Bad Acts and Guilty Minds 第5章 あなたの仲間 その2

Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law (Studies in Crime & Justice)

Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law (Studies in Crime & Justice)


カッツの次の議論はコンスピラシーに関するものだ.何故犯罪の実行行為がなくとも犯罪についての合意だけで処罰するのだろうか?これは日本では処罰されないものであり,立法論として興味深いところとなる.


アメリカでも単に犯罪をすることをアナウンスするだけでは罰されない.要するに合意は単なる発言より重いと法は考えているということになる.合意は単なる発言より実行されやすい,あるいは複数犯によるものはより遂行されやすいということになるだろう.これは本当だろうか?


カッツは心理学の知見から言えばYesだと主張している.
まず一定のタスクに対してグループの方が効率が良い.
まず判断についてより正しい.様々な推定問題(部屋の温度,ビンの中のマメの数)についてグループの方が成績が良い.さまざまな知識が総合されたり,自信がない人がある人の判断に従ったりするからだろうと考えられる.
問題解決も速く,学習効率もよくなる.
要するにグループによる犯罪は効率的で危険だからより早い段階で処罰することに正当性があると言うことになる.


コンスピラシーの次の問題はどのように合意を立証するかという訴訟法的な議論だ.ここがアメリカのすごいところだが,必ずしも合意自体の明確な証拠を必要としないというのが確立した実務だということだ.つまり例外的に直接証拠がある場合や,司法取引などで自白(共犯者の裏切り)がある場合を除くと,基本的には状況証拠ということになる.実務では主に3種類のものが証拠として主張されるということだ.カッツは順番に見ていく.


1.協力
カッツは囚人ジレンマ状況を例にとって説明している.通常このジレンマで協力を保たせるには約束とその担保が必要だ.犯罪行為の場合は警察に通報するなどの裏切りに特に弱い.だから協力行為の裏には何らかの約束や担保がなされていることが多い.
もっとも繰り返し状況になれば,TFT的な協力が生じてしまう.この場合には明示的な約束や担保がないことがある.


2.コーディネーション(協調)
ガンジーの暗殺に際しては,その前に8人のヒットマンに協調した動きがあったとしてコンスピラシーが認められた.(武器をそろえ同じ日にデリーに入るなど)
これもコーディネーションゲームで見られるように合意なしの協調は生じうるとカッツは指摘している.


3.コアレセンス(合同,連合)
同じ目的で同じことをしていれば合意を認めてよいという判例はしばしば現れる.しかしこれを否定した判例もある.
カッツはそもそもコンスピラシーを処罰する目的から言って,別々に同じ目的を追求する人たちを罰するべきではないという意見のようだ.


最終的にカッツはこうまとめている.
より危険性が高いのでコンスピラシーの処罰には合理性はある.しかし合意はどこまで認めるべきだろうか.約束には様々なものがある.証書面の約束,口頭の約束,はっきりとした協力,互いに相手の行動を予測して協調,結果的に協調.カッツとしては最初の3つまでがよいのではないかという意見のようだ.


日本ではコンスピラシーは処罰されない.これに処罰しようという立法論があったとしても,おそらく法曹の大半は反対だろう.それは上記議論の危うさを見てもよくわかる.私の感想としてはこれは司法取引の有無とも大きくかかわっているのではないかと思う.
なお日本では共謀共同正犯という概念が判例上確立している.これは実際の実行行為には参加しなくても謀議に参画していたものは正犯だとするもので,実際に首謀者が手を下さないが悪質だという事例が多いことによるとされている.カッツの言う正犯と従犯の区別があいまいだということに関連するだろう.いずれにしても実行行為があってはじめて罰されるものでコンスピラシーとはまったく異なるものだ.