「Spent」第13章 誠実性 その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior



「誠実性」のおさらいをしておくと,その基本は自己抑制にかかるパーソナリティだ.意志の力,信頼性,一貫性,楽しみを取っておくことができる能力と言い換えてもいい.もともとの英語のconscientiousというのは,「正しいことや,しななければならないことをしようとする」というほどの意味だから,訳語としては「誠実性」としても「勤勉性」としてもどちらもニュアンスが異なるようだ.正直,清廉,予測可能性,一貫性,時間に正確なこと,社会規範への敬意,責任感,約束を守ることなどと相関する.
ミラーは,100年前なら,品格(character),原則(principle),名誉(honor).道徳質(moral fiber)とよばれていただろうとしている.これらはやや古風な英語用法なのだろう.現代の脳科学的理解でいうとこれらは辺縁系の短期的な衝動を,皮質系によるセルフコントロールでどれだけ抑制できるかの指標だということになる.


ちょっと考えると誠実性が高いことを示すディスプレーの方が異性からもてそうだ.しかし実は若者は常にそういうディスプレーをするわけではない.短期的配偶戦略をとっているときには誠実性がない行動パターンの方が成功率が高い.
ミラーにいわせると,マーケターは,衝動的な若者に「誠実な大人は堅苦しくて古くてクールじゃない」とすり込むことですり寄っているということになる.


一方,文明社会の権力者は大衆の誠実性を望むとミラーは指摘している.

低い誠実性は過去からいろんな呼び方をされている.衝動的,きちがいじみた,犯罪的,・・・.権力者は,誠実な奴隷,農民,労働者を望むので,文明の目標は衝動的な若者を抑えることに向けられる.植民地的な奴隷所有者は奴隷の誠実性をあげるためにむち打った.産業革命時の教師は定時の授業や宿題を課した.エリートは大衆を寄宿舎,軍隊教練,一夫一妻制で縛ったのだ.

一夫一妻制が権力者の陰謀だというのは単純には納得しがたい.実際にはなかなか微妙で複雑な問題だろう.


ミラーは誠実性は進化環境を考えるとかなり異常なパーソナリティではないかとも指摘している.狩猟採集生活において時間を正確に守ることに価値があったとは思えないという主張だ.だからこの誠実性のディスプレーは農業革命以降になされるようになったのではないかと示唆している.
この部分もやや疑問だ.確かに狩猟採集社会において,時間を守ったり,綿密な計画を立てて守ることは必要なかったかもしれない.しかし,今日我慢した方が最終的に利益が大きくなるという状況はかなり普遍的にあり得るのではないだろうか.だから短期的衝動を抑えることに適応価があった局面があったと考えていいのではないだろうか.ただ現代の方が平均的にいってよりその適応価が高いということはあるだろう.


そして当然高い誠実性をディスプレーするための商品,サービスがある.
ミラーはその代表的な商品として,メンテナンスが難しい製品を挙げている.
手入れやメンテナンスが簡単な商品は確かに楽だが,実はそれは低い誠実性のディスプレー効果を持ってしまう.高い誠実性を示したいなら,面倒くさいものがいいのだ.ミラーは代表例として世話に手間のかかる熱帯魚,染みのつきやすい白い服,埃のつきやすい家具,ペイントが必要な車,手入れの面倒くさい芝生をあげている.
要するに「私はこんなに面倒くさいものをきちんと手入れできるようなきちんとした人なのです」ということを見せびらかしているというわけだ.


そしてこのこと「メンテがめんどくさい品物を欲しがる人がいる」は経済学者やマーケターの盲点になっていることがあるとも指摘している.これらはまさに(ちょうどハンディキャップ理論と同じで)逆説的で気づかれにくいのだ.しかし,例えば床のフローリングを考えると,手入れの楽なパネルより,手入れの難しい無垢の樫のフローリングの方が評判がいいとミラーは指摘している.


ミラーはさらに誠実性インディケーターの「手入れ総量保存の法則」を提唱している.システムのある部分がメンテ不要になり楽になると別の部分が面倒くさくなるという意味だ.
ミラーは現代アメリカのメガキッチンを例にあげている.

キッチンのリフォームは平均5万ドルかかる.そしてその結果風変わりなカウンタートップと作り付けのキャビネットと様々な機器が備え付けられる.実際にこれを購入する共稼ぎ夫婦にはこれを使う時間などない.しかし彼等は,自分たちが誠実性を持つディナーパーティのホストであり,子供にお菓子を焼く良い親であると示したいのだ.料理に時間を使わないほど,ディスプレーのためのキッチンは立派になる.
今日の郊外の夫婦は陸軍のビバーク全体をまかなえるほどの料理設備を持っている.そしてオーブンが自動清掃モードを持ち,バーナーが簡単にぬぐうだけでよくなるにつれて,設備の外表面は磨き上げるのに苦労するステンレスに変わるのだ.これは主婦を忙しくさせるための陰謀ではない.これはキッチンを自慢したい人たちにはメンテフリーの台所は受けないからなのだ.

日本のシステムキッチンも同じような変容を示しているのだろうか.IH式クッキングヒーターで簡単にお掃除できるようになると,その表面は手間をかけることによりピカピカに磨き上げられるようになっているなどということがあるのだろうか?