「性淘汰」


性淘汰にかかる有名な仮説にオスの派手な広告はパラサイト耐性にかかる正直なハンディキャップシグナルだという「ハミルトン=ズック仮説」があるが,本書はその論文の共著者マーリーン・ズックによる2002年の本である.原題は「Sexual Selections: What We Can and Can't Learn About Sex from Animals」.出版後6年たっての邦訳ということになる.


本書は性淘汰についての科学啓蒙書ではない.残念ながらハミルトン=ズック仮説が解説されていたりするわけではない.副題からちょっと推測されるように,一般に広く広がる自然主義的誤謬,偏見からの認識のゆがみについての本であり,自らリベラルフェミニストであると自認し,かつ進化生物学者である著者からみた,フェミニズムと進化生物学についての本ということになる.そういう意味では相当高度にひねりの入った本であり,特に後半部分は基礎知識がないと楽しめないかもしれない.
社会生物学論争,その後の進化心理学批判のバトルを通じて,フェミニズムはポストモダニズムと並んでもっとも先鋭な進化心理学批判者の一派であり,進化生物学側から逆に痛烈に批判されることも多い.この両者の関係がどのように裁かれているのかに興味が持たれるところだ.


全体の構成は3部構成.1部と2部は自然主義的誤謬や,先入観,偏見からの認識のゆがみを取り上げる.3部は特にヒトの性的特徴,性差についての実際例をみていくということになっている.


まず第1部では自然主義的誤謬,偏見の具体例として,動物をヒトの行動,倫理のロールモデルとして取り上げてしまいがちなことが取り上げられる.こうあって欲しい偏見として「オスのリーダーシップ」「オスの攻撃性」「母性愛の肯定」「同性愛の否定」などがあり,それが実際に科学者の観察を歪めているのだ.そもそも霊長類の観察個体がオスに偏っていたこと,医学的な検査も男性が標準になっていたことなどが取り上げられている.またダーウィンのとなえた性淘汰理論が,「メスにそのような審美眼があるはずがない」という先入観から長らく認められなかったというエピソードも取り上げられている.ズックは,フェミニストらしくこのあたりには舌鋒鋭く批判している.面白いのは北米鳥類図鑑の編纂にあたって,その種の代表例としてオス,メスのどちらの写真を掲載するかというエピソードだ.フェミニストである著者の友人ゴワティがルリツグミについてはオスと同じように美しいメスの写真を入れるように編集者とバトルをした顛末が語られている.*1
社会生物学論争については,フェミニストからは「女性がこうあるのは自然であるという理屈」だと誤解されたからだとまとめ,行動生態学・進化心理学に対するフェミニストの批判については,行動戦略について意識が必要だという誤解,遺伝的決定論の誤解,ヒトの特別視などの定番の誤解に加えて,科学者側に行動の解釈としてジェンダーバイアスから都合のよい事実を選択的に取り上げてしまうことがあったのだとしている.


著者の主張は「フェミニズムは進化生物学から多くを得ることはないかもしれないが,進化生物学はフェミニズムから得るものがある」ということであり,具体的にはフェミニズムはこのようなバイアスの除去に大変有効だというところにある.そして,逆にフェミニズムも動物のロールモデルにとらわれて自然主義的誤謬に陥ることがあることを認め,批判している.
それによると,フェミニズムは「政治的な正しさ」バイアスにとらわれがちであり,特にエコフェミニズムは「女性と原初的なものを結びつける」「環境破壊と女性の抑圧を結びつける」「科学は反女性的であると考える」という主張をしがちだという.著者は,それぞれの動物のメスはそれぞれの環境条件に適応しているのであって,すべての動物に共通の女性らしさがあるわけではないことを説明し,またいずれにせよ動物のモデルに政治を求めるべきではないと主張している.また「科学者=支配フリーク」であり,科学とはパートナーシップであるべきだというエコフェミニストの主張にも当惑していて,一部極端なフェミニズムの実体が見えて面白い.進化生物学側からのフェミニズム批判はこのような極端な主張に対してなされているということになるのだろう.


ここから母性愛が普遍的であるという誤解,配偶外交尾が動物の世界で普遍的であったという事実,精子競争というトピックが取り上げられる.それぞれリサーチを通じてわかってきたことを丁寧に解説し,自然から何らかの道徳を引き出そうとすることの誤謬を繰り返し繰り返し主張している.面白いのは「母性本能」や「母と子の絆」を巡ってアメリカの母たちが強迫神経症的になっている話やリサーチペーパーに配偶外交尾が道徳的に好ましくないことを示す用語とともに現れたりする話だ.精子競争においては,これまでのコンフリクト全般を捉える視点がオス側からのものに傾いていると指摘し,メイトガードも単にオスの戦略として捉えるのではなくメス側がその機会を与えているのかどうかの吟味が重要だとか,メイトチョイスも交尾後にオスから隠れて行う方がさらに有利になるので,クリプティックチョイスが重要だ等の指摘を行っている.このあたりは著者の主張するフェミニズムが進化生物学に与える効用の実例のようで興味深い.


第2部では動物に序列があり,ヒトが最上位だという神話を取り上げている.これらは人種に優劣をつけたがったり,男女に優劣をつけたがったりする偏見につながるという指摘だ.性役割についてはシギ類におけるヒレアシシギとイソシギの性役割逆転が独立に生じているというリサーチを引きながら,性役割は環境条件にフレキシブルに適応するもので,固定的に考えるべきではないと説明している.また動物の序列は高等とされる動物の行動にロールモデルをみてしまいがちになるという弊害があるのだとも指摘し,ボノボやイルカについての社会の受け止め方の偏見についても取り上げ,これらの動物をロールモデルとして倫理的によいものとしてみると,そうではないという事実が発見されれば保護しなくなってしまうのではないかと問いかけている.


第3部はヒトの性的な特徴,性差について.これらの説明にはなおジェンダーバイアスが残っているというのがズックの主張であり,なかなか面白い.


まず女性のオーガズムについて.フロイトの暴論から,現代アメリカの強迫神経症的受け止め方をまず解説し,これが副産物だというグールド説,過去の父性を混乱させようとした適応の名残とするハーディ説,より女性を満足させてくれるよいパートナー(こういう男性は子育てにより投資するだろう)を見分けるための適応だとするオルコック説,受精に対して効率的ではないから副産物だというサイモン説,性交のあと横臥姿勢を継続してより受精しやすくするための適応というベイカー=ベリス説,より対称的,魅力的な男性と性交するための適応だというソーンヒル=ギャングスタッド説などを紹介している.著者によると,そもそも男女で異なる反応が生じる場合に,女性側の反応が異常であり,ことさらに適応的な説明が必要だと考えること自体にバイアスがあるということになる.著者の現在の立場は,男性のオーガズム自体適応かどうかはよくわからないし,女性,男性ともこの性質が適応かどうかはなおリサーチが必要ということのようだ.なお検証が必要だというのは,これらの仮説を提示している科学者もそう考えているだろう.確かに,男性については自明であると考えるのはジェンダーバイアスのなせる技かもしれない.


次に女性の生理が取り上げられている.これも性病感染への防御というプロフェット説,着床可能な子宮内層を維持するためのエネルギーコスト節約のための適応だというストラスマン説,胎児とのコンフリクトにかかる適応だとするヘイグ説などを紹介している.ここでは排卵隠蔽の進化と,ドゴン族にみられる生理小屋との関連,集団生活する女性が排卵周期が同期するという神話の嘘なども取り上げられている.著者の主張は,生理について,異常な状態であるとしたり,女性側が過度に負担に感じたりことさらに隠そうとする必要はなく,科学的にリサーチが進むことを期待したいということらしい.


次は同性愛だ.動物に同性愛があれば,それは下等な動物だからある異常なことであり,無ければ,だからそれは不自然だというのが,同性愛を嫌う人たちの自然主義的誤謬的傾向なのだそうだ.そのような誤謬について繰り返し指摘した後,これについての適応説を並べている.甥,姪に対する血縁淘汰的適応説,異性愛の時に有利になるという適応説,何らかの超優性説などがある.著者は,そもそも直接受精に結びつかない性行為が,すべて説明が必要だと考える必要はないと示唆し,もっと広い文脈で考えるべきだと主張している.


そして最後に空間把握能力にかかる性差(男性がより優れる)の問題が取り上げられている.確かに知能テストではこの性差は繰り返し観測されている.著者はまず,ヒトにおいては明快に環境をそろえることは(2卵性双生児であっても)できないことをもっと慎重に考えるべきだと示唆した後,空間把握能力の性差と狩猟採集生活を結びつける仮説(狩猟に有利,女性を捜すのに有利,そのような男性が女性から好まれる,子の世話に有利)についていろいろ紹介し,すべて怪しいと切って捨てている.曰く「頭の中で小さいものを回転させることが上手だからといって,本当に何かに有利になるのか?」.ここはいかにもフェミニスト風で笑ってしまった.著者としては,これはまだ事実がどうなっているのか自体曖昧で,そこをより明確にし,バイアスに気をつけ,どのような環境条件でどのように効いてくるのかのリサーチを進めるべき問題だとしているようだ.


最後に著者は,フェミニストと科学者はもっと啓発しあって欲しいと結んでいる.科学がリサーチ不足であったり,バイアスから逃れられていない主張を行うと,フェミニストから誤解され忌避されてしまうことになる.だから科学は自らバイアスを打破していかなければならないし,そのためには偏見についてよく知ることが必要なのだ.またジェンダーバイアスがありそうなリサーチエリアにおいては,グールドのスパンドレル的な批判精神は有効だと言っている.そのような仮説はより慎重にテストされるべきだということだろう.


6年前に原書を読んだときには,一般の自然主義的誤謬を嘆き,ヒトの性についての大御所たちのずれた問題意識に悩んでいる本だという印象で,ここまでフェミニスト的観点からの科学のバイアスにふれた本だという印象はなかったが,今回邦訳で読み直してみると本書の力点はそこにあることがわかる.ちょうど「Missing the Revolution」や「社会生物学論争史」などを読んでいることもあって背景もわかり,フェミニズムと進化生物学の微妙に交叉しない観点が織り合わさるところが興味深く,また著者のストレートな感想が時に小気味よく,なかなか面白い本だった.進化生物学にある程度知識がある人が,社会生物学論争やアメリカにおけるフェミニズムについて少し予習をしてから読むと大変楽しめるだろう.



関連書籍


Sexual Selections: What We Can and Can't Learn About Sex from Animals

Sexual Selections: What We Can and Can't Learn About Sex from Animals

  • 作者:Zuk, Marlene
  • 発売日: 2002/06/03
  • メディア: ハードカバー

原書


ズックの最新刊.こちらはパラサイトからダーウィニアン医学についての大変面白い科学啓蒙書に仕上がっている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071105
是非本書が売れて,これも邦訳されて欲しいものだが,何しろ本書は上述の通り結構焦点の狭い本である.書名からフェミニストの注意を引くこともなかなか期待できない感じだし,3500円という定価からいっても売れ行きはちょっと厳しいのではないだろうか.売れてくれればいいのだが.

*1:英名はEastern Bluebird,確かにオス,メスともに羽根に青色が出ていて美しい.もっとも特に性役割逆転種ということでもなく,冷静に言うとオスのほうがより青色が鮮やかで美しい鳥だと言えるだろう .フェミニストのこだわりがなかなか面白いエピソードだ.