「Missing the Revolution」 第6章 行動生態学と社会科学 その2


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


リー・クロンクによる人間行動生態学(HBE)の紹介の続き.いよいよ本題で,本書のテーマでもある,社会科学の知見との関係が解説される.


3.人間行動生態学と社会問題


(1)人間行動生態学と女性の取り扱い

クロンクによるとHBEはフェミニストには不評ということだ.とりあえず性差を認めると強硬派からは攻撃されるようだからある意味予想の範囲内だ.クロンクは当然ながら,女性の問題を深く考えるにはHBE的なアプローチは有効だと思われるといっている.


クロンクによるとインテレクチュアルたちの潮流が変わり始めたのを示すのは,ヘレン・フィッシャーやパトリシア・ゴワティたちだということになる.フィッシャーはそれまで男性こそ優秀だとされていた風潮に反し,女性にこそ見られるアドバンテージを強調し,ゴワティは進化的な考察から女性の自立ための戦略を考えた.


クロンクは,これらに関連するHBEの分析には,男の暴力傾向,女性の結婚戦略,父権社会の起源,女性割礼やベールのメカニズムなどがあるといい,例として,ストラスマンのマリのドゴン族の生理小屋の分析をあげている.
ストラスマンの主張は以下のようになる.

生理小屋は排卵隠蔽をしている女性の生理周期を明らかにするという男性側の都合の産物.妻を寝取られることから防衛しようという男性にとって便利だ.特に狩猟採集民では繁殖可能性のある年齢の女性が実際に妊娠可能なのは15%ほどの時間しかない.生理タブー自体が対寝取られ戦略と理解すべきだ
実際に女性は生理小屋にはいるのを嫌がるし,そのような義務のないイスラムやクリスチャンの男と結婚したがっている.しかし社会的な圧力から,あるいは超自然の力を恐れてか,嘘をついて生理小屋にはいるのを逃れるケースはまれだ.

もっともその情報は寝取ろうとする男も利用できるのだから必ずしも防衛として有効ではないのではないかとも思えるが,それ以外の状況から見て浮気しにくいということなのだろうか.また男性側の心理として妊娠できない時期なら寝取られてもいいということではないように思うのだがどうだろうか.
あるいは,監視システムとして,いつ妊娠したのかを夫が把握するのに有効という趣旨かもしれない.そういう主張だとすると,それは月単位で妊娠時期をだますことをふせぐということにしかならない.やはりあまり有効ではないように思う.
進化心理学的に考えると,排卵隠蔽がオスメスのコンフリクトにかかる女性側の戦略だとするなら,この生理小屋はそれを無効化しようとする男性側の心理の現れ(そのような心理があるとしてだが)とみることができて興味深い.


(2)子供の虐待

子殺しは一見ダーウィニズムに矛盾するような現象なので,行動生態学での研究例は膨大にある.
そしてデイリーとウィルソンはこれをヒトに当てはめた研究を行ったとクロンクは紹介している.もっともデイリーとウィルソンの研究は(確かにシカゴやマイアミでのフィールドリサーチ的な要素もあるが)むしろ進化心理学的なアプローチだと言えるだろう.


実際にヒトでも子供の虐待,子殺しは生じる.そしてこの場合片方の性の子どもがより虐待されるということが多い.女児虐待のに偏る社会の方が多いが,男児虐待の方が多い社会もある.これについてのHBE的な研究例として,クロンク自身によるケニヤのムコゴド(マサイの貧困階層民)の研究を紹介している.

彼等は女児に対してより世話を行い4歳児の性比は67:100になる.
結納が入るからという説は,実際に娘がいて裕福になるわけではないし,そのほかの結納慣習のある民族に見られないことから否定される.そしてトリヴァース=ウィラードの仮説を応用した説明が妥当する.つまりムコゴドは貧しく,娘の上昇婚の可能性を追及する戦略がもっとも繁殖価を高めることになる.そしてこのムコゴドの女児びいきは無意識下である.


この研究事例はまさにHBE的で,行動それ自体の適応度を問題にしている.しかし私の理解では,これが個別の行動が直接適応として進化したという主張であるなら,何らかの環境をキーとして発現する女児びいき行動プログラムが直接遺伝子プール上で淘汰対象になっているという主張を行っていることに論理的にはなるだろう.いったん心理メカニズムというクッションを置く進化心理学的なアプローチの方がよいように気がする.もっともここでのクロンクの主張は特にHBEか,進化心理学かということではなく,進化的なアプローチが子どもの虐待という社会現象の解釈に有効であった事例,特に男児びいきの社会,女児びいきの社会が存在することの要因の説明に有効だったということなのだろう.


(3)地位の争いと社会競争

クロンクはまた,HBEはこれまでよく知られているデータから面白い現象を見いだすことができると主張している.これまでのリサーチが文化間の差を見つけようとしていたのに対してユニバーサルを意識すると,ヒトの社会はどこでも地位を巡る争いが重要であることがわかってくるというのだ.

アイアンズのリサーチではヨミュ・トルクメンの社会では家の富と繁殖成功が相関するデータが得られる.これらはキプシグでもムコゴドでも見られる.これらは「成功」が文化の偶然によるようなものではなく,ヒトの社会では普遍的に繁殖価を高めることが成功と捉えられていることを示唆している.そして富が成功の基準でない社会では,パーソナリティが成功の有無を決めている.このパーソナリティの重要性は文化によって異なるが,より重要とされる社会ほど望まれるパーソナリティと繁殖成功が相関しているのだ.つまりヒトの社会では普遍的に成功は地位と繁殖価に結びついているのだ.


このあたりの主張も結構ナイーブな感じだ.現代社会の少子化は,急速に変化した環境に適応していないという説明になるのだろうが,あまり納得感がないだろう.それに繁殖価が高いなら,そういう行動する個体の割合が増えていれば,それで十分で,何故それが意識的に「成功」と捉えられているのかの理由の説明にはなっていないようにも思えるところだ.


4.HBEと進化心理学


クロンクはここでHBEと進化心理学EPの関係を整理している.

まず,HBEは既に20年以上に渡り多くのデータを生みだし,そしてその拡張は進化心理学接触してきていることを認めている.

しかしなお,HBEとEPはいろいろと異なっていると相違点をあげている.

  1. 環境についてEPは進化的な過去を考えているのに対し,HBEは現在の環境を主に考えている.
  2. EPは行動の原因として心理メカニズムを重要視しているのに対し,HBEは概して心理メカニズムには無関心だ.


アチェ族の採集戦略に関するリサーチでは,アチェ族の採集戦略は最適化されていることが示されているが,どういうメカニズムでそうなっているかについてはふれられないことをクロンクは認めている.

このような至近的なメカニズムの最近の面白い説明は「限界合理性」の議論だ.経済学,政治学の間では流行している.ヒトは完全な合理性に基づく判断ではなく,大まかなルール,ヒューリスティックスに基づいて意思決定しているという考え方だ.HBEも今後はこのような至近的なメカニズムの研究に進むべきなのかもしれない.

そして最後の結論としてクロンクはこうまとめている.

進化心理学は,ヒトの心理は進化的な過去に重要だった特定の問題について適応していると考える.HBEはヒトの社会に見られる多様な行動はローカルな環境に適応していると考える.双方ともより実証的なフェイズに移行すべき時なのかもしれない.

私としては,至近メカニズムの問題というよりも,そもそも何が適応として淘汰されているかをどこまで真剣に考えているかという問題のように思う.HBEは進化心理学の理論を受け入れて,その理論的枠組みの中でフィールドデータを吟味する方向に進むのがよいのではないだろうか.
いずれにしても社会科学は,このような様々なデータとその解釈について,ただ無視するのではなく,吟味の上より深い解釈を目指して欲しいということだろうか.