「進化考古学の大冒険」

進化考古学の大冒険

進化考古学の大冒険


本書は考古学者松本武彦による,日本の考古学に認知考古学の考え方を取り入れようという試みの書である.日本では認知考古学がどの程度認められているのか私にはよくわからないが,著者の意欲は本書によく現れている.


まず冒頭でスティーヴン・マイズン*1の認知考古学の取り組みが紹介され,それを日本の考古学的な成果への解釈に応用したいという抱負が語られている.そこからハンドアックス,薄片石器,後期旧石器,新石器について,どのような用途か,それに必要な認知的能力にどのようなものがあるかを説明している.200年前のハンドアックスはボーンハンティング(肉食獣の獲物の食べ残しやその他の死体の骨髄の部分を道具を使って食べる)のニッチに対応したものだというくだりはなかなか興味深い.
本書はそこからさらに進化的な解説も統合しようとしている.しかし進化的に説明しようとしているところは厳密ではない部分があり,やや残念だ.まず全体にヒトの進化についてエレクトゥス,ハイデルベルゲンシス,ネアンデルターレンシス,サピエンスと段階的直線的に変化してきたように説明している部分が気になる.個別の論点ではネアンデルタールに言語があったはずだと断言しているが根拠には触れていない.また性的二型の現象を身体ディスプレーから道具ディスプレーへの変化だと説明しているが,これは性淘汰圧がどう変化したかと合わせて考察すべきことでややスロッピーに感じられるところだ.最後にサピエンスについてはホモ・エステティクスとして理解すべきであると主張し,美のコミュニケーション,そして美しいものを交換に用いることによって複雑な社会が可能になったとか,倫理の基礎にある感覚が美と同じであるとかが説明されているが,このあたりはかなり強引で論拠も薄く,仮説としてもあまり説得的ではない印象だ.


この進化的な説明の後は,実際の縄文時代弥生時代の遺物について認知考古学の視点から説明が行われる.認知考古学としては,その土器が何であるのか(フォーム),どのような形式を備えているのか(スタイル),さらに細部の流行(モード)に分けて考察していくことになる.このあたりは(私に基礎知識が少ないこともあって)なかなか興味深く読める部分だ.

まず縄文文化はその独特な美しさから世界中で有名だが弥生時代のものはそうでないと前振りがあって,縄文土器の修飾のスタイルの変遷がその用途の変遷とともに丁寧に説明されている.中期と後期により縄文土器の修飾様式,用途に変化が見られること,弥生土器との間に連続性が見られることなどが説明されている.
次に食性,農業との関連が説明される.日本では縄文時代から炭水化物主体の食事と定住が始まっている.そして大規模集落が東日本で見られるようになるが,5000年前頃の寒冷化によって縮小,その後縄文後期に雑穀栽培農業が伝わり,弥生時代水稲栽培に続く.
これを考古遺物から見ると,定住とともに黒曜石,ヒスイ,蛇紋岩の石斧の交易がみられ,雑穀栽培とともに土器の簡素化とともに石剣,石刀が現れ,最後の水稲栽培段階で武器,鏡,腕輪が見られるという形になる.そしてこのような弥生時代儀礼や記念物により共有知の強化の企画が見られると整理し,これらが民族のアイデンティティと結びつくのだろうと議論している.


本書の後半は認知考古学応用の各論ともいうべき部分で,モニュメントと文字について西洋との比較,世界的視点で見た場合の日本の状況が考察されている.
モニュメントについては,まず広場にあるサークル,次に直立した四角なモニュメント,最後に対面式の複雑なものが見られるようになると整理して,ストーンサークル,ピラミッド,神殿を例にあげている.これらは日本でも見られ,縄文時代ストーンサークル,弥生の墳丘墓,前方後円墳,大寺院とつながるという.本書によると,最初の広場は参加型のもので,集まって儀式を行うもの,次のモニュメントは仰視型で中央集権の権力の表れであり,最後の対面型のものはより内面的な価値を問題にする宗教的なものだということになる.確かに日本と西洋で平行的な(あるいは収斂的な)現象があるようでもあり興味深い.

文字については,世界の流れとして,まず取引・制度の記述,次に文芸・歴史の記述,最後に宗教の教典と整理している.著者はこれを脳外の知により社会がまとまっていく発展段階を表すものと整理したいようだが,やや強引な印象は免れない.ちょっと面白いのは,文字は言語と異なって,近隣から借用するのが基本パターンとなるために,近隣集団との間でよりコミュニケーションが容易になるという効果があることだという指摘だ.
日本においては基本的に独自の文字は成立することがなかったが,その萌芽が見られるものとして土器に見られる不規則な模様,銅鐸の簡略化模様,抽象的土器絵画の実例を挙げている.なかなか興味深いものだが,全体のテーマとの関連はやや薄いだろう.


私は「進化」というキーワードに引かれて本書を購入したわけだが,基本は認知考古学的な取り組みが主体であり,進化的な考察の部分については理解が浅いのではないかと思われる部分が散見され,「進化考古学」というフレーズはやや勇み足気味だと思う.*2 それでも日本の考古学的な知見,そして認知考古学の取組の部分については(私のような)考古学にあまりなじみのない読者に対して非常にわかりやすく記述されていて読みやすい.進化的解釈という部分をのぞけば,全体として認知考古学の日本への応用の取り組みとして意欲的でかつなかなか面白い本に仕上がっていると思う.


関連書籍


マイズンによる認知考古学にかかる本.

心の先史時代

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これはより踏み込んだ内容の本になる.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20060716

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化

歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化


松木はこのような本も出している.歴史シリーズの一冊ということで先史時代を扱った意欲作のようだ.

旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)

旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)


なお認知考古学に関連してはこのような本もある.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081219

先史時代と心の進化 (クロノス選書)

先史時代と心の進化 (クロノス選書)

*1:日本では通常ミズンと表記されることが多いが,著者によるとこの発音の方が近いということを本人に確認したということだ

*2:なお「大冒険」というのもかなり安っぽいフレーズではないだろうか.選書はこういう題名の方が売れるのだろうか.