「ザ・リンク」

ザ・リンク―ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見

ザ・リンク―ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見



コリン・タッジはイギリスのサイエンスライターで,いろいろな科学的テーマについての本を出している.私が読んで面白かったのは,農業の開始にかかる「Neanderthals, Bandits and Farmers」(邦題「農業は人類の原罪である」).このほかクローン羊ドリーについての本や食糧問題についての本が有名で,最近では樹木や鳥に関しても包括的な啓蒙書を書いているようだ.本書はドイツのメッセルから出土した極めて良好な保存状態のダーウィニウス・マラシエの化石『イーダ』についての本である.イーダの発見物語と,その化石の持つ意味というのが本書の基本になるが,それだけでは1冊の本にならないので関連するトピックの解説が中間に挟まるという構成になっている.


最初の2章はイーダが世に出るまでの物語.ここはまさにノンフィクションライターとしての腕の見せ所で,面白く書けている.メッセルの油頁岩層が市当局によってゴミ投棄の穴にされてしまいそうになり,その前後にかなり荒っぽい発掘があった経緯がまず説明される.そのような形で発掘された霊長類の祖先化石を秘蔵していた個人コレクターが20数年後ついに業者に売却を依頼し,その化石は2006年のハンブルクの化石見本市で,オスロの博物館の古生物学者フルームに見せられる.フルームはその化石の保存状態と重要性に驚き,何としても手に入れようとする.そしてこれが合法的なものかどうか,資金を捻出できるかというスリルのすえついにフルームの手元にもたらされ,フルームは化石に愛娘の名をつけ,調査研究のためのドリームチームを組成するというストーリーだ.
私もフランクフルトの自然史博物館でメッセル化石のコレクションを見たことがあるが,組織の細部まで保存され美しく見事なものだ.霊長類の化石があればそれは話題になるだろう.カラー口絵には様々に撮影されたイーダの写真が載せられているが,実に興味深く,じっくり見るに値するものだ.


第3章から第7章までが関連トピックの解説になる.この化石の生まれた新生代の始新世とはどのような時代か,メッセル化石は何が特別なのか,ほかにはどのようなものがでているのか,哺乳類系統の中で霊長類とはどのような動物で,どのような歴史を持つのかあたりが説明されている.
このなかでは始新世の終わりの寒冷化について,ヒマラヤ山脈の形成によるという説のほかにアカウキクサが重要だという説が載せられていてちょっと面白い.メッセル化石の説明はなかなかよいガイドになっている.カラー口絵でイーダ以外のメッセル化石も数点紹介されていて,見ていて飽きさせない.もう少しほかのメッセル化石の写真を載せていればさらにガイドとしての価値が高くなっただろうと惜しまれる.また霊長類の進化は2章にわたって概説されている.一般向けの本ではあまり見かけないもので,手練れのサイエンスライターによるわかりやすいまとめとなっている.


第8章はイーダの持つ意味についての章だ.霊長類の祖先としてどのような動物だったかについては,手足の骨の長さの比率からしがみつき跳躍者だったのだろうと推定され,その復元はなかなかわかりやすい.恐らく訳本だけの工夫としてイラストが入っているのは(どのぐらい正確なものか私にはわからないが)一般向けにはいい工夫だろう.
著者は,このイーダの化石の重大な意味は霊長類系統樹の見直しを迫るものであることにあると捉えているようだ.詳細は省くが,メガネザルとキツネザルのどちらが真猿類により近縁かという問題で,現在の主流はメガネザルの方が近縁だというものだが,このイーダによりそれがくつがえされうるのだと主張しているように読める.しかし著者は分子的な証拠については一切何の説明もしておらず,形態についても何故そういう結論になるのかの説明はよくわからない.全体としてこの説明は納得しがたい.あわせて本書ではセンセーショナルに書きすぎている傾向があり,このスタイルはあまり好きにはなれない.確かに古い霊長類の化石は貴重であり,その保存状態は驚くべきものだが,「世界7不思議に加えて8不思議になるべきもの」とかは少し吹きすぎているのではないだろうか.いわゆる大きな動物群の「中間形」の化石として,始祖鳥,中国の羽毛恐竜,オドントケリス,ティクターリク,クジラの祖先化石あたりと比べて,何か特段の重要性があるわけではないと思う.


全体として,1つの化石を巡る面白い物語,メッセル化石のガイド,霊長類の進化の概説としては成功しているが,肝心のイーダについての説明は不満の残るものだ.これはイーダのドリームチームによる詳細な研究成果が発表され,様々な議論がなされた後でしか評価し得ないものだろう.数年後のそのような時を心して待ちたいと思う.



関連書籍



The Link

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原書



コリン・タッジの本

Neanderthals, Bandits and Farmers: How Agriculture Really Began (Darwinism Today series)

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農業の開始についての概説本

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邦訳,確かに農業は追い込まれて始まったものでいいことづくめではなかったというような内容だが,それでも何故このような邦題になってしまうのかと思わざるを得ない.


そのほかにもいろいろ書いているようだ.

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