「歌うネアンデルタール」


歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化



「心の先史時代」でヒトの認知の進化について領域的な心のモジュールが認知的な流動性を獲得して現代人類の心を持つようになったと主張した著者の最新著.(この間に「After the Ice」という氷河期以後を扱った本があるのだがまだ訳されていないのが残念)


本書においては言語と人間の認知について複雑な主張を展開しているが,一言で言うと類人猿からネアンデルタールまでは現在の人類の言語のプロトタイプである全体的で感情伝達的な発話様式(これを著者はHmmmmと名付けている)があった.これが彼等が現代人類のような文化を発達させ得なかった要因のひとつであり,そしてこのプロト言語は音楽の祖先形態であるというもの.

議論としては,まずピンカーの「音楽はチーズケーキのようなもので,適応の副産物であり,適応自体ではない」という説に対して音楽を理解し,楽しんでいるヒトの普遍的な傾向からそれだけでは説明できないのではないかと疑問を呈する.
そしてまず脳内でのモジュール的な音楽の心があるのかどうかを検討する.様々な事実を提示し,言語ほどはっきりはしていないが,ある程度言語と分離した音楽のためのモジュールがあるという著者の見解を説明する.
ここでは自閉症児に音楽的に優れた人が多く,そして絶対音感を持つものが多い事実が提示される.著者のよると,これは,ヒトの発達過程においてはまずプロト言語的なHmmmmmを指向する脳状態になりこのときには絶対音感がある,その後他者と関わり真の言語を習得する際には(いろいろな話者の発話を同じと理解する必要から)相対音感指向になるからだと説明する.この辺はなかなか独創的で面白い.


つづいて母親が赤ちゃんに話しかける様式を分析し,赤ちゃんが普遍的にこのような発話に対して感情的に反応することをみていく.これはプロト言語の現れのひとつという趣旨である.さらに現代の音楽の役割を分析し,これが感情と深く結びついていることを確認する.感情の重要性を最近の進化心理学の説明を使って強調した上で,このような重要な感情と結びついている音楽が全くの副産物ではありそうにないとする.


ここから話は一転して,著者のHmmmm説に基づいた大型類人猿から現代人類までの言語の進化を,得られている証拠から再構成を試みる.大胆な想像を過去の人類にどんどん当てはめてみてきたかのようなストーリーが組み立てられていく.科学的な厳密性にちょっと目をつぶってぐいぐいとストーリーが進むところは本書の最大の読みどころである.
大まかにいうと類人猿からネアンデルタールまでに全体的な発話形式が少しづつ精密に音楽的に進化してHmmmmmを形作る.そして現代人類になって突然真の言語が現れるというストーリーである.この中では直立歩行と,歩行のステップによるリズムの形成,ハンドアックスと性選択と音楽の結びつき,赤ん坊を地面におろすことと子守歌の起源の話が面白い.またグルーミング=ゴシップ説と平行して小集団の結束を高めるために音楽を共同で行うことに適応的な意義が生じただろうとする.


現生人類における状況の基本的な主張は「心の先史時代」と同じで現代人類になってから心の認知的な流動性が生じて,真の言語と多様な文化が生み出されたというもの,そしてその言語の母体となったHmmmmmは,今「音楽」として我々の前にあるというわけだ.


なかなかよく再構成されたストーリーであるところは買える.ただ音楽の適応的意義についてはやや曖昧であり,疑問も残るような気がする.(結局感情に関わる適応なのか,だとしたら特にどの部分か,性淘汰との関連は?)絶滅人類の心の問題はどうしても具体的な証拠には乏しい領域でありこのような線での探求が主になるのはやむを得ないのだろう.今後の議論の深まりを期待したいところだ.