読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その8

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ヒトの心がどのように時間を認知しているのかを言語に見る.序説のあと,ピンカーは時制と相の問題に進む.


まず時制と相の関係について.ここはなかなか分かりやすい解説だ.
ピンカーはこの文法による時間の把握は空間の把握と関連しているのだという.

まず「時制」 これは時間の中で出来事の「場所」を示している.
そして「相」 こちらは時間の中で出来事の「形」を表している.

「時制」は現在・過去・未来の違いを示す.
She loves you. She loved you. She will love you.
「相」は swat a fly (一瞬の出来事,「経験できる現在」ぐらいの長さに生じる) run around (期間の限定がない) draw a circle (行動の完成とともに終了する)の違いを示している.


「相」はさらに時間に関する3番目の情報を与える.それは出来事への視線だ.出来事は様々の始点から叙述できる.その出来事の内側から(つまり出来事の一部に始点をあわせて)叙述したり(She was climbing the tree.),出来事の外側から(すべての出来事を鳥瞰して)叙述したり(She climbed the tree.)できる.
aspect という語はラテン語の「見る」という言葉からきている)


いくつかの動詞の活用はこの時制と相の両方の要素を含んでいる.しかし概念的にはこの2つはまったく異なるものだ.ある出来事の生じ方としての「相」は過去でも現在でも未来でも生じる.そして時制と相は空間とものの世界では異なるカウンターパートを持っている.


ここからピンカーは時制の解説にはいる.その前段でデイブ・バリーの時制に関する傑作ジョークがあって笑える.
そして時制は図を書くことにより理解しやすくなるとして図を示しながら解説していく.
現在・過去・未来に加えて物語の行為者が「現在」として理解しているレファレンス時間の概念が重要で,時制は「出来事」が「レファレンス時間」に対してどうなのか,「話者の話している現在」に対してどうなのかの2つを気にしていることになる.つまり絶対的な時間でなく,あくまで相対的な時間が問題になっているのだ.

そしていくつかの言語はレファレンス時間を2種類以上とれる.さらにいくつかの言語は,過去とはるかな過去,未来とはるかな未来を分ける.
日本語でもレファレンス時間はあるだろうか.話し手の現在が3月として「1月頃花子は太郎が2月にとんでもないことをするだろうと思っていた」というような文章を作るときには「するだろう」になるし,これが12月だと「した」になるだろう.だからレファレンス時間が重要だというのはそのまま当てはまるだろう.もっとも日本語の時制の議論はなかなか難しいようだ.


ピンカーは英語の場合の「出来事」「レファレンス出来事」「話し手の現在」の関係を図示しながら完了形を説明する.


次に空間の認識と時間の認識の差の説明がある.


まず時間は1次元しかないので,空間を示す語彙より少ない時制しかない.そして現在が過去と未来を分け,2つの異なる時間を作っている.だから今ではない時間(過去と未来双方を含む)を表す時制はない.これは空間にはhereではないというthereがあるのと異なる.


もうひとつの違いは時間の2つの方向はまったく異なるということだ.過去は凍りついていて変えられない.未来は可能性に過ぎなくて私達の現在の選択によって変えられる.これらは言語に影響を与えている.
多くの言語は時間を2つにしか分けない.過去とそれ以外(現在と未来)だ.多くの言語は未来について時制という形では表さず,出来事が今起こっているか(realis),出来事が仮定的,一般的,未来的か(irrealis)という形で表す.

日本語も未来時制はない.realisとirrealisの違いで現在と未来を表しているのだろうか.「だろう」のような推測表現で未来を表すことが多いのでこれに含まれるのかもしれない.

英語においても未来時制はほかの時制とは異なったステータスを持っている.ほかの時制のように動詞の活用ではなく叙法助動詞 will を用いて表されるのだ.


そしてほかの助動詞が,必要性,可能性,義務などを示しているのは偶然ではない.将来起こることは,起こらなければならないこと,起こる可能性のあること,起こそうとすることに関連しているのだ.これはなかなか鋭い解説のように思われる.


ここからピンカーは意志と未来の関係について詳しく説明する.will 自体将来時制を表しているのか,決心したことを表示しているのか曖昧なところがある.そして同綴り同音異義語は「意志」,「望む」などの意味を持つ.また別の未来時制マーカー going toも同じだという.さらにwill, shall, と第一人称,第二人称,第三人称における意味についても細かく解説される.ピンカーは文法書にある区別と実際の用法は異なっているといっている.このあたりは英語学習者としてもよくわからないところだ.要するにピンカーの言いたいことは意志と未来は深く言語上結びついているということだ.
日本語ではそれほどつよくないが「したい」という形で未来を表すこともあるように思われるので似た現象はあるということだろうか.


次に未来時制が丁寧さを表すことについての解説がある.未来時制は飛行機のフライトアテンダントや高級レストランで丁寧さを表すものとしてよく使われる.それは未来の可能性を限定せず,あたかもすべてのことに客の許可が必要なような雰囲気を醸し出す.この表現も世界中の言語で見られるという.日本語では,別途敬語表現が豊かであるし,はっきりとした未来表現がないのでこれはあまり使われていないということだろうか.


次は「相」の解説になる.



第4章 大気を切り裂く


(3)デジタル時計:時間についての思考