,悪い仲間

 
第12章のテーマは遺伝子が経験する環境として最も重要な同じゲノムにある他の遺伝子.この同じゲノムにある他の遺伝子(厳密には同じ遺伝子座の対になるアレルも含まれる)が,ある遺伝子にとっての環境であるというのは遺伝子視点を取る場合に当然のことになるが,割りと見過ごされやすく*30,ドーキンスがよく議論しているところだ.
ドーキンスはここでまず(羊皮紙に過去の環境として書き込まれる)一緒に旅してきた他の遺伝子は同じ遺伝子プールを共有するものであることを指摘し,「種」の定義問題に軽く触れている.そこから種分化の鍵となる生殖隔離がどのように生じるかを取り上げ,それは1つには染色体の構成が異なってきて減数分裂がうまく行えなくなるからだが,もう1つの重要な要因は,十分長い間隔離されると遺伝子たちが協力する性質が自然淘汰を受けなくなるためだとし,成功する遺伝子の最も重要な性質は遺伝子プールを共有する他の遺伝子と上手くコラボする能力だと指摘する(ここでは複雑な遺伝子ネットワークの例により説明されている).自然淘汰はそれぞれの遺伝子プール内に協力する遺伝子カルテルを作るように働くのだ.そしてそのような遺伝子は他のカルテルメンバー(他種の遺伝子)と上手く協力できない可能性が高い.
ここでチョウの大家であったEBフォードによる古典的なリサーチが紹介されている.それはヤガの一種の多型をめぐるフィールドリサーチになる.

  • このガ(Lesser yellow underwing)には白色型と暗色型があり,暗色型はごく一部の地域でのみ見られる.
  • どちらになるかは1遺伝子座のメンデル遺伝で決まるが,優性劣性はこれにかかる変更遺伝子群(modifier genes)で決まっており,暗色型が優性だ.
  • しかし異なる地域(バラ島とオークニー半島)のガを交配させると,この優性劣性が壊れてしまう.これは(白色,暗色を決める遺伝子は共通だが)暗色型を優性にする変更遺伝子群は地域ごとに独立に進化し,同じ地域の遺伝子間でないと上手く協力できず優性化効果が発現しないからであることが示唆されている.
  • またこれは遺伝子間の緊密な協力ネットワークが超遺伝子でなくとも進化しうる*31ことを示してもいる.

ここからドーキンスは,例えば肉食動物に見られる様々な形質にかかる遺伝子間の協力,「遺伝子の議会」という比喩.線虫の発生における遺伝子の協力,この協力が壊れた現象には,癌,(減数分裂における)歪比遺伝子があることなどを解説している.
 

第13章 将来への出口の共有

 
第13章では,第12章で議論した遺伝子間の協力を生み出す最も重要な要因である「出口の共有」がテーマとなる.
冒頭では共生微生物,そしてミトコンドリアと葉緑体をまず取り上げ,続いてなぜ一部の寄生細菌はホストに協力的で一部はそうでないのかと問いかける.ドーキンスの答えは次世代(のヴィークル)への出口の共有が理解の鍵だというものだ.次世代にホストの配偶子と一緒に垂直に伝わるなら寄生細菌(ドーキンスはこれを垂直伝播細菌 verticobacter と呼ぶ)とホストは運命共有体になるのだ.そうでない寄生細菌(同じく水平伝播細菌 horizontobacter と呼ぶ)は自分の運命のみに関心があり,ホストに協力するかどうかは条件次第になる.
そして水平伝播寄生をまず取り上げ,トキソプラズマやロイコクロリディウムのホスト操作,水平寄生体がしばしばホストを去勢すること,その例としてのカニに寄生するフクロムシの生態が詳しく解説され,さらにいくつものホスト操作的な寄生生物を紹介している.
続いて垂直伝播寄生を取り上げ,その興味深い例としてレトロウイルス(多くは無害なだけだが,哺乳類の胎盤形勢に関連する遺伝子がレトロウイルス起源であることが紹介されている)を挙げ,そしてそもそも私たちのゲノム自体が互いに協力的な巨大な共生垂直伝播ウイルスのコロニーだと見ることも出来ると指摘する.ドーキンスはさらにマクリントックの動く遺伝子,トランスポゾンを取り上げ,ゲノムにおける重要な区分は我々自身のゲノム配列か外部から侵入したゲノム配列かではなく,水平伝播する配列か垂直伝播する配列かの区別だと力説する.
 
ドーキンスは最後にこう述べて本書を終えている.

私たちのゲノムは(私たちだけでなくどんな生物種の遺伝子プールにも当てはまるが),その全体が共生垂直伝播ウイルスのコロニーなのだ.私はヒトゲノムの8%を占める外部由来レトロウイルスだけの話をしているのではない.これはその他の92%にも当てはまる.彼らは,垂直に伝播するというまさにその理由により,良い仲間なのであり,数えきれない世代で良い仲間であり続けてきた.これが本章が目指してきた革新的な結論だ.
私たちを含めた1つの生物種の遺伝子プールはウイルスの巨大なコロニーであり,将来に旅するために精いっぱいやっている.彼らは身体を作るという企てに互いに協力する.なぜなら一時的で,生まれては死んでいき,次に続いていく身体こそが,時を超えて垂直に下っていく彼らの大移動を成功させるために最も優れたヴィークルであると証明されてきたからだ.
あなたは,巨大で,うごめき,時を超えて前進する,協力的ウイルスたちが具現化した存在なのだ.

 
以上が本書の内容になる.最初は様々に驚異的な自然淘汰産物の紹介や進化の制約の論争の振り返りから始まり,徐々に「進化の遺伝子視点」から見えてくる自然淘汰の本質にかかる議論が増えていき,中盤以降はこれまでのドーキンスの主張が様々な角度から展開される.ところどころにぴりっとしたウィットに富んだ蘊蓄が入れ込まれ,さらに脱線したい蘊蓄が巻末註にたっぷり載せられており,読んでいて楽しい.ドーキンスファンにとっては本当に嬉しい一冊だ.
 
関連書籍
 
ドーキンスには数多くの著書があるが,ここでは特に進化や自然淘汰を中心に扱ったものを挙げておこう
 
いわずとしれた大ベストセラー.現在は第4版となっている.

 
延長された表現型.ドーキンス自身もっともお気に入りの自著だとどこかで語っていたと思う. 
これは進化解説本であると同時に創造論に対する反論本でもある 
サイエンスマスターシリーズとして書かれた入門書的な本 
この本だけが翻訳されていない.非常に深く,そして楽しい本なので残念だ 
これはヒトから始まって祖先を遡っていく物語.原書は第2版だが,邦訳は初版のみ.私の書評は初版に対するものがhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060801/1154442624,第2版に対するものがhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160704/1467631445
 
 
これは新無神論を提示した後に書かれた創造論に惑わされないようにという啓蒙本.進化が単なる仮説ではなく事実であることを徹底的に論じている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20100218/1266491781 
進化適応としての飛翔をテーマとした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/12/16/204703

*1:第1章の中ほどで,この本の題名「The Genetic Book of the Dead」について誤解しないようにという注意書きがある.いわく,内容の解読可能性については将来の科学者なら原理的にできることも含める,エジプトの死者の書とは関係ない,古代DNAの解読とも直接関係ない,人類集団間のゲノム比較については扱わない,そして本書ではゲノムではなく表現型を読んでいくことが中心になる,ということだ.

*2:この章の記述はすべての生物に当てはまるが,ここではすべての生物を名誉動物(honorary animals)として扱うと書かれている.英語には「生物」に当たるちょうど良い単語がなく,living thingsでは収まりが悪いし,いちいち every animal, plant, fungus, bacterium, and archaean と書くのが面倒だからだそうだ.

*3:ここで延々とフーリエ変換の蘊蓄が語られていて面白い

*4:ウシの尻に眼状の模様をペイントするとライオンに襲われにくくなるというリサーチが紹介されている

*5:ローマーはデボン紀が干ばつが多い時期だと考えていたのでこの仮説を立てたが,その後それが疑問視され,仮説自体が評価されなくなってしまった.ドーキンスは,デボン紀に干ばつが多くなかったとしてもこの仮説が成立する可能性は十分にあると残念がっている.現在デボン紀には月が現在より近かったのでより干満の差が大きかったことを根拠としてローマー仮説を復活させようとする動きがあるそうだ

*6:これは「進化の存在証明」や「魂に息づく科学」でも取り上げられており,ドーキンスお気に入りの進化物語のようだ.また英語と米語でturtleとtortiseの意味が異なっていることについての文句も繰り返している

*7:「延長さえた表現型」ではこれにあるレベル(遺伝子レベル)での完璧が別のレベル(個体など)で不適応に見えるというものを挙げている.これは厳密には制約でなく誤解なのでここでははずしたのだろう

*8:なぜこれを分けて6つの制約としなかったのかはよくわからない

*9:なお局所的な最適の議論はこれとは別だという但し書きがある

*10:ここではカンガルーとアンテロープに収斂がみられないことについて,運動様式の大転換には制約があることを理由としてあげ,これはイクチオサウルス,イルカ型とプレシオサウルス型についても当てはまると説明している.

*11:ここでは有名なネーゲルの「コウモリであるということがどんなものであるかは人には分からないだろう」と言う議論に対して,ドーキンスは「(機能的に考察すれば)それは我々の視覚的経験とそんなに違わないだろう,色覚類似の感覚すらあるかもしれない」と主張している.

*12:ここでは遠く離れたこの2つの動物群で,プレスティンタンパクを作る遺伝配列が収斂進化していることが紹介されている

*13:ここでは実際に無毛性について調べた結果が紹介されている.無毛遺伝子は発見できなかったが,毛髪遺伝子が様々な形で機能を失っていることが見つかったそうだ

*14:アンコウについては矮雄を持つ性表現についても触れている

*15:10万年で現在のような多様性が進化したが,それが充分に説明可能であることが丁寧に解説されている

*16:様々な形態のエビ,カニ,シャコ,フジツボさらにその幼生の多様性が丁寧に紹介されている

*17:本書の題「死者の遺伝子本」ならぬ「生者の非遺伝子本」の内容を扱うことになると断り書きがある

*18:だから痛みを感じることと知性を関連付ける議論は誤りであるとコメントされている

*19:それにかかる倫理問題や,ダグラス・アダムズの小説に出てくる喜んで人に食べられたいと考える牛のような生物の話が取り上げられている

*20:さえずりがどこまで生得的に決まっているのかとその鳥の生態の関係が詳しく解説されている.

*21:この視点を取ると鳥の求愛のさえずりはオスがメスのホルモン系を操作しようとしていると捉えることが出来るとコメントされている

*22:バクテリアの免疫システムとCRIPR,mRNAワクチンの仕組みが解説されている

*23:アズマヤ自体延長された表現型だが,それがさらにメスに影響を与え,それも延長された表現型と考えられると説明されている

*24:ここではカッコウのさえずりの2音の音程差(一般的には短三度とされるがベートーベンは長三度で記述している)についての蘊蓄もあって楽しい.ここではカッコウのさえずりが単純なのはオスのヒナが父親のさえずりを学習する機会がないからだろうともコメントされている

*25:私の印象ではゲノム分析でジェンツごとのW染色体の違いが報告されていることなどから性染色体仮説がほぼ受け入れられているように思うが,カッコウ研究の大家ニック・デイビスが最近性染色体仮説に懐疑的なので,それに敬意を表してドーキンスはここではこう表現しているのだろうと思われる

*26:ドーキンスは単数系 gens,複数形 gentesで使い分けている(これは古代ローマの”氏族”を意味するラテン語 gens/gentes 由来のようだ).だから単数系はジェンズ,複数形はジェンティズと表記するのが英語発音的には近いのかもしれない.ここではジェンツと表記しておく

*27:ここでまだあまり托卵排除をしないヨーロッパカヤクグリヘの托卵がいつ始まったのかについての議論がなされている.チョーサーの14世紀の詩にカッコウがheysuggeに托卵していることが記されている.このheysuggeがhedge sparrowを指すと考えていいのであれば(これもやや微妙)少なくとも650年前に托卵が生じていることになるが,そのジェンツは死に絶えて,新たに別のジェンツが生じた可能性もあるなどと考察されていて楽しい

*28:田中啓太によるジュウイチのヒナの翼にあるホストビナの口模様の擬態のリサーチが紹介されている

*29:ここでは社会性昆虫における分散の例(有翅型の繁殖虫)を紹介したあと,なぜハダカデバネズミにはそうした分散が報告されていないのかが考察されている.ドーキンスはなおいつか分散型のカーストが発見されること(素早く走る有毛型カーストが現在は別種と誤同定されているかもしれない)を夢見ているそうだ

*30:最近では河田雅圭が「ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?」でここを完全に見過ごした主張を行っていたのが記憶に新しい

*31:超遺伝子なら異なる地域個体を交配しても優性劣性は壊れない