「The Greatest Show on Earth」 第6章 ミッシングリンク? 失われたってどういう意味? その2

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution

The Greatest Show on Earth: The Evidence for Evolution


化石についての創造論者のお馬鹿な主張への回答.


まず「もしサルがカエルから進化したというなら,どうしてフロンキーはどこにもいないのか」
当然ながらドーキンスは現生動物が別の現生動物から進化したわけではなく共通祖先を持つだけだと解説することになる.ついでにすべての現生動物と別の現生動物の間に中間形があるとするならその中間形の数は組み合わせにより2乗になるだろうとも示唆している.中間形の要求がいかに途方もないかということだが,創造論者はそれが途方もないということはむしろ喜ぶかもしれない.というわけで反論としては弱いような気がする.

関連して創造論者が英国の学校に地質学者として入り込み,子供に「もし進化が事実ならフロンキーの化石があるはずだ」と教え込んだ例とか,イスラムの護教論者のアルーン・ヤッファの途方もなくお馬鹿な「創造の地図」という本の例も紹介している.後者はドーキンスを含む英国の科学者,科学教師に配られた豪華本らしい.なかなかドーキンスの神経を逆なでする事件は後を絶たないということだろう.このあたりは日本で怪しい言説が学校でまじめに取り上げられたりして話題になっているようなことと似ているようでもあり,日本の方があまりに軽くて脱力してしまうような感じでもあり,なかなか彼我の差は味わい深い.



次のお馬鹿な主張は「サルからヒトが生まれたのを見れば進化を信じてもよい」
これもまず共通祖先の話をして後に,進化の漸進性を説明している.このあたりは昔は「前途有望な怪物」なる言説が繰り広げられたようなところであるが,ドーキンスは割とあっさり流している.


ここでドーキンスはこのような誤解の背景には,中世の迷信があると解説している.それは「存在の偉大な連鎖」とよばれるもので,神をトップにして天使,人間,動物(さらに高等なものから下等なものまで),植物へと梯子のように一列に続くという概念だ.(もちろん当時の考え方では人間の中には人種やら男女やらの階梯があるのだ.ドーキンスは「だからこれらに取り憑かれていたのはmen's mindという表現でちょうどいい」と皮肉っている)ドーキンスは高等生物とか下等生物とかいう概念自体反進化的であり,誤解に満ち,有害な考え方だと批判し,ここは結構粘着的に議論している.くさい誤解は元をたたなきゃ駄目というわけだろう.


高等下等という場合の誤解

  1. 下等なものから高等なものが進化した;単純な誤解
  2. 下等なものの方が共通祖先に似ている;より共通祖先に似ている現生生物は存在するが,それは「原始的」だということで,劣っているわけではない.
  3. 高等なものの方が賢い,美しいなどなど;これらの基準はばらばらであって「偉大な連鎖」のように一列に並ぶわけではない.
  4. 高等なものの方がよりヒトに似ている;ヒトを高等の基準に用いる客観的な理由はない.
  5. 高等なものの方が生存することについて優れている;意味がないし真実でもない.このような論者が高等としたがる動物が絶滅危惧種であることはよくある.


興味深いことにドーキンスはここで分岐学の議論をちょっとしている.
クラディストによれば鳥類は単系統群だが,爬虫類はそうではないので自然分類群ではないことになる.しかし何故私達は爬虫類から特に鳥類をのぞこうとするのかをよく考えてみようと示唆している.ドーキンスはもし様々な恐竜,一部の羽毛恐竜,始祖鳥などが今でも現生動物としてそこにいれば,私達はあえて鳥類を爬虫類から取り除こうとしないだろうと主張している.
つまり「中間形」は絶滅の偶然がどう生じたかに依存した概念であるという主張だ.ここはなかなか説得力のある議論のように思う.




所用あり,10日ほどブログの更新が止まる予定です.