読書中 「The Stuff of Thought」 第2章 その11

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


第6節は自動詞と他動詞の話だ.

英語には同じ動詞が自動詞にも他動詞にもなるという動詞が多く存在する.


 The egg boiled.
 Bobbie boiled the egg.


 The ball bounced
 Tiny bounced the ball


これは causative alteration 使役交替と呼ばれる.他動詞構文の目的語が自動詞構文の主語になる形をとり,他動詞構文における主語がその自動詞的な効果の因果を与えるから「使役」とよばれるらしい.


そしてここまでピンカーにつきあっていると当然こう来るだろうという予想の通り,これにも例外があるのだ.つまり200を越える英語の動詞はこのように両方の用法があるが,しかし自動詞構文から使役交替できないもの(cry, perish, come),逆に他動詞構文から使役交替できないもの(create, wreck)両方あるのだ.そして,一見してわかる規則がないのだ.なぜ料理の時にboil makeで差が出るのか?行進の時にmarch comeで差があるのか?どうしてこのような例外を子供は学習できるのだろうか.


そして子供は実際に間違うらしい. go me to the bathroom などというようだ.これもきっととても可愛いらしい言い間違いなのだろう.また大人もそれまで通常使わない動詞にも特殊な場合には一般化する.例はちょっと楽しいMacOSXのヘルプなどの表現だ.
 Allow power button to sleep the computer.
 Hover the mouse over the box.




日本語では,自動詞と他動詞は,助動詞などにより形を変えることが多い.


壊れる/壊す ゆだる/ゆでる はずむ/はずませる 上がる/上げる 倒れる/倒す 泣く/泣かす 来る/来させる


しかし日本語にも両方とる動詞がある.


(扉が/を)ひらく 閉じる 生じる 増す (泥が/を)はねる


やはり「扉があく/扉をあける」「扉が閉まる/扉を閉める」「泥が飛ぶ/泥を飛ばす」などのように形を変える動詞とそうでない動詞の違いは一見したところ明らかではない.同じように興味深い現象といえるようだ.



そしてやはり予想されるようにピンカーの回答は「視点フレームの転換」だ.
英語話者にとってこの2つは同義ではないらしい.何かが生じるのと誰かが何かを生じさせるのは異なる.しかし単に因果を作った行為者が出てくるだけでは視点の転換は完成しない.(そういう場合にはmake, cause を使った構文を作る She made the cookie crumble)


ピンカーによるとこの使役交替他動詞が生じるためには行為者は自分の手でそれを生じさせなくてはならないというところフレーム転換のポイントがあるということだ.
だから
 She made the cookie crumble by leaving it outside in the cold.とはいえても
 She crumble the cookie by leaving it outside in the cold. というのは変な言い方になるという.このあたりは英語話者でないとよくわからないところだろう.


さらにこの使役変形他動詞は行為者が意図していた時に使うのが好まれ,上の言い方は,もし彼女が本当は自分の手で砕きたいのだが,関節炎でできず,またほんの数分で粉々になるのがわかっていたなら使える言い方となるそうだ.

そしてもし結果が行動の目的でないのなら使役変形他動詞は使えない.
ピンカーがいうには butter はバターを何かの上に塗るという意味だが,王様がバターをパンに塗るためにまずナイフにバターを付けたとしても The King buttered the knife. とはいえない.
もっとも何かにバターを塗るという意味での butter は手元の辞書によると他動詞のみの用法であって.この例としては良くわからないところだ.それとも The bread buttered. で「パンがバターを塗られた状態になった」という意味になるのだろうか?
どうもここの説明は通常の他動詞として使われる場合と,さらにmakeなどを使って使役型になる場合の差異を示しているようでもある.



では行為者が意図して生じさせるというのはどういう意味だろうか.ピンカーはリンゴを切るにしてもまず大脳の中で決断し,運動を命令するパルスを生じさせ,神経を伝わり,筋肉が動き,ナイフがすすむという処理が連続することを指摘し,結局心の認知として「直接」なのかどうかが問題なのだという.
私たちが事件を構成するときにある程度以下のサブ事件は見えないようになる限界があるのだ.筋肉の動きを伴うものはそこまでの因果のつながりは見えなくなる.だから手で打ったり,ボールを投げることにより break a window をすることができる.しかしそこに誰かが(例えばバターを指に塗った窓職人)介在すればそれは粒子限界より大きくなるのだ.だから職人を驚かせて *break a window することはできない.


そして心の認知の通例で,このような粒子サイズの区分は調整可能だ.
高い視点からは
Henry Ford made cars.
Bush invaded Iraq.
と言える.歴史的な広い視点からは,集団のリーダーが直接効果を上げていると認識できる.
しかしリーダーではない場合には直接とは認知しない.だから
Neoconservative intellectuals invaded Iraq. とは言えないのだ.

そしてビンラディンもフロリダの選挙民も因果は与えていてもこの文の主語にはなれない.


話しては受け手が自分と同じ粒子サイズを持つことを期待する.そうでなければコミュニケーションは失敗する.
ピンカーが絶滅危惧種のフエコチドリについての新聞のヘッドライン「Plovers close parking lot.」を見たときはコチドリがロープを張って車を追い返している像が心に浮かんだそうだ.


さて日本語ではどうだろうか.
まずは英語の能格動詞のように自動詞他動詞で同じ形をとる動詞を見てみよう.
扉を開くというときに確かに行為者の行動を強く感じるが,直接因果性まであるだろうか.


 私は召使いに命じてその扉を(?開いた./開かせた.)
 犯人は氷が融けることをトリックにしてその扉を(閉じた/閉じさせた)のだ.


確かに使役型を使う場合と比べてみると何らかの直接因果性はあるようだ.私の語感では英語ほど明確ではないような気もする.それとも英語の語感もこの程度なのだろうか.英語と異なるとしても,使役型を用いるかどうかについては因果の連続性のどこかに境界はあるはずだから,英語とは粒子サイズが異なっているということかもしれない.意図を強く感じさせる犯人のトリックでは召使いの例より自然に聞こえるのはそのためだろう.


もう少し広げて通常の他動詞まで考えて見るとやはり使役型と比べて直接因果性はあるようだ.英語ほどは明確かどうかはよくわからない.


 彼女は紙人形を壊した.
 彼女は紙人形を,雨の中一晩外に放置することにより,(?壊した/?壊さしめた).(「彼女が一晩放置したので,紙人形は壊れた」という言い方が自然だろう)
 彼女は紙人形を,召使いに命じて(?壊した/壊させた).

 ブッシュはイラクを侵略した.
 フロリダ選挙民はイラクを侵略した.(非文ではないが,生じた出来事からこうは言えない)




第2章 ウサギの穴に


(6)acting , intending, causing の思考