読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その7

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


人の心がどのように物事を認知しているのか.もの,空間ときて3番目は時間だ.言語における時間の問題は当然まず時制が問題になるのだろう.


ピンカーは空間の認識と異なって,時間の認識をなくすことはできないと指摘している.時間の概念がない文化があるという(おそらく文化相対主義的な)主張があるそうだが,それは考えられないとピンカーは主張している.いわく,もし時間の概念がなければ,人が生まれ,育ち,年取り,死んでいくことさえわからなくなる.だから死体が起き上がり若返っていっても驚かなくなるだろう.


さて言語的には,まずほとんどの言語が「昨日」とか「昔」のような時を表す副詞を持つ.時制を持つ言語は半分ぐらいということだ.統語法から見た時間の特徴は循環的ではなく時系列的だということだ.これはつまり循環的な時制,(新月の頃だけ,朝だけ)を表すような時制は観察できないということだ.当然ながら日本語も時を表す副詞があり,英語やフランス語に比べて簡単だが時制があるし,そしてそれは循環的ではない.(日本語の時制の有無,数についてはいろいろな議論があるようだが,本章で問題にしている意味では,現代日本語で出来事が生じた時間を表す表現としては「話す」と「話した」で2つ時制があると考えていいように思う.)


続いて,物理学的な時間とヒトの時間の認識が少し異なっている点についての説明がある.
まず「現在」は極小時間ではない.ある程度の長さを持ち,人生の出来事をのぞける窓としての過去及び将来への幅を持っている.
ウィリアム・ジェイムズはこれを「経験できる現在 the specious present」と呼んだ.今と近い過去と近い将来を別々に感じるのではなく統一して「現在」と感じるのだ.


そしてこれは大体3秒ぐらいだという.握手したり,ゴルフボールを打ったり,曖昧図形がフリップしたりするのにかかる時間だ.この時間内であればもう一度同じことができるし,短期記憶が消滅し始め,チャンネルサーフのようなクィックディジョンができ,一声の発言時間,詩の一行,ベートーベンの運命の音楽のモチーフの時間でもある.
そういわれると人の「いま」感覚はそのぐらいなのかという気がしてくる.


そしてこれが言語にどう反映しているのか.
言語においてはいくつかの塊がユニットになっているという.少しの間隔がある現在,それ以降永遠の未来,そしてそれまでの宇宙開闢までの過去.時に過去と未来はさらに近いものと遠いものに区分される.しかし西暦のようなどこかの時点にテクニカルな始点や,分とか秒とかの固定した間隔単位を持つような時制を持つ言語はない.これでは出来事の生じた時間は曖昧だ.


そしてこれは物事を略図的に示す言語の一般的な特徴が時間にも現れているという.英語の場合,数について単数と複数,場所についてhereとthereの2分法になっているのと同じように時制については数え方によるが5つあるということになる.日本語の場合,数については区別がなく,場所については3つ,時制は2つということになるのだろうか.


次は空間の認識との関連だ.これは時間に関して空間的なメタファーを使うことに現れる.そして面白いことにこのメタファーは言語ごとに異なっているのだ.英語についてはレイコフとマーク・ジョンソンが整理した.


1.時間方向メタファー:観察者は現在にいて過去は背後に,将来は手前にある.
 That's all behind us.
 We're looking ahead.
 She has a great future in front of her.

2.動く時間メタファー:時間は観察者を追い越していくパレードだ.
 The time will come when typewriters are obsolete.
 The time for action has arrived.
 The deadline is approaching.
 The summer is flying by.

3.動く観察者メタファー:観察者が進んでいく.
 There is trouble down the road.
 We're coming up on Christmas.


この2と3は相容れないので,表現としては混乱するらしい.この結果 Let's move the meeting ahead a week. といった場合に将来に延期するのか,より近い将来に変更するのか曖昧になる.日本語には2のメタファーはないように思う.中国語には垂直メタファーがあり,より早い出来事が上に,遅い出来事は下にある.ピンカーはこれは縦書き文化のせいではないかといっている.


このあと真打ちの時制の話になる.



第4章 大気を切り裂く


(3)デジタル時計:時間についての思考