VCASI公開研究会参加記録 その1

shorebird2010-10-02
10月1日にVCASI主催により「言語の起源と進化について」という公開研究会が開催された.VCASI(ヴィカシ)とは、Virtual Center for Advanced Studies in Institution[制度にかかわる仮想高等研究所=仮想制度研究所]の呼称だそうで,主に社会を秩序立てている制度(社会のゲームのルール)の研究を行っているそうだ.
社会や制度と言語は密接な関係にあるという問題意識から今回の研究会が開かれたということで,講演者には長谷川眞理子先生の名も上がっている.場所は虎ノ門の特許庁前の日本財団ビル.ということで何とか都合をつけて参加してきた.


当日は快晴で気持ちのいい秋の日.研究会は2時から開催ということで,昼食後近くの日比谷公園にもよってみた.ちょうど“みどりのiプラザ”では「東京の公園が担う生物多様性」の展示がなされていて,和みのひとときだった.




2時から研究会開始.



最初は主催者の青木昌彦から趣旨説明



社会や制度を考えるときには,焦点を個人に置くか,社会全体に置くか,その焦点の内部性(個人でいえば心理,信念など)を見るか,外部性(外に現れたもの)を考えるかという2つの次元がある.もちろんそれはすべて関連している.

内部性の議論でいえば,経済学では,個人の選好がインタラクトして市場になるというとらえ方になる.
そして研究の流れは,合理的個人からゲームの理論が生まれ,合理性への疑問から認知ゲーム理論へ動きつつある.そこではゲームのルールの前提としてヒトの認知から来る「事前予想」の中身に関心が持たれている.その事前予想はどこから来るのかということで,文化などが考察されている.

片方で外部性からのとらえ方においても認知のリソースから考えるものが現れている.

これらのいずれから見ても「言語」というのは重要な問題になる.
言語についてはチョムスキーの理論やウィトゲンシュタインの議論もあるが,今日は最前線の研究者に講演してもらうという趣旨だという説明だった.


認知ゲーム理論というのはちゃんと勉強したことがないが,なかなか面白そうな分野だ.制度を考える上で,言語の持つ現在の機能や限界が重要であるのはよくわかるが,起源や進化について何故問題にするのかは説明がなかった.知的に興味深いし,起源や進化プロセスがわかれば機能や限界も理解しやすくなるということなのだろう.



長谷川眞理子 「競争的知性と協力的知性:言語進化の底にあるもの」



今日はこのような役回りではなかったはずなのでスライドを準備する時間がありませんでしたといいつつ「音楽学と進化生物学との出会い:音楽の起源についての統合的アプローチ」などという魅惑的なスライドを映し出す.これは韓国での発表に使ったとのことだった.「言語の起源と進化」も興味深いが,「音楽の起源と進化」は(より適応的意義について微妙な問題が多そうで)さらに興味深い.いつかこの発表も聞きたいものだ.


さて講演は,まずこれまでの研究歴を振り返り,ニホンザル,チンパンジー,ソイ・シープ,ダマジカ,クジャク*1 などが紹介された.チンパンジーを研究したときには心底チンパンジーが嫌いになり,そのときはどうしてか説明できなかったが,いまは説明できるようになったという見事なつかみから始まる.


そして今日は言語という構造が可能になった大きな認知的ステップについて話したい,それは競争的知能から協力的知能への転換だと結論を提示.
動物には「他者の理解」に関して様々な競争的知能が観察される.それはいかに相手を出し抜くかということにかかるものでチンパンジーだけでなく,カラス類*2でも観察される.
しかし動物界で真の意味で協力による分業を成し遂げているのは,ごく限られた真社会性の動物(アリなど)とヒトだけだ.アリは霊長類とはまったく異なる限られた知性でそれを成し遂げているが,協力的知性と呼べるものを進化させた動物はヒトだけであり,それがヒトの成功の鍵だったのだろう.


ここからヒトの進化史の説明.大きくいって,類人猿からはなれてヒトらしくなるのは200-250万年前のホモ・エレクトスあたりから.このときの鍵になる環境変化は,森林から完全に離れてサバンナへ移ったことだっただろう.サバンナでは,恐ろしい捕食者がいて,その捕食者の獲物たる草食獣が極めて魅力的な栄養パッケージとしてふんだんに存在する.しかし水はなく,果実もない.植物性の栄養パッケージは地中深く塊茎として存在している.捕食者から逃れるにも草食獣や塊茎を手に入れるにも協力が必要だっただろう.つまり,集合して暮らし,協力するということに大きく淘汰圧がかかったのだろう.


ではヒトはどのようにして協力できるようになったのか.それは「互いに互いの心を知る」という知性と通じてだ.そして言語はこのような知性の上に乗ったのだ.
この知性はおそらくヒトと類人猿でもっとも異なっている前頭葉に関連があるだろう.それは自己を認識し,他者を認識し,さらにそれを合わせ鏡に映し,「私がこれを知っていることをあなたは知っているということを私は知って・・・」という3項関係の理解を可能にしたことだろう.これにより,自己と他者の欲求を理解することが出来,協力が可能になったのだ.
この「思いの共有」ということはヒトでは非常に自然に行える.幼児は母親に何かを指さして世界を描写し,母親はそれを理解する.しかしチンパンジーにはこの能力はまったく欠落しているのだ.チンパンジーは相手を出し抜くために,相手が何を知っているかを理解することができる.しかしそれを共有しようとはしない.


ここで最近のリサーチとして,幼児は他人(リサーチャー)が何をしたいか(両手がふさがっているのだが扉を開けたい)を観察により察し,それを助けてくれる(具体的には立ち上がり歩いて行って扉をあけてあげる).抽象的な動画のキャラクターについての好き嫌いを聞かれれば,より助けようとしているキャラが好まれるなどの結果が出ていることが紹介された.


そして冒頭のつかみに戻る.
チンパンジーはその競争的な知能を使って互いに殺し合う.群れを作って隣のなわばりに侵入し一頭ずつ襲撃する.その観察は大変に嫌な経験で,そして殺された幼い兄弟の肉を食べるところを目撃して決定的にチンパンジーが嫌いになったそうだ.(そのとき観察したゴンベの群れがいまどうなっているかを最近研究者から聞いたそうだが,結局隣のグループを殲滅した後今度はグループが割れ,内訌が始まり,数が少なくなって,別の隣のグループに襲われて消滅の危機にあるそうだ.これが競争的知性の限界だ*3と話し合ったそうだ)
では飼育されているチンパンジーの協力的な態度はどう解釈するのか.それはずっと可愛がって目を見て話しかけていると,少し協力できるようになる.そのような環境条件による可塑性はあるのだろうということだ.


最後に「いつか」というのはこれからのリサーチ,「どのようにして」というのは後のお二人の発表者にまかせたいとして講演を締めくくられた.



なかなか面白い話だった.要するに言語の基礎になった3項関係の理解を含む協力的知性はグループによる協力作業の効率化のための適応形質であり,言語はこの上に乗って花開いたという主張だ.


ここからいくつか興味深いトピックが思い浮かぶ.

  1. まず,これはグループ淘汰的な説明だから,包括適応度的にはどう説明するのかという問題がある.おそらく,これは自分にとってコストがある利他行為ではなく,双方に利益がある相利行為だから,相互理解によってそのような相互作用ができるようになることは互いにとって有利だ(だから個体淘汰的に見て問題ない)ということだろう.
  2. 真の意味で協力するのは真社会性動物とヒトだけだということだが,社会性補食獣の共同狩猟(あるいはまさにチンバンジーのオスたちによる近隣の群れの襲撃)はどうなのかという問題はあるだろう.これは実は共同作業に言語は必須ではないのではないかという議論につながるところだ.ここではそれは非常に単純な共同作業(明確な形での分業とまでは言いにくい)なのでそこまでの認知的な淘汰圧にならないという趣旨なのだろう.
  3. 協力的知性と言語の関係も興味深い.信号理論からいって言語のもっとも興味深い点は信頼性のためのコスト構造がないことだ.長谷川のこの議論は,協力的な関係だからコスト無く信頼性が確保されるということなのだろうか.おそらくそうではないだろう.互いの協力関係のなかで双方に利益があるとしても,その配分を巡ってはコンフリクトが生じうる.だからこの説明だけでは言語のこの特徴は説明できない.
  4. この講演は協力的知性の淘汰圧を議論している.言語はその上に乗っているという説明があっただけで,協力的知性と言語の関係はきちんと説明されていない.互いに思いを共通するために有用だから進化したので淘汰圧としては同じだということかもしれない.しかしこの説明だけでは先ほどいった言語の信頼性コストの欠如が説明しきれないように思う.
  5. 言語自体の淘汰圧という点では,ダンバーのゴシップ説,ミラーなどの性淘汰説についてはどう考えればいいのだろうか.おそらく排他的な説明ではないので,このような複合的な淘汰要因により言語が形作られたという風に考えればいいのだろう.その意味では長谷川の見解が知りたいところだ.(これはこの後の講演にも関連するが)言語に信頼性コストがないことを考えると,情報伝達の有用性だけで言語の起源や進化を議論するのは危ないと思う.

(この項続く)

*1:peacockではなくpeafowlと表記されていた.オスもメスも含むときはこう表記するのが正しいのだ.なるほど

*2:餌を貯蔵するようなカラス類では,他個体に隠し場所を見られたかどうかを気にしていて,見られたと認知したときには,見られていないときに隠し場所を変える

*3:この結果は別の意味で興味深い.何故チンパンジーにはこのような破滅的な結果を避けるような適応が生じなかったのだろう.群れのオス同士は近隣グループオスより互いに血縁関係として近いだろうから分裂内訌の抑止について可能性がないわけではないだろう.実際の血縁の程度では足りない,あるいはこのような破滅的な状況にいたるのは例外的で,基本的には分裂して殺し合う方が適応的だということだろうか